「エギビ家」の粘土板
「エギビ家の記録文書(Egibi Archive)」はバビロンで銀行を経営していた一族の記録で2000点近い楔形文字の粘土板で成り立っています。この文書は聖書時代のバビロニア(ネブカドネザルからキュロスに至るまでの時代)について知る上で重要なコレクションです。エホバの証人であれば、この粘土板の記録に相当な関心をもってしかるべきでしょう。なぜなら問題となっている西暦前607年(1914年の年代計算の土台になる年)の真偽を確かめるための極めて貴重な資料になるからです。19世紀後半に発掘された一群の粘土板に関して、1905年の時点でその重要性が以下の通り認識されていました。
エギビ家の記録は「西暦前604年から途切れることのない記録を保っており、それらは[バビロニアの]日付を確証する点で最も大きな価値をもつ」
カニンガム・ギーキー著 1905
Hours with the Bible – Cunningham Geikie 1905
エギビ家の取引の記録は少なくともネブカドネザル王の第1年から新バビロニアの全期間にわたって「途切れることのない記録」として発見されており、それはバビロニアの王の統治年数を確定しています。 それは以下の表にある通りです。
新バビロニアの王 | 年数 | 期間(西暦前) |
---|---|---|
ネブカドネザル2世 | 43年分 | 605/604~562 |
アミル・マルドゥク | 2年分 | 562/561~560 |
ネルガル・シャレゼル | 4年分 | 560/559~556 |
ラバシ・マルドゥク | 数か月分 | 556 |
ナボニドス | 17年分 | 556/555~539 |
キュロス | 9年分(バビロンの王として) | 539~ |
上記の年数を示しているのはエギビ家の銀行の1700点ほどの記録だけではありません。バビロン周辺で発見される数万点にのぼる商取引の記録、司法関連の文書においても同様の値を指し示しています。関係するバビロニア帝国のすべての年が記された粘土板が大量に発見されているにも関わらず、ものみの塔が”存在するはずだ”と主張する20年分だけが出てこないのです。
20年を追加することは不可能
上記の一覧で示されている期間においてエギビ家の3世代の頭取が銀行の運営に関わっています。この期間の中で”追加の20年”の記録は全く発見されません。さらにエギビ家の記録が「ものみの塔」の主張にとって致命的になる理由があります。それはエギビ家の発見される粘土板に銀行の頭取の署名が記載されているという点にあります。もし協会の主張の通りにネブカドネザルからナボニドスまでの「統治期間」に20年を追加するなら、その期間のエギビ家の頭取が100歳近くまで働いていたことになってしまいます。
図A:バビロニアの王の統治年と関連する頭取の記録は「20年」の余地を与えない
上の図Aの通りエギビ家の頭取 Nabu-ahhe-iddin の在任期間はネブカドネザルからナボニドス(最後の王)までをカバーしています。30歳から責任者としての地位を得ていたとしても77歳まで勤めていたことになります。しかしこれに20年を加えてしまうと97歳に達してしまい、当時の基準では不自然な状態になります。この二重の記録によってバビロニアの年代に20年を加える隙間がどこにも存在しないことが示されてしまいます。
それに加えてエギビ家の記録は直系親族だけではなくそれ以上の親族関係も明らかにしています。(図1参照) 途中に20年を追加するなら親族関係も説明がつかなくなります。
以下参照資料:(図は The Egibi Family’s Real Estate in Babylon – Cornelia Wunsch、Heidelberg-Perth から)
図1:エギビ家の家系図
図2:エギビ家と王の統治年の対比表
不自然なほどに協会がふれない文献
20世紀に入りエギビ家の記録についてさらに調査が行われてきました。そして多くの文献が公開されるようになっています。 「Egibi」というキーワードを「 Google 書籍」の中で検索すると1万件以上がヒットします。
https://www.google.co.jp/search?q=Egibi#q=Egibi&tbm=bks
ではこの最適な調査対象の粘土板について「ものみの塔」はどのように述べているのでしょうか? Watchtower Library で「エギビ(Egibi)」を検索すると以下の通りの結果になります。
図:Watchtower Library で「Egibi」を検索
上記の通り結果は1件もヒットしません。 これほど重要な粘土板であるにもかかわらす、「エギビ家」への言及が一切ないのです。
結論
ものみの塔はエギビ家の記録も含め、真に脅威となる考古学上の証拠に目を向けることを避けています。 ものみの塔の巧妙な方法は、「協会の出版物」しか読まない信者に対してかなりの程度成功をおさめています。
どんな人でも組織でも間違った解釈や勘違いをすることはあります。しかし証拠を意図的に隠したり、読者に対して一面の情報だけを提示したり、ある場合には全く真実とは異なる情報を提示したりし続けることは不忠実な行為です。
聖書の中のキリストのたとえ話の中には次の言葉があります。…『よくやった,善良な奴隷よ! あなたは非常に小さな事において忠実であることを示したから,十の都市に対する権威を持ちなさい』…(ルカ 19:17) ものみの塔協会は100年以上の間、最初の年代解釈を固守するあまり、「小さな事において」不忠実であることを示し続けてきました。 この年代に関する教理がこれまでの協会の権威の主張と密接に関連してきたため、さらには偽りを語り続けてきた期間があまりに長く、かつ大胆であったため、今更年代に関する間違いを訂正するのは非常に困難であると考えられます。
追加の資料:ものみの塔協会が意図的に重要な証拠を読者から隠してきた点について「 エギビ家 – 意図的に隠された資料」をご覧ください。
記事の終わり
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特集 – 古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか
歴史的背景
結論
補足資料(随時更新)
- エレミヤ29:10 「バビロンのための70年」
- 「それは我々の時代に成就する」
- 受け入れなくてはならない信条
- 1914年 歴史の転換点
- 1914年 地震の増加についての補足
- 1914年 聖書の解釈
- 要点をぼかす – ものみの塔2011年10月号
- ロルフ・フルーリ – ものみの塔の強い味方
- あなたが西暦前607年を弁護する動機は何ですか?
- ゼカリヤの七十年 – 一般的な見解
- エレミヤの七十年 – 一般的な見解
- エギビ家 – 知られたくない記録
- エギビ家 – 意図的に隠された資料
ヒストリエ
教養のない人の特徴って真実を軽視する傾向あるよね。
犯罪捜査の鑑識みたいに小さい証拠を無駄に思えるくらいの努力でコツコツ収集して犯人を追ってる姿は考古学研究に通じるものを感じます。
匿名
追加の発見とかありましたら、
もう少し詳しく知りたいですね。