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#1101 2022年11月27日 10:09:19

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

皆さま、おはようございます。
トリビア君は、ヘブライ語「カーナー」に関しても独自の間違い解釈を施していますがそれもまた来週にでも旅先から帰って落ち着いた時には具体的に書こうと思っています。
家でないとゆっくりできませんので。
それでも大事な点はある程度書きましたので分析してみて下さい。

テサロニケの箇所でのトリビア君のトンデモ解釈が有り得ないものである事は既に示しました。
andの前の並列されたものが1つのものになるという文法ルールはありません。勘違いもいいところです。
ギリシャ語を学んだ人なら言わないような事です。イエスが人の子であり神の子というのは第一に、イエスが完全な神であり人であられるという事です。
洗礼は、父、子、聖霊の名で授けますがトリビア君の変な解釈では、父なる神と、被造物である天使ミカエルと聖霊の名によるバプテスマという成立しないものになります。
ミカエルが神ではない事は聖書から分かり、イエスが天使や被造物ではなく受肉された神であられる事はいたるところで示されています。

神と書いてあるから神というのは間違いだとトリビア君は主張するのですが、サタンが「この世の神」とか、人間に向かって皮肉で「神々」と言われる事はあっても神でないものを神と示す事は有り得ません。
そこは素直にイエスは主、神であるとあるならそのように読まなくてはならないのです。逆にイエスがミカエルなどとは聖書は述べておりません。
「見よ」にはそこにいるの意味はなく、「そこにいる」と使う時は強調の為の慣用句です。「見よ」が文字通りそこにある状態ではなく強調の意味で用いられるのはコンコルダンスで引けば分かる事です。
見よとあるからそこにいたのだという一箇所の解釈、変に意味を読み取ろうとするのはおかしな事です。
強力な天的存在であるなら描写も似るわけで、そっくりだから同一などという解釈が単純なのです。イエスが神である事を示す多くの箇所を無視して、ミカエルとこじつけ自分の読み方に誘導しているのがトリビア君です。

ミカエルの名前からも、発言からも、他の多くのイエス様や聖霊を神と示す箇所からもミカエル説は成り立たないものです。

イエスが御使いの声【により】号令を放つなどとはギリシャ語本文からも到底あり得ず、メチャクチャな解釈です。聖書に付け加えて自分勝手な解釈や妄想をトリビア君は加えています。そのような空想話や勝手な解釈こそ、滅びに至るもので聖書が禁じているものです。

それでいて、真実を伝えるクリスチャンたちをパリサイ派だのサタンの霊だのと言うのですから聖霊により証している人々を否定するなら聖霊の冒瀆になるでしょう。そしてこれは、非常に重要な点ですが、トリビア君やミカエルイエス同一論者の人たちは聖霊をエネルギーや力として見ていて人格がある存在として見ていないのではないかと思います。

父、子、聖霊の名によるバプテスマだけでなく、
イエスの名のバプテスマもありますがトリビア説では御使いの頭の名でバプテスマを受けるそうです。
言うまでもなく、ミカエルが神であるイエスと同等と書かれている箇所はありません。

イエスをミカエルとしなければ救われないわけではないと言いながら執拗に独自のミカエル説にこだわる態度は意味不明です。



間違い解釈を指摘されても悔い改めず頑なな態度で悔い改めもしないならばどうしようもないですが、読者の方たちには、どのように半端に独学の人が逸れていくのかトリビア君から具体例を見れますので、あといくつか指摘してその後は神様に委ねたいと思います。

皆さまも曲解して変な道に行かれませんようお祈り致します。

#1102 2022年11月27日 10:16:48

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

そもそも、イエスを主とする者が救われる、主であるイエスの名を呼び求める者が救われるわけです。
イエスをミカエルとする者やミカエルの名を呼び、ミカエルの名に信仰を働かせる者が救われるのではありません。
イエス様を被造物とする人は個人的にイエス様やまことの神様とまだ出会っていない人です。

頑なな態度で独自解釈に固執することなく神様に真理を教えてくださいと幼子のような態度で謙遜に求めてください。

#1103 2022年11月27日 10:49:51

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

イエスを被造物とするのはjwに限らず、アリウス派の焼き直しに過ぎず、イエス様を被造物とする誤りは多くの書物や人物によって指摘されています。つまりトリビア君の解釈は天使崇拝の偽物、過去に否定されたアリウス派の焼き直しなのです。
御使いの頭の十字架で贖われたと考えるなら愚かな事です。

#1104 2022年11月27日 11:14:13

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

仰天さん、ちっとも進歩しませんね。

仰天 さんの発言:

間違い解釈を指摘されても悔い改めず頑なな態度で悔い改めもしないならばどうしようもないですが、読者の方たちには、どのように半端に独学の人が逸れていくのかトリビア君から具体例を見れますので、あといくつか指摘してその後は神様に委ねたいと思います。

皆さまも曲解して変な道に行かれませんようお祈り致します。

多少は謙遜なもの言いになってますけれども。
要するに「俺が正しいと思うことが正しい。それ以外は勘違いで間違っている」ですよね?
その正しさの根拠が証明されない限り、シュウイチの生きたお肉と同じです。

#1105 2022年11月27日 11:30:17

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

シュウイチなのはトリビア君とモトシモベお爺ちゃんでしょう。
口も悪い、反省もない。

#1106 2022年11月27日 11:57:41

モトシモベ
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

あ、もうひとつ。

コピペ大好き仰天さんのお話って、結局は他人の考えたことの寄せ集めですよね。
確か以前「キメラ証人」と名乗っていましたけれども、聖書の知識をつまみ食いしている有様、まさにそれです。
人の褌で相撲をとっては人を見下してドヤ顔するの、最高にダサいと思います。

実るほど頭を垂れる稲穂かな。
わたしの好きな言葉です。

#1107 2022年11月27日 12:27:34

横入りご免
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

仰天 さんの発言:

シュウイチなのはトリビア君とモトシモベお爺ちゃんでしょう。
口も悪い、反省もない。

アラカンGさ~ん、親子ほど年違うモトシモベさんをお爺ちゃんと呼んで、孫年齢のトリビア君にも顔真っ赤にして突っかかって、認知症始まってないかい。
あれだけみっともない去り方して、挨拶もなく掲示板戻ってきてドヤ顔。反省するのはGさんのほうですよ。

#1108 2022年11月27日 12:57:22

それじゃ(仰天)
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

トリビアの泉ではなく、滅びへの泉ね。

#1109 2022年11月28日 08:20:37

無知なトリビア君へ(仰天)
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

自分では分からない事だらけと述べて、どの団体にも間違った箇所があると主張しながら自分の間違いを指摘されても否定し、終始マウントを取って批判しているのはあなたです。

セブンデー・アドベンチストの間違いは既に多くの人が指摘しています。ここでもダグの見解の間違いは指摘されていますので読みましょう。

https://note.com/risingdestiny/n/n132234e3ac73

トリビア君は自らの間違いを自分で晒し、矯正されているのです。わかった気になっていないでしっかりと調べるべきです。

#1110 2022年11月28日 17:15:22

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

イエスは神。神様はトリビアさんを造ってくださった方ですが、もしかしてもしかしてご存じないのですか⁈

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。ヨハネ1:10
アーメン

#1111 2022年11月28日 22:11:11

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

ἐν
与格支配で「〜で」「〜の中で」「〜の上で」の意味を持ちラテン語のin + 奪格に相当します。


「み使いの声で」とはならないのは明白。嘘を伝える偽りの証人トリビア君。「号令の中で、み使いの合図の中、そして神のラッパの中で」イエス様がくだって来られます。

ギリシャ語を学んだ者ならトリビア説には惑わされません。私の恩師はギリシャ語学者ですから。

ダグ・バチェラーの文章から影響を受けてはいるもののセブンデー・アドベンチストに賛同していないと言う。

それは当然だ。セブンデーは三位一体を否定していないからです。それならまだ救われる余地はかなりあるのですが、トリビア妄想説の偽キリスト教(ミカエル教)ではイエスが被造物とする。

被造物を主と呼び、崇める愚かさ。

コロサイの信徒への手紙/ 01章 16節

「天にあるものも地にあるものも/見えるものも見えないものも/王座も主権も/支配も権威も/万物は御子において造られたからです。/万物は御子によって、御子のために造られたのです。 」


イザヤ書/ 44章 24節

「あなたの贖い主/あなたを母の胎にいる時から形づくられた方/主はこう言われる。/私は主、万物を造った者。/独りで天を広げ、自ら地を踏み広げた者。 」

全てのものは御子によって御子のために造られており、御子は神であられる事は明らかです。神はひとりで天を広げられました。神は、父、子、聖霊なる主、YHWHただおひとりであられます。

ユダの手紙/ 00章 09節

「大天使ミカエルは、モーセの体のことで悪魔と言い争ったとき、あえて罵って相手を裁こうとはせず、ただ「主があなたを戒めてくださるように」と言いました。 」

主イエスは王の王、主の主であられ裁き主ですが、天使に過ぎないミカエルは反逆前に高い位にいたサタンを罵る事も裁きも行えませんでした。ミカエルは裁く権威はなく、天使長のひとりに過ぎないからです。

トリビア君は、自分は正しい事をしていると思い込んでいてクリスチャンを迫害してクリスチャン殺害に間接的に関わったパウロ、また、正しい事をしていると思い込んでイエス様を殺害したユダヤ人の指導者のようです。

パリサイ派というのも、サタンは聖書を引き合いに出すというのも全てトリビア君自身を表しています。

イエス様ではないですが、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」という心境になります。

#1112 2022年11月29日 00:17:46

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

セブンスデーのことはよく知りませんが、前に書いたように初期キリスト教ではイエスがミカエルだと言うことそのものは異端視されなかったようです。ミカエルは天使の君(ラノベのキャラみたいですが)とも呼ばれ、創世記18章に出てくるような天使を従える立場でもある神の位格の一つと同一視することは矛盾を生じさせないと考えられたからです。トリビアさんには理解が難しいかもしれませんが。

ですが、キリストは被造物とまで言ってしまうとJWと同じになってしまいます。

もちろん、JWだから何もかも間違いだということもないのですが、ぽんちゃんさんが引用したヨハネでは、キリストは造られたのではなく造った側とされています。


クリスチャンと言ってもすべて人がクリスチャンがJWのように聖書の一字一句には等しい価値があり、無誤謬であると考えていることもないですし、三位一体も聖書から演繹される教えではありません。

クリスチャンは初めて聖書を読む人には旧約後期の諸書の一つにすぎないダニエル書ではなく、まずヨハネ福音から読むように勧めることが多いようですし、JWにはまずJW教義で洗脳しきってからでなければまともに読んではいけないNo.1の福音書でもあります。


トリビアさんの投稿をすべて読み込めている訳ではありませんが、クリスチャンではない自分には三位一体を信じるも信じないもどっちでもいいと思うのですが、トリビアさんが否定しているのはキリスト教で信じられている三位一体ではなく「JWで教わる三位一体」のような印象です。

#1113 2022年11月29日 09:50:27

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

トリビアさんこんにちは。

ぽんちゃん さんの発言:

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。ヨハネ1:10
アーメン

仰天 さんの発言:

コロサイの信徒への手紙/ 01章 16節

「天にあるものも地にあるものも/見えるものも見えないものも/王座も主権も/支配も権威も/万物は御子において造られたからです。/万物は御子によって、御子のために造られたのです。 」

イエスによって全てが創造された

トリビア さんの発言:

イエスが最初の被造物であり、その後イエスによって全てが創造された

太字の部分がトリビアさんの加筆ですが、♯1132のどこでそれが説明されているのでしょうか?

#1114 2022年11月29日 10:14:56

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

9:イザヤ書/ 13章 09節
見よ、主の日が来る。/容赦ない憤りと燃える怒りをもって/地を荒廃させ、そこから罪人を絶つために。

この箇所から分かるように、見よと訳されるヘブライ語ヒネイにはここにいるの意味はありません。
ここ重要みたいな、聞き手に注意を向けさせる為のヘブライ的表現です。

キリストが神である事を示す多くの箇所を無視してほとんどダニエル書のみからミカエルとする。聖書全体の理解不足、こじつけです。
どのように真理から人が逸れて人間の教えを形成するのかトリビア説から分かるでしょう。
彼が変質したイエスを信じても人間の教えを伝えているのですからイエスから知らないと言われる事は確実です。
どこにも属さず他者を批判するなんてのは誰にでもできる事です。要は素人読みで過去2000年間のあらゆるキリスト教を否定しているわけです。アリウスの説なら過去に否定されたもので、聖書全体から有り得ません。トリビア君は私がまだ追いついていないなどと述べて高慢の霊を示していますが、私にすら数十年遅れており、何世紀分も遅れているのが彼には分からないようです。まさに盲目の案内人と言えるでしょう。

トリビア君は、ものみの塔の書籍と同じく、言語の意味とか色々述べて、一見学術的な体裁を取りますが中身は空想とこじつけと勘違い解釈の資料の価値もないものです。彼には悪いが、ゴミですね。カルトの資料とは言えるかもしれません。
間違った労力を使って調べたりしていますが軌道修正して悔い改めるべきでしょう。(無理な話か)

キリストを神と紹介している聖書箇所があまりにも多く、被造物とする解釈は不可能です。初子、先に生まれた者、アルケー等、基本すら理解していないトリビア君がヘブライ語など到底理解できてないのですから信用しないようにしましょう。(掲示板に誰もイエスミカエル説の賛同者はいませんけど)
神であるイエスが主の使いと呼ばれる天使の姿で現れたというのは通常の理解でありそれは間違いではありません。

三位一体(もしくはキリストの
神性)を否定する時点でアウト。神にしか神の性質はないのですから被造物とする時点でアウトな素人解釈です。単に御託を並べて弱い者に寄り添うとか美化して逸れ、異端に寄り添い、自ら異端となった状態で正統な教会に通う多くの誠実なクリスチャン達に身分不相応にも説教してるわけです。釈迦に説法ですな。

トリビア君は自分はニュートラルで極めて常識をわきまえた一般人だと言いますが、変わり者の常識もない人でしょう。

常識や礼儀のある者は容易に他の人に向かってパリサイ人だのサタンの霊など言いません。私ですらそのような表現は控えます。先に言い出したのは常識のないトリビア君であり、多くのクリスチャン批判を始めて批判の霊、自分の知識や解釈に頼って自己を神とする霊に取り憑かれています。神に頼っていません。
イエスが神である聖句を示されると何の反論もせずに話を他に逸らすのは彼の常套手段のようです。
これくらいにしておきますと言ってもすぐにまた出てくるパターンでしょう。イエスをミカエルとしなくても救いには関係ないと言いながらミカエル説を繰り返して唱えて、嘘も100回言えば本当になるとでも思っているのでしょうか、自己洗脳ですね。言語の意味からコテンパンにやるとかの発言から、彼の場合は真理の探究でもなく、自分の知識(しかも間違い)を見せたい思いが読み取れます。愛の気持ちからではなく自己愛でしょう。
彼は言語の意味もほとんど分かっておりません。完全オリジナルの自己流解釈を信奉しているのです。
ジョエルさんの言うように三位一体も理解していない可能性もあります。

#1115 2022年12月05日 17:32:09

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

患難前携挙の根拠のうちのいくつかが紹介されています。(この動画ではほんの一部ですが)トリビア君の言うような患難前の立場は聖書的な根拠がないなどという事はありません。


https://m.youtube.com/watch?v=9wgUc3XZ02c

#1116 2022年12月07日 14:15:34

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

さて、問題のダニエル10章13節ですが、

しかし、ペルシャ王国の君主は、二十一日間、私に抵抗しました。それから、私がペルシャの王と一緒にそこに拘束されていたので、主要な王子の一人であるミカエルが私を助けに来ました。

アニー・ノータルティを私がそこに残ったとか、足踏みさせられていたとか、拘束されていたと訳しても、そこにミカエルが助けに来たのでダニエルの所にその天使が来れたというだけの事です。

ダニエルの所にミカエルも来たとは言えませんし書いてもないのです。ですからダニエルの所に来た語っている1人の人というのはミカエルに助けられた者ですから容姿が黙示録のイエスと似てる箇所があってもイエスでもミカエルでもありません。
青銅の足とか、金の帯をした天使なら他にも出てきます。人の子というのもエゼキエル本人や他の人間にも何回も用いられていますがまさかエゼキエルたちがメシアとは考えません。

ですから同じ表現が用いられているからといってそれで同じだと考えるのは短絡的でしょう。

聖書はイエスを神として紹介しており、天使は天使ですので神であるイエスが天使の声でなどとはならないのです。神の声は神の声です。

エホバの証人を辞められた人でもまことの神であるイエスに出会われた方はたくさんいらっしゃいます。もちろん、たくさんといってもJW人口も少なく、そこから辞める人も多くはないので全体から見ると少ないですがそれでもイエスを神と認めておられる人、エホバの証人からキリストの証人になった人も結構います。もしまだ、組織を抜けたもののキリストが被造物であって神とは言えないのではないかと組織の教えを引きずっている方がおられたら誠実な問いには答えたいと思います。
結論から言うとイエスミカエル説は非常に無理があります。トリビア君のようにイエスをミカエルだと思い込みたい人は、もはやキリスト教ではないのですから教会を離れてそのような新興宗教に行くしかないでしょう。それでも、彼はJWでも教会でも馴染めない様子ですが・・・・。

#1117 2022年12月07日 20:05:36

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

しかも、トリビア君が天使ミカエルだとしているダニエル書10章5節の亜麻布を着た一人の人、腰にウファズの金の帯を締めていた天使は、原文だと「אִישׁ־」「男」である。

この者をミカエルとするには無理があるだろう。なんせトリビア君の解釈ではガブリエルが男姿で表され、ミカエルは人の子である。この黙示録のイエスに似た点もある天使は「男」なのであるから彼の解釈でいくとガブリエルになる。
実際に、この亜麻布を着て金の帯を締めている御使い、天使はガブリエルだとしている注解もあるのです。
つまり、その御使いをミカエルとする事はできません。
ちなみに、ダニエル10:13の「わたしがペルシアの王たちの所に足止めされていたからである」の箇所をテオドティオン訳と七十人訳は、
「わたしは彼をペルシアの天使長の所に残した」としています。
1世紀のクリスチャンたちは伝道の際にヘブライ語聖書からではなくセプトゥアギンタから引用して伝道していました。そのような事も考慮してかは分からないですが、日本語訳ではミカエルを残したとなっているものもあるのでしょうか。

もちろん、協会共同訳以外にもヘブライ語ヒネイ「見よ」を省いていないものもありますが、イエスミカエル説などにはならずそのような解釈は無理のある展開だと言えるでしょう。

#1118 2022年12月09日 09:46:36

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

トリビア さんの発言:

教会側の問題は「エホバの証人とは一切関係ありません」という看板を立てて結局エホバの証人と議論をすることに恐怖を感じていることですね。エホバの証人から論破されてしまうのではと常々恐れている様子が見受けられます。

最終的に「もう話し合いたくありません」という態度に一変しますからね。どういうことかというと、最初こそエホバの証人救済を掲げながら自らの神学の過ちをjwサイドから指摘されたらもう話しませんという好戦的な態度から負け越しに一変するということです。またjwやめて普通の教会人になる方は結構少ないと思います。なぜならjwも間違ってるけど教会側の教えも間違ってるから。どちらも間違いだらけなんです。

ただそんな間違いだらけであっても地獄行きとかになるわけないように、そう考えるなら今の時点での未信者さんたちも地獄など堕ちないと思います。

これもまた都合のよい解釈です。
聖書を伝える団体ならエホバの証人等いくつもありますので、同じような問題のある新興カルト団体とは一切関係ないという意味で、エホバの証人、モルモン教、統一教会とは関係ありませんと明記している所もあるというだけです。

エホバでありながら隠して「クリスチャン」だと述べて伝え回るパターンもあり教会側からすると非常に迷惑なのです。

しかし、愛を示すのであれば、「エホバの証人、モルモン教、統一教会等でお困りの方は連絡ください」とかの表記のほうが良いのではないかという意見もあります。
議論するのが恐怖とはまた都合のいい解釈です。実際にあまり理屈っぽくない一般の教会の信徒とはJWはしめたとばかりに一見もっともらしく語るのですが、聖書に精通している信徒や伝道師や牧師とJWの者との対話の場をセッティングしようとすると決まって逃げ出すのはJWの信者側です。

そもそもトリビア君らのような屁理屈を並べて組織や自己流の解釈を変える気もない人には、ある程度説明しても考えを改めないのであればそれ以上の対話の余地もないので不毛な議論となるので、その解釈を信じ続けたいならどうぞとなるのです。教会側が論破されたところなど見た事もありません。逆ですな。

JWもトリビア君の解釈も間違いだらけという事です。間違いだらけでも地獄に行かないとか、一見、善良そうに見える神を退けているいわゆる一般人が死後に裁かれないなどという都合のいい解釈は聖書の教えに反しています。世への裁きである大患難をクリスチャンは経験しないという事よりもトリビア説のほうがより、都合のよい逃避、自己流解釈と言えます。

聖書は、死後に一度だけ裁かれる事、生きている間にイエスを受け入れる必要性を説いています。

エホバの証人の場合は、詳しいクリスチャンや牧師からは逃げて、あまり詳しくない信徒や議論が得意ではないクリスチャンはターゲットにしますがエホバの証人対策をしている牧師や詳しいクリスチャンを避けています。私も何例も見てきました。非常にやり方が汚いのです。
伝道でも何も知らない人は騙せる場合もありますが、これほどエホバの証人の間違いが世間に知られていれば騙される人も少ないでしょう。

#1119 2022年12月11日 09:42:58

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

トリビア さんの発言:

箴言 8:22 「ヤフワご自身が,その道の初めとして,昔のその偉業の最初[として]わたしを産み出された。23 わたしは定めのない時から立てられた。始めから,地よりも前の時代からである。24 水の深みもなかったときに,わたしは産みの苦しみを伴うかのようにして生み出された。それは水のみなぎる泉もなかったときである。25 山々が固く定められる前に,もろもろの丘に先立って,わたしは産みの苦しみを伴うかのようにして生み出された。

https://www.blueletterbible.org/kjv/pro … onc_636022

これも色んな人がしきりにイエスは被造物ではない、22節の「産み出された」のヘブライ語「カナ」はナンタラカンタラ云々言いますが、上のリンクで詳しく説明されてます。創世記4章1節でアダムとエバが神からカインを「授かった」の箇所で使用されています。当たり前ですが、男女間で誕生した命は被造物ですよね。我々は「カナ」された被造物ですよね。であれば、箴言の書にあるイエスは我々と同じく神が初めて誕生させた命なる被造物であると理解できますよね。

エホバの証人は、キリストの命に始めがあった事を証明しようとして箴言8:22、コロサイ1:15、黙示録3:14の3つの箇所を用います。この点でトリビア君は単にエホバの証人の間違った理解を踏襲しているに過ぎません。


まず、ヘブライ語「カーナー」は創造する「バーラー」とは異なります。神から創造された被造物である人間から生まれたものは被造物です。しかし神から生まれたものは神です。キリスト教会では「造られたのでなく生まれた方であり」とも表現されます。

さて、この「エホバご自身が、その道の初めとして、昔のその偉業の最初[として]わたしを産み出された」という箇所は、その他の翻訳では、「造られた」となっています。

エホバの証人によると箴言8章は知恵について書いてあり、第一コリント1章30節では、キリストは「神の知恵」と呼ばれているゆえ、ここはキリストについて述べており、キリストは造られたものだと言うのです。
しかし、ここで問題となる「わたしを産み出された」、あるいは「わたしを造られた」という所は、新改訳聖書では、「わたしを得ておられた」となっています。
この「カーナー」という言葉は創世記に出てくる、創造するという意味の「バーラー」とは全く違う語です。
8章以外に、箴言の10箇所で使われていますが、『新世界訳』ではそのうち7箇所で「得る」と訳し、2箇所で「買う」と訳し、1箇所で「取得する」と訳しています。(1:5、4:5、4:7、15:32、16:1、6、17:16、18:15、19:8、20:14、23:23)

ですから、8章22節のみことばは、ただ単に、神が永遠から知恵をもっておられた事を教えているのです。そして、知恵がキリストの雛型であるとするなら、それはキリストの命に始まりがあった事を示すのではなく、むしろ、その永遠性を証明しているのです。
なぜなら、神に知恵がなかった時など、あるはずがないからです。


コロサイと黙示録の聖句に関してはまた時間のある時に扱います。

#1120 2022年12月11日 15:22:04

アノニマス
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

創世記1;26

#1121 2022年12月12日 17:56:15

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

トリビア君の場合は二千年遅れているただの異端ですからミカエル教の新興宗教の教祖にでもなるかどこか他の同じような理解不足の者たちとつるむしかないでしょうね。
まぁ、トリビア説の論破は既に二千年前からなされていますし、エホバの証人のような主張は数多くの書籍で論破されております。
私が知っているだけでも新しいものは10年程前、古いものだと50年近く前の多くのキリスト教会側の書籍で解説されています。
既に何冊もものみの塔組織の誤りを指摘したものが出ていますのに、それを知らない時点で、控えめに言っても私の十分の一すら調べてもいないわけです。患難前携挙に関してもですが。

ほとんど調べてもいない状態で理解不足でキリストの体である教会を批判しているわけです。
ヤフワとか書いているので発音にこだわってこれまた道から外れておりますが、多少は彼なりに何か『真理』のようなものを求めているようですがJWのマインドコントロールの影響下で勝手な解釈に終始しているわけですから厳しいでしょう。

イエスがミカエルなどという戯言は他所でやればいいでしょうが、引き続きトリビア君が来なくてもエホバの証人組織の主張は成り立たないものである事を暇な時には書いていきますので純粋に本当の聖書の神を求めておられる方は参考になさって下さい。

#1122 2022年12月15日 00:03:34

アノニマス
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

女は男のあばら骨を取って造られた。あばら骨は男が造られた最初から男の中にあったのです。女は男にとって体の一部、骨の骨、肉の肉、同質の体なのです。

人の様が神の様と同じなら、神の体の中に定めのない時からイエスがおられたということです。神から取られたイエスは神の一部、同質であると思うのです。

#1123 2022年12月15日 17:15:40

アノニマス
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

イエスは神。別にいいですが、どのような神なのか。そこを私は問うてるわけです。  #1158


あ、あたりまえに解ってらしたのですね。失礼しました

#1124 2022年12月15日 21:44:03

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

ヒトが子を生んだらヒトですよね。

生んだから被造物なのではなく、被造物が何をどう生もうが同質(同カテゴリー)のものしか生まれてこない、だけのことですよね。

ヒトがヒトを生むときも、日本語では「子作り」のように表現する場合もありますが、createの意味でいう人はいませんね。ヒトがロボットを造るならcreateですが。

逆に、何かをcreateしたときにも「〇〇の生みの親」のように表現される場合もありますが、それはあくまで比喩であって、自分と同質の我が子を生むのとは違いますよね。


カミが子を生んだら(生む、という言葉自体は同じでいいですよ)カミですよね。

トリビアさんはエホバの証人との関わりからなのか、なぜか、子=だから被造物のような前提になってしまっていますが、広義においては、被造物にカテゴリーされるcreateされた人間や天使たちも神の子らのように呼ばれることがありますが、イエスが子である、はキリスト教ではそういう意味ありません。だからヨハネ福音1章で、独り子=モノゲネースである神と呼ばれています。


トリビアさんの大嫌いなニケア信条の「造られることなく生まれ」とはそういうことなのですが、好き嫌いや三位一体アレルギーは置いておくとして、とりあえず、ただ独り生まれた子=被造物ではない、ここまではある程度、日常的な感覚でも理解できる(最初に説明したように、ヒトでも「生む」(同質)と「造る」(異質)は違いますよね)と思うのですが、難しいかな。。。

#1125 2022年12月16日 11:52:57

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

自分の投稿内容への書き込みは特にないようですので勝手に続けますが


「ただ独り生まれた子(同質)だから、被造物ではない」


これを何とか理解できたとして(ここまではそんなに難しくもないと思うのですが)、次のハードルは子にも始めがない、ことですね。

エホバの証人的には、生まれたから造られたとは違う、仮にここまでいけたとしても(ここまでもいけない人がほとんどだと思われますが)、生まれたんだから始めがあるだろ!となります。これがアリウス派の主張です。

ですが、そもそも「神に始めはない」ないことをどう理解したらいいのでしょうか?エホバの証人はなぜか、キリスト教の創造主を信じていない平均的な日本人のように、「そんな存在はありえないし理解もできない」と拒否することもなく、そこは「神とはそういう存在なんだから」とあたりまえのように受け入れています。


キリスト教では「生まれ」という言葉は同質であると同時に、父と子の永遠の関係性を表現するものであって、始まりがある人間から生まれた子(同質)には始まりはあるが、人間が把握できる時間軸を超越した、その彼岸に存在する、始まりがない神のただ独り生まれた子(同質)にも始まりはない、万物創造のアルケー、すべての造られたものに先だって生まれた方である、「神の独り子」とはそういう存在なんだから、ということにしているだけです。

何のこっちゃ分かりませんが、神に始まりがない、ということからして人間には理解不能です。


そんな理解不能なことを信じておきながら、子に始まりはないのはおかしい、信じられない、と言っているようなものですね。

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