ログインしていません。

#226 2017年11月27日 19:34:40

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、コメントありがとうございます。

私も先日ここに「中庸」について書こうとして、意外に奥が深いことに気づいて断念しました。

仏教の中道と儒教の中庸とは厳密には違うようですが、アジアでは長い歴史のなかで互いに影響しあっている部分もあるように思います。

キリスト教の宗教としてのあり方は、仏教や儒教とは異なる部分もありますが、律法さえ守っていればよいという当時のユダヤ教のあり方をイエスが変えようとしたのは間違いないのではと思います。私はそのような意識改革こそがイエスの最大の功績であると思っています。

残念ながら、人間はよほど考えるのが面倒と見えて、今度は聖書を律法に代わるルールブックにしてしまったのが、聖書にこだわる信仰の怖いところですね。

編集者 iris (2017年11月28日 09:33:52)

オフライン

#227 2017年11月29日 21:29:46

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

”聖書を律法に代わるルールブックにしてしまった”

うまいこといいますね。そして聖書の権威まで利用している。

ところで、irisさんにお聞きしたいことがあります。

日本人の死生観は、昔と今とを比べると変わったと思いますか?
もし変わったと思われるなら、それはいつ頃からだと思いますか。

この掲示板で過去に討議してたらごめんなさい。

#228 2017年12月01日 01:29:16

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、コメントありがとうございます。
日本人の死生観ですか、これもなかなか奥深いテーマですね。

「死んだらどうなるか」に関して言えば、古くは黄泉の国に行く、(日本式)仏教が普及してからは善人は極楽(浄土)・悪人は地獄に行く、キリスト教の影響を受けてからは天国に行く、などと考えられていますね。
特に信仰を意識していない一般的な日本人は、死んだ人は天国(あるいは極楽)で暮らしているのかなと漠然と考えているのではないかと思いますが、自分自身が死んだらどうなるのかについては確信が持てない(あまり考えていない)人が少なくないのではないでしょうか。

死生観の変化と言えるのかどうかわかりませんが、「科学的に証明できないことを信じるのは間違い」という考え方が幅を利かせるようになったために、自分自身や身近な人の死後の平安を確信できなくなっているとすれば、それは不幸なことかもしれません。もちろん、死後の苦痛を確信するよりは、よほどましですけれどね。

オフライン

#229 2017年12月01日 01:33:19

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

医療技術の進歩によって、不妊治療や出生前診断、脳死者からの臓器移植などが行われるようになりました。人間の欲望には限りがありません。生老病死を抗うことのできない自然として受け入れるのではなく、人間の科学の力でコントロールすべきだと驕ってはいないでしょうか。

私は新生児医療をしばらくやっていましたが、今の技術なら妊娠7か月(予定日より3か月以上前)とか体重500g以下とかで生まれた赤ちゃんでも救命できたり、大きな障害もなく成長できたりするようになってきています。感染症や喘息の治療もよくなり、小さな命を落とすことは本当に少なくなりました。高齢者に多い心筋梗塞や脳梗塞などの治療もどんどん進んでいます。

そのように、不可能を可能にしようとする多くの人の努力により、医学・医療の進歩は素晴らしい成果をもたらしてはいますが、すべての病気の原因や治療法がわかっていたり、すべての治療がうまくいったり、すべての死亡の原因が解明できていたりするわけではありません。
以前この掲示板でも「なぜ病気になったり死んでしまったりしたのか、とことん科学的に原因を考えればよい」という意見がありました。科学的に対処できないこと、科学的に究明できないこともあるのだという限界が一般の人に理解されていないのは、難しい病気になったときや死に直面したときに受容の妨げになり、非常に不幸なことと私は感じます。人の生死は人智を超えたものというのが私の実感です。

参考までに以前の発言です。あなたにとって神とは#16

オフライン

#230 2017年12月02日 09:53:57

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

お忙しい中のご返信、本当にありがとうございます。
実は宗教と医学を両立されているirisさんに、以前からいろいろとお聞きしたいと思っていました。

科学や合理主義は「考える」ということにおいて目覚ましい進歩を遂げてきましたが
一方で、「感じる」ということを置き去りにしてしまった感があります。

現代人のような物質文化に毒されていなかった古代の人々は、我々現代人が想像もつかないような研ぎ澄まされた
感覚持っていたようです。
日本人の死生観を理解しようするとき、これを頭に入れておくべきと考えます。

iris さんの発言:

死生観の変化と言えるのかどうかわかりませんが、「科学的に証明できないことを信じるのは間違い」という考え方が
幅を利かせるようになったために、自分自身や身近な人の死後の平安を確信できなくなっているとすれば、それは不幸なことかもしれません。

私もそう思います。
近年における日本人の死生観は、古来の死生観と科学的知識の混合で、曖昧な死生観を持っている人が多いように見えます。
古来からの死生観の変化がどのあたりから始まったのか。私が知り得た情報であえて線引きをするならば、明治維新のあたりです。
来日した外国人は、「日本人は自分たちは無宗教であると言うが、そうは見えない」とよく言います。
彼らは日本人の中にまだ残っている宗教心のようなものを嗅ぎ分けているのかもしれません。
明治初期ぐらいまでは、過去に大陸から他の宗教が入ってきて表向きが変わっても、日本人の信仰の根底にあるものはそれほど影響は受けていません。

iris さんの発言:

以前この掲示板でも「なぜ病気になったり死んでしまったりしたのか、とことん科学的に原因を考えればよい」という意見がありました。

脱塔したJW、特にJW組織によって人生を台無しにされ、積年の恨み辛みのエネルギーが科学に向いてしまっている方々は、このような発言をする傾向があります。勿論、そうでない人もいます。
彼らが仮に医学の知識を持っていたとしても、医学の知識があって尚且つ、実際に数千数万人の患者の治療の経験がある医師には及びません。
他の仕事でも、机上だけで現場を知らない頭でっかちの人は、よくこういうことを言います。

iris さんの発言:

人の生死は人智を超えたものというのが私の実感です。

それが、千の経験が生む一の直感というものではないでしょうか。
やはり医療の最前線に立たれる方のご意見には説得力があります。

信仰と医療科学が同居している医師から、直接話を聞くことができて非常に有難いです。
とても参考になりました。

私が察するにirisさんは、ご自身の信仰に関しては「考える」よりも「感じる」のほうを大切にしておられるように見て取れます。

#231 2017年12月03日 12:37:14

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さん、丁寧なコメントをありがとうございます。

三太郎 さんの発言:

来日した外国人は、「日本人は自分たちは無宗教であると言うが、そうは見えない」とよく言います。
彼らは日本人の中にまだ残っている宗教心のようなものを嗅ぎ分けているのかもしれません。
明治初期ぐらいまでは、過去に大陸から他の宗教が入ってきて表向きが変わっても、日本人の信仰の根底にあるものはそれほど影響は受けていません。

私は、今でも日本人の宗教心(信仰心)はあまり変わっていないのではないかと思います。日本人には万物に神が宿ることを感じ、常に感謝と畏怖を感じる感性が豊かに備わっています。これは日本人のとても優れた特性です。

ただ、「科学的であることが正しい」「非科学的なことを本気で信じるなんてバカのやること」という、この掲示板でも顕著にみられる風潮が強まり、「理屈ではない」自分たちの宗教心(感性)を素直に認められなくなっているような気がします。

三太郎 さんの発言:

脱塔したJW、特にJW組織によって人生を台無しにされ、積年の恨み辛みのエネルギーが科学に向いてしまっている方々は、このような発言をする傾向があります。勿論、そうでない人もいます。

「宗教は間違いで科学が正しい」と考えたい気持ちは理解できますが、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。
特に生物に関しては個体差が大きいことから、医学・心理学の一般的な知識を不用意に個人に適用したり、個人の所見を安易に一般化して考えたりすることは避けなくてはなりません。
趣味・教養として医学・心理学を学ぶ方と臨床家との理解度が異なるのは当然ですが、熱心な方ほどその点には注意しておくことが必要だと思います。

三太郎 さんの発言:

私が察するにirisさんは、ご自身の信仰に関しては「考える」よりも「感じる」のほうを大切にしておられるように見て取れます。

信仰は理屈ではないと私は思っていますが、そもそも人間は理屈だけで生きられるようにはできていません。自分は論理的・理性的であると自負している人が、自分の理屈に合わないからといって感情的になり、他人の思考回路や精神状態がまともでないとか公言してしまったりすることもあります。また、科学的には理由などなくても、何らかの理由をつけなくては感情的に納得できないことは珍しくありません。

科学や論理に徹しなくてはならない部分と、科学や論理では対処できない部分とを区別して、意識的にバランスを取ることが必要だと思います。

編集者 iris (2017年12月03日 21:37:05)

オフライン

#232 2017年12月04日 19:29:59

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん ありがとうございました。

申し訳ありませんが、また私の質問に付き合ってください。

irisさんは、カトリック教会という世界的規模の宗教組織に属しておられますが、信仰のために大きな組織は必要だと思いますか。

私は巨大な宗教組織は必要がないという考えです。
同じ信仰を持った者同士が集まり合うのはいいと思います。
それは少人数のサークル活動的なもので、集い合い、話し合うための簡単な取り決めがあって、参加は自由。
人が集まって何かをしていく以上、経費の発生は避けられませんので、それは有志で集めるといった感じですかね。
集まる人の気持ち次第ですので、宗教団体としての結束は弱いかもしれませんが、その程度のものならいいと考えています。

人間が大きな組織を作ると、宗教組織に限らず必ず階層が生まれ、トップが金や権力を握るようになると、上から腐っていくというのが世の常です。
また、営利団体ではない宗教組織が肥大化していくと、維持・運営にお金がかかり、そのために時間や労力を消耗してしまうため、本来の目的が疎かになってしまうという懸念もあります。
JWなどは組織が大きい上に世と隔絶しているので、独特の閉鎖的なコミュニティを築き上げています。

会社組織の場合、その監視機能として、コンプライアンス部門や組合があって睨みを利かしているわけですが、それでもすり抜けてしまい、結局内部告発で不正が発覚したりします。
大体、大企業の社員なんていうのは、偉くなって窓際に座るようになると天下取ったような気分になり、その日から有識者気取りするようなバカが多いですから。

かつて日本では、寺や神社は共同体の中心としても機能していました。
村の問題を話し合ったり、取り決めを作ったり、祭りの準備をしたり、子供たちが勉強したり遊んだり。
そういう利害関係のない場所が、必ず共同体の中にあったようです。

私自身は、もうどの宗教組織にも入ることはないでしょう。気が向いたらたまに神社でも行こうかなと思うぐらいです。
身近に自分と同じ考えの人がいたら、酒でも酌み交わしながら話でもしたいですね。

時間がある時で結構ですので、ご意見を聞かせてください。

#233 2017年12月06日 23:02:34

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎 さんの発言:

irisさんは、カトリック教会という世界的規模の宗教組織に属しておられますが、信仰のために大きな組織は必要だと思いますか。

私も巨大な宗教組織は必要ないと思います。この「必要ない」というのはあくまでも「なくてもよい」という意味で、「あってはならない」という意味ではありません。

組織が大きければ、物事を決めたり、決まっていることを変更したりするのに、小さな組織より時間がかかるのは事実です。また、全体像を把握するのが難しくなり、問題が起こったときの対処が遅れがちになるかもしれません。
だからといって、小さな組織のほうが大きな組織より優れているとは限りません。中小企業には中小企業の良さがあり、大企業には大企業の良さがあるものです。どのような組織であろうと、組織の質を決めるのはその規模の大小ではありません。

三太郎 さんの発言:

JWなどは組織が大きい上に世と隔絶しているので、独特の閉鎖的なコミュニティを築き上げています。

私は、JWの組織に問題が多いのは証人たちが「情報の遮断によりまともな判断ができない」「逃げ場がない」状態におかれているためだと考えています。以前も指摘したとおりです。
最近はインターネットの普及で情報遮断が困難になったので、覚醒する証人が増えているのではないでしょうか。

三太郎 さんの発言:

かつて日本では、寺や神社は共同体の中心としても機能していました。
村の問題を話し合ったり、取り決めを作ったり、祭りの準備をしたり、子供たちが勉強したり遊んだり。
そういう利害関係のない場所が、必ず共同体の中にあったようです。

カトリックの地域では、カトリック教会も同様の機能を持っていたと思いますよ。洗礼台帳が戸籍の役割を果たし、教会が役所のように機能していたのです。地域によっては現在もそうで、例えばユニセフが支援を行き渡らせるために教会を利用している例があります。

日本では歴史的に宗教が政治権力を持つことに対する為政者たちの警戒心が強く、コミュニティのまとめ役として神社や寺を利用することはあっても、神社や寺の力が強くなると遷都したり武力で叩き潰したりして、宗教組織が強い政治権力をもつことはありませんでした。

これに対し、ヨーロッパでは教皇の権威が皇帝を上回る時代もあったほどで、教会組織のトップである教皇が世俗の権力も併せ持っていたことが大きな問題であったと思います。皇帝をも従わせるために“破門”を武器に使っていたことは、ものみの塔にそっくりですね。
幕府が宣教師を追放し禁教を徹底したことは、日本を守るためには賢明な判断であったと私は思います。

三太郎 さんの発言:

私自身は、もうどの宗教組織にも入ることはないでしょう。気が向いたらたまに神社でも行こうかなと思うぐらいです。
身近に自分と同じ考えの人がいたら、酒でも酌み交わしながら話でもしたいですね。

私はキリスト教をきちんと学びたくて、いくつもの教会を訪ねました。たまたまカトリックの居心地がよかったのでそのまま信徒になりましたが、居心地が悪くなったら(自分の信仰に合わなくなったら)またフリーに戻ると思います。

三太郎さんとお話ができたら楽しそうですが、宗教組織に属していたら失格ですかね。残念!

オフライン

#234 2017年12月07日 23:52:10

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん コメントありがとうございました。

irisさんの立ち位置が大体よくわかりました。

iris さんの発言:

組織の質を決めるのはその規模の大小ではありません。

組織の最小単位は家族であると言います。
奥底に流れるものが同じであれば、確かに組織規模の大小は関係ありませんね。

iris さんの発言:

私は、JWの組織に問題が多いのは証人たちが「情報の遮断によりまともな判断ができない」「逃げ場がない」状態におかれているためだと考えています。以前も指摘したとおりです。

過去を振り返ってみれば、何も悪いことをしていないのに、自分から進んでJWという刑務所に入って、意味のない修行と償いの日々。逃れたくても逃れられない状況の中、眠ったフリをして、自分を偽って生きるようになる。そして心は病み、気がつけば世間から取り残されていた。
その刑務所で生まれ育った2世さんなどは、長老だ僕だといっても一般社会では全く通用しない。覚醒して脱塔しても大きなハンデを背負ってのスタート。
しかし、その閉鎖された社会の中で生きてきた彼等にも、楽しく懐かしい思い出があり、それを綴った投稿などを読むと、健気で泣けてきます。
それはわかってあげて下さい。

iris さんの発言:

私はキリスト教をきちんと学びたくて、いくつもの教会を訪ねました。たまたまカトリックの居心地がよかったのでそのまま信徒になりましたが、居心地が悪くなったら(自分の信仰に合わなくなったら)またフリーに戻ると思います。

それでいいと思います。
というか、それが普通だと思います。
会社を辞める人の大半は人間関係。
逆に人間関係が良ければ、給料が安くても、仕事にそれほどやり甲斐を感じなくても、意外と辞めずに続くものです。
ただ、科学科学と念仏のように唱える方々にとっては、irisさんのスタンスは受け入れ難いかもしれませんね。
私はこれからもirisさんには、屈託のない意見を期待します。
この掲示板では貴重な存在だと思いますね。

iris さんの発言:

三太郎さんとお話ができたら楽しそうですが、宗教組織に属していたら失格ですかね。残念!

いや、そんなことはないですよ。ちょっとビビりそうですが。。(^_^;
私は酒繋がりで何人か知り合いの医師がいますが、皆さん酒好きで、いつもの店で会うときは既にペロペロの状態なので、あまり真面目な話をしたことがありません。
先日、心療内科の医師と約束していたので、その先生の行きつけの焼鳥屋で一緒に飲みました。その先生は女の先生で年配の方なんですが、気持ちが若く外見も若造りで、ちょっとブッ飛んだようなところがあり、年相応には見えません。話が盛り上がり、次の店に行こうとなって先に店を出て外で待っていたんですが、なかなか出て来ないので、中に入ったら、その焼鳥屋の親父っさんとすったもんだやっていました。どうも親父っさんはその先生のファンらしくて、先生が私と一緒に次の店に行くのが面白くなかったようです。いやえらい目に会いましたね、その時は。
そんな感じなので、「先生は臨死体験についてどう思いますか」とかなかなか切り込めないんです。困ったものです。
irisさんはそんなふうにはならないでくださいね。

今回は色々と話が聞けて良かったです。

また宜しくお願いします。

#235 2017年12月08日 23:05:33

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さんありがとうございます。

三太郎 さんの発言:

しかし、その閉鎖された社会の中で生きてきた彼等にも、楽しく懐かしい思い出があり、それを綴った投稿などを読むと、健気で泣けてきます。
それはわかってあげて下さい。

エホバの証人として過ごした日々を、否定する必要はないと思います。私も元証人の皆さんの過去を否定しません。
元証人であろうとなかろうと、どんな経験もこれからの人生に生かすことができます。自分の心の持ち方次第だと思います。

三太郎 さんの発言:

会社を辞める人の大半は人間関係。
逆に人間関係が良ければ、給料が安くても、仕事にそれほどやり甲斐を感じなくても、意外と辞めずに続くものです。

私は教会に通うときに人間関係には期待しませんでした。教会の人間関係に期待して来る人は、教会にも聖人君子ばかりがいるわけではないという当然のことに躓いてしまいます。
私は就職してからはたいへん多忙で、ろくに教会に行くこともできず、行っても御ミサにあずかるだけでさっさと帰ってしまうので、まったく知り合いができなかった教会もありました。(若い医師は異動が多いので転居も多く、いくつものカトリック教会を転々としていました)

それでもやはり、同じカトリック教会には価値観の近い人が多いから、居心地がいいのでしょうね。他のキリスト教会は「自分たちだけが真理を知っており正しい生き方をしているのだ」というような雰囲気が漂っているところが多く、礼拝に参加しているだけで息が詰まりそうでした。

私はあまりお酒は飲めないのですが、飲むと幸せそうになると周りから言われていました。いつか飲みながら、お話してみたいものです。

オフライン

#236 2017年12月23日 08:41:51

さやか666
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

(他のキリスト教会は「自分たちだけが真理を知っており正しい生き方をしているのだ」というような雰囲気が漂っているところが多く)



なるほどカトリックはよその宗派と違うのですね

少し早いですがメリークリスマス!

#237 2018年06月12日 12:59:07

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

親睦・相談のフォーラムの書き込みですが、こちらでちょっと感想など。

三太郎 さんの発言:

多くの宗教において最高位の神は、「父なる神」としての父性を持っています。
(中略)
父親は優しくて頼れる存在ですが、時には怒るし厳しい一面もある。旧約聖書の荒ぶる神は、それを発展させた人間の稚拙な神表現だと思います。

古代の教会で聖母マリア崇敬が生まれ、現代のカトリック教会にまで受け継がれてきているのは、怖すぎるお父さんと付き合うには優しいお母さんが必要だったからかもしれません。

教会が理不尽なことを言わなくなってきて、信徒がマリアさまを慕う気持ちにも微妙に変化が現れていきそうな気がします。

オフライン

#238 2018年06月12日 21:44:47

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん こんばんは

子供にとっては、お父さんがいてお母さんもいるというのが自然な姿だと思います。
聖母マリア崇敬への流れは、バランスが取れていて、ある意味正常かもしれませんね。

日本の場合だと、国産みの神であるイザナギ、イザナミを差し置いて、天照大神(女神とされる)が最高位の神であり皇祖神でもあるわけですが、例えば伊勢神宮にお参りに行って、天照大神を母親として慕う日本人はほとんどいないと思います。もっとも天照大神は太陽を神格化した神ですから、女神というよりはそっちの認識のほうが強いのかもしれませんね。

しかしよくよく考えてみると、日本人は神を父親、もしくは母親に準えるということをあまりしないような気がします。
やはり、八百万の神といわれるように、万物や万象を神格化して畏怖・畏敬の念を抱くのが日本人の神概念なのでしょう。
この概念のルーツは、縄文時代のあらゆる生き物、あらゆる無機物に霊が宿るとするアニミズムにあるといわれています。
日本人だからというわけではありませんが、個人的はこっちのほうが神概念としては自然であり、窮屈感がないと感じます。
いい加減な神様も結構いるし。(笑)

#239 2018年06月16日 12:41:06

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

みなさまこんにちは。
三太郎さんコメントありがとうございます。

日本ではいろいろな神仏が共存していますね。
神話に出てくる神々、万物に宿る神々、仏教から生まれた(広義の)仏たち…
このような多様な神仏に囲まれているのは、ほんとうに幸せなことだと思います。

神話に登場する神さまたちは、とても人間くさくて親しみが感じられます。三太郎さんのおっしゃるとおり、いい加減な神さまもたくさん。

国産み神産み、岩戸隠れ、八俣遠呂智、因幡の白兎、海幸山幸…
日本の神話を知らない方がいらしたら、ぜひ読んでみてくださいね。ユダヤの神話より面白いかも。

オフライン

#240 2018年06月26日 23:38:07

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ラハムさん、みなさま、こんばんは。
親睦・相談のフォーラムで議論はしにくいので、こちらでちょっと感想など。

ラハム さんの発言:

それから、果たして聖書の正しい読み方はあるのか、という大きな疑問も追求したいところです。

わたしはきっとあるだろうと思うのです。
その理由はわたしはできるだけ日記を書くようにしているのですが、ある人がそれを読んで、この文章の正しい意味は何ですかとわたしに問い合わせてきたなら、これこれですと、わたしは説明することができるからです。
書き記した人物が正しい意味を説明するのですから、おそらく絶対正しいということになるでしょう。
ほかの人の説明に頼る必要はありません。

信仰を前提とする場合と、信仰を前提としない場合とで、「聖書の正しい読み方」は違うものになると思います。

信仰を前提とせずに、一般の文献と同じように聖書を研究すれば、聖書の実際の著者たち自身がそれぞれ正直に執筆の意図を解説しているような「正しい」解釈に近づくことができるでしょう。
この場合には「正しい解釈」は最終的には一つに決まるはずです。けれども、聖書全体を細部まで調和させることはできなくなるでしょう。
聖書に含まれているひとつひとつの文書は、それぞれの時代のそれぞれの社会の要請に従って書かれたものであり、それぞれの著者の意図はバラバラであるからです。

信仰を前提に、つまり聖書をキリスト教の信仰のための書として読もうとする場合には、聖書全体を統一されたものとして扱うのが普通です。ものみの塔の出版物にもよく引用されるとおり、テモテへの第二の手紙3章16節に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」とあるからです。
本来はバラバラの文書を統一されたものとして扱うには、それぞれの著者の意図とは別に、何らかの意図をもって解釈する必要があります。
この場合には「正しい解釈」を一つに決めることはできないでしょう。信仰の重心をどこに置くかによって、聖書の解釈も違って当然だからです。

例えば、中澤先生は2009年の著書「ものみの塔の源流を訪ねて」の中で、ラッセルたちの聖書研究の方法自体は正しかったと述べています。
その方法とは、ある問題に関する聖句すべてを分析し、ある聖句と別の聖句が矛盾するように思える場合、2つの聖句の調和を図るように努め、得られた結論を記録するという方法です。
この方法が「聖書によって聖書を解釈する(聖書のみ)」というプロテスタントの伝統的な読み方だと思いますが、この方法で聖書を解釈するための前提としてどうしても必要なのは、「聖書全体は細部まで調和しているはずだ(聖書全体は神の霊感を受けているから、すなわち神こそが聖書全体の著者であるから)」という信仰です。
この信仰が正しいと考える人にとっては、この方法で得られた聖書解釈が正しいということになります。

また、ラハムさんが(中澤先生が紹介されているのを)紹介してくださっているN.T.ライトの神学では、ライトは自分が読み取った「正しい聖書の世界観」を前提として聖書を解釈しています。
ライトの世界観(信仰)が正しいと考える人にとっては、ライトの聖書解釈が正しいということになります。

信仰の立場から読むならば、聖書にはいくつもの「正しい読み方」があるといえるでしょう。

世界中の何十億通りかの考えの一例として、私の考えを御紹介しました。
ただ、私がもし修道女になっていて、教会や修道院に来る人たちと話す立場であったなら、このようなぶっちゃけた話はできないでしょう。
教会は人々の信仰のためにあるもので、聖書も信仰を前提として教えるのが当然だからです。

オフライン

#241 2018年06月27日 13:32:59

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

問. 下線部(a)について、著者の意図に最も近いものを答えよ。

この手の設問、嫌いでした。

正解とされるものが存在するのは知っていても、違う答えを書いて、著者に会ったこともない先生に×をつけさせては楽しんでました。


モノを書く以上、他人に読まれること、読む人に何かのインスピレーションを与えることを目的にするとしても、ただの自分の意図=正解探しクイズにしてほしい人がすべてではないと思います。

進化論トピで日高氏が書いた文章の意図が話題になったとき、一定の「正解」にはなったのかもしれませんが、もし日高氏の意識がどこかに存在してあのやり取りを俯瞰していたら、あれはあれでけっこうおもしろがってくれたんじゃないでしょうか。


も塔のように、印象操作のために著者の意図を捻じ曲げて切り貼り引用する宗教は論外ですが。

#242 2018年06月27日 21:44:44

三太郎
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

irisさん  こんばんは。

聖書の各々の書は、終始一貫して一個人の霊感によって書かれたというよりは、民族伝承や異教の慣習なども盛り込まれており、irisさんが指摘されたように、時代背景と全く無縁なものではありません。

新改訳聖書のコリント第二 2:17では「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず...」とありますが、これが本当なら、既に1世紀には旧約聖書の改ざんは日常であったことになります。
66の聖典が成立する過程においても、政治的利用のために都合のいいように書き換えられているというのが通説。

もし、それぞれの書の著者とされている人物に現代の聖書を読ませたら、おそらく「オレはこんなことを書いた覚えはない」と言うでしょう。

今回のラハムさんの投稿は、正直なところちょっと意外でした。
irisさんの論法でいくと、ラハムさんはやはり信仰が前提なのかなと感じます。

聖書の改ざんの多くは利己的な理由によるものなのかもしれませんが、もしかしたら、時代の変化に耐えられないという事情もあったのかもしれません。申命記4:2にある「神の言葉に付け加えることも、減らすこともしてはならない」という記述は、もし先見の明があったなら「基本理念は示すが、時と場所と状況に応じて自分たちでよく考えて対処するように」というような補足があってもよかったと考えます。
その意味では、時代の変化に応じてカスタマイズしてきた仏教のほうが先を行っています。

私は人生の「虎の巻」や、人間の深層にある疑問に答えてくれる完璧な文書など、どこにもないという立場です。
現実の世界は刻々と進行し、絶え間なく変化してしています。そこには新しい発見や気付きがあります。
むしろそれらを聖書に織り込み、精錬を繰り返して純化すべきだったのかもしれません。

そして私の聖書観もまた世界中に無数にある聖書観の一つに過ぎません。

#243 2018年06月27日 23:28:57

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

三太郎さんこんばんは。コメントありがとうございます。

私は以前も述べたとおり、社会の状況に合わせて聖典の解釈を修正する必要があるということは、文書として聖典を持つ宗教の宿命だと思っています。仏教では社会の変化に応じてたくさんのお経(新解釈)がつくられ、宗派によって重視するお経が違いますが、キリスト教ではあらゆる文書のなかで聖書だけが特別の地位を占めており、書き換えも禁じられています。文書そのものを書き換えることができないのなら、その解釈を変えるしかありません。そして、適切な解釈を示すことこそが、宗教指導者の役割であると思います。

「正しい聖書の読み方」がわかりにくいのは、信仰のあり方によって聖書の読み方が異なるためでしょう。信仰抜きなら、よほど単純になりますね。

オフライン

#244 2018年06月29日 18:49:17

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ジョエルさんこんにちは。

国語の読解問題に作品を採用された著者が、自分の作品についての問題を解けなかったとか聞いたことあります。
著者の表現力に問題があったのか、出題者の読解力に問題があったのか、はたまた読解問題などというくだらない問題が存在すること自体が問題なのか、どうなんでしょう?

小説や詩歌などは読者に解釈を委ねる部分も多く、幅広い解釈ができるということが表現の豊かさともつながるでしょうね。
聖書の文書も歴史物語や詩歌や黙示文学など、ある程度自由な解釈が可能なジャンルが多いですから(さらにオリジナルではないので)、「正しい解釈」が存在するとしてもかなり幅は出るでしょう。

論説文の場合は、著者の意図ははっきり書いてあるのが普通じゃないかと思います。著者の意見と自分の意見とをしっかり区別して読む必要がありますが、自分の意見を投影しながら読むと、反対意見の文章でも自分と同じ意見にしか読めません。確証バイアスがかかりますからね。

日高氏は生物学に明るい人しか読めないような不親切な書き方をして、読者が混乱するのを楽しんでいたのでしょうか…

オフライン

#245 2018年07月01日 23:23:11

サララ
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

聖書は神の言葉ですから神のご意志に沿って洞察するのです。

#246 2018年07月02日 00:52:18

通りすがり
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

ヘブライ語聖書が扱っている時代そのものが考古学的に非常に新しい後代の時代を扱っていて、まさに二番煎じだということが明らかなのに、どうしてその“言葉”を“神の言葉”と言えるのでしょうか。聖書の成立からしっかり勉強したほうがいいと思います。

ごく一部だけ紹介しますが、例えばギョベクリテペ遺跡についてじっくり“黙想”したことがありますか?

その遺跡は現在のトルコにあたる地域にあり、1万年以上前に「宗教的に発展を遂げていた」ことが明らかになっています。今では荒野ですが、遺跡に記録されている動物の種類から、当時は森が広がる生態系であったことからも、その古さが証明されます。

1万年以上前にすでに宗教的に発展していたその地域が、まさにアブラム(アブラハム)から始まる聖書の宗教的教理の出発点(ウル?)に近いことに大きな意味があろうと思います。アダムとエバの時代とされる時代の前から、すでに人類には宗教的観念も宗教的組織も成立しており、その生き残りか敗者(今風に言えば背教者)であったアブラムのような生き残りが独自の宗教的な組織を打ち立てようと試み、「あるとすればあるもの」(つまり“エホバ”)を取りあえず立てて新たな宗教的民族の構築をはかるにあたり、かつての古代宗教観念を取り入れた可能性はだれにも否定できないはずです。

創世記の天地開闢の順序なども日本のホツマツタエ(少なくとも3万年前)や古事記の天地開闢の順序だっていい線いっているわけだし、特に驚くに当たりません。

もちろん、マタイ以降のギリシャ語聖書は当時流行った“使徒の名前を冠した書物”の一つにすぎず、ユダ・イスカリオテの書やマリアの書なども書かれた中で、とりあえず公会議が(それも背教者ですよね)現在の編纂に決定しただけのものであり、なんの“神性”もありません。(これらはDiscovery channelで特集されました。)

いずれにしても、一字一句神聖で必ず実現するというようなものではなく、いろいろ政治的・民族的な目的があって民衆に広められたものなのだから、それに人生をかけるとか、子供に強制するとか、あまりにも短絡的で思慮に欠けると言わざるを得ません。

そこに書かれている人物の生き方とか語られている内容から、人生のひとつの栄養にする、というふつうの“読み方”で落ち着くことはできないものでしょうか…

#247 2018年07月21日 06:25:36

サララ改めアノニマス
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

スベンスマルク効果という学説は、ノアの大洪水のあと虹ができた話を説明できると私は思っています。そして「上の水」があると宇宙からの放射線を遮るので年代測定は非常に伸びるとも思っています。

#248 2018年07月21日 09:34:00

通りすがり
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

アノニマスさんは半減法のことをおっしゃっていると思いますが,であればギョベクリテペはさらに何万年も古くなる反証になると思います。それに,続々と発見される同遺跡の円形石柱がいずれも大洪水で倒れなかったのが不思議に思います。今回の西日本豪雨(洪水ではなくただ雨が降っただけ)でも何十トンもあるコアストーンが小石のように移動したのは興味深いことです。

さて,私はいつも年代測定法は参考程度にすべきと思っています。JWは年代に疑問を持つよういつも信者を誤導するからです。ですから私は,年代については,各個人がそれぞれ,まずは自分が納得できる古い地層や地形を探してそれを原点にすべきと考えています。アノニマスさんの場合,アダムの時代より明らかに古い地層ってどこかにあるかご存じですか? まさか,宇宙と地球そのものが,できてまだ6,000年,とは思っておられないでしょう? 光には進む速度に限界がありますから,もしそうなら,太陽と月以外,星空の光はまだほとんど届いていないはずです。

地球はプレートテクトニクスや隆起・浸食等で絶えず地層が変化します。その上で,“ここなら私もアダム以前の地層だと納得できる”という地層を見つけてください。そして,それから,その地層の動物の化石をどんどん調べてください。そうすると,その動物の化石の胃から他の動物の化石が見つかります。つまり,アダム以前にすでに地をはうあらゆる動物がエサとして他の動物を食べていたことがわかります。それでも疑う人は,その自分が納得する地層に,動物の「子供」や「卵」の化石が出てこないか調べてください。ゴロゴロ出てきます。つまり,アダム以前から,誕生さえ許されなかった動物や,成長できなかった子供がいることがわかるのです。「動物たちの平和」を標榜する「神」の「愛」はその程度だったとわかります。熊から子羊を守ったエピソードは単なるパフォーマンスだったのです。「かつての楽園」などなく,火山噴火で無残に全滅した動物たちの化石を見つけて驚かれるでしょう。自然の情愛があるなら避難くらいさせてあげたらいいのにと思います。後代にここまで発見が進むとは,聖書創作者たち(アレキサンドリアの70人)も想定していなかったでしょう。まぁ,彼らはローマ帝国に上梓する自国の歴史の内容をライバルのシュメールよりも古くするために登場人物の寿命を数百年かさ増しすることにしか関心がなかったので無理もないでしょう。(例:メトセラ等。)

まず,このように各人がそれぞれ自分の地層の年代感を持つことが重要だと思います。そこから,たとえばいわゆる「黒い地層」と呼ばれる全地球を覆った地層について勉強し,世界中の各遺跡との関係性など,第二段階の“研究”に進めばよいと思います。

ほかにも,世界中の巨石遺跡が太陽光との関係で冬至を示す時,あるいはオリオン座の三つ星の位置関係に配列された遺跡が,現代のオリオン座の三つ星の位置関係と少し異なる時,いつもそのずれが地層から考えられる遺跡の成立年代に照らして当時の天体図をシミュレーションすれば合致することなどから,古さにロマンを感じることさえできます。

いずれにしても,測定法でなんでも否定するJWの一つ覚えは,「すべて国家の陰謀だ」と言って真実を隠し続けた,最近死刑者が多く出た宗教と論法が同じです。あそこから人を助けることは本当に困難だと思います。

このサイトはよくできていますので,トップページから2017年の研究記事を探し,化石の記録を読んだりして,気分転換されるのをお勧めします。

#249 2018年07月22日 12:54:03

akame
ゲストユーザー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

流れに沿わず申し訳ありません。

こちらのトピも興味深く読んでいましたが、
投稿の機会を逸していました。

宗教はいらない?に関して、私的な感想です。財産や心身を犯すカルト的宗教は論外ですが、

圧政圧力などにより組織的宗教は外見上無くなったとしても「個人的な信仰という意味での宗教」は決して無くならないと思います。

死への恐怖心が現実にあること、生命活動には物理的な分析だけでは解けない部分があること、人生の畝りの中で、多くの方たちはが、映像化や数値化はできないが「何かの大きな存在、見守っている存在を感じる」事象を体験していること(話さないことが多い)等がある為です。

知識や情報で自然に解消するものもあり、それはそれで良いのですが、

こうしたものを、圧力的な雰囲気やある種の唯物的洗脳教育で強引に消そうとすることはには私は反対です。それは、中世の異端審問、魔女裁判と大差ないことになります。

これまで、一部の方たちに、私自身そうした圧力を感じさせていたように思います。

逆説的なキャラを演じることで、カルト組織に身を置いた者としての「加害者としての罪悪感」を紛らしていたように思います。一時期の個人的な切実さからの投稿とはいえ、

「加害者が、専門家気取りで調子乗ってんじゃねえよ!」子供たち

だった訳です。

実に勝手ながら、今は個人的には、他を裁く原理主義的雰囲気から脱すれば、もっと大らかで豊かなサイトになるように感じています。元より自然界は善悪、正誤、白黒を凌駕している訳ですから。

#250 2018年07月22日 23:27:38

iris
メンバー

Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか

akameさん、御投稿ありがとうございます。
しみじみと心にしみました。

ものみの塔に出会った私たちは、さまざまな葛藤を経験せざるを得ません。
ことに長い間エホバの証人として生きてこられた皆様の苦悩は、筆舌に尽くし難いものと拝察いたします。
議論の過程では、皆様の傷に触れざるを得ないこともあり、できる限りの配慮はしているつもりですが、申し訳なく思います。それだけの価値のある議論ができたらと願っています。

akameさんのおっしゃるとおり、個人の感情に基づく宗教的体験を否定することは、よい結果には繋がらないと思います。宗教心は人間にとって自然なものだからです。
多くの人にとって、ものみの塔という宗教を使いこなすのが難しいのも、個人的な体験を無理に変容させられることに一因があると思います。

宗教に関しては、唯一の正解はありません。無理に白黒つけずに、意見交換ができるとよいですね。

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