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トピックレビュー(最新表示)

ラハム
昨日 14:33:28
鬼太郎 さんの発言:

実は、、、元JWの教会員の方が
『その時 私たちは空中で主イエス様とお会いするんですね~』と
興奮して話していたことを思い出したためでした。

JWは限られた人だけ天に行くことを信じています。
キリスト教世界の人は人は死ぬと
全員天に行くことになっているわけです。
JWTCに出席し、中澤氏の解説で、
「人は天に行き、何をするんでしょうね。白い服を着て
手を振り神の賛美だけでしょうか」などです。
これではあまり目的がなさそうだということです。

たしかにパウロも空中で主に会うことは書いていますから、
イエスに会うことになっているのでしょう…。
中澤氏が最近説明してくださるのは、
「被造物管理の神学」で人間の存在目的は、
特にキリスト者が「王であり祭司」として
被造物を管理するためだったというものです。
天国に行ってただのんびり生活することより、こちらのほうが
わたしには説得力があります。

わたしも最近の会話では、家族など亡くなると
天国に行っちゃったと表現しているのですが、
天国に行って何やって生きているんだろうと思っていました。

144,000人も千年支配が終わってから
何を仕事にするのかなあなんて思ったりもしたものです。
「被造物管理の神学」はJWの教理も含んでいるように聞こえます。
似ているなあと思うところがあります。
でも、神学のほうがわかりやすいし、
JWのように人を縛らないところがいいですね…。

ラハム
昨日 13:52:49

#602の続きです。
第二章 聖書について
神からの豊かなメッセージを読み取る。
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rDbZjHjDnCAjPn_l
どうぞ、お楽しみください。

鬼太郎
2017年05月22日 21:44:29

実は、、、元JWの教会員の方が『その時 私たちは空中で主イエス様とお会いするんですね~』と
興奮して話していたことを思い出したためでした。
正直な感想は『この人狂信者かな、、』でした。
地上の楽園での永遠の命を信じていたJW達よりもましでしたが、、、。

ラハム
2017年05月22日 18:10:29

鬼太郎兄弟 コメントありがとうございます。
この記事の紹介に関して、
コメントのないことが少々気になっていました。
読んでくださっている人のいることを知り、勇気が出ました。

鬼太郎
2017年05月22日 12:30:38

ラハム兄弟 投稿に感謝します。
中澤先生のNTライト神学の引用と、プロテスタントの某派の解釈の批判は勇気がありますね。

ラハム
2017年05月20日 16:55:10

#601の続きです。

第二章 聖書について
批判的現実主義者として聖書に向かう。
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rDeASqL9P26P1Sl7
どうぞ、お楽しみください。

ラハム
2017年05月16日 14:35:19

#597の続きです。

第二章 聖書について
部分から全体-世界を見て神の意図を読む
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rDhJML97eQ1t0WSK
どうぞ、お楽しみください…。

てつてつ
2017年05月13日 19:18:51

ラハムさん 書き込みありがとうございます

書き込みをたくさんしておられるてつてつさんは、
どこかでよい経験をたくさんさせてもらった、
と述べておられました。
だから、特に一世JWは悪い面ばかりでなく、
良かった面も経験があると思いました。

これは一例として 王国会館建設や災害の救援などで信仰を持った人たちが一致して一つの目的に向かって作業する様子をまのあたりに見て 素晴らしいことができるのだなと感じたことがありますという意味です ベテル奉仕など経験された方はもっと高いレベルでのよい経験をされたことと思います その他海外奉仕さんのトピでも述べたように見方によっては営業や人前で話す経験もプラスに考えることもできるという意味です でも残念ながらそれは光の使いで偽預言者である協会のウソにだまされて行動していたと今では思っています
(コリント第二 11:14) …サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです…
(啓示 16:13, 14) …そしてわたしは,かえるのように[見える]三つの汚れた霊感の表現が,龍の口から,野獣の口から,偽預言者の口から出るのを見た。14それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない…

また入信中におこなったことのほとんどはくずのように感じています
(フィリピ 3:8) …それらを多くのくずのように考えています…

今日は金沢は一日雨で休めるから何か一冊読みたいなと思っていたのですが なんだか朝から気持ちが悪くご飯を食べてから一日中ダウンしていました どうもおなかにつく風邪みたいです cry

カレブさんこんにちは イチオシの進化論裁判少し読み始めました 著者はドーキンスと並ぶくらいに感じる 創造論への敵意まんまんです mad これではカレブさんの推薦図書になるはずですねー  まあ著者が攻撃しているのは主に根本主義者なのでID論とはちょっとちがうのですが もうちょっとしっかり読んでから進化論トピで書き込みたいと思います

ラハム
2017年05月13日 16:55:14
iris さんの発言:

ラハムさんはエホバの証人だった経験からも有益な面を
見出だされているのですね。
つねに前向きに生きておられる姿勢は素晴らしいと思います。
どうぞ人生を楽しんでくださいね。

irisさん、励ましてくださりありがとうございます。
このトピックの表題は
「酸いも甘きもわたしのJW人生」です。
「酸い」経験はわたしもいっぱい書きました。
でも、
「甘い」経験というのは思い出すことが非常に難しいです。
「甘い」というのは良い経験、人生にプラスになったことです。

書き込みをたくさんしておられるてつてつさんは、
どこかでよい経験をたくさんさせてもらった、
と述べておられました。
だから、特に一世JWは悪い面ばかりでなく、
良かった面も経験があると思いました。
常に前向きに生きるというのは難しいです。

わたしが良かったと思う面です。

それはカウンセリングや精神面、人間関係を向上させる
資料をたくさん読み、
理解できるチャンスがあったというものです。
というのは、もう25年以上前でしょうか、
組織にいた家族関係の病理で問題を抱えていた
男性JWとかかわりを持つようになった時が始まりです。
現在でも使用される表現かどうかわかりません。
当時「アダルトチャイルド」とか「インナーチャイルド」
という名称で理解されようとしていました。
その男性JWは「家族依存症」という資料を教えてくれました。
最初は彼のことを理解しようと読み始めたのですが、
読み進むうちに自分が抱えている
問題にも関係していると気づくようになったのです。
それ以来書店めぐりをし、
そのような類の本を買いあさりました。

ここで気が付いたことは
組織にいて精神的な問題を理解し、
改善するには、聖書とものみの塔が提供する
出版物だけでは不十分だということでした。
それから、ものみの塔は世の中で提供されている
様々な文献を引用していることも気づいていました。
だから、自分も勉強すべきだと考えたのです。
今もその資料は保管してあります。

その勉強から、組織内で経験した多くから、
より思いやり深く、より憐れみ深くなれたという
手ごたえは感じています。
他の人の話を注意深く聞くことも向上させたと思います。
組織で経験したことはいわゆる反面教師だったのです。

まあ、甘いというほどではないだろうと思いますが、
現在に至るまで、自分を人として、人間として、
成長させるチャンスだったと考えています。

ラハム
2017年05月11日 16:48:54

これまで何回かに分けNTライトの聖書説明を投稿させていただきました。
それは原稿となるコピー文書から文字入力したのもでした。
テキストデータを手に入れられなかったのです。
でも、それは時間的、体力的に無理だったようです。
そこで、ファイルをネット上に置き、
どなたにでも見ていただけるようにしました。
著作者の中澤氏からはどのような方法で広めてもよいと
許可をいただいています。
長い文章を一度に読むことはたいへんな努力が必要です。
JWで長いこと生活されてきた方は、大いなるバビロンと教えられてきた
教会のホームページを見ることには躊躇もあると思いました。
一ページずつURLを表記しますので、じっくりご覧ください…。
#597表記のリンクは#596の続きで、19ページ目です。
ちょっと重いファイルで表示されるのに時間が必要かもしれません。
わたしのパソコンでははっきり表示できましたが、
閲覧できなかったら、ご連絡ください。

ラハム
2017年05月11日 15:59:52

ファイルがきちんと表示されるのか実験です。
後程説明させていただきます。
https://1drv.ms/b/s!AvwG6dj2GBi7rDmiG_xO8Xh-D-0C

ラハム
2017年05月08日 16:46:03

#581の続きです。

-18 (2)-
第二章 聖書について 私たちにとっての各幕の読み方と意味
3. 物語におけるクリスチャンの位置

第四幕(新約聖書の福音書)は、イエスの活動を明らかにしています。
イエスは「イスラエルのクライマックス」として、
さらに第五幕の「贖いの基礎」として行動されました。
贖われたクリスチャンは、イエスが語られたメッセージを
直接そのまま行動のモデルにすべきではありません。
現代の私たちは、パレスチナの地に住んでいるわけでも、
イエスの直接の弟子でもありません。
例えばイエスは、「異邦人の道に行ってはいけません。
サマリア人の街に入ってはいけません」(マタイ10:5)と、
十二弟子に命じられました。しかし、イエスの命令だからといって
それを守る必要はありません。復活されたイエスは、
「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と、
その命令を打ち消されたのですから。
イエスが語られた「神の国」の譬え話は、
第五幕の舞台を予告したものであり、
第五幕のクリスチャンが聞くべきメッセージでした。

第五幕(新約聖書の手紙など)は、私たちに向けて語られたものです。
むろん、一世紀のクリスチャンに語られたことも事実ですので、
その脈絡の中で有効なものとそうでないものとを見分ける必要があります。
またクリスチャンが新約聖書と旧約聖書の扱い方を違えるのは当然のことです。
第五幕の最後の場面、週末の世界を見据えながら歩んでいきます。
そこに神殿はなく、神からの直接の御声を聞くことでしょう。
もはや聖礼典はなく、聖書さえ読まれることはない世界です。

クリスチャンは、
第一幕の創造から第五幕の教会に至るまでの出来事を的確に把握し、
その展開に沿いながら自らの歩みを正していくことが大切です。
聖霊の導きと祈りの助けを神からいただきながら、
仲間の中で調和を保ち、自由かつ創造的に、
自ら与えられた使命を果たしていくことを求められています。

iris
2017年05月05日 17:46:23
ラハム さんの発言:

きょうであれから40年がたちました。
大会ホールで正式にバプテスマを受けた日なんです。
(中略)
喜びに満たされ、人生において最良で最高の決定を下した日になるはずでした。(中略)
最初の二年間ぐらいは高揚したハイな気持ちが維持できました。

エホバの証人の方も、バプテスマのときには本当に嬉しいのですね。
私はカトリックで、成人洗礼でしたが、受洗したときは本当に嬉しかったです。
それからしばらくはハイな感じだったのも同じでした。

その喜びが後悔に変わってしまうとは、ものみの塔も罪深いことをしてくれますね。
カトリックでも洗礼を受けたことを後悔している人はいるでしょうが、日本のカトリック教会は一般信者をほとんど束縛しませんから、
失うものの大きさはエホバの証人とは比較にならないと思います。

ラハムさんはエホバの証人だった経験からも有益な面を見出だされているのですね。
つねに前向きに生きておられる姿勢は素晴らしいと思います。どうぞ人生を楽しんでくださいね。

1,000時間奉仕者
2017年05月02日 17:18:34

>ラハムさん

そうでしたかー、Happy Baptism! と言ってあげることもできず、無念です。

巡回大会の出席規模だとそんな感じで、私のように ‘80年代の地域大会だと地方の一大会でも100人越えなんてザラでしたね。順番が後のほうの姉妹たちとか(昼食休憩が短くなるので)観客の人数が少なくなっちゃって可哀想(笑)。大会後の会衆の奉仕会では新人のインタビュー。私の同期は5人でした。

おっしゃるとおり、「話が始まりますよー、バプテスマ希望者の皆さんは最前列にいらっしゃーい」と繰り返しアナウンスされても結局ゼロ、という大会が珍しくありません。世も末。

でもその2、3人しか行進しない希望者の列を目で追いながら、私は不思議と頼もしい気分も感じていたりします。彼らは我々の時のような、熱に浮かされたような一時の感情でジャブンするのではないに違いない。自分と同期でバプテスマを希望する「仲良し」がいなくても、少子高齢化で活気がなくなった集会にも出席し続け、追い立てられるように数ヶ月や1、2年で決定を下したわけでもあるまい。会衆内の汚点もそれなりに見た上でそれでも献身に踏み切った人々。

少なくとも「自分で下した自分の決定」と、後で振り返ったとき言えるのであれば妙な後悔はしないですむのでは、と。それがたとえ「しまった、ここは盲点だった!」と気づくことがあったとしても。

>ボブさん

ほんと、あの研究記事は意味不明でした。私は絶対「塔」研究に出席できない世俗の仕事なので、毎回後ろめたさを感じつつ働いていましたが、読めば読むほどあの記事の討議には出席しなくてよかったと思ってます。もし注解すればするほど自己矛盾と闘わなければならなくなるから。

ボブno1
2017年05月02日 16:58:26

2017年2月研究第四記事26ページ12,13節の記事で統治体は霊感を受けているわけでも、完全であるわけでもありません。………13節で聖霊を受けている証拠について、書かれていますが、霊感は聖霊のなかの一つの働きで有るにも係わらず、霊感を受けていないと述べて統治体自体が自分達が聖霊が注がれていないことを暴露していることになります。でも、誰も会衆の人々は気付きません。若い兄弟に 使徒の聖句とぺテロ第二1:20,21を調べる様に勧めましたがなにも疑問をいだきませんでした。本当に聖書を調べていない事が解ります、組織崇拝者に成ってしまっている、鵜呑み集団ですね。

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