ログインしていません。

#101 2017年01月17日 23:06:34

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ラハムさんで正解ですよ。専攻を旧約学で提出したときも、教授から「女性が私のゼミに来るのは10年に1~2人くらい」と言われました。趣味もどちらかというと男性志向のものが多いですね。

#102 2017年01月17日 23:28:31

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

趣味もどちらかというと男性志向のものが多いですね。

ミラジョコビッチみたいな感じの人ですかね 怖いけどしびれますー lol
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オフライン

#103 2017年01月17日 23:55:56

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさん
6000円もする「残念な本」は届きましたか?

#104 2017年01月18日 00:03:10

さやか666
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

きっと北陸の瓦屋さんは猛吹雪の中、読書に励んでおられます

男の趣味に女が口出しするのは良くないこと…‥

たとえ6000円だろうが60000円だろうが


日本の何処かでさやかさんが応援してます

#105 2017年01月18日 06:38:08

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 本はまだ届いていません cry  あと信仰を維持するの詳細な書き込みありがとうございます

さやかさん 応援ありがとうございます

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#106 2017年01月21日 08:24:26

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさんこんにちは

イガエル・ヤディンのそっくりさんは笑えました

さすが天下のbbcですね

十字軍は中世の話と思っている人が多いですが、現代ではキリスト教国は巧妙に背後に隠れています。
私の記憶では、90年代に至ってもイスラエル広報局は、聖地発掘ツアーのようなものを企画し、一般人相手に「パレスチナ=約束の地」というイデオロギーの吹き込みに躍起になっていました

現代イスラエルは 世論をうまく自分の味方につけるよう注意深く配慮しながら 行動しています アメリカその他の武器援助をうけている現代イスラエルの強さは半端ないです
「ナチスに迫害されたかわいそうな同情すべきユダヤ人というイメージを宣伝しつつ行っていることはナチスと同じことをしていると思います また地下に核施設をもったり たしかアメリカには毎年巨額のイスラエルに対する資金援助をしさらに前年を下回ってはならないという法律があったと思います オバマも大統領になったとき 一つよろしくお願いしますとイスラエルにすぐあいさつにいきましたが 日本には全然来なかったはずです」
でも そんなえらそうなこといっても 日本人である限りアメリカ様にボディガード代「一例 思いやり予算ということで年間数千億円はらってる」のでそれがアメリカに流れアメリカからイスラエルの武器弾薬の費用になり結果的にパレスチナの人たちを殺しているのではないかと思いますので悲しいです cry

『マサダ』『バル・コホバ』ポチってみてくださいよ!

ぽちりましたのでまた読んでみます てつてつさんは信じやすいので すぐハイル.イスラエルになるかもしれませんウガガー devil

バル・コクバ は ユダヤ人の観点からすれば イエスなんかよりよっぽどメシアぽいですね 彼を崇拝するグループもいるのかもしれませんね

追伸
最近だれかの推薦だったか アマゾンの関連商品からみだったかわすれたのですが 旧約聖書を推理する―本当は誰が書いたか リチャード.エリオットフリードマン 読んでみました ちょっと今までのように考古学的証拠がどうこうではなく 聖書に書かれている内容から 背景 動機を推理するものです 自分が読んだ限りではかなり説得力があり 興味深いものだと思いました まあ簡単に言うと 旧約は7-8世紀ごろアロン系の祭司職の既得権益をねたんだ他の祭司職の一族が仕上げたものだという説です 関心ある人は読んでミソ ちょっとウラワザでキンドルアンリミテッドで1ヶ月お試し期間無料なのでその間にタダ読みしちゃって脱会するというテもあるかも  ごめんねーアマゾンさん tongue

編集者 てつてつ (2017年01月21日 19:25:15)

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#107 2017年01月21日 23:05:47

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

コレよく見つけましたね。これはキリスト教系の出版社から出されたわけでもなく、訳者も聖書学者ではないので意外と知られていない本ですね。聖書学でいうところの「五書問題」というものを扱った本です。
通常この問題に関する研究としてはM・ノートの『モーセ五書伝承史』(日本キリスト教団出版局)がスタンダードとして学会に広く受け入れられてきましたが、80年代にドイツ旧約学の正統を継ぐR・レントルフがこの定説に真っ向から挑み『モーセ五書の伝承史的問題』(教文館)という研究を発表します。どちらも山我先生が日本語訳されていますが、それが発火点となって大論争が巻き起こり、そうした流れを受けて書かれた研究です。
JWの書籍でも、いわゆるJ・E・D・Pという記号で表される文書資料仮説について聞いたことがあるのでは?
その後無数の研究が著されましたが、結局誰もが支持するような理論は生まれていません。イスラエル史像も含めて分からないことだらけです。だからこそ面白いんですけどね。

そんな文献学や考古学も、近年では歴史的問題の解明には不充分とされていて、研究史的にいうと新しくはありませんが、70年代以降は社会学の理論が大幅に導入されました。
難しい理論はイロイロありますが、学生時代の私は、田川先生の『歴史的類比の思想』(勁草書房)という書物には啓発されるところが大きかったです。田川先生は、70年代、当時急速にキリスト教化するアフリカで仕事をされていた時期に、その観察から1~3世紀にヨーロッパがキリスト教化する過程についても「歴史的類比」を見出されます。それらの指摘は、旧来の文献学や考古学等では迫りえない洞察に満ちています。

笑われるかもしれませんが、私独自の気付いた範囲で簡単な例を示してみましょう。
今日マイナスドライバーさんがブログを更新されました。タイトルは「早く来い来いハルマゲドン」(笑)です。ここで指摘されているのは、目下激しい「迫害下」にあるJW信者にとって、自分たちを「迫害」する世の者どもが火と硫黄に焼かれ、大淫婦バビロンに象徴される偽りの宗教世界帝国は白馬に乗ったイエスに駆逐され、悪魔の体制が過ぎ去ることを待ち望んでいます。表向きには「良い人」を演じていても、心の中ではそういう復讐心に満ちているという指摘です。また組織はJW信者にそういう「希望」を与えるために、終末についてのリアルな挿絵が豊富に掲載された霊的食物を大量に発行し続けている、という主張です。

私が推薦する『聖なる妄想の歴史』を読まれた方ならもうお分かりでしょう。これらの動機は、まさに『ヨハネ黙示録』が書かれた動機そのものでもあるのです。現代聖書学も明確に述べています。この書物は「激しいローマ帝国の迫害下にあったキリスト徒を励ますために書かれた書である」と。妄想の内容は1世紀のパレスチナであろうと、現代のJWであろうと同じだということです。所詮人間のやることですから、「現在」観察可能な事象を観察すれば、聖書時代に起こった事柄の本質もリアルに理解できるということです。

#108 2017年01月22日 08:13:30

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 興味深いコメントありがとうございます

JWの書籍でも、いわゆるJ・E・D・Pという記号で表される文書資料仮説について聞いたことがあるのでは?

そう それについてかかれていました「そういえば証人時代になんか聞いたことある言葉だなーとおもいました」
マイナスドライバーさんの記事も大変面白かったです

所詮人間のやることですから、「現在」観察可能な事象を観察すれば、聖書時代に起こった事柄の本質もリアルに理解できるということです。

本当にそうだと思います

歴史的類比の思想もぽちりましたのでまた読んでみます

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#109 2017年01月23日 14:34:35

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

一神教の起源 山我 さん ちょっと見てみました「みただけです」
最初の三分の一くらいは聖書のおさらいみたいな感じでそれほどでもないと思うのですが 半ばくらいから当時カナンの地方であがめられていた多神教からヤハウェ唯一になってくようすを主に聖書の記述から推論していくような本でした

あと全体的に イスラエル人が一人の人アブラハムから増え広がったということ 出エジプト ソロモンの栄華 などはフィクション という聖書に対する見方は発掘された聖書  フインケルシュタインさんとほぼ同意見かなーという感じです

ちょこっと おもしろいと思った点

113ページから

イスラエルの元来の神はエルであったがのちにヤハウェ「エホバと合体した」

いずれにせよ、このシケムの「エル・エロヘ・イスラエル」が、やがてヤハウェと同一視されて「ヤハウェ・エロヘ・イスラエル」(イスラエルの神、ヤハウェ)となったのである(出三二〃、士五3.5等参照)。二つ以上の神格が同一視されて、その属性が融合し合うことを宗教学では「習合(シンクレティズム)」という。このような過程は、傾向としては第一章で紹介した包括的一神教(本書三一ページ参照)に近いものと見ることができる。異なる神々の神格融合ないし習合の例は、アクエンアテンとの関連で見た、古代エジプトで太陽神ラーとテーベの神アメンが習合してアメン・ラーとなったように、多神教世界でもよく見られる。

じゃー スーパーマンの名前も カル.エルなんですけど もしかしたら同じ意味合いを持たせてつけたのかなと思いました

てつてつさんの説です

編集者 てつてつ (2017年01月23日 14:46:46)

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#110 2017年01月23日 16:14:42

ラハム
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつ さんの発言:

じゃー スーパーマンの名前も カル.エルなんですけど もしかしたら同じ意味合いを持たせてつけたのかなと思いました
てつてつさんの説です

わたしはスーパーマンの名前、カル=エルは前から
カル=「神」だと思っていました。
というのは、エルはヘブライ語で神を意味しているし、
映画スーパーマンの中に現れるセリフの一部に
「この子は地球に行ったら神になれるだろう」というのを
きいて、非常に印象深かったからです。

スーパーマンの能力を見ると地球人からすれば、
神にひとしいぐらいですよね。地球を逆転させて
時間を巻き戻したり、光のように速く飛行したりと、
夢があってわたしは好きでした…。

編集者 ラハム (2017年01月23日 16:16:48)

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#111 2017年01月23日 17:23:19

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ささらさんもうこうなったら毒皿です

なんとアマゾンで2冊で500円と送料でした オサイフにやさしいのは大好きです  kiss 


ラハムさん冗談で ググッたら 本当に 書いてありました びっくり yikes


スーパーマンの本名『カル=エル』、エルという言葉はセム語派で「神」と言う意味

編集者 てつてつ (2017年01月23日 20:16:20)

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#112 2017年01月24日 10:25:24

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさんこんにちは バルコホバちょっと読んでみました

紙のケース入りで今から40年前で6400円の本ですから当時としては相当高価な本だったと思います 聖書物語の本程度ではないですよー 本当にこれ子供のころ読んでいたんですか? やっぱり気持ち悪すぎますー

これまでのKAOさんのことばから イガエルヤディンが自分たちイスラエルがここに正当に居座る理由とするものを適当に理由つけて主張したり ナチスのヒトラーみたいに 自分たちの民族の優位性をこじつける かなりあからさまなイスラエルのプロパガンダみたいな本かと思いましたが  イガエルヤディンが死海写本がでてきた洞窟や ヘロデオンなどを調査したときの様子また出てきたものをカラー写真などで紹介してあり またその品物についてもこれこれの経緯でこのようなことが考えられると慎重な意見が述べられていて 自分が読んだ限りではイガエルヤディンは大変 誠実な人で この本は大変まじめな本だと感じました「6日戦争はこのあとの出来事なので参加して大勢のパレスチナ人を殺したり この発掘に参加してスパイダーマンみたいな能力で発掘を助けてくれた 軍の赤毛さんも戦死したのは残念です」
また 断崖絶壁の洞穴にはいって調査するというのがいかに大変かということもわかりました「ちょっと関係ないけどこんな感じかなー

一例 61ページ
もしも読者のうちだれかが古代の文書を発見するためには、死海の近くの洞窟の所までハイヤーを乗りつけさえすればよいというような幻想を抱いてきたならば、ここに述べたわれわれの冒険がその夢を覚ましてくれるであろう

あと 最初の方の発見でみんなアゴのない骸骨ばかりが発見された様子から当時の状況を推測するくだりもこわかったです また夜トイレに行けなくなりましたー

というわけでやっぱりKAOさんはワンピースのニコ.ロビンにしか思えなくなりました

編集者 てつてつ (2017年01月24日 10:47:09)

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#113 2017年01月24日 15:35:50

ラハム
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

わたしも「出エジプト記の秘密」注文しました。
送料合わせて600円ぐらいで、
てつてつさんみたく安くないですが、
新品よりぐっと安いです。
最近聞いたことで出エジプト記後半に記載されている
幕屋づくりが聖書全体の主題に関係しているという
説明が興味深かったので、
その資料を読んでみたくなりました…。

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#114 2017年01月24日 22:18:09

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさん
面白い本だったでしょ。私はマサダの方が面白かったです。イガエルさんは、さすがにそこまでいいかげんな人ではないですよ。一応ちゃんとした考古学者ではあります。ただし、彼が掘り返したのは第一次ユダヤ戦争や第二次ユダヤ戦争など、聖書外資料も豊富で、特に同時代人であるヨセフスの記述などでよく知られた場所なので、驚くべき発見というより、より具体的な様子が判ったという感じのものです。
思うに彼は、自分とバル・コホバを重ね合わせながら現実の中東戦争を戦っていたのだと思います。
私は父も歴史家なので、とにかく小さい頃からよく本を買い与えられました。発掘にも連れて行ってもらっていましたし、実家には土器の破片とかまだあると思います。

#115 2017年01月25日 05:25:23

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 書き込みありがとうございます

思うに彼は、自分とバル・コホバを重ね合わせながら現実の中東戦争を戦っていたのだと思います

そうですね この本の中にも 子供たちがバル・コホバごっこをしているということが書かれていましたから

私は父も歴史家なので、とにかく小さい頃からよく本を買い与えられました。発掘にも連れて行ってもらっていましたし、実家には土器の破片とかまだあると思います。

やっぱり ニコ.ロビンだったんですね マサダ来たらまた読んでみます ありがとうございました

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#116 2017年01月27日 17:17:03

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん こんにちは マサダちょっと読んでみました
自分は前にユダヤ戦記少し読んだことあるので マサダについても分かった気になっていて別にいいかなーなんて思っていたのですが 全然違いました

イガエル.ヤディンさんは今回はかなり大規模に再調査したみたいですね まあバルコホバの時の崖の洞窟ほどの危険はないのかなと思いました エホバの証人みたいに自費で2週間ずつの自発奉仕者も募ったところものすごい応募があったみたいですね でも灼熱の砂漠のようなところで66000立方メートルの土をふるいにかけて 指輪とか硬貨をさがすなんて 地獄のような作業です でもほとんどの人は喜んで作業してくりかえし来た人もいたようです

これを読んでわかったことのひとつは いやーヘロデ大王はやっぱり建築の天才だわーという感じです 「自分の親族も多く殺し人間としては悪人ですけど」水もない砂漠の真ん中の高い丘の上に自分に危機が迫ったときの最後の砦として建てたと思うのですが 普通のときと変わらぬ快適な生活ができるように 宮殿 サウナみたいなローマ式の熱いお風呂とつめたい水風呂に交互に入れる施設 プール エトセトラです 発掘調査中に強い雨があって その水ための方角に水が流れてくる様子のところはどきどきしました「途中でこわれていたので実際に水はたまらなかったのですが」

またユダヤ戦記のヨセフスの記述と実際の様子がかなり一致しているのも興味深かったです

あと このマサダで最後に自決した人たちはユダヤ人の英雄なんですね 自分は集団自殺した人民寺院のような狂信的なカルト扱いなのかなと思っていたのですが 日本でいうとゼロ戦や人間魚雷回天の特攻隊員のような感じで日本人にとってはお国のために命をささげた英霊ですけど アメリカ人から見れば狂気でしょう 「今日でもマサダ や バルコホバがイスラエルの士気を高めるために利用されているのは ちょっと悲しいです」

なんだかちょっぴり考古学者の気分を味わうことができました どうもありがとうございました

編集者 てつてつ (2017年01月27日 17:25:01)

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#117 2017年01月27日 19:11:55

ラハム
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

てつてつさんの感想文ってハラハラドキドキするときがあります。
迫力があって自分に迫ってくるような気がするんです。
「発掘された聖書」は興味深々ですが、
風邪で体調が思わしくなく、読破は遅々として進みません。
ちょっとじれったいです…。

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#118 2017年01月27日 21:52:14

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

考古学の本ですけど、読み物としてもすごく面白いでしょ?早稲田大学の吉村作治先生が、子どもの頃ツタンカーメン王の本を読んで考古学にハマっていったという心境が分かる気がします。
私が子どもながらに感じたのは、ユダヤ人たちは、あのような孤立した極限状況にあっても、10分の1献金を欠かさないなど、厳格に律法に従っていたにもかかわらず、神は救いの手を差し伸べることなく悲劇的な結末を迎えました。旧約の物語が全て事実であったなら、天の軍勢を送ってローマ軍を蹴散らしてもおかしくなかったのではないか、ということです。

それで現代のユダヤ人たちは、「信仰」によらず、自らの軍事力で「約束の地」を確固たるものにすることにしたのでしょう。

実は私、上京して間もない頃、山我先生から、先の杉本牧師、長谷川氏も参加しておられたエン・ゲブ遺跡の発掘調査に(まさに2週間の労働者として)誘っていただいたのですが、私はその頃社会人としての歩みを始めたばかりで、もう旧約聖書の勉強をしている余裕もなかったので、後ろ髪引かれる思いで断念しました。ちなみにその時の発掘隊の団長は、これまたここで度々登場した立教大学の月本昭男先生で、月本先生の講座はいくつも受けました。ちょうど岩波版旧約聖書の「創世記」の翻訳作業を進めておられる時期だったので、創世記に関するお話がほとんどでしたが・・・
山我先生からは土産話はたくさん聞かされましたよ。日中は暑くて作業はできないので、午前中と夕方だけの作業だったそうです。なので観光をする時間もあるよと誘われたのですが。
月本先生はさすがに考古学者なだけに、土器の形状や特徴を見るだけで、「だいたい○○年から○○年くらいの土器だね~」と判断できることに感心しておられました。

それとこの『ナザレのイエスは神の子か』少しずつですが、かなり読み進めました。なんとなく正体が掴めてきましたよ。残念ながら、というか予想通り、たいして読む価値のある本ではありませんね。印象だけでこう言っているのはなく、きちんと吟味した結果をお知らせしますので、もう少しお時間をください。
ラハムさんも、マイペースで読書頑張ってくださいね。

#119 2017年01月27日 22:58:10

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ささらさん
強い探究心を持って学び続けておられ、いつも感心して読ませていただいています。最近心底思うのですが、本当の意味での勉強は、大人になってから始まるのだな~ということを実感します。ただしこれを学校で口にするわけにはいきませんけどね(汗)
教室では「今のうちにしっかり勉強しなさい」って言ってます(笑)

#120 2017年01月28日 06:45:30

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん 書き込みありがとうございます

ユダヤ人たちは、あのような孤立した極限状況にあっても、10分の1献金を欠かさない

発掘の際に 神殿税のためとおもわれる銀貨が大量に見つかりましたね
128ページ
なぜ硬貨がこの建物に集中していたのかは、決して正確には分らないであろう。最初の貯えが見つかった室に印されていたのは、「ヒレル」という名であった。このヒレルなる人物は、定めの半シェケル銀貨の献金として神殿〔イェルサレムの〕へ送るために、硬貨の一部を集めた祭司だったのでもあろうか

(マタイ 17:25‐27) …シモンよ,あなたはどう考えますか。地の王たちは租税や人頭税をだれから受け取っていますか。自分の子たちからですか,それともよその人たちからですか」。26彼が,「よその人たちからです」と言うと,イエスはこう言われた。「そうであれば,子たちは税を課されていないのです。27しかし,彼らをつまずかせないために,あなたは海に行き,釣り針を投じて,最初に上がる魚を取りなさい。その口を開けば,あなたはスタテル硬貨一つを見つけるでしょう。それを取って,わたしとあなたのために彼らに与えなさい」。

実は私、上京して間もない頃、山我先生から、先の杉本牧師、長谷川氏も参加しておられたエン・ゲブ遺跡の発掘調査に(まさに2週間の労働者として)誘っていただいたのですが、私はその頃社会人としての歩みを始めたばかりで、もう旧約聖書の勉強をしている余裕もなかったので、後ろ髪引かれる思いで断念しました。

そそそそーなんですか! これはものすごく苦しい選択でしたね でもさそわれるKAOさんていったい何者....

あと 儀式浸礼用のプールもありましたが彼らの律法の解釈による水の違いにも細心の注意を払っている様子がすごい興味深かったです イエスの言葉を思い出しました
(マタイ 23:23) …「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです…

(マルコ 7:3, 4) …というのは,パリサイ人とすべてのユダヤ人は,昔の人たちからの伝統を堅く守って,手をひじまで洗わなければ食事をせず,4市場から戻ったときには,水を振り掛けて身を清めなければ食事をしないからである。そして,杯と水差しと銅器のバプテスマなど,彼らが受け継いで堅く守る伝統はほかにもたくさんあったのである…


それとこの『ナザレのイエスは神の子か』少しずつですが、かなり読み進めました。なんとなく正体が掴めてきましたよ。残念ながら、というか予想通り、たいして読む価値のある本ではありませんね。

いや別にもう読まなくとも.....

またよろしくお願いします

編集者 てつてつ (2017年01月28日 06:57:54)

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#121 2017年01月29日 07:12:28

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ささらさん こんにちは 「出エジプト記の秘密」ちょっと読んだ「というよりページパラパラ開いた程度」

一般の学術書とか学説とはちょっと違います。
でも、一般書とも違って、かなり聖書に関心がないと読み進めません。
アマルナ書簡からの説明とかも出てくるので、ちょっと予備知識あると更に面白いです。
しばらく前に読んでちょっと気になっていました。
全面的に受け入れられなくても、ひとつの説として面白いです。

確かに一つの説としては興味深いと思います 聖書の契約の箱とエジプトにあるものなど似ていますしね ただイスラエルの出エジプト自体の実際的な証拠がないようですので それが明らかになるまで保留みたいな感じです 「著者の努力はすごいなと思いました」

オフライン

#122 2017年01月29日 09:33:03

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ただし、史料として有用な部分と、あくまでも著者の予想の部分とを読み分ける必要があるかと思います。

聖書の記述にエジプトの影響は少なからずあると思います ただささらさんのいわれるように見極めが大切かなと思います 情報として知っておけばまた将来新しい証拠が出たときに再度調べるきっかけになると思います
どうもありがとうございました

オフライン

#123 2017年01月31日 06:13:04

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

ささらさん こんにちは 文字の歴史少し読ませていただきました
最初の楔形文字やヒエログリフなどの特徴から 解読 現代に至るまでの文字や字体 筆記用具の変化 印刷方法の発達 エトセトラ など分かりやすくまとめてあり大変勉強になりました

そんなわけで「聖書には真実の歴史が書かれている!」と信じている方々には気の毒な限りですが
世界中の文字の多くは(中国語、日本語などは今回「度外視」しています)
シュメールとエジプトの文化から生まれ、育ってきたものです。
初めに書いたようにノアの日の洪水が今から約4400年ほど前である(と計算できる)ならそれよりも100~200年後にバベルの塔の崩壊と共に世界中に言語が散っていった・・・とする記述はやはり「創作」と言わざるを得ないでしょう。
シュメール人とエジプト人は約5000~5500年前には、ただ絵を描いただけではなく伝達手段としての文字体系の基礎を作り上げていたのですから。

やっぱりこう結論せざるを得ないかもしれませんね どうもありがとうございました

オフライン

#124 2017年02月01日 23:10:42

KAO
ゲストユーザー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

元証人さんは退出なさったようなので、もう取り上げる必要もないのかもしれませんが、2500円も払って購入しましたし、他にも購入なさって読み始められた方もいらっしゃるようなので、『ナザレのイエスは神の子か』に関して、てつてつさんに倣って自分なりのリーディングレポートを残しておこうと思います。というより、手にする前から確認したいところは決まっていました。それはB・M・メツガーさんについて書いてある部分です。なぜかというと、元証人さんが「B・D・アーマンを読むなら、その師であるメツガーさんも読みなさい。」と繰り返しおっしゃっていたからです。
メツガーさんが新約聖書の本文学における第一人者でありながら、信仰的には極度に保守的な人物で、ネストレ本文にも(妥当かどうかの評価は別にして)大きな影響を与えている人物だということはよく知られていることです。

そのメツガーさんが『ナザレのイエスは神の子か』に登場するのは91~116ページの部分で、そこでは著者のストロベルさんの質問に答える形で、メツガーさんが本文学について述べていらっしゃいます。
まずストロベルさんの疑問は、長年に渡って筆写が繰り返された結果、現在我々が手にしている新約聖書は、元のオリジナルと同じであると信じられるのか? というものです。
それに対しメツガーさんは、以下の点を指摘します。
① ギリシャ悲劇等の他の古典に比べ、新約本文の写本の数は圧倒的にたくさん現存する。
② 初期の写本の中には、イエスや使徒たちが生きた時代からそう遠くない時代の物がある。
③ ギリシャ語写本の他、近隣の古代語の翻訳や、教父の著作の中には引用も豊富にある。
そして結論は、
「自信をもって、聖書の内容が正確に筆写されてきた」(P102)とおっしゃるのです。

さて、ここでメツガーさんの別の著作に移りますが、『新約聖書の本文研究』(聖文舎:1973年、原著第3版からの翻訳は日本基督教団出版局:1999年)は、私にとって、大学における「新約本文学演習」のテキストでもありましたし、同じく『図説ギリシャ語聖書の写本』も邦訳(教文館:1985年)があって手元にありましたので、今回あわせて読みなおしてみました。

結論から言いますと、メツガーさんの書いた学術書には、上のような楽観的な発言は全く見られず、研究者として至極まっとうな論述が見られるだけです。さすがに専門家やその卵を相手とした学術書の中で、「自信をもって、聖書の内容が正確に筆写されてきた」(P102)などと発言することは、研究者としての姿勢が根本的なところから疑われることを認識しているのでしょう。

①について
今日参照することができる5000を越える写本の存在は、果たして失われたオリジナルに肉薄することを「保証」してくれるものなのでしょうか? 無数にある写本の存在は、その数に比例するだけの「異読」の存在を意味します。単純に数学的な判断からいえば、分母(選択肢)が大きくなれば大きくなるほどオリジナルにたどり着く可能性は低下します。
(「声を1オクターブ上」げて)語った「五千部以上」という数字の出し方も問題です。これは当然、新約文書全ての章節に対する数の合計であって、その分布もバラバラであれば、ハガキか名刺サイズの断片でしかないものも多数あります。実際のテキストの釈義にあたって考慮すべき写本は、特定の傾向によって分類された「家族」であって、その数は数えるほどしかありません。メツガーさん本人も『ナザレのイエスは神の子か』では小文字写本だけでも「二千八百五十六枚にのぼります。」と大風呂敷を広げますが、『新約聖書の本文研究』の第2章「新約聖書の重要な小文字ギリシア語写本」の項目で挙げるのは20個だけではありませんか(P78~82) それに、重要なのは写本の「数」ではなく「質」です。そしてその質が高いもの同士が異なる読みを示している場合、簡単に判断がつく場合がある一方、どちらを採用すべきか判断がつかない場合も多いのです。だからこそメツガーさんは言います。
「ある場合には、2つの相違する読み方のうち、それぞれを支持する証言がほとんど均等に分かれて対立し、いずれか一方を決定することがきわめて難しい。」(『新約聖書の本文研究』P22)

ひとつだけ例を挙げておきましょう。マタイ21章28~31節「二人の息子のたとえ」ですが、口語訳と新共同訳では、兄と弟の役割が完全に入れ替わっています。これと同じ逆転現象が、旧来の新世界訳と2013年版新世界訳(英文)の間でも起こっています。理由はとても簡単で、ネストレ・アーラントのアパラトゥス(欄外資料欄)を見れば一目瞭然、口語訳はバチカン写本の読みを採用しており、新共同訳はシナイ写本の読みを採用しています。このように新約本文において重要な2つの写本の読みが対立している場合、そのどちらを採用するかは高度な神学的判断によるのですが、それらは専門家の間においても常に意見が一致するわけではありません。新共同訳が今回口語訳と異なる判断を下した理由はいくつも考えられますが、それは今日の課題ではありません。ものみの搭協会のように、こういった例え話に「現代における成就」などを読み込もうとすると、解釈がひっくり返る可能性だってあるのです。

②について
メツガーさんがここで言及なさっているのは、マンチェスターのジョン・ライランズ図書館が所蔵するP52という写本番号で知られる、それこそ名刺サイズの小さなヨハネ福音書の断片のことです。現物でなくとも写真をご覧になりたい方は、先に紹介したメツガーさんの『図説ギリシャ語聖書の写本』(教文館:1985年:8240円)の73ページか、蛭沼寿雄先生の『新約本文のパピルス第Ⅲ巻』(新教出版社:2010年:16200円)の951ページで(原寸大)で見ることができます。表裏合わせて100字に満たない(欠損部分の予測含む)断片です。
この断片の書かれた年代が2世紀中ごろとされていて、もしそうであればイエスの死から100年ちょっとということで、この断片がエジプトで発見されたことを考えると、このヨハネ福音書の写本は、原本が書かれてから「数十年の間に」写されたものだと高く評価なさっているわけです(P95)。
すなわち、ここが重要ですが、メツガーさんとストロベルさんは、本文伝達の正確性は、出来事が起こってから、それが記述されるまでの期間が短ければ短いほど正確に伝達されたに違いない、とお考えのようです(一理あります)。

それではここで問題です。今から100年と少し前、新しいキリスト教系の団体を立ち上げたアメリカ人が、もうすぐこの世は終わると預言して、自分の思想をたくさんの書物として残しました。果たしてそれを信じ続けている後継者の弟子たちは、今日、彼の文章を正確に引用し、伝えているでしょうか? 本人の著作である「聖書研究シリーズ全6巻」は、彼の死後の版では、(何の但し書きもなく)あちこち改訂されてはいないでしょうか?
そしてより根本的な部分として、「1874年」とあった教えを、「1914年」と書き換えたりはしていないでしょうか? そしてこれらの改訂(改竄)は、「数十年の間に」どころか本人の死後すぐに始まってはいないでしょうか?
文章が正確に伝わるかどうかは、時間の短さではなく動機によって決まるのです。

ずっと後代に書かれた写本が、それよりも年代的に古い時期に書かれた写本より、オリジナルに近い「読み」を保存している場合があるということは本文批評学のイロハであって、メツガーさんも当然ご存知のことです。メツガーさん、「信仰書」の取材だからといって、あまりいい加減なことを言わない方がいいですよ。

③について
古代語訳のうち、2~3世紀に由来するものについては、今日知られる大文字写本(3~4世紀)よりもさらに古い本文が底本に使われた可能性が高く、参考に値する場合も確かにあり、ネストレでは70人あまりの教父の引用を参照できますが、この点についてメツガーさんはインタビューにこう答えています。

「もし今日ギリシャ語の写本がなかったとしても、こうした比較的古い時代の翻訳に書かれた情報をつなぎ合わせることで、オリジナルの新約聖書の内容を再現することができるのです。」(『ナザレのイエスは神の子か』P95)

(タッチ風に・・・)ちょっと、ちょっとちょっと!
メツガーさん正気ですか? あなた自分の本にはこう書いているじゃありませんか。

「これらの翻訳は2世紀、3世紀に起源するので、きわめて重要なものである。しかし同時に、翻訳文を新約聖書の本文批評に適用するのはかなりの限度があることにも注意すべきである。ギリシャ語を自由にあやつるだけの力のない者が訳したものもあるし、またギリシャ語の文章や語彙の特徴は必ずしも他国語に訳されるとは限らない。-具体例中略- 新約聖書の古代語訳の研究は、いろいろなギリシャ語写本から、いろいろな人がいろいろな翻訳をしたという事情のおかげで、複雑きわまるものである。その上、ある言語の訳本は他の訳本で、また翻訳の底本とは別のギリシャ語写本で校訂されていることがある。このようにして古代語訳の批評的編集を再建するのは、もとのギリシャ語本文を編集するよりも厄介なことが多い。」(『新約聖書の本文研究』新版P83)

たとえギリシャ語写本が「あっても!」、古代語をあてにした校訂には大きな困難が伴うので、その使用には「限度がある」というのが本文学者メツガー先生の認識ですよ! 酔っ払ってインタビュー受けちゃダメです。

「メツガーも読むべきだ」と主張なさった元証人さんはこれらの本も当然読んでいるはずですが、私がその奨めに応じて読んでみた学術書におけるメツガー先生の論述と、『ナザレのイエスは神の子か』における彼の受け答えとは、とってもチグハグな印象しか受けませんでした。
学術書におけるメツガーさんの主張は専門家らしく慎重なものであって、こういった本文学の諸理論に基づく研究は、結局のところ「原本」が存在しない古典の本文確定という作業が、どこまでも「暫定的な可能性の追求」という営みであることをよく自覚されているようでした。誰も太鼓判など押せない「はず」なんです。
他の専門家の発言の中には、ヘルムート・ケスターの、「2世紀の福音書本文について我々は何も知らない」という指摘や、ネストレ校訂者の一人、バルバラ・アーラントの「写本伝承が反映している本文は、著者自筆のものから相当異なっている」(「New Testament Criticism」:1994)といった、悲観的とさえ思えるものもあります。

もうお分かりでしょうか? 『ナザレのイエスは神の子か』におけるメツガーさんの発言は、彼の信仰的立場からすれば半分本気だと思いますが、半分は(良心的に受け取れば)素人さん相手のリップサービスに過ぎないということです。
私だって、ミッションスクールや教会学校の教師をしていた頃は、子どもたちに対して、ノアの箱舟やバベルの塔の話をして聞かせましたし、定期的に礼拝説教も担当しました。そこでは決して「自由主義神学」の研究成果を盛り込んだりしませんでしたよ(笑)。
それはメツガーさんも同じで、ジャーナリストさんが「新約聖書の信憑性」について遠路はるばる質問に来たのならば、数限りない「安心材料」を提供してあげたいと思ったことでしょう。「まったく信用なりません!」という回答を求めてわざわざ自分のところにやって来たとは思わないはずです。

あるいは少し悪意を持った想像で、こちらの方が真実に迫っているとも思いますが・・・
彼はこの世界では、いわゆる御用学者の部類ですから、いうなれば、原発メーカーの技術者や経産省の役人が、専門家として誰よりも核反応の制御技術の限界やリスクを知りながら、住民説明会や学校向け副読本で「安全性にはまったく問題はございません」「信用していただいて結構です」と吹聴して回っている姿が重なりました。

それからついでに、この『ナザレのイエスは神の子か』の中で、調査対象として登場し、証言する学者たちの全てが、例外なくゴリゴリの福音派の論客ばかりなのはどうしてなのでしょうか?これでは「公平な姿勢」どころか、原爆投下の賛否についてインタビューするのに米国退役軍人協会を訪れるようなものでしょう。このジャーナリストさんが、今回の取材相手をどのようにして選び出したのかこの本には書いてありませんが、少なくとも得たい結論は最初から見え見えで、ハッキリ言えば茶番です。

元証人さんや、このような本で信仰を鼓舞されたいと願っている人たちは、「聖書を信じられる根拠」を欲している人たちだと思います。そしてその一番の問題は、その「根拠」を求めて一所懸命お勉強をすることで、「信仰の根拠」が学問的にも証明され得ると信じ込んでしまったことでしょう。メツガーさんの最後の言葉も同じです。
「研究は私の信仰を育ててくれました・・・揺るぎない信頼を持っています」(P115)

本人がどういう信仰告白をしようと自由です。弟子のアーマンさんは信仰を棄てました。同じ研究から何を得るかは人それぞれです。原爆開発後、嬉々としてさらなる核兵器開発を推進していった科学者もいれば、自分たちの生み出したものの恐ろしさに、死ぬまで後悔の念に苛まれた科学者もいます。

私はなにも「信仰の根拠」なるものを破壊しようと躍起になっているわけではありません。田川先生が言っておられるように、「要するに、わからないことはわからないので、学問というのは、残念ながらこれ以上はわからないよ、ということを正直に明らかにするのが仕事なのだ。」(『書物としての新約聖書』P388)
「生命の始まり」や「死後の状態」、「神の名の発音」など、神が人間に、知らずともよいとされている事柄に対し、謙虚でありたいと願っているだけです。

ほか、ギリシャ語の語順に自由度がある話や、聖典成立史を扱った部分(ここはヒドイ!)、それからイエス・セミナーについての章にも論評を加えたい衝動に駆られますが・・・とにかく読んでいてイライラする本でした。
論証抜きで「それはもう古い説です!」「それは一面しか捉えていません!」で一蹴してしまうのも手でしょうけどね(笑)。

#125 2017年02月02日 07:11:57

てつてつ
メンバー

Re: ナザレのイエスは神の子か の本について

KAOさん大変詳細な書き込みありがとうございます

てつてつさんに倣って自分なりのリーディングレポートを残しておこうと思います。

レレレレレベルが違いすぎますー cry

結論から言いますと、メツガーさんの書いた学術書には、上のような楽観的な発言は全く見られず、研究者として至極まっとうな論述が見られるだけです。さすがに専門家やその卵を相手とした学術書の中で、「自信をもって、聖書の内容が正確に筆写されてきた」(P102)などと発言することは、研究者としての姿勢が根本的なところから疑われることを認識しているのでしょう。

もうお分かりでしょうか? 『ナザレのイエスは神の子か』におけるメツガーさんの発言は、彼の信仰的立場からすれば半分本気だと思いますが、半分は(良心的に受け取れば)素人さん相手のリップサービスに過ぎないということです。

それはメツガーさんも同じで、ジャーナリストさんが「新約聖書の信憑性」について遠路はるばる質問に来たのならば、数限りない「安心材料」を提供してあげたいと思ったことでしょう。「まったく信用なりません!」という回答を求めてわざわざ自分のところにやって来たとは思わないはずです。

これはよくわかります 相手がプロばかりのところでは絶対くちにしないことも そうではない記者の取材ならちょっとうれしくなって相手の聞きたいことをついしゃべってあげてリップサービスしてあげてしまうかもしれませんね

あるいは少し悪意を持った想像で、こちらの方が真実に迫っているとも思いますが・・・
彼はこの世界では、いわゆる御用学者の部類ですから、いうなれば、原発メーカーの技術者や経産省の役人が、専門家として誰よりも核反応の制御技術の限界やリスクを知りながら、住民説明会や学校向け副読本で「安全性にはまったく問題はございません」「信用していただいて結構です」と吹聴して回っている姿が重なりました

こちらは真実味があってこわいです

それからついでに、この『ナザレのイエスは神の子か』の中で、調査対象として登場し、証言する学者たちの全てが、例外なくゴリゴリの福音派の論客ばかりなのはどうしてなのでしょうか?これでは「公平な姿勢」どころか、原爆投下の賛否についてインタビューするのに米国退役軍人協会を訪れるようなものでしょう。このジャーナリストさんが、今回の取材相手をどのようにして選び出したのかこの本には書いてありませんが、少なくとも得たい結論は最初から見え見えで、ハッキリ言えば茶番です。

アマゾンの評価にも同じ意見の人がいますね

内容面で気になったのは、インタビューに応じ意見を表明してくれたのが護教論者のみであり、彼らと対極に位置する無神論者などとのインタビューが無く、中立性に対する疑念と物足りなさが残ったこと。ジャーナリズムを貫くのであれば、無神論者からも話を聞くべきでしょう

田川先生が言っておられるように、「要するに、わからないことはわからないので、学問というのは、残念ながらこれ以上はわからないよ、ということを正直に明らかにするのが仕事なのだ。

自分もそう思います

ほか、ギリシャ語の語順に自由度がある話や、聖典成立史を扱った部分(ここはヒドイ!)、それからイエス・セミナーについての章にも論評を加えたい衝動に駆られますが・・・とにかく読んでいてイライラする本でした。

貴重な時間とお金を使わせて大変申し訳ありませんでした cry でもこのレポートで十分その価値はあると思います kiss
自分にとっては 霊の剣で その骨髄を分けるまでに刺し通し 主よ良くぞ言われましたという感じです
(エフェソス 6:17) …それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい…
(ヘブライ 4:12) …神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです…
(ルカ 20:39) …書士の幾人かがそれにこたえて言った,「師よ,よくぞ言われました」…

編集者 てつてつ (2017年02月02日 09:03:34)

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