ものみの塔は独自の年代解釈を読者に信じさせるために古代歴史家の文献を参照しています。しかしその引用の多くは間違った仕方で行われている場合が多く、引用元の文献の前後を調べると「ものみの塔」と全く異なる結論が記載されていることがしばしばあります。
その一つの例としてヒエロニムスの「エウセビオスの年代記」の協会の引用を考えてみましょう。
*** ダ 第11章 197ページ メシアの到来する時が啓示される ***
ギリシャの歴史家ディオドロス・シクルスは,テミストクレスの没年を西暦前471年としています。テミストクレスは,アルタクセルクセス王に謁見する前に1年間ペルシャ語を学習することを願い出ているので,小アジアに到着したのは遅くとも西暦前473年であったに違いありません。この年代はヒエロニムスの「エウセビオスの年代記」によっても裏づけられています。「ダニエルの預言に注意を払いなさい」
ものみの塔協会発行 2012年印刷版
まず第一に、ギリシャの歴史家ディオドロス・シクルスが「テミストクレスの没年を西暦前471年としている」ということ自体が間違い、あるいは意図的な嘘です。
歴史家ディオドロス・シクルスは西暦前471年以降にアテネ、ギリシャから追放されたテミストクレスがペルシャの王「クセルクセス」(アルタクセルクセスではなく)が支配するペルシャへの亡命を余儀なくされる状況を描いています。
「エウセビオスの年代記」はテミストクレスが西暦前466年頃に相当する年代に亡くなっていることを示しています。この年代が正しく、かつテミストクレスが謁見したペルシャの王がアルタクセルクセスであるならば年代的な矛盾が発生するのは確かです。では実際のところヒエロニムスの「エウセビオスの年代記」はアルタクセルクセスの統治年について何と述べているのでしょうか? アルタクセルクセスの第20年が西暦前455年であることを示しているのでしょうか? その答えは実際の文献を調べてみるならばすぐに明らかになります。ものみの塔の執筆者は「エウセビオスの年代記」が述べている重要な情報については触れていません。
以下の部分をご覧ください。
St. Jerome, “The chronicle of Eusebius”, ed. J. K. Fotheringham, London: Humphrey Milford, 1923.
https://archive.org/details/jerome-eusebii_chronici_canones_fotheringham_1923
上記はラテン語のテキストで、以下が日本語訳になります。
日本語訳:
オリンピアード第86期の4年目
「エルサレムの城壁を建設したネヘミヤはペルシャの王アルタクセルクセスの第32年に仕事を終えた」
この出来事は聖書のネヘミヤ 13:6にも記述されているもので、エウセビオス年代記はそれを「オリンピアード第86期の4年目」の出来事としています。
ではオリンピアード第86期の4年目は何年になるでしょうか? 以下の対応表をご覧ください。
期 | 1年目 | 2年目 | 3年目 | 4年目 | 出来事 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 776 | 775 | 774 | 773 | |
2 | 772 | 771 | 770 | 769 | |
3 | 768 | 767 | 766 | 765 | |
・ | ・ | ・ | ・ | ・ | |
・ | ・ | ・ | ・ | ・ | |
52 | 572 | 571 | 570 | 569 | |
53 | 568 | 567 | 566 | 565 | |
54 | 564 | 563 | 562 | 561 | |
55 | 560 | 559 | 558 | 557 | オリンピアード第55期第1年 キュロスの第1年 |
56 | 556 | 555 | 554 | 553 | |
57 | 552 | 551 | 550 | 549 | |
58 | 548 | 547 | 546 | 545 | |
・ | ・ | ・ | ・ | ・ | |
・ | ・ | ・ | ・ | ・ | |
80 | 460 | 459 | 458 | 457 | |
81 | 456 | 455 | 454 | 453 | |
82 | 452 | 451 | 450 | 449 | |
83 | 448 | 447 | 446 | 445 | オリンピアード第83期の4年目 アルタクセルクセスの第20年 |
84 | 444 | 443 | 442 | 441 | |
85 | 440 | 439 | 438 | 437 | |
86 | 436 | 435 | 434 | 433 | オリンピアード第86期の4年目 アルタクセルクセスの第32年 |
87 | 432 | 431 | 430 | 429 | |
・ | ・ | ・ | ・ | ・ |
ご覧のように「オリンピアード第86期の4年目」は西暦前433年に当てはまります。この年がアルタクセルクセスの第32年に相当するのですからアルタクセルクセスの第20年はその12年前の西暦前445年となり、これもまた「ものみの塔」の年代の誤りを明確に示しています。
このようにヒエロニムスの「エウセビオスの年代記」は協会の年代を「裏付ける」どころか、直接的に否定するものなのです。
記事の終わり
蒼い海
カレブさんの啓発的で公正な情報に感謝しています。エルサレムの滅びの年についてエレミヤの言葉で25:29をどのように理解できるでしょうか。エレミヤの70年はエルサレムの滅びをもって始まるように思われるのですが、結局のところ聖書には矛盾があり、水掛け論となるのでしょうか。教えていただければ嬉しく思います。
caleb
コメントありがとうございます。
「エレミヤの言葉で25:29」というのは、どこのことを指しているのかがわからなかったのですが
以下の聖句のことでしょうか?
(エレミヤ 25:29) 私が,まず私の名が付された都市に災いをもたらすのであれば,あなた方が処罰を免れることがあるだろうか」』。 『あなた方は処罰を免れない。私は剣を呼び,地上に住む全ての人を攻めさせるからだ』と,大軍を率いるエホバは宣言する。
蒼い海
お忙しい中返信くださり感謝します。
お尋ねした趣意がわかりにくいもので申し訳ありません。エレミヤ25:29の文脈は諸国民が バビロンに捕囚されるに当たって「私の名を持って唱えられる都市から始められる」とあります。カレブさんの解説によりますとそれより前に諸国民の捕囚が始まっているように理解しました。それはエレミヤ25:29の言葉と矛盾するように思えおたずねしました。
caleb
蒼い海 さん
返信と説明ありがとうございます。おっしゃりたい点がわかりました。
まず第一にエレミヤ25:29の新世界訳聖書の日本語版は基本的に間違った訳し方をしています。
エレミヤ25:29は正しくは
「見よ。わたしの名がつけられているこの町にも、わたしはわざわいを与え始めているからだ。」新改訳
あるいは
「見よ、わたしの名によって呼ばれるこの都にも、わたしは災いをくだし始めた。」新共同約
あるいは
「in the city over which My name is called, I am beginning to do evil」Young’s Literal Translation
となり
この言葉が書かれた時点ですでに神によってエルサレムに対して害をもたらすことが行われ始めている、あるいは
直近で始まろうとしていることを示唆しています。
では この言葉が語られたのはいつでしょうか?
(エレミヤ 25:1) …ユダの王,ヨシヤの子エホヤキムの治世の第4年,すなわちバビロンのネブカドネザル王の治世の第1年に…
となっており、蒼い海さんが念頭に置かれている「バビロンに捕囚」よりも17年も前の出来事であることが示されています。
つまり この聖句は逆に ものみの塔にとっては不利になる証言となっており、「バビロンに関する70年」が、ネブカドネザルの第1年に
すでに始まっていることを示唆しています。
蒼い海 さんは エレミヤ25:29の「災いをもたらす」という言葉を限定的な「捕囚」と捉えられたようですが、
ここで用いられている「災い」は単に「害となる」「傷つける」とも訳せる言葉です。
仮にそれを「捕囚」と関連付けるとしても、大規模な捕囚はこの7年後には起きて、ユダ王国はバビロンの属国となっています。
ネブカドネザルの1年から7年の間にどの程度エルサレムに害となる事柄が行われたかは
聖書も歴史書も詳細は語っていませんが、ユダがネブカドネザルの第8年にバビロンの属国になる前でも
この聖句が示唆しているようにエルサレムにもすでに災いが起こり始めていたと言えます。
時系列の説明など以下のページをご覧ください。
https://www.jwstudy.com/ja/bible_view_on_jeremiah_70years/
蒼い海
カレブさんの親切な説明に、感謝です。種々の事情でお返事できず心苦しく思います。40年以上にわたって人生の大半をjwに捧げてきた後、F.フランズの「良心の危機」カレブさんのサイトからjwはもとより、この世界には生命に関する絶対真理は見出せないという事実を悟るようになりました。今はすでに老境にありますが何とか自己喪失にならず、平安を保っています。正直、jwの批判にあまり時間を取られたく無いのですが先回のカレブさんご返信からエレミヤ25:29の正しい理解を得ることができました。ネブカドネザル第8年ごろ実質的な捕囚の70年が始まったとすると、その10年後にエルサレムの神殿の荒廃、ユダ王国の王位の中断が起きたということになり、jwはそこから70年を数えています。エレミヤの捕囚からの70年、ダニエル書を根拠にしたjwの荒廃からの七十年210年の相違があると理解しました。jwはエゼキエル書21:26の王位の中断も根拠の一つとしているのでしょう。何れにしても聖書年代は聖書自体からは確定できず議論が噛み合わないところに真実を求めることに超えられない限界があるように思います。木を見て森を見ずの例え通り、物事のの全体、宗教を超えた広い見地で妥協できるものを模索する以外に無いと結論しています。彼部さんが温存してくださったいるサイトにより一つのプロパガンダからの解放が生まれる事を願っています。