#26 2016年07月26日 01:56:50
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
つまり人生の答えとか
霊的な事柄は
客観的に証拠を示すことができたり
検証できる事ではない
信じるしかない領域なんだということです
そういう意味ではいくら科学が進んでも信じるしかない領域は残り続けます
神の啓示というものは人間に必要なんです
もちろんそれに客観的証拠はありません
だが普遍性を持たせることはできます
それは聖書でありキリスト教教理です
聖書は客観的物理的に実在します(大笑)
そして霊的にはもっとも権威があります
人類共通の指針としてこれ以上ふさわしいものはありません
検証は必要ありません
疑いもまた必要ありません
すべては信じることから始まります
理性を捨て、自己の判断を捨て去ること
神にすべてをゆだねること
それが「宗教」です
究極的な人生の結論という意味では
科学は宗教に敗北しました
もし人生に結論を得たいのなら
ただ聖書を、ただキリスト教を信じることですね
それ以上のものなんてしょせんこの世にはないのですから、そこで満足しましょうよ
宗教以外に人類普遍の真理はありません
オフライン
#30 2016年07月26日 08:25:27
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
ゆえに世界最大の宗教に頼るしかありません
宗教が救いを説くとして、それぞれの宗教で救われている人もいるのに、なぜ「世界最大の宗教に頼るしかない」のでしょうか
「嘘でもいいから信じろ」ならそれ以上言うことはありませんが、そこまで潔く認めるのは原理主義の中でも少数派ではないですか?大抵の原理主義の人が、聖書の記述はすべて歴史的、科学的にも事実だと教えちゃうのはいいんですかね
そこだけ「世界最大」を持ち出すのはJWと似ています
「聖書が配布数最大」その聖書に一番忠実な原理主義(彼らは「キリスト教の定義」にはこだわりません)
世界最大の「アブラハムの宗教」その一番忠実な原理主義がISですかね
「世界最大」のくくり方なんてどうにでもなります
もっとも信者数が多いならカトリックですよ
#31 2016年07月26日 16:00:29
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
原理主義最大の強み
すでに長々と書いたように
「人生における真理なんて誰にも判りません」
真面目に、誠実に、探究すれば探究するほど、迷宮にはまっていきます
当たり前です、そんなものが判るならとっくに人類の価値観は統一されています
人生における「絶対の真理」など『無いのです』
でも、なければすわりが悪くなり、人生に惑い、争いがたえなくなります
やはり、「人生の真理」は「生きていくために必要です」
『ただ生きるために生きるなんていやです!』(誰だってそんな答えじゃ納得しません。生きてなにをなすかに意味があるんです)
でも聖書なんて古代人が考えた「いい加減な書物です」
はっきり言って客観的に言えば「滅茶苦茶」です
探究すれば探究するほど「馬鹿馬鹿しくなります」
そうではないのです
人生における、真理、「絶対真理」とは
知的な探究の果てにあるものではありません
「その先には『何もない虚無が広がっているだけです』」
ではどうすればよいのですか?
ただ「聖書」を「信じる事」なのです
『万物の答えは「そこ」にしか「あり得ません」』
信じることの「先」にしか「人生における真理」=「絶対真理」は存在し得ません(これは考えれば誰でも判ると思います)
知的で誠実な、聖書や人生に対する探求なんて「無意味な行為です」(聖書は古代人が書いたファンタジー、出鱈目以外のなにものでもありません。それは調べれば誰でも判りますよ)
だが「信じる」時、『そこに確かに「答え」は存在します』
信仰だけが我がままな人類を満足させられるんです
『それ以上のものなんてこの世には元々ありません』(神は「信仰」以上の答えを与えませんでした)
結局、「リベラル派は破たんするでしょう」
「人生に対するいかなる知的探究の試みも破たんするでしょう」(哲学なんてそれこそ「訳判りませんよ」(大笑))
『ただ、「信じる者」だけが救われるでしょう』
結局、「それが真理だと思います」
つまり、「原理主義の強み」とは
ただひたすら信じていける事、人生に対する「答えが出せる」こと
その一点に尽きると思います
「信仰」以上の答えなど、この世に存在し得ません
理性を捨て去ること、疑問を持たないこと
それだけが人類を救います
疑問や知的探究・・・
それらから解放されることです
つまり、まず、神と聖書を知ることこそが「知恵」の初めなのです
無神論など『論外』です
人生の答え、それは、キリスト教原理主義以外にはありえないのですから
素直に正直に何の制約もなく「どこまでも真理を求めていける」
それが「原理主義です」
原理主義以外、「それは不可能です」
なぜなら、「無い答えを求めているのですから」
オフライン
#33 2016年07月26日 16:17:17
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
はっきりしている事は「神」は「信仰」以外の「答え」を与えなかったということです
人生の答え、絶対真理ということに関して言うならば
聖書に書いてあるように、愚かな低きものが高くされ、世の知恵者を気取る高いものが低くされるのです
はっきり言えば無知であることこそがもっとも神に近く
神を知ることができる立場にいると言えるでしょう
キリスト教はある意味にんげんの知恵に対する強い「皮肉」みたいなところがあります
宗教というものはそういう逆説的なものです
幼子のように疑う心を持たず信じる心がもっとも神に近いのです
はっきり言えば「この世の知識をませばますほど、神に対する信仰は弱くなります」
神を信じたければ、「それらのすべてをすてることです」
世の知恵は一時のもの、神だけが「永遠」なのですから・・・
オフライン
#34 2016年07月26日 18:26:05
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
横やり失礼します。
わたしの読解力が足らず、どこにツッコミどころを見いだせば良いのか分からないのですが。。σ(^◇^;)
精読するのも億劫なので「サーテさんの宗教観がJW問題とどのように関連してるのか」、まずは簡潔に三行くらいでまとめていただけませんか?
#36 2016年07月26日 22:46:16
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
(聖書は古代人が書いたファンタジー、出鱈目以外のなにものでもありません。それは調べれば誰でも判りますよ)
嘘つき者が「自分は嘘つきだ」と言えば正直者なのか、のパラドクスみたいになってきました汗
嘘つき者が「自分は正直者だ」と言えば、こっちは真正の嘘つきですよ
聖書は歴史的にも、科学的にも正しいと教える、真正嘘つき原理主義(JW含む)にはモノ申さなくていいんですか
繰り返しますが、この質問にお答えください
この掲示板はそれを検証することはありますが、それ以外に、聖書が出鱈目でもいいから信じる方と、この「JW掲示板」で討議する意義が見出せません(JWはそのような主張をしない)
#37 2016年07月26日 22:56:49
- ルート
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
こんばんは。
私は子供の頃から漠然と、「人は、頭が良すぎないほうが幸せなのかもしれない。」と思って生きてきました。
頭がよければ良過ぎるほど、気づかなくていいこと、見えないほうがいいこと、知らないほうが幸せなことを知ってしまうからです。情報の多さと苦しみの量は比例していると私は思っています。
小学一年の秋の夕暮れ時に、友達と遊んで遅くなってしまった黄金色の家路を一人歩きながら、高くなった空の美しさと秋桜に感動していました。ふと思って立ち止まり、自分に問うたのです。
「私はこのきれいな季節を、あと何回過ごせるのかな。」と。
「多くても80回くらいかも知れない。たったの80回。80回も、ではなく。春の桜も、夏の向日葵も、冬の雪の結晶も。」子供心に抗えぬ強い恐怖と絶望を覚えました。
その夜、広く真白な部屋にひとりいるだけの夢にうなされました。その夢は今でもたまにみます。頭が良いほうでない私が、条件が揃って気付いた現実、の代償です。
頭が良いほど、知りたい答えに辿り着くのが早い。知能指数の検査も結局それです。平等に与えられている時間を無駄にしなくて済みます。でもその一見無駄の中にこそ、その人らしい幸せが詰まっているのかも知れません。
聖書には、頭が良過ぎない普通の人たちの時間を有効につかう術と、一見無駄の中の幸せを味わう術が書かれているのかも知れませんね。
なぞなぞの答えは1つだけとは限りません。宗教観の究極を突き詰めていけば、カレブさんとサーテさんのお二人とも、正解、という可能性もありますね。
サーテさんの言葉の端々から、どちらのことも知りませんが恐らく、カレブさんと同じくらい調べ読み尽くしてこられたのが垣間見えます。
#38 2016年07月26日 23:26:18
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
じゃあ「絶対真理」とは「嘘」でもよいのですか?
と思った人もいるかもしれません
ええ、構いません(笑)
所謂、「人生の真理」=「絶対真理」には「元々『嘘』しかありません」
本物の「宗教」も本物の「神の啓示」も存在しません
じゃあ「信じ込めればなんでもいいんですか?」
『違います』
「絶対真理」は「人類共通の指針」でなければ「意味がありません」
つまり、「人類最大の宗教」である「キリスト教」こそが「絶対真理にふさわしい」ということになります
その他にも条件はあります
教えが単純であること
その点、天にたったひとりの神様がいてすべてを支配しているというキリスト教は合格です
キリスト教の神観念や教えは民衆にもふつうに理解可能です
キリスト教が広まったのは偶然ではありません、神観念と教えが誰にも理解可能な単純なものだったからです
経典がきちんと一冊にまとまっていること
キリスト教は聖書という大きな意味では一冊の経典に纏まっており
合格です
仏教のように無数の経典が並立している場合、複雑になりすぎ、事実上、世界宗教としては不合格となります
現に仏教徒は世界で三億人か、四億人しかいません
ヒンズー教にも負けているくらいです
つまり、外典や様々な経典を付け加えて研究する行為は「無意味」です
「宗教としての「自殺行為」でしかありません」
民衆は、「単純な宗教」しか「理解しません」
宗教や知識は複雑になれば複雑になるほど、「マイナーなもの」になっていきます(これに特に解説は必要ないと思います)
「キリスト教」はあらゆる意味で「人類の絶対真理」として「合格点」をあげられる「宗教」なのです
オフライン
#39 2016年07月26日 23:35:44
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
「宗教」には「複雑な神学」や「高度な哲学」は「必要ありません」
「単純で明快な教え」があればよいのです
はっきり言えば、「そもそも『嘘』であるものに「真理の探究もへったくれもないでしょう」」
「宗教」は、すでに書いたように「人間の知性に対する「皮肉」です」」
『「神」の「赤ん坊のような「無知」」の「具現」こそが「宗教」なのです」
「宗教」に「余計ない虚飾は必要ありません」」
「ただ、「唯一絶対の神」がいて「救ってくれる」、「それだけで良いのです」」
はっきり言いますが
「神学」や「聖書学」やそれに関する「考古学」などは、「まったく「宗教の本質ではない無駄な行為です」」
『単に人間が人間の知恵を振り回しているのにすぎません』
「「神」とは、「赤ん坊のような無知の中にこそあります」」(これは間違いありません)
オフライン
#40 2016年07月26日 23:48:27
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
つまり、外典を読んだり、アーマンのような聖書学者の本を読んだり
「神学」を「研究」したとしても「何もわかりません」(絶対真理に関しては)
そこには「空洞」しかないでしょう
「人生の真理」に関して言うならば、「人の知恵」など「まったく無意味」なのです
つまり、「聖書について学問的に調べるなどという行為には『元々何の意味もないのです』」
『ただひたすらに『信じていく』、それだけが「真理」に至る道です』
「これは、間違いありません」
学問的な聖書知識をいくら増しても「何の意味もないことです」
『それは「絶対真理」から遠ざかる「サタンの罠」にしか過ぎません』
「絶対真理に至りたいのなら、「神学書」や「聖書学の本」など『捨て去る事』ですね」
私も宗教に関するブログをやっています
興味のある人は覗いてみてください
オフライン
#42 2016年07月27日 00:11:31
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
学問的に聖書を研究しても
「単にフィクションである」という結果が返るだけで
「何も得ませんよ」
ユダヤ教の知識も二千年前の知識も昔のユダヤの知識も一切「必要ではありません」
『ただ、いまある「正当キリスト教教義」、『それだけで十分です』』
繰り返しますが、「絶対真理」に関しては「知的で誠実な探究」なんかには
『何の意味もありません』
「「神」は「沈黙」をもって「答える」だけです」
『「神」が何かを語るのは』
「単に「信仰を持っている時だけなのです」」
『ただ、今ある「正当教義」、それだけが『重要』なのです』
オフライン
#43 2016年07月27日 00:21:55
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
サーテさん
投稿者さんから質問が投げかけられていますよね?
まずはそこに回答して、ディスカッションを成立させてみては如何でしょう。
ご自身の持論を思いつくまま書き殴るだけでは、2ちゃんやブログの独り言となんら変わりありませんよ。何も産み出しません。
#45 2016年07月27日 01:02:50
- u-chan
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
CNNニュース 急増するイスラム教徒、40年後にキリスト教に並ぶ (米調査機関)
「人類最大の宗教」である「キリスト教」こそが「絶対真理にふさわしい」ということになります
いえいえ、近い将来、「人類最大の宗教」となる「イスラム教」こそが「絶対真理にふさわしい」ということになります。
天にたったひとりの神様がいてすべてを支配しているというキリスト教は合格です
いえいえ、天にたったひとりの神様がいてすべてを支配しているというイスラム教も合格です
キリスト教が広まったのは偶然ではありません、神観念と教えが誰にも理解可能な単純なものだったからです
いえいえ、イスラム教が広まったのも偶然ではありません、神観念と教えが誰にも理解可能な単純なものだったからです
経典がきちんと一冊にまとまっていること
キリスト教は聖書という大きな意味では一冊の経典に纏まっており
合格です
いえいえ、イスラム教もコーランという一冊の経典に纏まっており合格です
最大人口のキリスト教徒のうち、原理主義派はどれくらいなのでしょうね。
"多い方が勝ち"なら、原理主義派よりもカトリックが一番優れているということになるのかな?
どうせ、このメッセージも無視でしょうね。
オフライン
#46 2016年07月27日 01:06:18
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
宗教が単なる「人間の思い込み」にすぎないのなら
『そんなものに「何の意味もありません」』
それで結論は?
そろそろ聴かせてくださいよ (笑)
#47 2016年07月27日 01:07:48
- ルート
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
もしかしてサーテさんは、ご自分の考えをある程度一通りまとめて書き込んで、閲覧者の皆さんに基本を理解してもらってから、質疑応答に入るおつもりかも知れません。
私は複雑に考える人、と誤解されているかも知れませんが、超ど単純人間です。そういう風にしてまとめていただいたほうが、あとから読み返してみる時もわかりやすいという利点があり、助かります。
サーテさんはのっけからメンバー登録なさって、やる気満々ですね。
#48 2016年07月27日 08:51:08
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
じゃあ「絶対真理」とは「嘘」でもよいのですか?
と思った人もいるかもしれませんええ、構いません(笑)
所謂、「人生の真理」=「絶対真理」には「元々『嘘』しかありません」
この辺が回答なのかなと思いました
共有できるものがあるのかなと期待したのですが、信者数にこだわると身内の原理主義にモノ申せないのはどこも同じですね
ネット契約数No.1とか保険会社の選択じゃないんだから、「その土地で大切にされ、受け継がれてきたもの」を判断条件にする人もいますよ
天皇が神の子孫とかファンタジーだけど空気を読んでツッコまない
科学は宗教を殺せなかったと言うのは、科学は天皇制を廃止できなかったと言うのと同じレベルです。科学はそんなことに意見しないし、天皇制の在り方が変わってきたように、宗教の在り様も変わってゆく、それだけの話です。
#49 2016年07月27日 11:08:57
- サーテ
- メンバー
Re: サーテさんのスレッド(ドーキンスのスレッドから分岐)
で、何度も言うように
「聖書」は「非科学的」で「いい加減」で「まったく出鱈目な書物」です
これを否定する人は「頭のおかしな人」としか言いようがありません
まともに客観的に「聖書」を「神の言」として研究しようとした場合
「しまいに『むかついてきます』」
しかしすでに書いたように「そのような客観的、学問的分析など『そもそも無意味なんです』」(笑)
なぜならこれもすでに述べたように「絶対真理の書」なのですから(大笑)
つまり聖書は「ただ信ずべき書」なのであり、その時に「初めて「絶対真理の書」となるのであり」」
「客観的分析そのものが何の利もあることでもないからです」
すでに長々と述べたように「客観的人生の真理」=「絶対真理」は『存在しません』
「人生の真理」とは「信じるところ」にしか「生じないもの」なのです
「こんな嘘っぱちの書物、「神の言」と信じるのは「嫌だ」と「あなたは言うでしょう」」
『仕方ないでしょう?「それ以上のものがないんですから」』(笑)
すでに書いたように「すべての宗教書は「嘘」なんです」(これはちょっと考えればだれでもわかります。万人が納得する客観的真理に基づいた「人生の真理」があれば世界はとっくにそれで統一されています)
どちらにしろ「人の知性」で「人生の真理」=「絶対真理」が分かるということは「ありません」(これもちょっと考えればわかりますが、そんな事が可能ならとっくに万人が納得する「絶対真理は発見され世界の価値観は統一されています」。誰もそんなものがわからないからさまざまな宗教があり、価値観があるわけです)
でも「絶対真理」がない「人生の答えがない」という「答え」に「あなたは納得しないでしょ?」
『ならば「聖書」を信じなさい』
『どちらにしろ、「それ以上の『答え』など「どこにもないのですから」』
「はっきりしていることがあります、「神の言」とは『信じるところにしか「生じない」ものです』」
「「客観的」「科学的検証」に耐え得る「神の言」など『この地上には「ありません」』」
ないものを求めてもしょうがないでしょう
「あるものから信じてください」
もう一度言います、『「神の言」とは「信じるところにしか「生じません」』(これはなんら間違いのない「絶対真理」です(大笑))
「信仰」だけが「唯一知性を超越した」『永遠の真理』に人を導く道しるべとなるべきものなのです(そんなことは宗教や聖書でさんざん言いつくされていることですが)
私はなにも「新奇な道」を説いているわけではありません
何千年も前から宗教で説かれていることを「ただ繰り返しているだけ」です
オフライン