聖書に書かれている物語を文字通りの真実と考えると様々な問題に直面します。その一つにオーストラリア大陸とそこに生息する特有の生物の存在があります。
聖書によると今から4400年ほど前に世界的な大洪水が神によって引き起こされ、その際に箱舟の中に集められた動物以外のすべての動物が滅び去ったということになっています。
(創世記 7:19‐23) …水は地に大いにみなぎって、全天下の高い山々がことごとく覆われるようになった。…そのため、地の上を動くすべての肉なるものは、飛ぶ生き物も、家畜も、野獣も、地の上に群れなすすべての群れも、そして人もみな息絶えた。…ただノア、および彼と共に箱船の中にいたものだけがそのまま生き残った。
このノアの洪水物語を真実とみなすのであれば、今から4400年ほど前に中東のどこかに集められた雄雌二匹ずつの動物(あるいは清い動物は七匹)以外の動物が絶滅し、箱舟の扉が開けられてそこから出てきた動物によって現在の世界の生態系が出来上がったということになります。
つまり、現在オーストラリア大陸に生息する大陸特有の生物たちも今から4400年前に箱舟から出てきてオーストラリア大陸に渡って増え広がったということになります。
これにはどんな問題があるでしょうか?生物学者のリチャード・ドーキンスは次のように語ります。
進化の存在証明 – リチャード・ドーキンス 387頁
これらの動物がすべてノアの箱舟から分散していったのなら、動物の地理的な分布はどのようになっていなければならないかを、考えてみてほしい。中心地-ひょっとしたらアララト山-から遠ざかるにつれて、種の多様性が減少していく何らかの法則性が存在するべきではないだろうか。それが私たちの目にしているものではないことは、あえて言う必要もないだろう。
なぜ、これら有袋類のすべて - 小さなフクロマウスからコアラやミミナガバンディクートを経て巨大なカンガルーやディプロトドンに至る幅をもつ - が、有胎盤類はまったくこないのに、アララト山からオーストラリアへ大挙して移住してきたのか?彼らはどのようなルートでやってきたのか?
ノアの時代にカンガルーやコアラが中東に生息していたのでしょうか?あるいは箱舟に乗るためにはるばるオーストラリア大陸から旅をしてきたのでしょうか?そのどちらも可能性は非常に低いと言えます。なぜならカンガルーは他の大陸に渡った形跡はなく、カンガルーの化石もオーストラリア大陸でしか発見されません。オーストラリアでは現在のカンガルーとは姿が異なる3メートルのカンガルーの化石が見つかっています。その他にもオーストラリア固有の生物の化石が幾つもあります。これはオーストラリア大陸が他の大陸から地理的に独立し、長い時間をかけて独特の進化や絶滅を経験し大陸の中で多様な種を生みだしてきたという推論と一致しています。その期間は4000年では足りないのです。
オーストラリアにはコアラやカンガルー以外にも特有の有袋類が生息しています。この写真にあるフクロモグラもその一つです。このモグラはオーストラリア大陸にしか存在しません。フクロモグラがアララト山からオーストラリアに移動する姿を想像してみてください。しかもフクロモグラは目がないようなもので一日の大半を地中で活動します。大陸が分離する前にどれだけのスピードで彼らはオーストラリアを目指して進んだのでしょうか?何か月も海水に浸かった台地で餌になる幼虫や蟻も絶滅した道を オスとメスのつがいが食物のないままオーストラリアにどのようにたどり着いたのでしょうか?
ものみの塔の答え、そして文献の不正な引用
ものみの塔協会はオーストラリアにノアの洪水後にどのようにコアラが「どのように移動して」行ったのか、その答えは「陸橋によってです」 と答えています。
ものみの塔1962年p127「読者からの質問」
ものみの塔はスウェーデンの地理雑誌「イメル」でレニー・マイレス博士が「大西洋を横断する陸橋」があったと発表しているので自分たちの主張が正しいと述べています。しかし引用されているニューヨーク・タイムス1956年9月23日にはヨーロッパからグリーンランドまで が湾のようになっていた時代があると主張されているだけで、オーストラリアに陸の橋が渡されていたことをほのめかすような主張は一つも見当たりません 。しかもグリーンランドとのつながりも1万年以上前の話とされておりノアの洪水の話とリンクさせられるようなものでもありません。(資料:「ものみの塔協会との手紙のやりとり 」英文)
New York Times 1956
答えなくてはならない疑問
コアラはオーストラリア原産のユーカリの葉だけを食するように進化してきました。あるいは「進化」したのではなく、コアラはユーカリだけを食するように神が創造されたと仮定してみましょう。いずれの場合もコアラの極端な食性には変わりはありません。ユーカリの葉はカロリー効率が悪く他の動物は食用にしません。コアラにとってはライバルがいない有利な条件ではあるものの、食物消化とカロリー消費のバランスを合わせるため1日のうち20時間は寝て過ごします。コアラがユーカリの木が茂っていない場所を長距離旅行をすることは考えられません。
ノアはコアラの存在と食性を知っており、1年分のユーカリとオーストラリアまでの移動のためのユーカリを箱舟に集めたのでしょうか?箱舟を出た後、海水に浸かった大地をコアラはどのように大量のユーカリを運びながら移動したのでしょうか?
創世記のノアの箱舟の話を擁護するためにあれこれ答えを探したとしても、屁理屈のようなものしか出てきません。むしろ中東に住んでいた創世記の作者は中東と近隣に生息する動物のことしか念頭になく、コアラやカンガルーの存在を知ることなく箱舟の物語を書いていたと考えるほうが自然です。
記事の終わり
Speak
最新のコメント
caleb
"オオカミの子供が永久凍土から発見されて、その胃の中から14,000年前頃に絶滅したケブカサイの皮が見つかっています。 https://www.sciencealert.com/puppy-preserved-in-the-permafrost-ate-a-chunk-of-one-of-earth-s-last-woolly-rhinos 他にも人類の出現前には絶滅した恐竜の化石の中には胃の中にあるトカゲが一緒に化石になって発見されてもいます。 客観的な証拠は聖書が示す人間の歴史よりもずっと昔から肉食動物は獲物を探して生きていたことを示しています。 古代の動物が「何を食べていたか知りたい」とのことですが、肉食動物は古代から肉食動物であったことを示す 証拠は多くあります。 それらの証拠はなぜ受け入れないのでしょうか? 数千年前のノアの洪水の前に、すべての動物が草食であったという話は、何の根拠もない空想の話にすぎません。 "
山猫
"ノアの大洪水の可能性は、ゼロだと言い切るのは無理があると思います。逆にそこまで否定するのには、何かあるのかな、と思ってしまいます。洞穴ライオンの発見から既に7年、8年経ちますが、研究結果を報告しません。胃の中の物を調べれば何を食べていたか分かる、と研究者は言っていました。なのに全然音沙汰が無い、何を食べていたか知りたいのです、世の中に公表出来ないのでは?と思ってしまいます。 "
あるぱか
"僕が見た子供向けの絵本にも「船という漢字の中にノアの大洪水の歴史が記録されているんだよ」的なことが書いてあって、なんで日本の漢字に全く関係ないイスラム?ローマ?のことが入ってんだよwって思ったけどほんとに合ってて草。他にも無菌状態で培養液入れても生物は発生しなかった=進化論は否定されたとか言う謎理論も噛ましててビックバンとか諸々はどうしたw(適当に言ってるだけだから間違えてるかも())とか、こういう本は間違い探ししてる分には楽しいですねwただ子供とかこう言うので刷り込まれそう。昔言ってた教会でもしれっとこんな本渡されてたんで宗教って怖いなって思いましたまる(皆がこんなガバガバ理論だとは思ってないですけどこの本の作者さんはあとがき見る限り上に上げた理論?を本気で信じてそうで怖いなって思ったのでコメしました。超長文失礼しました "
caleb
"質問の要点部分にお答えいたします。 >calebさんの生き方の中に、真の喜びと希望と平安は有るのでしょうか? 普通程度にあります。 誰かと比べてどうかという話ではないですが、 わたしが見てきた範囲では クリスチャンとノンクリスチャンにおいて 喜び、希望、平安の度合いにおいて差はほとんどないと思っています。 クリスチャンが優位になる場合は、人が病気で死に直面している場合、 あるいは他の絶望的な境遇に直面している場合など、幾つか考えられます。 しかし生まれてから死ぬまでの日本人の平均的な人生を総合的に見ると、 死後の命の教理(そして死後の裁きの教理がもれなくついてくる) への信仰が人に対して 喜び、希望、平安を持たせる面で 大きな役割を果たしてきているとは思えません。 最後に 科学に対して「過信をする事も禁物です」という点ですが それは全くその通りで、クリスチャンが聖書や神の存在に対して 同じ程度に冷静になれれば、聖書の中の間違いを認めるのも ずっと容易になるかと思います。 "
鈴木 志
"今日は、私はエホバの証人でも無く、どのような宗教団体にも属さない一人のクリスチャンです。 殆どの記事を読ませていただきました。大変の詳しいのにびっくりしました。私の見解と異なるものが多くあるものの、それに対して反論の術のないものもいくつかあります。私もいろいろと調べましたが、結局のところ科学と言うものには限界が有り、全ての事象を正確に説明する事は出来ないと言う事です。 科学をまじめにやっている方ほど、「科学はOOは正しい、とは断定してくれません。科学的に正しい、科学的に証明されていると言うフレーズを使うのは、科学の事を良く解っていない人か詐欺師かのどちらかでしょう。」とまで言っています。例えば京都大学理学・研究科・理学部でも、「科学的に正しいは、絶対的真実と言う事ではありません。」とコメントしています。科学は決して軽んじてはなりませんが、100パーセントの正しさを保障してくれるものでもありまんので、過信をする事も禁物です。 質問をしたいのです。calebさんにとって自分の人生とは一体何ですか?自分とは何ですか?人間の命の尊厳はどこから来るのですか?死に対して真っ正面から向き合えますか?死に対して勝利の叫びを持って望めますか?死の先に希望は有りますか?calebさんの生き方の中に、真の喜びと希望と平安は有るのでしょうか。「主イエス・キリストを信じる私には有ります。」 "