エホバの証人は毎月、伝道活動に費やした時間や配布した出版物の数を会衆の長老たちに報告することが求められています。1970年代まではすべての奉仕者が毎月10時間以上を費やすことを目標にするように勧められていました。

ものみの塔 1965年12月1日 716頁
一日に二十分、一週間に二時間半、一ヶ月に十時間という、提案されている最小限度の目標は、円熟したクリスチャンにとって無理なものではありません。エホバの証人は、毎月少なくとも十時間を野外奉仕にささげるよう努力します。

現在は特定の時間を「最小限度の目標」として掲げることはされていません。しかし「わたしたちの王国宣教」という成員向けのパンフレットには伝道者の「全国平均値」が掲載されており(2014年現在は毎月の詳細の数字の発表は廃止されている)、自分が費やす時間と平均時間を比べることができます。伝道に費やした時間は「援助が必要と思える人を見分ける」基準としても使われます。

*** 宣 02/12 8ページ 2節 正確な報告に貢献していますか ***
今日のエホバの組織は,毎月の野外奉仕活動を報告するよう指示しています。…会衆でも,長老たちが,宣教奉仕を拡大できそうな人や援助が必要と思える人を見分けるのに,野外奉仕報告が役立ちます。

「神のご要求」とされたとき

ものみの塔の初代会長のC.T.ラッセルの時代は協会が雇う「聖書文書頒布者」という制度はありましたが、個々の信者の時間を管理するような制度はありませんでした。しかし続く会長のJ.F.ラザフォードとN.H.ノアの時代には今あるような管理制度が発達しました。

1943年のものみの塔では、伝道に関して協会が定めた目標を「神のご要求」として成員に提示しています。

The WATCHTOWER 1943年7月1日 205頁(英文からの訳)


主は今”忠実で賢い奴隷”を通して私たちにこう語っておられます
わたしたちの区域を半年に4回は回ろう
この言葉は私たちの組織の指示となりました。そしてこれは神がロゴスに対して次のように語られたときと同じだけの効力を持っています。
わたしたちの像に人を創ろう
この新しい指示を受け入れ、従うことはわたしたちの務めです。

当時行った「区域を半年に4回」伝道するキャンペーンは主が命じられたことだと説明されています。しかも創世記の中で神が語られたとされる言葉と同じ重みをもってわたしたちに語られているとされています。このような大胆な主張を行える根拠はわかりませんが、エホバの証人はこの主張に同意せざるをえない状況なのでしょう。

 

オフレコの本音

奉仕の時間を毎月報告する制度は、協会の指導者層によって導入された制度ですから、本部職員であれば誰もが賛同しているような制度であるに違いないと感じるでしょうか?ここで紹介するブルックリン本部のカール・アダムスのコメントは予想に反していると思うかもしれません。カール・アダムスはここで取り上げる手紙を書いた1971年当時、ものみの塔協会の執筆部門の監督の立場にあった人です。

次の手紙はカール・アダムスが「王国を宣べ伝え,弟子を作るための組織」と題する本の準備を監督する際にノア会長に対して書いたものです。その手紙は一部次のように記されています。

執筆部門の監督カール・アダムスからノア会長への手紙

「野外奉仕を報告する
今私たちは書籍や雑誌の配布数、予約をどのくらい獲得したかなどを報告するようにしています。結果として、しばしば起きていることですが、伝道者は自分たちの”成功”を配布数の観点で見るようになります。出版物は真理を学ぶよう人々を助ける素晴らしい道具です。しかし伝道者はしばしば出版物の配布を”目標”に考えるようになります。例えば出版物をすでに所有している人に会ったとします。すると弟子を作るという重要な業に注意を向ける代わりに、彼らは自分が持っている別の新しい出版物を配布することを考えるのです。なぜなら彼らは自分たちの配布する記録を会衆が保持するようになることを知っているからです。これは彼らの出版物の使い方に影響を与えます。それはまた、会衆の長老たちが伝道者たちの行っていることを評価する根拠としても使われる傾向があります。他の兄弟たちに示されるかもしれない愛について”報告”はありません。また家庭での責任を放棄してしまっているかもしれないことも見えません。あるいは霊の実を表すことも含まれません。それで傾向としては、本来評価されるべき事柄を超えて伝道者の奉仕報告の数字が強調されてしまっています。」

カール・アダムス

Raymond Franz – In Search of Christian Freedom p.187 の引用からの翻訳

カール・アダムスの観察にどれだけのエホバの証人が同意するかはわかりませんが、霊的食物を供給する上で重要な部門の長がこのような観察をしているというのは興味深い点です。そして続く手紙の中で表現されている率直な意見と、実際に出版物に出てくる内容とのギャップに驚かされます。

執筆部門の監督カール・アダムスからノア会長への手紙

「認めざるを得ないことは、野外奉仕の報告制度全体は、聖書が求めている事、特にクリスチャンに対して求めている事を超えたものであるということです。これはイエスの助言に反することがないように努力したとしてもそうです。こう述べられています。 「人に注目されようとして自分の義を人の前で行なうことがないようによく注意しなさい。そうでないと,天におられるあなた方の父のもとであなた方に報いはありません。」(マタイ 6:1)、そしてパウロはコリント第二 10:12で人と比較して自分を高めないように警告しています。(ガラテア 5:26も参照)どのように努力しても、配布記録を報告することは伝道者にある種の傾向をもたせることになります。よく知られていることですが、巡回監督が一生懸命働いている会衆の長老たちをがっかりさせることがあります。それは彼らが群れを牧することにすでに苦労しているところに、彼らの野外奉仕の報告に関してもっと頑張れと後ろから突くからです。しかし牧する時間は報告には反映していないのです。そして会衆全体に話をするとき、巡回監督は会衆で示される純粋なクリスチャン愛よりも「一人当たり12冊の雑誌を配布する」ことに重きを置くのです。」

Raymond Franz – In Search of Christian Freedom p.188 の引用からの翻訳

個々のエホバの証人にはどのような影響があるでしょうか?カール・アダムスのメモ書きは次のように述べています。

カール・アダムスのメモ書き:

この見方は、聖書が述べていることに対する個人の認識に影響を与えている。

ローマ 15:1は、強い者は,強くない者を支えなければならないと言及している。文脈は個人の信仰のことが論議されている。ところが長老たちはこの聖句を野外奉仕の報告時間が少ない人を助けることに当てはめるよう訓練されている。

そして彼らは聖書が述べるテトス2:14の「りっぱな業」について話す際に野外奉仕報告に表れるような事柄を主に考える傾向をもっている。しかし、おおやけの宣教は全体のごく一部に過ぎないことを文脈は示している(テトス 1:16;2:5;3:15を参照)

Raymond Franz – In Search of Christian Freedom p.188 の引用からの翻訳

この時すでに統治体の成員に任命されていたレイモンド・フランズは上記のカール・アダムスの意見が会長のノアを通して統治体の会議の議題になったことを述べています。しかし何事も変わることなく、そしてこの執筆部門の長が述べる考えの一つも信者が読む出版物には掲載されることなく忘れられます。

重荷を解くエホバの祝福

奉仕報告制度や開拓奉仕制度が今日のエホバの証人にとって重荷になっているのかどうか、あるいはカール・アダムスが観察したようにクリスチャン的ではない影響をどれだけ与えているのかは定かではありません。 しかし開拓者に対する要求時間が減らされた際の人々の反応を見ると、このシステムがどのような影響を与えているのかをある程度推測することができます。

*** 宣 99/8 3ページ 3-4節 開拓奉仕への扉は今やあなたの前にも開かれていますか ***

寄せられた感謝の言葉: 「王国宣教」1999年1月号で発表されたように,正規開拓者と補助開拓者の要求時間が少なくなりました。新たな要求を満たすためには,正規開拓者は一奉仕年度に合計840時間奉仕するよう月々70時間を宣教にささげることになります。補助開拓者は,月に50時間を奉仕に費やします。こうした調整がなされた結果,多くの感謝の言葉が寄せられました。その中から,幾つかを紹介しましょう。

「天の父からの本当にありがたい贈り物です」。

「この備えに対する喜びや愛や感謝を何と表現したらよいか分かりません」。

「予定をこなすこともこれで随分楽になります」。

「これを機会にもっと多くの人が全時間奉仕を始めて,エホバに大いに仕えることから来る祝福を享受されるよう祈っています」。

… 神の救いの日の最高潮が近づいている今,エホバがご自分の民に最後の力強い賛美の叫びを上げるよう願っておられることは明らかです。

要求時間が減らされることがなぜこれほどの感謝の言葉になるのでしょうか?

「天の父からの本当にありがたい贈り物です」。

これは長い時間を伝道に費やす苦労から解放される開拓者が味わった喜びがよく伝わる言葉です。(*1)

「この備えに対する喜びや愛や感謝を何と表現したらよいか分かりません」。

なぜ要求時間が減らされることがこれほどの「祝福」と感じさせることになるのか考えさせられます。組織が奉仕報告制度そのものや開拓奉仕制度そのものをなくすことを決断すれば、どれだけの「感謝の言葉」が寄せられるのかは想像に難くありません。

開拓者の要求時間に関しては、以下のブログ記事にも興味深い観察が述べられていましたのでご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/laodicea/e/f8d973da9fc756bddaadea878ec0bedb

http://shokatu1.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-df41.html


(*1) なぜ要求時間が減らされる知らせが「ありがたい贈り物」になるかはコメントされていないが、出版物を見ると幾つかのヒントを見ることができる。例えば「鑑94 49ページ」には「ポルトガルの多くの会衆では,区域が毎週網羅されています」と述べられている。開拓者たちが人々から迷惑がられる戸別訪問を少しでも減らし、より意義のあると思える活動に時間を費やせるのはありがたいことなのかもしれない。


 

記事の終わり