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#1301 2020年10月07日 16:03:46

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

世の中になぜ障害を持つ人が存在しているのか、
先天性であれ、後天性であれ存在するようになっているのか、
という人生の大命題ともいうべき疑問の答えを持っている方はいるでしょうか。
もし、持っておられるのでしたら、ぜひ書き込んでいただきたいのですが…。

わたしはこの問題に関して、
最近、自分なりに納得できる答えを得ていますが、
7月以来、某国某女のわたしについての書き込みを読み、
掲示板参加者のもとJWがどのような考えを抱いているのか、
ぜひとも知りたいと思ったのです。

某国某女は、わたしが日常付き合っている人たちについて、
ヘルパーの女性以外は、精神障害者、生活保護受給者、
不道徳な男性のもとJW障害者だなどと述べて、
それらの人たちが「普通」ではないと表現したことがあります。

この「普通」ではないと表現したことについて
irisというカトリック教徒の女性から鋭い指摘がなされ、
某国某女が返事に苦慮していたのは印象的でした。
はからずも障害者に対する本音が書き込みに表現されたからです。

また、某国某女は、
「生まれつきの障害者には差別意識はない」とも述べていました。
「偏見」という表現だったかもしれません。
ここで「生まれつきの障害者」という表現にハッとさせられたのです。
考えすぎかもしれませんが、「生まれつき」と言葉を加えることで、
「生まれつき」ではない、つまり後天的、あるいは病気や事故で、
生まれた「後」に障害者になった者には、差別意識や偏見がある、
というような主張にも読み取ることが可能だからです。

いろいろな人が自分の気持ちや考えを考慮して述べるわけですが、
それがどのような表現であれ、最初に口から出た表現が、
真実、率直な本音だろうとわたしは思うのです。
他の人を不快にならせて、鋭く指摘されると、
「心にもないことを言った」という場合があるのですが、
それは、相手を傷つける意図はなかったという意味で、
当人のことを自分の感じているとおりにしゃべっているのでしょう…。
考えてみれば、イエスも、
人は心に満ち溢れているものの中から語る、って言われましたね…。
そのとおりではないでしょうか…。

思い出してみると、わたしたちも子どもだったとき、
自分たちのことを「普通」ではないと感じていたのです。
というのは、障害がもしも治癒できて健常者のようになれるなら、
「普通」になれるって表現していたのです。
だから、某国某女が「普通」ではないと表現しても、
彼女には、そのような印象だったということで、
わたしは責めたりはしません。

自分で自分のことを「普通」ではないと表現することは、
自分自身を傷つけるようなことはないと思うのですが、
他の人から「普通」ではないと指摘されるのは、
不快で、納得できないところがあるものです。
たとえ、それが真実であっても…。

オフライン

#1302 2020年10月07日 16:40:07

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

私の母も身体障害持ちですが、自分は子どもなので意識した事はありませんし
子ども時代に近所の同級生に、あなたのお母さんは足に障害があって普通ではない
などと言われた時には、驚きやら怒りでパニックになりました。
所謂、普通だとおっしゃる方がどんな感覚で傲慢な物言いができるのか理解する
事ができません。当時は母は美人だったので(身内びいきなしに)自分の母は
美人だなと思っているくらいでした。

だから、おかしな物言いをする人に対しては「残念な人だな」と思いますし
実際におツムのレベルが壊滅的に残念な人が多いと思います。

私の母の場合、中学に上がる頃まで足の事でからかわれ、登下校中、同級生の男子につきまとわれ
棒で叩かれて土手から突き落とされたそうです。それでも泣かずに鬼の形相で睨みつけ、杖を握り
しめて必死で這い上がった時、その同級生の男子は「泣かないお前が悪い」と言って逃げていったそうです。

正直言って人間のレベルは、余程、倫理教育をしなければ野の獣と同じです。
その点、イエスは野の獣を人間に変えてくださる存在だとヨハネ書を読んで思いました。

#1303 2020年10月07日 17:00:09

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ちょっと力が入ってしまいました。すみません。子どもが親の事で理不尽な
言いがかりをつけられる、これがどれだけ憎い事か、言った当人は解って
いない時もあります。上記の、あなたのお母さんは普通ではないというような
言葉は小学校の担任の教師からも言われました。あなたのお母さんは周囲に感謝
すべき的な事も強要されました。そのせいで意固地になった母は、股関節が無いにも
関わらず気合と根性で筋肉の力だけで歩き回ってしまい、遂に骨が肉を突き破って
表面に出てくる寸前になりました。

ラハムさんをサンドバッグにして気持ち良くなりたい人は、実生活が本当はうまく行って
なかったり、内面にコンプレックスを抱えていたりすると思います。

コンプレックスが無ければ、誰かを叩こうという気は起きないものです。

#1304 2020年10月07日 17:05:34

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツだぜpart2 さんの発言:

正直言って人間のレベルは、余程、倫理教育をしなければ野の獣と同じです。
その点、イエスは野の獣を人間に変えてくださる存在だとヨハネ書を読んで思いました。

なるほど!
すばらしい読み方ですね…。

オフライン

#1305 2020年10月07日 17:09:29

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツだぜpart2 さんの発言:

ラハムさんをサンドバッグにして気持ち良くなりたい人は、
実生活が本当はうまく行ってなかったり、
内面にコンプレックスを抱えていたりすると思います。

コンプレックスが無ければ、誰かを叩こうという気は起きないものです。

それは当たっているような気がしますね…。
わたしを打ちたたいても、なにも出てこないからです…。
きっと、疲れるだけでしょうね…。

オフライン

#1306 2020年10月07日 23:35:18

某国某女(野の花=マルコ)
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんの名付けた某国某女(野の花=マルコ)です。

ややこしいですね、野の花とハッキリ書いたらどうですか?
それとも都合が悪くなった場合を考えて言い訳が出来るように、
某国某女にしているのですか?

ラハム さんの発言:

某国某女は、わたしが日常付き合っている人たちについて、
ヘルパーの女性以外は、精神障害者、生活保護受給者、
不道徳な男性のもとJW障害者だなどと述べて、
それらの人たちが「普通」ではないと表現したことがあります。

ラハムさんが何度も持ち出すので仕方なく説明します。
ラハムさんの責任ですから「また暴露された」等と言わないで下さいね。

ラハムさんはご自分の交友関係にケチを付けられたようで腹が立つのですね?

それではなぜ、こちらが頼みも尋ねもしないのに生活保護受給JWからのメールを転送して来て「これってどう思いますか?本当ですかね?」と聞いたのですか?

彼についてラハムさんはいろいろ不満を言うので、「じゃあ、付き合いを辞めたらどうですか?」と言いましたがそれも不満とは、どこまで我が儘で自己中心ですか?

精神障害者とは障害者施設に来ていた一見健常者に見えるアラフォー女性で、ラハムさんがアプローチしたら「彼氏います!」と言われ、「彼女の横顔が凄く怖かった」と言ってましたが、これも私が聞きも尋ねもしなかったことです

本スレのほうでも、「相談なんかしていない、私生活に口を出された」みたいなことを言われたり、「自分から聞き出したことを暴露した」と書かれてましたが、そのような人聞きの悪い嘘はお止め下さい。

この「普通」ではないと表現したことについて
irisというカトリック教徒の女性から鋭い指摘がなされ、
某国某女が返事に苦慮していたのは印象的でした。
はからずも障害者に対する本音が書き込みに表現されたからです。

返事をするのに苦慮しませんでしたが?
「障害者に対する本音」と思うのはラハムさんの僻(ひが)みでしょう。


また、某国某女は、
「生まれつきの障害者には差別意識はない」とも述べていました。
「偏見」という表現だったかもしれません。
ここで「生まれつきの障害者」という表現にハッとさせられたのです。
考えすぎかもしれませんが、「生まれつき」と言葉を加えることで、
「生まれつき」ではない、つまり後天的、あるいは病気や事故で、
生まれた「後」に障害者になった者には、差別意識や偏見がある、
というような主張にも読み取ることが可能だからです。

はい、ラハムさんの考えすぎです。
随分前ですが、大人と子供の両方の障害者施設で働いたことがあります。
全員生まれつきの障害を持つ人たちです。
健常者と同じく其々に個性があり、心の綺麗な人もいれば、
そうでない人もいました。
差別意識や偏見を持っていたら働けない場所です。


だから、某国某女が「普通」ではないと表現しても、
彼女には、そのような印象だったということで、
わたしは責めたりはしません。
         中略
他の人から「普通」ではないと指摘されるのは、
不快で、納得できないところがあるものです。
たとえ、それが真実であっても…。

責めたりはしないけれど、自分は不快に思ったので、
謝ってくれという事ですか? 矛盾していますね。

#1307 2020年10月09日 05:37:28

野の花(=マルコ)
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツだぜpart2 さんの発言:

ラハムさんをサンドバッグにして気持ち良くなりたい人は、

そのような人がいるのですか?
名指し出来ないのですか?

実生活が本当はうまく行ってなかったり、
内面にコンプレックスを抱えていたりすると思います。

コンプレックスが無ければ、誰かを叩こうという気は起きないものです。

ガッツさんは、ご両親に愛されずにお育ちになって非常に傷ついておられる方なので、これまで気を使ってきました。私はあなたの敵ではないつもりです。

失礼なことを書かないで下さい。

下衆の勘繰りと言う言葉をご存知ですか?



ラハムさん、#1261で

某国某女がわたしについてまき散らしてくれた悪評は、
わたしから聴くことができた話をパン粉のように思い切り膨らませて、
実に、もっともらしく真実であるかのように書かれていた


このような中傷=嘘も止めて下さい

ご自分が何を話したのか忘れたのですか?
私は聞かされたことの半分しか投稿していません。


ご希望なら、残りの半分も書きましょうか?

#1308 2020年10月09日 10:25:42

モモさんはアザミさん?
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

モモ さんの発言:

おはようございます? 
一か月近くぶりなんですが、野の花さんが立ち上げたコーナー、閉じた事知り、それもどうも私が原因らしいので、このコーナーお借りして謝罪します。私、激務の仕事で激しいめまいが続き、寝込み、一週間してようやくメールなど目を通すことが出来るようになり、ざっと見ました。 せっかくの会社でしたが、辞めました。休み時間もお昼も無く、10時間働かさられたりで、体壊してしまいました。それでようやく自分の時間つくれたのて、書いてます。
私は自分の愚かさに嫌気がさし、野の花さんに向けて傷ついたとか書き、実は少し八つ当たりしたかもしれませんね。
野の花さんはお逢いしたこともない私の為に親身に真剣になってくださった事、よくわかりました。かえって野の花さんを傷付けたのは馬鹿な私でした。
高度な専門職も無く、女がアパート暮らしで一人で働いて生きていくのは厳しいことなんです。それを独身女はピリピリしてるとか、おっしゃたのは野の花さんではなく、もう一人のよく投稿する方でした。で、何か投稿する度に、勝手な意見書かれるし、全ての掲示板に対してももう辞めようかと、最後に目を通しました。
優しさいっぱいだった野の花さんをかえって傷付けてしまったのは私の方ですね。本当にごめんなさい。皆さんを励ましてくださったコーナーをこんな私が原因で閉じないで下さいね。
味方かと思っていたある方にも、私のような女はかつても素直にプロポーズを受けなかったような欠陥人間のように書かれてしまいました。(;_;)その通りです、私は、愚かな嫌な人かもしれません。
掲示板てというのは言いたい放題なんですね。顔見れないから、文字から全てを判断するから、大変なことです。どうとも解釈できます。その人が軽く言ったのか、憎しみ込めて言ったのか。私も沢山間違い犯します。知らないうちに人を傷つけます。ごめんなさい。
お願いです。野の花さん、ご自身のコーナー再開して下さいね。
本当に馬鹿な私の事、真剣に心配して下さってありがとうございます。?


#702    2018年の投稿です。 2年の間に 何があったのでしょう?
野の花さんは  充実した生活を送られたようです。  歳を重ねて 学び続けて良い変化を遂げるということは かなり難しいようですが 生活のために働くことと、読書などで自分を養うことのバランスは大切だと思いました。
シセイさん ガッツさんも これからですね。
ものみの塔から 解放されたと思っていても、なかなか 難しいです。

#1309 2020年10月09日 10:38:44

アカメさんは書いていました。
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

akame さんの発言:

ラハムさんは生きる厳しさ、また不条理が通常の中でJWや聖書の神に遭われたのでしょう。

それは生半可なことではなかったと推察します。それもあり、ラハムさんへ毒のある話を続けています。ご容赦ください。

私は父親が日本刀を振りかざしたり、
舎弟が詫びに指を落とそうとしているような場面が多い環境にいたのです。

その世界はまさに容赦のない不条理の極みでした。

組織の上は組織維持や緊張感維持に配下への甘い顔は禁物です。日々生きるか死ぬかの中では、自由は敵になります。鞭と飴(厳しい戒律と褒賞)による感情のコントロールが必須です。上に疑問を持つことはタブーであり、自分の良心を押し殺すことが累積しますから、内心の罪悪感は半端ではありません。

こうした組織に惹かれる者は多くは無条件の愛情を知らない環境下にあった者が少なくありません。

そうした環境にあると、親のような存在からの優しさに飢えています。少しの自由でも大変嬉しく、自分が目をかけて貰えたこと、何よりも罪悪感を解消してくれる言葉は魔法の力になります。

逆に、無条件の愛情やより広い自由といったものに戸惑いがあります。

私の母親も随分厳しく、自分が若い時から宗教遍歴して、ルールの多いJW、また特に自分が実は特別な存在になり得る聖書の選民思想に惹かれた背景を自己分析できたのはずっと後になります。

生きることが過酷な時代または状況下では逆説的ですが、安楽な存在よりも不条理で過酷な存在に支配され易くなるカラクリがあります。

私の言いたいことがお分かりになりますか?


350です。   346から  相当核心をついています。
ラハムさんに宛てて 書いてくれていたのですね。  読んでおられたのですか?

#1310 2020年10月11日 16:23:29

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

通りすがりさんが、正解があるのは
数学の問題だけだということを述べてくださいました。
実は、わたしも数学問題の解答の仕方から、
問題の答えの有無に気が付いたことがあったのです。
これは、もう10年近く前のことでしたが、
わたしとしては、しっくり納得していることです…。

それまで50年近く子ども時代から、
自分が障害者に生まれついたことや、
障害者が存在することについての明確な回答を
模索し続けてきました。
ここに、問題の答えは必ずあるはずだという
思い込みがあったのです。

それは、中学生のときで、
数学の教師が連立二元一次方程式の教科書に記載されている、
ある例題を黒板に書きながら説明されたことだったのです。
それは、何かと何かをいくつ買うことがことができるかという、
問題で、リンゴとミカンだったような気がしますが、
不思議なことに正確に計算ゆくと
マイナスの答えになってしまうのです。
マイナス何個のミカンやリンゴを買うことは
通常の生活ではありえないことですから、
「解なし」ということが正解になりました。
要するに「答えはない」というのが正解だったのです。
この不思議な授業風景は今でもはっきり思い出せます。

この例題は、いまから考えてみると世の中の物事には、
答えにないものもあるんだ、という教訓だったかもしれません。

そこで、気が付いたことは、
自分が長いこと正解を模索していた、
自分や他の人たちが障害者に生まれてきた理由など
なかったのかもしれないということでした。
ないもの、存在しないものを探していたのだろうって…。

そこで、キリストの言葉も思い出したのです。
-あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、
今あなたがたはそれに耐えられません-(ヨハネ16:12_新改訳2017)

これは神の真理について言われたと思うのですが、
他の物事の真実に当てはめてもいいように思えました。

偉大な創造者の観点からすると、
障害者が生まれ出ることの深い倫理的な理由があるだろうと思うし、
悪というものが存在を許されている相応の倫理的な理由もあるでしょう。
でも、その真実を知ることはわたしたち弱小な人間の限界を
はるかに凌駕していて、心が裂けて破壊されるような、
ことがらなのかもしれないと考えるようになったのです。

だから、その答えは知らされていないのだろうし、
知らないでいたほうが有益なのだろうと思いました…。

これらのことに気が付いてから、
心が洗われたようにすっきりしました。
今の自分はこの考えで非常に満足しています…。

てつてつさんが、紹介されていた、
医学的な事情については、今後考えを公表するつもりです。

オフライン

#1311 2020年10月12日 00:38:51

通りすがり
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

なるほど。
ぶっちゃけ神様は「正解はあるんだけど、諸々の事情により人間には教えないよ」って言う事ですかね。宗教的な観点で考えると、それが最もラハムさんの心を安んじるものなのですね。良かったですね。
確かに自分も、ある事実を知っててもこりゃあの人には言えないな、って事があったりで墓場まで持ってく案件ってのがあります。そんな感じでしょうかね。

#1312 2020年10月12日 09:01:43

野の花(=マルコ)
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

某国某女は、わたしが日常付き合っている人たちについて、
ヘルパーの女性以外は、精神障害者、生活保護受給者、
不道徳な男性のもとJW障害者だなどと述べて、
それらの人たちが「普通」ではないと表現したことがあります。


ラハムさんが私の言った「普通」でないという言葉にこだわり、ガッツさんまでがそれに関して投稿なさるので説明します。暴露されたと逆恨みしないで下さいね。


ラハムさんのお友達である生活保護受給のJW兄弟を「普通ではない」と言ったのは、彼は健常者で働こうと思えば働ける状況にあったからです。実際そうしている人は世間に幾らでもいます。

彼は若い頃排斥されて生涯まともに働いたことがなく、過去にいろいろな女性たちに養われて来た2世の方で現在は復帰されているとか。
これを書くと彼のプライバシーに関わり、私が聞きもしないのに、ラハムさんがべらべらしゃべったことがバレて彼に殴られるかも知れないと思ったので説明しませんでいた。


障害者の元JW、N兄弟については前にも書きましたように、彼の行動を責める気持ちはありません。
普通は組織に不信感を持ち、信仰を失くし、組織を去ることを考えたら次にすることは将来に備えて若い人なら進学、就職、中高年なら老後を考え生活の基盤を整えようとします。

「ものみの塔はカルトだ、辞めてやる、これまで我慢してた風俗行くぞー、デリヘル呼ぶぞー」という人は少ないと思います。


ラハムさんは何としても、「野の花の言うことは信用しないで欲しい」と必死ですが、これまでの私とラハムさんのやり取りを見れば、普通に社会生活を送っている大人なら正しく判断しているはずです。

#1313 2020年10月14日 01:24:46

野の花(=マルコ)
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

時間潰しをしなければならないことがあり、少しさかのぼって読み直してみました。
この部分に答えていませんでした。

ラハム さんの発言:

「生まれつき」と言葉を加えることで、
「生まれつき」ではない、つまり後天的、あるいは病気や事故で、
生まれた「後」に障害者になった者には、差別意識や偏見がある、
というような主張にも読み取ることが可能だからです。


普通(いわゆる真面目に生活しているマジョリティの人々)でも、病気で失明したり、交通事故や通り魔の被害に遭ったりして障害者になる人たちが少なからずいます。
明日は我が身です。
このような人たちに対して偏見や差別意識を持つ人がいるとは思えません。
もしいるとすればその人の認知に歪みがあると思います。


しかし成人してから、酒酔い運転や暴走行為をして事故を起こし、障害者になったような場合は同情出来ません。自業自得だと思います。そのような遵法精神のない人たちには、なるべく関わらないようにします。


ご理解いただけたでしょうか?

#1314 2020年12月31日 16:56:07

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

知り合いで、心がJWから完全離脱した彼が、
「JWの聖書研究は答え合わせだ」と言ったのを思い出す。

最近、40年来の知り合いで現役長老がやって来ると、
わたしの部屋に置いてある酒を飲みたいというので、
さかなも出してやり毎週飲むことが多くなった。
それはそれでいいのだが、彼が地元会衆の公開講演に誘ってくれた。
要するに、彼自身が話すので聞いてみないかということなのだ。
わたしはもう、18年ぐらいはものみの塔研究、
公開講演に参加していないと思う。
20代前半からの旧友だから聞くぐらいはいいかと思った。
参加すると言っても、言わずと知れたコロナ騒ぎで
ネット上の参加でしかない。

だが、聞き始めてみると、
どこかで聞いたことがあると思い始めた。
わたしも現役時代は100回ぐらい講演しているし、
同じ内容を何度か扱ったこともあった。
彼の話を聞いているうちに
わたしもそれを二度ぐらいしていることを思い出した。
若いころと比べると話し方がうまくなったなあという印象だ。

だが、不思議な気持ちにもなった。
何だか物足りないというのか幼稚というのだろうか、
そのように感じているわたしがいることに気が付いた。
どうしてそのように感じるのかあれから考え込んでいる。

せっかくだから、答え合わせのものみの塔研究も参加した。
聖書についての質問さんが扱ってくれた記事だ。
特に9節は大きな疑問だった。

わたしが現役だったとき、現在のJWが使用しているような
カートという出版物を展示するアイテムはなかった。
だから、自分で考えて音楽の譜面台を使うことにした。
これを三つ持ち歩いて、雑誌や書籍を展示していた。
風が強いと倒れてしまうのが難点だったし
寒い日は体の芯まで冷えて辛いものがあった。
現在のように見張り番はいなくて、一人で立っていた。
おっと、わたしの場合は座り続けただなあ…。

孤独との戦いだったと思うし、
記事に記載されているように印刷物を受け取る人は、
ほとんど現れなかった。

たぶん、1995年前後だっただろう。
わたしは二つの警察署に道路使用許可書をもらいに、
直接出向いていたので、上記のことはよく記憶している。
2011年ごろニューヨーク市で試験的な取り組みが始まっただなんて、
わたしたちや、過去のJWたちがずっと前から行ってきたと、
とても強く指摘したいと思うのだが…。

オフライン

#1315 2021年01月01日 02:16:34

野の花(=マルコ)
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

知り合いで、心がJWから完全離脱した彼が、
「JWの聖書研究は答え合わせだ」と言ったのを思い出す。

最近、40年来の知り合いで現役長老がやって来ると、
わたしの部屋に置いてある酒を飲みたいというので、
さかなも出してやり毎週飲むことが多くなった。
それはそれでいいのだが、彼が地元会衆の公開講演に誘ってくれた。
要するに、彼自身が話すので聞いてみないかということなのだ。
わたしはもう、18年ぐらいはものみの塔研究、
公開講演に参加していないと思う。
20代前半からの旧友だから聞くぐらいはいいかと思った。
参加すると言っても、言わずと知れたコロナ騒ぎで
ネット上の参加でしかない。

だが、聞き始めてみると、
どこかで聞いたことがあると思い始めた。
わたしも現役時代は100回ぐらい講演しているし、
同じ内容を何度か扱ったこともあった。
彼の話を聞いているうちに
わたしもそれを二度ぐらいしていることを思い出した。
若いころと比べると話し方がうまくなったなあという印象だ。

だが、不思議な気持ちにもなった。
何だか物足りないというのか幼稚というのだろうか、
そのように感じているわたしがいることに気が付いた。
どうしてそのように感じるのかあれから考え込んでいる。

せっかくだから、答え合わせのものみの塔研究も参加した。
聖書についての質問さんが扱ってくれた記事だ。
特に9節は大きな疑問だった。

わたしが現役だったとき、現在のJWが使用しているような
カートという出版物を展示するアイテムはなかった。
だから、自分で考えて音楽の譜面台を使うことにした。
これを三つ持ち歩いて、雑誌や書籍を展示していた。
風が強いと倒れてしまうのが難点だったし
寒い日は体の芯まで冷えて辛いものがあった。
現在のように見張り番はいなくて、一人で立っていた。
おっと、わたしの場合は座り続けただなあ…。

孤独との戦いだったと思うし、
記事に記載されているように印刷物を受け取る人は、
ほとんど現れなかった。

たぶん、1995年前後だっただろう。
わたしは二つの警察署に道路使用許可書をもらいに、
直接出向いていたので、上記のことはよく記憶している。
2011年ごろニューヨーク市で試験的な取り組みが始まっただなんて、
わたしたちや、過去のJWたちがずっと前から行ってきたと、
とても強く指摘したいと思うのだが…。


全く同じ投稿を アブラハムの神の限界 にしている。
野の花(=マルコ)の投稿を目立たなくする目的ですか?
掲示板を無駄に使わないで欲しいです。

それにしても周囲を欺く生き方がお好きですこと。

#1316 2021年02月28日 17:30:20

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

最近気が付いたことだが、
JWがしているように聖書の言葉から、
神の存在を証明することは無理だということだ。
不可能だと思う。
それは、聖書というものは神の存在を大前提にして、
記述されていることに気が付いたからだ。
たぶん、聖書時代には神など存在しないと主張する輩は
一人もいなかっただろう。

だが、わたしたちは無神論という考えのある時代に生きている。
もう、60年近く前で、小学生になろうとしているわたしは、
おおぜい障害者が収容されている施設で生活しているときだった。
同じ部屋の幼友達と「神様っているんだろうか」って話し合っていた。
それを聞いていた別の児童が、
「神様がいるのなら、俺達みたいのがいるわけないだろっ!」と言った。

これはもちろん、神が存在しているのであれば、
自分たちのような苦しい状況に置かれている
障害者などいるはずがないという主張だ。

わたしと幼友達の会話はそれ以上続かなかった。
その答えは非常にもっともなことだし、
幼いわたしたちは自分で答えを見つけることなどできなかった。
だが、この衝撃的な出来事は脳裏に焼き付いている。

それから60年近くたったが、
障害者の存在は神の存在を否定することができるのだろうか。
わたしの人生における遭遇した出来事からすると、それは否だ。
いろいろなところで述べてきたが、脱塔するに際し、
わたしは神に対する信仰を組織に置き去りにし、
神を信じる気持ちを失ってしまったので、
聖書を知ったからと言って、
神の存在を肯定しようというのではない。

仰天さんから紹介された「天国の人」は全部読み終えている。
華々しい奇跡が連続で記述されているように思う。
わたしはユン氏のように奇跡的に病気が癒されたことは、
経験もないし、実際見たことだってない。
天からの声も聞いたことはない。
幻や夢も見たことがない。
天使に導かれて、監視をすり抜けるように
刑務所を脱出するようなことももちろんない。

こうしたことは何一つ起きていない。
あればいいのにと思う。
脱塔者をサポートしている中澤牧師もそのようなことを経験していない。
経験できればそれは素晴らしいことだとときどき言うことはある。
わたしもそう思っている。

世の中の人が言う、一般的な神なのか、キリスト教の神なのか、仏様なのか、
はたまた、キリストや聖霊なのか、あるい背後霊なのかわたしには見分けられない。
聖書を学んで信仰を培おうとしているのだから、キリスト教の神だと言いたいところだ。
だが、人生を振り返ってみると聖書やキリスト教を知らなかったときから、
何か強大な力がわたしの将来の必要を知っていて、
わたしの人生行路を最善の方向へ導いてくれているような
大きな安ど感がわたしを覆いつくしているように感じることがある。
だから、キリスト教の神がわたしの知らないころから、
わたしの人生行路を導いてくれているんだと主張しがたいように思う。
でも、何か強大な力、人格があるのかないのかわからないのだが、
わたしの背後から最善の方向に案内してくれる存在をはっきり感じることがある。

ひとり暮らしの人生40年目の節目にして生じることになった、
転居騒動にもそうした強大な力がわたしの航路を導いているのかもしれないと、
だんだん感じ取るようになりつつあるのは、わたしの思い込みによる勘違いだろうか…。

オフライン

#1317 2021年02月28日 22:15:55

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんだけではないですよ。私もそう思っています。
狭い範囲でなくてもっと大きな存在。
クリスチャンでない人間の上にもお日様は登ります。
押し付けではなくて、心から湧く想いでいいのだと
初めから思っていました。


転居の方は進んでいますか?
行政に問い合わせてみてください。東京にお住まいの場合は
地方より手厚いようです。自治体が予算を持っているから
かも。IHコンロ、駐車場付き、バリアフリーもあります。
意外に知られていないようです。

#1318 2021年03月02日 04:15:33

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

聖書理解の補助にタルムードがありますが、タルムードには答えが無い
事があるらしく深く考える事が重要なんだそうです。


私は2歳の時、父にホームで手を離されて電車とホームの間に落下し
電車の車輪が動きかけたのに寸出のところで助かりましたが
同じ条件で別のお子さんが同じ目に遭って助かるかというとそれはどうか
分かりません。確率の問題ですね。私が特別な子である証拠はありません。
そういう目に見えない自分ではどうする事も出来ない力を神と呼ぶのかも
しれません。
崖崩れで、通行中たまたま巻き込まれて亡くなった人もいれば、僅差で
助かった人もいます。
まるで人間がゲームのキャラクターのように感じられます。
大いなる力は高次元の力で、我々は水に映った影に過ぎないのかもしれません。

中澤牧師にしても、この掲示板にしても一期一会で、答えを得ない事が答え
なのかもしれません。あまり思い詰める必要もないと思います。
新居が決まって落ち着かれたらゆっくり書かれたら良いのではないでしょうか。

#1319 2021年03月02日 07:55:04

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツさん、励ましてくれてありがとう。
わたしも自分の人生で、自分が意志では動くことのできない、
将棋の駒のように感じることもあります。
ガッツさんも強運な女性かもしれませんね。

きのう、福祉事務所に行きました。
居住しているところが壊されるということでも、
優先的に都営住宅や区営住宅に優先入居できる制度は無いようです。
ただ、区の決めごとで不動産業者が区の施設にやってきて、
転居先を紹介してくれる集まりのあることがわかりました。
だからと言って、必ず転居先が見つかる保証もありません。
わたしは、福祉制度の都合で現在の居住地区にいる必要があります。
ここを離れると生活が成り立たないでしょう。
限られた範囲で転居先を見つける必要があるのです。
チャレンジの一つとして頑張ろうと思います。

オフライン

#1320 2021年03月24日 08:18:54

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ガッツさんの因果と量子力学の説明はおもしろいですね。
わたしも動画を見て量子力学には興味を持つようになりました。
ただ、人間の科学上の発見で神を説明するのは無理があると思います。
というのは、科学上の法則を定めたのは神だからです。
化学上の発見も同じだと思います。
神について理解する助けにはなると思うのですが…。

たしかに、自分の人生を導いてくれている強大な存在を感じるのですが、
それがすなおにキリスト教に神であると単純に信じられないのは、
一体どうしてだろうかと考え続けてきました。
最近気が付いたには、日本の宗教風土のためだろうと思います。
日本には多数の宗教があります。
神道、仏教、キリスト教、天理教などなどです。
わたしの家では父は仏教だと言っていたのですが、
母は天理教の信者でした。
生まれたときから宗教の多い風土で生活してきたわけです。
キリスト教は日本では1%ぐらいの宗教人口だそうです。
JWはキリスト教を標榜していて、20万人だったとし、
一億人の日本人口を想定しても、0.2%ということになります。
日本のキリスト教人口は100万人ぐらいでしょうか。
とにかく非常に少ないです。
だから、クリスチャンの家庭でなければ、非常になじみが薄いです。

それで、大きな力は感じるのだけれど、
直接的にキリスト教の神に結び付かないのだと思います。

あと、JW時代に受けた心の傷の影響も非常に大きいです。
これがあるので、すなおに聖書を勉強できても、
疑いの気持ちや二度と騙されまいという警戒心が大きく作用します。

わたしにとってその呪縛からいつ解放されるのかわかりませんが、
人生の残り時間を費やして努力してみようと思います…。

編集者 ラハム (2021年03月24日 08:20:56)

オフライン

#1321 2021年04月02日 21:29:23

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

うちは祖母が浄土真宗でした。非常に信心深く、孫思いの人でした。
母が私を疎ましがって七五三のお祝いもしようとしない事を察し
巾着袋とぽっくり、帯を贈ってくれました。

近所に教会とお寺があるのですが、お寺はともかく教会の雰囲気が
おどろおどろしくて近寄る気になれないのです。
何でかなあ・・磔になっている姿がダメなのか。

#1322 2021年04月02日 22:07:14

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

仏教で七五三というのも可笑しいですが。

聖書は一種の記録ではないでしょうか。神が語りかけてくるのは五感を通してだと思います。
文字は点字の発明が無ければ盲人は読めないし、音読も聞こえなければ分からないですから。
五感を通して神の存在を感じ取れれば良いと思います。

#1323 2021年04月07日 15:08:39

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム さんの発言:

キリスト教に神であると単純に信じられないのは、
一体どうしてだろうかと考え続けてきました。
    ~略~
あと、JW時代に受けた心の傷の影響も非常に大きいです。
これがあるので、すなおに聖書を勉強できても、
疑いの気持ちや二度と騙されまいという警戒心が大きく作用します。

わたしにとってその呪縛からいつ解放されるのかわかりませんが、
人生の残り時間を費やして努力してみようと思います…。

引用略してすみません。ラハムさん、私もずっと考え続けてきました。
ときに、イエスをサタン呼ばわりしたり(ヤハウェの他に神無しという信仰ゆえに)
滅茶苦茶でした。それこそ車を運転中も(本当は危ないのですが)
ご飯を食べる時もずっと考えてきました。

それでラハムさんの言葉でヨハネの聖句と結びついたので
私の考えを書いてもよろしいでしょうか。長くなりますがご容赦ください<(_ _)>

#1324 2021年04月07日 15:28:06

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

wikisource ヨハネによる福音書口語訳
❝5:39
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについて
あかしをするものである。❞

以前、ラハムさんは「解なし」という答えもあると書かれていましが、この言葉とヨハネ書の聖句が
私の脳内で結びついたので書いてみますね(*ノωノ)


ずばり申し上げると「そうなんです。旧約聖書の中に求めている答えはありません」
旧約聖書はイスラエルと神との「祝福と呪いの契約」の物語です。

申命記の後半に大変な呪いが掛かっています。
エサルハドン誓約文書でもそうですが、祝福と呪いと2つ置いて血の契約を結ぶ
という血判状のようなものだと思います。

これは私の考えなので流して頂いても構いませんが、イエスは「イスラエルに掛かった呪いを解除する」
ために十字架に掛かったのではないかと思います。
もっと深い理由もあると思いますが、私ではなかなか気が付かない事もあって現時点では
「こうです」と言い切れないのですが。

だから旧約聖書に重点を置き過ぎると知らぬ間に「呪いと祝福」という2つのものを
受け取る事になります。それくらい、大変な知恵の書なのです。

#1325 2021年04月07日 16:12:03

ガp2
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

連投してごめんなさい。ラハムさんのお役に立てればと思って。
イエスの言葉が難解過ぎて理解するのに時間が掛かります(-_-;)

旧約聖書を幾ら探しても「永遠の命に至る答えは無い」と思います。
だから救いを得るにはイエスの言葉を信じるしかないのでしょう・・・・・
祝福と呪いの血判状はいまや異邦人にまで広がるところでしたが
イエスがそれを「愛に変えた」のだと思います。
その辺のスピリチュアルな領域はちょっとわかりませんが・・・

かつて2000年前、神が人の形をとって地上に来られた事、その語った事柄を真実だと
思う者は終わりの日に生き返るだろう。
イエスの身に起きた事を真実だと思うなら、奇蹟は来るべき時に起きるだろう
というイエスの福音が全てなのです。イエスを信じるか信じないか
それは個人の思うところに任されるべきですが、これでなぜ仰天さんが反発を受けても
イエスの奇蹟を信じると主張したのかやっと分かりました。

イエスの言葉とイエスの身に起きた事を信じなければキリスト教の中身はすっからかんです。

本当に大切なものは「神への愛と隣人愛、復活の希望」これだけです。
だから旧約聖書から重箱の隅を突くように命に繋がるものを探しても解なしで
イエスの身に起きた事を慎重に調べる事が命に繫がるのだと思います。

まとめて言いますと「イエスそのものが答えだった、イエスの言葉が永遠の命への
道である」という事になるかと・・・

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