ログインしていません。

#26 2020年12月31日 09:49:45

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

てつてつ さんの発言:

どこかわすれましたけど クラシック音楽も注意するようにと書かれていたような気がします

そうですか、それは知りませんでした。アブストラクトな現代音楽ではなく、古典音楽(クラシカル)をきちんと非としているならばなかなかですね。

ポップス・・・商業主義に塗れているのでダメ
クラシック・・・注意するように
ロック・・・当然ダメでしょうね
ビバップ以降のジャズ・・・ドラッグの影響を受けているのでダメ
スウィング・ジャズ・・・人を高揚させるダンスミュージックなのでダメ

なかなか聴ける音楽がないですね。。。
古典音楽から学ぶ(音高・音大での)器楽演奏も難しいでしょう。。
少し皮肉が過ぎたようです・・・この辺にしておきましょう。

オフライン

#27 2020年12月31日 10:57:09

てつてつ
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

つまり 王国の歌 調べ のみを聴けということだと思います cry

オフライン

#28 2020年12月31日 11:01:49

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

人から楽しみを奪っていくばかりですね。

オフライン

#29 2021年01月02日 11:57:20

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

世界中で多くの人たちが聖書の解釈について意見を交換し、時には激しくぶつけ合っています。しかしそうした解釈や意見のソースはどこなのでしょうか? 本来であれば自分自身であるはずです。自分の解釈、自分の意見であれば、論議も然るべきだと思います。

では、JWの中にどれほど本当の意味で聖書を研究し真理を見出そうとした人がいるでしょうか。自分の意見を持つ者がいるでしょうか? ほとんどいないでしょう。皆、書かれたことを鵜呑みにしている(させられている)だけではないでしょうか。唯一絶対の正解(オチ)がないミステリー書、聖書なんですから、自分の推理があってもいいのではないかと思っています。

この聖句と文脈、私はこう解釈します。
なるほど、そういう見方もあるのですね。
私はこう読みました。
ほほう、そうきましたか、私は・・・・。

こういった議論がなされていれば有意義でしょうが、「家庭聖書研究」や「ものみの塔研究」なんて茶番ですからねえ。(自分の考えで注解したならば即聴聞です)

百歩譲ってそうした「研究」が、「統治体が真に突き止めた聖書解釈」を深く知るためのプログラムだとしましょう。しかしその内容が、実のところは既に発表したでっち上げ解釈を擁護するために、(時には謙遜に修正することもあるが)さらに独自の身勝手な理論で上塗りしているだけの「継ぎ接ぎ解釈(教義)」であれば・・・?

聖書が真に神の言葉であるならば、誰がどう解釈しようとも、たとえ否定しようとも、また、信仰を持つか否かにも関係なく「神の言葉聖書」と「神の存在」の事実は揺るぎません。難解ゆえに異なる解釈をしたとしても、神は人間の能力の限界を知っているので、それだけで滅ぼすことはないと思います。宗教国家の元にあるイスラム教徒や仏教徒、代々神道にある者、心身の鍛錬のために剣道や柔道をした者たちを滅ぼすこともしないでしょう。逆に、自称「真理を携える者」と言っているJWだけを救済するなんてこともないでしょう。ましてや突然家を訪ねてくるJWを「訪問拒否」したという理由で滅ぼすことも、JW自身が作ったルールに反したという理由で「排斥」された者を滅ぼすことも「神」はしないでしょう。

「神」という大きな力はそのように作用することはないはずですし、「人格を持つ力」であるならそんな狭量ではないはずです。

人の一生は短いものです。その短い命を終えるとき、「私の人生は良かった」と言える生き方をしたいものです。そして、その生き方や何を良しとするかの価値観は人の数だけあると思います。

その意味ではJWとして生きるのも一つの生き方でしょう。しかしその価値観を他者に押し付けるのは違うと思います。仲間が異なる道を歩む決断をしたならば挨拶もしない、口もきかない、というのも人道的に違うと思います。JWとして留まるのもハッピー、離れるのもハッピー、というようにはならないものでしょうか? なんかどちらもアンハッピーのように感じます。

やっぱりJWは変です。

編集者 Jay (2021年01月02日 12:29:47)

オフライン

#30 2021年01月02日 17:06:28

てつてつ
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

jayさん書き込みありがとうございます

>では、JWの中にどれほど本当の意味で聖書を研究し真理を見出そうとした人がいるでしょうか。自分の意見を持つ者がいるでしょうか? ほとんどいないでしょう。皆、書かれたことを鵜呑みにしている(させられている)だけではないでしょうか。唯一絶対の正解(オチ)がないミステリー書、聖書なんですから、自分の推理があってもいいのではないかと思っています。

この聖句と文脈、私はこう解釈します。
なるほど、そういう見方もあるのですね。
私はこう読みました。
ほほう、そうきましたか、私は・・・・。

こういった議論がなされていれば有意義でしょうが、「家庭聖書研究」や「ものみの塔研究」なんて茶番ですからねえ。(自分の考えで注解したならば即聴聞です)


組織の考えはたとえまちがっていたとしてもとにかく一致して従うようにとの考え方だと思います

昔の裁判でのフレデリックフランズやその他の責任者の裁判所での証言

フランズ会長時代の考え方 トップダウンが大切であってボトムはいかん

神権組織というトップダウン


それでものみの塔は全体主義を非難していると思いますが 残念ながらその実態はナチズムのように統治体を崇拝してる全体主義「エホバイズム」だと思います 気づいていない現役信者さんはかわいそうです cry

編集者 てつてつ (2021年01月02日 17:26:48)

オフライン

#31 2021年01月02日 18:14:21

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

全くそうですね。

「聖書を勉強しませんか?」という言葉を受け「聖書を知りたいな」と純粋な気持ちで聖書研究を始めた人も多いと思います。しかし、教えられることは矛盾だらけのまさにミステリーです。「研究」であれ「討議」であれ、それらは名ばかりです。疑問を挟むことを許されないフォーマットに強制的に押し込められてしまい、「組織」に引き込まれてしまいます。

やがて、自分の思い、考え、そして感情をも否定され続けた結果、自分を押し殺すようになっていく。組織に順応するにはそうするしかないでしょう。で、世間に順応できない(順応することが許されない)「新しい人格」を持ったJWが形作られます。

オフライン

#32 2021年01月03日 01:57:08

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

最新の数は知りませんが「油注がれたもの」「残りの者」の数はここ数年ずっと増えてきていますね。もちろんこの現象はJWの理論からすると摩訶不思議な現象と言えます。たとえ誰かが入れ替えられたとしても、増えることはないはずです。増えるということは偽物が混じっているということです。まあそれも「本物」があり得るという前提ですが・・・。

でも彼らって所詮「自称:残りの者」ですからね。「はい、自分は残りの者の一人です」と言えばそれまでです。「本当にそうですか?よく祈って再考慮してください」等々いろいろいわれることもあるでしょうが、他人が覆す証拠は何もないです。そもそも「そうである」という証拠もないですし。

私は何人も「自称:残りの者」に会ってきましたが。押し並べてみんな普通ではなかったですね。悪い意味での「違和感」満載な人たちでした。男の場合は明らかに二面性・三面性を持っていて、目を覆いたくなるほどあからさまにスイッチし使い分けている人が多かったですね。

統治体は「自称:残りの者」で構成されているわけですが、彼らも例外ではありません。尋常ではない人たちが集まって考えることなど推して知るべしです。でもJWに言わせれば「地的な希望を持つものと天的希望を持つものとは違っていて当たり前」となるのでしょうが、私に言わせれば「いや逆。尋常ではない人たちだから自分は残りの者なんて言えるんですよ」です。

私が会った人たちだけなのかもしれませんが、気持ち悪かったです。

オフライン

#33 2021年01月03日 08:33:29

てつてつ
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

元統治体のレイフランズさんは 油そそがれた残りのものという概念は 作り話 あからさまな虚構で 協会は手紙が届いたり地帯訪問などで注意を払う重要度は協会が定めた地位「支部委員 とか 地域監督」によるのであり 油注がれた残りのものという者たちにはなんの考慮もはらってはいないといってますね それでその概念は現在は信者さんがものみの塔には何か神様と特別なスピリチュアルな関係があるのではないかと勝手に勘違いしてくれるのではないかというもの以上ではないと思います

>「研究」であれ「討議」であれ、それらは名ばかりです。疑問を挟むことを許されないフォーマットに強制的に押し込められてしまい、「組織」に引き込まれてしまいます。やがて、自分の思い、考え、そして感情をも否定され続けた結果、自分を押し殺すようになっていく。組織に順応するにはそうするしかないでしょう。で、世間に順応できない(順応することが許されない)「新しい人格」を持ったJWが形作られます。

協会は
(ローマ 12:2) …この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ,思いを作り直すことによって自分を変革しなさい…

(コロサイ 3:9, 10) …古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,10新しい[人格]を身に着けなさい…

などの聖句を引用して 自分の考えをいったん白紙に戻して神の王国の考え方「実はものみの塔の考え方」で自分を作りなおすようにといいますが その実態は ものみの塔の体制に合わせて信者を形作ることだと思います

ステーブンハッサンのマインドコントロールの本にでてくる 解凍 変革 再凍結の過程と同じではないかと思います

編集者 てつてつ (2021年01月03日 09:19:07)

オフライン

#34 2021年01月03日 09:13:03

アノニマス
ゲストユーザー

Re: ターニング・ポイント通過中

七客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬を語られた。八「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。九その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。一〇むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。一一おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 ルカ14

おじゃまします。
この聖句と合いませんよね。

#35 2021年01月03日 10:17:48

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

てつてつさん

>油注がれた残りのものという者たちにはなんの考慮もはらってはいないといってますね。

「油注がれた残りのもの」は男性だけではなく女性もいますので、教える立場や監督の立場につける男性と、そうではない女性を分ける必要があるのでしょう。でもそれで良かったと思います。「油注がれた残りのもの」が男性のみであれば、そのステイタスの意味合いは違ってくるでしょう。その結果、その者は選民意識と特権意識の両方を持ってしまうのではないでしょうか。そうなると暴走する危険性があると思います。なので「油注がれた残りのもの」のステイタスをことさら重視しないというのは賢明です。

また「油注がれた残りのもの」は多くの会衆に散らばっていますが、その会衆での「パワーバランス」が崩れることを防ぐ意味でもそうする必要があったと思います。

でもこの点がなければ「油注がれた残りのもの」というステイタスの「使い道・有効活用方」は別にあったのではないかとも邪推してしまいます。


>それでその概念は現在は信者さんがものみの塔には何か神様と特別なスピリチュアルな関係があるのではないかと勝手に勘違いしてくれるのではないかというもの以上ではないと思います。

そう思います。でも全てWTが作った虚像なので、冷静に客観視すると極めて滑稽ですね。


アノニマスさん

>自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
>この聖句と合いませんよね。

引用された聖句とは合わないのはもちろんですが、巧みなJWはこれを使い分けます。それも極端に。横暴すぎるほどに高みに登ることもあれば、おかしなほど卑下し低める場合もあります。まさにこのポイントが「明らかに二面性・三面性を持っていて、目を覆いたくなるほどあからさまにスイッチし使い分けている」ケースです。二重人格者かと思うほどです。さらにそこに「素の自分」を加えると三重人格者です。

分かりやすい例が、表情と声です。気持ちの悪い「作り笑顔」で「猫なで声」を出すタイプもよく見ましたが、全て演技です。まあ「新しい人格を身につける」がそもそも「別人格を装う」とほぼ同義ですから・・・。そういうタイプに会うと「普通に話せば?」と言いたい気持ちを抑えるのが大変でした。

オフライン

#36 2021年01月03日 10:25:30

Re: ターニング・ポイント通過中

はじめまして、久しぶりにこちらの掲示板を覗いていたら、Jayさんの境遇や、考え方にとても通じるものを感じ、投稿させていただきました。

私は元jw2世で長老でしたが数年前に排斥され(自業自得の罪のため)、その際に自分の信仰を見つめ直してみたものの自暴自棄になり、自殺も考え、セラピーを受け、信者の家族を捨て、紆余曲折あって、未だに中途半端に生き長らえているものです。去年は自分の考えなどをこちらでアップしたりしていましたが、しばらく離れていました。

Jayさんの経験や、考え方に非常に親近感を覚えました。特に、ハルマゲドンの際にjw以外が滅びるという教理の凶暴性には、私も長年苦しんでいました。私はJayさんのように、まだ新しく自分の道を見つけられずにいますが、時折こちらを覗かせて頂いています。

オフライン

#37 2021年01月03日 10:56:29

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

オーロラエクスキューションさん、はじめまして。よろしくお願いいたします。

そうですか・・・大変な経験をされておられるのですね。おっしゃる通り私も自暴自棄になり、自殺を考え、カウンセラーのもとに行きました。決して「新しい自分の道」を見つけたというわけではありませんが、その糸口は少し掴めたかなという感はあります。

JW(WT)は異常そのものです。しかし同じ狢にいたのでは(不思議なことに)それが普通に感じてしまうのです。でも自分が普通に戻れば全てが異常に見えてきます。

このトピックでは本当に苦しんだ時から、何を考え、何を見、何をしたか、そして何にも忖度せずに自分がどのような結論(大小問わず)を出してきたのかを書かせていただいています。何かのヒントになれば嬉しい限りです。

オフライン

#38 2021年01月03日 11:35:35

てつてつ
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

>分かりやすい例が、表情と声です。気持ちの悪い「作り笑顔」で「猫なで声」を出すタイプもよく見ましたが、全て演技です。まあ「新しい人格を身につける」がそもそも「別人格を装う」とほぼ同義ですから・・・。そういうタイプに会うと「普通に話せば?」と言いたい気持ちを抑えるのが大変でした。

管理人さんがそのような人の動画あげてますね kiss

オフライン

#39 2021年01月03日 12:20:33

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

まさに彼はそのような「変な人」の代表格の一人ですね。

オフライン

#40 2021年01月03日 12:40:40

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

自分たちが定めたルールに反し罪を犯したものを排除する。いわゆる排斥ですが、このことを別の言葉で説明できないものかと思い探していました。で、見つかったのは「粛清」です。詳しくはウィキペディア(粛清)をみてください。「古今東西問わず、いかなる組織でも普通に行われていること」ともありますが、それ以上の含みがあります。で、WTの排斥の意図と非常に似通っていると感じました。私だけでしょうか?

オフライン

#41 2021年01月04日 00:14:00

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

空虚感をいかにして埋めるか(私の経験)その1

JWであることを辞め、WTから自由になった時、自分の中に「穴」が開いたように感じました。そして、なんとかしてその穴を埋めたいとも。

言うまでもなくこの穴は、Wordで打った文章の一部分をデリートしてつまんで短くする、といったような単純作業で「なくなる」わけではありません。ですから「埋める」必要があるのです。どうすればいいのでしょうか? 今までやりたくてもできなかった趣味に打ち込もうか。学びたかった事を勉強したり、仕事に役立つ新しい技術を習得するのに時間を用いようか。WTとは違う宗教を学んでみようか。せっかく聖書に慣れ親しんだのだから。

いろいろ考えましたが、なかなかその穴を埋める自分に合う方法が見つかりません。開いた穴は、単に「時間ができた」でもなければ、「物を失った」でもありません。とは言え、心の中の「何か」を間違いなく失ったのです。そこに穴が開いたようになっているのです。この穴を放置すれば、いつまでたってもそこにあり続けます。そして気づきました。この穴は、実は「空虚感」だということを。次の段階はこの空虚と対峙することです。そしてなんとかして埋めなければ。

私自身このような思いになっていました。そしてようやくある解決法に気づきました。これはある人にとっては至極当たり前のことかもしれませんが、自分にとっては新たな発見だったと言えます。このことについて少し書いてみたいと思います。

(続く)

オフライン

#42 2021年01月04日 01:18:30

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

空虚感をいかにして埋めるか(私の経験)その2

最初にしたことはとことん自分に向き合うことでした。最初は自責の念、後悔、怒り、挫折感、喪失感といった様々な感情が複雑に入り混じった辛い状態でしたが、とことん自分について考えていました。そして考え尽くした頃、次に襲ってきたのはまさしく空虚感でした。ある時期は魂が抜かれたような状態だったと思います。

失ったものの一つ、空虚感の原因の一つは「友を失った」ことです。JWの中にも波長の合う友人がいました。しかし、WTを抜けると彼ら全ても失うのです。それまでJW以外には親しい友人を作らなかった人にとってこれは辛いです。で、この空虚を埋めるには、同じく人であることが必要だと思いました。なのでいろんな人と積極的に会ってみたのです。昔の友人や、すでにWTから離れた友人にも連絡を取ってみました。するとJWの時とは異なる人脈ができていったのです。フリーメンソンリーの人たちに積極的に会えたのも、この想いが後押ししていたと思います。

辛い時は人と会うことなど到底できないでしょう。私もそうでした。でも、少しでも楽になった時には人と会うことをお勧めします。新しく知り合う人にはJWでの経験や経緯を話す必要などありません。話す話題にも制限はありません。普通に人と話すことができるのですから、いろいろな人と会って話してみてください。

人は独りでは生きてはいけないんです。ですから自分を孤立させてしまうと、辛さが増すばかりです。力を振り絞っていろいろな人に会うと当たり前のあることに気づかされます。「人は優しい」ということ、「JWのような見せかけの優しさではない」ということに。

(続く)

編集者 Jay (2021年01月04日 03:13:55)

オフライン

#43 2021年01月04日 01:50:31

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

空虚感をいかにして埋めるか(私の経験)その3

次にしたことは「いろいろなところに行き、いろいろなことをし、いろいろな人に会う」ことです。

イギリスに行ったこともそうした行動の一つでした。ロンドンに住む古い友人を訪ねると、豊富な話題と新しい気づきや出会いが生まれました。するとそこから予測していなかっった出来事が起こり、新しい展開を経験することになったのです。自分に制限を課すことなく自然体で臨めば、出会いは別の新しい出会いを生みます。一歩踏み出せば、次の一歩が見えます。結末や結果など考える必要はありません。小さいことでもいいので自分に素直になって行動してみるのです。

ロンドンのシティ界隈を歩いている時、ストリートの一角にホームレスが座っていました。「空腹です。助けてください。」というようなサインを掲げることもなく、ただ土下座しているかのように頭を垂れていました。今までなら一瞥しただけで通り過ぎていましたが、その時はいくばくかの小銭を差し出しました。これも小さなことです。この行動によって何かが生まれたわけでもありません。しかし、私は「これまでとは違った行動」を取ったのです。誰にも迷惑をかけることなく、ふと思ったことを自然に行動に移してみたのです。誰でも危ないと思ったら逃げるでしょう。それは本能から出た行動です。では「手を差し伸べたい」と思ったらどうしますか? 理性を働かせて、何もしないのでしょうか?「何かしたい」と思った本能を押し殺すのでしょうか? それもいいでしょう。悪いことではありません。しかし、自分を変えるためには、違う行動を取ってみるのも有効でしょう。違う行動といってもそれは作為的なものではなく自然な思いに従った行動です。

これはほんの小さな一例にすぎませんが、このようにしていくと、「ああ、自分はこういう人間だったんだ」ということが少しずつ見えてくるんです。自分自身のことって知っているようで実はあまり知らないんですよ。

ですから、旅に出ることも一案でしょう。まさに気ままに歩き、出会う人に声をかけ、心の声や本能に従って行動していく・・・・。「自分発見」といってもいいかもしれません。これは私にとっては有効でした。失ったものは友人だけでなく、「自分自身」でもあったのですから・・・。

(続く)

編集者 Jay (2021年01月04日 03:15:57)

オフライン

#44 2021年01月04日 09:11:24

ラハム
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

Jay さんの発言:

まさに彼はそのような「変な人」の代表格の一人ですね。

わたしはそのことを現役さんに指摘したことがあるのですが、
そのような変な状態にならされているせいか、
何も感じないようでした。
うそも100回言えば本当になるというのは、
こうしたようなことでも真実だと思います…。

オフライン

#45 2021年01月04日 10:52:48

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

ラハム さんの発言:

そのような変な状態にならされているせいか、
何も感じないようでした。

いや、思うにその人も「こいつは変だ」と感じていると思います。どう贔屓目に見ても変ですから・・。
ただその人には「統治体のメンバーに変だといったらダメだ。」という忖度のブレーキがかかっているだけだと思います。もしくは・・・「自分もこうなりたい」と感じているか、すでに同類と化しているかでしょう。まあ顔芸ではないにせよ・・・。

ここまで極端でなくとも、妙に不自然なニヤニヤ顔JWって多いと思います。反対にドヤ顔タイプもいがちですね。思うに、「ニヤニヤ顔」は裏でコソコソ画策するタイプが多く、「ドヤ顔」は上昇志向が強いわりに自分より上の立場の者にはへつらうタイプが多いなあ、と観察していました。

オフライン

#46 2021年01月04日 11:20:15

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

空虚感をいかにして埋めるか(私の経験)その3

次は新しい「友人」とどのようなコミュニケーションを持つのか、です。人たちとの関わり方は思いの中に大きな違いを生みます。「自分にとって」必要だった関わり方とはどのようなものかを端的に言い表すとしたら・・・それは「必要とされる」ことです。

自責の念に苛まれており、無価値であるとも考えている自分が誰かに必要とされる・・・・これこそがキーの一つです。必要とされるという需要(?)を満たした時、説明できない「満足感」を感じることができます。「ありがとう」という言葉の持つ力と言い換えることもできるでしょう。小さくてもいいのです。この積み重ねが自尊心の回復プロセスに力を与えてくれます。実のところは知りませんが、「ありがとう」の言葉を受けると何か特別な脳内物質が出るのかもしれませんね。

横断歩道を渡るお年寄りをサポートすることでも、段差で困っている車椅子に乗った方々に少しの手を差し伸べることでも、相手の話を聞いてあげることでも・・・なんでもいいんです。こうしたちょっとした行動さえも、相手を助けるだけでなく、同時に自分をも助けるものとなります。そして空虚感を少しずつですが着実に埋めていくことができます。

この意味では「受けるより与える方が幸福」というのは間違いないですね。

追記:聖句には多くの手が加えられています。ですから「こう書いてあるから真実」という風に鵜呑みにすることは正しくないと考えています。とはいえ、実際に経験や体験によって実感したのであれば、その言葉は少なくとも「自分にとっては真実」となります。「受けるより与える方が幸福」はその一つです。

(続く)

編集者 Jay (2021年01月05日 00:25:16)

オフライン

#47 2021年01月04日 13:32:31

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

空虚感をいかにして埋めるか(私の経験)その4

さて、次は多くの反感を得るコメントかもしれません。しかしこれも私の経験の一つなので書きます。

JWとしてクリスチャンであった時、そこに信仰心という心が深く関わっていました。心、これ即ちスピリットです。またよく「霊性」という表現が用いられますが、これはそのまま「スピリチュアリティ」です。このスピリチュアルな部分に空洞ができているとも言えるわけですから、手っ取り早く同じスピリチュアルで埋めてしまおうということです。

何をしたかというと、JWが踏み込まない「スピリチュアルへの好奇心」に基づくアクションでした。ですので既述したようにイギリスのレイラインのスポットへ行ったりもしましたし、ロスチャイルドやフリーメイソンリーのことを調べたりもしているわけです。

いや〜これは面白いです。多くあるプロテスタントやその元となったカトリックといったキリスト教、その他の宗教、フリーメイソンリーのコンセプト、有史以来人類が探求している事柄、これらすべてが「スピリチュアル探求」だということに改めて気が付いたのです。和訳して「心の探求」とすれば誤解が少なくなるかもしれませんね。

自分自身の心に飛び込み「本当の自分は何を求めているのか?」を知る探求でもあり、強く関心を持っている「死後の世界」「転生」「パラレル・ワールド」「タイムリープ」といった、ともすればキワモノに対しての探求でもあります。もちろんキワモノの世界には深く没頭するつもりはありません。一例ですが「転生」に関していえば、ヒプノセラピーを体験したことで十分です。要は本を読んで知るだけではなく、経験や体験として知ることが重要なんです。その意味では「死後の世界」を知ることは臨死体験をしない限り不可能ですね。

このようにして関心を少しずつ満たしていくと、心の隙間(空虚感)も少しずつ埋まっていきます。これは実感しています。

この探求に関してはあまり詳しく書くことはできませんのでこれぐらいにしておきますが、ここまで書いてきたこと(その1〜4)を通して力を取り戻してきているのは事実です。

私の経験でした。

編集者 Jay (2021年01月05日 10:19:18)

オフライン

#48 2021年01月30日 14:18:43

疑点
ゲストユーザー

Re: ターニング・ポイント通過中

Jayさん、はじめまして。お元気でいらっしゃいますか?
もう此処は見ておられないかも、ですが。
連載を楽しみに読んでいました。続きはもう書かれないのでしょうか?
以前ご家族と一緒に暮らす事の葛藤も書かれていらっしゃって、なんだか心配していました。
もちろんプラベートな事なので無理に記す必要もないし、でもたまに気が向いたら又お話を続けて欲しいなと願ってます。




最近、読んだのですが
「カルト脱出記」の著者、佐藤典雅さんの「エホバの証人元信者の証言」シリーズが現代ビジネスで連載されています。

https://gendai.ismedia.jp/list/author/satonorimasa



その最終回の中で
本の後日談について書いておられます。一時期スピリチュアル系に足を踏み入れてた様でしたが。

(引用)
スピリチュアル、マルチ、自己啓発を一通り経験して、これらは宗教の領域であると感じた。


と、書いておられました。(もっと詳しく色々と書いておられますが省略します)



私は全くスピリチュアルに興味が無く足を踏み入れるつもりもありませんが、それは何となく宗教臭を敏感に感じていたからなんだな、と今更ですが気づきました。
分かりようもない領域は分からないまま白黒付けずスルーする、という元二世として宗教は懲り懲りの気持ちが強いからなのですが。
でも全く否定するわけでもなく、Jayさんのご経験を興味深く読ませていただきました。



以前、こんな事がありました。
私の父親の危篤も死も知らせる前に、寝たきりの祖母の枕元に父が現れたそうで。
その時は絶賛洗脳中だった私は「これもサタン?」と、ちょっと不思議に思いました。
この事で祖母は死というショックが和らぎ、穏やかにすんなり受け入れる事が出来たからです。
あれ?サタンよ、グッジョブって(笑)
本気でサタンを忌み嫌い恐れてたのも、馬鹿馬鹿しい話ですけど。

いつか私にも亡き父が会いに現れてくれないかな、とちょっと思ったりもしています。

#49 2021年02月02日 09:26:40

Jay
メンバー

Re: ターニング・ポイント通過中

>>連載を楽しみに読んでいました。続きはもう書かれないのでしょうか?

なんか独りよがりの書き込みのように感じてきてしばしストップしていました。「連載」なんて言っていただけるととても嬉しいです。ありがとうございます。
ネタは色々あるので、また書き進んでみようかなあ・・・。

>>スピリチュアル、マルチ、自己啓発を一通り経験して、これらは宗教の領域であると感じた。

あくまで私の意見としてですが・・・、それぞれ似てはいますが全く違うと思います。

マルチはお金欲しさでしかないです。たとえそれが宗教的であったとしても、目的は金銭でしょう。セールストークに「理想や夢」が織り込まれていたとしても、それは相手をミスリードするための手段でしかないと思っています。

自己啓発は自分自身に目を向けてはいるでしょうが、やはりそこには富や成功という目的(ゴール)があってのことのように見えます。また「啓発」は、他人からの知識や情報からの影響によるものでしかありません。しかし、本を書いたり、講演をしたりして、連鎖的に他人に伝えようとしたら、宗教的だと言えると思います。でも、そうでなければ「学び・気づき」の一つだと思います。

宗教は一番面倒です。信仰も含めて自分自身の事柄のように見えますが、これが組織になった途端、関わり方が変わりますし、人間関係や権力・支配力といった余計なものが絡んできます。むしろそれらが自らの生き方の価値観において主な部分を占めるようになっていきます。

スピリチュアルは・・・何をもってそういうのかという定義にもよると思います。、超自然現象や力(予言や占いを含む)といった科学では解明されていな事柄等もを指して言うのでのであれば、「信じるか信じないか」が関係してきますから、佐藤氏のいう通り宗教的ではあるでしょう。

しかし、スピリチュアル → スピリチュアリティ →  霊性 → メンタリティ →  考えや精神のあり方、というように捉えていけば、他人や金銭的利益、欲や野望といったものから離れていられると思います。言い換えれば他人を巻き込まない「個人的な事柄」です。

私にとってのスピリチュアルとは、自分の体験・経験・考えの検証、等でしかないです。自分の関心、自分の考えに素直になることです。しかし、他人を巻き込んだり巻き込まれたりしないことが大切です。

>>私の父親の危篤も死も知らせる前に、寝たきりの祖母の枕元に父が現れた。

私は母を自宅ホスピスで介護し看取りました。母の最後の時が近づいた時でしたが、無意識で昏睡状態であった母が突然目を開け、空に手を伸ばし、穏やかな表情に変わっていったのです。それはあたかも「誰かが迎えにきた」瞬間だったのかもしれません。もしかすると先に他界した父だったのかも・・・。

科学では証明できないことは山ほどあります。そこに目を向けて知りたいと思うことは、自然なことだとも思います。なので、宗教になってしまったり、他人を巻き込んだりしない形で、そうした事柄も探っていきたいと考えています。

格好良く言えば、私にとってのスピリチュアルとは「旅(ジャーニー)」なのかもしれません。

オフライン

#50 2021年02月04日 22:08:31

疑点
ゲストユーザー

Re: ターニング・ポイント通過中

そうですね。佐藤氏もあくまで個人の出した答えとおっしゃっています。
Jayさんにとってスピリチュアルは、必要な旅なんですね。

「決して他人を巻き込まない」ほんと重要ですね。
私の母も最初は心の旅で聖書という本に興味をもっただけなのだろうと思いますが、行き着いた先がカルトで。物心つく前の幼児を巻き込み、巻き込まれた私も熱心に伝道し他人を巻き込んでしまいました。最悪ですね…

クィック投稿

メッセージを書いて送信してください。

Board footer