ノルウェー出身のエホバの証人のフルーリ氏はものみの塔の2011年10月と11月号の記事にかなりの貢献をした人物であると考えられます。VAT4956の月の観測に関する主張の原稿はほぼフルーリ氏の主張に基づいていると思います。この人は「聖書の年代学と比較したアッシリア、バビロニア、エジプト、ペルシャの年代学」と題する2巻の本を2003年から2007年にかけて出版しました。フルーリ氏については以下のページに概略が載せられています。

Rolf Furuli (Wikipedia 英文)

この人についてレスター・グラベ教授は「またもや学術研究を書き換えようとする素人が登場した」と述べました。しかしフルーリ氏はノルウェーのオスロ大学でセム語の講師を務めていた人物なので単純に素人と定義することはできないでしょう。しかし問題なのはフルーリ氏が宗派にとらわれたり教条的になる人を非難しながら、自分自身が完全にエホバの証人の教理を擁護することにとらわれてしまっていることです。

VAT4956が改ざんされているという主張

学術的な世界ではBC607年説はほとんど相手にされていませんが。フルーリ氏の上記の本の第2巻に関してはアッシリア年代学の学者のハーマン・ハンガーはかなりの不快感を表しコメントを公開しています。その理由の一つはフルーリ氏がベルリンの博物館の関係者によりVAT4956が改ざんされたという仮説を述べているからです。

フルーリ氏の主張は次の通りです。VAT4956が1906年にベルリンの中近東博物館に運ばれてから、この粘土板が天体観測記録が載せられている極めて重要な粘土板であることがわかると関係者の誰かが現代の研削機を使って粘土板の端の部分「37年」「38年」という表記を刻み、最初の行には王の名前を入れこんだと彼は主張します。

これに対してはハンガー氏は、「この告発には全く根拠がなく、わたしは”偏見のない心を持つ”と主張する著者がこのような主張に至るということに嫌悪感を感じる」と述べています。
http://kristenfrihet.se/kf4/reviewHunger.htm

ものみの塔の主張との一致と相違

ものみの塔2011年11月号は「研究者たちは、月の位置に関する記述が非常に信頼できるので、VAT 4956 に見られるそれら月の一連の13の観測結果を注意深く分析してきました。」と述べてから、協会の主張する年として「13のすべてがぴったり一致した」と主張しています。ロルフ・フルーリ氏以外にそのような主張をしている「研究者たち」が存在するのかはわかりませんが、ものみの塔の記事のVAT4956に関する主張はフルーリ氏が提供したものでしょう。ただし一つだけ「ものみの塔」とフルーリ氏の主張が異なる部分があります。

ものみの塔は記事の中でVAT4956の天体観測の記録のうち月の13の観測しか考慮しない理由として脚注の中で以下のように述べています。

ものみの塔2011年11月号 28ページ
月と特定の星もしくは星座との位置関係が13載せられている。また,惑星の観測結果も15挙げられている。月を表わす楔形文字のしるしは明瞭で間違えようがないが,惑星の名称やその位置を表わすしるしの中には不明瞭なものもある。(「メソポタミアの惑星天文学-占星術」.デービッド・ブラウン著.2000年発行.53-57ページ)ゆえに,その惑星観測の記述は,推測が必要で,幾つもの異なった解釈ができる。

(デービッド・ブラウンが実際に述べている点については「特集4 – VAT4956」のページをご覧ください。)

これに対してフルーリ氏の主張は次のようになっています。

「聖書の年代学と比較したアッシリア、バビロニア、エジプト、ペルシャの年代学」
フルーリ著 第二巻 333頁

VAT4956に関する議論に基づいて基本的な以下の結論に達します。この日誌はセレウコス朝時代の本物の粘土板かもしれませんが、現代になって誰かが楔形文字のいくつかを改ざんしました。あるいは裏側部分は鋳型を利用して近年作られたものかもしれません。そして裏側とふちの部分は誰かによって追加書き込みされたものです。月の13の位置はBC588/87とよく一致しているのですから、月の位置はその年の観測を示していると信じる十分な根拠になります。そしてBC588/87に作られた元の月の観測粘土板がセレウコス朝時代に複写されたと考えられます。惑星観測については大体一致していても、完全には一致しないので、これはネブカドネザル2世の第37年と考えた天文学者によって後から計算されたものが反映されていると信じる十分な根拠になります。それで、月の位置はBC588/87の元の観測に基づくと考えられますが、惑星の位置はBC568/67に合わせて後から計算されたものと考えられます。
The following principal conclusions can be drawn on the basis of the discussion of VAT 4956: The Diary may be a genuine tablet made in Seleucid times, but in modern times someone has tampered with some of the cuneiform signs, or, the tablet was made in modern times; the obverse side was made by the help of a mold, and the signs on the reverse side and the edges were written by someone. Because of the excellent fit of all 13 lunar positions in 588/87, there are good reasons to believe that the lunar positions represent observations from that year, and that the original lunar tablet that was copied in Seleucid times was made in 588/87. Because so many of the planetary positions are approximately correct, but not completely correct, there are good reasons to believe that they represent backward calculations by an astrologer who believed that 568/67 was year 37 of Nebuchadnezzar II. Thus, the lunar positions seem to be original observations from 588/87, and the planetary positions seem to be backward calculations for the positions of the planets in 568/67.

フルーリ氏の主張は次の通りです。

  1. 月の観測部分は本物である。理由はBC588/87の年代と一致するからである。(つまり「ものみの塔」の主張を支持しているから)
  2. 惑星の観測部分は後から付け加えられた偽物である。理由はBC568/67の年代と一致してしまうからである。(つまり「ものみの塔」の主張を覆してしまうから)

ものみの塔がなぜフルーリ氏の仮説をそのまま掲載しなかったのかは不明ですが、結果として脚注の中で「惑星の名前は不明瞭」という間違った情報を載せることになりました。*1

フルーリ氏がエホバの証人の中でどのような立場の人なのかは不明ですが、ノルウェーの1万人のエホバの証人の中でそれなりの影響力のある人なのではないかと思います。去年のノルウェーの増加率が比較的高いことはフルーリ氏の貢献があるのかもしれません。参考:「エホバの証人世界の動向 2012年版

 

記事の終わり

*1 VAT4956に記されている惑星の名前はどれも不明瞭ではありません。詳しくは「特集4 – VAT4956」をご覧ください。