エホバの証人レッスン

信仰の枠を超えた真理の探究

作者別: caleb (1ページ / 2ページ)

出産の苦しみはエバのせいであるという話

聖書は人類の出産の苦しみが大きい理由を最初の女性エバが罪を犯したためであるとしています。創世記3章の以下の部分がエバに責任を負わせている部分です。

(創世記 3:13,16) そこでエホバ神は女に言われた,「あなたがしたこの事はどういうことなのか」。…わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。…

女性が担う産みの苦しみが非常に大きいものであることは疑う余地はありません。古代においては難産で死ぬことも珍しくはありませんでした(創世記 35:16‐18)。WHOによると現代でも毎日830人の女性が妊娠や出産を原因とした合併症で亡くなっています。その死亡の99%は発展途上国で起きています。サルや類人猿では2時間ほどで終わる出産が人間では平均してほぼ9時間にもおよびます。

これは聖書が述べている通り最初の人間女性エバが罪を犯したからなのでしょうか? 解剖学的な証拠からするとそれは間違いです。

ヒトの出産を困難にしている主な要因は母体側の骨盤や産道の構造的な問題、そして胎児側の頭部の大きさ問題の2点です。この2点は主に人類が直立二足歩行をしていることと、大きな頭蓋骨と巨大な脳を持つようになっていることに起因しています。これは道徳とは無関係です。罪に対する罰として人類の脳が大きくなったとするにしてもそれはあまりにも不自然な罰です。

図:人体六〇〇万年史 上: 科学が明かす進化・健康・疾病 著者: ダニエル E リーバーマン

仮に最初の女性のエバは実はチンパンジーやゴリラ並みの比率の脳しかなかった、そして原罪を負ったゆえに他の霊長類よりも3倍以上の脳(図を参照)を持つようになった、その結果「人は善悪を知る点でわたしたち(神々)のひとりのようになった」と仮定するなら、「妊娠の苦しみを大いに増す」という言葉とも合います。

しかし逆にその程度の脳しかもたない最初の人間に対してその後の人類すべてに死と苦しみをもたらす結果になる罪を神が負わせたことになるため、その理屈自体に矛盾が生じます。

エバのせいであなたの妊娠と出産の苦しみが増したというのは本当なのでしょうか? 創世記が書かれた時代、それは難問のように思えました。しかし現代の医学・解剖学・生物学の理解からすると答えを出すのはそれほど難しくはありません。それには複合的な要因があるものの(*1)主な原因は物理的なものです。それは苦しみを与えるために与えられた罰ではありません。

 

記事の終わり

*1 例えば農耕が栄えた結果、胎児は大きく成長するのに対して、女性の骨格は狩猟民族に比べて小さくなるという現象が指摘されています。(参考資料:BBC

 

 

 

アダムの罪のせいで「いばらとあざみ」が生えてきたという話

自然界には人を不快にさせるような形状や性質をもった植物が存在します。その中にはトゲの生えた植物や有毒性の植物などがあります。聖書の中ではトゲを持つ植物である「いばら や あざみ」が最初の人間アダムが神の命令に従わずに「食べてはならない」木から実をとって食べたために罰として与えられたのだと説明されています。以下の通りです。

(創世記 3:17‐19) …また,アダムに対してこう言われた。「あなたが妻の声に従い,わたしが命じて,『それから食べてはならない』と言っておいたその木から食べるようになったため,地面はあなたのゆえにのろわれた。あなたは,命の日のかぎり,その産物を苦痛のうちに食べるであろう。18 そして,それはいばらとあざみをあなたのために生えさせ,あなたは野の草木を食べなければならない。19 あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る…

 

ではアダムが創造されたとされる年、今から6千年ほど前に植物の生態に大きな変化は起きたというのは本当でしょうか?以下は米国「Florissant Fossil Beds National Monument」のサイトで見ることができる始新世の地層(3千4百万年前)から発見された化石です。

写真:国立公園サービス(C)NPS

この化石からわかるように人類が誕生するよりもずっと前の地層からトゲのあるバラ科の植物の化石が発見されます。アダムの罪のせいで植物の生態が変化した証拠は一切見つかりません。

記事の終わり

 

 

的外れな進化論批判 – ファーブル昆虫記(昆虫の偏食について)

英国のチャールズ・ダーウィンと重なる時代、フランスのジャン・アンリ・ファーブルは当時話題になっていた”進化論”に関して批判的な立場の文章を書き残しています。ファーブルは日本では「ファーブル昆虫記」でよく知られており、児童用の絵本や伝記で多く用いられています。

しかしキリスト教の伝統的な”創造論”の中でファーブルの主張が用いられることはそれほど多くはありません。その理由としてはファーブルの主張が必ずしも聖書的創造論にとって好都合とは言えないという点があるかもしれません。聖書は”人間の堕落”あるいは”ノアの洪水”以降に人間の罪のせいで弱肉強食が起きてしまったという設定がされているのに対して、ファーブルは弱肉強食、捕食者と非捕食者、そしてそれに付随する本能が最初から組み込まれていたという点を強調しているからです。

さらにクリスチャンの創造論の中であまり利用されない理由はファーブルの進化論批判自体が現代の進化に対する理解の面で時代遅れを感じさせるからとも言えます。(ファーブルが幾つかの箇所で批判の対象にしているのはチャールズ・ダーウィンの著書に対するものではなく、ファーブルより100年も前のエラズマス・ダーウィンの著書に対してです。)

進化論批判の要点

ではファーブルの進化論批判の中の一つの要点を見てみましょう。この部分は現代の進化論も対象になっています。日本では「ファーブル昆虫記」として翻訳されている岩波文庫の第三巻のなかでファーブルは「進化論へのお灸」と題して一つの章を割いています(*1) 。8ページほどになりますが、要点は至ってシンプルなものです。

ファーブル昆虫記〈3〉 (岩波文庫) 15章 進化論へのお灸

簡単に説明すると次のようになります。狩りバチには多くの種が存在するが、その幾つかは極度の偏食(狭食性あるいは単食性とも呼びます)である。それらの種は共通の祖先をもっていて本当に”進化”してきたのなら、なぜそのような偏食が生まれるのか。一番強者になれるのは選り好みをしない雑食であるはずだ。彼らは種ごとに特定の昆虫ばかりを餌にする偏食になっているのは言ってみたら馬鹿でしかない、もし選り好みしない昆虫から偏食に変化したと仮定してもそれはただの馬鹿になったにすぎないし、特定の偏食から別の偏食に枝分かれして移り変わったと仮定しても何も”進化”とは言えない。そもそも偏食が”進化”で生まれるはずがない、であるから”進化論”は間違っている…

ファーブルは狩りバチの偏食という習性を擬人化描写の皮肉をこめた例え話で語ります。人は自分が知っている事柄に関連付けられた擬人化された例えとして語られると、本論の概念を理解する助けを得ることができます。しかし肝心の例えの土台部分の前提が間違っているならその例え話は全く意味をもたなくなります。ファーブルの場合、その例えの肝心な部分で誤りを犯しています。

その点を説明する前に、ファーブルがどのような点を述べていたのか具体例を挙げます。

狩りバチの偏食(狭食・単食)とは

具体的に狩りバチの偏食とは、以下のように各ハチの種によって餌にする昆虫が異なるということを意味します。

クモを餌にするベッコウバチ

アオムシをターゲットにするジガバチ

キリギリスを主に狙うタイプのジガバチ(巣穴の手前に餌を置いている写真)ファーブルは同じジガバチでもコオロギばかりを狙う種とキリギリスばかりを狙う種があることを指摘しています。

写真はWikipedia「Hunting wasp」から

このように狩りバチはそれぞれの種で特定の昆虫を餌に狙うという極度の偏食性をもちます。狩りバチに限らず昆虫類はそのような偏食性が強い生物です。鳥類や哺乳類は偏食は少なく臨機横転に餌を選ぶことができます。それに比べると昆虫は極度なまでの偏食性をもつと言えます。この点はファーブルの観察した通りです。

的外れな例え

ファーブルはハチの偏食に関する擬人化した例え話は以下のように始まります。

ここでファーブルは”進化とはこういうものであるはずだ”という前提を人間の感覚を土台にして語りますが、それは ── つばめなどの鳥類は動く虫なら何でも食べる、さらに人類は新しい料理を開発して生き残ってきたではないか、人類に当てはまることは昆虫にも当てはまるはずだ ── というものです。

ファーブルは昆虫が鳥類や人間と同じような脳をもつかのように同じ土俵にのせています。しかし人間および鳥類の脳と昆虫の脳は異なります。また体の作りにも大いに異なっています。つばめにとって”何でも見つけた昆虫を食べる”という行為にはコストもなければ、リスクもほとんどありません。消化器系が発達している鳥類にとって動く昆虫を何でも食べる習性を持つことは、かなりの高確率で生存に有利になります。さらに鳥類には記憶と学習の能力を併せ持った脳を持っており、過去に失敗した食事から学習して次の捕食行動に生かすことができます。ですから脳や体が全く異なる”つばめ”をハチと比べたり、さらには食べられないものを”調理して”新たな食物に加える適応性をすでに持っている人間とハチを比較することは全く的外れなことです。

では昆虫にはどのような特徴があるでしょうか?昆虫の脳は大きさも機能も限られているため、昆虫には鳥類や哺乳類に見られる応用力が欠けています。それは次の実験からも理解できます。

ささやかな知のロウソク – リチャード・ドーキンス「怠け者よ、アナバチのところへ行け」の章から

「狩りバチが獲物をもって巣穴に戻ってきたとき、それをすぐには地中に引き込まない。 そうではなく、入り口の近くに獲物を置き、それから手ぶらで巣穴に入っていき、ふたたび姿を現し、それからやっと獲物を引き込む。 これは、獲物を引き込む前に障害がないかどうかをおそらくチェックしているのだろうという考えから、巣穴の「点検」と呼ばれてきた。これは再現性の髙い実験で確かめられた発見であるが、ハチが巣穴に入って「点検」しているあいだに、実験者が獲物の位置を数インチ動かしてやると、ふたたび姿を現したとき、ハチはその獲物を探す。そしてそれを見つけると、まっすぐ巣穴に引き込む代わりに、もう一回「点検」をおこなうのだ。実険者かこの嫌がらせを継続して数十回繰り返してみた。その都度、「愚かな」ハチは、自分がたったいまその巣穴を「点検した」ばかりで、したがってもう一度繰り返す必要のないことを「覚え」られなかった。」

一つの行動にとらわれた昆虫の習性は人間の基準で判断すると「愚かな」習性に見えるかもしれませんが、狩りバチの立場からすると限られた脳のポテンシャルで最大の能力を発揮しているとも言えます。極端な偏食は哺乳類や鳥類を基準にすると、生存に不利で”馬鹿な”習性に見えるかもしれません。しかし昆虫の中では極端な偏食が最もコストが低く、かつ最大の能力の発揮につながっているとも言えるのです。

さらに偏食性の強い狩りバチ(狭食性)と、偏食性が弱い狩りバチが存在しています(*2)。どのハチもその環境の中では最も適応しているという共通点があります。フランスの狩りバチと日本の狩りバチは同じではありません。餌にするバッタに変異があれば狩る側のハチにも変異が見られます。ある地方で緑色のキリギリス”専門家”の狩りバチが見られる場合、そのような地方では緑色のキリギリスが常に存在していたということを意味します。そして恐らく茶色のコオロギ”専門家”のハチもすでにそこにはいることでしょう。人間の観点からすると、緑色のキリギリスと茶色のコオロギも両方をターゲットにするハチが一番有利なのだから、そのようなハチにすべてのハチが”進化”していなければおかしいと考えるかもしれません。しかし2種類以上の昆虫をターゲットにする昆虫は1種類をターゲットにする”専門家”より有利になるとは限りません。なぜなら学習能力や判断能力が欠けている時点で2種類の昆虫をターゲットにすることは進化論上、より多くのコストを払うことになるからです。

昆虫の進化

ファーブルの時代やその時代以降にも多くの人が昆虫の観察を熱帯アマゾンや孤立した島々などで行いました。彼らは昆虫の多様性から、むしろ進化論の正しさを導き出しています。イギリスのヘンリー・ベイツ(1825年-1892年)やドイツのフリッツ・ミューラー(1821年-1897年)など世界を旅行して昆虫の生態を観察した学者は皆進化論を支持しています。同じく昆虫を含めて生物の生態を調べたイギリスのアルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823年-1913年)もチャールズ・ダーウィンと時を同じくして、ほぼ同様の結論に達しています。

彼らは熱帯アマゾンや孤立した島々で、それぞれの地域や島で固有の種が存在することを発見しています。それらは例外なくそれぞれの土地に環境に適応した擬態や食性を持っています。それらの多様な昆虫がいつどのように枝分かれしたのかを正確に言える人はいません。しかしそれぞれの地域や島で適用しながら多様性を見せている昆虫の生態はそれぞれの土地で進化が実際に起きてきたことを示すのには十分です。ファーブルの”進化論”に対する”お灸”は現代の進化論に対して致命的な問題を何も提起してはいません。

今後、昆虫の進化の事実と根拠については別の記事で取り上げる予定です。関心がある方はご自分で以下の本をお読みになることをお勧めします。

・「進化とはなんだろうか」長谷川眞理子著 101~108ページ

種分化のメカニズムについて具体例をあげて説明しています。昆虫の中で「同所的種分化」がなぜ起きやすいのかなど興味深い説明があります。

・「擬態の進化」大崎直太著 14、17ページ

ベイツ型擬態など昆虫の中に見られる進化の証拠について書かれています。

 

 

記事の終わり

*1 英文では「More Hunting Wasp」という別冊になっており、8章が該当する章になります。

*2 「スズメバチの採餌習性」(外部リンク)

 

 

 

 

ライオンやヘビが草食だったという話

あなたがエホバの証人であるなら、最初の創造の際には動物は他の動物を捕食することなどせず、互いに平和のうちに生きるように神によって創造されたのだと教えられたことでしょう。そしてアダムの罪によってライオンやヘビが肉食になったのだと信じていることでしょう。ものみの塔出版物の中では動物がすべて草食であったことに関して以下のように説明されています。

*** 目83 1/8 10ページ 自然界すべてが調和するとき ***
動物は何を食べていたのでしょうか。霊感を受けた記録はこう述べています。「地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。あるいは,「今日の英語聖書」の翻訳によれば次のとおりです。「すべての野生動物とすべての鳥のために,わたしは草と葉の茂った植物とを食物として与えた」― 創世記 1:30。

このようにエホバの証人は人間が創造された約6000年前とされる年から、ノアの洪水に至るまですべての動物は草を食べていてと信じています(塔94 2/1 31ページ)。しかし事実はどうなのでしょうか?

人類が誕生する前から肉食動物は肉食であった

最近ドイツで4800万年前の地層からヘビがトカゲを丸呑みしている状態が綺麗に映し出されている化石が発見されました。しかも食べられているトカゲ(写真オレンジの部分)のほうも胃の中に昆虫(緑色の部分)が含まれていました。

「昆虫を食べたトカゲを食べたヘビ」の化石発見(ナショナルジオグラフィックの記事を参照http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/090900338/

このように人類が誕生するずっと前から肉食動物は他の動物を捕食して生きていました。そのことを示す証拠は他にも数多くあります。

”若い地球創造論者”はこの矛盾を解消するため、化石や地層はノアの洪水のときに出来たのだという非常に無理がある主張をします。若い地球創造論者がそのような主張をする理由は、その主張により化石の中に見られる数十億年に及ぶ捕食活動の歴史をアダムの堕落からノアまでの期間に閉じ込めることができるからです。

しかしエホバの証人は生物の歴史がもっと古いものであることを認めます。そして若い地球創造論者とは違い、恐竜が人類が誕生する前か、ノアの洪水時には滅んでいることを認めています(目83 6/8 15ページ)。それにも関わらず肉食恐竜が明らかに捕食活動をしていたことを示す証拠については完全に無視します。

 

記事の終わり

✅ノアの箱舟-要点まとめ

ここでは創世記が示す地球規模の洪水の話が真実であるのか、検証するポイントになる点をQ&Aのかたちで簡潔にまとめます。このページは随時更新する予定です。

地球規模の洪水を否定する証拠にについて

南極やグリーンランドの氷床には洪水の跡がありますか?

いいえ。全くありません。数万年前までさかのぼってもありません。氷床は整然としたかたちで残っており、ノアの洪水の跡として解釈できる余地はありません。参照:地球規模の洪水はなかった-氷床は語る
ノアの時代に気象の激変はなかった

ノアの時代の氷床の年代は正確なのですか?

はい。2000年以上前の火山噴火の跡と照合することができるほど正確なものです。さらに氷の中に含まれる酸素の安定同位体( 18O)の比率を調べることにより8000年前までの年代を客観的にカウントすることもできています。参照:(1)氷床の年代は正確 – 火山噴火の跡と一致(2)氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント

氷床コアの研究をインチキだとするクリスチャンがいるのですが

正確な情報で氷床コアの研究を否定しているクリスチャンは一人もいません。ものみの塔は氷床の研究に関して具体的な言及を避けています。参照:(1)氷床コアはインチキではない(2)地球規模の洪水はなかった-氷床は語る(後半部分)

オーストラリアのコアラは洪水後に中東から移動して住み着いたのですか?

いいえ、それはあり得ません。カンガルーもコアラも他の場所に化石や痕跡を残していません。ものみの塔は「陸橋」をわたってオーストラリアに移ったと述べていますが、全く根拠がありません。コアラはユーカリの葉が大量にないと生きていけませんが、ユーカリ自体が中東にはありませんし、オーストラリア以外には生育していませんでした。創世記は洪水によって最大で1年もの間、大地が海水に浸かっていたことを描写しています。他の生物も含め食物となるタンパク源が根絶した中で今は存在しない陸橋を渡ってオーストラリアにたどり着いたというのはあまりにも無理があります。参照:創世記の筆者はオーストラリア大陸の存在を知らなかった

日本にノアの洪水の水が流れてきましたか?

いいえ。それはあり得ません。その根拠の一つは福井県にある水月湖(すいげつこ)の年縞です。水月湖の底に数千年、数万年の間にたまった堆積物からできる薄い層があり、それを円柱状に掘削すると綺麗な年縞模様が残っており、それによって特定の年代の堆積物を確認することができます。水月湖は多くの条件が整っているため過去7万年にさかのぼって層を確認することができています。何が明確になっているでしょうか?それは過去に何度か地域的な洪水や火山噴火、地震に見舞われた跡があるものの紀元前2370年に世界的な大洪水が起きた跡は何もありません。この点ではドイツのアイフェル地方やベネズエラのカリアコ海盆、イタリアのモンティッキオ、中国の龍湾などで見つかる年縞についても同じです。

参考サイト

水月湖 年縞についての解説
「水月湖 年縞」ハンドブック

 

地球規模の洪水を証明する証拠について

エホバの証人は世界的な洪水を示す考古学者の発掘があると言ってましたが

恐らくその人は「見よ!」の冊子の不正引用にもとづく説明を信じてしまっているからです。古代オリエントでは洪水の物語が神話となって残っています。それはそれらの地域がメソポタミア川の氾濫による洪水を幾度となく経験しているからです。考古学者が発掘したとされる「洪水の跡」は世界的な洪水とは無関係のユーフラテス川氾濫の洪水の跡です。参照:考古学者の「証拠」は不正引用だった

グランドキャニオンはノアの洪水の証拠ですか?

グランドキャニオンは先カンブリア時代からペルム紀までの地層が重なる峡谷のことで、ノアの洪水とは全く関係がありません。現在のロッキー山脈の東側は古代において浅い海が広がっていたエリアで、そこでは海進と海退が繰り返されていました。独特な地理的条件からグランドキャニオン周辺の地層が形成されるに至っています。地層を形成する原因として”洪水”も大いに関係していますが、1200メートルを超える地層の重なりは一度の洪水ではできません。なおグランドキャニオンは17億年から2億4,500万年前までの地質年代を網羅しており、コロラド川の浸食によって峡谷が形成されるにはさらに300万年以上が経過していると考えられています。

エホバの証人はグランドキャニオンのような渓谷が「何日かのうちに生じ」「荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘った(ものみの塔1968年10月15日p613)」と主張します。

しかし以下の写真からわかるようにコロラド川は蛇行するラインをとっており、荒れ狂う激流で掘られたようなものではないことははっきりしています。

参考:(1)日本地質学会Q&A「Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?(2)http://ja.scenic.com/visitor-information/grand-canyon/geology

参照:グランドキャニオンはノアの時代にできたものではない

地層や化石が「何億年もかけて」出来たはずがない、だからノアの洪水が正しい

この手の主張は実際に地質学の専門家が地層や化石の形成についてどのように説明しているのかを知らないために生じる主張です。

地層も化石も通常ではできません。地層は洪水を含め、火山噴火や土砂崩れ、津波など繰り返される災害によって形成されたものがほとんどです。一つの層が”数億年かけて”できたのではありません。1回の洪水や1回の噴火で出来た層もあります。地層の形成に関して”数億年かけて”という表現が使われる場合、グランドキャニオンにような幾層もの地層が”数億年かけて”形成されたと表現とされていたのでしょう。そのような幾層もの地層が出来る場所は氾濫原であった場所か、かつて浅い海であった場所です。化石は”洪水”による溺死体がもとになる場合も多くありますが、微生物のいない沼地や泥炭地で自然な形でできる場合もあります。

参考:「地質学に対する創造論者のよくある攻撃方法」(英文)

ある場所では地層をまたぐ垂直の木の化石が見つかっているそうですが

カナダのジョギンズ化石断崖でそのような化石が見つかっています。その一帯はかつて河口に近い氾濫原であったと考えられています。石炭紀と呼ばれる時代には巨大なシダ植物が生息しており、今では熱帯雨林でしか生息していないような植物や動物の生態系がひろがっていました(古生代の大陸の位置は現在とは大きく異なります)。そのような場所では曲がりくねった川が幾本も流れており洪水でせき止められた水は幾度もルートを変え、結果幾層もの土砂による層を作り上げます。そこで見られる木の化石は石炭紀(3億6700万年前~2億8900万年前)のものでノアの洪水とは関係がありません。

参考:http://jp-keepexploring.canada.travel/things-to-do/exp/joggins-fossil-cliffs-unesco-world-heritage-site#/?galleryItemId=300000028

冷凍マンモスはノアの洪水の証拠だと聞きましたが

シベリアの永久凍土で見つかるマンモスはノアの洪水の話とは無関係です。もし地球規模の洪水で溺死した死体なら一律にその地方の動物が凍って出てくるはずですが、実際にはそうではありません。シベリアは表面に草が生えていても地中が常に凍り付いた状態の地帯が多く、シャーベット状の川辺のぬかるみや氷のような表土のクレバスに落ちるとそのまま凍結して保存されます。マンモス以外にもツンドラ地帯には多くの哺乳類が生存していましたが、ノアの洪水で一律に溺死して急速冷凍された様子はありません。

参照:凍結したマンモスはノアの物語とは無関係

漢字の「船」はノアの箱舟から来ている聞きましたが

ものみの塔出版物にまことしやかに記載されていますが、それは誤りです。実際には「『(エン)』yànは、川が低い所へ流れる様子を表す漢字」であり、「「船」は「沿」と同系で、流れに沿って下るふね」を表しています。そもそも漢字の「八」は他の数字を表す漢字と同じく”数字”を表すための象形ではありません。

船はノアの家族8人の物語から来ているなどと初めて流したのはユダヤ教徒かクリスチャンであると思いますが、単なる願望から出たデマ情報です。

参照:漢字の「船」の語源はノアの物語ではない

その他

今後掲載予定

漢字の「船」の語源はノアの物語ではない

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)は「船という漢字が,「舟の中の8人」という考えに由来している」と述べ、ノアの箱舟物語が本当であることの証拠であるとしています。

*** 洞‐1 328ページ ノアの日の洪水 ***
船という漢字が,「舟の中の8人」という考えに由来しているのは興味深いことです。これは,箱船の中で大洪水を生き残ったノアとその家族の8人に関する聖書の記述と非常によく似ています(ペテ一 3:20)
舟  +  八  +  口(つまり人)    船

しかしこれはデマであり、事実とは異なります。

実際には「『㕣(エン)』yànは、川が低い所へ流れる様子を表す漢字(*1)」であり、「「船」は「沿」と同系で、流れに沿って下るふね(*2)」を表しています。そもそも漢字の「八」は他の数字を表す漢字と同じく”数字”を表すための象形ではありません。他にも四、五、六、七、九といった漢字が他の漢字の部に使われる場合は多々あるものの、それが文字通りに4,5,6,7,9という数字を表すわけではありません。

例えば「切」という漢字には「七」が使われていますが、別に数字の7を表すのではありません。これは四、五、六、七、八、九が漢字の部位に使われる場合も同じです。船の㕣をノアの家族の「8人」を表すなどと主張するのは論外です。

記事の終わり

(*1) http://gogen-allguide.com/hu/fune.html

(*2) http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-5351.html

(*3) http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-b4dc.html

凍結したマンモスはノアの物語とは無関係

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)はシベリアのツンドラで見つかる凍結したマンモスをノアの洪水で溺れたものだとしています。ものみの塔協会の主張は温暖だった地球がノアの洪水がきっかけで急速に寒冷化し、「特に極地地方で,凍りつくような風が伴い」、大洪水で溺れたマンモスが急速に凍結されたというものです。(創 第17章 203ページ 10節)

以下はその説明の中で掲載されている写真です。

上記のマンモスはベレゾフカ マンモス(Beresovka Mammoth)と呼ばれ北シベリアで1901年に発掘されたものです。実際にはこれは頭部を含めかなりの部分が博物館のディスプレイのために復元されたものです(以下のカラー写真参照)。

このようなマンモスは本当にノアの時代の地球規模の洪水で溺れて凍結したものなのでしょうか?答えは「いいえ」です。その理由を以下にあげます。

溺死と急速冷凍では説明がつかない

まず第一に凍結されたマンモスで体の全体が残っているのはごくわずかで、他のケースでは体の一部だけが残り他は部分は腐肉食動物によってすでに食べられているなど、一様ではありません。これは突然の異変で溺死してマンモスの群れ全体が凍結したというストーリーとは違うものを描いています。

さらに体全体が残っているマンモスに関しても永久凍土の雪渓のクレバスに何らかの理由で落ちるなどして凍結したと考えるほうが自然です。実際上記のベレゾフカ マンモスも上腕骨と骨盤が砕けていました。川辺付近の絶壁で凍土の割れ目に落ちて死んだと考えるほうが合理的である状態です。その様子は溺死して急速冷凍したというものではありません(*1)。

さらにシベリアの永久凍土が広がるツンドラにはマンモス以外にもケブカサイ、バイソン、オオツノジカやネコ科の捕食動物など幾つも生息していたにも関わらず、凍結した状態で見つかるものがマンモスばかりであることにも注目できます。マンモスの生態は現存するゾウから判断するなら足を踏み外して体勢が崩れると立て直すのが難しく、他の動物よりシャーベット状の凍土に足を踏み外したり、クレバスに落ちる可能性が高いと考えられます。それに対してより身軽なシカやネコ科の動物は簡単にクレバスに落ちることはありません。これはマンモス以外の身軽な哺乳類が凍結した状態で見つかることがほとんどない事実と一致しています(*3)。もし動物たちが洪水で一斉に溺死したのであればこのようなバラツキが存在することは考えられません。

怪しい情報

”冷凍マンモス”の情報に関しては注意が必要です。それはノアの洪水を証明することに関心があるクリスチャンによって冷凍マンモスに関して確かではない情報が流されている場合があるという点です。例えばかつてはベレゾフカのマンモスに関連して、冒険隊によってマンモスの解凍肉で宴会が開かれたとか、マンモスの口の中に亜熱帯の植物が残っていたとか、いかにも温暖な気候にいたマンモスがノアの洪水によって急激に冷凍されたことを物語るような話が語られていたそうです。しかしこの問題を調査したWilliam R. Farrand (1961)はそれらの話がデマであることを明らかにしました。Farrandはマンモスの胃の中にあった植物を列挙し、それがすべて北極圏に生息する植物であることを示しています(*4)。ですからこの種の話を教会で聞いたりネット上で発見する場合、その出所をきちんと調査することも大切です。

(*1)https://palaeopathologyfiles.wordpress.com/2015/06/28/what-killed-the-berezovka-mammoth/

(*2) https://ncse.com/book/export/html/2842

(*3) 例外としては2015年に発見された絶滅したホラアナライオンの子どものケースがあります。この場合、巣穴が崩れて土に埋もれて死んだものと考えられています。http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/b/102900047/ 他にもケブカサイ(絶滅種)の例があります。

(*4) https://ncse.com/cej/1/2/common-creationist-attacks-geology

創世記の筆者はオーストラリア大陸の存在を知らなかった

聖書に書かれている物語を文字通りの真実と考えると様々な問題に直面します。その一つにオーストラリア大陸とそこに生息する特有の生物の存在があります。

聖書によると今から4400年ほど前に世界的な大洪水が神によって引き起こされ、その際に箱舟の中に集められた動物以外のすべての動物が滅び去ったということになっています。

(創世記 7:19‐23) …水は地に大いにみなぎって、全天下の高い山々がことごとく覆われるようになった。…そのため、地の上を動くすべての肉なるものは、飛ぶ生き物も、家畜も、野獣も、地の上に群れなすすべての群れも、そして人もみな息絶えた。…ただノア、および彼と共に箱船の中にいたものだけがそのまま生き残った。

このノアの洪水物語を真実とみなすのであれば、今から4400年ほど前に中東のどこかに集められた雄雌二匹ずつの動物(あるいは清い動物は七匹)以外の動物が絶滅し、箱舟の扉が開けられてそこから出てきた動物によって現在の世界の生態系が出来上がったということになります。

つまり、現在オーストラリア大陸に生息する大陸特有の生物たちも今から4400年前に箱舟から出てきてオーストラリア大陸に渡って増え広がったということになります。

これにはどんな問題があるでしょうか?生物学者のリチャード・ドーキンスは次のように語ります。

進化の存在証明 – リチャード・ドーキンス 387頁

これらの動物がすべてノアの箱舟から分散していったのなら、動物の地理的な分布はどのようになっていなければならないかを、考えてみてほしい。中心地-ひょっとしたらアララト山-から遠ざかるにつれて、種の多様性が減少していく何らかの法則性が存在するべきではないだろうか。それが私たちの目にしているものではないことは、あえて言う必要もないだろう。
なぜ、これら有袋類のすべて - 小さなフクロマウスからコアラやミミナガバンディクートを経て巨大なカンガルーやディプロトドンに至る幅をもつ - が、有胎盤類はまったくこないのに、アララト山からオーストラリアへ大挙して移住してきたのか?彼らはどのようなルートでやってきたのか?

ノアの時代にカンガルーやコアラが中東に生息していたのでしょうか?あるいは箱舟に乗るためにはるばるオーストラリア大陸から旅をしてきたのでしょうか?そのどちらも可能性は非常に低いと言えます。なぜならカンガルーは他の大陸に渡った形跡はなく、カンガルーの化石もオーストラリア大陸でしか発見されません。オーストラリアでは現在のカンガルーとは姿が異なる3メートルのカンガルーの化石が見つかっています。その他にもオーストラリア固有の生物の化石が幾つもあります。これはオーストラリア大陸が他の大陸から地理的に独立し、長い時間をかけて独特の進化や絶滅を経験し大陸の中で多様な種を生みだしてきたという推論と一致しています。その期間は4000年では足りないのです。

オーストラリアにはコアラやカンガルー以外にも特有の有袋類が生息しています。この写真にあるフクロモグラもその一つです。このモグラはオーストラリア大陸にしか存在しません。フクロモグラがアララト山からオーストラリアに移動する姿を想像してみてください。しかもフクロモグラは目がないようなもので一日の大半を地中で活動します。大陸が分離する前にどれだけのスピードで彼らはオーストラリアを目指して進んだのでしょうか?何か月も海水に浸かった台地で餌になる幼虫や蟻も絶滅した道をオスとメスのつがいが食物のないままオーストラリアにどのようにたどり着いたのでしょうか?

ものみの塔の答え、そして文献の不正な引用

ものみの塔協会はオーストラリアにノアの洪水後にどのようにコアラが「どのように移動して」行ったのか、その答えは「陸橋によってです」と答えています。

ものみの塔1962年p127「読者からの質問」

ものみの塔はスウェーデンの地理雑誌「イメル」でレニー・マイレス博士が「大西洋を横断する陸橋」があったと発表しているので自分たちの主張が正しいと述べています。しかし引用されているニューヨーク・タイムス1956年9月23日にはヨーロッパからグリーンランドまでが湾のようになっていた時代があると主張されているだけで、オーストラリアに陸の橋が渡されていたことをほのめかすような主張は一つも見当たりません。しかもグリーンランドとのつながりも1万年以上前の話とされておりノアの洪水の話とリンクさせられるようなものでもありません。(資料:「ものみの塔協会との手紙のやりとり」英文)

New York Times 1956

答えなくてはならない疑問

コアラはオーストラリア原産のユーカリの葉だけを食するように進化してきました。あるいは「進化」したのではなく、コアラはユーカリだけを食するように神が創造されたと仮定してみましょう。いずれの場合もコアラの極端な食性には変わりはありません。ユーカリの葉はカロリー効率が悪く他の動物は食用にしません。コアラにとってはライバルがいない有利な条件ではあるものの、食物消化とカロリー消費のバランスを合わせるため1日のうち20時間は寝て過ごします。コアラがユーカリの木が茂っていない場所を長距離旅行をすることは考えられません。

ノアはコアラの存在と食性を知っており、1年分のユーカリとオーストラリアまでの移動のためのユーカリを箱舟に集めたのでしょうか?箱舟を出た後、海水に浸かった大地をコアラはどのように大量のユーカリを運びながら移動したのでしょうか?

創世記のノアの箱舟の話を擁護するためにあれこれ答えを探したとしても、屁理屈のようなものしか出てきません。むしろ中東に住んでいた創世記の作者は中東と近隣に生息する動物のことしか念頭になく、コアラやカンガルーの存在を知ることなく箱舟の物語を書いていたと考えるほうが自然です。

記事の終わり

グランドキャニオンはノアの時代にできたものではない

エホバの証人の主張

エホバの証人は紀元前2370年に全地を水で覆う大洪水が起き、ノアの家族と箱舟に入った全種類の動物のつがい以外はすべての動物が滅んだと信じています。そしてグランドキャニオンのような大峡谷も数日のうちに出来たと述べています。彼らがグランドキャニオンの地層全てを含めてすべてがノアの洪水で出来たと信じているかどうかは言及がありませんが、引用されている書籍が「若い地球創造論者」の出版物であることを考えると、大よそ他のプロテスタントの「若い創造論者」と同じことをグランドキャニオンに関しても主張していると考えられます。一例として1968年のものみの塔の説明を見てみましょう。

ものみの塔1968年10月15日p613

「何日かのうちに・・荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘りました。」

 

事実はどうか

すでに「ノアの時代に気象の激変はなかった」の中でも指摘している通り、グランドキャニオンのような1200メートルもある地層と渓谷が「何日かのうちに生じ」、世界中を「巨大な激浪が荒れ狂い」ながら、グリーンランドや南極の氷床に何の痕跡も残さないでいられることはあり得ません。

グランドキャニオンは先カンブリア時代からペルム紀までの地層が重なる峡谷であり、ノアの洪水とは全く関係がありません。現在のロッキー山脈の東側は古代において浅い海が広がっていたエリアで、そこでは海進と海退が繰り返されていました。

図:白亜紀後期のアメリカ 浅い海が広がっていた

参考:http://www2.mcdaniel.edu/Biology/wildamerica/WApinyonpine/ppstrata1.html

このような地理的条件がそろっていたためにグランドキャニオン周辺の独特な地層が形成されています。地層を形成する原因として”洪水”も大いに関係していますが、1200メートルを超える地層の重なりは一度の洪水ではできません。なおグランドキャニオンは17億年から2億4,500万年前までの地質年代を網羅しており、コロラド川の浸食によって峡谷が形成されるにはさらに300万年以上が経過していると考えられています。

エホバの証人はグランドキャニオンのような渓谷が「何日かのうちに生じ」「荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘った(ものみの塔1968年10月15日p613)」と主張します。

しかし以下の写真からわかるようにコロラド川は蛇行するラインをとっており、荒れ狂う激流で出来るような直線的な流れではありません。この情景はむしろ300万年以上の長い年月をかけて川の浸食によって形成されたという科学的な見解と一致しています。もし一度の洪水でグランドキャニオンの地層が出来たのであれば、あらゆる低地で同じような地層が出来上がっているはずです。

地質学では何が明らかになっているか

日本地質学会のQ&Aのコーナーでは以下のような質問と率直な答えが掲載されています。

Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?

A:まったく関係はありません。

ノアの洪水というのは、キリスト教の聖書に出てくる概念で、実際におこった現象ではありません。グランドキャニオンの形成とノアの洪水はまったく関係はありません。

(瀬戸口烈司 京都大学名誉教授)

日本地質学会Q&A「Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?」

参考:http://ja.scenic.com/visitor-information/grand-canyon/geology

 

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「見よ!」のブロシュアーの引用は不正

ものみの塔協会はしばしば”学者”の言葉を不正な仕方で引用します。それはあからさまな「嘘」を伴う場合があります。例えば考古学上の発見で「世界的な大洪水があった」ことが証明されていると読者に信じさせるために「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」と題するブロシュアーの中で 以下のような説明を行っています。

*** 見よ! 7–8ページ 11節 ***
彼らはまた,世界的な大洪水があったことを示す数多くの証拠を発掘しました。聖書によるとその大洪水はいまから4,000年以上の昔,つまりノアの時代に起きました。このことについて,考古学者として広く知られている三笠宮は,「はたして大洪水はほんとうにあったのでしょうか。……近年考古学者の発掘の結果,洪水がじっさいにあったことが,りっぱに証明されました」と述べています。

では考古学者の三笠宮氏は本当に考古学者の発掘によって世界的な大洪水が証明されたと述べていたのでしょうか? 以下は実際の三笠宮氏の著書「帝王と墓と民衆 ― オリエントのあけぼの」からのページのコピーです。

黄色いマーカーの部分が協会が引用している部分です。ピンクのマーカーの部分は前の文章に繋がっており、本来は省いてはならない部分です。しかし協会は意図的に文章を切っています。文章は以下のように続いています。

「すなわち、エウフラテス川の川口に近いウルという町や、シュルッパクという町や、それからキシュという町を地下深く掘ったところ、洪水のために上流から運ばれてきた土砂の層がはっきりと現われたのです。」

明らかに著者はノアの洪水伝説が局所的なユーフラテス川の氾濫に基づいていることを指摘しています。発掘されたのはユーフラテス川の「上流から運ばれてきた土砂」です。さらに文の途中には「(地図Ⅰ参照)」と記載されています。参照されている巻末の地図は局所的な洪水が起きやすいユーフラテス川周辺のメソポタミアの地図です。三笠宮氏はノアの洪水の物語がメソポタミア地方特有の洪水、つまり川の氾濫の話をもとにしていたことを伝えていたのです。

このように 著者の意図や文脈を無視して意図的に不公正な情報を伝える  ものみの塔協会の行為は読者を裏切るものであると言えます。

「見よ!」のブロシュアーについて

この冊子は日本人を伝道の対象として作成されたもので、1970年から20年以上日本における伝道で用いられていた。

多くの日本のエホバの証人がこの冊子に書かれていることを信じて信者となっている。

 

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エホバの証人レッスン