「我々の正しい年代学は
1845年と2520年のサイクルや
ギザのピラミッドの寸法により
証明されている」
―ものみの塔二代目会長 J.F.ラザフォード
J.F.Rutherford – Watchtower 1922 6/15
前回の記事、「間違いの原点」では、C.T.ラッセルが自分たちの年代学の間違いを指摘されても、「少しの考慮にも値しない」として退けたという点を取り上げました。今回は二代目会長の J.F.ラザフォードの時代について考えます。
結果として彼はラッセルと同じ選択肢をとることになりました。つまり客観的な証拠により裏付けられる年代よりも、聖書の「70年」をバビロン捕囚の期間に当てはめて、1914年を守ることを選んだのです。
一見、一般の歴史よりも「聖書を優先する」というクリスチャン的な態度に見えるかもしれませんが、ラザフォードや当時の証人たちの確信の根拠としていたものが何かを理解すると、まったく異なる印象を持つことになるでしょう。
ラザフォードの知らないところで進展している一般の考古学研究
1922年にものみの塔は自分たちの年代学を擁護する連載記事を掲載しました。この時点ではバビロニアの粘土板の研究がオランダの Franz Xaver Kugler らによって行われており、ドイツ語による出版物も発行されていました。ところがラザフォードはドイツ語ではすでに明らかになっている最新の研究についておそらく気が付いていないのでしょう。このものみの塔の記事では直接的な言及がありません。
1922年の記事では「異教徒の資料」対「我々の真理の年代学」という構図で話が進められています。恐らくラザフォードが「異教徒の資料」としているものの中には粘土板の研究は含めていないのでしょう。もしバビロニアの粘土板を「異教徒の資料」という表現で退けているのであれば、それはあまりにも無知な行為です。
ラザフォードの思い込みによる「確信の根拠」
この記事でラザフォードは自分たちの年代が「疑いようのないもの」と自信を持って語っています。しかしラザフォードの記事で取り上げられている彼の確信の元になる根拠は現在のエホバの証人たちが見ると驚くような内容です。
ものみの塔 1922年6月15日号
年代に関する現在の真理は、もし1845年と2520年という偉大なサイクルがなければ、ただの偶然として片付けられるかもしれません。そのサイクルの繰り返しは偶然ではないのです。もし一つか二つの年代しかそれらのサイクルに当てはまるものがなければ単なる偶然の一致ということもあり得ます。しかし日付と出来事の一致が数十件もあれば偶然ではあり得ないのです。それは人格的な「存在」による意図的な計画であるとしか考えられません。それがエホバご自身であり、その年代学そのものは正しいに違いありません。
ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法と我々の真理の年代学との一致が一つか二つであれば偶然ということもあり得るでしょう。しかし一致が数十の寸法に見られることは同じ神によってピラミッドと年代計画がデザインされたことを証明するのです。
・・・
そのような多くの一致点を基盤として、科学的にも認められている「確率の法則」と一致して、我々の真理の年代学は、聖書的にも、科学的にも、歴史的にも疑いようのないものなのです。その信頼性は1874年、1914年、1918年の出来事で余すところなく確証されました。
「1845年と2520年という偉大なサイクル」や「ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法」など聞きなれない言葉が出てきます。ラッセルやラザフォードが考古学的証拠を退ける原動力となっていたものをここに見ることができます。彼らは自分たちがピラミッドの寸法の中に自分たちの年代学の根拠を見出すことが出来ており、それゆえに自分たちの定めた(彼らは世々にわたって神に計画された年代だと考えていた)年代に確信を持つことが出来ると考えていたのです。そしてここで指摘している「1845年と2520年」も今ではエホバの証人の誰もが非聖書的な教理として退けているものです。
1922年のものみの塔を読み進めると問題の本質が見えてきます。なぜエホバの証人が、世俗の資料(いたって客観的な証拠)を退け続けるのか。それは自分たちにとって重要である年代がまず存在しており、それを守る必要がある。その年代にとって都合の悪いものは「異教徒の資料」として疑いをかける。そして「世」には与えられていない神からの啓発が自分たちにはあるという考えで決着をつけるのです。
ラッセルもラザフォードも無知とごう慢さゆえの誤りを犯してきました。しかしラザフォードの責任はさらに重いと言えます。なぜなら彼の存命中に新バビロニアの歴史を確定させるような楔形文字の粘土板の研究はラッセルの時代よりも進んでいるからです。ラザフォードが意図的に調査を怠っているのか、知りながら証拠を無視しているのかはわかりませんが、彼が都合の悪い資料を「異教徒の資料」として退けながら、エジプトのギザの大ピラミッドを自分たちの年代の正しさを証明する証拠として強く語っているところを見る限り、彼がもはや公正で正常な判断ができないほど激しい「思い込み」にとらわれていることを示しています。
附録
「1845年と2520年という偉大なサイクル」や「ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法」については図を見ていただくと概観できる。(意味は理解できないが)
日本語に訳した上記のチャートが以下のサイトに掲載されている。
チャールズ・テイズ・ラッセル著『世々に渉る神の経綸』日本語版
「ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法」が何を意味しているかというとギザのピラミッドの通路を計測すると、その計測値から1874年や1914年などの重要な年代がぴったり割り出されるというものだ。英文であるが下の図とラッセルの著作をざっと見ていただくとイメージはつかめるのではないかと思う。
C.T.ラッセル著 聖書研究第二巻より
特集ページ目次
- 特集1 – ものみの塔2011年10月号
- 特集2 – ものみの塔2011年11月号
- VAT4956 – 月の一連の13の観測結果に関する補足
- 特集3 – 弁護士のように
- 特集4 – VAT4956
- 特集5 – 目ざめよ誌2012年6月号
- 歴史1 – 間違いの原点 – C.T.ラッセル
- 歴史2 – 確信の根拠 – J.F.ラザフォード
- 歴史3 – 思い込み – J.F.ラザフォード
- 歴史4 – 根拠のない年代調整
- 歴史5 – 不誠実な記載
- 結論1 – 明確な新バビロニアの歴史
- 結論2 – 極めて客観的な証拠
- 結論3 – 誤解された聖句