土台の聖句
一般の聖書学者の見解を調べる前に、議論されている「七十年」に関する土台の聖句を確認します。
エホバの証人が古代エルサレムの滅びが西暦前607年であったとする根拠の聖句は主に歴代第二 36:17‐23とダニエル 9:1‐2を中心にしています。そしていずれの聖句も「預言者エレミヤ」の言葉を土台にしています。
エレミヤ書の該当する箇所を検索すると3か所で「七十年」に言及する箇所を見つけることができます。それは以下のものです。
エレミヤ書 25:11,12
そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」』。
「『そして,七十年が満ちたとき,わたしはバビロンの王とその国民に対して言い開きを求めることになる』と,エホバはお告げになる,『彼らのとがを,カルデア人の地に対してである。わたしはそれを定めのない時に至るまで荒れ果てた所とする。
エレミヤ書 29:10
「エホバはこのように言われたからである。『バビロンで七十年が満ちるにつれて,わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して,わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する』。
上記の聖句を見るとすべての部分で七十年が「バビロン」の支配に関連付けられているのがわかります。(*1)
(*1) エレミヤ 29:10 新世界訳の「バビロンで七十年」という表現の問題については「エレミヤ29:10 「バビロンのための70年」をご覧ください。
これらの聖句を聖書学者はどのように解釈しているでしょうか?幾つかの例を見てみましょう。
一般の聖書学者の見解
説教用注解書(19世紀の複数の学者)
エレミヤ25:11に関する注釈
Pulpit Commentary
「エレミヤ25:11 「七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」この預言に意味に関しては幅広く異なる意見があります。もっとも考えられる見方は「七十年」は不特定でおおよその年を表すというものです。(イザヤ23:17に示されているように)それは「とても長い期間」に相当します。この見方はエレミヤ27:7で示唆されている点からも支持できます。そこでは捕囚がネブカドネザルの統治と、その息子、そして孫までを含むことが示されています。この宣言は明らかに明確な時を指すものではなく不定の期間を表現するものです。そして七十年の期間の具体性に言及されることなく再びエレミヤ29:10で「七十年」が出てきます。その節は恐らく11年後に書かれたものです。七十年の解釈については他の人は字義通りのものと考えます。それが特に当てはまるのは西暦前606年(*1)であるエホヤキムの第四年からバビロンが倒壊した西暦前539年までの67年が経過した期間です。」(*1) 西暦前606年 – 現在は西暦前605/604年と理解されています
ジョン・ギル(1697年-1771年)
エレミヤ書 29:10に関する注釈
John Gill’s Exposition of the Bible
「主は言われた、バビロンでの七十年が満了した後」ーこの七十年はゼデキヤ時代の最後の捕囚から計算するものではありません。また書かれた時点から計算するのでもありません。さらに最初のエコニヤの捕囚から計算するわけでもありません。これはエホヤキムの第四年、そしてネブカドネザルの第一年、彼がエルサレムに遠征に来た最初の時から数えています。
七十年の預言に関しては複数の見解が存在します。しかし一致しているのはエレミヤによって語られた七十年はネブカドネザルの台頭以降のバビロニア王朝による周辺諸国支配と関係しているという点です。
エルサレム倒壊から始まる最後のバビロン捕囚の期間は副次的にその中に含まれるものです。しかしエレミヤの預言は直接的にはエルサレムの荒廃の期間を示すものではありません。
バビロン捕囚と「土地の荒廃」に関して言うならば、ものみの塔は読者に対して決して公平に情報を提示していません。例えば以下の文面を見てみましょう。
*** 目72 7/8 29ページ バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか ***
トレミーの規準と「VAT4956」に対立しているのは,ユダとエルサレムが70年間 人が住まない状態であったという,エレミヤ,ゼカリヤ,ダニエル,および歴代志略下の記述者の一致した証言です。それらの書物の何千という古代の写本には同じ証言がしるされています。
ものみの塔は考古学上の証拠に抵抗するために「70年間 人が住まない状態であったという,エレミヤ,ゼカリヤ,ダニエル,および歴代志略下の記述者の一致した証言」について言及しています。しかしこれは全くの嘘です。ここで指摘されている聖書筆者はそのように証言しているわけではありませんし、そもそもネブカドネザルの第十八年の大規模な軍事遠征によって一気に「人が住まない状態」になったわけではないのです。
実際聖書のエレミヤ書にはこうあります。
(エレミヤ 52:28‐30) これらはネブカドレザルが流刑に処した民である。第七年に,三千二十三人のユダヤ人。 29 ネブカドレザルの第十八年に,エルサレムから八百三十二人の魂であった。 30 ネブカドレザルの第二十三年に,護衛の長ネブザラダンはユダヤ人を流刑に処した。七百四十五人の魂であった。 その魂は全部で四千六百人であった。
この聖句だけをとっても、流刑は少なくとも三回はあり、最後のものはネブカドネザルの第二十三年であるとはっきり記されています。これはエルサレム倒壊から5年たってもユダには人が住んでいたことを示しています。
上の聖句を表にすると以下のようになります。
エレミヤ 52:28‐30に記載されている流刑人数と年代
ネブカドネザルの統治 | 流刑の人数 |
第七年 | 3,023人 |
第十八年(エレ52:12では第十九年) | 832人 |
第二十三年 | 745人 |
合計 | 4,600人 |
上記のようにネブカドネザルの第二十三年にも流刑にされた人々がいるのです。
ものみの塔は七十年の開始地点をネブカドネザルの第十八年のバビロン捕囚であると解釈させようとして不誠実な仕方で考古学上の証拠を提示することがあります。この点は「学術的な不誠実さ – 目ざめよ2012年6月号 」をご覧ください。
「七十年の満了」が先か、解放が先か
ものみの塔が主張するように、「ネブカドネザルの第十八年」のバビロン捕囚から厳密に「七十年」をカウントしたとします。それでもやはり七十年の期間を割り出すエホバの証人側のやり方は不自然であり、かつ聖書的にも預言の言葉と一致しません。
まずは七十年の土台になる次の聖句を見てみましょう。
エレミヤ 25:12 「『そして,七十年が満ちたとき,わたしはバビロンの王とその国民に対して言い開きを求めることになる』と,エホバはお告げになる,『彼らのとがを,カルデア人の地に対してである。わたしはそれを定めのない時に至るまで荒れ果てた所とする。
バビロンが滅ぼされるのはいつであると預言されていますか?
「七十年が満ちたとき」と記されています。バビロンの滅びはそれに続くものとして描写されています。
つまり、ものみの塔の主張とは全く異なるのです。エホバの証人は七十年が終了したのはユダヤ人がユダの地とエルサレムに帰還したときだと主張しています。ところが上の聖句では七十年が満ちてからユダヤ人の解放が続くことになっているのです。
関連する歴代第二の聖句も同様です。
(歴代第二 36:21‐23) これはエレミヤの口によるエホバの言葉を成就して,やがてこの地がその安息を払い終えるためであった。その荒廃していた期間中ずっと,それは安息を守って,七十年を満了した。 22 そして,ペルシャの王キュロスの第一年に,・・・
ここでも「七十年」が満了してからユダヤ人の解放が続いていることが示されています。エレミヤの預言で述べられている「七十年」が満了したので、祖国へ戻る道が開かれたのであるというのが歴代第二 の筆者の解釈なのです。ものみの塔の主張とは異なっています。
ではエレミヤ29:10についてはどうでしょうか?次のような言葉になっています。
(エレミヤ 29:10) 「エホバはこのように言われたからである。『バビロンで七十年が満ちるにつれて,わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して,わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する』。
この部分で新世界訳は「七十年が満ちるにつれて」というあいまいな言葉で訳出していますが、ここは本来は「七十年が満ちたとき」という意味です(*1)。つまり七十年が完了してからユダヤ人の解放が実現することを示唆しているのです。
(*1) 新世界訳の2013年改訂版(英文)では「七十年が満ちたとき(When 70 years at Babylon are fulfilled)」と訳されているので、日本語訳もそれに倣ったものとなるでしょう。
エレミヤにとっての「七十年」の意味
七十年の預言は「エレミヤの口によるエホバの言葉(歴代第二 36:20,21)」に基づいているのですから、この預言の意味を考える際にはエレミヤがどのように考えていたのかを議論から除外することはできません。以下の聖句を見てみましょう。
(エレミヤ 25:8‐12) …「それゆえ,万軍のエホバはこのように言われた。『「あなた方がわたしの言葉に従わなかったので,9 いまわたしは人をやって,北のすべての家族を連れて来る」と,エホバはお告げになる,「すなわち,わたしの僕,バビロンの王ネブカドレザルのもとに人をやって,彼らを来させ,この地とその住民と周囲のこれらすべての諸国民を攻めさせる。わたしは彼らを滅びのためにささげ,彼らを驚きの的,人々が見て口笛を吹くもの,定めのない時に至るまで荒れ廃れた所とする。10 そして,わたしは彼らの中から歓喜の音と歓びの音,花婿の声と花嫁の声,手臼の音とともしびの光を滅ぼす。11 そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」』。 12 「『そして,七十年が満ちたとき,わたしはバビロンの王とその国民に対して言い開きを求めることになる』と,エホバはお告げになる,『彼らのとがを,カルデア人の地に対してである。わたしはそれを定めのない時に至るまで荒れ果てた所とする。
上記の言葉が語られたのは「エホヤキムの第四年,すなわちバビロンの王ネブカドレザルの第一年(エレミヤ 25:1)」です。それは西暦前605/604年頃のことです。エレミヤはバビロニア軍がアッシリアやエジプトといった強国を次々と倒している状況を知っていました。パレスチナ地方が制覇されるのも時間の問題でした。
エレミヤによると「七十年」に関わるのはエルサレムの住民だけではなく「この地とその住民と周囲のこれらすべての諸国民」であるとはっきり述べられています。つまりエレミヤが念頭に置いていたのは「エルサレムの崩壊」ではなく、バビロニアによる周辺諸国への支配だったのです。では諸国の民が「バビロンの王に仕え」始めたのはいつでしたか?それはみなバラバラな時期です。もし厳密に計算する数字としてエレミヤが70年を語っていたのであれば、それぞれバビロニアから解放される年もバラバラな年と考えなくてはならなくなります。
この聖句に関連して聖書学者は次のように述べています。
ジョン・ギル(1697年-1771年)
エレミヤ 25:11 に関する注釈
John Gill’s Exposition of the Bible
「これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」これはユダヤの人々もエジプトにある他の国々にいる人々も含まれています。この預言が語られたとき、つまりエホヤキムの支配の第四年、ダニエルや他の人々が流刑に処された時から始まっています(ダニエル 1:1)。そしてキュロスの第一年にまで及びます。
エレミヤ書には20章以降に頻繁にバビロニアに関する警告の言葉が出てきます。エレミヤにとっての「七十年」はバビロニアに対して与えられた「時」なのであり、ネブカドネザルに進んで従おうと、強制的に従わされようと同じでした。
この点でエレミヤの警告の趣旨は次のものでした。
(エレミヤ 27: 12) ユダの王ゼデキヤにも,わたしはこれらすべての言葉の通りに語って言った,「バビロンの王のくびきにあなた方の首をあて,彼とその民に仕えて,生きつづけなさい」。
エレミヤはゼデキヤに対して、ネブカドネザルに反抗せずに服するよう諭していました。エホヤキムの時代にすでにバビロニアは世界強国として支配力を行使しており、バビロンの王に仕えるべき「七十年」は始まっていました。エレミヤは様々な「諸国の民」がすでにネブカドネザルに対して服させられていることを知っていたのです。
このようにエレミヤの言葉を書かれた当時の状況を考慮に入れて理解すると、本来の意図が見えてきます。ものみの塔がするように自分たちの教理上を中心に考えるならば間違った解釈に導かれることになります。
記事の終わり
かやのそと
カレブさん
考える糧になる記事をありがとうございます。物事をいろいろな角度から知ることは大事ですね。
統治体が1914年の教理を捨てる日が来るのではないかと時々考えています。
自分たちの存在意義そのものに関わる教理ですから、かなり先ではないかと思いますが、どのみち今の不可解な重なる世代の教理も無理が来るときが必ず来ます(今でも十分詰んでいるとは思いますが)。
そうなれば、多くの方が指摘しているようにエルサレムの滅びをBC587年として1914年を廃止。動揺するJW達に対して「王国の設立が1914年じゃなかったとしても、今が終わりの日に入っていることには間違いないから奉仕に励め!」と“励まし”
1919年やらどうやらの年に関しては、「特定の年が重要なのではなく、エホバが現在地上に組織を持っておられ霊的食物を供給する一団がいることが重要」とかなんとか教えてなんとなく自分たちの存在意義もキープするという方向に向かっていきそうな気がします。
根幹を揺るがしかねない大変更ですが、「新しい光」とか言っておけば大抵のJWは賞賛のうちに受け入れるでしょう。
そうやって、「一般の見解とエホバの証人の見解は一致しています。何か?」とシレッと言ってそうです。
JWSTUDY
かやのそとさん。そうですね。1914年の教理を捨てざるを得ないときは来るとは思います。
そのタイミングはプラスとマイナスをはかって判断されるんでしょうね。
いろいろ詰んでる教理がいっぱいですね。