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#1 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 21:47:23

失礼 独占しすぎましたね
当分黙ります

あとは自分のブログで語ることにします

#2 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 20:36:57

すべての快楽を超越した『本当の真理』なんてあると思ってるのか?

                              「うん、『あるよ』」

                           『少なくても「目指す価値はある」』

#3 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 20:24:10

つまり
                             『「神」がいようがいまいが』

                          『「聖書」が「真実」であろうがあるまいが』


                        「元々「神に近付き」「聖人になりたい」のである」

                        『元々「特別な人間になる事」を目指していた訳さ』
だからどのような文化圏の中に生まれようが

                 「「私」は結局、女と一生デートすらすることもない『禁欲的な生き方』をしただろう」

                            『それが「自分」の「生き方」なのだ』(誰に命じられた訳でもない)

#4 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 19:48:13

基本的に「宗教」は「偏見」である

                      『具体的に言うと、「絶対的価値観」を持ちたい人が信じるのが「宗教」』

                      「だからその見方はどんな宗教でも『短絡的』で『二元論的である』」

                  「仏教であろうがキリスト教であろうが「一般の考えに比べれば遥かに二元論的であることは変わらない」」(たとえば仏教は極端なのになると虫を殺すのも禁止する)

                       『つまり、よーするに、「宗教信者」は「聖人」になりたいのである』


                            「だからその見方、生活様式は「極端」になる」

                  『たとえば仏教では本来、「出家」した者以外は「仏教徒」とはみなされなかった』

                             「そして出家すると肉食とか妻帯を禁じられた」

                   『「宗教」は「聖人」を目指すので、元々、「基準」が「極端」なのである』


                    「仏教やキリスト教のような『禁欲的宗教』は、特に「性」に関して罪悪感を植え付ける」(特に仏教は最終的にはすべての欲望を超越する『解脱』を目指している)

                      『「宗教」は元来、一般に対して、『ものすごく窮屈なものなのだ』』(元々仏教では酒を飲むのも禁止である)

                「この禁欲主義は凄まじく、たとえば親鸞は性欲のあまりに強さにそれを抑えようとするあまり度々気絶したそうな」(大笑)

            『「キリスト教」でも聖人になろうとするあまり、男の場合は凄まじい性欲に翻弄され、「青春が辛い」w という事がしばしば起こる』
かくいう私はなんとか10代後半から20代前半の「危険な時期」を激しく葛藤し、「童貞」を通したが


                                        『地獄だった』(大笑)

                       「後悔はしていない、「聖人」を目指しているんだから当然である」

             『こんな風に「宗教」は、元々、「世間一般」から見ると、「極端で病的な思考の持ち主」である』

                 「ふつうの人間よりも、より高く、より清く生きようとし、真理を探究するのだから」

                            『まあ「生き地獄」になるのは当然だわな』
そんなわけで、「宗教を信じないで問題ない人には」

                              「あまり「宗教」は「お勧めしない」」

『酒もタバコもバクチも女もやらないと「清らか」には生きれるだろう、そういう意味では確かに徳を積み、「余計なトラブルを回避し、人生それなりに生きているのかもしれない」』

             「私は「聖人」としての「功徳」を積み、そのお陰で「いろいろな事から本当に『守られてる』のかもしれない」」

                                 『だけど「つまらない」』(大笑)

                 「まあ、神に近付くよりも、女とデートするのが「楽しい」と思うまともな感性の持ち主であったなら」

                 『最初から「絶対真理とはなにか!」などしかめつらして、「クリスチャン」など「やらないけどね」』(大笑)

#5 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 18:44:15

けっきょく「聖書」を信じないと駄目ですか?


                  『当たり前の話だが、「聖書」を信じないものを「キリスト教徒」とは言わない』(大笑)


               「聖書が嘘っぱちであろうが本当であろうが、「それを絶対的に信じるのが「クリスチャン」である」」

#6 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 17:24:21

『私は「この世(かみ)」が「怖い」』


                            「何をしてくるのか判らない存在だから」
まったくこの世界は「不条理」である
あす地震で死ぬかもしれない(笑)

#7 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 17:21:38

つまり「聖書記者」は「この世の底意地の悪さ」というものを知っていて

                      『それを自分が「描く「神」に投射したのだろう」』

             「そういう意味で私は「聖書」という書物は、『逆に信頼にあたいする、非常に「正直」な書物だと思うよ』」

ある意味、「クリスチャン」の「神」に対する「信仰」は、父親に対する「信頼」などではなく

                      『非常にビクビクするところになりたっている』(それはこの世界に現実に存在する信仰である以上、「当たり前」なのである)

#8 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 17:15:23

つまり、「神」は「愛の神」であると同時に

                       『「人間的情けを超越した」『絶対者』でもある』

                     「「クリスチャン」なら『この原則を忘れてはならない』」

#9 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 17:01:15

まあ「信仰」にはそういう
                      『現実的で厳しい面もあるという事だね』
まあ当然といえば当然なんだけど(笑)
どちらにしろ私は人の目から見ての話だが

               「「神」というものを「一方的に良い存在」に描く「信仰」には『同意できない』」

                       「それは『あまり「現実的」ではない』」

#10 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 16:57:45

だからハルマゲドンで神が信仰を持たない人間を滅ぼすとしても

                     『私はそのことじたいに「何の問題も感じていない」』

                  「何故なら「神」は「日常的に罪のない存在を殺しているからだ」」

                『それが「現実」というものであり、『それ以外の「現実」は存在しない』』

ようは、

                    「「神」が「信者」を本当に「救うかどうか」だけである」

             『はっきり言えば我々「クリスチャン」にとって問題なのは「それだけなのである」』

誰だって「神」が「人間的情け」を「超越」していることは、「この世の現実を見れば判る」

                  「そういう意味では「聖書の神」が「実在」なのだということは」

                    『ちょっとでも理性の働くものならば「誰でも理解できる」』(あくまで「そういう意味では」、である)

そういう意味では「クリスチャン」は「非情な存在である」
誰だってそうさ、「人間は自己中心だし、自分の「救い」を一番気にしている」」


                              『別にそれでいい』

信者は「別に本気で神に対して無償奉仕しているわけではない」


                    『「神」が与える「救い」に対する「対価」として「奉仕」しているのである』
まあもちろん「神」に対する「愛」も『無い』とは言わないが(大笑)

#11 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 16:48:52

私は人間の目からみて「完全に公正で愛に満ちた「神」など信じることはできません」

                『神が実在するのなら「間違いなく聖書が言っているような「残酷な神」です」』

              「私は理性的に言っても「神観念」に関しては「聖書は完全に正しい」と思っています」

                    『ひとつに「だからクリスチャンをやっているのかもね」』


                    「この点に関しては「私の「信仰」は『揺らぎません』」」

                      『「神」は「残酷」にして「非情」な存在です』

                「もちろん、『元々、人間的情けなど「超越」しているから「神」なのです』」

我々クリスチャンが信じる「全知全能の神」は

                                 『残酷な神です』

別にそれで問題ありません、事実として「神」であり、「実在するのならば」

#12 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 16:41:05

神は不公平か?(大笑)

現実を見てください
世の中は不公正で不公平です

『つまり「神」は「不公平」です』

神は残酷か?
現実を見てください
何の罪もない人々が、天災で、時には何万人も死んでいきます(仏教徒でこれを「神仏の意思」と言っている人がいます)
自然界の力、人知を超えた力、神の力、人生の運命の力

『すべて残酷です』

私は「神は不公平で、残酷な存在だ」と思っています

                『別にそれでいいです』

         「「現実」に「神」が「実在」して「信者」を救うのであれば」

どーみてもこの世界を支配している理不尽な神仏に


              『信者以外の「救済」を願うのは「無理」でしょう』(信者だって怪しいものである。天災はクリスチャンだろうば仏教徒であろうが容赦なく殺すのだ)

元々、神とは自然界の力や不条理な運命の「擬人化」です


            「私は「聖書」の「神観念」(特に旧約)は、『とても正しい』と思います」

現実に適合しています


                 『「神」は「不公平」で「残酷」な「存在です」』

                 「「私」は『そんな「神」を信じています』」

#13 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 15:37:44

そういう意味では「世界平和」とは

       『ついにひとつの「宗教」が「人類全体を『洗脳』してしまった時にくるものなのかもしれません」』

#14 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 15:32:38

考えてもみてください

いまどき古事記や日本書紀を信じている日本人がどれほどいましょうか?

ところで『聖書を信じている人はいまだに沢山います』

          「「聖書」がいかに偉大な書物か、『誰でも判るでしょう』」

世界最大の宗教の経典である

        『その時点ですでに、「事実上、『神の言』なのです」』

#15 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 15:28:08

では、聖書の高等批評などに意味はないのですか?

はい「意味はありません」

せいぜい衒学ぶってるだけのことです

すでに書いたように「リベラル派」と「原理主義」に「本質的な違いはありません」

どちらも「非科学的」な事を信じている「狂信者です」(大笑)

仮に聖書原典が発掘されたとしても意味はありません
なぜなら、(客観的には)「聖書は神の言葉ではないからです」

すでに解説したように、あくまで「信仰に基づけば『神の言』になる」という事なのです

まず「信仰ありき」です、これは間違いありません

そんなわけで、筋が通って正しいのは繰り返し言っているように「原理主義」です」
「リベラル派」に意味はありません
何故意味がないのかはすでに書いたとおりです

聖書研究そのものにはあまり意味はなく

『あくまで「信仰」を持って読んだ時に意味が生じるという事なのです』

「「聖書」は「信仰書」であり、「宗教書」です」(そんな事は言うまでもないですが)


冷たい言い方をすれば「リベラル派」など、「高尚ぶった『原理主義』にすぎません」

キリスト教はあの手この手と品を変えて「聖書」を信じさせようとしてきました
「その為の『一手段』です」

「科学的」「客観的」ということをいうのなら

           『すべての「聖書知識は無駄知識にすぎません」』

あくまで「キリスト教」を信じていく範囲内において『意味のあるものにすぎないのです』

じゃあ「キリスト教」なんてものに意味があるのか?

               「あります」(笑)

キリスト教は20億を超える信者がいる「世界標準です」
つまりすでに解説したように「人類の絶対真理」です

         『みんながみんな信じている幻想は』

       「そういう意味では、「もはや真実なのです」」

キリスト教の『無駄知識』には「十分な「含み」」と「需要」がありますよ

「宗教」なんて「みな嘘」なのであるから

           『最大の嘘が「真実」になる道理です』

「ただし、それもあくまで「信仰があってこそ」という「事実」を忘れてはなりません」

            『初めに「信仰ありき」です』

      「宗教とは「証拠」があるから「信じる」ものではありません」

  『まず最初に「信仰」があって、「そこからいろんなものが生まれてくるのです」』

         「そういう「不思議な領域が宗教です」」

   『もう一度繰り返しますが、「キリスト教」は「人類」の『絶対真理』です』

#16 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 12:17:30

聖書はかなり正しいことを言っています

「「神」は自らを隠される「神」です」

これだけ宇宙を調べても、人類はついに「客観的」に「神」を発見することはできませんでした

キリストの福音は「信じないものには愚かでも、信じる者には永遠の命にいたる道です」

愚かとされる低きものは高くされ、知者とされる高きものは低くされます

世俗の知恵はついに「神を見出すことはできませんでした」
それどころか「無神論」「無宗教」の方向に「はっきりと言っています」

『世の知恵』「科学」「学問」など「宗教的」には『駄目なものなのです!』

その事は聖書自身に「繰り返し述べられていますね」

聖書は「神を信じる」という事に関しては『まったくの正解を書いています』

何千年も前から「人の知恵では神を見出すことができない」ことをきっちり書いています

「世の道」と「キリストの道」は決して交わらない「まったく逆のものです」

#17 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 11:40:01

はっきりしていることは
すでに何度も書いているように

「「神」は「信仰の中」にしか「答え」を与えなかった」ということです

「「学問的」「科学的」なところには「なんら人生の答えをあたえませんでした」」

宇宙は調べれば調べるほど「神のいない世界」になっていきました
科学が発展すれば発展するほど「聖書はボロボロになっていきました」

「神」は「人生の答え」=「宗教的真理」に関しては「信仰」以外の「答え」を「用意していません」(これは誰しもがすぐにわかることでしょう)

人は「科学的」「学問的」に「神」を「発見」することも「知る事」もできません(そのような試みは「すべて『失敗』しました」)

「神」とは「ただ「信じる」時にしかその実在を感じられない、「確信」できない、「知る事ができない」ものなのです」

「神」は「宗教的なこと」に関しては、明らかに「信仰」以外の「答え」を「用意」していません

『ただひたすらに「聖書」を「神」を「信じていくこと」、「そこ」にしか「答えはありません」』

じゃあ「純粋に主観的なものなんですか?」

『違います』

「聖書」は「客観的に実在します」

「神」が「唯一」であり「絶対であり」「全能」であるなど「具体的な知識を教えています」

つまり「客観性のある、ある種の一貫した「真理」を聖書は教えています」

聖書は「客観的基準になり得ます」

ただそれを「信じるのか」「信じないのか」というだけの話なんです

#18 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 11:25:20

じゃあなたは「神」も「神の言」も「実在しない」と言われるわけですか?

すでに言いました「神の言」は「信じるところに「実在」します」

単に「客観的には実在しない」と言っているだけです

「それに私は「神」が「実在しない」とは「言っていませんよ」」(笑)

「「神が実在しなければ「宗教」は無意味だ」と「はっきり言ってますよ」」

「実際に「永遠の命」がないのに「永遠の命がある」と「思い込む事」に何の意味があるでしょうか?」

#19 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 11:08:57

で、何度も言うように
「聖書」は「非科学的」で「いい加減」で「まったく出鱈目な書物」です
これを否定する人は「頭のおかしな人」としか言いようがありません
まともに客観的に「聖書」を「神の言」として研究しようとした場合
「しまいに『むかついてきます』」

しかしすでに書いたように「そのような客観的、学問的分析など『そもそも無意味なんです』」(笑)

なぜならこれもすでに述べたように「絶対真理の書」なのですから(大笑)

つまり聖書は「ただ信ずべき書」なのであり、その時に「初めて「絶対真理の書」となるのであり」」

「客観的分析そのものが何の利もあることでもないからです」

すでに長々と述べたように「客観的人生の真理」=「絶対真理」は『存在しません』

「人生の真理」とは「信じるところ」にしか「生じないもの」なのです

「こんな嘘っぱちの書物、「神の言」と信じるのは「嫌だ」と「あなたは言うでしょう」」

『仕方ないでしょう?「それ以上のものがないんですから」』(笑)

すでに書いたように「すべての宗教書は「嘘」なんです」(これはちょっと考えればだれでもわかります。万人が納得する客観的真理に基づいた「人生の真理」があれば世界はとっくにそれで統一されています)

どちらにしろ「人の知性」で「人生の真理」=「絶対真理」が分かるということは「ありません」(これもちょっと考えればわかりますが、そんな事が可能ならとっくに万人が納得する「絶対真理は発見され世界の価値観は統一されています」。誰もそんなものがわからないからさまざまな宗教があり、価値観があるわけです)

でも「絶対真理」がない「人生の答えがない」という「答え」に「あなたは納得しないでしょ?」

『ならば「聖書」を信じなさい』
『どちらにしろ、「それ以上の『答え』など「どこにもないのですから」』


「はっきりしていることがあります、「神の言」とは『信じるところにしか「生じない」ものです』」

「「客観的」「科学的検証」に耐え得る「神の言」など『この地上には「ありません」』」

ないものを求めてもしょうがないでしょう

「あるものから信じてください」

もう一度言います、『「神の言」とは「信じるところにしか「生じません」』(これはなんら間違いのない「絶対真理」です(大笑))

「信仰」だけが「唯一知性を超越した」『永遠の真理』に人を導く道しるべとなるべきものなのです(そんなことは宗教や聖書でさんざん言いつくされていることですが)

私はなにも「新奇な道」を説いているわけではありません

何千年も前から宗教で説かれていることを「ただ繰り返しているだけ」です

#20 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 00:26:46

じゃあ「神」っていうのは「いないんですか?」
と思いました?(笑)

「「神」がいなかったら「宗教」は「無意味」ですよ」

『それは「きっぱり言っておきます」』

宗教が単なる「人間の思い込み」にすぎないのなら

  『そんなものに「何の意味もありません」』

#21 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月27日 00:11:31

学問的に聖書を研究しても
「単にフィクションである」という結果が返るだけで
「何も得ませんよ」

ユダヤ教の知識も二千年前の知識も昔のユダヤの知識も一切「必要ではありません」

『ただ、いまある「正当キリスト教教義」、『それだけで十分です』』

繰り返しますが、「絶対真理」に関しては「知的で誠実な探究」なんかには

            『何の意味もありません』

      「「神」は「沈黙」をもって「答える」だけです」

            『「神」が何かを語るのは』

       「単に「信仰を持っている時だけなのです」」


    『ただ、今ある「正当教義」、それだけが『重要』なのです』

#22 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月26日 23:48:27

つまり、外典を読んだり、アーマンのような聖書学者の本を読んだり

「神学」を「研究」したとしても「何もわかりません」(絶対真理に関しては)

そこには「空洞」しかないでしょう

「人生の真理」に関して言うならば、「人の知恵」など「まったく無意味」なのです


つまり、「聖書について学問的に調べるなどという行為には『元々何の意味もないのです』」

    『ただひたすらに『信じていく』、それだけが「真理」に至る道です』

             「これは、間違いありません」

学問的な聖書知識をいくら増しても「何の意味もないことです」

    『それは「絶対真理」から遠ざかる「サタンの罠」にしか過ぎません』

「絶対真理に至りたいのなら、「神学書」や「聖書学の本」など『捨て去る事』ですね」

私も宗教に関するブログをやっています
興味のある人は覗いてみてください

http://ameblo.jp/zkgosie35gh/

#23 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月26日 23:35:44

「宗教」には「複雑な神学」や「高度な哲学」は「必要ありません」

「単純で明快な教え」があればよいのです

はっきり言えば、「そもそも『嘘』であるものに「真理の探究もへったくれもないでしょう」」

「宗教」は、すでに書いたように「人間の知性に対する「皮肉」です」」

『「神」の「赤ん坊のような「無知」」の「具現」こそが「宗教」なのです」

「宗教」に「余計ない虚飾は必要ありません」」

「ただ、「唯一絶対の神」がいて「救ってくれる」、「それだけで良いのです」」

はっきり言いますが

「神学」や「聖書学」やそれに関する「考古学」などは、「まったく「宗教の本質ではない無駄な行為です」」

『単に人間が人間の知恵を振り回しているのにすぎません』

「「神」とは、「赤ん坊のような無知の中にこそあります」」(これは間違いありません)

#24 Re: 総合フォーラム » サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐) » 2016年07月26日 23:26:18

じゃあ「絶対真理」とは「嘘」でもよいのですか?
と思った人もいるかもしれません

ええ、構いません(笑)
所謂、「人生の真理」=「絶対真理」には「元々『嘘』しかありません」

本物の「宗教」も本物の「神の啓示」も存在しません

じゃあ「信じ込めればなんでもいいんですか?」

『違います』

「絶対真理」は「人類共通の指針」でなければ「意味がありません」

つまり、「人類最大の宗教」である「キリスト教」こそが「絶対真理にふさわしい」ということになります

その他にも条件はあります

教えが単純であること
その点、天にたったひとりの神様がいてすべてを支配しているというキリスト教は合格です
キリスト教の神観念や教えは民衆にもふつうに理解可能です
キリスト教が広まったのは偶然ではありません、神観念と教えが誰にも理解可能な単純なものだったからです

経典がきちんと一冊にまとまっていること
キリスト教は聖書という大きな意味では一冊の経典に纏まっており
合格です

仏教のように無数の経典が並立している場合、複雑になりすぎ、事実上、世界宗教としては不合格となります
現に仏教徒は世界で三億人か、四億人しかいません
ヒンズー教にも負けているくらいです

つまり、外典や様々な経典を付け加えて研究する行為は「無意味」です
「宗教としての「自殺行為」でしかありません」

民衆は、「単純な宗教」しか「理解しません」
宗教や知識は複雑になれば複雑になるほど、「マイナーなもの」になっていきます(これに特に解説は必要ないと思います)

「キリスト教」はあらゆる意味で「人類の絶対真理」として「合格点」をあげられる「宗教」なのです

#25 Re: 総合フォーラム » http://www.jwstudy.com/ja/jw_general/is_jw_christian/ のページに重大な誤りがあります » 2016年07月26日 22:48:55

ちょっと話はそれますが面白い話があります

確かセブンズデーアバンストだったと思いますが
できた当初は「カルト」でした
当たりもしない出鱈目な終末預言を繰り返し
「自分たちだけが正当なキリスト教で他はすべて駄目だ」
と言っていたからです
エホバの証人そっくりですね(笑)
ところでこのカルト教団、変わったんです

何度も預言を外し、自分たちにそんな力がないことを悟ると
「自分たちは間違っていました、反省します、他のキリスト教も正しいキリスト教です
ふつうのキリスト教として仲間に加えてください」
と言ってきたのです

それで今はふつうのキリスト教として認められています

世の中にはカルトが自らの過ちを認め、ふつうの宗教になった、こんな例もあります

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