ものみの塔協会は、自分たちの公式見解を全面的に受け入れない信者を「背教のかどで排斥(破門)してきた」と述べています。(塔86 4/1 31 )参照資料:受け入れなくてはならない信条。ここで一人の例を考えてみましょう。

カール・オロフ・ジョンソンの場合

1970年代にスウェーデンの長老であったカール・オロフ・ジョンソンについて考えてみましょう。彼はエホバの証人の全時間福音伝道者である開拓者として働く中、自分が聖書研究を司会する男性から質問を受けます。彼は、歴史家たちが西暦前607年ではなく、それより20年後の年をエルサレムの崩壊の年としている理由を教えてほしいと言われます。ジョンソンは歴史家たちが欠陥のある資料を基にしているからであろうとほのめかします。しかし同時に、その件について調べてみることを男性に約束します。結果としてジョンソンが予想していたよりも深く広範囲な調査を行うこととなり、彼は西暦前607年とする根拠は何もないことを悟ります。「不本意ながら、ものみの塔協会は間違っていたことを認めざるをえなくなった」と語っています。

ジョンソンにとって衝撃的だったことは、エホバの証人の基本的な教理に重大な欠陥があることを発見したことだけではありませんでした。何よりも衝撃だったのはこの問題に対する協会の対応でした。ジョンソンはブルックリン本部に調査結果を論文にして送ります。しかしその最初の反応は「どんなに証拠が強力であっても、…これは人に話すべきものではない」という警告と「やるべきことが沢山あるので、今のところこれに注意を向ける時間がない」というものでした。

後にジョンソンは、協会にとって証拠は重要ではないのだということを知ることになります。1978年の8月に統治体の成員の一人、アルバート・シュローダーがヨーロッパの各支部からの代表者たちとの会合を開きます。シュローダーは聴衆に対して協会の西暦前607年と1914年に関する反対意見があることについて触れます。そして「協会はその[教理を]放棄するつもりはない」と述べます。

それから3週間後、協会の代表者との会合がきっかけとなりジョンソンは長老の立場を辞することになります。ジョンソンの協会の年代学に対する立場は広く噂されるようになります。そしてジョンソンはプライベートでも公にも犯罪者のように扱われます。王国会館や大会の演壇からは「反逆的で」「せん越」な者であるかのようにほのめかされます。

ジョンソンはこの年代学がとても重要なものであることを理解していました。なぜなら西暦前607年の教えはエホバの証人が1919年に「忠実で思慮深い奴隷」としてキリストにより地上の関心事をすべて委ねられたという教義をも根幹から揺るがすものになるからです。ですからこの問題に関して「忠実で思慮深い奴隷」を信頼するようにとの指示にジョンソンが矛盾を感じるのは不思議ではありません。

ジョンソンは審理委員会を構成する協会の代表者たちから「わたしたちの信条と組織に対する態度を確認する」ために出頭するようにとの手紙を受け取ります。ジョンソンは「組織に対する態度」がすでに送っていた自分の論文で表明されているものであることを理解していました。それでジョンソンは自分の「態度」を変えるためにはすでに蓄積されてしまっている年代に関する「証拠」から手を付ける必要があるという事実を伝えます。そして少なくとも委員会のメンバーが自分の論文を読んで有意義な話し合いができるように時間をとって欲しいと伝えます。それに対して誰も論文に対する関心の言葉はなく、ただ出頭するようにとの返事だけが届きます。ジョンソンは1982年の6月9日に欠席裁判により排斥されます。

ジョンソンは自分の経験により、中世のヨーロッパの状況が現代のエホバの証人の組織の中に存在することを痛感させられます。

*** 塔89 9/1 3ページ 僧職者による支配―解決策となるか ***
僧職者と対立する意見を述べたりすることはだれにも許されていませんでした。僧職者のこうした不寛容は,ヨーロッパ全土に恐れという風潮を生みだしました。教会は,あえて異なる意見を抱く者たちを根絶するために異端審問所を設けました。

 

敵意

ジョンソンは排斥される前にも協会の教義に疑いを持つ人への様々な階層の人が示す敵意を感じました。しかしこれは自然にわき起こる感情だけではなく、まさに協会が推し進めている態度でもありました。以下の記事の中に見られる文面を見ればそのことをある程度理解することができます。

*** 塔92 7/15 12-13 キリストは不法を憎まれた―あなたもそうしていますか ***
不法を憎まねばならないということは,背教者のあらゆる活動にも当てはまります。背教者に対するわたしたちの態度は,次のように言明したダビデの態度と同じものであるべきです。「エホバよ,あなたを激しく憎んでいる者たちをわたしは憎まないでしょうか。あなたに背く者たちにわたしは嫌忌の念を抱かないでしょうか。わたしは憎しみの限りをつくして彼らを憎みます。彼らはわたしにとって真の敵となりました」。(詩編 139:21,22)

…わたしたちの安全は,背教者の宣伝をあたかも毒であるかのように避けることにかかっています。そして,実際にその宣伝は毒です。―ローマ 16:17,18。

 

棄教した人は偏見の目で見られる

エホバの証人から離れた人がいかに偏見の目で見られるかを示す実例があります。それはドイツのバルツェライトの例です。バルツェライトは第二次世界大戦中のドイツで協会の代表者として働いた人物です。彼はラザフォードの下でドイツにおける協会の仕事に携わるものの、ラザフォードの率いる組織に疑問を感じ離れることになります。

彼については1975年の年鑑に詳しく書かれています。例えば1933年のベルリン大会におけるバルツェライト兄弟の役割について次のように書かれています。後の部分で説明しますが、これはまったくの虚偽の記載です。

*** 鑑75 111-112ページ 第1部―ドイツ ***
ラザフォード兄弟は大会の何日か前に,協会の地所や建物の安全を確保するにはどうすればよいかを知るため,ノア兄弟と一緒にドイツを訪れ,バルツェライト兄弟を通して同大会に提出し,出席者たちの賛同を得て採決する宣言文を用意しておきました。それは私たちの行なっていた宣べ伝えるわざに対するヒトラー政府の干渉に抗議したもので,ナチ国家の大統領をはじめ,政府高官全員に,その宣言文の写しを1部できれば書留めで送り届けることになりました。ラザフォード兄弟はその大会の始まる数日前にアメリカに戻りました。
しかし,出席していた人たちの多くはその「宣言」に失望させられました。というのは,その内容は多くの点で兄弟たちの期待していたほど強烈なものではなかったからです。当時までバルツェライト兄弟と密接な関係を持って働いていたドレスデン出身のミュツェ兄弟は後に,その原文の真意を弱めたことでバルツェライト兄弟を非難しました政府機関との関係で問題を避けようとしてバルツェライト兄弟が協会の出版物の明確で間違えようのない言葉づかいに手加減を加えたのは,これが最初ではありませんでした
相当数の兄弟たちはまさにそうした理由のゆえにその宣言の採択を拒否しました。事実,以前の巡回旅行者でキッペルという兄弟は採択を求めるためのその宣言文の提出を断わったので,別の兄弟が代わって提出しました。後日,バルツェライト兄弟は同宣言が満場一致で採決された旨ラザフォード兄弟に伝えたとは言え,正しくはそうは言えませんでした。

年鑑の記事はヒトラー政府に対するメッセージを含んだ宣言文をバルツェライト兄弟が原文を改ざんしたと述べています。そしてバルツェライト兄弟のせいで「相当数の兄弟たち」が「その宣言の採択を拒否」する事態に陥ったことを述べています。

バルツェライト兄弟に対するこの中傷は全くの虚偽でした。この年鑑が発行されてから23年後の「目ざめよ!」誌では次のようにこの出来事について述べています。

*** 目98 7/8 14ページ エホバの証人―ナチによる危機に直面しても勇気を示す ***
「エホバの証人の1975年の年鑑」の記録によれば,「宣言」の論調があまり明確ではないと考えてがっかりしたドイツ人の証人たちもいました。支部事務所の責任者パウル・バルツェライトがその文書の本文に手心を加えていたのでしょうか。そうではありませんでした。ドイツ語と英語の本文を比べてみると,そうではないことが分かります。

上記の事実はカナダの歴史家のジェームズ・ペントンなどが暴露する執筆を行ったことに対応するかたちで認めざるをえなくなりましたが。そのような活動がなければいまだに訂正されることはなかったことでしょう。

意図的に放置される虚偽

協会は世の中にはしばしば「意図的に誤った情報の流される」ことがあることを認めて次のように述べています。

*** 目05 10/22 10ページ 新聞からどのように益を得るか ***
ニュースに誤りがあるのは,多くの場合,急いで記事を書いたか,真実でない情報に頼ったからです。しかし,そのような悪意のない報道でも,全く真実に反する事柄を急速に広めてしまうことがあります。他方,意図的に誤った情報の流される場合もあります。

ではバルツェライト兄弟についてはどうでしょうか?協会の次の説明を見てみましょう。

*** 目98 7/8 14ページ エホバの証人―ナチによる危機に直面しても勇気を示す ***
支部事務所の責任者パウル・バルツェライトがその文書の本文に手心を加えていたのでしょうか。そうではありませんでした。ドイツ語と英語の本文を比べてみると,そうではないことが分かります。その逆の印象は,その「宣言」の作成に直接関与しなかったある人々の主観的な意見に基づいていたようですそうした人たちの結論には,バルツェライトがわずか2年後に棄教したことも影響を与えていたのかもしれません

この説明の中に「~のようです」とか「~かもしれません」という歯切れの悪い表現が続いていることに気が付くでしょう。協会は棄教した人が偏見の目で見られることを認めてはいますが。重要な点について触れていません。

ではもう一度、問題の年鑑の記事を見てみましょう。

*** 鑑75 111-112ページ 第1部―ドイツ ***
ラザフォード兄弟は大会の何日か前に,協会の地所や建物の安全を確保するにはどうすればよいかを知るため,ノア兄弟と一緒にドイツを訪れ,バルツェライト兄弟を通して同大会に提出し,出席者たちの賛同を得て採決する宣言文を用意しておきました。

ノア兄弟とは1975年当時に協会の会長として出版物の内容を監督していた立場の人です。彼はまさにラザフォードの書いた宣言文がいかにヒトラー政権にすり寄る内容であり、ユダヤ人バッシングやドイツ国家を称える言葉が含まれていたかを良く知っている人物でした。それに加えて1975年当時の副会長フレデリック・フランズや他の多くの年長の本部職員は、この宣言文がどのような内容のものであるかをよく知っていました。というのはドイツ語に訳された宣言文の英語文はそのまま協会の雑誌の中に掲載されていたのです。ではその宣言文は実際どのような内容だったのでしょうか?

宣言

イエスがユダヤ人のもとに真理を伝えにいったとき、ユダヤ人の僧職者、つまりパリサイ人や司祭たちがイエスに暴力的な反対をし迫害しました。そしてイエスに罪と違反のすべてをなすりつけました。彼らは真理を聞くことを拒みました。そして彼らに対してイエスは言われました。「・・あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。・・」(ヨハネ 8:43-45)

…この時にいたるまで、ユダヤ人から私たちの業への寄付は一銭たりとも受け取ったことはありません。私たちはキリスト・イエスの忠実な追随者でありまして、世界の救い主として彼を信じているのです。ユダヤ人はイエスキリストを完全に退けたのです。彼が人類の善のために神から世に使わされた救い主であるということを断固として否定したのです。

…尊大で最も威圧的な帝国は英米帝国です。 それはつまりイギリス帝国とアメリカ合衆国がその一部なのです。そして英米帝国から来た利益主義のユダヤ人たちが財閥を立ち上げて、搾取と抑圧を多くの国々で繰り広げているのです。この事実は特に財閥の拠点であるロンドンやニューヨークで真実なのです。これはアメリカにおいてニューヨーク市についての格言の中によく表現されています。その格言はこうです。「ユダヤ人が所有し、アイルランド系カトリックが支配し、アメリカ人がつけを払う」。

…我々はドイツ国家によって提唱されているその理念に逆らう代わりに、堂々と同じ理念に沿う立場にいるのです。そしてキリスト・イエスを通してエホバ神がそれらの理念を完全に実現させてくださり、人々に平和と繁栄、そして正直な心の大いなる願いの実現を与えてくださるでしょう。

上記の宣言文はまさにラザフォードが用意した原文のまま提出されていたのです。そのまま英文でも雑誌に掲載された宣言文をベルリン大会で提出された宣言文と比べることができなかったとでも言うのでしょうか?ネイサン・ノアもフレデリック・フランズも当時の宣言文を生で見ているのであり、バルツェライトが宣言文に手を加えたのではないことを承知の上で沈黙していたのです。これについて弁明する1998年の7月8日の目ざめよ!誌の論調があいまいな表現になっている理由もこれで理解できることでしょう。

上記の経緯に関しては鋭い観察を述べているコメントがあります。以下の投稿記事もあわせてお読みください。
「なぜエホバの証人に疑問を感じるようになったか」 – エホバの証人情報センター 読者の広場

エホバの証人の心理

目ざめよ!誌でも認めていたようにエホバの証人から棄教した人は偏見の目で見られます。これにはどのような心理が関係しているのでしょうか?一つは誠実な人がエホバの証人から離れるはずはないという感情でしょう。エホバの証人の観点からすると組織から離れた人は来るべきハルマゲドンで滅ぼされる人です。そのような人に誠実な人がいるはずがなく、たとえ誠実に見えたとしても何か悪い動機をもっているに違いないと考えるのです。いわばエホバに滅ぼされるべき理由づけというものが必要になるのです。

もう一つ関係しているのは「防御反応」です。記事の冒頭で述べたカール・オロフ・ジョンソンは自分が肌で感じた「防御反応」について興味深い考察をしています。

 「エホバの証人の一人としてこの基本的な預言の計算の正当性に疑問を持つことは簡単なことではありません。多くの信者にとって、特にものみの塔のような閉鎖的な宗教組織にいる間は、教理上の体制は「砦(とりで)」のような役割を果たしています。そこに霊的、精神的な安全を求めているのです。もし教理上の枠組のどこかに疑問が投げかけられると、そこに宿り場を見出だしている信者は感情的な反応をするでしょう。彼らは防御的な態度をとるのです。それは彼らの「砦」があたかも攻撃されて安全が脅かされていると感じるのです。この防御反応は、問題を提起する論議に客観的に耳を傾けたり、分析したりすることを非常に難しくします。意図せずにして彼らは真理を求める気持ちを尊ぶよりも自分たちの精神的な安全のほうを重要視してしまうのです。エホバの証人の間にしばしば共通して見られる防御的精神を制して物事を客観的に分析する精神で考えるのは極めて難しいことです。それが「異邦人の時」の年代学のように根幹にかかわる教理が疑問視されるときには特にそうです。そのような疑問は証人たちの教理体系を根底から揺るがすことにもつながるからです。それゆえに様々な階級のエホバの証人の間に好戦的な防御精神を呼び起こすことにもなります。わたしはエホバの証人の統治体に宛てて最初に論文を書き送った1977年以降、幾度となくそのような反応を目の当たりにしてきました。」 Carl O. Jonsson – Gentile Times Reconsidered 4th Ed. p.6

カール・オロフ・ジョンソンの提出した論文は考古学の専門家も高く評価するほど論理的で正確なものでした。そしてそれは宗教文書というよりも論理的な証拠に注意を向ける学術的な文書でした。そのような「証拠」が問題になっているのにも関わらず、いつでも「組織に対する態度」など疑問を提出する人自身に矛先が向けられました。そして証拠に対しては考慮されることなく終わります。

もしあなたがエホバの証人であるなら、「背教者」に関する協会の記事を見るとき、もしかしたら組織の教義に異を唱えたその人たちは自分の良心に忠実に従う誠実な人たちであるかもしれないということを念頭に置いて読んでみるのはいかがでしょうか?

 

– 記事の終わり