犠牲に関する聖書の記述

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ことの発端は友人現役エホバの証人のゆきこさん(仮名)との会話でした。ソロモン王が捧げたとする特別な犠牲に関する記述。ちょっとその記述は現実的におかしくないですか、という話題がゆきこさんとの間でもりあがりました。それを jwstudy掲示板で書き込んだのがきっかけで、さらに具体的な内容を検証することになりました。

今回はゆきこさんとの会話、そしてその後の調査した内容を「ゆきこさんとの対話」という形にまとめましたので。

 

さて件の特別な犠牲とは?

聖句:歴代第二 7:1~10(新世界訳)
「さて,ソロモンが祈り終えるや,火が天から下って来て,焼燔の捧げ物と犠牲を焼きつくし,エホバの栄光が家に満ちた。(略)そして,王と民は皆,エホバの前に犠牲をささげていた。そこでソロモン王は牛二万二千頭と羊十二万頭の犠牲をささげた。こうして,王とすべての民はまことの神の家を奉献した。そして,祭司たちはその務めの持ち場に立ち,レビ人もエホバへの歌の楽器を持って立っていた。(略)一方イスラエル人はみな立っていた。それから,ソロモンはエホバの家の前にある中庭の真ん中を神聖なものとした。そこで彼は焼燔の捧げ物と,共与の犠牲の脂の部分をささげたからである。ソロモンが造った銅の祭壇では,その焼燔の捧げ物と穀物の捧げ物と脂の部分とを入れることができなかったのである。次いでソロモンはその時,七日間祭りを執り行ない,全イスラエルは彼と共にいたが,ハマトに入るところからエジプトの奔流の谷に至るまでの非常に大いなる会衆であった。それに,八日目には彼らは聖会を執り行なった。祭壇の奉献を七日間執り行ない,祭りを七日間執り行なったからである。そして,第七の月の二十三日に彼は民をその家に去らせたが,エホバがダビデと,ソロモンと,その民イスラエルとに対して行なわれた良いことのために喜びに満ち,心に快く感じながら去って行った。」
列王第一 8:63~66も参照

 

エホバの証人仲間との対話

ゆきこ:

神殿って血生臭くてハエとかもプンプンしてたのかな~?内部も血を振りかけたり・・・。
祭司もいつも血だらけだよね。食べるものは当然血抜きしたわけでしょ?
銅の水盤とかも・・・血でドロドロになるよね。
水洗いするホースもないし、そもそも近くに水源あったの?ソロモンが献堂に際して捧げた動物の数・・・。
祭司が全員で取り掛かって、本当に二週間くらいでできたの?
殺して・・捧げて・・血抜きして・・解体して・・焼いて・・そこらへんに血が飛び散ったよね。
本当だとはとても思えないけど
場面思い描いたら・・・吐き気するよね?
特にソロモンの神殿奉献の時の犠牲・・・すごすぎるわ。

ささら:
一緒にその点を探ってみようよ。まず捧げ物にはどんなものがあったのかを復習しましょ。神から授けられたという律法によると5種類の捧げ物があったわよね。(レビ記1:1~)

  1. 焼燔の捧げ物(全焼の捧げ物)
  2. 穀物の捧げ物
  3. 神との平和のための捧げ物(供与の犠牲)
  4. 罪のための捧げ物
  5. 罪過のための捧げ物

そして、「罪のための犠牲」と「罪過のための犠牲」はどちらも犠牲によって罪が赦されることで、神との関係を回復させるという意味と目的があったわ。
「罪のための犠牲」についてはその罪を犯した者の身分によって取り扱いが違ったのだけれど、「罪過のためのいけにえ」の場合は身分に関係はなく、常に個人の罪に関係があったのよね。
罪のための犠牲には、身分によって差が設けられていたけど覚えてる?

ゆきこ:
そうね。

  • 大祭司の罪
  • イスラエル人全部の罪
  • 王や族長などの罪
  • 一般の個人の罪

こんな風に分けられていて、身分によって捧げる動物や手順が違っていたわね。
ここまで考えただけでも相当大変だっただろうなぁ。
それに記録が本当なら多くの動物が犠牲にされたことになるわね。

ささら:
そういうことになるわね。
ただ、例えば「供与の犠牲」のように「神」と「祭司」と「動物を持参した本人や家族」が一緒にその肉を食べるという取り決めもあったわよね。今でも家畜はわたしたちの貴重なタンパク源になっているし・・。それに、全焼燔の捧げ物以外の犠牲は神殿の業務に携わる祭司やレビ人たちとその家族の生活を支えるために「与える」・・・とも書いてあったわよね。
※全焼燔の捧げ物については、実はすべてを燃やし尽くすものではなかったという解釈をしている方もいます。
ゆきこ:
でも、本当に愛ある取り決めなのかしら?
ささら:
ゆきこさんが「すごいな」と思ったソロモンの神殿奉献の時の犠牲については、破格の数だものね。
ゆきこ:
14日間で牛22,000頭と羊120,000頭という数だもの。
わたしね、テレビでスペインの羊の大移動の番組を見たことがあるの。すごいなって思ったけど、それでも「羊は2,000頭くらい」だって言っていたわ。ソロモンの神殿で犠牲にされた羊は120,000頭・・・わたしが見た羊の60倍でしょ?
現実にはそれほどの家畜を集めて、屠って、解体して、汚物の処理をして、そして焼いて、食べて・・・可能なのかしら?
ささら:
なるほどね。他にもはてなって思ったことある?
ゆきこ:
そうね。そんなに多くの羊とそこに牛たちまで殺したら、神殿には入りきらないだろうなって思うのよ。
ささら:
本当ね。
ちょっと具体的にいろいろな面から考えてみましょうよ。
聖書によると屠られた動物の血はもちろん口にしちゃいけないから、祭司が祭壇に振りかけた分以外の血は地面に流すか、神殿の外の決められた場所に全部捨てなければいけなかったじゃない?
ところで、牛1頭と羊1頭の血液の量って知ってる?
ゆきこ:
えっ、知らないわよ。
ささら:
そりゃ知らないわよね。
犠牲にされる動物は、基本的に雄だったので(供与の犠牲は雄・雌どちらでも良かった)
体重700kgの牛の場合=約40L(当時のイスラエルの牛はそれほど肥えてはいなかったかも)
体重100kgの羊の場合=約6.5~7L
の血液量になるのよ。
だから、全部の血抜きが完璧にできたと仮定すると羊1頭6.5Lで計算しても

2万2千頭の牛=880,000L
14万頭の羊=780,000L
合計1660,000L

これだけ大量の血液が流れ出ることになるのよ。

ゆきこ:
わぁ、思っていたよりすごい量ね。
ささら:
これを小学校のプールの水と比較してみましょうよ。
近くの小学校のプールは25m×12mだから・・・そこに1.2mの水を張った場合の水量は360,000Lになるわ。そうすると、祭りの時屠られた牛や羊の流した血液は、学校のプールの約4.6倍ということになるわね。
ゆきこ:
えっ?そんなに大量の血だったの?どうやって処分したのかしら?
ささら:
いいところに気が付いたわ。聖書に全く疑問を持たずに信じている人は、何らかの方法があったはず・・・と結論づけてしまうけど・・・せっかくゆきこさんが疑問を持ったのだから続けて考えてみましょうよ。
それだけの血の量だと、神殿が血に埋まりそうね。
そうそう、牛や羊から出る骨や皮の問題もあるのよ。
神殿の儀式で生じた汚物は、「神殿領域の外の清められた場所に廃棄」されることになっていたことは覚えてるかしら?
ゆきこ:
そうだったわね。
ささら:
その時の犠牲の数は膨大な量だったので、そのすべての汚物の量と労力、そして場所と時間という問題も生じるわね。
ゆきこ:
実際にはどのくらいのゴミが出たのかしら?
ささら:
そうね、ちょっと面白い資料を見つけたのよ。
体重700kgの牛からどれくらいの肉や骨が取れるのか・・・なんだけど
広島市のホームページによると
肉:310kg
内臓:150kg
骨:50kg
皮:42kg
脂:70kg
が取れるそうなの。
では、牛220,00頭分だったらどうだったのかしら?
これを計算すると、
肉が68,200t
脂15,400t
骨が11,000t
内臓が33,000t
皮が9,240t
になるわ。
脂肪は全部燃やしてしまうことになっていたので除外できるわね。
でも、これだけの量の脂を燃やし尽くすのにも相当の時間や労力がかかりそうだけどね。
内臓も、腎臓はエホバの分だったのでやはり焼いて灰にすることになっていたわ。
そうね、ここで仮に捨てる部分を骨だけ・・・と限定して考えてみるわね。
あら、それでも11,000tを神殿の外の処分場に持っていかなければならなかったことになるわ。
この大量の骨を大型トラックで運んだら何台分だろうって計算してみると面白いわね。
ゆきこ:
やってみるわ。・・・8tトラックで1,375台分になるわよ。
ものすごい量になるわね。
トラックもトレーラーやショベルカーもない時代どうやったのかしら?
ささら:
そうね、かなり難題だと言えるわね。
しかも、これは22,000頭の牛の分だけの計算だったわね。
120,000頭の羊は計算に入れてないのよ。
それから、もうひとつ面白い計算をしてみましょう。
1頭の牛から310kgの肉が取れることがわかったから、
それじゃ1人200gずつ分けたら何人が食べられるかしらっていう計算よ。
ゆきこ:
え~と、310kgは310,000gだから、それ割る200gで・・・1頭で1,550人分だわ。
ささら:
では22,000頭分のお肉では何人分かしら?
ゆきこ:
22,000かける1,550ね。あら~!・・・34,100,000人分になったわ。
本当かしら?
あらあら、当時のイスラエル人ってこんなにたくさんいないわよね。
どういうこと?
しかも、他に羊120,000頭分が残っているのに・・・。
ささら:
ここまで考えてみて、ゆきこさんは14日間でそれだけの動物の処理が可能だったと思う?
ゆきこ:
他に12万頭以上の羊も屠らなきゃならなかったし・・・。
とても多くの人がいて・・・相当広い範囲でそれぞれがやればできたかも知れないわね。
あ、でも、捧げ物は神殿で屠らなければならなかったのよね。
ささら:
そうなの。
それらの犠牲は神殿の限られた面積の中で屠られる必要があったのよ。
それで聖書には「ソロモンはエホバの家の前にある中庭の真ん中を神聖なものとした。そこで彼は焼燔の捧げ物と,共与の犠牲の脂の部分をささげたからである。ソロモンが造った銅の祭壇では,その焼燔の捧げ物と穀物の捧げ物と脂の部分とを入れることができなかったのである。」とも書かれているのよ。
そこで神殿の敷地や神殿のサイズが問題になるわね。
ゆきこ:
神殿の敷地ってそんなに広かった?
ささら:
実はね「エホバの家の前にある中庭の真ん中」と言っても、そんなに広い場所ではなかったのね。
イエスの時代のヘロデの神殿はもっと広かったみたいだけど、ソロモンの時代、神殿そのものは奥行きが約30m弱、神殿が建てられていた敷地全体でも、普通の野球場くらいの広さだったみたいよ。
ゆきこ:
わたしがテレビで見たスペインの羊の移動は、町の道路全体を埋め尽くしても2,000頭くらいだったわ。それを考えたら神殿に14万頭以上の牛と羊を運び込むのは無理よ。
ささら:
それに別の問題もあるのよ。
聖書によると、その祭りでは焼燔の捧げ物と供与の捧げ物との両方が捧げられたことになっているの。それぞれの犠牲がどのくらい捧げられたかは書かれてないけれど、聖書には
「ソロモンが祈り終えるや,火が天から下って来て,焼燔の捧げ物と犠牲を焼きつくし,エホバの栄光が家に満ちた。」と書かれているので、これだけが焼燔の捧げ物であったと考えるなら、他のすべては供与の犠牲・・・神との平和のための犠牲ということになるわね。
そうすると、供与の犠牲は誰が準備したのかという疑問もでてくるわね。
ゆきこ:
その捧げ物って神との平和を願って犠牲を捧げる人が持ち込むことになっていたわね。
ささら:
そうなの。ところがね、その時召集されたのは列王Ⅰ18章によると
「年長者たちと,部族のすべての頭たち,父たちの長たち」ということになっているの。もちろん彼らが牛や羊を連れてエルサレムに上ったと解釈することはできるわね。
でも、そうなるとまた別の問題が生じるわ。
ゆきこ:
そうね、供与の犠牲はその家族も一緒に食べることになっていたわ。
その家族たちはその時どこにいたのかしら。
それに全部の家族たちに14日間で食べてもらえるとも思えないわ。
そのころのイスラエルって何人くらいでしたっけ?
ささら:
そうね、そのころのイスラエルの人口は本当のところはわからないみたい。でも、聖書にはソロモンの父親が人口調査をした結果が書いてあるわよ。
「ヨアブは民の登録者数をダビデに伝えた。全イスラエルは剣を抜く者が110万人,ユダは剣を抜く者が47万人となった。」(歴代Ⅰ 21:5)
「ヨアブは民の登録者数を王に伝えた。イスラエルは剣を抜く勇敢な者が80万となり,ユダの者たちは50万人であった。」(サムエルⅡ 24:9)
この数字には、レビ族とベニヤミン族の人数は含まれていないらしいの。
仮に成人男性だけで130万人いたとすると、イスラエル全体ではその数倍はいたことになるわね。
ゆきこ:
あら、人数に矛盾があるわ。こんな風に数が違う記録があっちとこっちにあったら、本当はどっちなのかわからないわね。
ささら:
本当にそう。
でも、今はこの数の人々が本当に犠牲の食物に与かれたのかどうかを考えてみましょうよ。
最初に挙げた歴代Ⅱの記述によると「全イスラエルは彼と共にいたが,ハマトに入るところからエジプトの奔流の谷に至るまでの非常に大いなる会衆であった。」とあるのね。
このハマトからエジプトの奔流の谷までは直線距離で約450~500kmあるのよ。
それを踏まえて次のことを考えてみましょう。
おさらいになるけど、供与の犠牲というの、犠牲を捧げたい人が持参して屠り、神に捧げる分と祭司の取り分と、そして犠牲を持参した家族が幕屋の回りに仮小屋を建てて、そこで食事をすることになっていたでしょ。でも、神殿ができてからは(既に幕屋の中のものは運ばれていたし)
神殿の回りに作られた「食堂」と呼ばれるコーナーで食べることになっていたのよ。
ゆきこ:
そうすると、家族たちは長旅をして神殿まで辿りつかないと捧げ物の食事を食べることができなかったわけね?
ささら:
そういうことになるわ。そんな記述は全く見当たらないけど・・。
ゆきこ:
でも、本当に犠牲の動物を持参した家族たちが次々に神殿に入って律法通りに動物を屠って、ゴミの処理もして・・・14日間では無理よ、絶対!
エホバがご親切にも、屠られた捧げ物を各地に送り届けてそれぞれの家族が食べられるようにしたとは考えられないの?
ささら:
そうね。そうすれば少し親切かもしれないわね。
ところが、犠牲にされた動物は当日と次の日のうちに食べなければならなかったのよ。
レビ7:16~21やレビ19:5~8には
「~もし自分の共与の犠牲の肉を三日目にも食べるようなことがあれば,それをささげた者は是認をもって受け入れられることはない。それはその人のものとはみなされない。それは汚らわしいものとなる。それを食べる魂は自分のとがに対する責めを負う。」と書かれているの。
ここでまた別の問題が生じたわね。
ゆきこ:
エルサレムの神殿で屠った犠牲は、次の日までしか食べることができなかったのね。
それじゃ遠い場所の家族は100kmも200kmも離れていたから・・・そうね、仮に神殿の回りに集まって来て・・赤ちゃんや老人の体力の問題もあるし・・・やっぱり無理だわ↓。
・・・・・・・・
え~と、神殿やエルサレムに集まった人々は代表者だけだし、犠牲は供与の犠牲だから捧げる人と家族には食べる権利があるけどイスラエルの人々全員が神殿で食べるには神殿は狭い、時間も限られている、保存方法もないから持って帰ることもできない・・・。
しかも、食べきれないほどの・・絶対食べきれない大量の肉。
ささら:
そう、権利があるというより神と祭司と民が一緒に食べないのであれば「平和のための犠牲・供与の犠牲」とは言えないわけね。
ゆきこ:
動物の数が多いだけじゃないのね。多ければ、それに伴ってたくさんの問題を解決しなければならないし・・・本当はどうだったのかしら?
聖書は本当にあったことしか書かれていないと思っていたけど、こんな落とし穴があったなんてね。
ささら:
聖書に書かれていることを鵜呑みにしないで、今日考えてみたようにいろいろな面から予想したり計算したりしたら、そのうち答えが出るかもしれないわよ。

例えば、牛や羊の血が祭司や屠った人たちに付着するし、流れ出た動物の血はもちろん洗い流さないとこびり付いて大変なことになるわね。銅の海は彼らを清めるためにあったけど、そんなもので足りるのか。洗い流す水はどうしたのだろう。どのくらいの水が必要だろう。では現実にその水は確保できたのだろうか・・・などを調べることもできるわね。

ゆきこ:
今日はありがとう。聖書も神も信仰も素晴らしいものだと思ってきたけど・・・、本当の意味で聖書を調べる必要があるのかも知れない・・・。

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