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#251 2018年06月12日 21:44:47

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん こんばんは

子供にとっては、お父さんがいてお母さんもいるというのが自然な姿だと思います。
聖母マリア崇敬への流れは、バランスが取れていて、ある意味正常かもしれませんね。

日本の場合だと、国産みの神であるイザナギ、イザナミを差し置いて、天照大神(女神とされる)が最高位の神であり皇祖神でもあるわけですが、例えば伊勢神宮にお参りに行って、天照大神を母親として慕う日本人はほとんどいないと思います。もっとも天照大神は太陽を神格化した神ですから、女神というよりはそっちの認識のほうが強いのかもしれませんね。

しかしよくよく考えてみると、日本人は神を父親、もしくは母親に準えるということをあまりしないような気がします。
やはり、八百万の神といわれるように、万物や万象を神格化して畏怖・畏敬の念を抱くのが日本人の神概念なのでしょう。
この概念のルーツは、縄文時代のあらゆる生き物、あらゆる無機物に霊が宿るとするアニミズムにあるといわれています。
日本人だからというわけではありませんが、個人的はこっちのほうが神概念としては自然であり、窮屈感がないと感じます。
いい加減な神様も結構いるし。(笑)

#252 2018年06月16日 12:41:06

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

みなさまこんにちは。
三太郎さんコメントありがとうございます。

日本ではいろいろな神仏が共存していますね。
神話に出てくる神々、万物に宿る神々、仏教から生まれた(広義の)仏たち…
このような多様な神仏に囲まれているのは、ほんとうに幸せなことだと思います。

神話に登場する神さまたちは、とても人間くさくて親しみが感じられます。三太郎さんのおっしゃるとおり、いい加減な神さまもたくさん。

国産み神産み、岩戸隠れ、八俣遠呂智、因幡の白兎、海幸山幸…
日本の神話を知らない方がいらしたら、ぜひ読んでみてくださいね。ユダヤの神話より面白いかも。

オフライン

#253 2018年06月26日 23:38:07

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ラハムさん、みなさま、こんばんは。
親睦・相談のフォーラムで議論はしにくいので、こちらでちょっと感想など。

ラハム さんの発言:

それから、果たして聖書の正しい読み方はあるのか、という大きな疑問も追求したいところです。

わたしはきっとあるだろうと思うのです。
その理由はわたしはできるだけ日記を書くようにしているのですが、ある人がそれを読んで、この文章の正しい意味は何ですかとわたしに問い合わせてきたなら、これこれですと、わたしは説明することができるからです。
書き記した人物が正しい意味を説明するのですから、おそらく絶対正しいということになるでしょう。
ほかの人の説明に頼る必要はありません。

信仰を前提とする場合と、信仰を前提としない場合とで、「聖書の正しい読み方」は違うものになると思います。

信仰を前提とせずに、一般の文献と同じように聖書を研究すれば、聖書の実際の著者たち自身がそれぞれ正直に執筆の意図を解説しているような「正しい」解釈に近づくことができるでしょう。
この場合には「正しい解釈」は最終的には一つに決まるはずです。けれども、聖書全体を細部まで調和させることはできなくなるでしょう。
聖書に含まれているひとつひとつの文書は、それぞれの時代のそれぞれの社会の要請に従って書かれたものであり、それぞれの著者の意図はバラバラであるからです。

信仰を前提に、つまり聖書をキリスト教の信仰のための書として読もうとする場合には、聖書全体を統一されたものとして扱うのが普通です。ものみの塔の出版物にもよく引用されるとおり、テモテへの第二の手紙3章16節に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」とあるからです。
本来はバラバラの文書を統一されたものとして扱うには、それぞれの著者の意図とは別に、何らかの意図をもって解釈する必要があります。
この場合には「正しい解釈」を一つに決めることはできないでしょう。信仰の重心をどこに置くかによって、聖書の解釈も違って当然だからです。

例えば、中澤先生は2009年の著書「ものみの塔の源流を訪ねて」の中で、ラッセルたちの聖書研究の方法自体は正しかったと述べています。
その方法とは、ある問題に関する聖句すべてを分析し、ある聖句と別の聖句が矛盾するように思える場合、2つの聖句の調和を図るように努め、得られた結論を記録するという方法です。
この方法が「聖書によって聖書を解釈する(聖書のみ)」というプロテスタントの伝統的な読み方だと思いますが、この方法で聖書を解釈するための前提としてどうしても必要なのは、「聖書全体は細部まで調和しているはずだ(聖書全体は神の霊感を受けているから、すなわち神こそが聖書全体の著者であるから)」という信仰です。
この信仰が正しいと考える人にとっては、この方法で得られた聖書解釈が正しいということになります。

また、ラハムさんが(中澤先生が紹介されているのを)紹介してくださっているN.T.ライトの神学では、ライトは自分が読み取った「正しい聖書の世界観」を前提として聖書を解釈しています。
ライトの世界観(信仰)が正しいと考える人にとっては、ライトの聖書解釈が正しいということになります。

信仰の立場から読むならば、聖書にはいくつもの「正しい読み方」があるといえるでしょう。

世界中の何十億通りかの考えの一例として、私の考えを御紹介しました。
ただ、私がもし修道女になっていて、教会や修道院に来る人たちと話す立場であったなら、このようなぶっちゃけた話はできないでしょう。
教会は人々の信仰のためにあるもので、聖書も信仰を前提として教えるのが当然だからです。

オフライン

#254 2018年06月27日 13:32:59

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

問. 下線部(a)について、著者の意図に最も近いものを答えよ。

この手の設問、嫌いでした。

正解とされるものが存在するのは知っていても、違う答えを書いて、著者に会ったこともない先生に×をつけさせては楽しんでました。


モノを書く以上、他人に読まれること、読む人に何かのインスピレーションを与えることを目的にするとしても、ただの自分の意図=正解探しクイズにしてほしい人がすべてではないと思います。

進化論トピで日高氏が書いた文章の意図が話題になったとき、一定の「正解」にはなったのかもしれませんが、もし日高氏の意識がどこかに存在してあのやり取りを俯瞰していたら、あれはあれでけっこうおもしろがってくれたんじゃないでしょうか。


も塔のように、印象操作のために著者の意図を捻じ曲げて切り貼り引用する宗教は論外ですが。

#255 2018年06月27日 21:44:44

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん  こんばんは。

聖書の各々の書は、終始一貫して一個人の霊感によって書かれたというよりは、民族伝承や異教の慣習なども盛り込まれており、irisさんが指摘されたように、時代背景と全く無縁なものではありません。

新改訳聖書のコリント第二 2:17では「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず...」とありますが、これが本当なら、既に1世紀には旧約聖書の改ざんは日常であったことになります。
66の聖典が成立する過程においても、政治的利用のために都合のいいように書き換えられているというのが通説。

もし、それぞれの書の著者とされている人物に現代の聖書を読ませたら、おそらく「オレはこんなことを書いた覚えはない」と言うでしょう。

今回のラハムさんの投稿は、正直なところちょっと意外でした。
irisさんの論法でいくと、ラハムさんはやはり信仰が前提なのかなと感じます。

聖書の改ざんの多くは利己的な理由によるものなのかもしれませんが、もしかしたら、時代の変化に耐えられないという事情もあったのかもしれません。申命記4:2にある「神の言葉に付け加えることも、減らすこともしてはならない」という記述は、もし先見の明があったなら「基本理念は示すが、時と場所と状況に応じて自分たちでよく考えて対処するように」というような補足があってもよかったと考えます。
その意味では、時代の変化に応じてカスタマイズしてきた仏教のほうが先を行っています。

私は人生の「虎の巻」や、人間の深層にある疑問に答えてくれる完璧な文書など、どこにもないという立場です。
現実の世界は刻々と進行し、絶え間なく変化してしています。そこには新しい発見や気付きがあります。
むしろそれらを聖書に織り込み、精錬を繰り返して純化すべきだったのかもしれません。

そして私の聖書観もまた世界中に無数にある聖書観の一つに過ぎません。

#256 2018年06月27日 23:28:57

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さんこんばんは。コメントありがとうございます。

私は以前も述べたとおり、社会の状況に合わせて聖典の解釈を修正する必要があるということは、文書として聖典を持つ宗教の宿命だと思っています。仏教では社会の変化に応じてたくさんのお経(新解釈)がつくられ、宗派によって重視するお経が違いますが、キリスト教ではあらゆる文書のなかで聖書だけが特別の地位を占めており、書き換えも禁じられています。文書そのものを書き換えることができないのなら、その解釈を変えるしかありません。そして、適切な解釈を示すことこそが、宗教指導者の役割であると思います。

「正しい聖書の読み方」がわかりにくいのは、信仰のあり方によって聖書の読み方が異なるためでしょう。信仰抜きなら、よほど単純になりますね。

オフライン

#257 2018年06月29日 18:49:17

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ジョエルさんこんにちは。

国語の読解問題に作品を採用された著者が、自分の作品についての問題を解けなかったとか聞いたことあります。
著者の表現力に問題があったのか、出題者の読解力に問題があったのか、はたまた読解問題などというくだらない問題が存在すること自体が問題なのか、どうなんでしょう?

小説や詩歌などは読者に解釈を委ねる部分も多く、幅広い解釈ができるということが表現の豊かさともつながるでしょうね。
聖書の文書も歴史物語や詩歌や黙示文学など、ある程度自由な解釈が可能なジャンルが多いですから(さらにオリジナルではないので)、「正しい解釈」が存在するとしてもかなり幅は出るでしょう。

論説文の場合は、著者の意図ははっきり書いてあるのが普通じゃないかと思います。著者の意見と自分の意見とをしっかり区別して読む必要がありますが、自分の意見を投影しながら読むと、反対意見の文章でも自分と同じ意見にしか読めません。確証バイアスがかかりますからね。

日高氏は生物学に明るい人しか読めないような不親切な書き方をして、読者が混乱するのを楽しんでいたのでしょうか…

オフライン

#258 2018年07月01日 23:23:11

サララ
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

聖書は神の言葉ですから神のご意志に沿って洞察するのです。

#259 2018年07月02日 00:52:18

通りすがり
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ヘブライ語聖書が扱っている時代そのものが考古学的に非常に新しい後代の時代を扱っていて、まさに二番煎じだということが明らかなのに、どうしてその“言葉”を“神の言葉”と言えるのでしょうか。聖書の成立からしっかり勉強したほうがいいと思います。

ごく一部だけ紹介しますが、例えばギョベクリテペ遺跡についてじっくり“黙想”したことがありますか?

その遺跡は現在のトルコにあたる地域にあり、1万年以上前に「宗教的に発展を遂げていた」ことが明らかになっています。今では荒野ですが、遺跡に記録されている動物の種類から、当時は森が広がる生態系であったことからも、その古さが証明されます。

1万年以上前にすでに宗教的に発展していたその地域が、まさにアブラム(アブラハム)から始まる聖書の宗教的教理の出発点(ウル?)に近いことに大きな意味があろうと思います。アダムとエバの時代とされる時代の前から、すでに人類には宗教的観念も宗教的組織も成立しており、その生き残りか敗者(今風に言えば背教者)であったアブラムのような生き残りが独自の宗教的な組織を打ち立てようと試み、「あるとすればあるもの」(つまり“エホバ”)を取りあえず立てて新たな宗教的民族の構築をはかるにあたり、かつての古代宗教観念を取り入れた可能性はだれにも否定できないはずです。

創世記の天地開闢の順序なども日本のホツマツタエ(少なくとも3万年前)や古事記の天地開闢の順序だっていい線いっているわけだし、特に驚くに当たりません。

もちろん、マタイ以降のギリシャ語聖書は当時流行った“使徒の名前を冠した書物”の一つにすぎず、ユダ・イスカリオテの書やマリアの書なども書かれた中で、とりあえず公会議が(それも背教者ですよね)現在の編纂に決定しただけのものであり、なんの“神性”もありません。(これらはDiscovery channelで特集されました。)

いずれにしても、一字一句神聖で必ず実現するというようなものではなく、いろいろ政治的・民族的な目的があって民衆に広められたものなのだから、それに人生をかけるとか、子供に強制するとか、あまりにも短絡的で思慮に欠けると言わざるを得ません。

そこに書かれている人物の生き方とか語られている内容から、人生のひとつの栄養にする、というふつうの“読み方”で落ち着くことはできないものでしょうか…

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