2014年5月3日
法務大臣:フィンランドに二つの裁判制度の余地はない
法務大臣のアナマイジャ・ヘンリクソンはNGO団体の訴えに関心を表した。今回、宗教団体犠牲者のために啓蒙活動を行っている組織、UUTはフィンランドのエホバの証人が持っている教団違反者を裁く独自の審理委員会について報告を行っており、それに対応するかたちで大臣は答えた。
「フィンランドに二つの裁判制度の余地はない」とヘンリクソン大臣は語っている。
…ヘンリクソン氏は教会の行為への直接のコメントを避けながらも、フィンランドにはすでに法制度が存在している点を指摘して次のように述べている。
「フィンランドにおいて、標準の司法以外に裁判制度があってはならない」
「宗教コミュニティが個々の人間の基本的な人権と自由を尊重することは極めて重要なことだ。独自の振る舞いや習慣であっても他の人の権利を尊重するという観点で考える必要がある。」
ヘンリクソン氏は法務省としてもUUTの報告を精査する予定であると述べた。
この問題は教育文化省も関係する。そこは宗教グループの登録に責任を持っているからである。ヘンリクソンはこの問題を教会問題を扱う省の大臣パイビ・ラサネン氏とも話し合うことを予定している。
ソース:http://yle.fi/uutiset/justice_minister_no_room_for_two_judicial_systems_in_finland/7219841
解説
フィンランドは他のヨーロッパ諸国と同じように信教の自由が尊重されている国です。信教の自由には独自の習慣に従うことやルールを設ける自由も含まれます。
しかし、ヘンリクソン氏はそのような自由にも限界があるという見方を示しています。
宗教の中で行われる独自の信条や習慣に対して政府が介入するのは慎重さが求められます。しかし記事によるとヘンリクソン大臣は「フィンランドの法に触れるような扱いを受けたと感じたら個々の人が警察に訴えを起こす」ことを躊躇しないようにと述べています。
今回の法務大臣がこの問題を考慮するきっかけになったのはフィンランドのUUTという非政府組織(宗教による人権侵害の問題を扱っている)による働きかけがあったためです。
エホバの証人に関するUUTの報告に関しては以下のように報道されています。
閉鎖的コミュニティ
…その報告は教会の背後には高い階層化の構造があり、上からしっかりと統制されていることを指摘している。教会内の長老たちは「神の群れを牧する」として知られるハンドブックを所有しており、一般のメンバーは読むことが許されていない。
UUTは英語版のハンドブックを入手している。そこには厳密に従うことが求められている指示が書かれており、審理委員会の運営に関する点も含まれている。エホバの証人の教義によると、出版物は神の教えを表すものなので、それに相当する深刻さで扱わなければならない。
審理委員は「重大な罪」へ裁きを言い渡す
審理委員会は教会メンバーが重大な罪を犯したという疑いがある時に開催される。その罪の中には教会の教理に異議を唱えることや、輸血を何度か受け入れたり、政党の活動に参加すること、クリスマスや誕生日を祝うことも含まれる。…
忌避 – 過酷な宣告
報告によると、その委員会は忌避の宣告を言い渡すケースもあるとされている。その場合、コミュニティは違反者を追放し、会衆の他のメンバーは話すことが許されず、挨拶をすることも認められない。家族や親族でも元教会員の忌避に参加する。しかし同じ家に住んでいる家族の場合は忌避を受けない場合がある。
忌避の目的は違反者が群れに戻るよう説得することである。しかし群れに戻るためには辱めを受けながら悔い改めの行為を続けることが求められる。その中には会衆の誰からも挨拶を受けることなく週二回の集会に一か月の間出席し続けることが含まれる。
自殺が自由への道?
UUTの報告はこの宗教の独自の審理委員会の行動と忌避の習慣は格別に残酷で人権の侵害であると述べている。幾つかのケースでは違反者が深刻な健康問題を抱えるようになっており、自殺に至る場合もある。…
UUTはエホバの証人が高等教育に懐疑的で長老たちも十分教育を受けていないと報告している。このことが追放や忌避というものの結果を長老たちが十分に理解できない原因になっているのではないかとUUTは述べている。
教会を去ることで生じるこの制裁にも関わらず、多くのメンバーが去る選択をしている。ランダムに選んだサンプルに基づくアメリカの研究では37パーセントのエホバの証人の子どもたちが成長する段階で一度は会衆のメンバーになっている。
補足説明:
上記の文面の中に復帰に求められる手順について「会衆の誰からも挨拶を受けることなく週二回の集会に一か月の間出席し続けることが含まれる」と記載されていますが、これは正確ではなく実際には「一か月の間」ではなく「数か月」(長老たちの裁量次第では数年)の間、屈辱的な扱いを受けることになっています。
記事の終わり
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