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#1 2018年03月19日 11:09:00

Jay
メンバー

遅すぎることはないとの覚悟を持って

バプテスマを受けてから30年、長老経験も17年、体を壊して長老を降りて5年・・・、ここ数年悩み、考え、調査をし続けた結果、エホバの証人とは距離を置くことに決めました。
思うように集会に行けなかった期間は3年になりますが、最近は「行けない」ではなく「行かない」ということに決めました。

やはり「彼ら」は普通ではない、と言うより異常です。
気づいてはいたものの思いに蓋をし続けていたんですよね、そして最近まで悶々と・・・。でももうやめました、家内(エホバの証人です)にも思いを正直に全て話し始めました。もちろん行き着く先として離婚覚悟です。この歳(57)になって今更という思いももちろんあります。社会復帰も容易ではないでしょう。しかし「遅すぎることはないとの覚悟」を持って自分を貫こうと思っています。

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#2 2018年03月19日 11:24:59

てつてつ
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

jayさん 書き込みありがとうございます 気づかれてよかったですね 決して遅すぎることはないと思います 自分のサイトです

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#3 2018年03月19日 11:54:40

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

てつてつさん、貴殿のサイト拝見しました。また全てを読んだわけではありませんが、共感できる部分が多々あります。じっくりと読まさせていただきます。
献身とバプテスマに至った経緯理由も人それぞれであるように、断絶や自然消滅の理由も様々でしょう。私の場合、距離を置いて初めて見えてくることもありましたし、自らが目を背けていた部分を直視できるようになったこともありました。で、冷静になってそれらを熟考した結果です。

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#4 2018年03月19日 16:25:11

鬼太郎
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん その勇気は素晴らしい 応援しています
僕も22歳で伝道者~43歳で断絶しました。 現在は還暦 断絶して本当に良かったと思っていますから、、、。

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#5 2018年03月19日 18:31:30

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

鬼太郎さん、ありがとうございます。
伝道者、奉仕の僕、開拓者、それぞれの立場で思うことはいろいろあると思います。当然ながら長老や大会の責任の一部を任されたりするとまた違った景色が見えてきます。そうした景色を見てきたわけですが、おかしな、そしてここでは紹介できないような奇妙なエピソードはいくらでもあります。
彼らの価値観と自尊心は残念ながら一般社会では通用しません。まさに彼ら独特の「新しい人格」で形成されてしまっているのです。しかも表面だけの。
残念なことです・・・、中にはまともな人たちもいるのに・・・。そういう人たちほど苦しんでいるのではと思います。

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#6 2018年03月19日 19:59:49

鬼太郎
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん 今JW時代を振り返ると、正規開拓者で奉仕の僕の時が一番熱心、さらに大会での『出番』もかなりありました。
ところが、長老になると、、、成員に世俗の仕事や学業よりも奉仕を優先させるように励ますことができませんでした。
人間としての良心と、組織からの勧めは相反しているためでした。
結果として、、、中高生には開拓奉仕は立派な目標でも、その前に勉強を勧め、未信者のご主人の研究生には、家族を養う責任からも、会社を安易に辞めないようにと勧め、、、。

熱心な開拓者達からは『あの鬼太郎兄弟は奉仕監督のくせに何を考えているんだ』と批判されていました。
そのためか、大会の出番は無くなりました。

組織とはこんなものですね。

ともかく、現役JW達は、一般社会では通用しない価値観と独自の『新しい人格』ですね。

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#7 2018年03月19日 20:36:40

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

ささらほーさらさん、初めまして。よろしくお願いします。
さて、鬼太郎さんもおっしゃっていますが、集会や大会で話をする場合、筋書きが与えられます。このような内容の話をこのように展開しこの結論で終えるように、という指示です。大会の場合、時には全文原稿を渡される時もありました。
さて、筋書きの場合ですが「自分の考え(教理に関してではありません)」や「思い」をその話の中に入れられるでしょうか。本筋からそれなければ多少はできるでしょう。しかし、例えばです。「終わりは間もなくきます」と話すような指示があるにも関わらず、自分は「まあ自分が生きている間には来ないだろう」と思っているとします。でも「間もなくくる」と話さなければいけない。これは苦しいです。聴衆に対して「思いとは裏腹の嘘」を話さなければいけないからです。出張講演などで集会後に感謝の言葉を多くの人からかけられることがありますが、これも苦痛でした。正直な思いとしては、話し終えた後すぐにその場から離れたかった・・・。自分がした話にも関わらず「話の責任を取りたくない」思いと言えばいいのでしょうか・・・、少なくとも「私に注意を向けないでほしい」と強く案じていました。中には得意満面でそうした「自分に向けられる関心」を当然のこととでも言いたげに楽しんででいる輩もいましたが、理解できませんでした。
エホバの証人に対しての疑問が膨らみ苦しみ始めた時に、エホバの証人になるように、もしくはさらに進歩するように働きかける目的で講演を扱う責任がある時はさらにそう言えます。「よく考えたほうがいい。僕は勧めない。」と思いながら逆の話しをしなければならない辛さ・・・。
分かっていただけるでしょうか?
エピソードについてはおいおい、「お題」を頂ければ話しやすいかもしれません。

編集者 Jay (2018年03月19日 20:59:02)

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#8 2018年03月20日 10:45:19

Tak
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

はじめまして Tak と申します。
この掲示板はいつも見させてもらっていますが、投稿は初めてです。(きちんと載せてもらえるかちょっと心配です)

Jayさんのコメントを見てJayさんの気持ちがすごく伝わってきました。
私は一応現役のJWです。物心ついたときからJWの環境で育ち、現在は50代です。日本のJWの変化をずっと見てきて今でもずっと考え続けております。今は会衆の中では静かに平信徒をしており、会衆の政治には一切かかわりを持たないよう蛇のように用心深く、そして自分の気持ちに対してはとのように純粋に、正直になろうと思っています。

Jay さんの発言:

中にはまともな人たちもいるのに・・・。そういう人たちほど苦しんでいるのではと思います。

私が今、一番心を痛めていることがまさにそのことでした。WT組織といっても世の中の他の組織と同じようなもので、組織というものは自分にとって都合の良いときに適当に利用するというスタンスでちょうど良いのかなと思います。ただJWは組織によって人生のすべてをコントロールするところがその異常さ、悲劇の原因になっているなと思います。そのため、長い年月がたって一番傷ついているのが「まともな人」だと思います。その中でも弱い人、高齢者、社会でのやり直しが難しい人はどうすればよいのでしょうか。最近の記事ではそういう人の世話は周りの人の責任にしています。でも日本の場合そのような援助もあと10年持つか持たないかという状況です。

Jayさんもいろいろ考えて、悩まれていることだと思います。社会復帰のことも書いておられました。JWの憎む「この世」ですが、飛び込んでみると意外と懐の広いものですからきっと良い突破口があると思いますよ。信者である家族との関係は・・・・これは悩みますね。私も同感です。

うまく伝わっているか心配ですが、同じような悩みを持つ人がいるということを知っていただけたらなと思います。

#9 2018年03月20日 13:18:54

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、初めまして。よろしくお願いします。
このように聞いたことがあります。「エホバの証人も世から掬い取られた人たちなので、掬い取ったその中のいい人・悪い人・変な人の比率は世に見られる比率とほぼ同じ」と。

いい人が必ず含まれているという意味では真であるとは思いますが、後にほぼすべての人が「新しい人格」によってねじ曲がっていく、そして「変な人」に変格した人たちが多くなる、その時点で比率は崩れています。それがエホバの証人の中身だと思います。

「新しい人格」は身につけるものなので実のところ中身は何ら変わっていないでしょう。にもかかわらず表面では善人ぶった行動をとります(偽善ですね)。しかし、その体裁と中身のギャップをとこかでつじつまを合わせながらやりくりしていかないといけない、でないと完全な二重人格であり偽善者です。しかしこの「やりくり」が心に歪みを生むと考えます。そしてまともな人ほど苦しみます。まともな人といえども「エホバの証人としての新しい人格」を身につけなければなりませんからその「ギャップとのやりくり」の必要性を必ず認識するはずです。故にそこに疑問を持ち始め、そして苦しみます。
他方、もともとまともではない人は疑問視することも認識することもなく二重人格・偽善者の道をただただ進みます。そして本当の自分と体裁としての自分を恥じることなく使い分けつつ、やがて奇妙な形でブレンドされていく。無意識であっても必ず存在する人格ギャップの違和感とストレスを「エホバの証人としての舞台」でガス抜きしていくんです。結果としてねじ曲がったキテレツなエホバの証人が生まれる・・のではないかと考えています。

組織は人の人生に非常識さを持って関与し、洗脳し、バステスマの時に二つの質問に「はい」と答えさせます。そして「はい」と答えた瞬間から、「はいと言いましたね?では今後起こるすべての事柄はあなた自身の個人責任です。」となるわけです。
数年の聖書研究でそんな責任を合わされる覚悟ってできるものでしょうか。まず無理でしょう。ましてや二世の子供達にはほぼ不可能なことだと思います。そして今後の歩みが「個人責任」を伴うことを説明されたり教えられたりしているでしょうか? 否だと思います。組織としては、自我が生まれる前に、言い換えれば組織に疑問を持つ前に個人責任を押し付けてしまいたいわけです。

本人が組織の奇妙さに気づいたときには時すでに遅し。その疑問を顕在化させれば反逆者・背教者のレッテルを貼られることになります。そしてそれを恐れる恐怖心・罪悪感をあおることにより封じ込みます。封じ込まれればその不満とストレスをどこかで発散し、バランスと取ろうとします。自分も我慢したのだからお前も我慢しろと言わんばかりに、他人をも押さえつけ封じ込みます。これでエホバの証人のグループが完成です。

このバプテスマの直前に二つの質問に他人の面前ではいと答えさせることが、エホバの証人が考案した人を操作するシステムの基となっている思います。

編集者 Jay (2018年03月20日 13:39:20)

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#10 2018年03月20日 15:16:18

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさんへ
Jayさんのコメントを見てまたいろいろ考えさせられました。まったくその通りだと思います。個人の中のゆがみや葛藤のガス抜きが「エホバの証人としての舞台」というのも言いえていると思います。

エホバの証人組織が個人に対して行っているのはコミットメントの濫用にも思えてきますが、組織と個人ではあまりにも立場が違いすぎます。得ている情報や寿命では個人のほうが不利です。情報を得ることについては今は個人のほうが有利ですが、新しい人や子供たちには届きません。
また現実とのゆがみや偽善といったものが世代を超えて受け継がれて、もう誰も責任が持てない爆弾のたらいまわしのようにも感じます。教理の矛盾、輸血の問題、排斥制度など・・・・個人にとっては生死を分けるほど大切なことでも、組織にとってはどうでもよいこと、もう触れてくれるなといっているようにも思えてきます。

エホバの証人として今後どのようなスタンスでいるかは個人によって状況が異なりますし、答えはないのだと思います。私個人としては、今まで経験したいろいろなことを思い返し、問い続け、これからの変化を内部から見つめていくのかなと思っております。

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#11 2018年03月21日 01:03:20

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、コメントありがとうございます。

その通りですね。エホバの証人に対して取るスタンスはそれぞれで全く異なるでしょう。理由も含めてそう言えると思います。でも各自の基本スタンスは大きく変化せずとも細かな思いは日々変わるかもしれません。そのように悩み考え、思いを巡らす時にこのようなフォーラムは有意義だと思います。
それも含めて個人研究(Personal Study and Research)であり「何が真理」かを模索し探求し続ける方法のひとつと言えるでしょう。

エホバの証人の組織が用意したテキストブックのみを使って、エホバの証人の組織が用意した質問を用いて、エホバの証人の組織が用意した答えを節から答える。このような偏ったプロセスは洗脳手段とほぼ変わりないと思います。

Takさんがおっしゃるように自分が取るべきスタンスに関する共通の答えはないと思います。しかし、各自が問い続ける疑問に対する答えはどこかにあるかもしれません。しかしながら、ある人はその答えを見つけることを無意識に恐れているケースがあるかもしれません。疑問はあるが答えはいらない、知りたくない、のかも・・・。そして、そういう思いと状況それ自体が「取るスタンスと疑問に対して(実のところ)欲している答え」なのかもしれません。

その結果として「現状維持」、すなわち「悩み続ける状態の継続」が生まれるのでは?

なんか抽象的ですみません。

編集者 Jay (2018年03月21日 03:07:24)

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#12 2018年03月21日 12:59:43

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

ささらほーさらさん、興味深いコメントありがとうございます。

ささらほーさら さんの発言:

「悩んでいる自分」「苦しんでいる自分」を
もしかすると「楽しんでいる?」と感じざるを得ない場合も多々あるようです。

随分と昔の話になりますが、元宣教者のある巡回監督が私に言ったことを思い出しました。「日本のエホバの証人はクリスチャンとはいえ、仏教の考え方や文化習慣に依然深く根ざしているように思える。苦労し、忍耐することを修行をしているがごとく美徳と捉えているようだ。」と。

極めて乱暴な言い方かもしれませんが、日本で生まれ育った日本人はやはり日本人。欧米人には成り得ません。キリスト教が欧米の宗教なのかというと、その発祥やルーツ故にまた新たな議論の種になってしまいますが、それはさておき・・・、「日本人故に辛く苦しい状況に置かれている自分にある種の価値観を見出している」のかもしれません。忍耐を良しとし、自分は頑張っているという根性論もあるのかもしれません。いずれにせよ欧米の根本にあるキリスト教文化が日本にはないということは確かなはずです。ましてやものみの塔は米国発祥です。日本人のメンタリティとは相容れない部分も少なくないはずです。少し話が脱線してしまいました。すみません。

先ほどの巡回監督の言葉には続きがあります。
「なので若い人にはどんどん世界を見てほしい。そこにしばらく留まり経験してほしい。そしてそのあと日本に帰国しその得た経験を分かち合ってほしい。それで日本のエホバの証人は変わっていくと思う。」というものでした。しかし巡回監督の読みは甘かった・・・。現実は「海外経験を得た帰国組の証人は地元の保守的な人たちには受け入れてもらえず、また新たに苦しむ証人を生み出してしまう。」のです。

日本人はいつまでたっても日本人、いい意味でも悪い意味でも日本人。自分たちの文化習慣を崩したくない、既得権とでも言いたいかのような立場や環境を変えたくないのでしょう。そこにまともな人が太刀打ちしようとしても「多勢に無勢」、所詮負け戦です。

編集者 Jay (2018年03月21日 13:29:24)

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#13 2018年03月22日 11:13:35

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

エホバの証人の教えがどうしてこんな風になってきたのか考えたときに、そもそもごく普通のアメリカ人(エホバの証人でない人も含め)はどんなものの考え方をするのか興味を持ったことがありました。

私が子供のころはアメリカといえば、日本よりずっと進んでいて頭のいい人がたくさんいて宗教の位置づけも日本よりもっと割り切っており(普段の生活と切り離されている)合理的な思考がきちんとできる人たちだと思っていました。かつて日本にエホバの証人の教えが入ったころは、きっとその教えがアメリカという国からきたというだけの理由できらきらしたものに見えたのだと思います。

そのあとアメリカについていろいろ知るとずいぶん違う国だなと分かってきました。まず大前提は自由と多様性がありますので、これが”アメリカ人だ”と断定はできませんが、日本人が考えている以上に今でもこんなことを本当に信じているんだということが結構あるのには正直驚きました。

そのような国がいわば発祥のエホバの証人なので組織の教理が”?”というものでも「まあそんな風に考えるのもしょうがないな」と思えるようになりました。

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#14 2018年03月22日 16:49:55

とんずら
ゲストユーザー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

>日本のエホバの証人はクリスチャンとはいえ、
>仏教の考え方や文化習慣に依然深く根ざしているように思える。
>苦労し、忍耐することを修行をしているがごとく美徳と捉えているようだ。

自分に言わせれば、特攻精神だよ。生活保護を受けているのに開拓だなんて、まさに玉砕の極み。

#15 2018年03月22日 20:43:58

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん、
アメリカから来た「Watchtower」。そうですねきっとキラキラしたものに見えたのだと思います。

アメリカは移民による多民族国家ですので、自由と多様性がある背景として「異なる民族の多様性を尊重する」というものがあると思います。(KKK等のの排他的集団は例外とします)それによってバランスを保っています。個人の特異さも様々なシーンで認められます。ですから自分の宗教に意見された場合でも、None of your business(あなたが関わることではないでしょ)の一言で、だいたいはOKと言って引き下がってくれます、もちろん個人差はありますが・・・。色々な意味で(良くも悪くも)個人主義国家でもあります。故に日本人感覚では「ありえない!」と思うような事柄が起こるのも事実でしょう。

これが宗教界でも起こってしまっているのではないでしょうか?例えばテレビで宗教的な話をし寄付を求める。「寄付をすればあなたは救われます」と言ってお金を集め富豪になる。こうしたことも当たり前に成立しています。週中何を行っていても週末に教会に行けば全てチャラになる、救われる。というのもあるでしょう。もちろんそこでも寄付が集められます。多くの場合教会の代表者は金持ちです。アメリカにはそういう一面もあります。あくまで一面ですが。

故に、私たちの知らない奇異な宗教グループがアメリカにはまだいくつも存在しているのではないでしょうか?乱暴なくくり方ではありますが、ものみの塔もそのカテゴリーのひとつかもしれません。

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#16 2018年03月22日 21:03:19

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

とんずらさん、初めまして。

「特攻精神」・・なるほど。そういう見方も確かにありますね。
開拓奉仕の先に「玉砕」という結果が見えているのにそこに向かっていく・・・
「生活保護を受けているのに開拓」・・・
複雑な思いです。

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#17 2018年03月22日 21:27:00

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

ささらほーさらさん、

You Tube見ました。エンターテインメント・アトラクションとしてしか見れませんが、確かにお金かけてますね。大なり小なりアメリカにはまだまだ驚くべきものが潜んでいるかもしれません。

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#18 2018年03月23日 09:09:16

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

このトピックの最初で「家内(エホバの証人です)にも思いを正直に全て話し始めました。もちろん行き着く先として離婚も覚悟です。この歳(57)になって今更という思いももちろんあります。」と書きました。

私はもうエホバの証人としての道を歩むことはないでしょう。しかし、家内は留まるようです。ずっと話し合っていますが、その思いは揺るぎないようです。まあこれは個人の決定ですから仕方ありません。では夫婦としてどうするか、です。
エホバの証人としての信条と行動は日々の生活全般に影響を及ぼします。ということは生き方において私たち二人は既に「全く別の方向を向いている」ことになります。さらに言えばエホバの証人と縁切りしたい私は、家内がエホバの証人である限り「家内とのつながり」も切らなければ本当に切れたことにはならないとも考えています。家内個人に対する恨みはありませんが、その内面を支配するエホバの証人としての部分はやはり受け入れ難く感じています。幸か不幸か子供はおりませんし、親族との関係を考慮する必要もありません。「あなた個人(もしくは夫婦二人の)問題でしょう。」と言われれば全くその通りです。その通りなのですが・・・難しいです。離婚について既に話し合い始めました。分かってはいたことですが、証人の「離婚観」と対立しています。この対立の中に折衷案はないようにも思えます。

夫婦でありながら夫婦ではない、共有すべき「心」がそこにはもうないように感じています。これから落とし所を探さなければなりません。この先エホバの証人である家内と共に残りの人生を過ごすのか、(この歳で今更ながらですが)一人に戻って自分と向き合うのか・・・。どちらにせよ辛い道だと思います。正念場です。

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#19 2018年03月23日 09:29:50

てつてつ
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

jayさんこんにちは 書き込みありがとうございます

自分も家内は現役のままで組織の教えを忠実に守り自分とは一緒に食事をすることもありません し自分からの説明も一切聞こうとはしません

>夫婦でありながら夫婦ではない、共有すべき「心」がそこにはもうないように感じています

これは何よりもつらいですね cry

編集者 てつてつ (2018年03月23日 09:30:57)

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#20 2018年03月23日 10:00:11

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

てつてつさんも大変そうですね・・・。お察しいたします。
共有すべき「心」が無くなればもう実質においては夫婦ではないです。子供がいればその責任が関わってきますが、それもないですし。果たしてそれでも一緒にいれるかどうか・・・今はまだわかりません。難しいような気がします。

証人故に現状で離婚に同意してくれないのであれば、私が家を出て完全別居するか、いっその事、わざとDV等の問題でも引き起こして証人としての離婚成立の必要条件を満たしてやろうかなどとも考えてしまいます。
もしくはてつてつさんのように証人と夫婦であり続けるという精神的譲歩を自分ができるようになるのか、冷めた心で果たして達観できるかどうか・・・。また忍耐を続けなければならないのかと思うと、ため息が出ます。

難しいです。一般社会での他人から見ると単に「ぐずぐず言ってないで離婚すれば?」なのでしょうが・・・。

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#21 2018年03月23日 11:02:32

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Jayさん、てつてつさんこんにちは。
みなさんの書き込みを見て私もつらい思いになります。

私の場合、現在は平凡な夫婦生活で、子供もなく、会衆の中ではおそらく仲の良いクリスチャン夫婦と見られていると思います。(たぶん)
でもエホバの証人としての個人的な葛藤はやはりあります。夫婦としての関係は十分満足していますが、自分の気持ちに正直に行動しようとすれば一番の気がかりは夫婦関係をどうするかということになると思います。そしてそのことを考えると無限ループのように同じような考えが回っています。まさにJayさんとまったく同じ内容です。

今のところ普通の成員として振舞っているのでこのままでよいかなと思ってみたり、妻に打ち明けることもなくかってに妄想している自分に愛想をつかせたりします。少なくとも信者である親が生きているあいだは余計な波風を立てないほうがいいかなとも思ってみたりもします。ちょっと問題でもおこしてそれにつまずいたという形で自然消滅しほうが良いのかなとも思ってみたり・・・

もし二人ばらばらに生活したときに何が困るかと考えて、今はお金の苦労だけはかけないように準備している最中です。でもそんなことのためにお金を準備しているというのも気が引けたり・・・・

つらいものです。

読んでくださりありがとうございました。

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#22 2018年03月23日 12:26:36

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

Takさん
お気持ち、よ〜く分かります。まさにループ状態です。
本当に辛いです。こんな人生、もうどうでもいい。と投げ出したくもなります。

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#23 2018年03月23日 13:52:25

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

アンサーズ・イン・ジェネシスですか、知りませんでしたが凄いですね。

そうです。悩める夫たちです。。。

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#24 2018年03月23日 14:28:07

Jay
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

「家庭内別居」で手打ちできるかの可能性を今話し合っています。この場合、「エホバの証人である妻」がそばにいることを私が受け入れることができるかどうかにかかっているわけですが、正直言うとそうした忍耐を強いられることは避けたいです。どうしても離婚したいというわけではないのですが、「エホバの証人」に関連する事柄全てを切り落としたいので、そのためには離婚しかないのかと・・・。いずれにせよこうした話し合いはすごくエネルギーを吸い取られます・・・どうなることやら。まだまだ時間がかかりそうです。

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#25 2018年03月23日 16:32:34

Tak
メンバー

Re: 遅すぎることはないとの覚悟を持って

ささらほーさらさんへ
アンサーズ・イン・ジェネシスの活動はすごいですね。
以前TVで池上彰が「創造博物館」についてのレポートを見てこんなことを真剣に信じているのはエホバの証人独特ではなくてアメリカ人に一般的な見方なんだなと驚きと共にぜひ行ってみたいなと興味がわきました。ちなみにウォーウィックにある某施設には関心ありません。(笑)

Jayさんへ
時間はしっかりかけたほうがいいと思います。
文面だけではお気持ちをくみ取ることが出来ないので勝手な意見になるかもしれませんがお許しください。

Jay さんの発言:

「エホバの証人」に関連する事柄全てを切り落としたいので、そのためには離婚しかないのかと・・・。。

私もこのことは良く分かりますが文面をちょっとメタな立場で眺めてみると、書いてあることがエホバの証人が世の影響を避けるときの考え方と似ているなと思いました。世の影響を避けるためとはいえエホバの証人の非信者への接し方が行き過ぎであるということはこの掲示板を見ている人なら良く分かると思います。むしろエホバの証人に普段接している非信者のほうがエホバの証人にかかわりを持たないようにしながらでも、人間味のある接し方をしている方もおられます。そういう人を見ると頭が下がります。
人間社会は本当に奥が深いと思います。みんないろいろな試行錯誤を繰り返していろんな人たちとの距離感を探っているのですね。

的がはずれていたらごめんなさい。私自身への戒めもあってちょっと気づいたことを書いてみました。

奥様との関係でゆっくり押したり引いたりしながらなんとかちょうど良い落としどころを見つけていただきたいなと願っています。

やはり悩める夫より

編集者 Tak (2018年03月23日 16:33:42)

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