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#676 2018年01月16日 18:25:16

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#689の続きです。
第四章 「創造について」
「伝承の過程よりストーリーそのものに聴き入る」です。
どうぞお楽しみください。-p46
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rB1Me7czG5vvFhZZ

編集者 ラハム (2018年01月29日 15:29:44)

オフライン

#677 2018年01月27日 10:29:18

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#690の続きです。
第四章 「創造について」
「科学を信頼しつつ聖書を矛盾なく受け入れる」です。
どうぞお楽しみください。-p47
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rB6SiD1jLgXCPCp3

編集者 ラハム (2018年01月29日 15:30:38)

オフライン

#678 2018年01月28日 15:43:02

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

現代の考古学は、神話や伝承の中にも核となる事実が存在するという見方をとります。
その姿勢は間違っていないと思います。
しかし、神話は比喩的な表現や誇張が多く、話そのものが非現実的なので、そこから歴史的事実を掘り当てるのは至難の業。

この掲示板の他のトピでも扱われてきましたが、創世記の記述に関しては、多くの科学者によって既に丸裸にされたという感があります。
従ってこの記事にもあるように、旧約聖書時代の人たちが、”自分たちの起源や身の回りの世界の秩序をどのように捉えていたのかを知るための貴重な歴史的資料”という位置付けに転換して読んだ方が有意義でしょう。

それにしても、そこまでして聖書を受け入れなくても、別に現代の科学的知識があれば世の中を十分渡っていけるのではないかと言う人も多いでしょうが、それを言ってしまっては身も蓋もない。
N・T・ライト氏は理屈を超えた何かを聖書全体から感じ取っているのであり、たぶん本人の心の需要対象なのだと思います。

時の経過とともに、個人の信仰はあくまで個人の自由であり、所属する宗教組織に考えを委ねるものでもなく、また他人の信仰に干渉すべきものでもないという感じになってきました。
ですが、JWにように組織の聖書解釈に疑問を挟んだり、教義を受け入れようとしない信者を忌避したりすることは、愚かであり、あってはならないことだと思います。

この先も世の中から宗教がなくなることはないでしょうから、科学が宗教の悪癖を是正し、宗教が行き過ぎた合理主義を牽制しながら共存していくのが望ましいのでしょうか。

(追記)
ちょっと面白かったのは、”イスラエルを取り巻く古代中近東の人々の宇宙観が天と地と陰府(よみ)からなる素朴な「三層構造の宇宙観」”であったと述べて
いた箇所。日本の古代と実によく似ていますね。これは意外でした。

古事記や日本書紀の世界観は、高天原(たかまがはら:天上界)-葦原中国(あしわらのなかつくに:地上界)ー黄泉の国(よみのくに:地下界)の上下三層構造の世界観。
日本の縦社会のルーツはここにあるという歴史家もいます。

#679 2018年01月29日 08:25:40

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

「自分たちの起源や身の回りの世界の秩序をどのように捉えていたのかを知るための歴史的資料」


であればそれ以上、科学と神学がとりたてて対立も、仲良くもする理由が見当たらないのですが、『科学的な学問を探究するだけでは、聖書の説く「神による創造の奥義」に到達することはできません』(それはそうなんですけど)の一文もあることから、聖書による教導権を何かの形で残したい人向けのメッセージなのかな、と思いました。


ラハムさん、いつも参考になる記事をありがとうございます。ところで、このシリーズはライトの「主張」の要約となっていますが、特定の原著の要約というより、ライト神学をベースにした中澤氏の「考察」もそれなりに入っているのかな?という感じもするのですが、どうなんでしょう。

#680 2018年01月29日 15:26:49

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

三太郎さん、ジョエルさん、コメントありがとうございます。
JWTC出席の折中澤氏に直接お聞きしたことですが、
「自分はライトの信奉者ではない」ということでした。
それでも彼は直接ライトに会いに行っているそうです。
ライトに自分の神学について説明すると、
「そのような考えもあるのか」と言って
黙って聞いてくれるということでした。
このライトの態度にいたく感心しておられました。
中澤氏のお話を聞いているとライトの神学を
ベースにしているとわたしも思います。
でも、中澤氏の文書を読むと自分なりの
神学を持つよう励ましています。
ここがものみの塔と大幅に異なるところですね。
協会の理解と異なった聖書に関する考えを公にしたら
それこそ背教者扱いにされて排斥ですから…。

てつてつさんも別のトピックで述べておられますが、
聖書の理解に関する文献は非常に多くあります。
わたしとしては、現役さんにも、脱塔した人にも
そのような理解もあるんだということを知ってほしいので
読みやすいように一ページずつ掲載しています。

中澤氏にもこの掲示板で公表していることをお伝えしたら、
非常に多くの人が閲覧していることを知り、
喜んでおられました。

引き続きじんぐりとアップしてゆきたいと思います…。

オフライン

#681 2018年01月29日 19:51:50

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさんありがとうございます。以前に読んだ、ライトの影響も受けて書かれた文献と中澤氏のコラムは、少しテイストが違うのでお尋ねしてみました。


ラハム さんの発言:

ライトに自分の神学について説明すると、
「そのような考えもあるのか」と言って
黙って聞いてくれるということでした。


ものみの塔は、言われたことを右から左へ宣伝するだけのコピー信者を作るから、カルトみたいになるんでしょうね。

#682 2018年01月29日 19:53:08

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん

そうだったんですね。中澤氏はライト氏を信奉しているものと勝手に思い込んでいました。(笑)
私もジョエルさんと同じく、中澤氏はライト氏の著作の注釈に徹しているように見えて、随所に自分の考えも織り込んでいるのかなというところも見受けられたのですが、あまり気にせずに読んでいました。

しかし、いつも有用な情報をありがとうございます。
この掲示板に来るようになってから、私自身の考えや認識も多少変化しております。それはプラスの変化と言っていいでしょう。
ここの情報のほうが、よほど霊的食物のような気がします。

流れの止まった水は腐るといいますが、我々背教者に囲いなどありませんので、いつも止まらない新鮮な水でありたいものです。

ホント、背教者って自由でいいですね~♪

#683 2018年02月12日 15:38:28

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#691の続きです。
第四章 「創造について」
「『唯一神』が敬遠、危険視される時代思潮の中で」です。
どうぞお楽しみください。-p48
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rBxaj7H9Z3DTmH0i

この説明文の中に「イギリ人」という表現がありますが、
文脈からすると「イギリス人」だと思われます。

編集者 ラハム (2018年02月12日 15:45:05)

オフライン

#684 2018年02月14日 08:04:53

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

tensobaさん、
詳しく、興味深い考察をありがとうございます。
そのように読んでくださる方がいることを知って
中澤氏も喜ばれると思います。
彼は公人だからどのような質問も受けると言われています。
偶然ですが、きょう中澤氏にお会いできる予定ですので、
tensobaさんのコメントをお伝えしようと思います。
何かご返事いただけたらお知らせしますね…。

オフライン

#685 2018年02月15日 12:54:53

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

tensobaさん、
きのう、中澤氏にお会いし、
tensobaさんのコメントを読んでいただきました。
とても真剣に、熱心に読んでいました。
そして、tensobaさんが述べておられることは
すべて知っているとのことです。
そのような考えもあると受け容れておられました。

ライトは神をいくつにも分けることはしていないということです。
「エロヒーム」はバビロン捕囚後の紀元前6世紀ごろ、
「ヤーウェ」は紀元前9世紀ごろ出現したという説明でした。
中澤氏自身は神をいくつにも分けていないそうです。
分けることには無理があるというお考えのようでした。

ただ、ライトが絶対正しいとは考えていない、
中澤氏自身についても同じように述べておられましたよ…。

わたしに対しては、tensobaさんのような意見、
つまり、質問というわけでもないような内容について、
どのように返事をしているのか聞いてこられました。

いつも答えているのではないこと、
妥当だと思われる範囲で返事をしていること、
はっきり質問されているのであれば、
できる限り返事をしていると説明しました。

わたしは最後に反応のないことがいちばんつらいと
説明したところ、中澤氏も同感してくださいました。

tensobaさんのように真剣に読んでくださる人の
多いことに喜んでおられました…。

オフライン

#686 2018年02月15日 19:43:27

てつてつ
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん 書き込みありがとうございます

このくらいまで理解しないと救われないのであれば irisさんのよく言われる 素朴な信仰の人とか 聖書で言う 無学な普通の人 のような人は救われないのでしょうね  いや多分クリスチャンといわれるほとんどの人も...
それも神様のご意思であれば仕方ありませんが cry

(使徒 4:13) …さて,ペテロとヨハネのおくすることのない話し方を見,またそれが無学な普通の人であることを知った時,彼らは不思議に思うのであった。そして,その[二人]について,彼らがいつもイエスと一緒にいたことに気づくようになった…

編集者 てつてつ (2018年02月16日 02:43:20)

オフライン

#687 2018年02月16日 06:42:06

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

知識があるかないか、その知識が正しいか間違いかに関係なく生物は等しく生かされていますが、生化学者がほとんどの人が理解できない専門知識を探求するのは、病気を予防したり、健康に過ごせる時間を延ばしたりするにその知識が役立つからです。

聖書の本文研究も万人向けではありませんが、内村鑑三氏が言うところの「聖書病」という精神病や、それが集団化することで起きるカルト被害を予防するのに役立つこともあります。


いろんな思惑があってやっている人もいますが、「知識」で人を救おうとする聖書学者はそんなにいないと思いますよ。

#688 2018年02月16日 13:47:50

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

tensobaさん、
わたしはたしかに「ラハム」をヘブライ語の
憐れみという意味で使っています。

もう、30年以上前でしょうか、
巡回監督代理の兄弟が息子を連れて巡回訪問していました。
その子が「ラハム」という名前だったのです。
意味をおとうさん兄弟に聞いてみると
ヘブライ語で「憐れみ」という説明でした。
わたしはこの出来事をずっと覚えていたのです。

脱塔するにあたり、30年近く組織と交わってきたことを
振り返りますと「憐れみ」という特質がいちばん
欠けていたように思いました。
日本語でも「断腸の思い」というのがあります。
JWは組織全体の特質として、ヘブライ語やギリシャ語の意味する
憐れみという特質を反映することができたはずです。
そうして、断絶したかつての仲間、排斥にされたかつての仲間、
性的虐待を受けたかつての児童などに
神やイエスの憐れみという特質を反映させた人間味あふれる
ふさわしい対応ができたであろうと思うのです。

組織は「愛」を大安売りしているとも思いました。
ほんとうのところ愛などとは口ばかりで皆無に等しく、
空しく響き渡っています。
憐れみという特質も同じようでした。

わたしはこれらの状況を皮肉って
「ラハム」というペンネームを使うようになりました。

でも、わたしはその特質を反映させた生き方をしたいのです。
どこまでできるかわかりませんが、努力し続けようと思います。

オフライン

#689 2018年02月26日 09:13:46

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#697の続きです。
第四章 「創造について」
「希望の源は万物の創造者、歴史の支配者に」です。
どうぞお楽しみください。-p49
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rBvoF5-85D4yHeyK

オフライン

#690 2018年02月27日 20:57:06

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

このあたりになってくると、ライト氏も聖書信奉者の一人であり、キリスト教信者の一人に過ぎないという感は否めませんね。
今回の記事の内容は、自分の中では既に過ぎ去ったものではありますが、ライト流信仰とは、という目で読ませてもらいました。

”宗教を持たない民族は基本的にはないと言っても過言ではないでしょう。ところが人々の考える「神概念」は聖書が解き明かす「神」とは異なります。この点はとても重要なことです。神概念次第で、その神の民の歩みは大きく変わってくるからです”

この冒頭の文は、やや強引な感じがします。
神概念次第で、その神の民の歩みが大きく変わると述べていますが、これは正しいとは言えません。
先ず、民族の神概念や文化を形作るのは、その民族の風土です。そして風土的特色によって神概念も変わってきます。
聖書の人格神は中東独特の風土が生み出した概念です。日本の縄文時代の、全てのものに霊が宿るとされるアミニズム信仰は日本独特の風土が生み出した信仰です。
神概念によってのみ民族の歩みが変わるのではなく、あくまで土台には風土があります。

またライト氏は、まるで聖書の神は他とは違う、特別であると言いたげで、他の民族の神と優劣をつけているようにも取れます。
極端な見方をすれば、風土の異なる他の民族や、その文化宗教を軽視しているようにも受け取れかねません。
ライト氏の主張はキリスト教信者に対するものなのでしょうか。彼の主張もまたJWと同じで、一般社会で通用するものではないと思います。

万象を支配する法則そのものが神なのか、あるいはその法則を作ったのが神なのか、実のところ自分としては結論が出ていません。
今はそれでいいと思っています。進化か創造かについては、おそらく進化だとは思いますが、今の科学が提唱するような進化とは違うのではないかと考えています。いずれにしても知りようがないですからね。

ただ、万物の法則は物理だけではなく、人間の業にも適用されているのは間違いないでしょう。
「人は自分で蒔いた種を自分で刈り取ることになる」(良かれ悪しかれ)というのは、正にそのことを言っています。
仏教でいう「因果応報」もそれです。そこに摂理を感じます。
ですから、何人たりともその法則から逃れることはできないので、ひざまずいて「今日はコレコレこういう罪を犯しました、神様どうか許してちょんまげ」で解消されるものではなく、必ずそれ相応の報いを受けることになるのだと思います。

宇宙の始まりから、万象にはそれを支配する法則だけが働いているとするならば、ある時代の特定の民族に対して神が介入し、奇跡を起こしたりするという見方は、極めて不自然なものです。

人間が書いた宗教文書を読むより、森林の中を歩いたほうが、森羅万象を司る法則に近づけるような気がします。

忙しいのと、疲れ目がひどいので、感想を書くのはこれが最後になります。
神学のアウトラインが少しは掴めたかも知れないです。勉強になりました。
ラハムさん、いつもありがとうございます。

#691 2018年03月05日 16:29:29

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

きのう、JWサロンに出席した折、
聖書の「グランドストーリー」に生きる(その2)
という講演の原稿をいただきました。
エホバの証人掲示板に書き込むのはちょっと場違いかもしれません。
この原稿の最終部分を読むと以下のように述べられていて、
現在のJWTCのクラスがどのように開催されるようになったのかわかります。
わたしも、聖書について本当の読み方があるのであれば、ぜひ知りたいとは思うのですが、
現在のところそれは発見できていません。

中澤氏が述べているようにJW組織が内部崩壊しているというのはほんとうでしょう。
私たちが組織にいる人たちに逆証言してもほとんど効果がありませんから、
教会関係者が外部から攻撃しても結果は同じだと思われます。
宗派を問わずクリスチャン人生について話していただきたいというのは、
エホバの証人には絶対あり得ないことなので、見識の広さを感じさせてくれます。
長いことエホバの証人の救出活動をしてくださった、
中澤氏の願いを知ることも有益だと思ったので、転記させていただきました…。
-以下引用分です。

私は、毎週水曜日、大野教会にてJWTCというクラスを開いています。
それは1994年に始まりましたが、ちょうど20周年を迎えたとき(4年前のこと)、
場所を御茶ノ水クリスチャンセンターから大野教会の新会堂に移すことになりました。
私は、それを機会に、「JWTC(エホバの証人をキリストへ-Jehovah's Witness to Christ」という名称を
「日本社会をキリストへ(Japanese World to Christ)に変更しようと考えました。
それは、エホバの証人のものみの塔組織は今や内部から崩壊しつつあり、
私が外から攻撃するのは賢明なことではない、との結論に至ったからです。
ものみの塔組織から抜け出た元エホバの証人たちが本当に必要としているのは、
組織に対する批判情報ではなく、聖書の本当の読み方(解釈)であることに気づいたのです。

しかも、聖書の本当の読み方は、組織をやめたエホバの証人たちだけでなく、
伝統的・正統的なキリスト教会に集っているキリスト者たちにも必要であると実感していました。
(私は、福音派の中で50年も牧会してきましたので、その責任は自分にもあることを示されていました)。
それだけではありません。教会の外には、キリスト教に興味をもっている人が多数いるのですが、
教会が聖書の本当の読み方を提示してこなかったため、彼らを教会から遠ざけ、
離れさせているという実感を打ち消すことはできませんでした。

こういう状況に面して私は、JWTCの大きな方向転換を図りました。
クラスの前半では「聖書の読み方」を解き明かし、
後半では多くのキリスト者のストーリーを語っていただこうと考えたのです。
どんな教派に属するキリスト者であっても聖書をグランド・ストーリーとして読み、
グランド・ストーリーのもとで自分の人生を歩んでほしいと心から願っての試みでした。

そこで、この講演を閉じるにあたり、大野教会の皆様にお願いしたいことがあります。
一つは、ぜひ時間をとって、JWTCのクラスにお出かけください、ということです。
(時間的な都合がつかない方々のためにインターネットで聞くことができるようにできないか、検討中です)。

グランド・ストーリーの基本的な考え方は、前回と今回の講座で説明しました。
しかし、キリスト者が「聖書のグランド・ストーリーに生きる」とは
具体的にどのようなものかを明らかにするには、多くの方々のご協力が必要です。
このために私は、残っている生涯を費やしたいと祈り続けています。
大野教会の皆様には、JWTCのクラスに参加し、この働きを全面的にサポートしていただきたいのです。
よろしくお願いいたします。

オフライン

#692 2018年03月12日 08:53:29

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#703の続きです。
第四章 「創造について」
「神は人が論じることのできる客体ではない」です。
どうぞお楽しみください。-p50
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rBpf6treBQiIOqJk

オフライン

#693 2018年03月24日 12:04:56

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

海の神、山の神、芸術の神、そして、聖書の神も「~の神」の一つです。

中沢氏と方向性は違いますが、ボンヘッファーという神学者がいます。彼は、キリスト教が原罪や死(後)の刑罰で脅して従わせていた時代を指して、「宗教の時代」「未成熟の世界」などの表現を使っています。

「成人した世界は神を喪失した世界である。そしておそらくその故に、未成熟の世界よりもいっそう神の近くにいる。」


例えば、アーマンの著作を読むと、彼も「聖書の神」を破綻した神とすることで、神に近づけた人ではないかと思います。

「われわれとともにいる神は、われわれを捨てる神である。」(マルコ福音15章34節)

#694 2018年03月30日 08:44:40

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#706の続きです。
第四章 「創造について」
「創造のストーリーの崇高さを表す様々な工夫」です。
どうぞお楽しみください。-p51
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rBmSyeA1HhZN-Imh

オフライン

#695 2018年04月12日 14:02:50

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

最近ふと思うことがあります。
それは、もしわたしがJWの道に入らなければ
何をして生きていたのだろうって…。

同じ脳性まひのJW兄弟で同じ時期に自然消滅した彼も、
「もし、JWにならなければ何をしていただろう、
障害者運動にでもかかわっていたかもしれない」と
言っていたことを思い出します。

実際、JW以前、子どものころから障害者施設で、
一緒だった同じ年の友人たちは
障害者運動にかかわっている人が多いのです。
わたしは彼らが障害者運動にかかわり始めたころ、
JWにかかわり始めてしまったので、
長いことそのような活動のあることさえ知りませんでした。
でも、たとえカルトにかかわらなくても、
障害者運動にも参加しようとしなかっただろうと思います。

というのはわたしは実家にいて自分の生活で満足できたと思うからです。
JWになったから、親や家族に束縛されず集会や奉仕に参加したくて、
アパートを借り、独立した生活を目指して実行したのです。
わたしが実家を去ろうとするとき母は
「お前、そんなに無理して出ていかなくてもいいんだよ」って
言ってくれたことがりんりんと耳によみがえってくるのです。
家にいれば、のほほんと食べることにも、住むことにも
何も心配する必要はなかったでしょう。
JWになったことは人生の大きな過ちだったのですが、
その経験をしなければ、現在の自分はいなかったと思うのです。

さらにもう生きていないかもしれません。
現役時代、健康維持にサプリメントの使用方法を知る
チャンスがあったからです。
これは振り返ると非常に大きな出来事でした。
名前を挙げるのが良いことかわかりませんが、シャクリーという
会社のサプリメントを活用して栄養療法を知ったのです。
これは高額なサプリですから現在は使っていないのですが、
何をどのように使うのかという基本はこのとき勉強しました。

わたしと同世代の脳性まひ者は大方電動車いすを使っており、
わたしのように人力タイプで自走式は使っていません。
障害の程度が重度になったり、筋力の低下でこげないのでしょう。
自走式は「自操式」と表現するのが正解です。
他の人と比べてわたしのほうが障害程度が軽いということも
あるのですが、体力に恵まれたというのが非常に大きいです。
サプリのおかげだと思うし、
その使用方法を知るチャンスがありました。

日々の支払い、光熱費や食事の準備についての気苦労など、
人としての資質を培うチャンスがなかったかもしれません。
他の人をやさしく思いやりのある態度で扱うことを知りました。

実のところ、カルトとかかわることは不本意でしたが、
こうして静かに振り返ると人格を陶冶する面では
わたしにとって必要悪のようなものだったかもしれないのです。

オフライン

#696 2018年04月12日 14:17:04

鬼太郎
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハム兄弟 同感ですね。
JWゆえの経験や忍耐、訓練は得難いものがあります。
JWにならなかったならば、、経済的には豊かだったかもしれませんが、、
忍耐や自制は学べませんでした。
例えは、悪いですが、、会衆という檻の中で 言わば、逃げられない状態での人格の陶冶は凄い訓練でした。
学生時代の知人と偶然に会った時、『お前顔が別人みたいだ 』と言われました。
昔はキツイ顔で気難しい印象だったようです。

オフライン

#697 2018年04月19日 15:52:44

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

三太郎 さんの発言:

先ず、民族の神概念や文化を形作るのは、その民族の風土です。
そして風土的特色によって神概念も変わってきます。
聖書の人格神は中東独特の風土が生み出した概念です。
日本の縄文時代の、全てのものに霊が宿るとされる
アミニズム信仰は日本独特の風土が生み出した信仰です。
神概念によってのみ民族の歩みが変わるのではなく、
あくまで土台には風土があります。

上記の問題についてしばらく考えていました。
わたしとしては「卵が先か鶏が先か」という
問いに似ていると思いました。
ちょっと乱暴な比較かもしれません。

中澤氏は教会の牧師として神の存在をかたく信じる方ですから、
神概念次第で、その神の民の歩みは大きく変わってくるという
立ち位置になるのは当然だと思います。

一方、三太郎さんの方としては、
先ず、民族の神概念や文化を形作るのは、その民族の風土です。
そして風土的特色によって神概念も変わってきます、
という立ち位置になっています。

わたしとしても、神が果たして存在するのか、
存在しないのかという結論は出せないでいます。
三太郎さんの神の存在を信じているのか、
そうではないのかはわたしにはよくわかりませんが、
クリスチャンとしての中澤氏のようでは
ないであろうと思います。

ですから、神概念がどこからどのように形成されたか
ということは意見が分かれてしまうのは致し方ないと思います。

たぶん、結論は出せないんだろうなあ、
というのがわたしの正直な気持ちなんです。

オフライン

#698 2018年04月19日 16:15:33

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ジョエル さんの発言:

中沢氏と方向性は違いますが、
ボンヘッファーという神学者がいます。
彼は、キリスト教が原罪や死(後)の刑罰で
脅して従わせていた時代を指して、
「宗教の時代」「未成熟の世界」などの表現を使っています。

ものみの塔も未成熟な宗教だと思います。
その神学者が指摘しているように、
従わないものは神によるハルマゲドンで滅びるといってみたり、
現在まで排斥処置によって村八分にするという
政策を実行し続けているからです。
一言でいえば「脅しの宗教」だとおもいます…。

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#699 2018年04月21日 16:25:08

ラハム
メンバー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

#708の続きです。
第四章 「創造について」
「古代中近東の枠組みの中で示された創造の啓示」です。
どうぞお楽しみください。-p52
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rBRShDrS7VkOa8v0

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#700 2018年04月23日 20:36:04

三太郎
ゲストユーザー

Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~

ラハムさん こんばんは。

人間は神を直接見ることはできませんので、概念で捉えるしかありません。
概念や価値観に個人差があるように、民族という括りにおいても違いがあります。
その違いに一番大きな影響力を持つものが、その民族を取り巻く風土であるということです。

風土とは一般的に、気候や地理的条件のことをいいます。
風土と民族の文化・習慣・宗教の関連性については、古くはギリシャのヒポクラテス、フランスのモンテスキュー、ドイツのヘルダー、ラッツェルなどによって、昔から多くの研究がなされてきました。
日本では、哲学者の和辻哲郎、地理学者の三沢勝衛などの研究が有名です。

和辻哲郎の著書「風土-人間学的考察」は、刊行が約90年前という古い本で、著者が主観で述べているような箇所も散見されますが、その後の「風土論」研究に大きな影響を与えており、今では「風土論」の基盤にもなっています。
和辻は、時間より空間に視点を置いています。

印象に残った一文として次のようなものがあります。

「食物の生産に最も関係の深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉とのいずれを欲するかに従って牧畜か漁業のいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したものもまた菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくして風土である。」

人間は嗜好だけで生きていたら滅んでしまう。その土地で生きるためには風土を受け入れなければならない。
そして日々の生活における人間と風土との相互作用の繰り返しが、食文化や民族性、神概念を形成する最大の要因になったということです。

地理学者の三沢勝衛は、その土地に見られる土壌・植物・動物・人間の生活は、一種の風土計のようなもので、それによって風土を具体的な形で知ることができると言っています。

着眼点はそれぞれですが、研究の基本的な部分は概ね類似しており、それぞれに説得力があります。
私は自然に受け入れることができました。

ただ、風土と民族性の関連をメカニズム的に説明するとなると、これはかなり難しいと思います。
それは時間をかけて複雑に作用していくものであって、一朝一夕に形成されるものではないからです。そして全てを風土だけで説明できるわけでもありません。
(当然ながら、環境決定論に異を唱える学者もいます)

一方で、風土の影響は自然発生した原始宗教や民族宗教に限られたものであって、教祖が普遍的な教えを説く教義宗教には当てはまらないという見解もあります。
しかしそうした教義宗教も社会構造との関わりが全くないわけではなく、原始宗教や民族宗教の延長線上にあったり、その影響を受けていたりします。
例えば、新約聖書は旧約聖書の土台の上にあります。

ラハムさんの観点である、神概念が先か、風土が先かということですが、そもそも神概念ていきなりドーンて発生するものなのでしょうか。
その発想はちょっと不自然な感じがします。風土によって民族性と神概念が形成され、その神概念によって民族性が特色づけられていく、という発想のほうが自然ではないでしょうか。
「企業風土」や「風土産業」という語があります。これは、いわば風土が風土を作るという連鎖ですね。

中澤牧師の神は聖書の神だと思いますが、だとすれば既成の神概念ということになります。
それはそれでいいと思います。

また、宗教は外部から取り入れることができますが、その風土まで取り入れることはできません。
ですから、その宗教を育んだ風土が、それを取り入れた民族の風土と大きく異なる場合、「相性が悪い・肌に合わない」ということも有り得るわけです。

ラハム さんの発言:

わたしとしても、神が果たして存在するのか、存在しないのかという結論は出せないでいます。

私の「実のところ自分としては結論が出ていません。」という発言は、むしろ、結論を出していないと言ったほうが正確だったかもしれません。

これまた説明が非常に難しい。
最近は、正直なところ「神」という語はあまり使いたくありません。

例えば、私は人間の意識とは不滅で、死んだら違う世界に帰ることを、今では普通の自然現象の一つだと考えています。
人はその世界のことを、天国、極楽浄土、あの世とか言うわけですが、そこは何かホンワカしたところでも何でもなく、それもまた現実の世界だと考えています。
(考えているのはそこまでです。その先は考えても知りようがないですから)

こうした観念は神概念云々よりも、身近な事象や万物の法則から入っていったほうが理解し易い。
万物の法則とは、言い換えれば、調和の法則でもあります。

全ての結果には原因があります。
ですから、悪行にはその報いがあり、善行にはその報いがあります。
しかし、悪人にしても善人にしても、生きている間にその報いを受けずに死んでいく人が、少なからず見受けられるのではないでしょうか。

受けるべきものを受けずに無となって消えていくのは、調和の法則に反するので腑に落ちません。

何年か前に、田舎の国道を車で通った時に、反対車線側で狸の親子が車にひかれて死んでいるのを見たことがありました。
夜中に道路を渡ろうとして車にひかれてしまったのでしょう。
親狸と小さな子狸5,6匹ですから、それはもう目を覆いたくなるような惨たらしい光景でした。

その狸の親子は車にひかれるために生まれてきたのでしょうか。
これは動物が犯した罪や過失の結果なのでしょうか。人間のような自意識や善悪の概念を持たない動物にそれは適用されないでしょう。
動物だから仕方がないね、で終わりなのでしょうか。それもおかしいでしょう。
何故ならば、万象を司る法則が調和のとれた法則であるなら、動物であれ、この凄惨な死はどこかで埋め合わせがないとおかしいと思うからです。

しかし、死んだ後の世界があるという仮説を立てると、これらの問題は解消します。

相対的には現在の教義宗教より、自然発生した原始宗教の神概念のほうが、神を正しく捉えていたのではないでしょうか。
はじめに全能の神ありきという発想は、その神を人間の発想枠内に無理やり閉じ込めてしまいがちです。
一神教の人格神は、人間臭を色濃く投影しており、慈悲の存在というよりは、恐怖の対象になっています。
JWの神のようなケチくさい神などいるはずもなく、ケチくさいのはJWの方です。

現時点において私の中にあるものはこんなところですかね。
多少の修正は入るかもしれませんが、今後もこの基本スタンスは変わらないと思います。

ラハムさん 私の意見は、こんなことを考えているヤツもいるんだなぐらいの受け止め方で結構ですよ。

それにしても文字でこうしたことを伝えるのは本当に難しいですね。(笑)

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