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#276 2019年06月08日 10:39:27

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところといえば、へんな性教育をするところです。

今回取り上げるのは、JW童貞兄弟も大好きなマスターベーションの話です。

JWでは、マスターベーションをどうとらえてきたでしょうか。まずは今から50年ほど前の見解です。

*****
塔 1973 12/15  自涜から離れる ― なぜ? どのように?

マスターベーションが不自然なものであるからです。
これに習慣的にふけることによってその人の社会的また感情的な成育が損われ,物事に対する健全な見方,また異性や他の人々一般に対する正しい態度が取れなくなります。それは『人を内に向けさせ』,引っ込み思案の内向的な性格にならせます。あるいは,それが人を同性愛行為に至らせることもあり,現にそうした例は決して少なくありません。

マスターベーションが異常な行為であり,不自然なものであるということは,精神錯乱の異常者の中に強度のマスターベーション常習者が多いという点にも示されています。

例えば,コロサイ書 3章5,6節はこう述べています。「ですから,淫行,汚れ,性欲,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなたがたの肢体を死んだものとしなさい。こうした事がらのゆえに神の憤りは臨もうとしているのです」(新)。すでに見たとおり,マスターベーションはほんとうに「有害な欲望」です。またそれは「汚れ」でもあります。

この習慣は偶像礼拝に近似するものであり,神の嫌悪を受けた古代の男根崇拝にも似ています。
*****

まず「自涜」という言葉が、いい雰囲気を出していますね。マスターベーションは、不自然で、性格を内向的なものにし、同性愛行為、精神錯乱につながるといっています。偶像崇拝だとも言っています。マスターベーションはこんなに影響力があるなんて初めて知りました。内向的な人は、マスターベーションのやりすぎで、そうなったんですね。驚いたな。

しかし、これらは、ほとんどが執筆者の妄想です。いろいろマスターベーションの有害性を説いていますが、何の根拠も示されていません。この執筆者もこの記事を許可した統治体もかなりヘンだよ。

聖書的根拠は、コロサイ3:5,6です。マスターベーションは汚れであり、有害な欲望といっています。これって正しい解釈なの?

この記事を読んだマスターベンション大好きなJW童貞兄弟(当時20代、研究生)も、マスターベーションをするたびに、多少良心が咎めるようになり、精神錯乱の異常者になるという不安のあまり、1日2回でやめようと決意したそうです。立派だな。

4年後の次の記事では、マスターベーションがイケナイ新しい理由が付け加えられます。

*****
「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」1977 5章 マスターベーションと同性愛

マスターベーションによって情欲を充足させることに慣れると,自分自身の喜びや満足のことだけを考える習慣が付きます。しかし結婚においては,とりわけ男性の側に,配偶者の喜びや満足に関しても関心を示す必要があるのです。さもないと,結婚関係は損なわれ,失意や幻滅を味わわされます。
*****

マスターベーションに慣れると、「配偶者の喜びや満足に関しても関心を示す必要がある」のにそのようなことをしなくなるから、イケナイというのです。JWの男性は女性が性的満足を得られるように努めなくてはいけないようです。いつからそんなこと決まったの?JWの男性は大変ですね。

でも、もちろん聖書的根拠はありません。妻を満足させろなんて、男尊女卑の聖書が言う訳はありません。夫婦生活に口をはさむJWって、へんだよ。

この記事を読んだJW童貞兄弟(当時20代、開拓者)は、女の喜ばし方なんて言うイケナイ本を密かに買っては、マスターベーションの合間に勉強するようになったそうです。まじめだな。

それから10年後、JWも性的妄想から多少解放され、まともなことを言い出します。

*****
目 1987 9/8 マスターベーションはどれほど悪いことなのだろう

研究者のウィリアム・マスターズとバージニア・ジョンソンも,「マスターベーションが精神病の原因になるということは,その頻度にかかわりなく,医学的には確証されていない」と述べています。

マスターベーションはまた,人を精神的に腐敗させるある態度を植え付けます。
*****

1973年では、「マスターベーションが異常な行為であり,不自然なものであるということは,精神錯乱の異常者の中に強度のマスターベーション常習者が多い」と書いていましたが、1987年になって、そんなことはないと認めます。しかし、「精神的に腐敗させる」と主張します。もちろん根拠は示されません。

この記事以来、JW童貞兄弟(当時30代、奉仕の僕)は、自分の精神状態がズーとおかしいのは別の原因とわかり、多少は安心してマスターベーションに取り組めるようになったようです。よかったね。

1990年代に入ると、JWももっと正常になります。

*****
目 1994 11/8  許されない罪を犯したのだろうか

しかし聖書はマスターベーションを,淫行のような重大な罪に分類していません。実のところ,マスターベーションについては何も述べていません。それで,マスターベーションを行なってしまったとしても,許されない罪を犯したことにはまずならないでしょう。それをあたかも許されない罪とみなすほうが危険なことと言えます。
*****

あまりにもまともなことを書いているので驚いた!この時代の「目ざめよ」の執筆者に、常識のある人がいたということですね。性的なことを過度に罪悪視し、性的な欲求を抑圧する方が、マスターベーションよりはるかに有害だ。

この記事を読んだ、JW童貞兄弟(当時40代、長老)は、今まで無駄な罪悪感を抱いていたなという感慨を抱きながら、晴れやかな気持ちでマスターベーションにいそしんだそうです。頑張り屋だね。

この問題はこれで決着したのか、マスターベーションはその後しばらく取り上げられません。



しかし、20年後に再び取り上げられます。驚くべきことに基本的な考え方は1980年代以前に後退していました。

*****
「 若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」,第1巻 2011 25章 どうすればマスターベーションをやめられるだろう

この習慣を避けるべき大きな理由があります。使徒パウロは,『性的欲情に関して,あなた方の肢体を死んだものとしなさい』と書きました。(コロサイ 3:5)マスターベーションは,性的欲情を死んだものとするどころか,燃え上がらせます。次の点も考えてみてください。

● マスターベーションは,きわめて自己中心的な態度を人に植え付けます。人はマスターベーションをする時,自分の体を興奮させることしか考えないからです。
● マスターベーションをする人は,異性を,自分の欲求を満足させるための単なる道具とみなすようになります。
● 利己的な考え方が植え付けられるので,結婚生活での性関係に満足できなくなります。
*****

またもや妄想全開です。根拠のない主張を並べて、マスターベーションは悪であると決めつけています。その主張も何十年も前の古臭いものです。JWが反動化し、古い思考にしがみついているのがわかります。

しかし、マスターベーションが、同性愛につながるというバカげた主張はとりさげたようですね。社会一般が同性愛者の権利を擁護するようになったからでしょう。この辺は空気を読んでいるんだね。

JW童貞兄弟(当時60代、特権なし)は、もはやマスターベーションに対する興味も関心もなくなり、この記事を読んでも、無反応でした。ただ一言、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」。含蓄ありますね。

こうみるとマスターベーションのような些細な問題でも、JWの見解は、右往左往し、何の一貫性もないことがわかります。

性的なことに関して、根拠のない妄想を抱き、性的抑圧を推し進めるJWは、気持ち悪くて、へんだよ。

#277 2019年06月12日 15:29:10

仰天
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

ここが変だよ聖書批判というトピックでも立てましょうか。(笑)

#278 2019年06月12日 18:05:31

ラハム
メンバー

Re: ここが変だよJW

これはわたしが15年前投書した考察です。
マスターベーションを非聖書的だという記事を書いた人物は
性的不能者だと思います。
はっきり、インポテンツかな。
わたしは彼を許せない気持ちがあるのです。
大勢のまじめな兄弟たち、
わたしもふくめて非常な苦しみだったから…。
まじめな姉妹たちもいっぱいいました。
神の言葉を踏み越えている。
怒りは火山のように噴火していますが…。
http://www.jwic.info/forum04/042104.htm

オフライン

#279 2019年06月12日 18:33:38

サルガタナス
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

一般的に人間の三大欲求は
睡眠欲、食欲、性欲だと言われています
もしこれを否定して人間から無くしてしまうと
人間は絶滅するしかありません。
しかしイエスキリストは荒野で四十日四十夜
黙想されて三大欲求を超越されたのだと思います
ボクはクリスチャンなので
霊的に生きたい願望が強くイエスを
うらやましく思ったりもしましたが
不完全な罪人である人間にはとても無理な事です
だからせめて
三大欲求に心を囚われないように生きたいな
と思いました
性的な事というのは個人の問題であって
組織がそれに口出すのはプライバシーの侵害であり
公演や書籍に書かれている性の問題に対する助言も
一応参考にはさせてもらいますが
最後は自分が神様とイエスキリストとの関係の中で
判断することだと思っています。

#280 2019年06月12日 20:23:01

またい
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

セックス、マスタベーション。今の私には、スポーツ。

#281 2019年06月15日 18:09:37

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところは、やたらと悪霊のせいにしたがることです。

もし、どこからともなく声が聞こえてきたとします。そういうことって、よくある人にはよくあるのです。ない人にはもちろんありません。

そういう声が聞こえてきたら、JWなら悪霊の声だというのではないでしょうか。それが清く正しいJWの見解ですよね。

それが本当かどうか調べてみましょう。

*****
塔 1975 1/15  信仰と希望によって保護される

その好奇心がもとで,ついには悪霊に悩まされるようになることがあるのです。超自然の力に妨害されて眠りを奪われたり,昼間でさえ恐ろしいことがたくさん起きます。自殺を,あるいは他の人を殺すことを勧める,不思議な声を聞くようになるかもしれません。これは単なる想像ではないのです。多くの事例を調べてみると,そういうことが現実に起きています。
*****

納得しました。やはり不思議な声が聞こえてきたら悪霊のせいなんですね。単なる想像ではありません。悪霊のことを考えると、恐ろしくて夜も眠れません。眠れないのも悪霊のせいみたいです。

さらに、

*****
目 1984 5/8  異言,こうこつ状態,声 ― 用心すべきですか

西暦98年ごろに聖書が完成されて以来,聖なるみ使いは神の民と交信するために用いられてはいません。したがって,その時以後,霊界から聞こえる声は悪霊的なものです。
*****

この記事も、西暦98年以降は、霊界から聞こえる声は悪霊的と言っています。でも、聞こえた声が霊界からきているとどうやって判断するのでしょうか?霊界からの声は、これは霊界の声だなと思わせる何か特徴があるのでしょうか?JWならわかるのでしょうね。

しかし、2年後、どこからか声が聞こえた場合は悪霊の声だというJWの見解が修正されます。

*****
目 1986 9/8  精神病 ― 治療法はありますか

場合によっては悪霊の力が関係していることもあり得ますが,聖書は,すべての病気が悪霊に起因するとは教えていません。(エフェソス 6:12。マタイ 4:24; マルコ 1:32‐34; 使徒 5:16と比較してください。)多くの場合,どこからか声が聞こえてきたり,奇妙な行動を取ったりする人は,精神分裂病のような病気を抱えているのかもしれません。
*****

悪霊は否定しませんが、声が聞こえた場合は、病気かもしれませんと、まともなことをいっています。JWらしくないまともさです。

しかし、こんなまともな見解がJWの中で受け入れられるわけはありません。

3年後、やはり元の見解に戻ります。

*****
聖書から論じる 1989  悪魔サタン

もし,悪魔が実在しないのであれば,聖書が悪魔について述べる事柄を受け入れたところで,永続する益は得られないでしょう。ところが,以前オカルトに手を出したり,心霊術を行なう団体に属していたりした人々の中には,そのころ,見えないところから聞こえてくる「声」に非常に悩まされていたとか,超人間的な存在に「取りつかれていた」などと言う人が少なくありません。
*****

悪魔は実在するのですよ、心霊術なんかやっていると、悪魔の声が聞こえてくるのです。というわけで、どこからか声が聞こえてきたら、やっぱり悪魔の声です。悪魔を否定する奴は信仰が足りない奴だ。

この見解は、JWの中で広く受け入れられていたのでしょう。21世紀になるまで修正されません。そのせいか、なにかあると、サタンよね、というJW以外ではまず聞かれない奇妙な会話が会衆の中で飛び交うことになります。

そして、2003年に、公式見解が出ます。使われるのはいつもの「読者からの質問」です。

*****
塔 2003 5/1  読者からの質問: クリスチャンである人にどこからともなく声が聞こえてくるなら,それはいつでも,その人が悪霊の攻撃を受けているということですか。

いいえ。悪霊がそのようにして自らの存在を示す例も伝えられてきましたが,どこからともなく声が聞こえたり,説明がつかない他の不快な感覚を経験したりする人でも,調べてみて医学上の問題を抱えていることを知った場合が少なくありません。(略)

ですから,どこからともなく声が聞こえたり,他の不快な感覚を経験したりしている人は,悪霊に悩まされている可能性を否定したくはないかもしれませんが,そのような人には,経験している事柄を身体的な観点から説明できないか調べてみるよう勧めるのがよいでしょう。
*****

悪霊派と精神医学派の戦いは、21世紀になってやっと精神医学派の勝利となったようです。JWにも良識があるということですね。どこからともなく声が聞こえたら、悪霊のせいじゃなくて、脳のどこに問題があるということのようです。この結論になるまで、時間がかかりすぎだ。

「どこからともなく声が聞こえたり,他の不快な感覚を経験したりしている人は,悪霊に悩まされている可能性を否定したくはないかもしれませんが」という部分が、とてもJW的ですね。

こういう人は、普通なら精神病を疑われて、病院に行くものです。しかし、JWは、自分は病気じゃない、悪霊のせいだと、古代や中世の人間のような考えに執着する人が多いのでしょう。そういう考えをあおってきたのがJWの出版物です。統治体の責任だよ。

どこからともなく声が聞こえてきたら、まず疑われるのは統合失調症(昔は精神分裂病と言っていました。)です。多くは10代後半から20代にかけて発症します。薬物療法を受ければ、多くは改善します。

というわけで、会衆内で、サタンよね、と誰かが言ったら、その意見に同意などせず、脳の病気かもと判断し、早く病院に行くように勧めてください。これが愛ある行動です。

何でも悪霊のせいにするJWは、悪霊からもへんだよといわれているよ。

#282 2019年06月18日 13:22:06

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

新版聖書でも「霊」にはアタマを悩ませたらしく、「極力、使わない」という方針のようです(調査中)。

特に旧版で「み使い」「悪霊」と表記されている「天使=エンジェル」です。すべて調べたわけではありませんが、英語原文の「demon」に当たる語も一律に「angel」、だから、み使いを言いたければ「天使」、悪霊を言いたければ「邪悪な天使」。

有名な啓示12:7-9は、旧訳で

「また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた」

……ですが、新訳だとこうなります。

「そして,天で戦争が起こった。ミカエルと天使たちが竜と戦ったのである。竜と邪悪な天使たちも応戦した。 しかし彼らは勝つことができず,天に彼らの居場所はなくなった。 こうして,大きな竜は投げ落とされた。あの初めの蛇で,悪魔サタンと呼ばれ,全世界を惑わしている者である。彼は地に投げ落とされ,邪悪な天使たちも共に投げ落とされた」

いくら「邪悪な」という形容詞をつけても、日本人のアタマの中には「白衣の天使」「赤ちゃんは無垢な天使」「キミはボクの天使」という発想が根付いているかぎり、天使✕天使? 邪悪な天使? 竜に与する天使? を想起させることはできません。

してみると、「あのみ使いは正規の天使」「このみ使いはノアの時代に堕した天使」と判断し、それを聖句中で「こっちは悪霊」とジャッジしていたのは「塔」協会?

* ついでに「聖霊」も一律に「神の聖なる力」。これは頻出率が高いのでこの語に差し掛かるたび、そして祈りで聖霊を求めたいと思うたびに、「あなたの聖霊を……じゃなくてぇ、聖なる力を」と言い直さなきゃならないという迷惑千万な変更です(もちろん寛大なエホバは言い間違えたって聞いて下さいます)。

#283 2019年06月22日 10:19:02

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

ウソをついていいのか?もちろんだめですよね。

ところが、この単純な問いにJWは単純に答えることはできません。へんだよ、JW.

JWの独特なウソに関する見解を見てみましょう。

まず、JWは自分たち以外の人間が嘘をつくことを厳しく非難します。

******
目 1972 12/8 世界展望:宗教界の『クレディビリティ・ギャツプ(断絶感)』

政治家は事実をわい曲することで有名である。1971年の『米国防省新聞』事件は政治家と国民間の『クレディビリティ・ギャップ』をあらわすものであった。ジャーナリストや広告業者も欺まんを働く。では,僧職者はどうであろうか。UPI通信社のベテラン記者ルイス・カッセルズはこう述べている。「わたしは宗教関係のニュースの報道員として,教会のスポークスマンが,ある特定の情況で実際に何が起きたかを人々に隠しておこうとしてわざとろうばいしたり,事実をゆがめたりするのをしばしば見た」。
*****

政治家、ジャーナリスト、僧職者の事実の隠蔽や歪曲を厳しく非難しています。当然ですね。

なお、『米国防省新聞』とあるのは、普通「ペンタゴン・ペーパー」と呼ばれる内部文書で、新聞じゃありません。昔の翻訳者も一般常識がないようです。

次に、若者に対してはどういっているでしょうか?

*****
目 1987 10/8  若い人は尋ねる…うそをつくのはそれほど悪いことなのだろうか

聖書はうそと“罪のないうそ”との間に区別を設けていません。「偽りが真理から出ることはない」と述べているだけです。(ヨハネ第一 2:21)ですから,「ねじくれた人はエホバにとって忌むべきものであり,神の親密さは廉直な者たちと共にある」のです。(箴言 3:32)そうです,エホバが不正直な者と親しい関係をお持ちになることは決してありません。

したがって神を恐れる若者は,どんな種類のうそも,受け入れられるものとみなすことはできません。
*****

若者に対しての指示は明快です。どんな種類のウソもダメだ、ということです。

では、自分たちについてはどうでしょうか?

*****
洞察 1989 うそ、偽り

悪意ある偽りは聖書では明確に非とされていますが,だからといって,知る権利のない人たちに真実の情報を明らかにしなければならないわけではありません。
*****

ここでのポイントは、「知る権利のない人たち」という概念です。JWがこの人は「知る権利のない人たち」と判断したら、真実を隠したり、歪曲してもいいのです。この考えは、JWが際限なくウソをついても問題はないという極端な考えに道を開くことになります。

しかし、次の記事は、そういう態度を非難しています。

*****
目 2000 6/12 プロパガンダに欺かれてはならない!

教育とプロパガンダとの間には違いが,しかも大きな違いがあります。教育は,どのように考えるべきかを教えます。プロパガンダは,何と考えるべきかを示します。良い教育者は,問題のすべての面を示し,十分な論議を促します。プロパガンダを進める人々は,自分たちの見解を有無を言わせずに聞かせ,十分な論議をさせません。真の動機を明らかにしない場合も少なくありません。事実をより分け,好都合な点だけを利用し,それ以外は隠します。事実をゆがめたり曲解したりし,虚偽や一面的な真実を並べ立てます。論理的な思考ではなく,感情に訴えるのです。

プロパガンダを進める人々は,自分たちのメッセージが正当で,道義にかなったものであるように見せ,それに従うなら,重要な事柄をわきまえた者たちの側に立てるのだという意識を抱かせるよう気を配ります。あなたは聡明な人で,仲間たちもおり,安全で間違いないと言うのです。
*****

教育とプロパガンダを区別し、プロパガンダを非難しています。よく読むと、ここでプロパガンダの手法とされるものは、みなJWに当てはまります。要するにJWのことなのです。この記事の執筆者は、このようにJWを名指ししない仕方でJWの在り方に反省を促しているのかもしれません。

しかし、次の記事でJW流の正直さを明確にします。

*****
塔 2004 11/15 「廉直な者たちの天幕は栄える」

忠実な証人は偽証という罪を犯しません。その証言はうそに染まっていません。しかしこれは,何らかの仕方でエホバの民に害をもたらそうとする人々にすべての情報を提供する義務がある,という意味ではありません。族長のアブラハムとイサクは,エホバを崇拝しない人々に事実を伝えなかったことがありました。(創世記 12:10‐19; 20:1‐18; 26:1‐10)エリコのラハブも王の部下たちに事実と違うことを教えました。(ヨシュア 2:1‐7)イエス・キリストご自身,不必要な害をもたらしかねない場合には,情報を完全に明かすことを控えられました。(ヨハネ 7:1‐10)
*****

アブラハム、イサク、ラハブ、イエスの例を持ち出し、「エホバの民に害をもたらそうとする人々にすべての情報を提供する義務がある,という意味ではありません。」と言います。JWに害をもたらそうとする人とJWが認定したら、真実を隠したり、歪曲してもいいということです。

アブラハムもイサクも妻を妹であるとウソを言いましたが、JWの表現を使うと、これは単に“事実を伝えなかった”だけで、ウソではないのです。なるほどね。

次の記事も同じことを主張します。

*****
塔 2007 2/1 真実を語るべきなのはなぜですか

彼らには,イエスの居場所について詳しいことを知る権利がなかったからです。それでイエスは不真実を語らないようにしながらも,ご自分や追随者たちに及ぶ可能性のある危害を最小限にとどめるために,すべての詳細を答えに含めることはありませんでした。これは,うそをつくことではありませんでした。
*****

害をもたらす人に真実を隠す、歪曲するはウソではないのです。なるほどね。

しかし、次のような記事も出ます。

*****
塔 2011 12/15 模範とすべきですか,警告と考えるべきですか

わたしたちはソロモンの歩みを警告の例とするでしょうか。(略)似たような理由づけをして,運動部や文化部に入って課外活動をする,税金の申告をごまかす,正直に話すよう言われても自分に不利なことであればうそをつく,といったことがあるかもしれません。
*****

自分に不利だから嘘をつくのはダメです。でも害をもたらす人ないらいいのかな?わからないな。

ウソに関するJWの最新の見解です。ウソを定義しています。

*****
塔 2016 No.1 一般用   不正直の弊害

うそ

どういう行為か 真実を知る権利のある人に偽りを語ること。
*****

やっぱり、知る権利のある人にだけウソは成立し、知る権利のない人には、何を言ってもウソは成立しないことが、この定義からわかります。

以上をまとめると、JWのウソに関する見解はこんなものです。

1、    JW以外は、いかなるウソも悪である。非難されるべきである。
2、    JWの若者は、同じようにいかなるウソも悪である。
3、    JWは、知る権利がある人に対してのみ、真実を言わねばならない。
4、    JWは、知る権利がない人に対して、何を言っても構わない。
5、    JWが、ある人物が知る権利があるかないかを一方的に判断する。

これがJWのウソに対する見解です。

こう考えると、JWが児童虐待裁判で、うそを言ったり、真実を隠したりするのがよくわかります。被害者や裁判官は、真実を知る権利がないとJWが判断したのでしょう。JWに害をもたたらす人なので本当のことを言わなくてもいいのです。

統治体や長老が一般の信者によくウソを言うのも同じ理屈です。グアテマラでJWの日本人女性が重傷を負ったり死亡したときの日本支部のウソのコメントも同じ理屈です。知る権利がない人に対して、何を言っても構わない。知る権利があるかどうかは我々が判断するというものですね。

このような奇妙な道徳観を持ったJWを、普通は「二枚舌」とか「ウソつき」と言います。

というわけで、へんだよ、JW!

#284 2019年06月29日 13:09:17

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところは、ナチスによって大勢の信者が犠牲になったことを、自分たちの組織の宣伝に使っていることです。

しかも、犠牲者数が多ければ多いほど、宣伝として好ましいと思っているのです。そのため水増しした数字を宣伝に使うのです。

1964年のものみの塔では4000人以上が強制収容所で死亡したといっていました。実際はどうだったのでしょうか。

*****
1975 年鑑 第3部 ― ドイツ

合計6,019人が逮捕され,中には二回,三回あるいはさらに何回も逮捕された人々もいるので,記録された逮捕件数は8,917件に達しました。彼らに宣告された懲役年数は合計1万3,924年と2か月にのぼりました。これはアダムが創造された時以来経た期間の2倍と四分の一のそれに相当します。また,2,000人の兄弟姉妹が強制収容所に入れられ,それらの収容所で合計8,078年と6か月を,また平均4年間を過ごしました。さらに,合計635人が刑務所で死に,253人が死刑の宣告を受け,そのうち203人が実際に処刑されました。誠実さに関する何という記録でしょう。
*****

とても詳しい数字が出ています。逮捕された人は6019人で、強制収容所に入れられた人は2000人で、死亡したのは635人で、処刑されたのは203人です。

ナチスはあらゆることを細心の注意を払って登録し、記録を残しました。これらの数字はその記録に基づくものです。逮捕という手続きを経ずに刑務所や強制収容所に送られることはありません。

というわけで、それまでの4000人以上が強制収容所で死亡したというのは、誇大宣伝だったのです。

JWは、処刑されたのが203人では不満のようで、次の記事が出ます。

*****
塔 1989 1/1  『戦いはエホバのものである』

「祖国の母親たち」と題する本は,こう伝えています。「[エホバの証人は]強制収容所に入れられ,そのうち1,000人が処刑され,ほかの1,000人は1933年から1945年の間に死亡した。
*****

処刑されたのが203人であったことに不満なJWは、犠牲者を誇大に見せかけるために、組織以外の本から引用するというインチキを行います。

「祖国の母親たち」の情報の出所は、昔の誇大宣伝をしていた時代のものみの塔の記事なのです。情報源としてものみの塔を使用している外部の本をものみの塔が引用するという、JWのトリックは新しいものではありません。

処刑されたのが203人と知っている組織は、「祖国の母親たち」とい本の数字が間違いであることを当然知っています。しかし、ウソでも、組織に都合の良い数字だと、利用するのです。

次も、犠牲者を利用した組織の宣伝です。

*****
目 1995 暴露されたナチズムの悪

エホバの証人とホロコースト(大虐殺)に関するセミナーの席で,ガルベは次のように述べました。「第三帝国初期に自分がエホバの証人であることを認めた2万5,000人のうち,幾ばくかの期間投獄された人は約1万人に上ります。そのうち,2,000人を上回る人々が強制収容所に収容されました。これは,ユダヤ人を除けば,エホバの証人がすべての宗教団体のうちでSSから最も厳しい迫害を受けた人々であるということです」。
*****

逮捕された人は6019人なのですが、歴史家の発言を引用するという古いトリックを使って、逮捕者数を誇大に見せかけています。

このエホバの証人とホロコースト(大虐殺)に関するセミナーは、もちろんJWが主催したもので、犠牲者を利用した組織の宣伝活動です。

ちなみにSSとは、ナチス親衛隊のことです。

次は、誰かの本を引用するとか、誰かの発言を引用するといった手の込んだ仕方で、犠牲者数を水増しするのではなく、もっと単純にウソを言うとこによって、犠牲者数を水増しした記事です。

*****
塔 2008 7/1  エホバの証人が戦争に行かないのはなぜですか

ナチス・ドイツでは270人余りの証人たちが,武器を取って戦おうとしなかったため,国の命令により処刑されました。ナチ政権下で,1万人を超える証人たちが,刑務所や強制収容所に入れられました。
*****

203人が「270人余り」になっていますし、「1万人を超える」というのも誇大な数字です。1975年の年鑑のことを忘れてしまったのでしょうか?


ナチスの犠牲になった人を自分たちの宣伝に使い、人数も水増しするJWって、とてもへんだよ!

#285 2019年07月06日 18:41:13

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

「門口」とは、なんでしょう?辞書によると、家や門の出入り口という意味の他に、物事が始まろうとする時という意味があります。

JWなら、もちろん知っていますよね。ものみの塔には何度も、「新しい世の門口にいます。」という表現が出てきますからね。JWによれば、今は、新しい世が始まるときなのです。とてもわくわくしますね。

でもいつから、新しい世の門口にいるのでしょうか?ものみの塔を調べてみましょう。

*****
2015 1/15  エホバの導きにより,結婚の絆を強め,守る

「終わりの日」の最終部分である今,神の僕たちは,義の宿る新しい世の門口にいます。
*****

2015年には、新しい世の門口にいますね。すばらしいです。でも・・・

*****
2006 5/15  地球に対する神の目的 ― まもなく実現する

今わたしたちはエホバ神の約束された新しい世の門口にいます。
*****

2006年には、もうすでに新しい世の門口にいました。10年以上前からそうだったんですね。でも・・・

*****
1997 7/15 あなたは徳を追い求めていますか

今日,エホバの民は義の新しい世の門口に立っています。
*****

なんと20世紀の終わりには、新しい世の門口にいたんですね。でも・・・

*****
1983 6/1 惨めな気持ちから抜け出す道がありますか

いま忠実なクリスチャンすべてが経験している難しい時代は間もなく終わることになっています。新しい,幸福な時代が急速に近づいているからです。わたしたちは,「新しい天と新しい地」の門口にいるのです。
*****

まもなく日本が空前の好景気に入る直前の1983年には、「新しい天と新しい地」の門口にいたんですか。バブル経済がその印だったんですね。でも・・・

10年単位で時間をさかのぼるのは面倒なので、100年ほどさかのぼって、19世紀の文献を見てみましょう。日本語版はありません。

*****
1883年 October号 の2ページには、

Now we are just at the threshold of the age of glory.(今、私たちはまさに栄光の時代の門口にいます。)
*****

というわけで、19世紀、日本でいえば明治時代から、新しい世が始まろうとしていたのです。でも、新しい世は、門口に来てから100年以上も一歩も家の中に入ってくれないみたいですね。

というわけで、へんだよ、JW!


しかし、一番新しいものみの塔の10月月号(研究用)は、懲りもせず、終末論をあおった記事を載せています。

*****
2019 10  「終わりの時代」が終わる今,活発に奉仕する

1914年からかなりの期間が過ぎているので,今は「終わりの時代」の最終部分であるに違いありません。
*****

100年以上も芸のない終末論を繰り返すJW.

このままだと、JWのほうが、自分たちの終わりの終わりの門口にたってしまうよ。

#286 2019年07月13日 09:47:05

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

人間や動物は、もともと何を食べていたのか?この重大問題について、JWの見解を調べてみましょう。

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塔 1982 8/15  読者からの質問: クリスチャンが医療を受けている時に,血を幾らか除く目的でヒルを体に吸い付かせるのは間違いでしょうか。

エホバはエデンの園で,植物だけが動物と人間の食物になると述べておられましたが,ノアの日の洪水の後にそれが変わったことをお示しになりました。
*****

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目 1983 1/8 自然界すべてが調和するとき

エデンの園にいた動物たちはいずれも殺りく行為を行ないませんでした。そうした動物は人間にとって脅威となる存在ではありませんでしたし,人間もほかの動物にとって脅威とはなっていませんでした。(略)

次いで,エデンのような状態,つまり楽園が回復されはじめます。(ルカ 23:43)それは人間と動物の間の平和と調和が回復されることを意味しています。もはや互いの肉を食用に供することはありません。
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目 1984 6/8  食べた物はどうなりますか

神が人間に,「全地の表にあって種を結ぶすべての草木」を食べる許可をお与えになって以来,人間はずっとそれらを食べてきました。(創世記 1:29)ノアの洪水ののち,人間のメニューにもう一つの重要な食物,すなわち肉が加わりました。
*****

以上の記事から、人間も動物も元々菜食主義者だったということです。しかし、ノアの洪水後、人間も動物も、肉食をするようになったというのが、JWの見解ということがわかります。

それにしても最悪の時に肉食を開始したものです。ノアの洪水後って、動物が各種数ペアしかいないはずです。一頭でも食べられたら、その種は絶滅ですよ。エホバのすることは理解できませんね。

そして、楽園が来たら、再び、菜食主義者に戻るのです。いったい何のために?動物がかわいそうだから?それなら今すぐJWは菜食主義者になるべきです。まもなく楽園が来るんでしょう。その準備をなぜしないのかな。でも、その楽園は野菜嫌いの人には、耐えられないかもしれませんね。

また、JWの見解では、わずか4千数百年で、草食動物は肉食動物に進化したということになります。JWの見解では、ものすごい短時間で進化って生じるものなんですね。

ところが、JWは進化を認めないようなのです。

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目 2015  7   ワニのあごと口

ワニは,かむ力が強く,それを計測された動物の中で最強です。例えば,オーストラリア近辺で見られるイリエワニのかむ力は,ライオンやトラのほぼ3倍もあります。それでも,ワニのあごと口の感覚は,非常に鋭いのです。人間の指先よりも敏感です。

ワニのあごと口は,力強さと敏感さを兼ね備えた驚くべき造りになっているのです。

どう思われますか: ワニのあごと口は,進化してそうなったのでしょうか。それとも,だれかが設計したのでしょうか。
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この記事を書いた人は本当にJWの人?ワニが今の状態で設計されたと無邪気に信じているようですが、JWの教義を理解していませんね。

JWの教義では、ワニは4千数百年前までは、牛や羊のように、草をむしゃむしゃ食べていたというものです。実に平和的な光景です。強い顎も敏感な口もまったくいりません。ワニは草を食べるように設計されたんですよ。それが4千数数百年で、恐ろしい肉食動物に進化したのです。

古代エジプトでは、ワニの姿をした神様ゼベクが祭られている神殿があり、そこではワニが飼われていたのです。餌は、もちろん草ではなく、一番良い肉が与えられていました。それは今から3千年前くらいの出来事です。

ということは、ワニは千数百年ほどで、草食動物から凶暴な肉食動物に進化したわけです。そんなことがあり得るのでしょうか?JWの教義では、もちろんあり得ます、という答えになります。どんな進化論者もびっくりです!

「目ざめよ」での動物の記事は、動物は草食として設計されたという教義と矛盾したものばかりです。おかしいですね。

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目 2009 12  深海の巨大な生き物たち

ミズダコは,ダイオウイカと同じように,体の色を変えてカムフラージュしたり,ジェット推進で水中を移動したり,墨を噴射して危険から逃れたりすることができます。さらに,ちょっとの時間なら,水から上がって食べ物を探すこともできます。

これら深海の生き物たちは確かに,創造者であるエホバのみ名を賛美しています。
*****

ちょっと待ってよ。ミズダコが、体の色を変えたり、墨を噴射するのは、自分を食べようとする動物から逃れるためだよ。動物は設計されたときは、草食性なんだから、海の生物は、植物性プランクトンを食べるように設計されていたんじゃないの?捕食者から身を守るための仕組みなんか必要ないよ。JWの教義からすると、これらの仕組みはノアの洪水後にできたもので、創造者のみ名を賛美なんかしていないよ。

エデンの園の話も、ノアの洪水の話も、人間の側に問題があったというのが、話の発端です。動物には何の関係もありません。しかし、人間のせいで、動物は洪水で大量死させられ、その後急速に肉食動物へと進化していったというのが、JWの教義なのです。

動物が好きで、動物のことを多少知っている人は、とてもJWの教義にはついていけませんね。

こんな教義を信じているJWって、へんだよ!

#287 2019年07月14日 06:44:14

荊軻
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

ちょっと一言さんの上の投稿と同じようなことを調べた、同じように感じたことがあります。

確か、テッポウ魚が水中から光の屈折も計算して枝草にとまった虫などを打ち落とす能力や、何かの種類の鳥が、獣類が上ってこれないような場所でしかも蜂の巣のあるようなところに巣を作って外的から身を守る能力とか、それらが進化ではなく創造の産物であると考える方が筋が通っている、みないな記事でした。

本来、動物同士が互いに害することが無いのであれば、創造者がそういった能力を付与したはずがないのに。
そもそも、それを「創造」の論拠の一つにしてしまうことにどうして筆者は矛盾を感じなかったのだろうと思いました。それを読んで納得しているみんなも、、、。

むしろ、「どうしてエホバがこのような能力をある種の動物に与えられたのかは、今のところわかりません。でも楽園で完全になった人類はそれを究明できるでしょう。」くらいの立場をとれば傷口開かないのに、わざわざ自己矛盾するような論議をこのように展開しなくても。

#288 2019年07月14日 09:25:09

阿部ちはる
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

ものみの塔の源流を訪ねて
と言う本があります。
どれだけものみの塔が
ふざけているか良くわかる本です。

エホバの神も、勝手にものみの塔に名前を使われて、本当に迷惑していると思います。使用料を払ってほしいくらいです!
それに、この教団のせいで、自分の家族だけではなく、自分の彼女もものみの塔、エホバの証人に騙されて別れを切り出されました。

エホバの証人 ものみの塔は、大切な自分の子、家族よりも神エホバや仲間を優先しれろ、処女以外は子供もろとも殺せ!とエホバの聖書に書いてある。
普通の奥さんも子供がいるのだから、処女ではないから殺害されるなんて、それでも愛の神なのか?
とにかく教理がおかしい。
コロコロと改竄されておかしすぎる。

#289 2019年07月14日 09:27:35

阿部正晴
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

ものみの塔の源流を訪ねて
と言う本があります。
どれだけものみの塔が
ふざけているか良くわかる本です。

エホバの神も、勝手にものみの塔に名前を使われて、本当に迷惑していると思います。使用料を払ってほしいくらいです!
それに、この教団のせいで、自分の家族だけではなく、自分の彼女もものみの塔、エホバの証人に騙されて別れを切り出されました。

エホバの証人 ものみの塔は、大切な自分の子、家族よりも神エホバや仲間を優先しれろ、処女以外は子供もろとも殺せ!とエホバの聖書に書いてある。
普通の奥さんも子供がいるのだから、処女ではないから殺害されるなんて、それでも愛の神なのか?
とにかく教理がおかしい。
コロコロと改竄されておかしすぎる。

#290 2019年07月20日 10:18:58

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

今が終わりの日であるというJWの主張の根拠の一つが、地震の増加だったということはJWならご存知ですよね。日本のような地震の多い国に住んでいる人の中には、これでJWの終末論を信じるようになった人はたくさんいたかもしれません。

しかし、地震は増加しているのかというと、そんなことはありません。そこで、JWは独自の調査で、地震が増加しているかのように見せかけたのです。

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目 1977 6/8 『大きな地震が起こる』

興味深いことに,信頼できる筋によれば,1,059年間(西暦856年から1914年まで)に起きた大地震はわずか24件であり,それによる死者の総数は197万2,952人でした。しかしそれを,ここに挙げた,西暦1915年から1976年までのわずか62年間に起きた43件の地震の表と比べてみてください。その死者総数は157万9,209人に上ります。しかも,これはその期間に起きた地震の一部を挙げたものにすぎないのです。
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この統計数字の出どころは、「信頼できる筋」という不明なところです。本当に信頼できるのでしょうか?西暦856年から1914年までの1059年間に大地震は24件とありますが、こんなに少ないわけはありません。調べればすぐわかります。また、死者数が概数ではなく、197万2,952人と一桁まで数字が出ています。1000年以上前の地震の死者数なんて、推定の推定でしかわかりません。にもかかわらず細かすぎる数字を出してくる。これは、「インチキな筋」からの情報だということを示しています。

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幸福 ― それを見いだす方法  1981  15章 「世の終わり」は近いか

イエスは,『そこからここへと地震がある』ことも「しるし」の一部であると言われました。(マタイ 24:7。ルカ 21:11)歴史を通じていつの時代にも地震はありました。しかし,第一次世界大戦以後の時代はどのように違うのでしょうか。ゲオ・マラゴリはイル・ピッコロ紙の中でこう述べています。

「統計から分かるように,我々の世代は地震活動の盛んな,危険な時代に住んでいる。事実,信頼できる筋の記録によれば,1,059年間(856年から1914年まで)に起きた大地震は24にすぎず,死者は197万3,000人であったが,最近では,わずか63年間に160万人が死んでいる。これは1915年から1978年までに起きた43の地震で死亡した人の数である。この劇的な増加は,広く認められている一つの事実,すなわち我々の世代は多くの点で不幸な世代であるということを一層強調するものである」。

地震による死亡者

(1,122年間に基づく概算)
1914年まで ― 年間1,800人
1914年以来 ― 年間2万5,300人
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この本では、イル・ピッコロ紙からの引用です。外部からの情報で自分たちの主張を補強しようというJWがよく行う手法です。しかし、イル・ピッコロ紙はイタリアのトリエステの弱小地方新聞にすぎません。2014年の発行部数はわずか28800部です。こんな新聞の記事なんか引用したところで何の説得力もありません。東京スポーツ新聞といい勝負です。

数字をよく見てみましょう。1977年の「目ざめよ」と同じです。つまり、この新聞記事の数字の出どころは、「目ざめよ」なんです。死者数を概数にしているところは新聞記者としての良心のなせる業でしょう。JWは、その新聞記事を自分たちとは無関係のごとく引用して、自分たちに都合の良いように利用する。詐欺的ですね。

この本に出ている年間平均死者数ですが、1914年以前の数字は、地震で死んだのは24個の大地震だけという誤った前提でこの数字を出したようです(1,973,000 / 1,059 = 1863)。バカですね。

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塔 1983 8/15 地震 ― 終わりのしるし?

一部の地震学者は,地球は今地震の活動期にあると考えています。例えば,マサチューセッツ工科大学地球惑星科学学部のケイイチ・アキ教授は,1500年から1700年までの期間にも地震は活動的であったが,「過去100年間に大きな地震の規模とひん度が増大したことは明らかである」と述べています。
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これも外部の意見を引用することによって、自分たちの教義を補強しようというものです。ケイイチ・アキ教授とは安芸敬一教授のことで、有名な地震学者です。そんな人がJWに都合のよいことを言う訳がありません。これはJW得意の不正引用です。実にJWって悪い奴が多いね。本当はこういっています。

「The apparent surge in intensity and frequency of major earthquakes during the last one hundred years is, in all probability, due to improved recording of earthquakes and the increased vulnerability of human society to earthquake damage. The main reason is the well established plate tectonics which indicates a very steady fault motion over the past many millions of years.」

JWは、初めの「"The apparent surge in intensity and frequency of major earthquakes during the last one hundred years」部分だけを引用しているのです。実に悪質な行為です。詐欺と呼んでもかまわないでしょう。

この文の意味は、「過去100年間の大地震の強度と頻度の明らかな急増は、おそらく地震の記録の改善と地震被害に対する社会の脆弱性が増したことによるものだ。その主な理由は、確立されたプレートテクトニクス理論では、過去数百万年にわたって断層運動は非常に安定していることを示しているからである。」

ちょっと説明すると、現在、巨大地震はプレートと呼ばれる硬い岩盤がマントルの対流によって移動することによって生じると考えられています。マントルの対流の速度は一定のため、地震の頻度も安定したものとなり、1914年以降に急に大きな地震が急増するわけがありません。

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聖書から論じる 1989  終わりの日

1914年以後の大地震の発生回数は,実際に重大な意味を帯びるほどのものだったでしょうか。1984年に,コロラド州ボールダーの全米地球物理学データ・センターから得たデータと幾つかの標準的な参考文献を補足資料として用いた表が作成されました。その表にはマグニチュード7.5かそれ以上を記録した地震,または500万(米)㌦以上の金額に相当する財産を破壊したり,100人以上の死者を出したりした地震だけが載せられています。1914年以前の2,000年間にはそのような地震の発生は856回と計算されています。ところが,1914年以後のわずか69年間に,そのような地震が605回あったことを同じ表は示しています。これは,1914年以前の2,000年間と比べて,それ以後の年間平均地震発生率が20倍も増加したことを意味しています。
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これは「洞察」からの引用なのですが、これも詐欺的な記事です。「1984年に,コロラド州ボールダーの全米地球物理学データ・センターから得たデータと幾つかの標準的な参考文献を補足資料として用いた表が作成されました。」とあります。その表は誰が作ったのでしょうか?JWが作ったのです。

大地震の定義が、「マグニチュード7.5かそれ以上を記録した地震,または500万(米)㌦以上の金額に相当する財産を破壊したり,100人以上の死者」とあります。恣意的な基準です。500万ドル以上の損害ってありますが、損害額をどう計算するのですか?例えば、江戸時代に人口100人の村が地震で全滅したとします。藁ぶき屋根の家の価値をどう見積もるのでしょうか?100ドルくらい?それとも1000ドル?古代の建物なら?一方、現代なら、ちょっとした地震でも被害額は500万ドル(約5億)をすぐ超えます。現代の日本なら、もしマンション1棟が被害を受けたら、被害額の点で大地震になります。死者数に関しても、2000年前の地震の死者数をどうやって知るのでしょうか?

いい加減な根拠に基づいて、過去の地震をリストアップし、「1914年以前の2,000年間と比べて,それ以後の年間平均地震発生率が20倍も増加したことを意味しています。」と、地震の専門家なら誰も信じないトンデモ説をぶちかまします。あきれるな。責任者出てこい!

このように1914年以降、地震が増えたことは、JWによって、見事に「証明された」のでした。JWの雑誌や書籍で何度も、地震が増えた、増えた、終わりが近いという記事がでます。多くのJWは、それを無邪気に信じていたのです。

しかし・・・・、21世紀にもなると、JWのインチキ学説のウソはすっかりばれて、JWの地震が増えた、増えた、終わりが近いという主張はもはや受け入れられなくなります。そこで、JWは教義を変えます。新しい光がさしました。

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目 2002 3/22  地震,聖書預言,そしてあなた

それらの人たちは,ここ数十年,地震の数は実質的に増加していない,と主張します。実際,米国国立地震情報センターは,マグニチュード7以上の地震は,20世紀の100年を通じて「ほぼ定常的に」生じていた,と報告しています。

しかし,地震の数や威力の増大は,イエスの預言の成就に必要ではないことに注意してください。イエスが述べたのは,大きな地震がそこからここへとあるということだけです。
*****

まず、地震が「ほぼ定常的に」生じていたという事実を受け入れたようです。この時代になると1980年代に、地震が増えたことを捏造していた犯罪的な執筆者たちが引退あるいは死んだのでしょう。

そこで、イエスは、地震が増えるなんて言っていないもんね、「そこからここへとある」といっただけだもんね、だから問題ないもんね、と路線変更です。ということは、イエスの予言はいつの時代でも当てはまる、予言らしからぬものということになります。それじゃだめだから、JWはイエスの予言を地震が増えると解釈してきたんだよね。

やはり、この記事には、反発や批判があったのでしょう。それまでの主張を大きく変えるものですからね。「読者の声」を使って、言い訳をします。

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目 2002 11/8 読者の声

地震 「地震の生存者が実体験を語る」という特集記事(2002年3月22日号)を読みました。それには,「マグニチュード7以上の地震は,20世紀の100年を通じて『ほぼ定常的に』生じていた」という,その筋の報告が引用されています。しかし,1999年版ワールド・アルマナックは,1990年代に地震が劇的に増加したことを示しています。(F・A イタリア)

「目ざめよ!」から: この記事は,この問題についてどちらか一方を支持するのではなく,20世紀における地震を総合的に見た場合の頻度に関して一部の地震学者が述べていることを指摘したに過ぎません。言わんとしているのは,地震の数は「ほぼ定常的」なままであると考える人がいるとしても,マタイ 24章に記録されているイエスの預言は今の時代に成就しつつあるということです。イエスは,「大きな地震」があるでしょう,と言われたに過ぎません。―ルカ 21:11。
*****

地震は増えていないというのは、「一部の地震学者が述べていること」とごまかしています。1914年以降、地震が増えたと主張する学者なんかいませんよ。もしいたら、JWの雑誌や書籍で、繰り返し、繰り返し引用するはずです。

地震は増えたということはあいまいにし、それでもイエスの予言は現代に当てはまる、だから今は終わりの時だ、と強弁しているだけです。これが新しい光なんだから、文句を言うな、ということです。

次が最新の地震に関する見解です。

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塔 2011 5/14  預言 1. 地震

どんな反論をよく耳にしますか。地震が増えているわけではない。現代の科学技術の進歩により,昔は気づかなかったような地震にも気づくようになっただけだ。

そうした反論は正しいでしょうか。次の事実を考えてみてください。聖書は,終わりの日にどれほど多くの地震が起きるかを強調しているわけではありません。とはいえ,「そこからここへと」「大きな地震」が起こり,歴史上のこの重要な時代の顕著な特色となる,ということは述べています。―マルコ 13:8。ルカ 21:11。

あなたはどう思いますか。聖書の予告どおり,あちこちで大きな地震が起きているのではないでしょうか。
*****

地震は増えていない、という反論に、反論していません。それはそうです。JWは地震のことなんか何も知らないのですから。地震学者と論争なんかできません。

でも終わりの日という主張は変えません。終わりの日と言ったら終わりの日なの!早くこいこいハルマゲドン。今や単なるおバカな終末カルトにすぎないのがJWです。

地震は増えていると捏造や不正引用までして主張していたのに、こっそりその主張を取り下げ、それでも終わりの日だ、と強弁するJWは、みっともなくて、へんだよ!

#291 2019年07月27日 11:14:21

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

聖書を神の言葉と信じるJWは、箴言にあるいくつかの聖句を根拠にして、体罰をしまくり、子どもを虐待してきたことは、誰もが知っていることです。

ところが、世の中が体罰に批判的になり、JWに逆風が吹き始めると、JWも一転して体罰に対して否定的になります。自称・真の宗教の教えの移り変わりを紹介しましょう。

まずは体罰全盛時代です。

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目 1977 11/8 日本の「喜びに満ちた働き人」地域大会

最初の日のプログラムは子供の訓練に関する実際的な教訓を含んでいました。大会でバプテスマを受けた一人の主婦は次のように語りました。「真理にはいる前あるサークルに属し,子供に決して体罰を加えてはならずほめて育てるようにと教えられていました」。しかしプログラムを通して幼い時からエホバの懲らしめと精神の規整によって育てるよう学びました。今では聖書の中にある導きが子供の教育の指針となっています。
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体罰はいけないと教えられてきた日本の母親が、JWの大会にでて、体罰は聖書の教えだと信じ込み、子どもを虐待するようになったという話です。体罰を無邪気に信じている姿がうかがえて、今から読むと恐ろしい。母親が反な宗教に入ったことで子どもにとんだ悲劇が訪れることになったわけです。

1979年に、7月と8月に、体罰が正しく、必要なことという記事が続けて出ます。

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塔 1979 7/15  子供たちはエホバからの相続財産

ここで述べられている懲らしめとは,単に体罰だけを意味しているのではありません。もっとも,時として体罰が必要になる場合もあります。
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目 1979 8/8  子供に体罰を与えるのは正しいことですか

ここに言及されている「杖」は,親から与えられるさまざまな形の懲らしめを指していますから,もちろん,体罰も含まれます。手で行なうにせよ,ものさしや他の適当な「杖」で行なうにせよ,親は愛を込めて子供たちを訓練する際に,体罰を与える権威を神から与えられています。

親は誤った愛情によって体罰を控えてはならず,しかも残酷な仕打ちや,子供の虐待に陥らないよう自らを制することが必要です。
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塔 1979 8/15  ニュースの内面を見る

懲らしめには良い教えと手本の含まれることが聖書から見て明らかですが,子供のしりをたたくことはそれから除外されるでしょうか。そうではありません。箴言 23章13節(新)は次のように述べているからです。「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。細棒でたたいても,彼が死ぬことはない」。―箴言 13章24節もごらんください。
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このように体罰の正当性を訴える記事が続けて出たのは、次の記事と関係があると思います。

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目 1979 9/22  世界展望

また最近のスウェーデン議会は,親が子供に体罰を与えることや,他のいわゆる「屈辱的な仕打ち」はすべて子供に与えることを禁ずる案を圧倒的多数で可決した。法務省では広報運動を計画中との事であり,それには子供たちに彼らの権利を知らせるビデオテープの配給も含まれるという。では親はどんな方法で子供を懲らしめるのだろうか。
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1979年に、スウェーデンで体罰を禁止する法律が世界で初めて成立したのです。JWからすれば、許しがたい、聖書の教えに反する動きです。これはサタンのせいに違いありません。サタンは、エホバが必要だといっている体罰を禁止させようと、スウェーデンの政治家をコントロールしているのでしょう。体罰を受けないで育ったスウェーデンの子供がどんな悪人になるか心配です。

残念ながら、エホバはサタンの前に全く無力なようで、現在体罰を法律で禁止している国は50か国近くになっています。日本でも躾と称して子どもの虐待が後を絶たないことから、罰則付きの体罰を禁止する法案が検討されています。サタンの動きは勢いを増しています。しかし、サタンのおかげで体罰に苦しむ子どもは減ったことでしょう。


1980年代に入ると、エホバの組織であるJWも、体罰を法律で禁止するというサタンの勢いに押されたのか、体罰賛美の論調を変更します。JW得意の手のひら返しです。

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塔 1986 11/1  親は,どのように家庭を『築き上げる』ことができますか

「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」。(コロサイ 3:21)懲らしめの「むち棒」には適正な罰が含まれますが,筋の通らない要求をしたり,過度に批判的になったり,子供を辱めたりするのはこの「むち棒」を誤用することであり,子供の自信も親に対する信頼も打ち砕いてしまうかもしれません。その子は「気落ち」してしまうかもしれません。
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箴言に代わって、今まで無視してきたコロサイ3:21が大きく取り上げられます。むちを使いすぎて、子どもを「気落ち」させるな、と言っています。

次も箴言に代わって、別の聖句を取り上げます。

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塔 1991 10/1  あなた方の子供をいら立たせてはなりません

「ランゲの聖書解説」によると,この聖句が言わんとしているのは,「子供をせっかちに,荒々しく,気まぐれに扱うと,そのために……子供は不快になり,反対したり反抗したり反感を持ったりするよう刺激される」ということです。

教育学者のJ・S・ファラントが述べているとおりです。「実のところ子供は人間である。子供は,植物のように単に受動的に環境に応じるのではない。子供は反応するのである」。多くの場合,不当な仕打ちに対する反応は,霊的また感情的な破滅に至ります。伝道の書 7章7節には,「単なる虐げが賢い者に気違いじみた行動を取らせることがあ(る)」とあります。
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エフェソス6:4の「父たちよ,あなた方の子供をいら立たせてはなりません」について解説しています。外部の人間を引用する形で、これまでの主張を修正するのは、JWがよくやる方法です。要するに、子どもを虐待するな、虐待するととんでもないことになる、と警告しているわけです。JWも初めからJW以外の専門家の意見を聞いておけばよかったわけです。

次の記事では、箴言の体罰推奨について新しい光がさしたようで、解釈を変えることにより、時代遅れではないと主張します。新しい光だ!

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目 1992 9/8  「懲らしめのむち棒」― それは時代後れですか

「むち棒」という語は,ヘブライ語のシェーベトを訳したものです。ヘブライ人にとってシェーベトとは,羊飼いが用いるような棒または杖を意味していました。その場合に,権威のむち棒は厳しく残虐な行為ではなく,愛ある導きを連想させます。―詩編 23:4。

シェーベトは権威を表わすものとして,聖書の中でしばしば象徴的に用いられています。(サムエル第二 7:14。イザヤ 14:5)親の権威に言及する際,「むち棒」は体罰のことだけを述べているわけではありません。それはあらゆる形の懲らしめを包含しており,大抵の場合,体罰である必要はないのです。
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むち棒と訳されたシェーベトは、「権威を表わすものとして,聖書の中でしばしば象徴的に用いられています。」とあります。「象徴的」がポイントです。JWが、この解釈に到達するまで100年以上の歳月がかかりました。それまで、何人の子どもが虐待されてきたのでしょう。


みっともないことに、これ以降、聖書は体罰を推奨しているわけではないという弁解の記事が続きます。

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塔 2001 12/15  親の皆さん ― お子さんの必要を満たしてください!

聖書で用いられている「むち棒」という語は,もっぱら体罰を意味するとみなす必要はありません。どんな形を取るにせよ,矯正の手段を意味しているのです。実際,子どもの間違った歩みを正すのに,言葉だけで十分な場合も多々あります。
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塔 2004 7/15  明敏な者はみな知識をもって行動する

むち棒は権威の象徴です。箴言 13章24節は,親の権威のことを言っています。この文脈において,懲らしめのむち棒を用いることは,必ずしも子どものおしりをたたくという意味ではありません。
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塔 2008  4/1  子どもを育てる ― 自由放任の世の中で

ここで述べられている懲らしめのむち棒とは,様々な形で与えられる矯正の手段のことです。親は愛情深く懲らしめを与えて,子どもの欠点を正すよう努力します。
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そして、聖書の翻訳も変えました。問題の箴言の部分を旧訳と新訳の両方で見てみましょう。

箴言(格言)29:15
旧:むち棒と戒めは知恵を与える。しかし,したい放題にさせて置かれる少年はその母に恥をかかせる。
新:懲らしめと戒めは知恵を与えるが,しつけられていない子供は母親に恥をかかせる。

むち棒が懲らしめに変わっています。ヘブライ語に忠実なのは旧訳です。JWが大好きだったむち棒どうした!

最後に、昔JWの母親にむち棒で痛めつけられた青年が書いた詩を紹介しましょう。

******
僕のむち棒

母さん、僕のあのむち棒、どうしたんでしょうね。
ええ、夏、碓井から王国会館へゆくみちで、
谷底に落としたあのむち棒ですよ。

母さん、あれは好きなむち棒でしたよ、
叩かれてもあざにならなかった。
僕はあのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い兄弟が来ましたっけね。
白いワイシャツに、青いネクタイをした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう、
昔、つやつや光った、むち棒と、
そこに僕が書いた
エホバという文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
*****

このむち棒は何の象徴なの? というわけで、へんだよJW!

#292 2019年07月27日 19:17:02

iris
メンバー

Re: ここが変だよJW

麦わら帽子とむち棒とでは、やはり味わいがちがいますね…

オフライン

#293 2019年08月04日 17:22:00

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところは、それまで主張を変えても黙ってごまかすところです。

次の記事は、アルプスの氷河で見つかったミイラ(エッツィ)についての24年前のものです。

*****
目 1995 5/8 氷人間の謎を解く手がかり

多くの考古学者はエッツィが西暦前4千年紀から3千年紀にかけてのいわゆる銅器時代初期の人だとする傾向にあります。「放射性炭素の検査により,彼が生きていたのは今から4,800年前,ないしは5,500年前であるという確証が得られた」と,オーデュボン誌は述べています。

【脚注】放射性炭素年代測定法が信頼できないことについては,ものみの塔聖書冊子協会発行の,「目ざめよ!」誌,1986年9月22日号,21-26ページ,および「生命 ― どのようにして存在するようになったか ― 進化か,それとも創造か」と題する本の96ページをご覧ください。
*****

このミイラは発見された場所がエッツ峡谷なのでエッツイと呼ばれているのですが、現在では今から5300年ほど前に死亡したと推定されています。

これはJWにとってとても不都合なことなのです。アダム創造が6000年ほど前なのに、それからわずか700年後、アダムはまだ生存中の時代の人物が、アルプスの氷河で発見されたことになるからです。エッツイは純度99.7%の銅製の斧を持っていました。アルプス付近では高度な銅の精錬技術があったようです。胃の中からは動物の脂肪や小麦が発見され、肉やパンを食べていたようです。つまり、聖書の年代からすると、エッツイは進みすぎているのです。

この不都合な事実にたいしてJWがとる対策は、年代測定に使われた放射性炭素年代測定法にケチをつけることです。この記事でも、脚注で、年代測定法が信頼できないことを示したとする過去の記事を2つ紹介しています。

ひとつは、「生命、進化か創造か」という1970年代の本です。この本は不正引用だらけのカルト宣伝本で、あまりにも古く、ここで取り上げる価値もないので、もうひとつの「目ざめよ」誌のほうを見てみましょう。これはJWが放射性炭素年代測定法について論じた最後のものなのです。どのようにケチをつけているでしょうか?

*****
目ざめよ 1986 9/22   放射性炭素時計

分析される標本が現代の(生きた)炭素によっても,古代の(死んだ)炭素によっても決して汚染されないようにすることは,常に頭の痛い問題の一つでした。(略)

放射性炭素に基づく年代測定理論の最大の欠陥は,大気中の炭素14のレベルが現在と同様,常に一定だったという仮定です。(略)

正確な年代を得るためには,放射性炭素による年代を年輪年代学によって是正しなければなりません。したがって,放射性炭素による測定結果は“放射性炭素に基づく年代”と呼ばれています。これと,年輪に基づく検量線とを突き合わせることによって絶対的な年代が導き出されます。

ところが,樹齢が知られている生きた樹木のうちで最も古いのはわずか西暦800年のものなので問題が生じています。(略)

ともあれ,測定可能な年数を延ばそうとする試みは,より重要な幾つかの問題が解決されない限り,ほとんど意味をなしません。標本が古くなればなるほど,新しい炭素の混入が全くなかったと断定するのはいよいよ困難になります。検量線が信頼できるのは数千年間ですが,それよりも時代をさかのぼろうとすればするほど,それら古代の大気中の炭素14のレベルについて知ることはますます難しくなります。
*****

この記事は今から35年も前の古いものです。科学は日進月歩で、35年前の批判など、現代では無意味ですが、この記事について少し検討してみましょう。

批判の第1は、資料の汚染です。これは批判というより測定の際の研究者が誰もが知っている注意事項のようなものです。研究者は資料が汚染されないように細心の注意を図ります。また複数の資料を使って測定します。汚染されているのであれば数値はバラバラになります。

批判の第2で最大のものは、「最大の欠陥は,大気中の炭素14のレベルが現在と同様,常に一定だったという仮定です。」とあります。これは正しくありません。この記事でも、すぐ後で、「放射性炭素による年代を年輪年代学によって是正しなければなりません。」とちゃんと書いています。

炭素14の量は年代によって変化するので、年代によって値を変えます。これを年代較正といいます。年縞堆積物(穏やかな水底に堆積した物質の縞模様のうち、年毎に一定の層序を保ち堆積した物は年縞堆積物と呼ばれ正確な年代を決定できます。福井県の水月湖では約7万年分の年縞堆積物があります。)および年輪年代により年代の較正が行われます。年輪年代では、およそ12600年程度までの放射性炭素年代値 と実際の年代の対応表が作られています。年輪年代の及ばない古い年代では、およそ24,000年前までは、サンゴのU/Th(ウラン / トリウム)年代と照合されています。

この記事でも、「検量線が信頼できるのは数千年間ですが,」と数千年間は信頼できるとしていますね。それならエッツイについては問題ないはずだよ。

放射性炭素年代測定法は繰り返しテストされ、その正確さは実証されています。死海の巻物の一部やエジプトの墓からの木材など、歴史的な記録を通して年齢がわかっているものについてもテストされています。単一の試料からの複数のサンプルを取り、独立に測定した場合、一貫した結果が得られています。放射性炭素年代測定法は他の年代測定法とも一致しています。JWの批判は的外れなのです。


JWは、このような放射性炭素年代法を批判する記事を書いておきながら、2年後にこんな記事も書いています。

*****
目 1988 12/22 トリノの聖骸布 ― イエスの遺体を包んだ布?

1988年,トリノの当時の大司教アナスタジョ・バレストレロは,トリノの聖骸布の古さを確認するために,その布を放射性炭素による年代測定で調べさせました。スイス,英国,および米国の三つの有名な研究所が検査を行なった結果,その布は中世のもので,キリストの死よりはるか後代のものであることが判明しました。
*****

イエスの遺体を包んだ布とされるものを放射性炭素年代測定法で測ったら中世のもの、つまりインチキと判明したという記事です。JWの立場では、放射性炭素年代測定法は信頼できなかったはずです。それなのに、自分たちに都合の良い結果であれば、放射性炭素年代測定法を受け入れるようです。

1995年のエッツイの記事を最後に、放射性炭素年代測定法を批判する記事は出ていません。この時代になると放射性炭素年代測定法はすっかり確立され、科学的知識の乏しいJWごとき宗教団体が批判できるようなものではなくなったのでしょう。

21世紀になると、JWの記事の中でも、放射性炭素年代測定法は批判されることなく、確立した測定法として何気なく登場してきます。

*****
塔 2008 11/15 “海の歌”― 空白を埋める写本

この断片は,その時に放射性炭素による年代測定を受け,イスラエル博物館で展示されるようになるまで保管されていました。
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塔 2011 6/1 聖書が書かれたのはいつですか

死海写本には,エステル記以外のそれら聖書各書の写しや断片が含まれています。炭素14(放射性炭素)や古文書学によって算定された年代は,それら写本のうち最古のものが,西暦前200年ごろから前100年までの間に作られたものであることを示しています。
*****

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塔 2013 2/1 “ユダの福音書”― どのようなものか

“ユダの福音書”のコーデックスは,放射性炭素14による年代測定法で,西暦3世紀か4世紀のものであろうと算定されましたが,学者たちの推測によると,それよりさらに前の時代のギリシャ語原典から翻訳されたものです。
*****

というわけで、JWは放射性炭素年代測定法を批判した過去の記事を撤回することなく、放射性炭素年代測定法を受けいれる、あるいは批判しないように方針を変更したようです。以前の記事の誤りを訂正する記事くらい出してほしいですね。

昔からJWをしている老人の中には放射性炭素年代測定法は間違っていると思い込んでいる人がいるようですが、勉強しなおしてくださいね。ノアの洪水と放射性炭素年代測定法と関連させるのも古い光です。

激しく批判していたものもこっそり受け入れる。これはJWによくあることなのです。正しいJWであるためには、こっそり変えられる教義の変更に絶えずついていかなくてはなりません。古い雑誌や書籍はもう古い光ですからどんどん捨てましょう。

といわけで、JWって、へんだよ。

#294 2019年08月10日 15:38:55

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところは数字の扱いがいい加減なところです。

次の例を見てみましょう。

*****
塔 2008  2/1  ご存じでしたか :ソロモンの神殿にあった鋳物の海はどれほどの大きさでしたか。

列王第一 7章26節は鋳物の海には祭司の使う水が「二千バト」入ったと述べているのに対し,並行記述の歴代第二 4章5節は「三千バト」入ったことを記しています。そのため,これは歴代誌を書き写す際の誤りによる相違だと主張する人がいます。

しかし,この二つの聖句は矛盾しているわけではなく調和します。原語のヘブライ語では,次のように理解する余地があるのです。歴代第二 4章5節は神殿の水盤の最大容量,すなわち入り得た水量について述べているのに対して,列王第一 7章26節はその水盤に日ごろ入っていた水量を記録している,ということです。
*****

この記事はどれくらい信ぴょう性があるのでしょうか?

まず「鋳物の海」とはなにか、列王一7:23-26をみてみましょう。

『鋳物の「海」を造った。円形で,縁から縁までが4.5メートルで,高さは2.2メートルだった。周囲は測り綱で測ると13.5メートルだった。 縁の下の方にはウリ形の飾りが周囲全体にあった。「海」の周囲に45センチにつき10ずつあった。ウリ形の飾りは2列で,「海」と一緒に鋳造されたので接ぎ目がなかった。「海」は12頭の雄牛の上にあり,3頭は北を,3頭は西を,3頭は南を,3頭は東を向いていた。「海」はこれらの雄牛の上に置かれ,雄牛の後部は全て中心に向いていた。 「海」の厚さは7センチだった。縁は,杯の縁やユリの花のような造りだった。「海」には4万4000リットルの水が入った。』

「鋳物の海」は水を入れる容器なのですが、どんな形をしていたかは書かれていません。考えられるのは半球形かドラム缶のような形です。ユダヤの古代史家ヨセフスによると半球状だったようですが、かりにドラム缶のようなものだとすると、その容積は底面積×高さとなります。底面積は直系4.5mの円形なので、その面積は、約15.9㎡です。従って、容積は15.9×2.2=34.98㎥です。リットルになおすと、34980ℓで、約3万5000リットルです。もし半球形なら容積はもっと少なくなります。

ところが列王記では「鋳物の海」には「4万4000リットルの水が入った。」とあります。残念ながら3万5000リットルしか入りません。

というわけで、「ものみの塔」の解説では、“列王第一 7章26節はその水盤に日ごろ入っていた水量を記録している”とありますが、いいかげんな推測に過ぎないということです。

歴代二4:5には、「水ためには6万6000リットルの水を入れることができた。」とありますが、これはもっと無理な数字です。


また、列王記では、直径4.5m、円周13.5mとなっています。ということは、円周率は3です。おかしいですね。これについてJWはどんな言い訳を言っているでしょうか?

******
洞察 鋳物の海(銅の海)

この3対1の割合(すなわち,円周は直径の3倍であるということ)は,ただ大体の大きさを理解させることを意図した,物事を説明する通常の仕方だったと思われます。
*****

つまり、聖書の中の数字は“大体”の数字ということのようです。JWもいい加減ですね。本当にそれでいいのでしょうか?JWは聖書の中の数字を恣意的に、これは本当、これは比喩的、これは大体と使い分けています。

聖書を神の言葉と信じる人は、なんとか3.14になるように様々な珍説を編み出して、つじつまを合わせようとしているのに比べると、JWの対応はいい加減で、工夫もやる気もありません。

しかし、聖書の著者も惜しいことをしました。もし3.14だったなら、これは当時の知識水準を超えたものですから、これは神から来たもの、聖書は神の言葉と強力に主張できたのです。神はなぜそうしなかったのでしょうか?

結局、聖書に書かれているのは当時の人間の知恵に過ぎないようです。

円周率が3.14に近似していることを発見したのは紀元前3世紀のアルキメデスとされています。

簡単な計算もせず、適当なことを言うJWは、へんだよ。

#295 2019年08月17日 11:45:24

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

聖書に矛盾はないというのがJWの立場です。でも、本当は聖書には矛盾はたくさんあります。JWのへんなところは、いいかげんなことを言って矛盾はないとごまかすところです。

ここで取り上げるのはユダの死についてです。ユダの死についてマタイ27章と使徒1章に書かれているのですが、その内容はかなり違います。

***マタイ27章3-8節***

その時,裏切り者のユダは,イエスが有罪とされたのを見て後悔し,銀30枚を祭司長と長老たちに返して  「私は無実の人を裏切って罪を犯した」と言った。その人たちは,「私たちの知ったことではない。あなたが始末すべきことだ!」と言った。  ユダは銀を神殿に投げ込み,去っていって首をつって死んだ。しかし祭司長たちはその銀を取り,「これを聖なる宝物庫に入れることは許されない。血の代価だからだ」と言った。 協議した後,そのお金で陶芸家の土地を買って,見知らぬ人たちの墓地とした。  それで,その土地は今日まで,血の土地と呼ばれている。

***使徒1章18,19節***

この人は悪い行いに対する報酬で土地を買い取りましたが,真っ逆さまに落ちて,体は裂け,内臓が全部出てしまいました。 このことはエルサレムの全住民に知られるようになり,その土地は,アケルダマすなわち「血の土地」と呼ばれました。

かなり違いますね。余談ですが「陶芸家の土地」という訳はへんですね。この不一致に対してJWの反応はこうです。


*****
塔 1978  5/1 聖書は矛盾していますか

マタイは,ユダの試みた自殺の方法を扱っているようであり,使徒たちの活動はその結果を説明しています。二つの記述を考え合わせると,ユダはどこかの断がいの上で首をつろうとしたが,首つりなわが切れたか,木の枝が折れたかしたために下に落ち,がけ下の岩の上で体が張り裂けた,という結論になるようです。
*****

これはさらに、14年後にも取り上げられます。実験でもしたんでしょうか、自殺の方法が見てきたかのように詳しくなっています。

*****
塔 1992  7/15 聖書は矛盾していますか

マタイは,企てられた自殺の方法を扱っているようであり,使徒たちの活動はその結果を説明しています。ユダは一本の木の枝にロープを結び,輪の部分を首にかけ,断がいから跳んで首つり自殺をしようとしたようです。ロープが切れたか木の枝が折れたかして,ユダは下に落ち,がけ下の岩の上で体が張り裂けたものと思われます。
*****


要するに2つの話をくっつけているだけです。これで不一致解消とうまくいくでしょうか?

まずJWが言うように死んだ場合、普通は“首をつって死んだ”とはいいません。転落死したといいます。なぜマタイはそう言わないのでしょうか?

使徒には、“真っ逆さまに落ちて”とかいてあります。JWが言うように、首に縄をつけて崖に向かって飛び降りて、縄が切れたとしましょう。頭から落ちるでしょうか?落ちません。“真っ逆さまに落ちて”いくためには、頭から飛び込む必要があります。また、この場合も、首をつって死んだとはいいません。

仮に、JWの言うとおりにユダが死んだとしましょう。それで、マタイと使徒の間の不一致はなくなるのでしょうか?いいえ。まだまだ不一致はあります。

マタイでは、祭司長たちが土地を購入していますが、使徒では、ユダです。この不一致はどうするの、JW?

マタイでは、血の代価で買った土地なので、血の土地と呼ばれているのですが、使徒では、ユダの血が流された土地だから血の土地と呼ばれたようです。血の土地と呼ばれた理由は何なの、JW?

JWのへんてこな見解を離れて、ユダの死について、マタイと使徒ではどちらが本当と見なされているのでしょうか?

一般的には使徒のほうが史実に近いとされています。それは、マタイの話は都合がよすぎるので、創作と考えられているのです。ユダが自殺したことによって、悪いのはユダひとりとなり、イエスを見捨てて逃げた他の弟子たちの責任を軽減できます。それから復活したイエスはユダに会ったのかという興味深い問題を回避できます。マタイだとユダは復活前に死んだのでイエスには会わなかったのです。それから、血の代価で買った土地だから血の地所と呼ばれたという説明は不自然です。これは祭司長たちしか知らないことなのですが、祭司長たちはそのことを言いふらしたのでしょうか?

土地の名前の由来としては、使徒にある、大量の血が流された所だからという理由のほうが自然です。使徒では、ユダが自殺したとも事故死したとも書いていません。死んだことだけを伝えています。これはマタイより事実を伝えている可能性が高くなります。創作された話は、本当らしさを装うため細部がより詳しくなる傾向があるからです。また、使徒ではユダがいつ死んだかもあいまいです。ユダが土地を買うためには、所有者と会い、交渉し、手続きをしなければならない訳ですから、数日はかかると予想されます。するとユダは復活したイエスに出会った可能性が出てくるのです。その時のイエスの反応は?ユダの反応は?興味深い問題です。

コリント一15:4、5に、“そして葬られ,聖書にある通り3日目に生き返らされ,ケファの前に現れ,それから12人の前に現れたことです。”とパウロは書いています。この12人にはユダは含まれるとみるのが順当です。マタイに書かれていることが本当なら、ここは11人となるはずです。

というわけで、ユダの死については、自殺の方法、土地の買主、血の土地と呼ばれた理由に関して不一致があるのですが、JWは、その中の自殺の方法についてだけ、見てきたような話をでっち上げ、聖書に矛盾はないといっているだけなのです。


真面目に聖書の矛盾に取り組まないJWはへんだよ。

#296 2019年08月24日 19:51:40

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところは、聖書に基づくと言いながら、聖書に基づかない話をでっちあげることです。

ヤコブとラケルの関係について、JWがどういっているか見てみましょう。

*****
若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え,第1巻 本当の愛かどうか,どうすれば分かるだろう

聖書に記されているヤコブとラケルの話を読むと,本当の愛とはどんなものかがよく分かります。二人は井戸のそばで会いました。ラケルは父親の羊に水を飲ませるためにそこに来て,ヤコブはすぐに彼女に魅力を感じました。一つには,「姿が美しく,顔だちも美しかった」からです。―創世記 29:17。

とはいえ本当の愛は,身体的な外見だけに基づくものではありません。ヤコブは,ラケルが美しいだけではないことに気づきました。聖書によると,やがてヤコブは,ラケルに魅力を感じる段階から次に進み,彼女を『愛する』ようになりました。―創世記 29:18。

こうして話はロマンチックに終わるのでしょうか。いいえ,まだ終わりません。ラケルの父親はヤコブに,ラケルとの結婚を7年間待たせました。ヤコブの愛は試されます。もし盲目的な恋であれば,ヤコブは待てないでしょう。本当の愛だけが,時の試練に耐えることができます。どうなりましたか。「ヤコブはラケルのために七年間仕えたが,彼女に対する愛ゆえにそれは彼の目にほんの数日のようであった」と記されています。―創世記 29:20。

ヤコブとラケルの例からどんなことを学べますか。本当の愛は時の試練を耐え抜く,ということです。
*****

ヤコブとラケルの愛は、本当の愛だそうです。それは時の試練を耐え抜いたからのようです。感動した!!!その他にも次のような記事があります。

*****
聖書に対する洞察,第2巻 ラケル

ラケルはヤコブに深く愛されました。ヤコブは老齢になってもなお,ラケルが自分の正妻であったとし,彼女の子供を他のどの子供よりも大切にしました。(創 44:20,27-29)ヤコブが死ぬ直前にヨセフに語った言葉は,簡潔ながら,ラケルに対するヤコブの愛情の深さを伝えています。(創 48:1-7)
*****

*****
塔 2007 10/1 苦しみの多い人生 ―『イスラエルの家を築いた』姉と妹

ラケルに対するヤコブの愛は一時的な熱情ではありませんでした。結婚を約束してからの7年間は,『彼女に対する愛ゆえに,ほんの数日のよう』でした。(創世記 29:20)ラケルは死ぬまでヤコブに愛されたので,彼女には多くの愛らしい特質があったに違いありません。
*****

ヤコブのラケルに対する愛を絶賛していますね。死ぬまでヤコブに愛されたラケルは幸せですね。でも、これは聖書のことをよく知らないJWの言うことです。

本当に、ヤコブは死ぬまでラケルを愛していたのでしょうか?

ヤコブはラケルの姉のレアとの間に次々と子どもをもうけていきますが、ラケルとの間に子供はいませんでした。そして創世記30:1、2には次のように書いています。

『ラケルは,自分がヤコブの子を一人も産んでいないので,姉に嫉妬するようになり,ヤコブにこう言いだした。「私にも子供を持たせてください。そうでないと,私は死んだも同然です」。 するとヤコブはひどく怒り,ラケルに言った。「私が神だとでもいうのか。あなたに子供ができないようにしているのは神なのだ」。』

ヤコブはお怒りのようですね。これは愛する妻に対する態度ではありません。不妊の妻の苦しみに対する理解も同情心のかけらもありません。ここからわかるように、ヤコブのラケルに対する愛情は時とともに消えていき、むしろ姉のレアの方を愛するようになっていったのです。

それがどうしてわかるかって?埋葬場所を見ればわかります。ラケルは不幸にも出産の際に死亡します。創世記35:18-20には次のように書いています。

『ラケルは息を引き取ろうとする時,その子をベン・オニと名付けた。しかし父はその子をベニヤミンと呼んだ。こうしてラケルは死に,エフラトつまりベツレヘムに向かう道のそばで葬られた。ヤコブはラケルの墓の上に大きな石を置いた。それが,今もあるラケルの墓の石である。』

ラケルはなんと道のそばに埋められたのです。しかも、死ぬ間際に、子どもをベン・オニ(私の嘆きの子)と名付けたのに、ヤコブは勝手にベンヤミン(右手の子)と改名しています。これは愛する妻に対する態度ではありませんね。

ラケルと初めて会った時、涙を流したヤコブですが、ラケルの死に際して涙を流したとか悲しんだとか一言も書かれていません。ラケルを道のそばに埋めて、石を置いだだけで、ヤコブたちは何事もなかったかのように旅を続けます。

一方、レアの埋葬場所はどこでしょうか?創世記49:29-32をみてみましょう。ヤコブの死ぬ間際の言葉です。

『その後ヤコブは彼らに命じた。「私は先祖たちと共に横たわろうとしている。ヘト人エフロンの土地にある洞窟に,父祖たちと一緒に葬ってほしい。 カナン地方のマムレに面したマクペラの土地にある洞窟だ。アブラハムはその土地をヘト人エフロンから買い取って墓地にした。 そこにはアブラハムと妻のサラが葬られ,イサクと妻のリベカも葬られた。私もそこにレアを葬った。 その土地とそこにある洞窟はヘトの子孫たちから買い取ったものだ」。』

レアはアブラハム夫婦やイサク夫婦と一緒に葬られているのです。そしてヤコブもそこに、恐らくレアの横に葬ってほしいと息子たちに命じているのです。古代社会で、埋葬場所は重要な意味を持っていました。

若いころ愛したラケルは、死んだ動物のように道端に埋めたのに対し、レアは祖先の墓に大事に葬られています。晩年ヤコブの愛情はレアに移っていったのは明らかでしょう。

というわけで、ラケルに対するヤコブの愛が、本当の愛とか、一生の愛とか、聖書に基づかない適当な話をでっちあげるJWって、へんだよ。

#297 2019年08月31日 19:31:37

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWにとても人気のある聖書中の人物は、色々いますが、ロトの妻はそのひとりでしょう。様々な記事に見倣うべきではない例として、しつこく取り上げられています。人気者はつらいね。

ロトの妻の唯一の過ちは、振り返ったことです。たったそれだけで塩の柱に変えられ、死後も見世物になるという処罰を受けた、とてもかわいそうな人なのです。ダビデなんか、何度も大きな過ちを繰り返しますが、死ぬのはなぜかダビデ以外の人です。どうなっているのでしょうね。

それでは、なぜロトの妻は振り返ったのでしょうか?長年JWをしている人はすぐ答えられと思うでしょうんね。これには少なくとも11の理由があると知っていましたか?年代順に見てみましょう?

*****
塔 1973  4/15 あなたはほんとうに信じていますか

ソドムにある物質の持ち物に対する愛着が,彼女を天使の指示にそむいてうしろを振り返らせ,結果としてその命を失わせてしまったのです。
*****

理由の1は、持ち物への愛着があったから~。なるほど。よくある答えですね。

*****
塔 1977 5/1  確信を抱いて「大患難」に立ち向かう

彼女はソドムから逃げ去る時,明らかになんらかの利己的な理由で,受けていた指示に背いて後ろを振り返ったのです。
*****

理由の2は、何らかの利己的理由があったから~。とにかく、利己的なんですよ。

*****
最善の生き方を選ぶ  1980 第6章 権威に対する服従は報われる

後ろを振り返ってソドムをあこがれの気持ちで見たために滅びたロトの妻とは異なり
*****

理由の3は、ソドムをあこがれていたから~。憧れの町ソドム。そうだったのか!

*****
目 1981  12/8  悪名高い都市に関する教訓

ロトの妻は無事に避難するためのみ使いの指示に注意を払わなかったため,命を失いました。
*****

理由の4は、み使いの指示に注意を払わなかったから~。注意一秒、塩一生ですね。

*****
塔 1984  9/1  なぜためらうのですか 耳を傾け,従いなさい!

ロトの妻はこの問題に関するエホバの裁きを信頼していなかったようです。
*****

理由の5は、エホバを信頼していなかったから~。不信仰ものめ。

*****
塔 1987  12/15  警告を無視し,神を試す

ロトの妻は疑念や不安を抱いてソドムから逃れたようです。ロトの妻は「[ロト]の後ろで振り返るようになり,そのために塩の柱となった」と記されています。
*****

理由の6は、疑念や不安を抱いていたから~。心の問題だったのか?

*****
塔 1991  11/15  自制 ― 非常に重要なのはなぜか

ロトの妻も自制する点で失敗しました。はっきり言って,彼女は後ろを振り向かせようとする誘惑に抵抗できませんでした。
*****

理由の7は、自制心がなかったから~。疑念や不安はどうなったの?

*****
塔 2003  1/1  今こそ目ざめているべき時

ロトの妻は,後ろを振り返ってはいけないというみ使いの警告を無視し,緊張の欠けた態度のせいで非常な損失を被りました。
*****

理由の8は、緊張感が欠けていたから~。自制心もないし、緊張感もなかったのね。

*****
塔 2005 10/1 「ずっと見張っていなさい」― 裁きの時は到来した

ロトの妻はソドムに残した自分の家に未練があったようです。
*****

理由の9は、家に未練があったから~。新情報です。すてきな家だったんでしょうね。

*****
塔 2012  3/15  「後ろのもの」を見てはなりません

どうしてロトの妻は後ろを振り返ったのでしょうか。何が起こっているのかを知りたがったのでしょうか。懐疑心,つまり信仰の欠如が原因でしょうか。それとも,ソドムに残してきた物すべてに未練があったのでしょうか。(ルカ 17:31)どんな理由で振り返ったにせよ,ロトの妻は不従順な行動の結果,命を失いました。
*****

理由の10は、何が起こっているか知りたかったから~。あとの2つはもう出てきました。

*****
塔 2019 6月 ストレスに対処できるよう兄弟姉妹を助ける

ロトの妻はその都市をとても気に入り,一部の人たちとかなり親しくなったようです。その結果,エホバに背いてしまいました。
*****

今年の見解です。理由の11は、親しい人がいたから~。友達がどうなったか気になりますよね。


さて、この11の理由のうち、あなたはいくつ思いつきましたか?そうです。もっともらしく書いていますが、単なる思い付きにすぎません。こんな記事を真面目に読んでいるJWは本当にご苦労なことです。もうこれ以上新しい理由が出てこないことを祈ります。

もちろん聖書にはなぜロトの妻が振り返ったかは書いていません。好奇心だったかもしれませんし、置いてきたものや家が惜しかったのかもしれません。理由はよくわからないでいいじゃないですか。それなのに、適当な理由をでっち上げて、ロトの妻を悪人に仕立て上げて、つまらない教訓話に仕立て上げるJWって、へんだよ。

#298 2019年09月07日 21:04:51

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

聖書の中には、かなり問題があるのに、なぜか高く評価されている人物がいます。この場合、JWはどうするかというと、その人物を一生懸命弁護するのです。その弁護ぶりがかなりヘンなのです。

ロトのケースを見てみましょう。

ロトは、ペテロ二2:7では、“正しい人ロト”と呼ばれています。しかし、ソドムの町で暴徒に、「今夜おまえの所に来た者たちはどこだ。彼らを渡せ。われわれは彼らと寝るのだ。」と脅迫されたとき、ロトは、「私には,男性と関係を持ったことがない娘が2人います。2人を差し出しますから,どうぞいいようにしてください。でも,あの方たちには何もしないでください。」というのです。耳を疑う発言ですね。JWは、この正しい人ロトの問題発言をどう弁護しているのでしょうか?

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塔 1980 3/1  読者からの質問:ロトがソドムの人々に自分の娘たちを差し出したのはよくないことだったのではありませんか。

二人の処女が差し出されたとなると,暴徒たちは幾らかまごついたかもしれません。二人の若い処女がいます。その純潔を汚す機会は暴徒たちを幾らかでも引き付けたと考えられます。とはいえ,その娘たちは女性であり,同市の二人の男のいいなずけとなっていました。ですからその申し出は,倒錯した暴徒の気をそらし,暴徒を分裂させる効果があったと考えられます。

さらに,ロトは当初知らずしてみ使いをもてなしたとはいえ,その時までにはそれが神の使者であることに十分気づいていたかもしれません。(ヘブライ 13:2)ですから,自分の娘たちに対して深い愛着を覚えつつも,必要とあらば娘たちを進んで犠牲にしようとロトは考えていたのかもしれません。(創世 22:1-14; サムエル後 12:3と比較してください。)娘たちを暴徒に差し出すに当たって,ロトは,エホバのご意志なら,神はエジプトですでにサラを守ったと同じように,自分の娘たちをも守ってくださるとの確信を抱いていたとも考えられます。(創世 12:17-19)そして,エホバは確かに,ロトとその娘が同性愛者の暴徒からだけではなく,これらの都市に臨んだ火による滅びからも安全に守られるよう事を運ばれました。―創世 19:15-29。
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いかがでしたか、この弁論に納得いただけましたでしょうか?最初の弁護は、いきなり娘を差し出しだせば、暴徒たちはまごつき、気がそれ、仲間割れするかもしれないと、ロトが考えたのかもしれないというのです。そう思ったとしたら、ロトは単なるバカです。

暴徒について、聖書は、“少年から老人までソドムの男たちが集団になって家を取り囲んだのである。”と書いています。少年もいることに注目してください。これはソドムの町の住民は全員同性愛者ではないということです。全員同性愛者だったら、子どもは生まれません。少年は誘拐してきたのですか?ロトの娘の婚約者だって、同性愛者ではないはずです。女好きの暴徒もいたでしょう。

興奮した暴徒に若い娘を差し出せばどうなるか、聖書にちゃんと書いています。創世記19章のロトの話とほぼ同じ話が、裁き人19章にあります。そこでは、どうなったかというと、「旅人は自分のそばめをつかんで,彼らのもとに連れ出した。男たちはその女性を犯して朝まで夜通し虐待し,夜明けに去らせた。」という結果です。このそばめは死亡します。ロトが娘二人を本当に暴徒に差し出したら、同じ結果になっていたでしょう。

次なる弁護は、ロトは客が神の使いと気づいていたので、娘を犠牲にしてもやむを得ないと考えたかもしれない、というものです。理解できないですね。神の使いなら、人間がかなう相手ではありません。神の使いと気づいたのなら、神の使いにどういう事態か説明すればいいだけのことです。神の使いは「俺に任せておけ。」といって暴徒を簡単に撃退してくれたはずです。実際に、「老若を問わず,戸口の前にいた男たちの目を見えなくした。そのため男たちは戸口を見つけようとして疲れ果てた。」と聖書に書いてあります。

最後の弁護は、娘を差し出してもエホバが守ってくれる、とロトは確信していたというものです。エホバの全面的な保護を信じていれば、ロトは暴徒に「お前ら、さっさと消え失せろ!」と言えばいいだけです。娘を取引材料にして、暴徒と交渉する必要はありません。エホバの保護を信じていなかったから、取引しようとしたと考えるのが自然です。

ロトは、娘二人を犠牲にして、客と自分を守ろうとしただけです。これは倫理的に受け入れることのできないものです。ロトはバカか悪人です。しかし、それを認めるわけにはいかないJWは奇妙な理屈でロトを弁護するわけです。

次の記事を見てみましょう。初めの記事の24年後です。

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塔 2004  1/15  創世記の目立った点 ― 2

ロトが娘たちをソドムの人々に差し出そうとしたのは正しいことでしたか。

東洋のしきたりでは,主人役は家の客人を保護し,必要とあらば命を危険にさらしても客を守る責任がありました。ロトはそうする覚悟でいました。勇敢にも暴徒のところへ出て行き,自分の後ろで戸を閉じて,独りで暴徒に立ち向かいました。娘たちを差し出そうとした時には,客たちが神の使者であることに気づいていたものと思われます。ロトは,おばのサラを神がエジプトで保護されたように,自分の娘たちを保護することもおできになると考えたかもしれません。(創世記 12:17-20)その後の進展のとおり,ロトと娘たちは確かに安全に守られました。
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新しい点はあまりありません。ここでの弁護は、まずロトの行為は勇敢であるとほめたたえることから始めます。これは以前になかった点ですね。立派な点を並べ立てるというのは、犯罪者を弁護するときの常とう手段です。こんな立派な人物をたった一つのことで有罪にしてよいのですか、という論法ですね。情状酌量を求めるわけです。この記事の執筆者は、ロトはイケナイ奴だと、無意識に思っていますね。

しかし、「東洋のしきたり」について見てきたかのように述べていますが、本当にロトが生きていた時代の、その地域にそういう習慣が根付いていたのでしょうか?その根拠はあるのでしょうか?パレスチナって、東洋なの?

次に、ロトは客が神の使いだと知っていたと断定します。だからなんなのでしょうか?24年前の記事では、「気づいていたかもしれません。」と謙虚だったのですけれどね。新しい光がさしたのでしょうか?しかし、この記事では、気づいていた、それでおわりです。神の使いだと知っていたから、娘を差し出したと言いたいのでしょうが、これでは弁護にならないと思い、これ以上この点を論じるのをやめたのでしょう。どうしたJW?

後は、どうせエホバが守ってくれるから、という訳のわからない弁護を繰り返しています。

この記事に不満があったのか、1年後に次のような記事が出ます。

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塔 2005  2/1  エホバは常に正しいことを行なわれる

『それでもロトが娘たちを群衆に差し出そうとしたのはなぜだろう』と尋ねる人もいるでしょう。ロトの動機が良くないと決め込むのではなく,幾つかの可能性を考えてみるのはどうでしょうか。第一に,ロトは信仰を抱いて行動していたのでしょう。どうしてそう言えるでしょうか。ロトは,自分のおじアブラハムの妻サラをエホバがどのように保護されたかを知っていたに違いありません。(略)自分の娘たちもこれと同じように保護されるのではないかという信仰をロトは抱いていた,とも考えられます。注目すべき点として,エホバはみ使いたちを通して現に介入され,それら若い女性は安全に守られました。

もう一つの可能性について考えましょう。ロトはあえて男たちの意表を突き,まごつかせようとしたとも考えられます。ソドムの人々は同性愛的な欲望を抱いていたので,その群衆は娘たちには関心を持たないだろう,と考えたのかもしれません。(ユダ 7)さらに,それらの若い女性はその都市にいる男性とそれぞれ婚約していました。そのため,群衆の中には,娘婿となる人の親族や友人や仕事仲間も混じっていたと考えられます。(創世記 19:14)そうした結びつきのゆえに,暴徒の中にも,娘たちの身は守るようにと声を上げてくれる人がいるのではと,ロトが考えていた可能性もあります。そのように意見が割れるなら,暴徒もさほど危険ではなくなるでしょう。

ロトの考えや動機がどんなものであったにしても,次の点は確かです。エホバは常に正しいことを行なわれるので,ロトを「義人」とご覧になったことにはもっともな理由があったはずです。さらに,ソドムの狂った暴徒の行動からしても,その邪悪な都市の住人に裁きを執行されたエホバは全く正しかったということに疑問の余地はありません。
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前半の弁護は、1980年の記事と同じ内容です。JWには進歩がないのがよくわかります。この記事の執筆者も、その弁護が詭弁にすぎず、説得力がないことを知っているのでしょう。

それで、すべての理屈をすっ飛ばして、「エホバは常に正しいことを行なわれるので,ロトを「義人」とご覧になったことにはもっともな理由があったはずです。」といった馬鹿げた結論を無理矢理ひねり出します。神のすることに文句は言うな、聖書が義人と呼んでいるんだから、義人なんだよ、これ以上質問は受け付けません、ということです。

結局、ロトをうまく弁護できなくなり、後は詭弁と強弁でごまかしています。

私なら、聖書では「正しい」ということと道徳性は何の関係もないのです。不道徳で倫理観ゼロの人間でも「正しい」と評価されることがあるのです。逆に、道徳的で倫理観の高い人でも「正しい」ということにはなりません。ロトは不道徳だけれど「正しい」人なのです。道徳性に過度にこだわるのは間違った態度なのです、と弁護しますよ。JWの弁護より、いい弁護だと思うのですが。

ダメなやつをダメと言えないJWって、へんだよ。

#299 2019年09月14日 14:12:03

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

聖書の中には、かなり問題があるのに、なぜか高く評価されている人物がいます。この場合、JWはどうするかというと、その人物を一生懸命弁護するのです。その弁護ぶりがかなりヘンなのです。

前回はロトでしたが、今回は無法者の女好きのおバカなサムソンのケースを見てみましょう。裁き人13から16章にかけて、サムソンの素晴らしい人生が描かれています。

困ったことに、サムソンは、敵であるフィリスティア人の女性と結婚しようとします。これは問題です。異民族との結婚は律法違反です。ちなみに、サムソンはナジル人という立場で、いろいろ禁止事項があるのですが、それらも平気で破っています。

サムソンは、その結婚式でなぞかけをしますが、結局サムソンが負け、「30枚の亜麻の下着と30着の衣装」を調達しなくてはならなくなり、「アシュケロンに下っていってそこの人たちを30人討ち,彼らの着ていた物を取って,謎に答えた人たちに衣装を与えた。」のです。なぞかけとは無関係な30人を殺害し、略奪したという訳です。

この律法違反や蛮行を、JWはどのように弁護しているでしょうか?

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塔 2005  3/15 サムソンはエホバの力によって勝利を得る

このフィリスティア人の女性はどんな点でサムソンに「まさにかなう」娘だったのでしょうか。マクリントクとストロング共編の「百科事典」(英語)によれば,「美しく,愛嬌があり,魅力的」だったのではなく,「ある目標,目的,意図にかなう」女性でした。どんな目標にかなうのでしょうか。裁き人 14章4節を見ると,サムソンは「フィリスティア人に立ち向かう機会を求めて」いたことが分かります。この目的ゆえに,その女性に関心を持ったのです。

アシュケロンでのサムソンの行動は個人的な復しゅう心から出たものだったのでしょうか。そうではありません。神の選んだ救出者を用いて行なわれた,神の業でした。エホバはサムソンを用いて,ご自分の民を虐げる圧制者たちに対する戦いを開始されたのです。
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サムソンを全力で弁護していますね。フィリスティア人の女性と結婚しようとしたのは、フィリスティア人に立ち向かう機会を求めていたから~だそうです。フィリスティア人と闘うために、なぜフィリスティア人と結婚しなければならないのか、全く理解できません。

結婚式にのこのこやってきたフィリスティア人を討ち取ったというならまだ理解できますが、別の町に行って無関係なフィリスティア人を殺しているわけで、結婚とは何の関連もありません。それが神の業なら、最初から、そこに行って町の人を虐殺しまくれば、よいだけです。立派なテロリストとしてほめたたえられるでしょう。

なぞかけについても、次のように弁護しています。

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塔 1999 10/1  神のなぞ掛けと神の目的

裁き人サムソンも,なぞ掛けが好きであったことを示しています。ある時,聖霊によって力を与えられたサムソンは,一つのなぞを掛けて,神に敵対していた人々に恐れの気持ちを抱かせました。―裁き人 14:12‐19。
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とんでもない事件のきっかけとなったなぞかけを、「神に敵対していた人々に恐れの気持ちを抱かせました。」と称賛しています。敵の心胆寒からしめたあっぱれな行いということでしょうか。この評価も理解できません。

サムソンのなぞかけって、「食べる者から食べ物が出,強い者から甘い物が出た」で、これはサムソンの個人的な体験をもとにしたもので、それを知らなければ答えられるはずのないアンフェアなものです。つまり、サムソンは物事のルールを知らない野蛮な男なのです。

次のサムソンの問題行動は、裁き人16章にある、「ある時サムソンはガザに行き,そこで娼婦を見て彼女の所に入った。」ことです。サムソンは敵であるフィリスティア人の女が大好きなようです。このことについてJWは、次のように弁護しています。

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塔 1979 5/15 読者からの質問: なぜ神のしもべサムソンは,ペリシテ人の町ガザの遊女の家に行ったのですか。

サムソンならびにペリシテ人の町ガザの遊女に関する記述は次の通りです。「ある時サムソンはガザに行き,その所で一人の遊女を見てそのもとに入った」。(士師 16:1,新)この記述の中には,サムソンがガザに行ったのは遊女に会うためだったということを示唆するものは何もありません。それどころか,サムソンは,町にいる間に,その女は売春婦であると見当をつけていました。しかし敵のペリシテ人の領地にいたので,その女の家はその晩寝泊りできる唯一の場所でした。サムソンが単に寝る場所を求めていたことは,そのあとの,「サムソンは,夜中まで横になっていたが,夜中になると起き上が(った)」という記述から明らかです。(士師 16:3)サムソンが夜中まで女と一緒に横になっていたとは記されていない点に注目してください。
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JWの弁護は、サムソンは売春婦のところに行ったのは、単に寝る場所を探していたから~というものです。よからぬ目的でいったわけじゃないよというものです。説得力が全然ないですね。

こんなことが通用するなら、JWの兄弟がよからぬ所で見つかってしまった場合、サムソンの例を出して、単に休むところを探していた、といえばいいということですね。

サムソンは売春婦と何をしたかは聖書の中には書かれていません。しかし、だからと言って単に寝ていただけということを意味するわけではありません。単に省略しただけでしょう。

しかし、この弁護は、JWのオリジナルではありません。元ネタがあります。「洞察」にそれが出ています。

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洞察 1989  サムソン

サムソンがこの驚くべき偉業を成し遂げたのは,依然として神の霊を得ていることを示すものでした。この事は,彼が不道徳な意図で遊女の家に行ったというような考えを論破することでしょう。ランゲの「聖書注解」(裁 16:1,212ページ)の中で,注解者のパウルス・カッセルはこの点に関して次のように述べています。「サムソンは売春婦を訪ねる目的でガザに行ったのではない。『彼はそこへ行った。そしてそこで[売春婦]に会った』と述べられているからである。しかし,彼がそこ[ガザ]で一夜を過ごそうと思った時,国民の敵であった彼にとって,[売春婦]のところにとどまる以外にはなかったのである。……彼の滞在の件は,斥候たちがラハブの家に泊まった記述と変わらない言葉遣いで語られている。『彼女に会った』という表現は,その身分の女に会って,その夜の宿をどこに見つけられるかが分かった,という点を明らかにしているにすぎない」。(P・シャッフによる翻訳・編集,1976年)さらに,その記述は,「サムソンは,夜半まで横になっていた」とあるだけで,『サムソンは,彼女と共に夜半まで横になっていた』とは記されていないことにも注意すべきです。
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保守的で護教的な聖書学者にとっても、サムソンの行いには困っていたようですね。書かれていないことに基づいて、一生懸命弁護しています。浮気した亭主の言い訳そのままです。JWは、自分に都合がよければ学者の意見を長々と引用しますが、そうでなければ無視します。わかりやすいね、JW.

売春婦に至るまでのサムソンの行動はこんなものです。サムソンはなぞかけ事件の影響で結婚式を放り出してしまうのですが、しばらくして子ヤギをもって妻のところにやってきます。裁き人15:2では、「そして,「寝室にいる妻の所に行きたい」と言ったが,彼女の父親はそれを許さなかった。」とあります。サムソンが望んでいることは何か明らかですね。実にわかりやすい男です。しかし、望みは果たせず、腹いせにキツネを使った放火事件を引き起こし、これがとんでもない悲劇につながっていきます。危険なテロリストの本領発揮です。

そして、裁き人16章の売春婦訪問となるわけです。この経緯を踏まえれば、欲求不満のサムソンが何をしにきたのか、保守的で護教的な聖書学者とJW以外は明らかですね。

その後のサムソンは、それまでの経験から何も学ぶことなく、デリラという女に惚れ、だまされ、その挙句、敵に捕まり、最後は、現代風に言うと自爆テロで大勢の人間を巻き込んで死にます。この自爆テロがサムソンの最大の功績のようです。

サムソンが生まれる前、天使はサムソンの母親に「彼は先頭に立ってイスラエルをフィリスティア人から救います。」といったのですが、その予言は外れたようですね。

こんな男を一生懸命弁護しているJWは、へんだよ。

#300 2019年09月14日 15:16:40

さやか666
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

約束の品の男のランジェリー×30は 30人を殺して手に入れたわけですね


当然中古になりますから、貰う側への気遣いは皆無です

働いたお金で新品を買わなかったのは何故なのですかね

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