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#1 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2017年04月28日 18:20:19

モモちゃん さんの発言:

今日中に問題を一気に書き上げる事にしました。恐ろしい出来事を再現するのは大変なエネルギーが必要になります。

つらい経験を思い出して、書き綴ることは膨大なエネルギーを消耗します。
わたしはJWになる前、とある施設で生活していた体験談を
原稿用紙320枚分の字数を書いたことがあります。
途中で何度もやめようかと思ったものです。
いくども中断しながら仕上げることはできました。
その、子ども時代の体験がJWを信じるきっかけになったのです。
とにかく、モモちゃんは自分を消耗しない程度に
休息しながら書き綴ってください…。
くれぐれもご自分を大切にし、疲れすぎませんように…。

#2 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2017年04月28日 18:07:34

モモちゃん さんの発言:

しかし半生を組織の為に費やして来た自分の人生はなんだったのだろう?と考えてしまいます。(;_;)

わたしも常々そう思いましたよ。誰かが言っていました。
この組織に対して最大限復讐するのは
「自分が幸せになる」ことだって…。
掲示板に書き込む人も読むだけの人も
みんなで満面笑みの幸せになりたいです…。

#3 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月27日 18:03:34

わたしは「組織」より「聖書」が上だとずっと思ってきました。
組織の聖書解釈が正しいと考えることができればです。
最終的にはネットを見るまで
組織の聖書解釈が正しいと思っていたのですが、
組織からもたらされる情報以外は取り入れる
チャンスが無きに等しかったようです。

もう30年近く前、東京は神田にあるキリスト教関連の
ブックセンターで排斥だったか断絶だったかした兄弟の
経験した記録をこっそり読みました…。
目がくらくらしてしばらく自分がおかしくなった覚えがあります。
現役さんには禁書ですからね…。
でも、わたしはずっと思っていたんです。
こんなにすばらしい真理をどうして捨てて、
組織を離れていくんだろうって。

まさか、直接聞くことはできないし、
ちょうど目の前にあったんですね…。誘惑に負けたんです。
これから20年近くなって脱塔です。
今になると、その記録の意味がよくわかりますね…。

#4 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2017年04月27日 17:46:47

つぶやき次郎 さんの発言:

地方は人材がすくないからねぇ。トンデモな人でも長老になれるんだろうね

それは非常に正しいと思います…。

#6 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月23日 16:46:16

鬼太郎兄弟
ねぎらいの言葉をありがとうございます。
先日のJWTCで「交流分析」について話してくださいましたね。
その手法を使うとJWが精神的に幼児状態に
おかれ続けていることがよく理解できました。
わたしは現役時代周囲の人々について、
現在考えれば、よい方法ではないのですが、
自分で聖書や出版物を読んで自分なりにもっと考えれば
いいのにといくどもいくども思いました。
そうした人間としての判断力も曇らされていることを
悔んで残念に思ったものです。
ヘブライ人の手紙でパウロがクリスチャンたちが
知覚力を訓練して円熟するよう励ましているのですが、
JWたちはクリスチャンとしての円熟、
いや人間としての円熟に決して達しないのだと思います…。

#7 Re: 親睦・相談 » 四国元JWの同窓会 » 2017年04月23日 16:36:48

同窓会開催できるといいですね。
わたしは四国にほとんど行ったことがありませんから、
同窓会を兼ねて行ってみたいのですが、
700km以上離れているので、無理そうです。
有志が現れるといいですね…。

#9 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月18日 19:01:10

1,000時間奉仕者 さんの発言:

需要は高かったですね、未信者の夫持ちの姉妹たちと学校帰りの子たちの両方を救うために、17:00とか17:30とかが多かったかな。世俗の仕事で昼間が空かない長老たちに代わってペーペーの奉仕のシモベが司会していたこともありました。

わたしが司会させていただいていたのは16:00だったと思います。
最初は王国会館でしたが、わたしを負ぶいあげてくれる
人材が見つけられなくなったので、公営で使用できそうな
一階の施設を借用するようになりました。
車いすは自力で移動し利用できる…。
この事前予約もわたしの担当でしたね。
誰かに代理してもらえばよかったと今になって悔やんでいます…。

#10 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月18日 18:44:45

野の花 さんの発言:

聖書教育と言いますが 持って生まれた気質や受け継いでいる家風のようなものまでは再教育できないと感じています。

野の花さん、コメントありがとうございます。
わたしも含めて聖書の言う「新しい人格」なんて
入れ替えることはできないんだって、ずっと思っていました。
「生まれついた気質や受け継いだ家風」に上塗りしていて、
自分にとって都合いいときや悪いときに
上塗りの「新しい人格」を「古い人格」が突き破って出てきていました…。
とても、醜いものです。
ほんとうにこの人は聖書を勉強しているのだろうかって
わたしは狼狽させられましたよ…。気が狂いそうだったです…。

「聖書教育」だなんてかっこういいこと言いますが、
「ものみの塔の奴隷教育」だったのですね…。
今の組織も同じことの繰り返しだと思いますよ…。

#11 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月17日 16:46:32

脱塔分室のほうには視覚障害者のJWに起こった出来事を
書いたわけですが、今回はわたしについて記述しようと思います。

先日行われた記念式の前日、JW長老から記念式に誘われました。
電話口で「雨が降らなければ行きます」と返事したのです。
もしかしたら、「雨降りだったら僕が迎えに行くけど、どう」、
なんて甘い言葉を期待していたのですが、それはありませんでした。
わたしだったら送迎を自分から申し出るところですが…。
わたしも自力で自動車を運転できますから、
王国会館まで自力で行くことは可能ですが、駐車場の問題があり、
王国会館に自動車で行くことは避けています。
だから、電車で行くつもりでした。でも…。
雨降りで傘もささずに駅から15分も車いす移動はしたくないのです。

さて、わたしは現役時代奉仕の僕で、群れの司会者でした。
この群れは特殊な集会だったのです。
それは「午後の群れ」という名称でした。
知っての通りJWの集会は週中であれば午後7時ごろから開かれます。
主婦や幼い子どものいる人がその時間帯に出席するのはたいへんです。
だから書籍研究だけでも時間帯を変更して、
主婦や子どもたちの負担を緩和し、帰宅するご主人たちとの
関係も改善できるような変更が加えられていました。
とても、優れた方策だったと思います。

出席者には80代、90代の姉妹もいましたし、小学生以下の
子持ちの主婦もいたわけで、
その送迎もわたしが自分から申し出てしていました。
この群れの時間設定は素晴らしかったのですが、
裏を返すと働いている兄弟たちはほとんど出席できません。
王国会館はマンションの二階にあり、
外階段から上がってゆく必要がありました。
エレベーターや昇降機などありませんので、通常の集会では、
力持ちの兄弟たちに背負ってもらっていました。
でも、午後の群れのなると背負ってもらえないこともあり、
わたしはその階段を自力で這い上がっていたのです。
ズボンも汚れていいように二重にはいて、
司会するときは汚れたほうは脱げるようにしたのです。
車いすは人間ほど重くないので女性でも運べます。

いま、振り返ると7年以上もよくやって来たと思いますね…。
ガソリン代をもらった覚えもありません…。
でも、理由も説明されず司会者は降ろされてしまいました。
脱塔直前、集会出席が少なくなっても、
群れのメンバーからの電話などほとんどありませんでした。
わたしのはらった努力っていったい何だったのだろうって
よく思ったものです。

JWは自分たち以外を「世の人、世の人」っていい、
自分たちより情の薄いことを強調します。
でも、離れてみるとそんなことはありませんでした。
助けてくれる人も大勢いたからです。
年に一度の記念式なのに
出席するためのサポートの申し出もないなんて冷たいなあって
思うのはわたしだけでしょうか。

前にも、その長老に事情を話したことがあるのですが、
「それは言ってくれなくちゃあ、わからないよ」という返事でした。
わたしとは感性がまったく違うなと思ったものです…。

#12 Re: 総合フォーラム » エルサレムの陥落 607年問題 » 2017年04月16日 18:47:26

黒ちゃんさんはご自分の納得できるように
調査したほうがよいと思います。
ただ、これまでの経過では
BC607年を決定的に裏付ける証拠は見つかっていません。
わたしはそのように理解しています。
でも、人間というのは不可思議な生き物で、
他の人から何を聞かされようとも自分が納得できるまで、
証拠調べをしたい生き物だと思います。
どうか、そのような気持ちを大切にしてください。
それが脱塔の早道だと思いますから…。

#13 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年04月16日 18:37:34

三太郎さん、コメントありがとうございます。
お互い人間を取り戻すことができてよかったですね。
人間本来の感情というのか、気持ちというのかですが…。
感じるところはとても大切にしたいものです。
「マッカラン12年」ですか。わたしは初めて聞きました。
チャンスがあれば味見したいです。
わたしは必要なところで「アホ」になれれば、
人間として自分にも必要なことだと思っています。
おいしいお酒、楽しんでください…。

#14 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年04月15日 19:51:25

てつてつさん、心で理解してくださり、ありがとうございます。
てつてつさんも、脳性マヒで重度障害のJW兄弟を
サポートされていたと聞いていますので、
わたしの述べる経験談を真実な出来事として
分かち合ってくださったのですね。
わたしのとってJW時代の悲しい一面でした…。

#15 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年04月15日 17:49:16

2003/8/20
JWICへの投稿です。
わたしは目は見えるのですが、
JW組織は障害者には冷酷なところでした。
視覚障害のJW友人に生じた出来事の記録です…。

「エホバの証人と性の問題-その一-ロービジョンの場合」-ラハムより

(8-20-03)
  わたしの知りうる限り、日本においてエホバの証人ほど性に関して厳格さを示す
宗教は存在しないであろうと思います。これはピカイチでしょう。ほめられるべきこ
とだと思います。しかしまた、同じく日本においてエホバの証人ほど性に関して歪ん
だ見方と行動をとろうとする宗教も存在しないと思います。

  広場も含めてさまざまなサイトで男女の交際、男女関係、結婚について、性に関
する見方が述べられていますが、わたしが個人的に知っている幾人かの信者であり、
障害を持つ人々の扱い方から、エホバの証人が性に関してもっている歪んだ-いや、
組織から植えつけられたというか-見方や行動について述べて見たいと思います。こ
れから述べる事柄は、信者の多くが示した反応であり、少数ながらそうではない反応
もあったということを最初に申し添えたいと思います。

  まず最初にわたしとしては聖書を素直な気持ちで読む限り、性というものは美し
くて良いものであると思います。その理由は最初の人間であるアダムとイブに与えら
れたエホバからの最初の命令が子孫を産んで殖やすことだったからです。もちろん悪
い記録もたくさんあります。これらが真実かどうかはさておいても、性というものが
存在しなければわたしたち人類はここまで多くはならなかったでしょう。聖書の記録
では男女の性関係なしに存在したのはアダムとイブ、キリストと呼ばれたイエスだけ
です。

  最初に考えてみたいのは、ロービジョン(Low Vision-視覚機能が低下してい
る)の場合ですが、これは視覚に障害のある人々のことです。視覚に障害があると
いっても、いわゆる全盲という光をも感じないということでなく、ガイドヘルパーの
サポートが必要な人ということです。ここでは“ロービ”と省略します。

  通常晴眼者がロービをガイドする場合、ロービは晴眼者の後方で軽くそっと肩や
腕などに触れた状態でおこなわれます。彼らをガイドする場合に杖を引いたり、手や
腕を握り引くことは危険なこととされていますので、障害ゆえにやむをえない身体的
な接触です。この、障害を持つことを自ら選んだわけでなくやむにやまれず置かれて
しまった状況の人々に対する精神態度や対処方法にエホバの証人に植え付けられた性
に関する歪んだ見方が如実に現れていると思いました。以下に記す事柄はわたしの親
友であるロービの一兄弟(当時50歳ぐらい)を扱うさいに経験した実例です。

  彼がわたしの交わっている会衆の集会に出席し、伝道活動にも参加したいという
ことでしたので、わたしは朝早くから自動車で迎えに行きました。わたしは、その日
は講演の割当もあり、彼がせっかく来てくれるということでしたので昼食や夕食もわ
たしの家でもてなしたいと考えましたから、20歳ぐらいの若い学生の姉妹たちに応援
を頼んだのです。

  昼食を終えてから、その二人の姉妹たちに野外伝道で彼をガイドしてくれるよう
に頼み、伝道の集合場所まで自動車で連れて行き、わたしは夕食を自分で作りたかっ
たので自分のうちに戻りました。

  そのロービの兄弟は特に女性のガイドヘルパーのことを考慮して蒸し暑い夏でも
長袖のシャツを着用し、直接には素肌が触れ合わないように気をつかっています。そ
のようであっても女性がガイドするということで非難の声が上がり、長老たちふたり
そろって、自分の娘のようなひとりの若者に助言するということが生じたのです。

  その伝道地域は自動車の往来が激しく、人の声を聞き取ることが難しい場所でし
た。当然のことですが彼も視覚に障害があるわけですから、情報は声や音、接触によ
る以外にはありません。伝道に参加した姉妹たちから聞かされたことですが、年配の
女性たちの中にはその二人を見て「なんですか、ありゃ」と言った人もいたそうで
す。また、現場でともにいた長老にも聞いたのですが、そのふたりにガイドの交代を
申し出たけれども返事がなかったということです。 

彼らは人を毛嫌いすることはありませんから、なぜ交代の申し出に返事がなかったの
かわたしは不思議に思いましたので、直接彼らに聞いてみたところ、ふたりとも長老
のその声は聞こえなかったということです。そこは声が聞こえにくい場所であったこ
と、伝道中はおしゃべりに夢中になって他の人の声が聞こえないこともあること、な
によりその長老はふだんからぼそぼそ声で非常に聞き取りにくいことが多いことが重
なってしまい、生じた出来事だったのです。

わたしはふたりの姉妹たちにガイドを依頼したわけですが、ひとりは別の人と伝道し
ていたので助言されることはありませんでした。彼女ひとりが王国会館の第二会場で
長老ふたりから王国宣教の1988年2月号を用いて、異性に対する振る舞いに関して助
言をされたそうです。こののち彼女は会衆の人々に見られるところではガイドヘルプ
をすることを避けるようになりました。まったく嘆かわしいことです。

わたしはこれを聞いてショックを受け、大いに当惑し、動揺したことを覚えていま
す。見ることによって物事を判断することのできない人に、自分の申し出が聞こえた
かどうかどうして確認しなかったのか。「なんですか、ありゃ」といった人はそれがよ
くないと感じるのであれば、なぜ自分みずからガイドを申し出ようとしなかったの
か。これらの件についてぼそぼそ声の長老はわたしに対しても伝道に来て、彼らを援
助しなかったことを注意してきました。

その現場にはわたしと親しい奉仕の僕の兄弟がいましたので、彼がロービの兄弟たち
のことをどう思っているのかを、これらの事情を説明してから聞いたことがありま
す。彼の話では一緒にそのぼそぼそ声の長老がいて何もしないのだからそのままでい
いと思った、ということだったのです。彼の立場からすれば妥当な反応でしょう。障
害者をサポートすることについてはそれぞれの感性もあると思います。

たとえそうであっても、律法下におけるイスラエル人やヨブ記に現れる記述、またイ
エスご自身のことばによれば視覚障害の人々を異性であろうとなかろうと誰がサポー
トするかについて依存は何もないはずです。それを仲のよい男女が腕を組んで歩くこ
とと同じように感じて助けることに異議を唱え、交代の申し出が聞こえたかどうかを
確認もせず、助言するとはなんという非人間的な扱いでしょう。わたしはこうした非
人間的な扱いにはとてもついていけなくなったのです。

ある人々はロービの人をガイドすることが異性の接触を意味していると考える根拠と
して「さて,あなた方が書いてきた事柄についてですが,男は女に触れないのがよい
ことです」というコリント第一7章1節を持ち出します。わたしにとってはばかばかし
いとしか言いようがありません。性的な接触とガイドヘルプをごちゃまぜにしている
のです。気の毒なぐらいであり、この人たちはほんとうに聖書を真剣に読んでいるの
だろうかと考え込んでしまいます。

これは文脈を読めばわかることですが、性的な接触をさしていますし、ものみの塔は
1973年の4月15日号の読者からの質問でこの意味をはっきり説明しているのです。神
と聖書の精神がはっきりわかる人にはこのものみの塔の説明すら必要ないはずです。
視覚障害者のガイドにこれを当てはめるなどとは愚の骨頂と言わざるを得ません。

ロービの人々をガイドヘルプする場合は腕を組んでいるように見えますが、恋人同士
のようにしっかり組むことはないのです。それはとっさの場合すぐに離れることがで
きなくて危険なことだからです。それで、そっと触れてヘルパーの位置や動きがわか
る程度であり、彼の場合手のひらでなく、手の甲で触れることが多いのです。

付け加えるのであれば、彼は鏡で自分を見ることができないこと、自分の外見を確か
めることができないためでしょうか、外部から見ていると女性との接触の仕方に誤解
を招きそうになることも事実です。しかし、たとえそうであったとしても上記のよう
な非人間的な扱いをしてもよいことにはなりえないと思うのです。

わたしはこうした扱いを知るとき、安息日に片手のなえた人を癒したイエスを訴えた
人々のことを思い出します。イエスは彼らを憤りをもって見まわされました。それは
彼らの心の無感覚さを深く憂えたからだとマルコ3章1から6節に記されています。

なぜ、エホバの証人はそのような聖書を信じていると主張するのに心の無感覚さに気
がつかないのでしょうか。この次は、もうひとつの実例をあげて考察してみたいと思
います。

《編集者より》
この体験談も、エホバの証人がいかにイエスの当時のパリサイ人とそっくりであるかを物語るものだと思います。ありがとうございました。

#16 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月15日 17:36:59

#579のつづきです。

-18 (1)-
第二章 聖書について 私たちにとっての各幕の読み方と意味
3. 物語におけるクリスチャンの位置

聖書は、創造、堕落、イスラエル、イエス、教会の
五つの舞台から成り立つ物語の中に生きている人々を描いています。
イエスのよって贖われたクリスチャンは、第五幕に生きる人々です。
第一幕から第四幕までの登場人物と深い関わりがありますが、
その生き方をそのまま模倣することはできません。
私たちは、第一幕(創世記1から2章)の創造やエデンの園に登場する
「人類の祖」であるアダムとエバを、第五幕に登場する
クリスチャンの創造時の人間像として読まなければなりません。

といっても、クリスチャンや教会が罪のなかったエデンの園に
戻って生きることができるなどと考えてはなりません。
現代に生きるクリスチャンが、創世記一章と二章の世界から
「こうあるべきだ」と論ずることは構いません。
しかしそこには、わずかなヒントがあるだけで、
今の私たちが必要としているものはほとんどありません。
クリスチャンは、エデンの園にモデルを求めて戻ろうとするのではなく、
新創造に向かって変革していくのであり、
神の全体のご計画を知って行動していかねばなりません。

第二幕(創世記3~11章)は、人間の堕落の出来事を伝えています。
そこにはキリストの贖い以前の悲惨世界の姿が描かれています。
現代社会とほとんど変わらない状況を見いだし、驚くでしょう。
しかし、現代のクリスチャンは、既にキリストの贖いを受けています。
第五幕の生き方を、第二幕の世界と同一視することはできません。
たしかに悪はこの世界に満ちています。
しかし、キリストに贖われたものに対しては何もできません。
今や私たちは、勝利者イエスのもとに歩む恵みを備えられているのです。

第三幕(創世記12章からマラキ書まで)は、
イスラエルの歩みを報じています。
クリスチャンはイスラエルの民ではないので、神殿に行ったり、
犠牲をささげたりはしません。律法や預言者のメッセージは、
古代イスラエルの民に向かって語られたものです。
クリスチャンは、第三幕のイスラエルの民をモデルにして
生きることをしません。ただし、ここに難しい問題があります。
第四幕のイエスも同じですが、第五幕で生きるクリスチャンの中には、
ユダヤ人と接触して生きることを余儀なくされた人々がいたことです。
例えばパウロは、ユダヤ教の中で育てられ、
ユダヤ人の仲間とユダヤ教の会堂に入って伝道を展開しました。
ここでは、「ユダヤ人には、ユダヤ人のように」という
行動原理が求められました。この問題は、ガラテア人への手紙第3章や
ローマ人への手紙第4章で扱われています。

#17 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年04月14日 15:44:32

13年以上箱詰め保管していたものみの塔出版物の
整理を始めてみたら、ブックカバーをしたままの書籍が、
10冊以上あることに気が付きました。
おもにポケット版書籍でした。
カバーだけ残っているものもあります。
どの書籍カバーか思い出せないものもあります。
デラックス版聖書カバーは
チャックで閉まるようになっていますが、
誰かにあげてしまったようで、聖書はありませんでした。
そう、革表紙で、本の小口が金ぴかのやつです。
かっこうよかったですね。

普段、集会や奉仕のとき持ち歩く書籍は、
痛みやすいので、カバーをしていたものです。
JW兄弟でものみの塔専門の
カバーを手作りで製造販売している人と知り合ったので
よく注文していました。

箱詰めされていたので、表面が白っぽくなり、
カビ臭くなっていました。カビは生えていません。
赤・青・緑・茶・えんじ・黒など豊富な色です。
表面をふいて白くなったところをとり、
椿油を手に塗った後、素手で油をすり込むと、
皮の表面がつやつやと光るようになりました。
もう、協会の文書は持ち歩かないので、
ほかの本につかえないかとはめようと試しました。

ものみの塔書籍にぴっちり合うようになっているので、
案の定、使うことができません。
本革ですから捨てるのはもったいないしなあ…。
マウスパッドにはどうかと試したのですが、
でこぼこして動きが悪いです。
何かの敷物につかえると思いますが、
ゆっくり考えましょう…。

作ってくれた兄弟は当時70歳ぐらいだったから、
もう90歳ぐらいになっているでしょう。元気ならです…。
どうしているだろうか、忠実なJWやっているのかな…。
遊びに行くと真っ先に将棋の相手をさせられた…。
ボケていなければいいけれど…。

こうして振り返るとほんとうにものみの塔
信じていたんだなあって思いますね…。
これに裏切られるとは夢にも思わなかった…。
命がけで信じ続けていた人生も
徐々に遠い過去の出来事になりつつあるのでしょう…。

#18 Re: 総合フォーラム » 揺らぐ心 » 2017年04月14日 15:04:22

野の花さん、どうもありがとう。
牡羊座って熱いんですか、知りませんでした。
その本のタイトルは
「現存する万民は決して生き延びることなし」が
ふさわしかったですね。1920年は大正9年になると思います。
おととし、102歳で死んだ父は大正2年生まれだったのです。
大正9年に20才だったら1900年生まれで最高117歳です。
たぶん、だれもいないでしょう。
いればギネスブックに出てくるから…。

最近銀行の口座申込書をみたら生年月日に「明治」の
項があったので明治生まれがまだいるのか聞いたところ、
まだ存在しているということでした。
すごい人がいるものですね…。
でも、その本を真に受け続けた人はいないでしょう…。
南無妙法蓮華経…。

#19 Re: 総合フォーラム » 揺らぐ心 » 2017年04月13日 19:31:46

野の花 さんの発言:

1920年発行の「現存する万民は決して死することなし」の全文が読めます。 http://ameblo.jp/analyzejw/entry-12239661357.html

いやあ~! ほんとうに貴重な資料ですね。
もったいないような気がして、じっくり読ませていただきます。
これからも、新しい資料があれば、おしえてください。

#20 Re: 総合フォーラム » 聖書と誕生日について » 2017年04月13日 14:40:27

irisさん、お祝いのお言葉ありがとうございます。
脱塔後、その言葉を素直に聞けるようになりました。
「時は金なり」と昔から聞かされていましたが、
自分の命の持ち時間に制限のあることに気づいてから、
「時は命なり」と考えるようになり、
自分の時間と他の人の時間を大切に扱うようになりました。
人として与えられている時間こそ貴重な宝であり資産です。

#21 Re: 総合フォーラム » 聖書と誕生日について » 2017年04月12日 18:07:05

鬼太郎さん、moonさん、温もりのあるお祝いありがとう。
この一年、なんとか生き延びることができました。
皆さんからお祝いのお言葉をいただいて、
「誕生日、おめでとう」というのは
「誕生日を無事迎えられてよかったですね。
また、来年も無事にこの日を迎えられますように」という、
祈りにも似た祝辞なのだと気付きました…。

#22 Re: 総合フォーラム » 聖書と誕生日について » 2017年04月11日 20:06:11

SMGさん、どうもありがとう。
記念式に誘われていましたが、雨天の理由で行きませんでした。
みなさんのご返事を読んでいて目から雨降りました。
おびただしく苦しかったこと、思い出してね…。
みなさんといっしょにもうちょっと生きようと思います…。
これからも生き続ける力を分けてください…。

#23 Re: 総合フォーラム » 聖書と誕生日について » 2017年04月11日 18:00:21

ささらさん、てつてつさんありがとうございます。
最近はもうちょっと頑張れるかなって感じています。
これからもコメントよろしくお願いしますね…。

#24 Re: 総合フォーラム » 聖書と誕生日について » 2017年04月11日 16:20:15

JWを何十年も続けていると必然的に
非JWの人々とも人間関係を持つようになります。
それで何かの拍子に自分の誕生日を知られてしまい、
親切な人は「誕生日をお祝いしよう」などと
申し出てくれることもありました。

わたしは30代中ごろまで命を保ち生き続けていることの
困難さの意味がよくわからなかったのです。
というのか、自分のうちに命のあることの意味を
感覚として感じることがありませんでした。
でも、あるとき自分には体内時計があって、
それはさらさらと音もなく落ち続けるような
命の持ち時間の砂時計があることに気づかされたのです。

聖書には「人は自分の死ぬことを知っている」
と書かれていますが、若くて元気だったわたしは
なんて当たり前のことが書いてあるんだろう、
当たり前すぎてばかばかしいと思っていました。
ところが、命の砂時計が減り続けているのを
感じるようになった途端、その聖句の真実味が
わたしに迫ってくるようになったのです。
それ以来、脳裏から自分の死が迫っているんだという
意識が芽生えて消えることはなくなってしまいました。
寿命というのか命の持ち時間というのか、
日を追って少なくなるつつあるのです。

それで、JWとして誕生日を祝うことはできませんので、
誕生日まで生き続けることができたことを祝う、
あるいは喜ぶ日にしようと決めたのです。
誕生日を祝ってはいけないとする
聖書解釈にはそうとう無理があります。
でも、おおやけに誕生祝をしていることを
仲間に知られるわけにもいかないと考えていました。

だから、自分の誕生日になるとおいしいものと
ちょっと贅沢なお酒を買ってきて、
一人で生き延びたことを祝って喜んでいました。
こんなことをこっそりしていたのを思い出しました。

きょう、実は誕生日です。
きのうは、友人たちが大勢祝ってくれました。
プレゼントもあったのです。
JWを離れて自由を謳歌できるのは素晴らしいです…。

#25 Re: 過去ログ・番外編 » ヤングマスク(yangmask)スレッド[分岐] » 2017年04月09日 17:46:55

てつてつさん、すごく説得力ある答えですね。
もしかすると、わたしたちが世を去ってから
新たな証拠が発掘されるかもしれませんが、
現状では非常に難しいと思うのですが…。
統治体以上か、そうなったらひれ伏さないといけませんね…。
キリストに限りなく近くなるのかな…。

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