天文学的に確証されたアルタクセルクセスの統治
アルタクセルクセスの統治期間に関する決定的な証拠は、その統治年と共に天文学的情報が記されている幾つもの粘土板の存在です。そのような書字版の一つは天体観測「日誌」の「VAT 5047」です。その粘土板にはアルタクセルクセスの第11年の日付が明記されています。書字版に損傷はありますが、幾つかの惑星、水星、木星、金星、土星の2つの月との位置関係についての情報が保存されています。この情報は書字版が西暦前454年のものであることを確認するには十分なものです。
この粘土板は西暦前454年がアルタクセルクセスの第11年であることを示していますから、前年の西暦前455年は、ものみの塔協会が主張するアルタクセルクセスの第20年にはなりません。むしろ西暦前455年はアルタクセルクセスの第10年目です。そしてアルタクセルクセスの第20年は西暦前445/444年であることは間違いありません。(「バビロニア出土の天文日誌と関連文書」 第I巻 アブラハム・J・サックス著 ヘルマン・フンガー編著 1988年発行,56から59ページを参照)
さらに第21年とクセルクセスの最後の年の日付の粘土板が幾つか存在します。そのうちの 1 つである BM 32234 は、クセルクセスの第21年目の第5の月の14日か18日の日付のものです。これは「18年テキスト」あるいは「サロステキスト」と呼ばれる天文学書字版の一つです。
そこに含まれる天文学的情報は、この粘土板が西暦前465年のものであることを確証しています。本文には次の興味深い情報が含まれています。
「第5月 14 (+x) クセルクセスが息子に殺害された。」
この本文はクセルクセスが21年間統治していたことを明らかにしているだけではなく、彼の最後の年が、協会が信じる西暦前475年ではなく、465年であることも明確にしているのです!
クセルクセスとアルタクセルクセスの統治期間を網羅しているもので同じような「サロステキスト」は幾つもあります。その統治の中の異なる年における月食の様子や日付がそこに含まれています。それらはこの期間の年代を絶対的な年代として確立するのに役立っています。さらに二つの天文学的な粘土板をクセルクセスとアルタクセルクセスの統治期間から見出すことができます。それは BM 45674 と BM 32299 です。それらは金星の観測日誌を含んでいます。これらの観測データもやはりこの期間を絶対的な年代として確立するものとなっています。
それゆえ、わたしたちは数多くの天文学的な観測を含めた粘土板をクセルクセスとアルタクセルクセスの統治期間から見出すことができているのです。多くの場合、たった一つあるいは二つほどの観測記録があれば統治の始まりと終わりを確証するのに十分とされます。しかしながら、今回問題になっている期間に関連する天体観測記録は合計するとおよそ40あるいはそれ以上の数にのぼるのです。それゆえに1年でも彼らの統治をずらすことなどできないのです!アルタクセルクセスの第20年を西暦前455年に変更する協会の年代計算は明らかな間違いです。もちろんこれは彼らのダニエルの70週に関する解釈も間違いであることを証明するものになります。
元記事:Artaxerxes’ reign astronomically fixed
http://kristenfrihet.se/english/artaxerxes.htm
記事の終わり
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