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#751 2018年07月10日 19:25:22

山のアザミ
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん
悩ませる蚊についてご報告したいことあります。
  私は50キロ離れた実家の、今は無人なので
私が何度か庭の手入れに行きます。この時期、1ヶ月放置すると、広大な庭は特に裏庭は文字通りジャングルになってしまいますから。草むらの蚊、蜂、ダニから身体を守るため、この暑さでも長袖の完全防備で草刈りをします。
しかし、衣服の上からも蚊は容赦なく襲いかかり、汗かいた顔にも…1時間程で身体中30ヶ所程ヶ刺さされ、この時期の作業は嫌になります。
ですから、害虫がいなければどんなに仕事がはかどるかと思うと、蚊などに対して憎しみが湧くのです。昨年と同じ種類の蜂に腕をさされ、まるで腕が丸太ん棒の様になり、緊急外来へ飛んで行ったり、と。
そんな経験ばかりですから、特に蚊が、世界からいなければ楽なのに、と思ってしまう訳なんです。
今日はこんな、どうでもいいお話ですみません。

#752 2018年07月11日 16:02:05

山のアザミ
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

広大な大自然の中にあって
人間は何て無力な生き物なんでしょう。…
優れた科学者が多くの複雑で便利な道具を発明し、あらゆる物を創りだし、また、宇宙へ飛び立つ方法まで編み出した知能を持つ人間は、この地上にあっては自然の驚異には抵抗出来ず、されるがままになってしまうことを、T.Vに映し出される西日本の豪雨による河の氾濫がそれを如実に物語っています。
多くの人々が築きあげた大切な家を跡形無く流され、多くの方々が亡くなられました。
どんなにお辛いことでしょう、言葉もありません。自分がその立場だったら、と、想像を絶します。お気の毒で仕方ありません。
ある地区の河の氾濫による膨大な被害は、本流が支流に逆流して町に流れ込んだようです。以前もその合流点での氾濫あり、下方向に合流点を移す工事が9月に予定されてたそうですが。どうして、雨期のこの時期前に工事が出来なかったのでしょうか!悔やまれます。
少しの手違いで、生死が決められるなんて悲しいです。
恐ろしい、悲しい事件が連日報道されます。
私は、2001年のニューヨークの同時多発テロを思い出しました。9.11です。
この時代に私が所属していた会衆に新婚のご夫婦がいました。姉妹は30歳位。彼らは、家にT.Vを置かない方針でした。世の事柄を見聴きすることは避けたいのが理由とか。それであの恐ろしいテロが起きた時、姉妹は私に「爆撃うけてビルはどんな感じで崩れたんでしょうね」と、平然とした顔で聞いて来ました。私はゾッとし、言葉がありませんでした。他人の苦しみに無関心でいられるということ。この人達が世の人を愛すると言いながら、伝道活動してるというのです。その方、長老の妻でした。アナログ生活を決め、いわゆる世から離れるとは世の動向に目を閉じなさいということを、ものみの塔協会は教えていましたか?
人々に嘘をばら撒き、恐怖心を煽り、誤導してるエホバの証人の皆さん!あなた方こそ「目覚めよ!」と言いたいです!!

#753 2018年07月12日 13:18:12

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

蚊に刺されてうれしい人はほとんどいないと思います。
しかし、蚊にとっていちばん恐ろしいのは人間でしょう。
蚊の立場からすれば、生き延びるために人間の血を吸おうと
人間の肌に飛び移るわけですが、うまく吸い込んで逃げきれず、
叩き潰されて絶命するかもしれないのです。
まさに命がけの生活だと思います。

余談ですが、JWをやめてから気付いたことです。
たぶん、生き物の中でいちばん恐ろしいのは人間だと思うようになりました。
なぜなら、人間はどのような生き物でも食べてしまうからです。
食べられない動物はいないような気がします。
ほかの動物だって自分以外の動物を食べますから、
人間が動物を食べることはまあいいとします。
でも、恐ろしいのは必要以上を欲しがることです。
楽しみのために殺すことだってあります。
あるいは将来のことを考えて余分に殺し、ためこもうともします。
ときどき魚河岸の映像をテレビなどで見るのですが、
あんなにたくさんのマグロを海からとってきても
いいのかなあなんて思うこともあります。

最近もエデンの物語という本で、
神は善良であると信じられるのだが、
世界で生じていることは、その善良さに反するように思われるので、
どのように生じていることの調和をはかることができるのか、
というような内容を読んだと思います。
正確な説明ではありませんが…。

だから、神の善良さと神の残酷さが同居しているように思うのです。

以前週刊誌で食用動物の屠殺に携わっている人が、
蚊も殺さないと述べていたことを知りました。
たぶん、命が貴重で大事なことがよくわかっているのでしょう。

そのようなわけで、現在の状況は神が存在し、
神が創造されたとするなら、創造された当初の状態や
あるべき状況からかけ離れてしまったのだろうと
わたしは考えるようになっているのです。

オフライン

#754 2018年07月12日 22:39:52

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

食肉業者の凄惨な屠殺現場の映像を見てショックを受けた人の中には、肉だけでなく、卵や乳製品、はちみつまでも食べないヴィーガン(絶対菜食主義者)になる人が増えているようですね。

youtubeなどでそういう動画を見たことがありますが、本当に目を覆いたくなります。
私は、肉より魚貝類のほうが好きなのですが、魚もやはり殺される時は恐怖や痛みを感じるのでしょうか。
それを考えると心が痛むのですが、非常に難しい問題です。

野良猫も人間に飼われて寵愛を受けるようになると、本来の獣性を潜め、やがて家族の一員になります。
ということは、動物は人間次第で変わるという可能性を持っていることになります。

「すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。」(創世記9:3)

仲間や家族になるかもしれない動物を、食べてもいいよという聖書の神。
意外と冷たいですよね。

#755 2018年07月13日 03:40:55

山のアザミ
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

三太郎さん
余談…私は真夜中に一度目が覚めるのでこんな時間に書いています。変に思われないよう一言お伝えしておきたかったので。
私もその問題で考え込んだ事何回もあります。
聖書の箴言、伝道の書を読むと、これほどの極められた言葉を考え出せるのは神しかいない、と聖書は真の神の言葉に違いない!と思う一方、イエスの生まれる以前は罪の贖罪として多くの動物を殺して捧げることを命じていました。私はそれをずっと疑問に感じていたのです。動物も神が創造した物だから殺すのも神の勝手というのが嫌でした。
  田舎の実家住まいの時は、犬も猫もいつも私と一緒でした。今、同居者は猫ちゃんだけになりましたが。テレビ見たり、呼ぶと返事したり、ある程度人と同じ感覚を持っています。
で他の、牛も豚も他の動物も出産して生活してるのに殺されるのは真意として、辛いです。
魚に関しては、イエスが奇跡で大量の魚を人々に食糧として提供した記述がありますよね。人間への食物として与えたものと考えていいかな、と。しかし、何かの本で、エビも痛みを感じるので、調理する時は素早くすべき、とありました。ですから、高級料理と称しての活け造りは私も反対です。ピクピク動いている切り身を食する残酷さは誰の発想なのでしょう!調理してからの魚を私も好きで食べますけど。
造られた人間として、計り知れない疑問沢山有ります。……

#756 2018年07月13日 07:43:40

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

食肉の話、興味深いですね。

ワーホリを絡めてニュージーランドに数ヶ月、ホームステイしに行ってた姉妹が泊まっていたのがJWのヒツジ農家でした。

ステイ中に子羊の出産に立ち会い、そのコがベッドにまで潜り込んでくる感動を味わい、帰国した後、メールのやり取りで「ねぇねぇ、あのコ大きくなった?」と訊くと、「……食べたよ」と返信があり、ショック。

肉食文化の感覚はスゲーな、思ったそうです (笑)。
もちろん個人差はあるでしょうが。

#757 2018年07月13日 18:35:47

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

三太郎 さんの発言:

私は、肉より魚貝類のほうが好きなのですが、
魚もやはり殺される時は恐怖や痛みを感じるのでしょうか。
それを考えると心が痛むのですが、非常に難しい問題です。
野良猫も人間に飼われて寵愛を受けるようになると、
本来の獣性を潜め、やがて家族の一員になります。
ということは、
動物は人間次第で変わるという可能性を持っていることになります。

魚が痛みを感じるかどうかは長いこと疑問に感じていました。
そうしたところ偶然にも
「魚は痛みを感じるのか?」という本が目に飛び込んできたのです。
即決で購入してしまいました。6年前のことです。
学術的な実験と調査の結果が記述されています。
魚が痛みを感じることができるという結果なのですが、
興味ある方はお読みになってください。
紀伊國屋書店発行です。

わたしの住居の敷地に二匹野良猫が住み着いています。
えさをやっていた家主が施設暮らしになって、
地域の人たちがえさをやっているのです。
わたしは鳥のささみ肉を毎日フライパンで焼き、
ほぐして猫たちにやっています。
二匹とも歯が悪くなってきたようで
生肉は噛みきれません。

動物も他の動物の肉を食べるのですから、
現在のところたんぱく源として
人間が動物の肉を食することはどうしても必要だと思うのですが、
いかがなものでしょうか。

聖書には動物を食べてもいいと書いていますが、
律法などでは親切に扱うよう述べられていますので、
人間の扱い方次第で残酷にもなるのだろうと思います…。

もちろん、魚も同じだと思いますよ…。

オフライン

#758 2018年07月13日 23:23:04

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、私も偉そうなこと言ってますが、実はいつもの飲み屋にいけば、その日のオススメ品のボードにある刺身などを毎度注文して食べています。

そうですか。魚も痛みを感じるんですね。
しかし、肉や魚は直接食べなくても、加工品や調味料に何らかの形で含まれています。
今のところ全く避けることも難しいし、刺身や干物が食べられなくなると正直つらいものがあります。(^^;

ヴィーガンと呼ばれる絶対菜食主義者たちは、人間は動物性のものを摂らなくても十分生きていけると主張しています。
そのあたりは専門家に聞かないとわからないのですが、一日青汁一杯だけで10年以上も生きている人もいます。それどころか、世界には不食で何十年も生きている人もいるようです。
ただ、犬や猫の場合はどんなに訓練しても、穀物や野菜だけで生きていけるとは思えません。
JW解釈によれば、ライオンなどの獰猛な動物も大洪水前は草食であったとしていますが、これは論外でしょうね。
誰かに興味深い投稿をお願いしたいです。

近所に森林公園があって、週末はそこに住みついている猫に私も餌をあげています。
よく野良猫にエサを与えてはダメだとか言いますが、勝手に捨てておいて何を言ってるんだという感じで、そんなのは無視ですね。悪いですが。
公園の猫の一匹は自分のことを覚えてくれて、ストレッチをやっているとニャーニャー言いながら近づいてきます。
餌をあげて食べ終えると、さっさとどこかへ行ってしまいます。昨年の冬はダンボール箱で防水仕様のネコハウスも作ってやりました。見に行ったら他の猫が入ってました。(笑)

#759 2018年07月14日 13:17:34

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

鬼太郎 さんの発言:

御心症候群から解放される ですか、、、楽しみにしています

「御心症候群から解放される」です。
#726の続きになります。
JW流に表現するなら「エホバのご意志症候群」だろうと思います。
もっとも、その昔文語体聖書を使っていたころは
「御心」ということばも使用されていました。
念のため「みこころ」と読みます。
JW時代なんど祈っても神からの返事がなくて当惑したものです。
焦りさえするのですが…。
この解説を読んでいるとJWでないキリスト教世界の人たちも
祈りに答えてもらえないのは同じなんだと、
なんだかおかしくなったような気がしました。
参考に読んでみてください…。
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7gYpvOe4vqjLyqOV4GQ

オフライン

#760 2018年07月14日 17:38:01

iris
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん、みなさま、こんにちは。

その昔、進路に悩んで修道院のお聖堂に籠っていたとき、シスターから「神さまにも先のことはわからない」と言われたことがあります。
そりゃそうでしょうが、そんなホントのことはっきり言っちゃいます?と思ったのを覚えています。

悩んで悩んで、自分なりに「これでよし」と腹が決まったときが、信者にとっての「神からの答え」だと思います。自分自身が心から納得できることが大切で、まわりからどう見られるかは二の次ですよね。自分の人生ですから。

オフライン

#761 2018年07月16日 11:52:58

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

山のアザミさんが投稿の中で、贖罪のための動物の犠牲について嫌悪感を述べていましたが、私も同じで、何も知らない動物にしてみれば迷惑千万以外の何物でもないと思います。

JW時代、この残酷な儀式について、周りの兄弟姉妹たちはあまりどうこう言うようなことはなかったと記憶しています。自然の情愛より聖書の記述を優先するJWは、残酷性があっても、それも仕方なしと短絡的に受け入れていたのでしょう。でも、山のアザミさんのように疑問を持たれていた方も結構いたのではないかと思います。

神への供儀として生きた動物を供える、いわゆる生贄(いけにえ)という儀式は、古代イスラエルだけに見られるものではなく、先史時代から世界中で行われてきました。それは動物だけではなく人間もその対象であり、メキシコ中央部に栄えたアステカの人身御供などはあまりにも有名です。日本でも雨乞いのために牛馬を生贄にしたという記録が日本書紀の中にあり、河川氾濫を抑えるために人柱を立てたという伝説が各地にあります。

旧約聖書の生贄は贖罪のため、つまり罪の赦しを得て神との良好な関係を保つという目的がありますが、世界中に見られる生贄の多くは、贖罪というよりは人間を超越した存在への願い、またその存在の怒りを鎮めることによって、豊穣や子孫繁栄、共同体や国家の安泰などの恩恵を受けようとするものであるようです。

それにしても、神をなだめて恩恵を受けるための供物として、何故生きた動物や人間を選んだのでしょうか。

それは「最も価値のあるものでなければならなかった」ということです。
天災などの抗うことのできない強大な大自然の力を鎮めるためには、最も大切で最高のものを差し出さなければなりませんでした。生活の糧の全てを大自然の営みに依存するしかなかった彼らにとって、安定や安心というかけがえのない対価を得るためには、余剰のものではなく、その時点での最高のものを捧げる必要がありました。

生贄の多くは、首を切って血を滴らせたり、胸を切り開いて心臓を取り出すなど、血なまぐさい儀式が圧倒的に多いこという共通点があることから、古代の人間は、間違いなく植物よりも血の通った動物の方を重要視し、血を特別なもの、神聖なものと捉えていたと考えられます。究極は人間の血ということになるのでしょう。

そう考えると、同じ労働力の産物でも、カインが神に捧げた農産物は、アベルの肥えた羊の初子と比べると明らかに数段劣るものであったということになります。
私は、これでやっと長年の謎が解けたという思いでした。
カインは決して悪い人などではなく、当時の慣習によって、捧げ物のレベルで差別されました。(その後ブチ切れてしまったのは良くなかった...)
ですから「神は両者の捧げ物より人間性を見抜いていた」などという解釈は、まさに現代人の発想なのです。

そして驚くべきは、生贄の慣習は発祥地があって伝播したものではなく、世界各地で自然発生的に興っているということです。ここに先史時代の人間の共通の本性や観念を窺い知ることができます。

結論を言わせてもらうと、生贄の儀式は、神もしくは万象を司る存在が命令したものなどではなく、抗うことのできない厳しい自然の中で生きる、人間の自発的で本能的な行為に他なりません。
現代のような知識の無かった先史時代の原初の観念によるものであり、旧約聖書の贖いの儀式はこれを引き継いでいるものとみてよいと思います。

時を重ねるにつれ人々は、動物や人間の犠牲を捧げても何の効果もないことに徐々に気付いていきます。
そして科学がそれにピリオドを打ちました。この点においては、悪しき慣習から解放した科学の功績は本当に大きいと思います。(発展途上国では未だにやっている国もあり、一部の新興宗教でも見られる。キリスト教圏ではイエスの贖いの犠牲によって贖罪は完結したことになっている)

ついでに言わせてもらうと、殉葬や殉死も、もはや現代人には受け入れられないものです。
殉葬や殉死は、犠牲とは意味合いが異なりますが、「死ぬ必要がないのに死ななければならない」という点では似たようなものです。

特に日本の江戸時代初期の殉死はひどい。当時は主君が死んでも後を追わない者は、臆病者と見られる風潮がありました。
例えば、伊達政宗が死んで追腹をした家臣が15名。更に殉死した家臣の臣下の追腹が5名。計20名が殉死しています。この慣習でどれだけの有能な人材が消えていったことか。殉死は国の大損失です。(後に幕府は殉死禁止令を出した)

贖いの儀式も、殉葬や殉死も、損失しか残りません。

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