エホバの証人研究

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特集3 – 弁護士のように

動かぬ証拠を前にしつつも弁護を続ける弁護士のように

ものみの塔2011年10月と11月号に掲載された「古代エルサレムが滅ぼされたのはいつですか?」という記事について調べながら『ものみの塔の書き手は読者を誤導するような文面を記載する際に心が痛まないのだろうか 』という疑問が何度も思いをよぎりました。”仲間の信者の信仰を強める”という高潔と思える動機が不誠実な引用を行う際や要点を意図的にぼかす際の心の痛みを和らげる力になっていたのではないかと思います。

ものみの塔文書の執筆に携わる人から直接率直な意見を聞くことは難しいでしょう。しかし一つだけ貴重な資料があります。それは1970年代にエホバの証人本部の統治体の成員としても働き、執筆部門で多くの文書の作成に携わった経験がある人物、レイモンド・フランズ(2011年死去)が書き残した伝記です。レイモンド・フランズの言葉を見ると根拠のない見解を擁護する際の人の感覚というものを垣間見ることができます。

良心の危機 – レイモンド・フランズ著 37,38頁
何とか我々の一九一四年を算出するのに決定的であるこの紀元前六〇七年を証明するよ
うな、あるいは歴史的に支持するような証拠を見つけようとして、かなりの時間と労力を費やした。協会本部のスタッフ、チャールズ・プレーガーは当時私の秘書を務めてくれていたのだが、ニューヨーク市近辺の図書館を回って、少しでもこの年代を歴史的に裏付けるものがないかと探し回ってくれた。

ところが紀元前六〇七年を裏付けるものはまるで何も見つからなかったのである。歴史家たちは口をそろえてその二十年後の年代を示していた。私は『聖書理解の助け』で「考古学」の項目を書くまでは、メソポタミア付近で発見され、古代バビロンにまでさかのぼる粘土板に記されたくさび型文字の記録が何万という数に及ぶことなど知らなかったが、その何万という記録のどれを見ても、(ネブカドネザルが統治を行なった)新バビロニア帝国の期間は、エルサレム破壊の年が紀元前六〇七年になってくれる長さにならない。どれを見ても、協会が言っているよりも二十年短い期間になる。

これを見て私の心は穏やかでなかったが、反証があろうと我々の年代計算はとにかく正しいのだと信じたかった。そこでこの記事を『聖書理解の助け』に書くに当たっては、紀元前六〇七年を誤りとするような、つまり終わりの年が一九一四年にならないような、考古学・歴史学上の証拠を何とか弱めることに時間と紙幅を費やす結果になった。

チャールズ・プレーガーと私は、ロードアイランド州プロヴィデンスのブラウン大学に行き、古代くさび型文字文献の専門家アブラハム・ザックス教授を訪ねた。紀元前六〇七年という年代を誤りとする膨大な古代資料のどこかに何か間違い、あるいは弱点がないかどうかを知りたかったのである。その結果、もしどうしても我々の年代が正しいとするならば、まったく理由もなく古代文献の著者たちがそろって事実をゆがめて伝えようと申し合わせたことになる、ということが明らかになった。私は、まるで動かぬ証拠を前にしつつも弁護を続ける弁護士のように、新バビロニア帝国に関する歴史資料という証拠の信憑性を何とか弱めようと努力した。

勘違いしないでいただきたいのは、上記の言葉はあくまでも”執筆する人”の気持ちを表しているということです。ものみの塔の記事を読んで、単に協会の見解を人に語る立場の人とは違います。すでに情報操作された資料を読んで信頼を寄せているのであればそれを人に語る際の気持ちは「動かぬ証拠を前にしつつも弁護を続ける弁護士のよう」な気持ちとは異なるものでしょう。

もちろん、歴史資料を鵜呑みにすることなく批判的分析を行うことは必要です。しかし「ものみの塔」が語る世俗資料に対する批判はほとんど「言いがかり」の領域です。例えば天体日誌 VAT4956 に対してかつて向けていた批判は次のようなものです。

目ざめよ! 72 7/8 29ページ
「VAT4956」の写字者が,その当時受け入れられていた年表に一致して,”ネブカデネザルの第37年”をそう入したということもありえます。
・・・写字者は一貫性がなく,不正確でもあるので,自分の目的のためには,他の情報をそう入することもやすやすとやってのけたにちがいありません。

つまり写字者が天文学から計算して割り出した年である「ネブカデネザルの第37年」という文字を奇麗な楔形文字で追加記載したというのです。もし「ネブカデネザルの第37年」という年代を特定して「やすやすと」挿入することができたのであれば、その人はもはや写字者ではなく天文学者です。

一面の真理を語る

人に語る際の「不誠実さ」はあからさまな嘘を語ることであるとは限りません。その「不誠実さ」は記事の中で事実の一面だけを語り、結果として読者の客観的な判断を行う機会を奪うというやり方に表れる場合があります。一つの例を見てみましょう。

目ざめよ! 72 7/8 28-9
古代のユダヤ人が,この七十年を,文字通りのものであり,エルサレムの完全な荒廃の期間であると理解していたことは,ユダヤ人の歴史家ヨセハスの著作からはっきりわかります。自著「ユダヤ人の古代文化」第10巻9章7節で,ヨセハスは,「ユダとエルサレムの全土,および神殿は,七十年の間ずっと荒地であった」と述べています。

ヨセフスが「七十年」という言葉を使っているのは事実です。しかし、もしヨセフスの著作を荒廃の期間が70年であることの根拠として使うのであれば、その同じヨセフスが別の個所では荒廃は「五十年であったとも言っているという事実も指摘するべきでしょう。

ヨセフス – アピオーンへの反論 1巻 21章
[我々の真実の歴史]に書かれている通り、ネブカドネザルの統治十八年目に我々の神殿は荒廃させられ、五十年の間、忘れ去られた状態に置かれた。

ヨセフスはベロッソスなどの歴史家の記録に言及し、それが「我々の真実の歴史」と一致していると述べています。これこそまさに論題にふさわしく、引用すべき箇所ではないでしょうか!ものみの塔協会がベロッソスの信頼性を失わせるために「アピオーンへの反論」の別の個所を使用しているにも関わらず(王国が来ますように 14章の付録)、この「五十年」の記述については読者に一切見せないというのは容認できる範囲を超えていると言わざるを得ません。それは自らが発行している書籍に記述されている次の言葉に反する行いです。

エホバの日を思いに留めて生きる 115ページ – 2006年ものみの塔発行
気まずい状況で,都合の悪い事柄には触れずに事実をうまく言い換えたくなるかもしれません。そのような場合,語った内容に偽りはなくても,まるで違った印象を与えることになります。世間でよくある真っ赤なうそではないとしても,本当の意味で『おのおの隣人に[あるいは兄弟に]対して真実を語っている』ことになるでしょうか。(エフェソス 4:15,25。テモテ第一 4:1,2)クリスチャンが兄弟に対して,相手は真実でない不正確な事を信じ込むだろうと承知のうえで曖昧な言い方をする時,神はどうお感じになるでしょうか。


 
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3 コメント

  1. いのうただお

    協会は、新バビロニアの第1代、第2代の王ともに、20年古いほうへ平行移動して、第2回バビロン捕囚(ユダ王国滅亡)の年が、ネブカドネザル2世の治世に入るように細工しています。ナボポラッサルとキャクサレス共同でのニネヴェ陥落(アッシリアの滅亡)年も同様に20年ずらして、前632年にしました。協会は、同時代に並行して存在するエジプト、ユダ王国、アッシリアなどの王様の統治年代をなかなか書きません。ところが、アッシュルバニパル王の統治期間が記載されていたのです。前668~627年で、一般のものとほぼ一緒です。『探求』1990,3章48ページの「大洪水と神人ギルガメシュ」の中です。気付かずにでしょうか、これを載せてしまったために、アッシュルバニパルが、まだ国を治めているのに、、アッシリアが滅亡しているという、おかしなことが起こっています。上げ足を取るようですが、50年を20年延ばして、なんとか70年にしたいことによる矛盾が生じていると、此れからも言えます。

    • JWSTUDY

      興味深い点のご紹介ありがとうございます。
      アッシュルバニパルの件、わたしも見てみたいと思います。
      協会は小さいミスは結構犯していて、いつのまにか調整してごまかす場合があります。
      信者に対しては聖書と協会出版物からの説明が重要になるので、ご指摘の点はとても重要な部分かもしれません。
      ありがとうございます。

    • JWSTUDY

      『探求』の本の記述確認しました。これは気が付きませんでした。「ミス」というよりも協会の嘘の隠ぺい忘れという「ミス」ですね。とても興味深いのでいつか記事を書くときに使わせていただきます。ありがとうございます。

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