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第1部 その話は本当でしょうか?
第2部 つまづきの理由

あなたが当時エホバの証人であったなら、どのように感じ、どのように行動していたかということを考えてみてください。「イエスが『その日と時刻については誰も知りません』と述べているのだから、組織が何を言っても振り回されなかった」と言われるでしょうか。そうかもしれません。ただそのような態度をしていたら当時どれだけ肩身の狭い思いをしながら過ごしていたかも考えてみてください。その時のエホバの証人向けの刊行物である「王国宣教」は全時間宣教奉仕に入るようにと強く呼びかけ、次のように述べました。

わたしたちの王国宣教 1968年3月号
残された時間は短いのですから、状況の許す限りこれを行ないたいと思います。兄弟たち、考えてみてください、地上における人類の存在六千年が完結するまでにあと九十ヵ月ほどしかないのです

この文面を見て、あなたならイエスの『その日と時刻については誰も知りません』という言葉を思い起こし、特定の年代を予想することの愚かさについて考えますか?ではその同じ年に発行されたものみの塔をご覧ください。

ものみの塔 1968年11月15日 692頁
絶対に確実なことが一つあります。それは、聖書預言の成就によってさらに強力な裏付けを得た、聖書の年代表によれば、人類生存の六千年間がまもなく、そうです、この世代のうちに終わるということです!(マタイ、二四ノ三四)ゆえに今は、無関心でいたり、満足感にひたったりすべき時ではありません。「その日その時を知る者なし、天の使たちも知らず、ただ父のみ知り給ふ」と言われたイエスの言葉をもてあそぶ時でもありません(マタイ、二四ノ三六)それどころか、今は、現在の事物の制度の悲惨な終わりが足ばやに迫っている事実に十分目ざめるべき時です。まちがわないでください。天の御父ご自身は「その日その時」のいずれをも知っておられますが、それで十分なのです!

つまり、マタイ24章36節の「その日と時刻については誰も知りません」という言葉によって、1975年という間近に迫った終わりを否定するようなことはイエスの言葉をもてあそぶ行為であると言われてしまうのです。

仲間たちはどのように反応したでしょうか。組織から語られる言葉は「時に応じた」ものであり、今回エホバが組織を通して語っておられるメッセージは明確です。「あと九十ヵ月ほどしかない」残された時間をどのように過ごすべきでしょうか?あなたは周りの仲間たちがどのように反応しているか身近で見ることになります。そして「王国宣教」の報告で世界中の仲間がどのようにこたえ応じているかも知らされます。

家や資産を売って、開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが、確かにそれは、邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。 – 王国宣教1974年5月号

なぜ家や資産を売るのでしょうか?それはそうしないと仕事と経済状態からして「開拓奉仕」に入ることが出来ない人たちもいたからです。そして彼らに待ち受けていたものは何だったでしょうか?それは深い失意と無一文になった自分、そして組織から「間違った考えに従って生活の計画を立てた人(塔76 10/15 632)」と呼ばれる冷たい言葉だったのです。

思慮深い奴隷

あなたは組織の励ましに忠実に従った人たち、あるいは冷静にイエスの言葉に注意を払った人たち、どちらのグループにいたとしても、次の事を考えさせられることになったでしょう。「キリストは本当にこの組織を忠実で思慮深い奴隷として、すべての持ち物をゆだねるよう任命したのだろうか?」

マタイ24:45の「思慮深い奴隷」あるいは「賢い僕」がグループとして存在するなら、そのトップにいる人たちには知性というものが期待されます。1975年当時の組織は今にいたるまでに「精錬された」でしょうか?確かに特定の年に注目するということは1975年以降はなくなっています。そして1975年という年について語られることはなくなりました。しかし変わっていない部分もあります。一つの例からその「変わっていない部分」について説明したいと思います。

変わっていない部分

1975年の根拠は次のようなものでした。つまり、アダムが創造された年から1975年はちょうど6000年の年に相当する、そしてキリストの千年統治はその時から始まり「創造の第七日」の7000年が完結するというものです。1975年が過ぎました。組織はこの教えを完全に間違いでしたと認めることもできました。しかし組織の出した結論はこうです。

*** 塔76 10/15 629ページ 時について平衡の取れた見方を保つ ***
では以上のことは何を意味するでしょうか。それはこういうことに過ぎません。そうした要素や,またそれらの要素から生まれ得る幾つかの可能性がある以上,アダムの創造から最初の女の創造までにどれほどの時が経過したかを,はっきり言うことはできない,ということです。それが一か月,数か月か,または一年といった短い期間であったのか,あるいはもっと長い期間であったのか,わたしたちには分かりません。しかし,それがどれほどの期間であったにせよ,神の第七「日」,すなわち神の大安息日が始まってからどれほどの時がたっているかを知るには,その期間を,アダムの創造以後経過した時間に加えなければなりません。そういうわけで,人間が存在し始めてから6,000年たったということと,神の七番目の創造の「日」が始まってから6,000年たつということは,全く別の問題なのです。そしてこの点に関してはわたしたちは,自分たちが時の流れをどこまで下っているか知りません。

組織の出した結論は要するに「我々の言っていた理解は正しかった。しかし『創造の第七日』が始まったのはアダムが創造された時ではなく、エバが創造されてからなので、終わりが来るまでもう少し時間がかかってもおかしくない」ということです。

こうした考えは1990年の『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』の本の286‐287ページでも繰り返されており、現在でも訂正されていません。つまりアダムが創造されてからエバが創造されるまでの時間差が1975年から終わりが来るまでの時間差であり、それは人類には知らされていないということです。

ここで問題にしたいのは、そのような論理で自分たちの根本的な間違いを認める時を延期したという点ではありません。むしろ致命的な間違いに気がつかない組織の指導者たちの知性のほうが気になります。次のような事実になぜ注目することができないのでしょうか?

  • 聖書によるとアダムとエバが創造されたときに「み使いたち」もそれを見ていたことが示されています。(創世記 1:26,27;ヨブ記 38:7)
  • キリストは「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と述べました。(マタイ 24:36)

キリストも「み使いたち」も、エバが創造されてからどれだけの年月が経過したかということを忘れてしまったということなのでしょうか?あるいはキリストでさえ知り得なかった「真理」を自分たちが解明したということを主張したいのでしょうか?いずれにしても、もしエバが創造されて『創造の第七日』が宣言されてから6000年が経過した時に終わりが到来するということであれば、聖書が悪魔サタンと呼ぶ者もハルマゲドンがいつ到来するかを知っているということになるのです。悪魔サタンは「口止め」でもされているのでしょうか?

わたしは、このような事実に気がつかない、あるいは気がついても無視している組織の知性に大きな疑問を感じます。本当に1975年以降には精錬されてきたのでしょうか?2010年の4月15日号のものみの塔誌を見る限り、統治体の知性は何も進歩していないのではないかと感じます。

*** 塔10 4/15 7ページ 2節 エホバの目的が遂げられてゆく過程での聖霊の役割 ***「この世代」がどれほどの年月に及ぶのか厳密に算定することはできませんが,「世代」という表現について幾つかの事柄を念頭に置くのは賢明なことです。この語は普通,ある特定の時代に生涯が重なる様々な年齢層の人々を指し,その世代は極端に長いものではなく,必ず終わりを迎えます。(出 1:6)では,「この世代」についてのイエスの言葉をどのように理解すべきでしょうか。それは,しるしが1914年に明らかになり始める時に生きている油そそがれた者たちの生涯と,大患難の始まりを見る油そそがれた者たちの生涯とが重なる,という意味であったようです。

この記事では1914年のグループと大患難の始まりを見るグループの二つの重なる世代のうちに、つまり2世代のうちに終わりが到来すると言うのです。神が明らかにされる真理を語る際に、何の明確な根拠もなく”2世代のうちに終わりが到来する”などと言えてしまう、その知性と精神に誰も疑問を感じる人はいないのでしょうか?何よりも統治体の中で疑問に思い意見する人はいないのでしょうか?

 

記事の終わり