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特集5 – 目ざめよ誌2012年6月号

学術的な不誠実さ – 目ざめよ 2012年6月号

 

目ざめよ 2012年6月号に「聖書─正確な預言の書」と題する記事が掲載された。その記事の中で、ネブカドネザルが西暦前624年から582年にかけて統治したということ、そして西暦前607年にエルサレムを滅ぼしたという主張がなされている。しかし主張を読者に提示する方法はこれまで同様に不誠実なものである。

目ざめよ誌は著名な考古学者の言葉を引用して自分たちの主張に権威づけをしている。その引用の仕方が正当なものなのか判断していただきたい。

以下は、エレミヤ書に記載がある「70年」に関する説明文である。

「著名な考古学者エフライム・スターン」の言葉を引き合いに出して自分たちの70年のエルサレム荒廃説が正しいかのような印象を与えようとしている。

しかし、実際のエフライム・スターンの言葉を文脈と合わせて読むならば、ものみの塔の主張の裏付けとは無関係な話であることがわかる。そこでスターン氏はエルサレムの崩壊は西暦前607年ではなく西暦前586年であるとはっきり述べている。

バビロニア人の空白 - エフライム・スターン

西暦前586年、彼らはエルサレムを焼き払い、神殿を破壊した。そして400年のダビデ王朝支配、ユダヤの南の王国を終わらせた。

・・・野蛮なバビロニア人によるエルサレム破壊のことは聖書(エレミヤ書と哀歌)と考古学的記録の両方によって十分に確証されている。ネブカドネザルがその都市を最初に攻囲した西暦前597年、すぐに降伏し、いわゆる崩壊をまぬがれることができた。しかしユダのゼデキア王による反逆に対応してネブカドネザルは軍を派遣し、18か月の攻囲の後、西暦前586年に都市は滅ぼされた。この滅びの証拠はエルサレムの発掘調査により確認されている。

ネブカドネザルは、ユダヤに対する最初の軍事遠征の際に、フィリスティア・エクロンの大半、テルバタシュ、テルエメ、ラケシュ、テルセラを滅ぼした。特に荒廃させられたのアシュケロンだ。バビロニア人は西暦前604年にそこを破壊した。

・・・しかし普通でないのは、これらの破壊によって残された町に、西暦前538年頃に始まるペルシャ時代になるまでの間に占有の証拠が見つからないことだ。このおよそ半世紀にわたる期間、西暦前604年から538年まで 人が住んでいたことを示唆する証拠が全く欠落しているのである。その時期全体にわたり、バビロニア人に滅ぼされた町で人が再び定住した所は、ただの一つもなかった。

(ものみの塔に引用されている部分は薄いブルーの部分)

スターン氏が西暦前604年から538年の期間について述べた際、それはエルサレムが荒廃していた期間のことを指していたのではない。スターン氏はアシュケロンなどネブカドネザルが最初の軍事遠征で破壊していった町、特に本来植民地にしてもよさそうな貿易の盛んな海辺の町などを念頭に置いていた。

もしエフライム・スターン氏の論文を聖書預言の成就と関連付けるのであれば、それは一般の聖書学者の多くが述べているようにエレミヤの預言の七十年はネブカドネザルが大規模な軍事遠征をおこなったとされる西暦前605/604年(ネブカドネザルの第一年)に当てはめるべきなのです。

エフライム・スターンの論文全体は以下のサイトから見ることができる。
The Center for Online Judaic Studies
http://cojs.org/cojswiki/The_Babylonian_Gap%2C_Ephraim_Stern%2C_BAR_26:06%2C_Nov/Dec_2000.

自分たちの主張が正しいかのような印象を与えるために、このような引用の仕方をすることが許されるのだろうか?スターン氏は繰り返しエルサレムの滅びは西暦前586年であると述べている。ものみの塔はその論文のごく一部分だけを切り取って著者の意図とは異なる主張を行っているのである。

ものみの塔の記事を執筆する人は自らが主張する理念に沿って書くことはできないのだろうか?

ものみの塔 2003年 1/1 27ページより
ある時,新聞の演劇評論家が劇を見に行きました。その人は作品に余り好感を持てず,後にこう書きました。「駄作を鑑賞したければ,ぜひともこの劇を見に行くべきだ」。後日,劇の支援者たちは広告を出し,その評論家の言葉を引用しました。ところが何と,「ぜひともこの劇を見に行くべきだ」という文になっていたのです。広告は評論家の言葉を正確に引用していたものの,文脈を無視していたため,本人の意図とは全く異なるものとなっていました。
この例から,文脈がいかに大切であるかが分かります。文脈を無視して言葉を取り出すなら,意味をゆがめることになりかねません。ちょうどサタンがイエスを惑わそうとして,聖句の意味をゆがめたのと同じです。(マタイ 4:1‐11)

記事の終わり

 


 
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4 コメント

  1. アバター

    あかちゃん

    正確な情報を感謝します。それにしても、このような文脈を無視した引用は間違いです。聖書も前後の文脈を無視した理解は危険な事を、理解しているなら、当然の事として、この様な引用は間違いだと認めるべきです。真理を愛する態度とは、その様にする事だと思います。

  2. アバター

    匿名

    青い部分の下の部分の記述の裏付けには少なくともなっているのではないでしょうか

    • アバター

      caleb

      >青い部分の下の部分の記述の裏付けには少なくともなっているのではないでしょうか

      いいえ エフライム・スターンの言っている「西暦604年から」はネブカドネザル王が即位してすぐに開始しているユダヤ周辺諸国を含む征服のことです。つまりネブカドネザルの第一年のことです。一方、ものみの塔はネブカドネザルの第18/19年の話にすり替えています。

      つまり全く「青い部分の下の部分の記述の裏付け」になっていません。 
      匿名さんがこの部分に違和感を持つことがないこと自体が、読者を欺く面でのものみの塔の巧みさが証明されます。

  3. アバター

    匿名

    現役JWですが、素晴らしい情報と簡潔な構成で理解しやすかったです。
    これを見てはダメって・・・ダメなのは自分たちの精神状態だと思う。
    あとcalebさんは学者さんですか?真似できない、そして越えられない壁を感じます。

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