#76 Re: 親睦・相談 » 初めて投稿します。 » 2018年03月27日 10:18:04
#77 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月26日 21:16:07
Takさん、コメントありがとうございます。全てを「腑に落ちる答え」として読ませていただきました。
エホバの証人に対して文句ばかりを連ねるわけでもなく、まして不平を並べるわけでもなくこうした思いを伝えてくださることに敬意を表したいと思います。
さてこうなると私自身の別観点からの正直な思いも整理しなければならないですね。やってみます。
私も冷静になってみれば信仰など初めからなかったのだと思います。むしろ「終わりが間もなく来る」と主張するJW の主張に乗っかってみようか、という感じに近かったですね。自分が犠牲にしなければいけない時間や思いをある程度見極めながら、無理することなく乗っかってきたのだと思います。なので正規開拓は考えたこともありませんし一度もしたことがありません。
結構自由気ままに言動を取っていました。研究生の時も、司会者はほとほと手を焼いたと思います。司会者は3回変わって4人に及びました。全員長老でした。研究生の期間も長い方だったと思います。足掛け5年だったでしょうか。
奉仕の僕になるのにも時間がかかりました。「こうすれば僕に推薦できる」と言われても「そうですか・・僕は別にいいです。」みたいな態度を取っていましたから。でも引っ越して会衆が変わって僕になってから色々責任が増えてきました。
周りに対しては常にどこかで「この人たちはやっぱり変わってるなあ・・。共感できる部分はないなあ。」と冷めた目、冷めた態度でを持っていました。家内からも時あるごとに「あなたがエホバの証人であることが不思議だ」と言われてもいました。まあ周りの長老や巡回監督に媚びを売ることもなかったですし、私自身規格外(Out of Standard)な存在だったと思います。
そして・・・誤解を恐れずあえて表現するならば、そもそもが「ギャンブル」みたいなものなのです。終わりが間も無く来る? 聖書の真理は絶対だ? エホバの証人は唯一の神の組織だ? 復活があり楽園がある、今の世の中においても霊的な楽園を享受できる? わかった、そこまで言うなら乗っかってみようじゃあないか。その報いを得るために差し出さなければならないのはある程度の思いと時間だな? 結構。
で、自分の時間と思いを掛け金のように差し出してのギャンブルがスタートしました。掛け金が無駄になるか、ジャックポットを引き当てられるのか、これは誰にもわかりません。
こんな感じでしたね。なので基本としてはこのギャンブル感覚を継続させればいいわけなのですが、今何で色々悩んでトラブっているのか?
ギャンブルのディーラーがルールを変えてきたこと、ディーラーが不正をしていることが見えてきたこと、ギャンブルそのものが崩壊してきたと感じたことと、「実家の家族の死(自殺)」です。(この出来事は自分の人生観(?)を根底から揺さ振りました。)
今はギャンブルのディ−ラーのイカサマを指摘したい思いなのです。
と同時に「放蕩息子の例え」も検証してみようという皮肉たっぷりの思いもあります。組織からしばらく離れ、集会にもいかない、誰にも会わない、でも罪を犯すわけでもない・・・・期間はわかりませんがこの状態をしばらく続けた後、その時に住んでいる地元の集会にひょっこり顔を出す。さてどうなるか。放蕩息子が帰ってきたように迎えられるのか? それとも敬遠されるのか? 見てみたい思いがすごくあります。なので家内には「ここはしばらく放蕩させてもらう」という言葉でも話しています。
いつものように大幅に脱線してしまいました。しかし、Takさん、コメントに感謝いたします。自分の思いが日を追うごとに整理できてきていると感じています。
#78 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月26日 12:22:01
Takさん、コメントありがとうございます。
>> 集会や出版物はそういった心のモニタリングをさせないための仕掛けがちりばめられている。
おっしゃる通り色々な仕掛けがあると思います。組織の構成や大会、巡回大会、巡回訪問、牧羊、正規開拓、補助開拓、奉仕時間の報告等々、全てが仕掛けだと思います。「集まること」や「宣べ伝える」ことが一世紀当時行われていたことは聖書に記されているにしても、あとはほぼ全て(家から家の伝道も含め)エホバの証人が独自に考案したシステムです。全て仕組まれた仕掛けと言って過言ではないと思います。
>> 頭で考えていることと、心で感じていることのミスマッチが続けば心身の不調になる。
本当そうですね。多く証人は心に蓋をしているのでしょうか? 蓋を仕切れない人が心を病んでしまうのでしょうか? 辛いでしょうね。でも自分の心の声に耳を傾けてしっかりと頭を働かせれば色々な矛盾や問題が見えてくるはずです。であるなら、「心に蓋をし、かつ頭も働かせない使わない」のが問題意識を持たないエホバの証人なのでしょうか・・・。
>> 協会の出版物は突っ込みどころは満載ですが、深く研究したり議論するには内容が薄すぎです。
これもご指摘の通り! 内容がほぼないので「お題」としてしか使えないですね。
Takさん、ここまで自己考察が及んでいるにも関わらずTakさんがエホバの証人として留まれる秘訣は何でしょうか? 誤解しないでください。皮肉とかではないです。もしそこに秘訣というか何かあるのであれば、私がその方法によって家内との夫婦関係を維持できるのではないと思ったゆえです。
#79 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月25日 22:57:22
今日も家内は集会へ、私は家に、という感じでした。
公開講演では筋書きからの話を時にはロボットのように、時には得意がって話すのを聞かされ・・・、ものみの塔の討議では、記事を朗読し、質問し答える。でも実際には「はい質問です・・。ここにはなんと書いてありますか?それが答えです。」「はい、ここには・・・と書いてあります。」「はい正解です。次に進みましょう。」のような進行です。そもそもこのやり取りは討議なんてものでは決してありません。自分の意見を挟むことは良しとされません。全くもって茶番です。大の大人がこんな小学生のような茶番に真剣に参加しているのは滑稽です。言い過ぎでしょうか? ちなみに私はものみの塔の司会を通算で約7年間していました。集会での茶番の司会者でした・・・。(悲)
ものみの塔の記事を実際に使って、節ごとに自由に心からの思いと意見をぶつけ合う「討議」ができたら面白いでしょうね。突っ込みどころ満載ですから、集会では避けて通っていたポイントが浮き彫りになるでしょう。オンラインでの「ものみの塔」記事バーチャル討議・・・あれば参加します。茶化すためではなく真剣に討議するために。
(注)討議 ー ある事柄について意見を述べ合うこと。「討議を重ねる」「対策案を討議する」
#80 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月25日 11:03:59
エホバ松蔵さん、コメントありがとうございます。
ハンドルネームの由来、なるほどと思いました。ご説明いただき感謝します。
横道に逸れますが、私もエホバの証人独特の語彙が好きではありません。「エホバを待つ」、「エホバのご意思」、何かあれば「エホバだね〜」・・・等々です。いや正確に言えば単に好きではない以上ですね、生理的にダメです。そうした言葉を使ったこともないですし、聞くのも嫌です。
「潔癖」についても納得です。確かにそうかもしれません。
不器用ゆえに損な目にも多くあっています。例えば、放っておけばよい他人の揉め事を見て見ぬふりができずに言葉を挟み、気が付いたら自分が揉め事の当事者になってしまっていたり。正義を振りかざしているつもりは全くないのですが、そのような経験は多くしています。これらは世渡りの不器用さゆえだと思っていましたが、潔癖さも関係していたのかもしれませんね。
また私の家内との会話に関してですが、一つの事象に対して違った見方があるというのも事実でしょう。どちらが正しいとも間違っているとも言えないと思います。各自の知識・経験・考え・信条・・・はすべて異なりますから、全く同じ観察結果に至ることの方が稀なのかもしれません。私にとってはどちらのご意見も貴重なものです。ありがとうございます。
エホバ松蔵さんのコメントからはプロフェッショナル感をすごく感じます。プロのカウンセラーのような・・・実際にカウンセラーに接した経験はないのですが・・・。相談者に近づきすぎず、かといって離れすぎることもなく絶妙の距離を維持しながら、厳しくもあり時には肯定もし・・・なんか重厚感を感じます。にもかかわらず、「エホバの証人の女が大嫌い」という立ち位置とコメントのギャップが興味深いです。全くの私見ですが。
>>自分が生きたいように生きる、これが一番幸せな生き方です。その結果が悪くても、自分の生きたいように生きた結果なら、納得できるでしょう。たいていの人はそのようには生きられないのですが。
この言葉も重いですね。本来であれば「自分の生き方以外の生き方をすることは無理」だと私は思っています。一つ前の私のコメントはアップ後しばらくして(誤解を招く心配を感じたため)内容の一部を削除しました。そこには実家の家族に死について書いていました。閲覧カウンターを見ていましたので、何人かの方には削除前にその部分も読んでいただけたかと思います。身近な人の「死」を目の当たりにすると、死だけではなく生について、ひいては「生きていること」について考えることを強制されます。(考えない人も中にはいるかもしれませんが・・・)考えのいく先は「自分は自分でしかない」であり「生は有限である」というものでした。
すみませんまた横道に逸れました。しかし、この点においてもエホバの証人が唱える聖書の解釈と「人生の目的」とは相容れないと今改めて気付かされました。きっと「一部のエホバの証人」は生きたいように生きているのかもしれません。その他多勢に関してはなははだ疑問ですが・・・。
#81 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月24日 21:55:36
Takさん、追記です。
ご自身のことを書いてくださりありがとうございます。そうした記述が親しみと共感を得るために肯定的に働くのは私にとっても同じです。
私も集会を楽しんだことは一度もありません。集会での他の人の祈りを聞くときその中に「この楽しい集会・・」という表現があったときには、心の中で「そんなことない・・」とツッコミを入れていました。同意していないわけですから祈りの後「アーメン」とは言えないのも仕方ありません。確かに言ってませんでしたし。
大会も同様です。あんな苦痛を強いられる時間は楽しいわけがありません。先日話し合いの中で家内に言われました「ずいぶん前だけど大会で体調を崩し救護室で寝ていたことがあったよね。やっぱり違和感とストレスを感じているんだな、ということははその頃からわかっていた。」と。ほとんど忘れていた記憶がそれで戻りました。確かにそんなことがありました。幕張メッセでした。昔の話です。
奉仕も楽しかった記憶は皆無です。義務以外の何物でもありません。「真理は自由にする」と言っている割には不自由だなあ、楽しくないなあ、なんか違うぞ・・・という思いは当初からずっとあったわけです。
しかし、時が経つにつれ僕になり、長老になり、奉仕監督になり、運営委員として大会に携わり・・・いろいろとしました。でも今思えば「心そこにあらず」でしたね。
疑問を持ちつつも証人として証人との付き合いは続いていたのですが、まあ徐々に心的体力も落ちていき他の人に任せるようになっていきました。
#82 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月24日 21:08:55
エホバ松蔵さん、
自分は潔癖だとは思っていません。むしろ不器用な変人です。B型ですし。
なので周りがこうだから自分も・・、という風にはできません。音楽も映画も流行にはわざと目を背ける性格です。好きでもないのに「自分も好きだ」と言って仲間にしてもらおうとは昔も今も決して考えません。故に、「自分が納得したい」となってしまうのでしょう。ジタバタしているのはそうした面倒な性格故なのです、きっと。
そうはいっても自分たちがしている事を肯定してもらえるのは、嬉しいものです。ありがとうございます。
今しばらくジタバタしつつ、決して急がず、私のそして私たちの方法で双方が納得できる結論を見つけていきたいと思います。もちろん皆さんの引き続きの助言やコメントを糧とさせていただきながらです。冷静さを取り戻し、違った角度から俯瞰する為の大きな助けになっています。
ところで全く話は変わりますが、こうしたフォーラムで用いるハンドルネーム、ユニークなものが多いですが、皆さんどのように決めておられるのでしょうか? そのネームには何らかの思いやメッセージが込められている場合もあるのではないでしょうか? もちろん全てがそうとは言いませんが・・・。
私が用いているJayというのは特に意味はありません。ただ好きなミュージシャンのファーストネームを拝借しているだけです。
で・・・エホバ松蔵さん、そのハンドルネームを用いられた理由ってお伺いしてもよろしいでしょうか? 私には「エホバ待つぞう」に見えたのです。見当違いでしょうか? 「エホバの証人の女が大嫌い」と書かれていたので間違いだとは思います。でも、もし女性だけではなくエホバの証人全般が嫌いなのであればネームにエホバという名前を含めることも躊躇すると思うのですが、何故? すみません、アドバイス頂いているのにこんなこと聞いてしまい申しわけありません。変人の戯言としてスルーしてくださって結構です。お詫びいたします。
#83 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月24日 18:48:08
Takさん、ありがとうございます。
ここまでお時間を取っていただきアドバイスをくださったことに感謝いたします。
おっしゃっていただいたこと、本当に気づかされることが多くあります。相手に対して自己中心的だと言いながら、実のところは自分自身が自己中心的である事、何事も一線を引いて白黒つけるのではなくふさわしい落とし所があるはず、という事などです。
Takさん御夫婦のお話をしてくださった事もうれいい限りです。ありがとうございます。
前のコメントにも例えで書きました、自分の中には何人もの異なる自分がいて意見をぶつけている、と。本当にそんな感じなんです。中には極端な意見をいう者がいたり、いやまあまあと取り成す者がいたり、性急な者がいたり冷静な者がいたり、と言った感じです。ですのでTakさんご指摘のポイントとアドバイスに「その通りだなあ」と感嘆している者もいるわけです。
自分の中のある者はこのように考えています。
「ビジネスの商談や交渉ごとにおいてははじめから妥協案を提示する事は賢くない。相手の提示案、こちらの提示案、話し合いによってその中間点に合意点を見つけるのであれば最初に提示する案は極端であって良い。話し合いはそこから始まる。」(もちろんバーチャルな極論です)
これによると、離婚する、全てを断ち切る、というのは交渉の席に最初に持ち出す案なのかもしれません。対して相手は、証人であり続ける、離婚もしたくない、です。話し合いはこここからです。
Takさんのアドバイスは中間点、合意点を見つけるのに大変参考になります。
今思っている事は、まず自分自身がエホバの証人との関わり方及び立ち位置を「極論的にではなく実際的にどうするのか」を理論的にも感情的にも整理していかなければならない、という事です。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではダメですね。ましてやこれを家内に当てはめるのは乱暴ですね。家内に申し訳ない思いです。
Takさん、ご面倒でなければこれからもコメントいただければ嬉しいです。このフォーラムでTakさんや皆さんと交流がもてる事を本当に貴重で有意義であると感謝しています。
頂けるコメントで冷静になる事ができています。決して性急にならず刹那的な決定をする事のないように時間をかけたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。
#84 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月24日 17:58:20
エホバ松蔵さん、初めまして。
貴重なアドバイスありがとうございます。
ご指摘の「経済的課題」は離婚を実行する上で解決しなければならないものであることは双方とも認識しています。なので離婚という方針が決定したとしても今すぐにということは無理でしょう。準備期間が必要だと思っています。
だらだらと今の状態を継続させるのではなく、方針が明確になればそこに向けるのではないかと・・・、行くべき方向に向けてギアを入れ舵を切れるのではないか、という意味で「さあこれから自分たち二人はどこに向かう?」という話し合いでもあるわけです。「経済的課題」の対処法も含めて。
いずれにせよ後悔ない決定をしたいです。離婚するにせよしないにせよ。「後悔しない決定」など無理な願いであろうこともわかっています。そんな理想論を掲げても実際の人生や生活においてはそんな理想論などほぼ通用しません。
同時に私たち二人が今おこなっていることの一つは「思い出の品を一掃する」ことです。皆さんにはとても奇妙に映ることだと思います。しかし当人は真剣です。どういうことかと言いいますと・・・。
結婚してから今までの歴史を一度清算しよう。写真や物などすべて処分することによって、結婚した時、何も持っていなかった時の状態に立ち返ってみよう。スタートラインにもう一度立てるかもしれない。結婚生活を続けるのであれば、「継続」ではなくて「再スタート」しよう。もちろん記憶を消すことはできない、であれば記憶だけで十分じゃないか、モノなんて必要ない。
そのスタートラインにもう一度立てた時、「一人はエホバの証人、もう一人はそうではない」という状態で二人の歴史を新たに作っていけるかもしれない。
このアイデアは「一度離婚して他人となった後、もう一度偶然街で出会って付き合いが始まり結婚したいと思ったら本当のやり直しができるのに・・」と話し合った時に出たものです。それをバーチャルにはありますがトライしてみよう、となったわけです。
不思議なものですが写真や物を処分する過程での寂しさは感じますが、処分してしまうと何か思いが軽くなった気がするんです。家の中の物が少なくなっていくと荷が軽くなる感覚さえ覚えます。結婚指輪も処分しました。本当に生活必需品と仕事に必要なもの以外は処分しました。家内自身も「物は所詮物なんだね」と言っています。ということは思いにおいては大きくは変わっていないのかもしれません。記憶はあるわけですから・・・。しかし、いろいろと絡みついている余計なものを削ぎ落としたところでじっくり話し合い考慮することは意味があると私たち二人は考えています。
アドバイスにあった別居のことも話し合っています。なのでこの「物処分」は、文字通りの別居をする前の段階としての家庭内別居、家庭内別居する前の段階としての「物処分」です。
奇妙な行為ではありますが、効果はあるようです。確かに思いに影響が及びますから。離婚しないのであれば少なくとも過大な忍耐を苦しみを伴うものにしたくはない、そうしないための苦肉の策です。「何を馬鹿なことしているのか」というツッコミは覚悟しています。でもやり直そうとなった時に指輪を買い直すのって悪くないと思いませんか?
#85 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月24日 06:49:01
#86 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 21:56:45
Takさん
アドバイスありがとうございます。
「エホバの証人に関連する事柄全てを切り落としたいので、そのためには離婚しかないのかと・・・。」おそらくこの言葉を極端だというように理解されたのだと思います。その通りだと思います。極端です。エホバの証人が家の中から悪影響を及ぼすものを一掃したり、世の人と交渉をできるだけ持たないようにしたり・・と同様の極端さなのかもしれません。しかし、例えばタバコをやめたい人、麻薬をやめたい人、悪習慣を断ち切りたい人・・・時間がかかるにせよそうした人たちがしなければいけないのは「全てを絶つ。そばに置かない。近寄らない」ことではないでしょうか?
実は書き込もうとして削除した文があります。このようなものでした。
「非信者のご主人たちは証人の奥様達とどのような思いで接しているのでしょうか。どのように気持ちの整理をつけて夫婦関係を継続できているのか聞いてみたいです。」
でも削除しました。理由はやはり私の立場とは大きく異なると思ったからです。ご主人たちの中には集会や大会に行ったことが方もおられるかもしれませんし、研究もされたかもしれませんがエホバの証人と深く関わっているわけではないでしょう。対して私の場合は約35年どっぷりと浸かっていたわけです。なので家内の言動や思いの動きがどのようにエホバの証人の教えに基づいているのか分かってしまうのです。
この状態ではエホバの証人と距離を置くことや関係を絶つことができなくなってしまうと感じているのです。家内の言動の背後にある事柄を思い巡らしてしまうということは彼らの教えを思い巡らすということにになってしまうからです。今既に相当なストレスを感じています。
私:「今は思いが高ぶっているので離婚を望んでいるとしか言えない。分からないがもしかすると時間が経てば夫婦生活を継続するに必要な忍耐ができるまで自分の思いが落ち着くことがあるのかもしれない。しかしそうだとしても程度の違いはあれ忍耐が強いられ続けることに変りはない。あなたは僕がその忍耐をし続けることを願うのか?」
家内:「あなたを苦しませることは望まない。幸福になってほしい。離婚も考えなくてはいけないのかもしれない、でも離婚はしたくない。どうしていいか分からない・・・。」
私:「僕も離婚したいわけではない。でも離婚しないということは心離れた状態でエホバの証人のそばに居続けることであり、忍耐し続ける覚悟をしなければならないということ。それを譲歩とするならば、あなたはどのような譲歩をしてくれるのか?エホバの証人であり続ける、離婚はしたくない・・・そこにどのような譲歩があるのか? 一方は忍耐し、他方はほぼ現状のまま。これはフェアではないのでは? 夫婦というのは一方の犠牲の上に成立するものなのか? それはなんかおかしくないか?」
家内:「おかしいと思う・・・。」
あくまでやり取りの一断片にすぎませんが、Takさん(そして皆さん)ならこの後どの方向へ話し合いを進めどこに落とし所を見つけようと思われるでしょうか? 私自身色々なシナリオを想定し、まさに押したり引いたりしながら落とし所を模索しています。
#87 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 14:28:07
#88 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 13:52:25
#89 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 12:26:36
#90 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 10:00:11
てつてつさんも大変そうですね・・・。お察しいたします。
共有すべき「心」が無くなればもう実質においては夫婦ではないです。子供がいればその責任が関わってきますが、それもないですし。果たしてそれでも一緒にいれるかどうか・・・今はまだわかりません。難しいような気がします。
証人故に現状で離婚に同意してくれないのであれば、私が家を出て完全別居するか、いっその事、わざとDV等の問題でも引き起こして証人としての離婚成立の必要条件を満たしてやろうかなどとも考えてしまいます。
もしくはてつてつさんのように証人と夫婦であり続けるという精神的譲歩を自分ができるようになるのか、冷めた心で果たして達観できるかどうか・・・。また忍耐を続けなければならないのかと思うと、ため息が出ます。
難しいです。一般社会での他人から見ると単に「ぐずぐず言ってないで離婚すれば?」なのでしょうが・・・。
#91 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月23日 09:09:16
このトピックの最初で「家内(エホバの証人です)にも思いを正直に全て話し始めました。もちろん行き着く先として離婚も覚悟です。この歳(57)になって今更という思いももちろんあります。」と書きました。
私はもうエホバの証人としての道を歩むことはないでしょう。しかし、家内は留まるようです。ずっと話し合っていますが、その思いは揺るぎないようです。まあこれは個人の決定ですから仕方ありません。では夫婦としてどうするか、です。
エホバの証人としての信条と行動は日々の生活全般に影響を及ぼします。ということは生き方において私たち二人は既に「全く別の方向を向いている」ことになります。さらに言えばエホバの証人と縁切りしたい私は、家内がエホバの証人である限り「家内とのつながり」も切らなければ本当に切れたことにはならないとも考えています。家内個人に対する恨みはありませんが、その内面を支配するエホバの証人としての部分はやはり受け入れ難く感じています。幸か不幸か子供はおりませんし、親族との関係を考慮する必要もありません。「あなた個人(もしくは夫婦二人の)問題でしょう。」と言われれば全くその通りです。その通りなのですが・・・難しいです。離婚について既に話し合い始めました。分かってはいたことですが、証人の「離婚観」と対立しています。この対立の中に折衷案はないようにも思えます。
夫婦でありながら夫婦ではない、共有すべき「心」がそこにはもうないように感じています。これから落とし所を探さなければなりません。この先エホバの証人である家内と共に残りの人生を過ごすのか、(この歳で今更ながらですが)一人に戻って自分と向き合うのか・・・。どちらにせよ辛い道だと思います。正念場です。
#92 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月22日 21:27:00
#93 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月22日 21:03:19
#94 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月22日 20:43:58
Takさん、
アメリカから来た「Watchtower」。そうですねきっとキラキラしたものに見えたのだと思います。
アメリカは移民による多民族国家ですので、自由と多様性がある背景として「異なる民族の多様性を尊重する」というものがあると思います。(KKK等のの排他的集団は例外とします)それによってバランスを保っています。個人の特異さも様々なシーンで認められます。ですから自分の宗教に意見された場合でも、None of your business(あなたが関わることではないでしょ)の一言で、だいたいはOKと言って引き下がってくれます、もちろん個人差はありますが・・・。色々な意味で(良くも悪くも)個人主義国家でもあります。故に日本人感覚では「ありえない!」と思うような事柄が起こるのも事実でしょう。
これが宗教界でも起こってしまっているのではないでしょうか?例えばテレビで宗教的な話をし寄付を求める。「寄付をすればあなたは救われます」と言ってお金を集め富豪になる。こうしたことも当たり前に成立しています。週中何を行っていても週末に教会に行けば全てチャラになる、救われる。というのもあるでしょう。もちろんそこでも寄付が集められます。多くの場合教会の代表者は金持ちです。アメリカにはそういう一面もあります。あくまで一面ですが。
故に、私たちの知らない奇異な宗教グループがアメリカにはまだいくつも存在しているのではないでしょうか?乱暴なくくり方ではありますが、ものみの塔もそのカテゴリーのひとつかもしれません。
#95 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月21日 12:59:43
ささらほーさらさん、興味深いコメントありがとうございます。
「悩んでいる自分」「苦しんでいる自分」を
もしかすると「楽しんでいる?」と感じざるを得ない場合も多々あるようです。
随分と昔の話になりますが、元宣教者のある巡回監督が私に言ったことを思い出しました。「日本のエホバの証人はクリスチャンとはいえ、仏教の考え方や文化習慣に依然深く根ざしているように思える。苦労し、忍耐することを修行をしているがごとく美徳と捉えているようだ。」と。
極めて乱暴な言い方かもしれませんが、日本で生まれ育った日本人はやはり日本人。欧米人には成り得ません。キリスト教が欧米の宗教なのかというと、その発祥やルーツ故にまた新たな議論の種になってしまいますが、それはさておき・・・、「日本人故に辛く苦しい状況に置かれている自分にある種の価値観を見出している」のかもしれません。忍耐を良しとし、自分は頑張っているという根性論もあるのかもしれません。いずれにせよ欧米の根本にあるキリスト教文化が日本にはないということは確かなはずです。ましてやものみの塔は米国発祥です。日本人のメンタリティとは相容れない部分も少なくないはずです。少し話が脱線してしまいました。すみません。
先ほどの巡回監督の言葉には続きがあります。
「なので若い人にはどんどん世界を見てほしい。そこにしばらく留まり経験してほしい。そしてそのあと日本に帰国しその得た経験を分かち合ってほしい。それで日本のエホバの証人は変わっていくと思う。」というものでした。しかし巡回監督の読みは甘かった・・・。現実は「海外経験を得た帰国組の証人は地元の保守的な人たちには受け入れてもらえず、また新たに苦しむ証人を生み出してしまう。」のです。
日本人はいつまでたっても日本人、いい意味でも悪い意味でも日本人。自分たちの文化習慣を崩したくない、既得権とでも言いたいかのような立場や環境を変えたくないのでしょう。そこにまともな人が太刀打ちしようとしても「多勢に無勢」、所詮負け戦です。
#96 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月21日 01:03:20
Takさん、コメントありがとうございます。
その通りですね。エホバの証人に対して取るスタンスはそれぞれで全く異なるでしょう。理由も含めてそう言えると思います。でも各自の基本スタンスは大きく変化せずとも細かな思いは日々変わるかもしれません。そのように悩み考え、思いを巡らす時にこのようなフォーラムは有意義だと思います。
それも含めて個人研究(Personal Study and Research)であり「何が真理」かを模索し探求し続ける方法のひとつと言えるでしょう。
エホバの証人の組織が用意したテキストブックのみを使って、エホバの証人の組織が用意した質問を用いて、エホバの証人の組織が用意した答えを節から答える。このような偏ったプロセスは洗脳手段とほぼ変わりないと思います。
Takさんがおっしゃるように自分が取るべきスタンスに関する共通の答えはないと思います。しかし、各自が問い続ける疑問に対する答えはどこかにあるかもしれません。しかしながら、ある人はその答えを見つけることを無意識に恐れているケースがあるかもしれません。疑問はあるが答えはいらない、知りたくない、のかも・・・。そして、そういう思いと状況それ自体が「取るスタンスと疑問に対して(実のところ)欲している答え」なのかもしれません。
その結果として「現状維持」、すなわち「悩み続ける状態の継続」が生まれるのでは?
なんか抽象的ですみません。
#97 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月20日 13:18:54
Takさん、初めまして。よろしくお願いします。
このように聞いたことがあります。「エホバの証人も世から掬い取られた人たちなので、掬い取ったその中のいい人・悪い人・変な人の比率は世に見られる比率とほぼ同じ」と。
いい人が必ず含まれているという意味では真であるとは思いますが、後にほぼすべての人が「新しい人格」によってねじ曲がっていく、そして「変な人」に変格した人たちが多くなる、その時点で比率は崩れています。それがエホバの証人の中身だと思います。
「新しい人格」は身につけるものなので実のところ中身は何ら変わっていないでしょう。にもかかわらず表面では善人ぶった行動をとります(偽善ですね)。しかし、その体裁と中身のギャップをとこかでつじつまを合わせながらやりくりしていかないといけない、でないと完全な二重人格であり偽善者です。しかしこの「やりくり」が心に歪みを生むと考えます。そしてまともな人ほど苦しみます。まともな人といえども「エホバの証人としての新しい人格」を身につけなければなりませんからその「ギャップとのやりくり」の必要性を必ず認識するはずです。故にそこに疑問を持ち始め、そして苦しみます。
他方、もともとまともではない人は疑問視することも認識することもなく二重人格・偽善者の道をただただ進みます。そして本当の自分と体裁としての自分を恥じることなく使い分けつつ、やがて奇妙な形でブレンドされていく。無意識であっても必ず存在する人格ギャップの違和感とストレスを「エホバの証人としての舞台」でガス抜きしていくんです。結果としてねじ曲がったキテレツなエホバの証人が生まれる・・のではないかと考えています。
組織は人の人生に非常識さを持って関与し、洗脳し、バステスマの時に二つの質問に「はい」と答えさせます。そして「はい」と答えた瞬間から、「はいと言いましたね?では今後起こるすべての事柄はあなた自身の個人責任です。」となるわけです。
数年の聖書研究でそんな責任を合わされる覚悟ってできるものでしょうか。まず無理でしょう。ましてや二世の子供達にはほぼ不可能なことだと思います。そして今後の歩みが「個人責任」を伴うことを説明されたり教えられたりしているでしょうか? 否だと思います。組織としては、自我が生まれる前に、言い換えれば組織に疑問を持つ前に個人責任を押し付けてしまいたいわけです。
本人が組織の奇妙さに気づいたときには時すでに遅し。その疑問を顕在化させれば反逆者・背教者のレッテルを貼られることになります。そしてそれを恐れる恐怖心・罪悪感をあおることにより封じ込みます。封じ込まれればその不満とストレスをどこかで発散し、バランスと取ろうとします。自分も我慢したのだからお前も我慢しろと言わんばかりに、他人をも押さえつけ封じ込みます。これでエホバの証人のグループが完成です。
このバプテスマの直前に二つの質問に他人の面前ではいと答えさせることが、エホバの証人が考案した人を操作するシステムの基となっている思います。
#98 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年03月19日 20:36:40
ささらほーさらさん、初めまして。よろしくお願いします。
さて、鬼太郎さんもおっしゃっていますが、集会や大会で話をする場合、筋書きが与えられます。このような内容の話をこのように展開しこの結論で終えるように、という指示です。大会の場合、時には全文原稿を渡される時もありました。
さて、筋書きの場合ですが「自分の考え(教理に関してではありません)」や「思い」をその話の中に入れられるでしょうか。本筋からそれなければ多少はできるでしょう。しかし、例えばです。「終わりは間もなくきます」と話すような指示があるにも関わらず、自分は「まあ自分が生きている間には来ないだろう」と思っているとします。でも「間もなくくる」と話さなければいけない。これは苦しいです。聴衆に対して「思いとは裏腹の嘘」を話さなければいけないからです。出張講演などで集会後に感謝の言葉を多くの人からかけられることがありますが、これも苦痛でした。正直な思いとしては、話し終えた後すぐにその場から離れたかった・・・。自分がした話にも関わらず「話の責任を取りたくない」思いと言えばいいのでしょうか・・・、少なくとも「私に注意を向けないでほしい」と強く案じていました。中には得意満面でそうした「自分に向けられる関心」を当然のこととでも言いたげに楽しんででいる輩もいましたが、理解できませんでした。
エホバの証人に対しての疑問が膨らみ苦しみ始めた時に、エホバの証人になるように、もしくはさらに進歩するように働きかける目的で講演を扱う責任がある時はさらにそう言えます。「よく考えたほうがいい。僕は勧めない。」と思いながら逆の話しをしなければならない辛さ・・・。
分かっていただけるでしょうか?
エピソードについてはおいおい、「お題」を頂ければ話しやすいかもしれません。