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#751 2020年09月21日 09:21:15

ガッツだぜ
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

出先から気になったので。ぽんちゃんさんありがとうございます。
私個人を全体主義的で危険な考えであるとか、私の発言の一部を抜き取って
その意図をねじ曲げて、討論に関係ない事をストローマン論法で言い募っても
何の益にもなりません。
私が説明しても感情的であるとレッテル貼りをする事によって、言論封殺する
時間があったら、統治体というカリスマ集団に思想統一されている
ものみの塔の全体主義の危険性に注意すべきではないかと思います。

ぽんちゃんさんの説明の通りです。

動画については、動画のp氏の発言から、ものみの塔をどのように論破したら良いか
その方法をこのように学べると具体的に提案されれば良いと思います。
強硬で他者の意見を遮って言わせないタフなP氏の態度から、圧をかけてくる
タフなものみの塔にどのように対応したら良いか学べたら幸いです。


フェミニズムに関しても、ひとつの意見に統一し、個人の考え
を全体のものにする訳ではなく、互いの意見を尊重し合おうと
いう流れの中で、まだまだ弱い女性の人権についても考えて
いきましょうという流れになっています。それについては
私が今まで紹介してきたサイトを読めばわかると思います。

重ねてぽんちゃんさん、私の言い足りない部分をフォロー
していただき感謝申し上げます。

皆さんに平安を。

#752 2020年09月21日 21:55:38

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

統治体を弱者と捉える、物事の本質を見ようとしないほいさんに最初から何も期待していません。ゆっくりお休み下さい。
全体主義については以前ハンナアーレントさんの本を読みましたがまだよく理解できていません。その危険についてまた読んで考えたいと思います。
ハンナアーレントの言葉
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。 そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。 人間であることを拒絶した者なのです。 そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました。」

早く多くの方が洗脳から自由になれるといいですよね。

#753 2020年09月21日 23:12:01

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

ぽんちゃんさん、心機一転すると色々見えてきますね。
ひとつ私が気づいた事なのです。ものみの塔は、本当に酷い宗教だと
思いました。イエスを軽んじ、イエスの教えたアガペー愛を学ばないから、空しい
カルトなのだなと今回を通して学びました。臥竜点睛を欠くという諺どおりですね。
ものみの塔がどんなに立派なごたくを並べても、イエスの愛という一番肝心な事を
教えないから、臥竜点睛を欠いて、ただのガラクタ宗教になるのだと知る事ができ
ました。これも導きですね。

イエスは仕えられる者は仕える者となりなさい、互いに愛を示しなさいと教えました。
これは男女間にも当てはまると思います。元々、男女は互いに良き相棒として造られました。
イエスはエロスを超えるアガペー愛について説きましたが、これは男女間にも本来適用できる
のだと思います。

創世記を見ますと、2人が楽園を追放された時、2人の間にあったのは、エロスのみで、アガペー
愛はありませんでした。アガペー愛があるならば、アダムはこう言ったと思います。
「せめて妻だけでも助けてやってください。」

(アノニマスさん、別トピですが、気づく事ができました。ありがとうございます。)

また、創世記には神々に似せて人を造ったとあり、本来、人間は神に習ってアガペー愛を示す
事ができる生き物です。野の獣より、より高次元の思考をするなら男尊女卑には至らない訳です。
これに気づく事が命へと至る道なのかもしれません。

ものみの塔は、イエスのアガペー愛について真に考えず、神への忠誠と恐怖と罰と終わりの日
の恐怖ばかり強調して教えるから、一番大切な事を学ぶことができません。愛に勝る律法なし
というイエスの言葉の意味を悟らせる事ができないから、大切な家族を輸血拒否で死なせてしまい
姉妹をグアテマラで死なせてしまい、性犯罪を赦すべき些細な事と見做すという大罪を犯します。

重ねて書きますが、愛に勝る律法なし という金に勝る言葉を重んじれば、組織の掟よりも
先に守るべきものが見えるはずです。

ラハムさんも今研究されていらっしゃいますが、多分、私と同じ結論になるのではないかと
思います。

だから、ほいさんが書かれているコメントを見て、ものみの塔とは何と残酷な宗教なの
だ、痛ましいと思いました。
あちらのトピに書かなくて良かったと思います。もし書いていれば、いたずらにストローマン論法に
明け暮れ、気づきは無かったと思います。

女性の能力をもっと生かせればいいですね。きっと神からの問いかけの答えに近づくと思います。

ラハムさんのトピにも書いておきます^^少しでも伝わればいいと願っています。

#754 2020年09月27日 08:40:04

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

ルカ福音書、黙示録の聖句。これらの事が起きたなら、人の子が戸口に近づいた事を
知る。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の軍人総動員数は合わせると2億になるかもしれません。
これらの事を前もって知るからあなた方は恐れることはない。

イエスはルカ書21章で、2つの事を語られています。まず、エルサレムが異邦人の時が満ちる
まで異邦人に踏みにじられる事。終わりの日の前にユダヤ人たちがディアスポラや牢獄に入れられたり
殺害されたりする事。そして終わりの日に、全地上の人間に終わりの日が臨む事。
1948年にイスラエルは再建国されました。ものみの塔の言う、異邦人の時が満ちるというの
とは違うと思います。
また終わりには3つの災害がもたらされますが、1915年に、パレスチナ蝗害を皮切りに、次々、7つの
ラッパに相当するような出来事が起こりました。そして地上の1/3が取り去られるのは3つの災いによって
であり、ちまたで囁かれている最終戦争ではありません。
イエスは日と月と星を観察しているようにおっしゃられましたが、確かに何か思わせる事が起きています。
これは皆さんで興味のある方は調べてみてください。

ものみの塔の場合、終わりの日を言い切ってしまった事、ダニエル書を元に独自の解釈をしてしまった事
天体の様子から判断していない事で、自ら偽預言者となってしまいました。

イエス昇天後、似たような事はあったかもしれませんが、その時はエルサレムが異邦人によって支配されて
いた事を考えると預言は成就するときでは無かったと思います。また2億人の火と硫黄の騎兵隊は、近代まで
用意されなかったと思います。過去閲覧者さんが思われるように携挙の時についてちょっと思う事がありました。
断言はできませんが、心に留めて置きたいと思います。

#755 2020年09月27日 09:47:12

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

さらにルカ書第21章によると、終わりの日に、海と大波によって諸国の民は
恐れるようですが、当時イエスが地上におられたイスラエルの場所を考えると
地中海に大波というのも不自然ですし、仮に地中海に大波が発生しても
エルサレムが異邦人によって踏みにじられる、異邦人の時が満ちていなかった
事から、イエス昇天後~近代までの出来事を指しているとは思えません。

wikisourceルカ福音書口語訳より引用
”21:24
彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。

21:25
また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、

21:26
人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。


21:27
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

21:28
これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。

前半で、古代エルサレムに起きる事、後半で終わりの日について語られています。

ものみの塔に毒されたせいで、異邦人の時と言うと身構えますが、イエスはエルサレムにおいて
異邦人の時を語られたのであり、それとは別に終わりの日について語られていると読めます。

個人的な考察です。

#756 2020年10月01日 22:01:35

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

黙示録も聖書の大切な最終章ですから、それを軽視するのは聖書を信じる者としては
大きな矛盾となるでしょう。ものみの塔の大きな罪は、終わりの日を限定し、それが
外れた事によって偽預言者となった事です。そのため、聖書までも否定する人を作り
出しました。よく気をつけて見てください。聖書は天のしるしに注視するよう促して
いますが、その日を限定はしていません。空のしるしを見て終わりの日が近づいている
事を知れば、その日が来ても恐れることはないと書いてあります。

見て知ることは大切な事でしょう。でも偽預言者とならないためには、年月を限定するような
浅はかな事をしない事が重要です。

#757 2020年10月04日 15:19:14

Kiti
メンバー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

そもそもエホバの証人の使ってる聖書の翻訳の信憑性、そして宗教の教えはほんとに正しいのかという疑問がありますからね。

オフライン

#758 2020年10月05日 18:06:25

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

ラハム さんの発言:

世の中になぜ障害を持つ人が存在しているのか、
先天性であれ、後天性であれ存在するようになっているのか、
という人生の大命題ともいうべき疑問の答えを持っている方はいるでしょうか。
もし、持っておられるのでしたら、ぜひ書き込んでいただきたいのですが…。

障害がなく自由に動ける身体を持つ人が存在するのは神の恵み、憐みだと思います。
今ある状況は人の自由意志により選択し呪われてしまった結果だと思います。

あなたのゆえに、土は呪われてしまった。あなたは生涯にわたり苦しんで食べ物を得ることになる。 聖書協会共同訳創世記3:17

神の目から見たら障害がある人とそうでない人の差はないと思います。

#759 2020年10月06日 06:23:45

アノニマス
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

一七世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。一八子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。一九それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。二〇なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。二一愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。二二そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。二三その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。二四神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのうちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。ヨハネ第1 3;17-24 口語訳

愛を実践する事で自分の心を安んじていられるのです。困窮や障害のある人たちは助けられ愛を示されるのです。

#760 2020年10月09日 06:26:05

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

パウロについて個人的に思う事

頭が源であるという解釈は自然な事だと思います。
イエスの教えを源泉として、男という本流を流れたのち、やがて女という支流に至る
大切な教えは男を通してやがて女にも伝わるから、教会内では静かに待ってなさいと
パウロは言いたかったのだろうと思います。アノニマスさん、創世記の川についての
聖句に目を留めるなんて本当に鋭い。
そのおかげで、さらに私はある事に気づく事ができました。
現世ではどうしても男尊女卑傾向にあり、パウロの言葉が正しく解釈されず変に強調されて
しまったのだろうと思います。追記者がかなりフォローを入れているように思いまが、それでも
どうしても服従という言葉が出てきます。

創世記では男次いで女というように創造されたと書かれているので、その順番を重んじ
大切な教えは男ついで女の順に伝わるとパウロは考えたのでしょう。その順番を間違えると
失楽園に至ったようにサタンの誘惑に堕ちるぞと。

パウロの教えには時代背景、といよりも現世の影響を考えなければならないところがあると
思いますが、イエスは男たちと同じように足元で説法を聴いていたマリアに対し、彼女からその
権利を奪ってはならない
とおっしゃったように、必ずしも男という本流を通さずに女が直接教えを
聴いて良い、むしろそれは褒められるべき事であるとおっしゃられたのだと思います。
サタンの考えは時間差攻撃で女から入ったとしても、神の教えは男女同時に入ってしかるべきものであると
そうでなければ悲劇を繰り返してしまうだろうという事なのだと思います。
ペンテコステは男女両方に同時に起きました。
この意味を考えるとそのように読めると思います。

パウロはキリスト教を広める貢献をしましたが、それはイザヤ書にある預言が実行されたのだと思います。
そして広まった事により、イエスのお考えを歪めて解釈している者にゼカリヤ書に書かれている通り預言が
実行されるのだろうと・・・

ゼカリヤ書も、まだ命の水が湧いていないところを見ると、完遂されている訳ではないのでその可能性もある
のではと思います。

聖句を理解する鬨に、イエスのお言葉は外せません。というよりそれに尽きると思います。

#761 2020年10月09日 13:38:40

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

パウロの言葉について考えているうちに服従という言葉にネガティブなものを感じなくなりました。神に服従することを知るために男女の型があるのだろうと思います。神との関係で人は奴隷ではありません。
女は黙っていなさいとあるならば、男はイエスキリストに倣い正しく話をするべきです。とても難しい役割分担です。
アダムはエバに正しく伝えることが出来ませんでした。黙っていました。神が与えてくれた女の判断だからと自分の頭で判断することをやめてしまいました。

人は答えた。「あなたが私と共にいるようにと与えてくださった妻、その妻が木から取ってくれたので私は食べたのです。」
創世記3:12 聖書協会共同訳

概念の始まりと終わりが対称的に配置されるキアスマスの構造で考える時、上記が始まりならば最終的には、してはいけないことを正しく話すことに繋がっていくはずです。
女性差別にしても他の差別の問題にしても自分の頭で考えることをやめずイエスキリストに倣うならば正しいことを選択し話すことができると思います。

#762 2020年10月09日 14:56:36

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

これは個人的な感想ですが、どうしても人の性質上、ゼカリヤが言うように
なってしまうのでしょうか。パウロもまた預言された人なのだろうと思います。
イザヤ書の預言とゼカリヤ書の預言はキリストを通し実行されました。
それを考慮すると、ゼカリヤ書の後半のまだ成就していない預言もやがて
実行されると思います。パウロは器として用いられましたが、それもイザヤ書
にある通り。そして各地に伝わったキリスト教がイエスの教えに反している
ものならそれは滅びへと至ります。もちろん正しいものは残ります。

キリスト教会が何と言おうと、預言は成就すると、そういうものなんだと
私は思います。パウロの教えの中に間違っているものがあるなら、必ずそれは終わりの時に
正されるという結果になります。

イエスは、マリアを褒め、マルタを窘めました。「男たちと同じように座って話を聴く権利を
奪ってはならない」
男を通さず、神であるイエスから直接話を聴きなさいという言葉です。
これは当時としては画期的な出来事でした・・客人が滞在している間は、女は裏方として
働かなければならなかった事を考えると(現代の日本でもこの習慣が残っている)
ある意味、男たちの認識を打ち破るものだったのです。

また、こういう背景もあります。女をアドバルーンまたは広告塔として祭り上げ
裏で男たちが画策し、何かひとたび事が起きれば祭り上げた女に罪を被せて
処刑する。ジャンヌダルクのように。またはリケジョとか、何々系女子というように。
その傾向が、創世記の、まさに罪の原因をエバのせいにしたアダムの言葉に既に見えます。

そういった事を考慮すると、皮肉な事に、パウロの言葉を守る事によって男たちに責任を
なすりつけられる心配が無いという面もあったかと思います。
ところが現実は、パウロの言葉は横暴な者たちに口実を与え、暴虐を働く正当性を与えるもの
となってしまいました。(産む機械のように女性に人権が与えられない)

暴虐を働く者はなんとでも言い訳を重ねると思います。しかし、イエスの口から出る剣は裁きの時に
暴虐者を切り裂くとありますので、その通りになるでしょう。

もちろん、私がラハムさんや仰天さんのトピで紹介したような方たちまで暴虐者扱いには
ならないと思います。むしろ余程キリスト教的だと思います。米国の過激なキリスト教と名乗る
権威主義的な団体の方がイエスの教えと程遠いと思います。

#763 2020年10月09日 18:05:42

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。 新改訳

同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。口語訳
ペテロの第一 3:1.2

ペテロの言う無言のふるまいも黙っていなさいと同じかもしれません。
パウロの言葉を変えるのではなくこの世の男尊女卑の考えをまず、全て自分の中から捨てなければならないと思います。女性差別の考えは男性だけにあるわけではありません。私は女ですが変えるのに非常に苦労しました。今だって残っているかもしれません。洗脳から解放されるのと同じように難しいことです。捨てなければ聖書の言葉をそのまま受け入れられないようになっているのかもしれません。
イエスキリストと同じように地上で仕える役割を女は与えられているのです。それは非常に高められることです。苦しめられる、差をつけられるこの世の女性差別の考えとは別のものだということを理解しないと解釈を間違えてしまう気がします。もしかすると今の時代にとって間違いを起こしやすい危険な部分になるのかもしれません。パウロの言葉をそのまま受け入れないことはイエスキリストを否定することになります。女が教会で教えるなというならそれが正しいのだと私は思います。

#764 2020年10月09日 20:25:49

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

服従という言葉がちょっと嫌な響きを持っていますね。
現実は暴力夫に虐げられる事の方が多いです。その辺は臨機応変
に対処すればよいと思います。服従しているうちに虐待死しても
意味がありません。イエスは虐待死は望んでいらっしゃらないと
思います。

また嫁だからといって最近まで人権が認められていませんでした。
嫁は使い捨ての道具なのです。
社会的にも女性には参政権さえなかったのです。

服従の結果、戦争に突入、愚かな事に息子を戦場に送り出し
むざむざ殺してしまいました。
聖書はある程度臨機応変に考える事も大切と思います。
時代によって変化しています。

修道院のように女性だけの場所であれば、当然、女も教えて良いと思います。
そこは住み分ければいいのでしょう。

イエスはマリアがマルタのように世話をする事よりもイエスの
講話を聴く事の方が大切であると、むしろそれだけが大切である
とおっしゃったのが私は全てだと思います。
女が家族の中で下女のような服従をする必要はないのです。
もし子どもが母親が半人間的な扱いをされているのを見て
何も感じないなら、その子育ては失敗です。
というのも、リベカの息子であるヤコブは母をよく助ける者でした。
神は男らしいエサウではなく、優しいヤコブを祝福しました。

服従は原罪の結果であり、イエスは原罪を贖われたのではないでしょうか。
いずれにせよ千年王国になれば解るでしょう。

今年もノーベル賞が複数の女性に授与されました。
女性の教授もたくさんいらっしゃいます。
今まで間違った認識で潰されてきた女性科学者はたくさんいます。
もうそういった事は否定されるし、なによりイエスがマルタに学ぼう
としているマリアの権利を妨害してはならないとおっしゃったように
何か鎖に縛られる必要はなく、どんどん学び、学んだ事を次世代に
伝えていけば良いのでしょう。

現代まで、女を殴る男は男らしいと言われていました。
母が父から置時計で殴られ、鼻から大量に血を吹き、充血した目で
泣いていた顔を忘れません。その事を愚かな父は客に話しました。
するとその客は「今時、男らしいですねえ」と感嘆していました。

これが服従の結果です。私たち子どもは母が死ぬのではないかと
思い怖くてひと晩中泣いていました。母の尋常ではない
出血を見て救急車をいつ呼ぼうか眠れなかったのを覚えています。
また私は高所作業中、資格を持っていて生意気だからと言われ
男の上司から命綱を外されました。
なんと素晴らしい男らしさでしょうか。今なら逮捕ですね・・

何度も繰り返しますが、イエスが判断されるでしょう。
それにペテロはイエスに何度も注意されていました。
ペテロもまた不完全だったと思います。というより皆不完全です。

信仰はそれぞれであって良いと私は思います。イエスが神であると
信仰する、愛が全てという事を解っていれば背教者にはならないと
思います。

続く

#765 2020年10月09日 20:50:51

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

旧約聖書には正直に言って、障害を持つ人には辛い表現が見られます。
身に傷がある者は神の前に立つ事は許されないという聖句があったと思います。
(詳細は違ってるかも)
もしこれをこのまま現代に当て嵌めるとどうなるでしょうか。
イエスが一番救いたかった人をイエスでもない人間が排除する事になると
思います。イエスは障害は誰のせいでもない、それは癒されて神の力を
示すためであるとおっしゃられました。
これは千年王国で癒され、神の栄光を示すためにあるのだという事だとも思います。

イエスが弟子におっしゃられなかったら、病人や障害を持てば差別されていたでしょう。

私は、イエスへの信仰を軸にある程度の社会的柔軟性はあって良いと思います。
でなければ聖書によってかえって傷つく人もいると思うのです。
大切なのは愛であり、愛があれば服従を強いるという考えには至らないと思います。

もちろん、各人自由ですから、他人に迷惑を掛けない程度に信仰を持つもよし
持たぬも仕方ないことでしょう。

#766 2020年10月11日 07:32:20

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

余りにも明確に書かれています。教会で女は教えてはならない。黙っていなさい。服従しなさい。
創世記の「実を食べてはならない」と同じことです。そして、現在でも蛇は私たちに食べろと言っているのです。聖書を無視することは神より自分の方が物事を判断できるふさわしいものだと自分自身を信頼して神を信頼してません。
この世に倣ってはいけないのです。
服従というものをこの世に教えてもらっているから受け入れることが難しいのだと思います。全て捨て聖書の言葉、神の言葉をそのまま受け入れなければならないと思います。

また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
ペテロ第二3:15.16
神に服従するべきです。アダムとエバの時と同じように従順さが求められています。

#767 2020年10月11日 08:47:49

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

仰天 さんの発言:

過去閲覧さんも書いておられたように第1コリント14章34節の
「女性は教会では黙っていなさい。女性には話すことが許されていないのです。律法も言っているように、女性は従いなさい。」

という発言は、女性にも公の場所で預言することを許している11:5と、一見矛盾するので、34〜35節はパウロの弟子が後に挿入したものと考える学者もいるということが『フランシスコ会訳』の解説にありました。

そこでは、
この矛盾と思われる点の1つの解決として、パウロは女性が霊感によって語ること、つまり預言することは許したが、あれこれ質問することは、信仰共同体を祈りの場ではなく討議の場にしてしまうので禁じたと考えることもできよう。

とも述べています。

#768 2020年10月11日 09:00:22

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

イエスは誰のために贖われたか。男性だけかそれとも女性を含む全体か。
贖罪は行われたが、再臨がまだないために地上はまだサタンが暴れ、旧態依然
としているのか。

原罪の結果が服従ならば、贖罪が行われたので鎖は無いはずでも、イエスが
再臨するまでは地上はまだ清められていない。ペテロたちの言葉も再臨
までのものと思います。聖書全体がキアスマスならば、最後は楽園が回復し
男も女もただ神にのみ服すると思います。

最近の中東で起きている変化を見るに(UAE女性科学技術担当相、女性機長
女性初フィールズ賞)これが人間として元々自然な流れだったのでしょう。
今、最終章へと聖書という物語が進みつつあるのでは。

#769 2020年10月12日 10:49:15

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

ガッツだぜpart2 さんの発言:

旧約聖書には正直に言って、障害を持つ人には辛い表現が見られます。
身に傷がある者は神の前に立つ事は許されないという聖句があったと思います。
(詳細は違ってるかも)
もしこれをこのまま現代に当て嵌めるとどうなるでしょうか。

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。
ペテロ第二3:14
旧約聖書はイエスキリストが来たので完成されたはずです。傷がある者は人間全てだと思いますよ。

聖書に傷つけられている方がいるなら何か違った神の像を作っているのだと思います。ペテロが不完全だからといって聖書の言葉を否定するわけにはいきません。それを言ったら全て否定できます。何を信じればいいのでしょう。自分の受け入れたところだけでいいとするなら自分の好きな神を作っているだけだと思います。偶像に気をつけなさいという言葉が必要になってきます。

#770 2020年10月18日 13:28:16

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

であるからこそ、イエスの言葉によって救われるのだと思います。旧約聖書では
身に傷のあるもの、身障者は除外されてきました。
造り主であるイエスは地上で、かえってそのような人を訪問し愛を示しました。
そして旧約聖書を破棄しました。身障者は因果応報によるものではないと
これは仏教に見られるような考え方とは全く違います。
イエスは社会的弱者をさらに弾圧する王ではなく救済する王だと思います。
世の価値観とは全く違い、へりくだる者が尊いというものです。
へりくだり仕える者であれという教えを実践するなら服従は強いません。

イエスの愛の教えという一番大切な律法を守る事が最優先であり
道端に倒れている人を助けた異邦人の方が神の目に適っていると
おっしゃるのならそういう事だと思います。
終わりの日にあなたの名によって奇蹟を起こしましたと言っても私はあなたを
知らないという通りです・・

#771 2020年10月20日 15:15:53

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

wikisourceコリント人への手紙第一口語訳
『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年

コリント人への第一の手紙

13:8
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

13:9
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。

13:10
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

13:11
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

13:12
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

13:13
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

パウロは保守的に見えてリベラルなところもあった・・ように思います。

この聖句がある限り、聖書解釈は川の流れのように変化していく可能性もあると
思いますが、基本にある「愛」は変わらない、むしろこれが一番大切な律法である
と思います。

#772 2020年10月20日 16:25:49

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

連投になります。

そもそも神であるイエスにマリアやマルタたちが夫を通さず(未婚であったとしても男を通さず)
直接話しかけることが許されていた
時点で、イエスの千年王国が始まったら何が起きるか想像
できると思います。
この話題はこれで私はお終いにしたいと思います。

#773 2020年10月20日 17:10:38

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

パウロは目に見えるベールを必ずしなさいと言わず自分で判断しなさいと言われました。私はパウロが強調された神の秩序は重要だと思います。どのように表すかは人それぞれなのでしょう。男女は身体的に違い、力の差があるような自然なことをそのまま受け入れることかもしれません。
私は以前、なぜ女を造られたのかずっと考えていたことがありました。同じ男を造られても良かったのではないかとか。天使たちだってそれぞれ神が造られたのでしょうし。アダムとエバを造られたように一人ずつ造られてもいいですよね。子をわざわざ産むというのが結構特殊ですよね。そこが被造物の管理にも繋がってくるのかもしれませんが。結局神がそのような秩序を造られたのですから考えても無駄だとは思いました。神が造られた秩序のその中で神の御心を考える方がいいと思いました。

#774 2020年10月20日 17:43:01

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

どんなに試行錯誤しても結局イエスに辿り着きます。
それから先のことは、千年王国、新天地の話で、直接
何らかの形で啓示があると思います。
コリント人への手紙第一にある通り、基本の3つは残る
という事なので、それで良いのではないでしょうか。
結構、パウロも現実的なところがあると思います。
産めよ増やせよが終了すれば新天地で得られる新しい体が
どうなっているかちょっと興味深いですね。
もう男女で分ける必要もなくなりますし・・・

先の事は先の人に任せて、パウロの言うとおり基本3原則を
守れば良いのではないでしょうか。

#775 2020年10月20日 17:49:49

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ

創世記ではアメーバのようにアダムの脇腹から分裂してますが
新天地の新しい体はどんな体でしょう。それは滅びない体なので
だいぶ様相が違っていると思います。新天地でのお楽しみです。
今の人間はミトコンドリアで酸素を使ってエネルギーに変えていますが
もう酸素を使わなくなるのか、(酸素が細胞を傷つけるので)
雌雄同体か・・・

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