小児科医のベンジャミン・スポック博士は世界中でベストセラーになった「育児書」を書いた人物です。 ものみの塔出版物にもスポック博士の小児科医としての意見が何度か載せられています。

それと同時に「ものみの塔」はスポック博士に対する中傷ともとれるコメントを掲載しています。

まずは、ものみの塔の文面を見てみましょう。

 

*** 目82 3/8 14‐15ページ 見ていることの意味がお分かりですか ***
放任的な教育法のかつての主唱者ベンジャミン・スポック博士 は,後日それが誤りであったことを認めました。

*** 塔82 5/1 7ページ ニュースの内面を見る ***
抑制されない自己表現を宣べ伝えた別の人物,スポック博士

*** 塔93 3/1 32ページ 『山々の前から』 ***
ベンジャミン・スポック博士は,西側諸国では一世代を通じ,子供の教育に関するアドバイザーの第一人者として知られていました。その博士が,自分のアドバイスが間違っていたことを認めたのです。

このように、ものみの塔はベンジャミン・スポック博士が放任主義の提唱者で、後から自分のアドバイスを撤回した人物であるかのように宣伝しています。これらのコメントはすべて聖書の助言の優位性を強調するために記載されています。

では実際のところスポック博士は協会が述べるような人物なのでしょうか?

放任主義の提唱者なのか

スポック博士の「育児書」には放任主義を提唱するような文面は存在しません。ではなぜ協会の出版物にスポックが放任主義の提唱者であるかのような主張がなされているのでしょうか? スポック博士はベトナム戦争に対して反対の立場をとっていました。スポック博士に対する批判が出てきたのはそのころです。この点についてのいきさつはスポック博士自身が1988年に出版した自著の中で次のように説明しています。

スポック博士 親ってなんだろう 246頁 (Dr. Spock on Parenting 1988)

1968年以来、私の子育て論はある方面から“まあまあ方式”という非難を浴びせられつづけてきました。しかしその一方、私が漸次、厳しい姿勢に転換しつつあるという攻撃も始まっていました。“まあまあ方式”というのが、子どもに何でも望むものを与え、したいことをさせ、いいたいことをいわせるという意味でしたら、私はそんなことは考えたこともありません。本当のところ、私はまるっきり反対の教育理念をもっています。子どもが要求がましい態度を取り、非協力的である家庭を見るとき、私は心から困ったなと思い、憂慮するのです。

私の息子たちはインタヴューされるといつも、私が父親としてむしろ厳しい方だったと明言しています。道でおりおり私に挨拶して、「スポック博士、あなたの本に励まされて私は二人の子どもを育ててきました。自分ではその結果に満足しています」という人がいますが、たいていは付け加えるのです。「あなたの本は子どもにたいして“まあまあ”どころか、かなり手厳しいですよねえ」と。〈育児書〉の初版が出て以来、真剣にあの本を読み、実行した人たちで、私が子どもにたいしていい加減なところで妥協することを勧めていると考えている人は1人もいません。あの本のなかで、私はむしろ正反対のことを強調しています。すなわち、親は子どもにたいしてしっかりと、またはっきりと主導権を取り、彼らから協力と礼儀正しさを求めるべきだといっているのです。

私の子育て論の甘さにたいする最初の非難は、ベトナム戦争にたいする反対行動についてリンドン・ジョンソン政権が私を告発した二週間後に、ノーマン・ヴィンセント・ビール・ジュニア牧師の説教のうちに展開されました。ビール牧師は現代の若者の無責任さ、規律のなさ、愛国心の欠除(アメリカの国家原則に、また国益に反すると彼らが考える戦争において殺すこと、殺されることを拒む若者の姿勢を、同牧師はこう表現していたのです)は、スポックが親たちに、赤ん坊の欲求は“たちどころに満たしてやる”べきだと助言したことに発していると述べたのでした。

“たちどころに満たしてやる”というこの言葉は、ビール牧師が私の〈育児書〉を読んだことがないということを証明しています。そんなことを遠回しに暗示するような言葉すらも、同書には見当らないはずです。ビール牧師は、私がそれらの若者と同じくベトナム戦争に反対していたことから、私を標的にして自分自身の考えをぶつけたに過ぎません。

しかし同牧師の非難は、ベトナム戦争を支持するアメリカじゅうの保守的な新聞の論説委員やコラムニストの熱烈な支持を受けました。彼らは若者の態度を憂え、その説明をどこかに求めようとしていたのでした。ビール牧師の非難を取り上げてさらに宣伝したのは、スパイロー・アグニュー氏でした。彼を覚えていますか。アグニュー氏は、かつて知事であったメリーランド州の土建業者から引続き賄賂を受取っていたという理由で、副大統領の地位を辞任せざるをえなくなった人です。幸い、私の子育て理論がアグニュー氏を育てたという非難を浴びせる者はいないでしょう。氏は、〈育児書〉が世に出るまえにすでに大人になっていたのですから。

自分のアドバイスが誤りだと認めたか

これについてもスポック自身が完全に否定しています。そして誤解されたいきさつについて説明しています。

スポック博士 親ってなんだろう .248頁 (Dr. Spock on Parenting 1988)

さて、いまから十二年ばかりまえのこと、私が育児についての以前の考え方を撤回したという趣旨の新聞記事が出ました。これは間接的には、レッドブック誌の予告にもとづいていました。レッドブック誌は、私が今後担当するコラムのなかで、親が子どもにたいして確固たる態度を取ることをためらう理由を六つほどあげて論ずることになるだろうと予告していたのですが、その理由のうちのたった一つ──専門家(私をも含めて)が親たちにあまり強い調子で助言をすると、自信のない親は、子どもの育てかたは専門家にしかよくわからないという印象をもってしまうという──を取り上げて、「なぜ、子どもはいうことを聞かないのか──スポック博士、専門家を銃弾する」という表題のもとに発表しました。

私が“まあまあ方式”を取っているという印象をもっていたニュース・キャスターや記者たちはこの新聞発表から、私がそれまでの考え方に急に背を向けるようになったと解釈したわけです。なぜ態度を変えるのか、説明してくれというインタヴューの依頼が全国から舞いこむようになりました。私は、これまでにも甘い一方の態度を支持したことはないし、今回態度を変えたということもないとはっきり否定しましたが、不正確な報道がいったんひろがってしまうと反駁することは不可能で、私はいまでもほとんど毎週同じ質問にぶつかって、いい加減腹を立てています。

もちろん出版後、四十年以上もたっているのですから、〈育児書〉のある部分は改訂されています。しかし子どもの扱い方や躾けに関する私の根本的な考え方は、いささかも変化していません。私はこの場を借りて、それについていろいろな形でできるだけ明確に説明してみようと思うのです。

子どもは子どもなりに、成長しよう、より円然した人間になろう、責任感のある人問になろうと毎日一生懸命に努力します。子どもはごく小さいうちから生きるための技術を模索し、実験し、練習し──といったことを毎日何時間となくやります。三歳から六歳までの間、子どもは尊敬する親をたえず見守り、彼らのようになろうと練習を重ねます。

このように、スポック博士はレッドブックという雑誌のコラム記事とその広告の表現によって「自説を撤回した」という誤解が広まったということを説明しています。この点は1988年にスポック自身が明確に説明しているにも関わらず、ものみの塔協会は、それ以降にも「スポック博士は自分のアドバイスが間違っていたことを認めた」と宣伝し続けました。

スポック博士が実際に述べている事柄

以下が「スポック博士は自分のアドバイスが間違っていたことを認めた」という根拠になっている文面です。

レッドブック 1974年2月
20世紀において親たちは、子供たちをどう養育するかに関してより良く知っていると思える児童精神科医、心理学者、教師、ソーシャルワーカー、そして私のような小児科医に説得されるがままにされていました。我々のような専門家が押しつけがましくすることは、母親や父親から何かを奪うむごいことです。…我々は「自分たちがなんでも知っている」という態度をとると親たちの自信を喪失させるということに気付くのが遅すぎました。

スポック博士は自分のアドバイスが間違っていたことを認めたのでしょうか? スポック博士は自分自身を含めて「専門家」たちの押し付けがましい態度を戒めています。しかし躾に関する考えを変えたとは述べられていません。

親たちの自信を喪失させるという点でも、スポック博士自身にそれほど落ち度はありません。実際、スポック博士は「育児書」の中で、親は子育てに関して「あなたが考える以上にあなたは知っている」と述べ、子育てに自信を持つよう励ましています。

放任主義についてはどうでしょうか? 放任主義と受け取られたとするなら以下の文面かもしれませんが、これはあくまで授乳中の赤子を対象にして述べていることであって、放任主義の子育てとは異なるものです。

スポック博士の育児書 8(16)頁~

びくびくしないで赤ちゃんをおもう存分可愛がり、いつくしみなさい。ビタミンやカロリーが必要なように、どんな赤ちゃんだって、やさしく、愛情をこめてほほえみかけたり、話しかけたり、いっしょに遊んでやることが必要なのです。…

度をこさない限り、つまり赤ちゃんのドレイになりさえしなければ、赤ちゃんのしてほしがることは、しておやりなさい。…

分別さえ失なわなければ、可愛がったからといって、赤ちゃんがわがままになるものではありません。それに赤ちゃんは、突如として、わがままになるものでもありません。お母さんの態度があいまいで、当然叱ってもいいときに、叱るのをためらったり、こどものいいなりになったりして、自分から赤ちゃんを暴君になるようにしむけるようなことをしているうちに、いつの間にか赤ちゃんはわがままな子になっていくのです。

さらに以下のような文面がありますが、これを放任主義と言えるものではないでしょう。

スポック博士の育児書 16(32)頁~

 きびしく育てようときめたなら、そうおやりなさい。こどもが明るく、あたたかく、育てられているのなら、お行儀よくしなさいとか、いわれたことはすぐにやりなさいとか、整理整頓をよくしなさいと少しくらいきびしくしても、こどものためをおもってやっているかぎり、こどもがいじけたりすることはありません。
しかし、こどものすることには何でもかでも反対し、おしつけがましく、こどもの個性や年令も考えないで、ただもう厳格にするというのであれば、いくじのない子、個性のない子、いじわるな子をつくることになってしまいます。

こどものしつけには、ふだん、わりにのんびりしている両親、たとえば人なつこい子だったら行儀がわるくても何ともいわないとか、ぐずでもだらしなくても大して気にならないとか、そんな両親でも、ここは大事だとおもったことは、きちんと厳格にしさえしたら、けっこうおもいやりがあって、ほかの人とうまくやってゆける子を育て上げることができるものです。

のんびり育てて、こどもがおもうような子にならなければ、親は甘すぎたと考えるかもしれません。むろん、それも原因の一部かもしれませんが、それがすべてではないのです。むしろ、親がこうさせたいとおもいながら自信がなく、ぐずぐずしていたり、そうしてはいけないのかと気がとがめたり、知らずしらずに、こどものわがままを、そのままにさせていたためのことが、多いのです。

 

このように見ていくと、冒頭で引用した「ものみの塔」が述べるスポック博士に関するコメントがいかにいい加減で、あてにならないものであるかが理解できると思います。スポックは子どもの行動を何でも許容する考えを思い起こさせる「自由放任主義」を提唱していませんでした。

スポックの述べることは1940年代のアメリカでは革命的に映ったかもしれませんが、子どもの良い特性を尊重する考え方は現代のほとんどすべての専門家が同じように述べている事柄です。ものみの塔協会は1997年に8月8日号の目ざめよ!誌で「子供をのびのび育てる」と題する記事を掲載し昔ながらの厳格な子育てを否定する仕方で聖書の解釈を解説しています。スポックは協会より時代を先行していたに過ぎないのです。

協会はスポック博士の例を取り上げ、聖書の教えが変わることなく、一般のアドバイスより優れているということを強調しています。しかし実際に最も不安定なのは協会の説明なのではないかと感じてしまいます。

 

記事の終わり