ノルウェーのニュースメディア URIKS.no は2013年8月22日のトップ記事として「盲目的従順」と題する記事を掲載しました。これは2013年11月号のものみの塔に露骨に盲目的従順を求める文章が掲載されたことに応じたものです。
http://www.uriks.no/blind-obedience/
盲目的従順
ノルウェー uriks.no – 2013年8月22日
「盲目的従順」とは本質的に不正解に見えるルールであっても疑わないで従うことと定義される。時には常識外れで害になるような結果を伴うとしても従うことを意味する。
もっと簡単に述べるならば盲目的従順とは,「そう命じられた」という理由で何かに従うことだ。言ってみれば,あなたは「それが規則だから」それを固守するのである。盲目的従順は疑わないで,あるいは自分の考えを捨てて完全に従うことを意味する。普通は盲目的従順は否定的な意味を持つ。その従順を選ぶとき人は逆境に直面しても無抵抗になる。
もし誰かが「あなたは私の指示を疑うことなく従うべきだ」と述べたら,どのように返答するだろうか?もちろん「それは良いとは思わない」と答えるであろう。ではもし誰かが「わたしは神からの情報を持っている」と述べたらどうだろうか?そして「神はあなたに伝えるために私に情報を伝える。それに神はあなたが私に従うことを期待している。なぜなら私が話していることは神の言葉だからだ」と述べるならどうだろうか?
これは,まさにものみの塔のカルト宗派が述べていることだ。ものみの塔はこれまでもっと上手に,そして巧みにその教えをカモフラージュさせてきた。しかし今回は違う。ものみの塔の11月号は推測の余地はない。「我々があなたに何を述べるとしても,我々に従いなさい」。
以下がその引用である。
「その攻撃の際,エホバの組織から与えられる指示は,奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし,わたしたちは皆,同意できるかどうかにかかわらず,どんな指示にもすぐに従うべきである。それらの指示に従うことは命を意味するからである。」
ものみの塔(研究用) 2013年 11月 20ページこれは過去において終末論を説くカルト集団が用いてきたレトリックと同じものだ。ジム・ジョーンズ(人民寺院 1978年),ジョセフ・ディ・マンブロ(太陽寺院 1994-97年),マーシャル・アップルホワイト(ヘヴンズ・ゲート 1997年),デビッド・コレシュ(ブランチ・ダビディアン 1993年),そして神の十戒の復興運動の5人のリーダー(2000年)であるジョセフ・キブウィティール,ジョセフ・カサプラリ,ジョン・カマガラ,ドミニック・カタリバボ,クレドニア・ムウェリンデなどの宗教リーダーは追随者に同じことを語っていた。
これらの5つのグループは1886人に死をもたらした。1886人,そこには多くの子どもたちが含まれている。
これは,ものみの塔がその追随者たちの殺害を計画しているという意味ではない。ここで言わんとしているのは,彼らが用いる言葉やマインドコントロールのテクニックが上であげたカルトとまったく同じであるということだ。彼らは信者に対して彼らの述べるどんなことでも従うよう求めている。彼らは完全な従順と盲目的従順を命じている。
そして歴史は,それがもたらす結果を繰り返し我々に示している。
– 記事の抜粋終わり
この記事の中でジェンセン氏はエホバの証人が集団自殺をする小規模なカルト宗派とは異なることを認めつつも,この組織の危険性について人々に啓蒙する必要があると主張しています。
ジェンセン氏は「追随者たちが何を教えられているのか人々に認知してもらう必要がある」と結論しています。なぜでしょうか?エホバの証人について長年研究してきたオーストラリアのラファエル・アロン氏は「彼らは改宗者になる可能性のある人に情報を知らせなくなっている」という点を指摘しています。(オーストラリアの報道を参照)
エホバの証人の公式サイト jw.org から上で引用されている「ものみの塔(研究用)」はダウンロードできますが,通常は「一般用ものみの塔」と「目ざめよ」が布教活動においては用いられています。エホバの証人が人々に自分の信条を語るときは「組織から出される指示が奇妙で同意できないものであっても従うべき。それは命を意味するからだ。」と述べることはまずないでしょう。
– 記事の終わり
匿名
我々の間では「馬鹿従順」と言っております。