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#51 2018年01月24日 15:48:54

tk
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

てつてつ さんの発言:

ちょっと一言さん 書き込みありがとうございます 以前にも述べましたが十字架についての自分の考えです

人間一人を杭棒にかけるとなると地面に埋める寸法は身長1m70cmだとすると3m
50cmは必要でしょう  イエスは両手を頭上に上げている訳ですからね、
その上に罪状を記した板が付けられていますのでもう少し寸法は長いかもしれません
まして材質は思いオリーブの木だそうですから普通の男性でも一人で持ち運び出来るような重量ではありません、キリーネ生まれのシモンがプロレスラーのような強力なら
分かりますが聖書にはそんな記録は有りませんし到底杭説はありえない様な感じですね
博物館にギリシャ神話の杭に吊るされている像の写真があり、それをもとにイエスもこれと同じような方法で処刑されたような記述がありますがギリシャ神話自体エホバの
証人は実話ではなく神話にすぎないと言っているのに写真を事実と引用するのはまことに持って矛盾を感じます。

#52 2018年01月25日 19:52:03

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWにとって、最も大事なことは何でしょうか?それは。組織に対する忠節です。ほかは、なぁーにもいりません。組織が右と言ったら右を向く、組織が左と言ったら左を向く。それでいいんです。それで楽園のチケット、ゲットです。

でも、困ったことに、その点をわかっていないJWが結構いるんですね。そんなJWの多さに耐えかねたのか、JWでは、聖書の翻訳を一部変えてしまいました。どこかご存知?

答えは、ミカ6:8です。日本語版を見てみましょう。

エホバがあなたに求めておられるのは,ただ公正を行ない,親切を愛し,慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか。

いい聖句ですね。親切を愛し(to love kindness)がいいですね。ところがJWはそれが気に入らなかったみたいで、新世界訳の2013年版では次のように変えました。

And what is Jehovah requiring of you? Only to exercise justice,  to cherish loyalty,  And to walk in modesty with your God!

それ以前はこうでした。

And what is Jehovah asking back from you but to exercise justice and  to love kindness  and to be modest in walking with your God?"

親切を愛し(to love kindness)が、to cherish loyalty(忠節を抱き)に変えられています。このように訳している他の聖書はないでしょう。多くは親切か慈しみです。JWによる聖書の改変です。

この2013年版の日本語訳はまだなんですよね。できるのが楽しみです。内容もJWの教義に合わせた勝手な変更続出で、しかも誤訳だらけでしょう。

聖書の訳までかえて、忠節、忠節というJWって、へんだよ!!!

#53 2018年01月26日 03:13:47

iris
メンバー

Re: ここが変だよJW

《参考》新共同訳の場合

人よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。
(ミカ書6章8節)

オフライン

#54 2018年01月28日 11:37:01

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

前回、ミカ6:8が、新しい新世界訳(英語版)では“親切”から“忠節loyalty”に訳を変えていることをお伝えしました。

統治体の老人は、聖書を変えてまでも忠節の重要性を訴えたかったのでしょう。楽園に行きたければ、JWの皆さんは、統治体に忠節を尽くしてくださいね。

同じような例は他にもあります。エフェソス4:24です。

神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきことでした。

忠節がでていますね。忠節と訳されている元のギリシャ語は、osiotēti です。その意味を知るために、ストロングのコンコーダンスをみてみると、holiness神聖さ, godliness敬神, piety敬虔 とあります。忠節に相当する言葉はありませんね。他の辞書を見ても同じです。

この単語は新約聖書ではあと一か所使われています。ルカ1:75です。

いつの日もみ前で忠節と義とをもって恐れなく神聖な奉仕をささげる特権をわたしたちに得させるためなのです。

やはり、忠節と訳されています。忠節大好きですね。

ほかの聖書で、忠節と訳しているものはあるのでしょうか?新共同訳だと、“清い”と訳しています。エフェソス4:24では、

神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく 清い 生活を送るようにしなければなりません。

英語の聖書では、holinessかholyで、新世界訳みたいにloyaltyと訳しているものはありません。JWもこのことは知っています。

「洞察」の本の“忠節”のところを見てみますと、こうあります。

ギリシャ語聖書の中で,ホシオテースという名詞とホシオスという形容詞は,神聖さや義や畏敬の念,篤信で信心深いこと,神に対する責務すべてを注意深く守ることといった考えを伝えています。これには神との正しい関係が含まれます。
(略)“loyalty”(忠節)という語は専心と忠実さという考えを確かに含んでいるので,神とその奉仕に関連して用いられる際におよその意味を伝えるのに役立ちます。この聖書用語の十分な意味を確定するための最善の方法は,聖書におけるその語の用法を調べることです。

ここで何を言っているかというと、もとのギリシャ語には忠節という意味はない。しかし、聖書の用語法を調べると意味が確定できる。それで、用語法を調べた結果はどうなのでしょうか?洞察の本は何と言っているのでしょうか?

答えは、何も言っていないです。用語法を調べるといったって、たった2回しか使われていない単語です。すぐわかるはずでしょう。忠節と訳したほうが良いことの根拠など見つかりません。「洞察」の本では、次の話題に移ってしまうのです。

つまり、もとのギリシャ語を例外的に“忠節”と訳していることの、正当化をしようとしたのですが、できないのでやめたのです。統治体の人は、この部分を執筆した人を排斥処分にすべきですね。まったく使えない奴です。

最後に、聖書からの引用です。エホバの証人について聖書はこう述べています。ルカ18:11です。

パリサイ人は立って,これらのことを自分の中で祈りはじめました。『神よ,わたしは,自分がほかの人々,ゆすり取る者,不義な者,姦淫をする者などのようでなく,またこのエホバの証人のようですらないことを感謝します。』

#55 2018年01月28日 11:58:45

iris
メンバー

Re: ここが変だよJW

私の印象ではこうです。

エホバの証人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしは世の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、背教者のような者でもないことを感謝します。』

オフライン

#56 2018年01月31日 20:37:43

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところといえば、狂った“排斥制度”ですね。でも、これはエホバからの懲らしめだそうです。

例えば、ものみの塔(研究用)2013年6月号 「エホバの懲らしめによって形作られる」の17節にはこうあります。

排斥 も エホバ から の 懲らしめ の 一つ です。この 方法 は 会衆 を 悪い 影響 から 守り,罪 を 犯し た 人 の 回復 に 役立ち ます。(コリ 一 5:6,7,11)ロバート は 16 年 ほど 排斥 さ れ て い まし た。その 期間 中,ロバート の 両親 と 実 の 兄弟 たち は 神 の 言葉 に ある 命令 を 忠節 な 態度 で 守り通し まし た。悪行 者 と の 交友 を やめ,その 者 に あいさつ を し て も なら ない,と いう 命令 です。


一方、ホームページにある「聖書の教え」の“若い人”のところをクリックし、右側に出てくる項目の中の“学校”をクリックします。その中の“いじめられたら,どうしたらいいですか”には何と書いているでしょうか。

初めにこう書いています。

いじめ は,決して ささい な 問題 で は あり ませ ん。英国 で の 調査 に よれ ば,全国 の マスコミ で 報じ られ た 若者 の 自殺 の 40 % 余り は,いじめ が 一つ の 要因 で あっ た と 思わ れ ます。

次に、“いじめとは”とあり、いじめを定義しています。

暴力 行為 だけ の こと で は あり ませ ん。次 の よう な もの も 含ま れ ます。
・言葉で攻撃する
・仲間外れにする
・ネットで嫌がらせをする

さて、JWは排斥した人に対して、交友をやめ、あいさつもしてはならないといっています。これって、ものみの塔の定義によれば、いじめにあたりますね。学校でのいじめは自殺者も出すほど深刻な問題と認識しているのに、排斥された人には家族全員でいじめろと命じています。

“いじめ”の記事の最後に、クイズと答えが出ています。これはとても参考になります。いくつか紹介しましょう。

4.いじめ られる の は,自分 が いけ ない から だ。
答え:間違い。いじめ られ て 当然 と 言える 人 は い ませ ん。いじめ は,いじめる 側 が 悪い の です。(強く賛成です。JWの人、わかった?)

6.いじめ を 目撃 し た なら,見 て 見 ぬ 振り を する こと だ。
答え:間違い。傍観 者 に は 何 の 罪 も ない,など と いう こと は あり ませ ん。いじめ を 目 に し て 何 も 言わ ない 人 は,問題 の 解決 に 貢献 する どころ か,いじめ に 加担 し て いる と 言える か も しれ ませ ん。(強く賛成です。JWの人、わかった?)

7.いじめっ子 は,偉 そう に し て い て も,弱さ を 抱え て いる こと が 多い。
答え:正しい。いじめっ子 の 中 に は,我 が 強い 子 も い ます が,弱さ を 抱え て いる ため 他 の 子 を けなし て 気 を 良く する 子 も 少なく あり ませ ん。(強く賛成です。JWの人、わかった?)

8.いじめっ子 が 行ない を 改める 場合 も ある
答え:正しい。いじめっ子 も,仲裁 され 援助 さ れ て,考え方 また 行ない を 改める 場合 が あり ます。―エフェソス 4:23,24。(これはJWには期待できませんね。)

JWとしては、排斥制度はやめるつもりはないでしょう。長老向けマニュアル「神の羊の群れを牧しなさい」には、審理委員会に審理すべき事項として、61ページに

幾度も助言を受けながら、故意に、また不必要に、親族でない排斥された人の交わりを続けること

と、ありますからね。それなら、“いじめ”の記事は削除したほうがいいですよ。自分たちはいじめ推進団体なのに、いい子ぶるのはやめましょう。堂々と、“いじめは神の愛”とか、“いじめによって人は鍛えられる”とか、書いてほしいですね。

聖書は、エホバの証人ついてこういっています。マタイ23:13です。

偽善者なる書士とエホバの証人たち,あなた方は災いです! あなた方は人の前で天の王国を閉ざすからです。あなた方自身が入らず,また入る途中の者が入ることをも許さないのです。

#57 2018年02月03日 21:23:36

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんな儀式といえば、長ったらしい名前の「イエスの死の記念式」ですね。パンとワインをみんなに回すだけ。食べたり飲んだりすると、「精神的に不安定な人」と思われるという、儀式です。

そんなバカげたことをするようにと、聖書に書いてあるのでしょうか?ルカ22:17を新世界訳で見てみましょう。

それから杯を受け取り,感謝をささげてからこう言われた。「これを取り,あなた方の間で順に回しなさい。
And accepting a cup, he gave thanks and said: “Take this and pass it from one to the other among yourselves,

驚きました。ちゃんと書いてあります。みんなに「回す pass」ようにとね。本当にイエスはそんなことを言ったの?ほかの訳も見てみましょう。

そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。 (新共同訳)

そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。 (口語訳)

みんなで飲むようですね。回すだけなんてありませんね。普通なら、参加した人から文句が出ますよね。英語の聖書では、divide(わける)とかshare(わけあう)ですね。新世界訳のようにpass(まわす)なんていうのはありません。理由は簡単です。そんな意味はないからです。

もとのギリシャ語はdiamerizóで意味は「配る」とか「分ける」というものです。

そのことは、あまり優秀とは言えない新世界訳の匿名の訳者たちも知っているようです。同じ動詞は、新約聖書の中で12回出てくるですが、ちゃんと「配る」とか「分ける」と訳しています。たとえば、

マタイ27:35 [イエス]を杭につけてから,彼らはくじを引いてその外衣を分配し,
マルコ15:24 彼の外衣に関して,だれが何を取ろうかと,くじを引いてそれを分配した。
ルカ11:17 内部で分裂している王国はすべて荒廃に帰し,内部で[分裂している]家は倒れます。

どうして、ルカ22:17だけは「まわす」と訳するのでしょうね。これは意図的な誤訳ですね。自分たちの教義に合わせて、聖書を変える。すばらしい人たちですね。

なお、JWは新世界訳のことを、こう書いています。

逐語 的 な 訳。「新 世界 訳」は,自由 訳 と は 違い,自然 さ や 原文 の 意味 が 失わ れ ない 限り,できる だけ 字義 どおり に 訳し て い ます。聖書 の 原文 を 自由 に 言い換える 翻訳 で は,人間 の 解釈 を 加え たり,重要 な 詳細 を 切り捨て たり する 恐れ が あり ます。

笑ってしまいますね。新世界訳ほど、「人間 の 解釈 を 加え たり,重要 な 詳細 を 切り捨て たり」している訳は、あまりないでしょう。JWにとって、聖書とは、自分たちの怪しげな教義を権威づけるための安っぽい道具なのでしょう。

ついでに使徒2:42も見てみましょう。新世界訳ではこうなっています。

そして,彼らは使徒たちの教えと,[互いに]分かち合うこと,食事を取ることと祈りとにその後も専念した。

「食事をとる」という部分は、文字通りには「パンを裂く」なのです。字義訳なのにへんですね。これはパンを裂くというのが、キリスト教での聖体拝領を思わせるので、キリスト教を敵視しているJWが、かってに「食事をとる」に変えたものです。

それにしても、「イエスの死の記念式」が楽しみですね。イエスはエホバの証人のことをこう言っています。ルカ22:21,22

しかし,見よ,わたしを裏切るエホバの証人の手がわたしと共に食卓にあります。  人の子は,定められたところにしたがってその道を行くからです。しかしやはり,彼を裏切るエホバの証人は災いです!

#58 2018年02月09日 20:54:31

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところといえば、預言をしては外すことだと思っているでしょう。ちがいます。外れた後の、開き直りぶりです。

「洞察」の「諸国民の定められた時」にはこうあります。

「1880年3月号の「ものみの塔」誌が上述の点や証拠を根拠に,1914年が「諸国民の定められた時」の終わり(さらには,異邦人の支配者に権力が与えられた期間の終わり)であることを明らかにしたのは,注目に値する歴史上の事実です。それは,その年が来て,その年に始まる重大な出来事が起きるよりも34年ほど前のことでした。当時のニューヨークの一流紙「ザ・ワールド」は,1914年8月30日付の日曜版の特集記事の中でその点について論評し,こう述べました。「欧州における恐るべき戦争のぼっ発は異例な預言の成就となった。過去四半世紀の間,……『国際聖書研究者』は,伝道者や出版物を通して,聖書に預言された憤りの日は1914年に明けるであろうと世界にふれ告げてきた」。」

ここでは、1914年に関する預言が当たったぞ、すごいだろう、一流新聞だって、預言が成就したと認めてくれたよ、と偉そうに言っていますね。すごい開き直りぶりです。

1914年以前に、ものみの塔が何を言っていたかというと、
①.終わりの日は1799年に始まり、1914年10月に終わる。
②.イエスは、1874年に臨在し、1878年に天の支配を開始した。
③.異邦人の時は1914年10月に終わり、その後、ハルマゲドンの戦いの終わり、偽宗教の滅亡、すべての地上の政府の終わり、天と地における復活と地上の楽園が生じる。簡単に言えばそれまでの世界が終わり、新しい世界が始まる。
というものです。

1914年に、③のことが起こりましたか?起こりませんでした。ただ、ヨーロッパで大きな戦争が起こりました。これは預言には含まれません。いつものように、ものみの塔の預言は外れたのです。「洞察」の記述が、信じられないくらいの開き直りぶりだということがご理解いただけたでしょうか。

破綻した教義が新たなものになるのは、かなり時間がかかり、1940年代です。それによって元の年代はすべて捨てられました。例外は1914年です。世界大戦がはじまった1914年は歴史の大きな転換点として、捨てきれなかったのでしょう。もし、この時1914年も他の年代と同様に捨て去っていれば、今のようにエルサレム陥落が607年というウソ歴史を主張し続ける必要もなかったわけです。新しい教義では、1914年に異邦人の時の時が終わり、キリストが天で支配を開始したことになったのです。

そして、1914年を体験した世代が死に絶える前に終わりの時が来るという預言を、信者集めに利用します。

この一連の対応を、科学者であり作家でもあるカール・セーガンが「Broca’s Brain」のなかで皮肉たっぷりに書いています。

どんな内容かというと、「この世が終わるぞ!」という預言に失敗したら、これまでの宗教は、「1914年といいました?申し訳ない。2014年の計算違いでした。」というか、「私たちは人類のために神に熱心に祈りました。そのおかげで人類の滅亡は延期されました。」というかのどちらかでした。ところが、エホバの証人は、独創的な見解を表明しました。「世界は本当に終わりました。ただ誰も気づかないだけです。」と。驚きましたね。

しかし、時がたち、1914年を体験した世代が死に絶える前に終わりの時が来るという予言が外れたことが明白になると、今度は重なる2つの世代が終わった後の、不特定の時期に、しかし「まもなく」終わりが来るという、支離滅裂なバカバカしい教義に変更されたことは、みなさんご存じのとおりです。


エホバの証人に対して聖書はこういっています。箴言13:5です。

偽りの言葉を義人は憎み,邪悪なエホバの証人たちは恥ずべき行ないをして身に恥辱を招く。

#59 2018年02月14日 21:03:12

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところといえば、JWの新世界訳では、新約聖書なのにやたらとエホバ、エホバと出てくるところですね。

新約聖書にエホバやテトラグラマトン(神聖4文字)は出ていません。そのため、まともな聖書にはエホバという言葉がないのです。もっとも、啓示(ヨハネの黙示録)では、4回ハレルヤという言葉が出てきますね。最後のヤ(yah)はヤハウエのヤとされていますね。

どうして、JWの新世界訳では、新約聖書でも、エホバがでてくるのでしょうね?
ものみの塔2008年8月1日号(一般用)の「エホバという神の名は新約聖書に出ているべきか」によりますと、

「今日,新約聖書の写本は幾千も存在していますが,大半は,古いものでも原本が書かれてから200年も後のものです。そのころまでに,写本をした人たちがテトラグラマトンを「主」という意味のギリシャ語キュリオスで置き換えたか,あるいはすでに置き換えられていた写本を写したかのどちらかであろう,と思われます。」

すごーーい大胆な仮説ですね。神の名前をキュリオス(主)に書き換えてしまったので、現在5000以上ある写本から神の名前がきれいに消されたという訳です。問題はこの仮説を裏付ける証拠がないということです。名前を書き換えるとなれば、初期キリスト教会の間で大論争が起こるはずです。議論好きな人達ですから、その大論争は記録に残って当然ですが、そんなことを匂わすような文書もありません。

さらに、ものみの塔では、エホバの名前を使う2つの理由をあげます。

「(1)クリスチャン・ギリシャ語聖書は,霊感のもとに神聖なヘブライ語聖書に付け加えられたものなので,ギリシャ語本文からエホバの名が突然消えるのは一貫性に欠けたことではないか,と翻訳者たちは考えた。」

「(2)キュリオス(主)ではなく神の名を用いたセプトゥアギンタ訳の写本が発見された結果,イエスの時代にはギリシャ語の聖書の写本に ― そしてもちろんヘブライ語の聖書の写本にも ― 神の名が実際に出ていたことが翻訳者たちに明らかになった。」

まず(1)はエホバの名前を使う根拠になりませんね。「と翻訳者たちは考えた。」というのですから。話にならない。
(2)も根拠になりませんね。セプトゥアギンタ訳は旧約聖書のギリシャ語訳です。新約聖書とは関係ありません。関係ないものをあたかも関係ありそうに論じるのは、詭弁の一種です。

というわけで、新約聖書にエホバを使う根拠なんかないことがわかりますね。

一方、エホバが大好きなくせに、エホバを使わないで「主」とそのままに訳している例もあります。一貫性がないですね。それはエホバと訳してしまうと、JWにとって不都合な聖句になるからなのです。一つ例をあげましょう。ペトロ第一3:15の前半です。

「 むしろ,あなた方の心の中でキリストを主として神聖なものとし,だれでもあなた方のうちにある希望の理由を問う人に対し,その前で弁明できるよう常に備えをしていなさい。」

これは、イザヤ8:13の、「万軍のエホバ ― この方をあなた方は聖なる方とすべきであり,」の引用なのです。JWのルールなら、15節の前半は、こうすべきです。

「 むしろ,あなた方の心の中でキリストをエホバとして神聖なものとし,」

これは、JWとしては受け入れられないですよね。イエス=エホバとなり、三位一体の教えに近づくからです。都合が悪いので、ここは「主」のままになっているわけです。

新約聖書の中では、イエスが旧約聖書の神と同一視されている場合が結構あるのです。JWは、イエスは天使ミカエルとかいっているわけで、そのような聖句は大変不都合なのです。そこで、イエスを指している「主」を無理矢理「エホバ」にかえて、イエスと旧約聖書の神は違うのだとしているわけです。

ここでも、まず怪しげな教義があって、それに合わせるように聖書を変えるという、とんでもないことが行われているわけです。

新約聖書の中のエホバは直ちに削除してね。へんだよJW!!


ペテロ第一 2:8のなかで、エホバの証人について触れられています。

こうしたエホバの証人はみ言葉に不従順なためにつまずいているのです。彼らはまさにそうした結末に定められてもいました。

#60 2018年02月15日 17:32:57

とおりすがり
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

ちょっと一言さん、大変ためになります。

#61 2018年02月20日 19:55:05

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところといえば、自分に甘く、他人に厳しいことですね。

例をあげましょう。JW.orgにある、「聖書の教え」の中の「聖書の答え」をクリックします。そうすると「聖書の質問に答える」というのが出てきます。その中の「信仰と崇拝」をクリックします。「救い」という中に、「バプテスマとはなんですか」という記事が見つかります。そこにこんなことが書いています。

「 聖書 は 幼児 洗礼 を 教え て いる か

いいえ,教え て い ませ ん。聖書 に は 幼児 洗礼 と いう 概念 は あり ませ ん。教会 に よっ て は,幼児 の 頭 の 上 に 水 を 振り掛け たり 注い だり し て“バプテスマ”を 施し,洗礼 名 を 与え ます。しかし 本来,バプテスマ を 受ける 人 は,「神 の 王国……に つい て の 良い たより」を 理解 し,信じ て い なけれ ば なり ませ ん。(使徒 8:12)神 の 言葉 を 聞い て 受け入れ,悔い改める 必要 が ある の です。その よう な こと は,幼児 に は でき ませ ん。―使徒 2:22,38,41。」

なるほど。そうですか。では、つぎに2017年12月号の「ものみの塔」の“若い皆さん 「自分の救いを達成してゆきなさい」”の1節を見てみましょう。

「 毎年,大勢の聖書研究生がバプテスマを受けています。その多くは十代の人です。十代になる前の人もいます。幼い時から聖書について教えられた人もいるでしょう。あなたもそうですか。もしあなたがバプテスマを受けたなら,とても良い選択をしたことになります。」

ものみの塔では、幼児洗礼はダメだけど、十代になる前、つまり9歳とか8歳とか7歳とか6歳とか・・・はいいみたいです。実際に6歳でバプテスマを受けた人が模範的人物として「ものみの塔」に取り上げられたこともあります。幼児洗礼をしている教会を攻撃しているものみの塔ですが、自分たちのしていることとそれほど違いがあるのでしょうか。

そもそも十歳にもならない子どもが、神の王国についての良いたよりを理解し、悔い改めることが可能なのでしょうか。普通の人は、「いいえ」と答えると思いますが、ものみの塔の答えは「はい」なのでしょう。ここがへんだよJW!

2006年4月1日号の「ものみの塔」の「クリスチャンのバプテスマに関する要求を満たす」という記事の8節ではこう書いています。

「 子どもたちも,正しい理解に基づいた献身ができるのでしょうか。聖書はバプテスマに関する年齢制限を設けていません。それでも,幼児が信者になり,信仰を働かせ,神に献身することは決してできませんでした。(使徒 8:12)歴史家のオーガスタス・ネアンダーは1世紀のクリスチャンについて,自著「キリスト教と教会の歴史概説」(英語)の中でこう書いています。「当初バプテスマは成人だけに施された。人々は一般に,バプテスマと信仰とを密接に関連づけて考えたからである」。」

初期クリスチャンにみならうのが、ものみの塔でしょう。イエスだって30歳でバプテスマを受けたんだよ。小学生にバプテスマを受けさせて信者数を増やすことを考えないで、バプテスマは成人に限ったらいかがでしょうか。

というのは、ものみの塔では、バプテスマは神との厳粛な約束ですと、重大な契約と見なしているようですが、ほとんどの国の法律では、未成年者が契約を結ぶことはできないのです。日本の民法ではこうなっています。

「 第5条(未成年者の法律行為)
1 未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。
2 前項の規定に反する法律行為は、取り消すことができる。
3 略 」

未成年でバプテスマを受けたJWの皆さん、バプテスマは、日本の法律によれば、契約でもなんでもないですからね。もしそうだとしても取り消し可能ですからね。

聖書ではエホバの証人のことをこういっています。マタイ3:7、8です。

「 エホバの証人が数多くバプテスマに来るのを見かけた時,[ヨハネ]は彼らにこう言った。「まむしらの子孫よ,来ようとしている憤りから逃れるべきことを,だれがあなた方に暗示したのですか。それなら,悔い改めにふさわしい実を生み出しなさい。」

#62 2018年02月25日 10:34:44

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところと言えば、自分たちは地上の楽園で永遠に暮らすと信じていることです。楽園について聖書はほとんど何も述べていません。そのため、楽園の話になると、同じような聖句が繰り返し、繰り返し使われることになります。

そのひとつが、本来楽園とは何にも関係のないイザヤ11:6-8です。こうあります。

「そして,おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて,ほんの小さな少年がそれらを導く者となる。  また,雌牛と熊も食べ,その若子らは共に伏す。そしてライオンでさえ,雄牛のようにわらを食べる。 そして乳飲み子は必ずコブラの穴の上で戯れ,乳離れした子は毒へびの光り穴の上にその手を実際に置くであろう。」

ものみの塔の不気味な楽園イラストではライオンと子どもが一緒に遊んでいる姿が定番でしたね。「楽園で何したい? ライオンと遊びたい!」こんな会話、していませんでしたか?ここがへんだよJW!

イザヤ11:6-8が、実現するためには、今生きている生物の多くを大改造する必要があります。脳を改造し、歯や消化器官を改造する必要があります。捕食者がいなくなると、多くの生物は爆発的に数を増してしまいます。例えば、ねずみやウサギです。地上の植物はそれらに食い尽くされてしまうでしょう。それを防ぐためには、生殖に関係する諸器官を大改造する必要があります。そうなると、今のライオンとは似ても似つかない、もはやライオンと呼べない生物になってしまうのではないかと心配になります。

実は、ものみの塔もこの聖句を文字通りのものと解釈すべきか、比ゆ的なものと解釈すべきかで、揺れ動いているのです。まともな知性を持った人だったら、比ゆ的と解釈するしかないと思いますが・・・。例をいくつかあげましょう。

まず、ものみの塔2001年 9/15 “エホバの祝福はわたしたちを富ませる”では、

「そうした「霊の実」は,「新しい人格」の一部です。クリスチャンの中には,かつて飢えた獣のような特性を示していた人もいますが,今ではその代わりに「新しい人格」を身に着けています。(エフェソス 4:20‐24。イザヤ 11:6‐9)」***比ゆ的と解釈***

しかし、ものみの塔2003年 11/15 “楽園の地を信じることは可能です”では、

「動物が人間の脅威になることもありません。(イザヤ 11:6‐9)」***文字通りと解釈***

ところが、ものみの塔2004年 11/1 “今日の必要にかなう指導者はだれか”では、

「イエスはすべての武器を廃棄し,人の心から闘争心そのものを取り除きます。飢えたライオンのように他の人を襲う人や,隣人に対して機嫌の悪い熊のように振る舞う人の性向は,すっかり変化するでしょう。(イザヤ 11:1‐9)」***比ゆ的と解釈***

しかし、ものみの塔2007年 9/1 “「わたしたちの教えのために書かれた」”では、

「例えば,人間と動物とが平和な関係を持つようになることを,預言者イザヤはこう予告しています。「おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,(略)ほんの小さな少年がそれらを導く者となる」。(イザヤ 11:6‐8)何と美しい情景でしょう。」***文字通りと解釈***

しかし、ものみの塔2008年 5/15 “「神への恐れのうちに神聖さを」追い求める”では、

「比喩的に言えば,荒々しく攻撃的な言動をする人は野獣に例えられます。義の行き渡る神の新しい世に,そのような人の占める場所はありません。(イザ 11:6; 65:25)」***比ゆ的と解釈***

それでも、ものみの塔 2012年 9/15 “平和な千年間 ― そしてその先!”では、

「ですから,人間と動物が平和な関係になるという聖書の言葉も驚くには当たりません。(イザヤ 11:6‐9; 65:25を読む。)」***文字通りと解釈***

どうですか?文字通りにライオンはペットになると主張しているようですし、あれは野獣のような人が平和な人になるという比喩だよと主張しているようでもありますね。

文字通りライオンがペットになるのだとしましょう。でも動物って楽園でも死ぬんですよね。もしかわいがっていたライオンのサムソン(仮名)が死んだら悲しくて、涙が止まらないですね。でも楽園関連でよく引用される聖句、啓示21:4には、

「また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」

とあります。きっと、楽園ではかわいがっていた動物が死んでもなんとも思わないように、脳が改造されるのでしょう。

そもそも、楽園での動物って何なの?楽園というテーマパークのマスコットみたいなものなの?人間を喜ばせるために愛想よくふるまうだけの薄っぺらな存在なの?それなら、イザヤ書によると毒蛇もいるみたいですけど、毒蛇はいらないんじゃないの。さっさと絶滅させたら。地球上に存在した生物の99.9%は絶滅したんだから、エホバは毒蛇が絶滅したって気にしないでしょう。

楽園でのエホバの証人について、イザヤは65:25でこういっています。

「おおかみと子羊が一つになって食べ,ライオンは雄牛のようにわらを食べる。エホバの証人に関しては,その食物は塵となる。エホバの証人らはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない」

#63 2018年02月25日 17:17:50

ラハム
メンバー

Re: ここが変だよJW

ちょっと一言 さんの発言:

JWのへんなところと言えば、
自分たちは地上の楽園で永遠に暮らすと信じていることです。
楽園について聖書はほとんど何も述べていません。
そのため、楽園の話になると、
同じような聖句が繰り返し、繰り返し使われることになります。

わたしも長いことそのように考えてきました。
脱塔する頃になり楽園となる聖書的根拠を思いめぐらしていると、
JWが主張するような地上全体が楽園になると証明する聖句など存在しないことに気づいたのです。
特に新約聖書には全くと言っていいほどありません。
無理やりこじつけるとすれば、ルカ23章で死に際のイエスが悪行者に約束した言葉とか、
啓示21章や22章のパラダイスを想起させるような聖句だろうと思います。
パウロが述べている第三の天も含まれるかもしれません。
ものみの塔の言う楽園の希望というのは根拠薄弱ですので、
新しい信者となる人を引き付けるために創作された希望だと思いました。

編集者 ラハム (2018年02月25日 17:24:27)

オフライン

#64 2018年02月28日 20:42:19

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

JWのへんなところと言えば、前回に引き続いて、自分たちは地上の楽園で永遠に暮らすと信じていることです。

聖書のどこをどう読んだらそんな奇妙な考えが書いているのでしょうか?そのひとつは、#63でラハムさんも指摘していますが、ルカ23:43でしょう。十字架上のイエスが隣の罪人に言う言葉です。新世界訳ではこうなっています。
******
すると[イエス]は彼に言われた,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」。
*****

パラダイスが出ていますね。では、新共同訳ではどう訳しているかと言うと、
******
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
*****

かなり意味が違います。問題は、「今日」が前半に含まれるのか、後半に含まれるのかです。新世界訳以外の訳は後半に含まれます。なぜ新世界訳はそうしないのでしょうか?それはJWの教義にとって不都合だからです。

楽園は、JWの教義では、遠い未来の地球上での出来事です。そのため、今から2000年ほど前に、罪人がイエスとともに楽園にいては困るのです。「今日」は前半に含まれることにすれば、楽園は将来のこととなり、JWの教義に矛盾しないことになります。

しかし、この訳は無理があります。「あなたに真実に言いますが」という言い方は、新約聖書では、何か重大なことを言う前の決まり文句となっていて、74回でてきます。ギリシャ語では、わずか3語からなる簡単な言い回しです。

新世界訳は74回中73回は「あなたに真実に言いますが」をひとかたまりとして訳しています。ところが、ルカ23:43だけは、「今日」も含んだ、「今日あなたに真実に言いますが」と訳しているのです。なぜこの聖句だけ、それまでと同じように訳さないのでしょうか?

今言ったことがわかりにくかった人のために、ギリシャ語ではなく英語を例に説明しましょう。英文ではこうなっています。

“Truly I tell you today,  you will be with me in Paradise.(新世界訳)
"Truly I tell you,  today you will be with me in paradise." (NIV訳やほとんどの訳)

英文だとほとんど同じです。違いはカンマの位置です。新世界訳は74回中73回「Truly I tell you,」としています。しかしルカ23:43だけ、カンマの位置をずらして、「Truly I tell you today,」としているのです。なぜここだけそんなことをするのかと言えば、そうしないとJWの教義に反してしまうからです。

教義にあわせて聖書を変える。これは一貫したJWの態度です。へんだよ!JW!

それから、「今日あなたに真実に言いますが」という言い方をイエスがあの状況で言うかどうかです。それまで、このような言い方をイエスは一度もしていません。また、この特別な言い方をこの状況で言う必要があるのでしょうか。イエスも罪人もまもなく死ぬと言う状況です。つまり2人が再び会話する明日はないのです。今日しかないのです。これはわかりきったことです。わかりきったことをわざわざ言わないというのは会話のルールです。

この罪人は、42節で「イエスよ,あなたがご自分の王国に入られる時には,わたしのことを思い出してください」といっています。つまり、この世の終わりにイエスが再び現れることを信じているのです。イエスは、この罪人の信仰にたいして、彼が望むこと以上のこと、終わりの日ではなく、なんと今日、天の楽園に復活させることを約束したのです。これがこの文脈です。

楽園については新約聖書ではあと2か所でてきますが、2つとも天の楽園です。地上の楽園なんて出てこないよ。

というわけで、ルカ23:43で、イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言っているのです。JWは地上の楽園という教義にこだわっているため、まともな聖書解釈ができなくなっています。

イエスはルカ23:34で、エホバの証人のことをこう言っています。

しかしイエスはこう言われるのであった。「父よ,エホバの証人をお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのですから。」

#65 2018年03月01日 03:31:25

リッチ
メンバー

Re: ここが変だよJW

まあ、カンマの位置がどちらにせよ、キリスト教自体が危険な宗教なんですけれどもね・・・

オフライン

#66 2018年03月01日 17:16:28

ラハム
メンバー

Re: ここが変だよJW

ちょっと一言 さんの発言:

楽園については新約聖書ではあと2か所でてきますが、
2つとも天の楽園です。地上の楽園なんて出てこないよ。

というわけで、ルカ23:43で、
イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言っているのです。
JWは地上の楽園という教義にこだわっているため、
まともな聖書解釈ができなくなっています。

楽園について新約聖書で言及されている二か所って具体的にどこでしょうか。
思い当たる聖句はいくつかあるのですが、ちょっと一言さんとは
考えている聖句が違うかもしれませんので、
聖句の出典を知りたいのですが…。

カンマの打つ位置によって意味が変化するというのは
現役時代からたくさん聞かされてきています。
要するに、きょうイエスが悪行者に言ったのか、
きょう楽園にイエスと一緒にいるのかということですね。

わたしは聖書の記述を思いめぐらしてみて、
JW側の主張にいくらか分があるような気がするのです。

というのは十字架に磔になったイエスが死んでから直ちに
天に行ったとは考えにくいからです。
というのは、足掛け三日ではありますが、ペテロの話では
シェオール、いやハデスかな、に行っていたことになります。
天国だと述べられていません。
また、使徒たちの活動でも述べているようによみがえってから
40日にわたり弟子たちに現れたことになりますので、
死んですぐに天国に行っていないのではないでしょうか。
ヨハネの記録でも何日にもわたって弟子たちに出現しています。
地上近辺にいたということですね。

もちろん、ハデスと天国を往復していたとか、
天国と地上を往復していたとか主張することもできますが、
聖書に述べられている復活後のイエスの行動範囲を考えると、
往復しているという解釈は無理なような気がするのです。

ですから、一緒に十字架に磔になった悪行者にした約束は、
死んだその日にではなく、将来的に実現することだとしても、
聖書的な根拠も主張できると思うのですが、いかがでしょうか…。

決してJWに味方するわけではありませんが、
JW的に解釈し考えることも可能だろうと思いました。

編集者 ラハム (2018年03月01日 17:17:50)

オフライン

#67 2018年03月02日 11:37:11

万年研究生
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

私は常々、使っている言葉に違和感がありました。

謙遜 ⇒謙虚
緊急感 ⇒緊張感

意味的に右の語が適切だと思うのですがどう思われますか?

#68 2018年03月03日 00:14:38

くるみ
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

はい、私も右側が適切だと思います。
子どもの頃から長い間JWですが、
違和感を感じるワードは多いです。

交わり
ふさわしい、ふさわしくない
世の人
肉の兄弟

なども、私は使いたくないです。

#69 2018年03月03日 10:02:36

るみこん
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

違和感のある表現。

はげまされる、、という言葉は不思議でした。
英語の直訳なんでしょうね。

また、
おられる、というのを人間に使うのもどうなんだろう?と
姉妹が私に対してよく使っていました。

#70 2018年03月03日 10:57:36

ラハム
メンバー

Re: ここが変だよJW

「不完全だから仕方ない」という言葉が大嫌いでした。
それを頻繁に使う人間はバカじゃあないかと思ったものです。

オフライン

#71 2018年03月03日 14:31:21

元研究生
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

汚部屋に住んでる長老婦人が「研究司会者」だった。
毎回台所のシンクに洗ってない食器の山。1DKのアパートは
荷物の山でそのすべてに目隠し用の風呂敷がかけられていた。
優しい人だったけど「姉妹だらしがないんですね」とうっかり
口が滑ってしまい嫌な顔された。

#72 2018年03月03日 21:44:34

ヒストリー
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

当地帯のレッド兄弟が、他の人をつまづかせてはいけないと言っていた・・・
神山・林田「それはひょっとしてギャグでいっているのか?」と思ったけど、
話を全部聞いたら協会の黒歴史は無かったことにしようとしている感じがした。
黒歴史の例えば、子供に圧力をかけてバプテスマを受けさせてはいけないとか、2世が体験した事柄が多かった。
自分は経験してないから(##゚Д゚)イライラはなかったなー。

#73 2018年03月04日 20:22:45

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

#66のラハムさんの疑問にお答えします。

ラハム さんの発言:

楽園について新約聖書で言及されている二か所って具体的にどこでしょうか。
思い当たる聖句はいくつかあるのですが、ちょっと一言さんとは
考えている聖句が違うかもしれませんので、
聖句の出典を知りたいのですが…。


一つは、コリント第二12:1-7です。4節に
「その人はパラダイスに連れ去られ,人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉を聞いたのです。」
とあり、パラダイスが出てきます。「その人は」とはパウロのことです。パウロが第三の天に連れて行かれたといっています。

二つ目は、啓示2:5-7です。7節に、
「征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木から食べることを許そう」
とあります。これも地上ではなく天のはなしです。地上には命の木はありません。


それから、イエスは死んで、すぐに天に行って、天から地上に降りてきたというのが初期の考えだと思います。罪人とともに天のパラダイスに行ったという解釈です。

なお、福音書には、イエスがいつ復活したのかについては書いていません。死後3日目に墓に行ったら、空っぽだったとあるだけです。

そういうと、予想される反論として、パウロは、コリント第一15:4で、

「そして,葬られたこと,そうです,聖書にしたがって三日目によみがえらされたこと」

と書いているので、3日目に復活した、というのがありますが、これはホセア6:2

「二日の後にはわたしたちを生かしてくださる。三日目には起き上がらせてくださり,わたしたちはみ前で生きることになる。」

から、パウロがイエスは3日目に復活したと解釈した、にすぎないと理解されています。あるいは、「聖書に従って」とはヨナのことを指しているという解釈もあります。

#74 2018年03月06日 17:05:48

ラハム
メンバー

Re: ここが変だよJW

ちょっと一言さん、ご返事をありがとうございます。
やはり新約聖書から楽園の希望を証明しようというのは
根拠が薄弱ということだと思います。
使える聖句は少ないですし、適用にも無理があるのでしょう。

わたしがJW研究生のときから学んできたことは、
人は死ぬと無意識状態になり、どこにも存在しなくなるというものでした。
組織はその解釈をイエスが磔になって死んだときにも当てはめていました。
地上に来たイエスはただの人間でしたから、死んで一時的に無意識状態になり、
どこにも存在しなくなって、霊者としてよみがえったというものです。
当然、楽園で一緒にいるであろうと約束された悪行者も
無意識で存在しなくなったわけでした。
だから、磔になり死んだ二人が、その日に楽園にいることがない、
ということだったと記憶しています。

それでカンマに位置を都合いいところに変更して、
パラダイスにいるのが将来のことになり、
約束したのが磔になったときになったのです。

この解釈にはちょうど良いことになります。
JWの聖書解釈ではカンマの位置に無理がありません。

いまのわたしにはどうでもいいような教えですが、
ちょっと一言さんの書き込みを読ませてもらい、
思い出したことをつづってみました。

引き続きちょっと一言さんの書き込みを楽しみにしています。

オフライン

#75 2018年03月06日 21:12:15

ちょっと一言
ゲストユーザー

Re: ここが変だよJW

知り合いのエホバの証人に質問をしてみました。質問はこうです。

「使徒6:1,2に、こうあります。

さて,そのころ,弟子が増えていた時であるが,ヘブライ語を話すユダヤ人に対してギリシャ語を話すユダヤ人がつぶやくということが起こった。そのやもめたちが日ごとの分配の面で見過ごされていたからである。 そこで十二人の者は,大勢いた弟子を自分たちのもとに呼んで,こう言った。

質問です。さて使徒たちは何と言ったでしょうか?」

代表的な回答はこうでした。

開拓者歴40年を誇る60代、腰痛持ちの姉妹。夫は1年前にがんで死亡。
「『エホバを待ちましょう。』じゃないですか。それ以外考えらえません。」

次は、20代のエホバの証人3世で、無気力・無表情の姉妹。眉毛がない。
「『不完全だから。』その一言ですましたと思います。」

その次は、30代主婦、研究歴2年目。非常に無口。
「よくわかりません。たぶん、『はげまされます』、じゃないですか。『エホバね』かもしれません。」

その次は、20代男性、2世の奉仕の僕。親と同居。職業不詳。持っていたタイトパンツはひそかに捨てた。
「疑問があるときは、組織の出版物を見てください。私の口からは答えられません。」

最後に、50代長老、職業不詳。好きなことは酒を飲むこと。
「『背教者だ。排斥する。』と全員に言い渡したと思います。これが正し組織の在り方です。」


さて、正解した人はいたでしょうか?
いるわけないよね。答えを知りたい人は聖書を読んでね。JWのみなさん、初期のクリスチャンを見習いましょう。

こんな答えをするJWは、へんだよ!

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