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ラハム
昨日 18:32:18
ルツとリカ さんの発言:

そう言えば、脱塔直前に、歩行に何かしらの不具合がある方が研究生として熱心に交わっていたことがありました。
詳しくは分かりませんが、本人は持病の副作用で歩き方がおぼつかないと言っていました。

障害者のわたしも大歓迎してくれるのだから、
さぞ、すばらしい、世界唯一の宗教だと思い込まされたのが、
わたしの人生行路の過ちだったのです。
障害者が歩く15分と健常者の感覚で15分歩くのは
意味が全く違うということに気が付かないのが、
JW教義によって感覚まひが生じているところだと思います。
もっとも、この点いわゆる世の人と大差ないところが、
世界一の真理を標榜する宗教の悲しいところです…。

ルツとリカ
2017年02月24日 08:40:43

ラハムさん、おはようございます。

そのような時代があったのですね!
まだまだJWに優しかった時代というべきか。。
けれど、それでラハムさんを羨むのはどうかと…(汗)

私も思い返せば現役時代、とっくに覚醒していたものの「月に1時間だけでも入れるように」と言われ、嫌々ながら宣教に参加していた頃、至る所で路駐禁止の場合は舌打ちしていたような気がします。

そう言えば、脱塔直前に、歩行に何かしらの不具合がある方が研究生として熱心に交わっていたことがありました。
詳しくは分かりませんが、本人は持病の副作用で歩き方がおぼつかないと言っていました。

しかしある時、「家から徒歩15分の距離も歩いてこれないようならもう来なくていい」と研究司会者に言われたそうです。

と言うのも、その方はあまりに教えに啓発を受けすぎて、神権宣教学校に入る前から「自分はエホバの証人だ」と触れ回っていたことも関係あるのかもしれませんが、

そこまで熱心なら、研究司会者の車をアテにしないで自分で王国会館まで来いと言われたのだと言っていました。(彼の話がどこまで本当かわかりませんが)
その後彼がどうなったのかは分かりません。

その一方で、神権宣教学校に入っていない(見るからに暇つぶしで入る気がない)研究生を足繁く援助しまくり、王国とは関係のないプライベートでもアッシーを務めている人もいました。

「何もその方にそこまでしなくても…」という周囲の声を無視し、「愛の組織だからこれぐらい当然。私がやりたくてやってあげている」という感じでした。

いずれにせよ、のめり込みすぎはバランス感覚を失うものだということを俯瞰している今日この頃であります。

ラハム
2017年02月23日 15:30:34

歩行障害者には「駐車禁止除外車両」の許可証が
公安委員会から交付されていて、
駐車禁止場所に駐車しても違反にならなかったのです。
現在は自動車に交付されるのでなく障害者当人に交付されるので、
乗せてもらえる自動車ならどれでも違反になりません。
現役時代はこのステッカーを利用して
ずいぶんと野外奉仕に参加したものです。
健常者の友人からも仲間のJWからうらやましがられました。

ところが脱塔ししばらくしてこのステッカーが
ほとんど役に立たなくなったのです。
それは、駐車禁止場所に駐車できるのですが、
駐車する方法に少しでも違法性があれば、
即駐車違反にされるよう厳密な道交法の適用になったからです。
たとえば、駐車車両から右側に余地を残すとか、
路側帯のある場所の駐車方法、交差点から5メートル以内は避ける、
消化栓から1メートル以上離れるなどなどです…。
この駐車方法をすべて満足させることは
都会の道路では非常に困難になりました。
以前は、ステッカーを表示すれば、これらの方法に関する
道交法の適用を大目に見て違反になりませんでした。
わたしが現役を離れてからの出来事だったのです。

地元王国会館の集会出席のときもどうどうと
路上駐車し二時間以上集会に出ていました。
でも、現在は厳密に解釈すれば、
王国会館周辺の路上もステッカー表示でも
違法駐車になります。

わたしのところに時々やってくる長老は
巡回訪問があるからとか、特別講演だからとか言っては
わたしに集会出席を促すので、
そのような事情の変化を説明したことがあるのですが、
だれひとりとして交通手段を提供してくれる
JWはいません。自力でやってこいというわけです。

わたしが現役だったとき、
高齢者や乳飲み子のいる姉妹たちの
送迎を自分から申し出て助けていたのですが、
わたしには何もないんだなあと薄情さを感じます。
中野っちさんのブログでは記念式で不活発者にも
自動車の送迎をするよう統治体から指示があったと
いうことですから、わたしにはどうしてくるのか
様子見しようと思っています…。

1,000時間奉仕者
2017年02月17日 00:22:01

近年は親族の関わりがドンドン薄く少なくなってきて、法事くらいしか一同が集まるチャンスがない、という側面も大きいかと思います。

ウチの爺ちゃんだったか婆ちゃんだったか忘れましたが、死んだとき通夜・告別式・初七日をいっぺんにやる、という暴挙(笑)を提案した親族がいて、しかもそれが採用されましたから驚いたのなんの。

聞けばやはり、というか、多くの関係者が遠隔地に散らばっているので3回も来られない、このワンチャンスしか集合できないとのこと。しかもこれって結構あるあるな方法なんだそうで二度ビックリでした。

>ルツとリカさん

仲良くしてた兄弟がJWの駐車マナーの悪さについてため息をついており、なかでもご指摘のコンビニP利用について腹を立てていました、「失礼だ」と(買い物すべき、の意)。

ただ彼も貧乏開拓者なのでP拝借が嵩んでくると資金繰り?に苦労し、「この間、¥0で立派な “コンビニ客” になる方法を見つけた」というので「何?」と訊くと、「ATMで残高照会してレシートを持ち帰ること!」

このドロボーめ、小賢しい手を考えつきやがって!(笑)

ラハム
2017年02月16日 20:00:56

わたしも含めて大勢の生き残ることを
余儀なくされた人たちは、
亡くなった人たちと別れることなど
たやすくできることではないというのが本音です。
それぞれの気持ちを大事に扱うことをどこかに置き忘れた
宗教がJWの教義だと思います。

仏教の法要は亡くなった人たちと別れつつある人々の
感情を癒し大切にする行事だとわたしは思います…。

akame
2017年02月16日 17:40:15

ラハムさん

>JWは崇拝行為という観点からしか物事を見ようとしない、とても狭量な宗教でした。しかし、その束縛から離れ、人間として素直な気持ちで亡くなった人を大切にし、親族との交友関係を今しばらく保てるのはとてもさわやかなことです…。


まさに実感しています。

ルツとリカ
2017年02月15日 22:37:22

1000時間奉仕者さんの白い巨塔の捉え方が今までになく新鮮で面白いです。

財前に対してそういう見方をする人もいるのだなと。
むしろ里見が超人過ぎて現実離れしているという意見も、何気に納得できます。

どっちが理想の医者か、ではないですものね。
それぞれの信念を持って医療と向き合う二人の男の生き様と、感情のもつれ合いの話と捉えるなら、非常に読み応えある作品だと思います。

あとGメン歩きの話で盛り上がってますが、興味があったので動画を見ました。
私が交わっていた会衆は、会館から3分ほど離れたところにある駐車場を長年借りていて、皆そこからゾロゾロと歩いていたのですが、
思いっきりGメン歩きそのものだった気がします。。

特に女同士でペチャペチャと喋り出したら周りが見えないなんてよくあることですし、
夜の集会ともなれば、生活道路を利用するクルマも多く、傍若無人な横歩きをして後ろからクラクションを何度鳴らされたか思い出せない。
それでも反省することなく、ひどくみっともない光景の中に自分もいたのかと思うと、人としてとても恥ずかしくなります。

先日、あからさまに迷惑な路駐をしている信者の車が何台も目に留まり不愉快極まりませんでした。
しかも、留守中の自宅インターホンにしっかりとその車の持ち主と思われる女性の姿が録画されており、朝と昼と二回も訪ねてきた様子でした。

今度、私の在宅中に訪ねてこようものなら、車をどこに止めているのか尋問したいです。

コンビニの駐車場に停めたとしても、帰りに98円の水を買えばいいだけなのに。(それでもモラル的にアウトか?)
私が、やむなくコンビニの駐車場を1時間お借りするとしたら最低300円の買い物はしますがね。

エルサレムの神殿まで3日かけて往復していたイエスの家族の記事に感銘を受けるほどなのだから、区域内を歩いて移動したところで運動になるし時間も稼げるのに。

ラハム
2017年02月15日 21:46:01

母が死んだ20年近く前、
わたしはがちがちのエホバの証人信者だったのです。
だから、葬儀には参加せず、手も合わせませんでした。
父は、それを見てわたしに向かい、
「いい死に方はしない」と言いました。
「いい死に方ってどういう死に方なんだろうって」
ずっと思い続けて怖かったのです。
父は先祖を大切にしてずっと手を合わせていたのですが、
父の死んだころの様子を振り返ると
その死に方はほんとうによかったんだろうかって、疑問です。

きょう、読んでいた「ナザレのイエスは神の子か」に
説明されているイエスの死に方を読んでみると。
彼の死に方の手順が人類史上最悪だったと思います。
読んでいて気持ち悪くなり吐き気がしてきました。

1,000時間奉仕者
2017年02月10日 23:59:57

法事ですか……考えさせられるものがありますね。

未信者のまま死んだウチの父はなかなか理解のある男でした。

「オレ自身はしないが、オレが死んだら好きなようにせい」みたいな “青竹割ってヘコにかく” 親父。JWの教理には賛同しないくせに自らの外科手術には「輸血を避ける方向で頼んます」的なお願いを主治医にしたり(笑)。

死後の扱いも「お前らの好きにしな」と言い残して、我々家族の目の前でリアルタイムで息を引き取りました。面倒くさかったのはその他の遺族の方で、基本的にお墓や法事を大切にする系の親族だったため、未亡人である母親の希望をできるだけ尊重しつつ、可能な限り仏式のしきたりに沿いつつも、譲れないところはおカネで逃げる?みたいな敬虔なJWなら目くじら立てそうなかわし方でシノギました。

死後数年で分かったことですが、我らが一族も一枚岩ではなく墓や法事にはそれぞれの考え方が色濃く反映されていて、実にドライに「死」を捉えている者もいれば、あくまで墓石にこだわる義兄弟もおり、最も顔を立てるべきはだれか?を的確に判断するのがいちばん重要なことらしい、ということです。

すべての仏教徒がそうだというつもりはありません。現代のように一族が東北・東京・名古屋・四国・九州……と散らばって住んでいる状況がある限り、死んだ兄弟姉妹についての感じ方には大きなバラツキがあるわけで、実際その後まもなく死んだ忠実なJWの母親の肉親たちは、びっくりするほど母の死に対して淡泊でした。それは母がJWであることとはほとんど関係ないと思います。

このテの話、掘り下げればいくらでも出てくると思いますので、じっくり意見を交わしましょう。

ラハム
2017年02月09日 16:23:59

脱塔したころは法要など仏事に参加するのは大きな抵抗でした。
なんだか悪いことをしているような感覚があったようです。
しかし、10年以上の歳月が経過しました。
先週末、102歳で亡くなった父の第三回忌に参加したのですが、
脱塔初期にはあった違和感がなくなったのです。
抵抗感がなくなったというのか…。

脱塔したころだったでしょうか、
JWも同じように死んだ人の
第何回忌というのをしていることに気づきました。
毎年定期的にしているイエス・キリストの死の記念式ですね。
仏教的にいうなら1900何回忌ということだと思います。
もうしばらくすると2000回忌にもなるでしょう。
こう主張すれば、JWは意味が全く違うと反論するでしょうね。
JW流聖書解釈によれば、キリストが全人類の贖いとして
亡くなられたことを感謝し、思い起こすためであって、
一般人が亡くなったことを
思い出すのとは意味が違うと言うでしょう。

JWからすれば、キリストも一度は人間でした。
杭にはりつけになり死んだことは間違いありません。
死んだ人を毎年同じ時節に思い出すことには違いありません。
そのような意味では第何回忌と同じだと思いました。

死んだ人を拝むのは偶像崇拝だとも言います。
わたしも現役時代はそう考え、崇拝行為は避けていました。
脱塔近くなってこれはケチな料簡だと思うようになったのです。
拝む行為だけしか考えていません。
でも、第何回忌法要というのは、
生き残った親族が集まりあい元気な姿を確認する
とても良い機会だと思えるようになったのです。
そして、薄れゆく亡くなった人を思い出し、
人生における別れに自分の気持ちを整理することになります。
また、伝道の書などでも述べられていますが、
自分の生き方を振り返り再吟味するチャンスにもなります。
あるいは、死んだ人を敬う気持ちも大切だと思います。

JWは崇拝行為という観点からしか物事を見ようとしない、
とても狭量な宗教でした。しかし、その束縛から離れ、
人間として素直な気持ちで亡くなった人を大切にし、
親族との交友関係を今しばらく保てるのは
とてもさわやかなことです…。

ラハム
2017年02月04日 10:06:59

1,000時間奉仕者さん、
白い巨塔のセリフを言えるってすごいですね。
わたしも最初見たのが唐沢版でしたから、
こちらのほうが印象が強いです。
これを見てから直接小説を読みました。
白い巨塔もチャングムも組織が大きくなりすぎると
どこでも同じような傾向が生じるんだってわかりました。
JW組織も例外でないって認識できて
妙に自分を納得させられたんです。
脱塔した理由を正当化する助けになりました。

脱塔して自由になりつつあり
人としての感情に素直になれました。
だから今日は父親の法要にこれから参加するのです。

1,000時間奉仕者
2017年02月03日 00:43:28

「チャングム」で癒されましたか……>ラハムさん

皇帝のお抱え料理人(お医者さんかな?)の話でしたっけか…。李英愛が美しかったですね。

韓ドラはとにかく長ーいのが苦手で、私は部分部分しか見ていません。何しろ大好きな「キム・サムスン」(← 趣味が悪いでしょ f(^^;) ですら始まって10話もたずに脱落した根性ナシですから。

「自分を納得させる」こととチャングムとどんなつながりがあったんですか?

ラハム
2017年02月02日 18:47:36

Gメン75は見た記憶がありません。
その前の「キーハンター」ははっきり思い出せます。
出演メンバーがほとんど同じだったではないでしょうか。
わたしが脱塔した自分を納得させるため、
繰り返し見続けたのは
韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」があります…。
これも傷ついた心を癒してくれたと思うのですが…。

ラハム
2017年02月02日 18:40:35

てつてつさん
「愛と心理療法」はわたしが心理学の本を
読み始めたころ出会いました。
原題は「行く人の少ない路(みち)」だったと思います。
一言でいうのならあえて苦痛を受け入れて
自分の精神的な成長を突き進もうとすることだと思いました。
JWになってしまうと精神修養がほとんどありません。
統治体の言いなりになり自分で考えませんから…。
この本に示されている「愛」の定義も興味深いです。
「愛」でないものも説明されていました。
聖書でパウロが述べている「愛」もいいのですが、
別次元で考察されています。
聖書だけがすべてではないと思ったものです…。

この本の最終章で「神の恩寵」が説明されていました。
新世界訳聖書は「神の過分のご親切」と訳しているところです。
王国行間逐語訳ではただ一言「神の恵み」でしたね。
この恩寵が人間生活においてどのように具現するのか、
実際例を挙げて説明されていたところが、
わたしのお気に入りでした…。

てつてつさんは
聖書が真実神の言葉で歴史上の真実な出来事かどうか、
苦悩して模索するだけの精神的向上心があるので、
精神科医、あるいはカウンセリングは
不要だとわたしは思います。

てつてつ
2017年02月02日 16:54:43

ラハムさん こんにちは 愛と心理療法ちょっと読んでみました かなり前に購入したのですが なかなか読む気になりませんでした「自分は心の問題というのはちょっと苦手でよくわからないものに適当に病名つけて稼ぐ医者とか弱さの現われとかエトセトラでなかなか読まなかったような気がします そういう自分も精神科医に相談したほうがいいかもしれませんね cry 」ちょっとうまく感想かけないのですが 実に様々なことが原因で心の病気というか実生活に表れる問題ある行動になるのですね 大変勉強になってよい本だと感じました ありがとうございました
関心ある人ちょっと読んでみたらよいと思いました

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