わたしたちはこの発想が大好きです – デービッド・スプレーン
2012年10月6日に行われたものみの塔聖書冊子協会の年次総会において,マタイ24章にある「忠実で思慮深い奴隷」に関連する例え話の解釈の変更が発表されました。そこでは現在統治体として奉仕している8人のみが「忠実で思慮深い奴隷」であり,それ以外のエホバの証人は例えの中にある「召使いたち」であると発表されました。これはつまり,今まで例え話の中で「持ち物」の中に含まれるとされていた「大群衆」は「召使い」に昇格したことを意味しました。
この点を念頭に置いて統治体の成員のデービッド・スプレーンは聴衆に対して次のように語りかけました。
2012年10月6日 年次総会での話
「And brothers,
We love this teaching.
We love this idea,
because it really truly does dignify the members of the Great Crowd.」「それで兄弟たち,
わたしたちは,この教えが大好きです。
わたしたちは,この発想が大好きです。
なぜなら,これが本当に大群衆の成員を尊ぶことになるからです。」
この新しい解釈によって最も尊ばれる立場になったのは統治体の8人のメンバーでしたが,上記のスプレーンの言葉に聴衆はどのような反応を示したでしょうか?公式サイト(jw.org)の年次総会のハイライトは次のように説明しています。
話し手がイエスの預言のこの部分を説明すると,聴衆から大きな拍手が起こり,なかなか鳴りやみませんでした。聴衆の幾人かは後に,自分たちがイエスから「召使い」とみなされていることに対して,深い感謝の気持ちを言い表わしました。
統治体の成員デビッド・スプレーンの上記の話は,図らずも重要な事実を明らかにしています。彼にとって新しい解釈は自分たちが練って考え出したアイデアだということです。
それはかつて,ものみの塔協会が韓国の統一教会について記事にした際に述べた「自分の信じたい事柄を信じる人々」を思い起こさせます。
*** 目82 12/8 11ページ 自分の信じたい事柄を信じる人々 ***
人々がある事柄を信じるのはなぜでしょうか。確かな根拠があるからですか。わたしたちは,人々が自分の信じたいことを信じているのをしばしば見ていないでしょうか。ある事柄が俗受けするので,人々はそれを信じるのかもしれません。
・・・人々を動かして専念させ自己犠牲を払わせる宗教であれば,どんな宗教でも神からのものであるということになりますか。あるいは,そのような宗教に専念している人も,単に自分たちの信じたい事柄を信じているに過ぎないということがあるでしょうか。
記事の終わり
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