ログインしていません。

#1 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 昨日 19:05:05

ガリレオくん、お子さんのことよかったですね。
子どもは、わたしたちが思っている以上に柔軟性があります。
わたしたちもそれにあやかりたいですね…。

#2 Re: 総合フォーラム » 輸血拒否に関する議論 » 昨日 17:09:47

カレブさん、詳しい説明をありがとうございました。
わたしが知っていた情報は2004年6月15日号ものみの塔です。
これ以後のことは聞いていません。
#151の書き込みも2004年に修正しました。
わたしたちの時代は輸血を受けると排斥でしたが、
それこそ最近では断絶とみなされるところが異なります。
排斥は長老たちが動きますが、断絶は長老たちが動きません。
排斥と断絶を区別する聖書的な根拠は何も見つからないのに、
組織の見解だけころころ変わります。
何を信じているのかわからなくて
非常に不安定だと思いました…。

#3 Re: 総合フォーラム » ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改) » 2017年03月21日 16:51:54

わたしも高校生のとき地学の先生に
⑦のようなですが、
チンパンジーはやがて人間になるのですかと
質問したことがありました。
この時期はJWと勉強し始めたころで
1968年だったか発行された「進化と創造」で、
マインドコントロールにははまり始めたときでした…。
チンパンジーが人間のようになったら
まるで「猿の惑星」みたいですね…。

その先生の返事は「ならない」でした。

#4 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月21日 16:40:31

#565の最後の部分で
マタイ20:35が引き合いに出されていますが、
わたしの所蔵している聖書で確認したところ、
その節は存在しませんでした。愛嬌かもしれません…。
機会があったら著作者に確認しようかと思っています…。

#5 Re: 総合フォーラム » 輸血拒否に関する議論 » 2017年03月21日 16:34:11

Web検索すると「ヘモピュア」についての言及は
JWICのサイトにもありました。
これは2004年ものみの塔が引用されています。
あおいさんの書き込みでは
「最近」という言葉が使われているのですが、
ごく、最近何か新しい発表でもあったのでしょうか。
事情に疎くて済みませんが、ご教示ください。
よろしくお願いいたします…。

#6 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年03月20日 16:57:38

現役であっても、脱塔考慮中であっても、
脱塔した後であっても、
生活保護受給の必要が生じるかもしれません。
何かの拍子に人間関係が崩れるようなことが生じ、
あるいは失業するかもしれないからです。
脱塔するということは慣れ親しんできた人間関係が
失われることを覚悟する必要があるからです。
仕事面でも巻き込まれる場合もあるのです。

生活保護を受給することは決して恥ずかしいことではありません。
やむを得ない事情で困窮してしまう人を援助するために
日本国政府が定めている法律だからです。
最近知り合ったJWでない友人は住む家があります。
それは土地・家屋を相続しているからです。
土地・家屋は彼と彼の肉親の兄弟たちの所有物です。
そのような状況で日々の糧を得るための貯金のような
費用が底をついたら、生活保護を受給できるのでしょうか。
これは、前から疑問だったことです。

そこで、福祉事務所に行く用事ができたついでに、
担当者に質問することにしました。
その回答は事情にもよるけれど、
受給できるというものだったのです。
担当者としては土地がある場合、売却するよう
説明するということでした。
ここで、相続人が幾人もいて、
売却する同意が得られない場合、どうすればいいですか、
と、現実に生じる問題を聞きました。
その場合も相談に応じるので、
ぜひ、相談に来てほしいということでした。

一方、受給者が65歳以上の場合、
土地を担保にして生活資金を受給できるというものです。
担保にした土地は受給者亡き後、売却されて、
受給された生活資金は政府に戻されるようです。

以前は、住所不定で住居が定まっていないと
生活保護費は受給できませんでした。
また、持ち家があると受給できないと思い込んでいる
場合もあったようですが、柔軟な対応に変化したようです。

最初から受給できないとあきらめないで、
福祉事務所で聞くべきでしょうね。
わたしは現在受給する必要はありませんが、
将来的には必要になるかもしれません。

脱塔する際、どうしても必要であれば
政府の助けも活用なさってください…。
上位の権威は「あなたの益のための神の奉仕者であり」
「神の公僕」であるとパウロも述べてくれているからです。
(ローマ13:4,6)

#7 Re: 親睦・相談 » 断絶届を出しました » 2017年03月20日 06:36:43

野の花さん、おめでとうございます。
気分爽快になりよかったですね。
ところで、別トピックで
「菜の花」という方が出現しています。
野の花さんとは違う人ですよね?
どうも、わたしには見分けがつきません…。

#8 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月19日 18:37:33

#562の補足事項です。

中沢啓介氏の著作を公開することについてです。
わたしは氏の信奉者ではありませんし、
中沢氏もN/T/ライトのファンではないとおっしゃっていました。

わたしが、聖書を物語として読むことに感動し、
納得しやすい論議であることを出席者の前で述べてから、
著作をWeb上などで公表する許可を求めたのですが、
そのときのご返事は「自分は公人なので名前を公表することはかまわない、
著作物も自由に使ってよい。質問があれば、ここに来てくれれば、答える」
ということでした。「ここに来てくれれば」というのは
おそらくJWTCに出席して質疑応答することか、
あるいは、氏に対面し直接質問することでしょう…。というのは、
メールでは答えられないというコメントがあったのです。
最近、JWTCのサイトに1,000単位のアクセス数があり、
急上昇しているということでした。
たった一人の人間が、1,000人単位の事細かな質問事項に
返信することは物理的に無理なことは、だれでもわかりそうです。

だから、どうしても質問したいことがあるのでしたら、
それなりの努力が必要だということですね…。

#9 Re: 親睦・相談 » エホバの証人と学校における問題~現職教師の報告から~ » 2017年03月17日 17:25:41

わたしもKAOさんの書き込みは楽しみです…。
でも、子どものころを振り返ってみると、
三月って先生方の一番多忙な時期だと気が付きました。
新学期に切り替わる時期ですが、
新しい時間割をこしらえたり、普段ないようなことが
必要になってくる時期ですよね。
子どもたちは宿題もなくて春休みを楽しんでいました。
KAOさん、気が付いたら、報告待っていますね…。

#10 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月17日 13:55:09

#564の続きです。
みなさんもご存じのようにJW組織は聖書に誤りがないことを
証明しようとして、学術文献を文脈から切り離して
まったく異なる意味を説明しようとすることが非常に多いです。
そういう意味では聖書の「無誤性」を強く証明しようと
しているグループの一つと言えるでしょう。
そのような教育を受けてしまい、聖書には誤りがないと
思い込まされてきたわたしたちが、聖書について
どのように考えることができるか参考にできます。
いただいたコピー文書最後の部分です…。

-無誤性は聖書的か_その3-

最後に、私は聖書の霊感と権威を固く信じる者ですが、
「無誤」という用語は使わない方が賢明だと思っています。
その理由は四つあります。
まず、もし「無誤性」を主張すると、
「聖書に出てくる様々の矛盾(これを「聖書の現象」と言います)」に対し、
様々の詭弁を弄しながら弁護しなければならなくなります。
第二に、
「無謬性」という言葉は福音派内に無用な混乱を招いた歴史を持ち、
否定的なイメージがつきまとっています。
そして第三は、
権威は神にのみ帰されるべきもので、聖書の無誤性ではないからです。
パウロは「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、
神によって立てられた」(ローマ13:1)と述べています。
イエスも同様です(ヨハネ19:11、マタイ28:19)。
クリスチャンは聖書ではなく、
聖書を与えた神ご自身に権威を置かねばなりません。
最後に、「聖書は物語」だからです(この点については後でふれます)。
物語には、無誤か無誤でないかといった議論は意味をなしません。
プロテスタントは伝統的に、聖書の権威を擁護するのに
「無謬性」という用語を使ってきました。
従って,様々な問題をはらんでいる
「無誤性」という言葉を使う必要はありません。
しかし最近の福音派の学者たちは、もっと賢い表現を提唱しています。
詩篇119篇の作者のように、
「真理」「まこと」「真実」などの積極的な言葉を使うことです。
イザヤは「私たちの神のことばは永遠に立つ」(40:8)と述べていますし、
イエスもまた「あなたのみことばは真理です」(ヨハネ17:17)、
「すたれることはありません」(マタイ5:18)、
「減びることがありません」(マタイ20:35、マルコ13:31)、
「廃棄されるものではない」(ヨハネ10:35)などと、
積極的な表現を使っています。

#11 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月16日 14:27:11

#561の続きです。

-無誤性は聖書的か_その2-

二つ目の目的は「神の人が、すべての良い働きのために
ふさわしい十分に整えられた者となる」ことです。
「神の人」とは「神に属する人」の意で、
キリストの救いを受けたクリスチャンのことです。
「すべての良い働き」とは、
クリスチャンそれぞれが神から託されている使命のことです。
クリスチャンがその使命を果たすには、
「教えと戒めと矯正と義の訓練」が必要です。
これら四つの意味の違いについては説明を省きますが、
類似した四つの言葉が繰りかえされているのは、
クリスチャンの使命遂行には「熟練工のような厳しい
訓練を旧約聖書から受けねばならない」ことが暗示されています。
(ローマ15:4、Ⅰコリント10:1-13)
実際、初代のクリスチャンたちは、
旧約聖書を「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために」用いながら、
自分の働きを展開しています。
(使徒1:16、1:16、2:16、13:40など多数)

この聖句について、
さらに二つの大切なことを付け加えておきましょう。

一つは、パウロがここで言及している聖書は、
テモテが幼いころから親しんできた(Ⅱテモテ1:5)
「ギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳聖書)」だったということです。
福音派はしばしば、この聖句に基づいて論じながら、
「霊感された原典ヘブル語聖書」のことを問題にします。
パウロはここで翻訳された聖書について言及しているのですから、
その議論がおかしいことは明らかです。
二つ目は、この聖句は「聖書の霊感」について述べていますが、
「誤りがない」とまでは述べていないことです。
ペテロも「聖霊に動かされた人たちが、
神からのことばを語った」(Ⅱペテロ1:20,21)と、
聖書の霊感について言及していますが
(「動かされる(ノェロメノー)」とは「運ばれる」が原義で、
聖霊が主導権をもって神のことばを語らせたことを示唆する)、
「誤りがない」ことには触れていません。
結局、「誤りがない(無謬であれ、無誤であれ)」という概念は、
聖書が直接説いている教えではなく、
聖書の霊感と権威を擁護するための「神学的な告白」なのです。

#12 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月15日 20:33:51

聖書は歴史的・科学的にも立証された研究分野に
一致していると思い込まされてきたわたしたち元JWにとって、
確実無比な神の言葉の集大成「聖書全巻」を物語として
読み、理解することは気が動転するようなことでしょう。
でも、自分の人生と全精力を費やして学んできた
聖書についてまったく
別の読み方と理解・解釈が存在したことを知ることは、
傷ついた心をいやすため、とても必要だと思いました。
希望が持てるのであればさらに良いことです。

きょう、中沢啓介氏に直接確認しました。
聖書を物語として読むことに関して、氏の書いてくださった
説明をWeb上に公開してもよいかということです。
了解を得ることができましたので、
わたしの時間、体力、気力が続く限り
皆さんに読んでいただけるようにしたいと思いました…。

#13 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2017年03月15日 20:12:20

てつてつ さんの発言:

すいません ボンビーのてつてつさんの 負け犬の遠吠えでした tongue

すみません、「ボンビー」って「ビンボー」の逆さま語ですか。
つまり、「貧乏」のことですが、
だったら、てつてつさんは大成功者だったと思います。
自分を納得させるためのたいへんな数の書庫を持てたのですから…。
JW時代の苦いことも含めた経験も、
人生の一部として「良い経験をした」と受け入れています。
人生経験上の大資産家だと思います…。
てつてつさんが引用してくれた聖句の前で、
「命を支える物と身を覆うものがあれば、わたしたちはそれで満足するのです」
と述べたパウロよりわたしたちは充分与えられているのではないでしょうか…。

#14 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年03月14日 18:09:44

なんだか、福祉の生活保護講座、年金講座のようになってきました。
でも、現役組、覚醒組、脱塔組にもいつ必要になるかわかりません。
どこかで話しましたが、20年ぐらい前紹介で付き合った
女性JWは年金の必要性に気が付き、40歳ぐらいでしたが、
掛け金を支払い始めたといっていました。
彼女が現在どうしているのかわかりませんが、
生き延びていれば掛け金が生きてくるでしょうね…。

と思えば、わたしのアパートの二階に住んでいた女性は、
もうじき年金を受けられるところまで来ていたのですが、
一銭ももらうことなく病死してしまったのです。
彼女は未信者でした。30年以上掛け金を支払ったと思います。
でも、田舎に帰ったら年金では生活できないから、
玉の輿に乗りたいと何度も言っていました。
だれか、お金持ちで老人でもいいから自分をもらってくれないかと
たぶん、本音でしょうね、生きるために、そう言っていたのです。
長いこと掛け金を支払い一銭ももらえなかったので
さぞ、無念だっただろうとわたしは思ってしまいます。

しかし、彼女が支払った掛け金は無駄だったでしょうか。
彼女が受給できないことだけ考えれば、無駄という表現もありです。
でも、1,000時間奉仕者さんが述べているとおりですね…。
もし、一つの会衆で困窮している人の生活費すべてを
捻出することになれば…。
あるいは、ひと家族の中で困窮している
親や兄弟のために生活費を捻出することになれば…。
そうとうな負担が生じるでしょう。共倒れも…。

集めた掛け金を政府が配分しているので、
払うほうには多額に感じても
実際は軽い負担になっていると思うのです。

わたしたちが認識したいのは、自分が支払った
年金の掛け金や税金などは、自分と自分の家族、霊的な仲間を
養っていることに貢献しているということです。

奉仕に明け暮れて、もしもの場合を考えていない
現役の皆さんは、じっくり黙想することをおすすめします。

#15 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月14日 13:16:20

#555の続きです。
irisさん、コメントをありがとうございます。
確かに何を伝えようとしているのかという視点から
聖書を読む方がすっきりしている感じがします。

年始に購入したプリンターの使い方が徐々にわかり、
スキャンした文章を自動でPDF化してくれました。
そのテキストデータをパソコンで編集したものです。
以下、転載します…。

-無誤性は聖書的か_その1-

プロテスタントのほとんどの教会は「聖書は神の霊感によるもので、
信仰と生活の唯一の規範である」と告白しています。
この信仰告白は、主として「聖書はあなたに知恵を与えて
キリストイエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正の義の訓練のために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい
十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモテ3:15-17)
という聖句に基づいています。
確かにパウロは、このテキストにおいて、
「聖書は神の霊感による」と説いています。
「霊感」(セオプニューストス)とは「霊が息を吹きかける」が
原義で、聖書が神の御霊によって生み出されたことを示唆します。
パウロはここでさらに、
旧約聖書の書かれた目的が二つあることを述べています。
一つは、「キリスト・イエスに対する信仰による救い」を
得させることです。旧約聖書を読むなら
「イエスがキリスト(メシヤ)である)」とを理解でき、
「キリストの救いの恵みにあずかる」ことができるはずです。
旧約の預言者によって、イエスの誕生と十字架、復活などが預言されていますし、
アプラハムの信仰による義が私たちの信仰のモデルであることも分かります
(ローマ3:10-18、4:6-8、18-22ガラテヤ3:8、13,22など参照)。
イエスもまた、「旧約聖書がご自身のことを証している」と明言しています。
(ヨハネ5:39、ルカ24:27、44)
実際、使徒たちや初代のクリスチヤンたちは
「イエスによる救いのメッセージ」を旧約聖書から説き明かしました。
(使徒8:28-35、17:2,3など多数)

では、聖書が明らかにしている
「イエスによる救い」とは、どのようなものでしょうか。
多くのクリスチャンは「罪が赦され、天国に入ること」だと考えています。
しかし、新約聖書が明らかにしている「救い」は、
それよりはるかに豊かなものです。それは少なくとも、
①イエスの贖いの死によってすべての罪が赦されること、
②聖霊を受けることによって神の子になること、
③創造時に与えられた「神のかたち」が回復されること、
④世界の相続人になること、
⑤神の国の民となり「王なる祭司」として被造物を管理すること、
⑥ キリストが再臨される時に「復活のからだ」をいただくこと、
などが含まれます。どれ一つを欠いても「キリストの救い」とはいえません。

#16 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月13日 18:54:19

わたしたちは聖書に関して,神に関して、
良いイメージと悪いイメージを同時進行で
植え付けられた人間かもしれませんね…。
まったく残念で、悲しいことです…。

#17 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月13日 16:36:50

わたしの人生における残り時間が
あといくら残されているのかわかりませんが、
生き続けている限り聖書を忘れてしまうとか、
無関心になってしまうということはできなさそうです。
でも、そうなったほうが楽かもしれません。

高校一年のとき「倫理社会」という科目があり、
教科書に様々な宗教の代表的な教えが記述されていました。
キリスト教は山上の垂訓でしたね。
ここで「姦淫」という表現が出てきて、
先生にその意味を質問したのですが、
困ったようで何も答えてもらえなかったことを
はっきり覚えています。
同級生の女子にも聖書を読んでいるという子がいました。
三年生の時、JWと家庭聖書研究が始まり、
彼女に「神の名前って知っている?」って聞いてみたら、
「エホバでしょ」って答えていました。
「ヤハウェ」じゃあありませんでした。

そこから始まって30年近くJWを続けることになったのですが、
1985年に「論じる」が出版されたのです。
この本の見開きには引用されている日本語訳聖書が
10ぐらい紹介されていました。
当時は当然新世界訳もあったわけですが、
宣教者のすすめもあって他の訳も読むことにしたのです。
「論じる」に紹介されている日本語訳はほとんど読みました。

こうして聖書漬けの日々を送ったわけです。
脱塔して14年目ですが、てつてつさんと同じように
聖書自体はほとんど読まなくなってしまいました。
でも、嫌いになったわけではありません。
あまり必要を感じなくなったと思います。

でも、ここに来て掲示板で意見交換するようになり、
聖書に関する関心を呼び覚まされたのかもしれません。
JWの聖書解釈が多くの点で間違っていることは確かですが、
だからと言って聖書が間違っているとも思えませんでした。
掲示板で論議が続いているのですが、
現在の科学的発見、実際の歴史上の出来事と、
照合してみても正確ではなさそうだと
思わざるを得ませんでした。

でも、そのような事実を認識したうえで、
聖書を真実神の言葉として受け入れ
信じておられる人たちがいるのは
どうしてだろうとも考えたのです。何か理由がありそうです。
あるいは、世界のベストセラーですから、
これまで学んできた読み方や解釈とは
まったく異なるものがあるのかもしれないと思いました。
そこで、知ることになったのが、JWTCで聞くことになった、
聖書を「物語として読む」ということでした。

わたしは宗教全体につまずいていますので、
信仰心を回復させることはないだろうと思っています。
しかし、聖書がどんな書物かを知っておくことは
とても有意義であろうと考えています…。

#18 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月12日 19:20:24

じっくり読み返すと
現代のJWも聖書の「無誤性」を証明しようと
やっきになっているグループの一部に思えてきました…。
以下、転載です-

-無誤性が出てくるまで-

初めに「聖書は無誤である」という考え方が
出てきた背景を考えてみましょう。
今から500年ほど前、カトリック教会の
堕落を憂えた人たちが「聖書のみ、信仰のみ、万人祭司」の
三つの旗印を掲げ、宗教改革運動を展開しました。
改革者たちは、カトリックが自分たちの伝承を重んじて
聖書から逸脱したことを批判しました。
その批判に対しカトリックは「法王の無謬性
(infallibity)」という教義を持ち出して反論しました。
それに対しプロテスタントは「聖書のみ」を主張し
「聖書の無謬性(infallibity)」を表明しました。
時が進み18世紀になると「聖書批評学」が盛んになります。
その学問では、聖書は古代オリエントで発見された文献の
一つにすぎないと見なされ、
考古学上で発見された様々の文献や資料、
遺跡などと比較検討されるようになりました。
その結果、聖書に含まれるそれぞれの書物は、
著者の信仰や世界観、言語能力や表現力、
時代思潮や精神風土、論理力や文学類型などの
制約内で執筆されていることが明らかにされました。
プロテスタント主流派(Mainline)は、
このような学問的な成果を当然のこととして
受け止めましたが、福音派(Evangelical)は
一般的に「聖書は神によって霊感されたので、
他の文献と同じような人間的・時代的な
制約を受けるはずがない」と主張し、批判的でした。

18世紀から19世紀にかけての聖書批評学は
「現存する聖書は元々どのような資料を基にして
作り上げられていったのか」という
問題を究明しようとしました
(これは「資料批評」と言われます)。
ところが20世紀初頭になると「そのような個々の資料は、
どのような共同体がどういう状況に置かれた時に生
み出されたのかか」ということが問題にされました
(これは「様式史批評」と言われます)。
さらに20世紀も後半になると「それらの資料を
今日の聖書の形にした編集者の意図や神学は
どのようなものだったのか」が盛んに論じられました
(これは「編集史批評」と言われます)。
そして20世紀も終わりに近づくと
「聖書は一つのまとまった物語である」と
見なされるようになり、その物語をどのように
解釈したらよいのかが大きな問題になりました
(これは「物語批評」と言われます)。

福音派の聖書学者は、初期段階の資料批評や
様式史批評に対しては否定的でしたが、
編集史批評の頃から好意的になり、聖書を客観的、
学問的に読むメリットに理解を示すようになりました。
そうなりますと、
聖書の中には一見矛盾に見える箇所
(例えば、福音書間で)
数字の食い違い
(例えば、列王記と歴代誌の間で)
一般の科学や歴史と矛盾する記述
(例えば、創世記の天地創造とビッグバン理論や進化論の間で)
など一つ一つに丁寧に弁護する必要が生じます。
そのような作業に頁摯に取り組もうとする人々は、
宗教改革者たちの主張した「無謬性」は信仰告白的な
神学用語であり、実証的なニュアンスの言葉ではない、と
見なしました。それに対し「聖書は神の霊感を受けて
書かれた神の言葉である以上、矛盾など一切存在しない。
歴史的にも科学的にも誤りがあるはずはない」と
強力に主張する人々が現れました。
彼らは「無謬性(infallibity)」という言葉では飽き足らず、
「無誤性(inerrancy)」という言葉を使うべきだと主張し始めました。
こうして、無謬か無誤かという論争が始まったのです。

#19 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月10日 19:40:56

これまでの二つのトピックで転載した、
聖書を物語として読むという説明文は、
『物語の世界で「無誤性」は問題にならない」という
中沢啓介氏が「船の右側」誌に寄稿した記事からものです。
決してわたしの著作ではありません。
文字データはありませんから、
コピー文章を見ながら入力しています。

JWだったとき「無謬」という言葉は聞いていたのですが、
聖書に関して「無誤」ということは聞きませんでした。
「聖書は無誤である」という考えの歴史、
「無誤性は聖書的か」という記事の後で
「聖書は物語である」という記事に続いていました。
この最後の部分を転載したのです。

とても興味深い内容ですから、
体力の許すときに転載してみようかと思っています…。

#20 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年03月10日 18:29:29

年金は一円も掛け金を支払わずに受給できるのです。
1,000時間奉仕者さんの言われる通りなのです。
ただし、掛け金支払い免除を申請する必要があります。
事情によって支払い免除が認められれば、
免除期間も加入していたとみなされます。
もちろん、掛け金を支払ってきた人たちより
ぐっと少額にはなるのですが、受給できる制度です。
たぶん、政府の説明の仕方にも問題があると思うのですが、
こうした制度だということをJWも含めて
知っている人が少ない現状があります。

わたしの知っている範囲ですが、
現在の年金制度が発足したのが昭和36年ごろで、
家族で高齢者もいっしょに生活するのが当然の時代でした。
だから、生活費というよりは経済的な意味で、
家族のお荷物にならない程度の
収入を確保するためだったそうです。
だから、国民年金はいまでも少額ですね。
わたしが受給している障害基礎年金でも生活できません。
少額すぎて家賃も賄えないかもしれないのです。

厳密に言うと年金加入は「義務」ではないと思います。
でも、日本国憲法に保証されている
「最低限度の文化的な生活を保証する」ということで、
生活維持の保証を「権利」として生活保護を申請するなら、
年金の受給の取り決めにも従って、
法的に必要な手続きをすべきでしょうね。

わたしの父は未信者でしたが、あるとき
「君は『権利』を主張するけれど、『義務』は行わない」と
知り合いから言われたことがあったと、話してくれました。
そうとうショックだったようです。

キリストは、
「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返しなさい」
と教えてくださいました。
自分は神を代表するエホバの証人だと信じているのなら
この聖句を意味深長に考慮するべきではないでしょうか…。

#22 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会・脱塔分室~JWからの脱塔指南します~ » 2017年03月09日 18:19:07

わたしの知りうる限り全時間奉仕をしていて、
生活保護で生活資金を補っている人はいませんでした。
みなさん、働く時間を削って奉仕していたので
低収入の状態を甘んじていました。
はじめてそのような生活の仕方があるのを知ったとき、
すごいなあと思いましたよ…。
ただ、知り合ったJWでわたしと同じ脳性まひの
独身男性は生活保護で正規開拓をしていました。
重度で賃金をもらえる仕事はできなかったのです。
中には開拓できても、仕事ができないのは変だという
意見もあったのです。奉仕時間は仕事と違い
能率は要求されませんでしたし、
手紙を書くなど自分なりの仕方でよかったのです。
仕事をしないことは変だと主張する人は、
わたしたちに可能な仕事を提供はしてくれないのです。
世の人でもそうした人はいますが、
JWの中で思いやりと理解ないことにがっかりしたものです…。

#23 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月09日 18:08:20

きのうの続きを転載してみます。
これを読む限りJWの聖書解釈に非常に似ています。
ただ、天に行く人が144,000人だとか
残りは地上で暮らすことになるなどというところが
異なっているような気がします。

これまでは、組織の出版物だけから主に
聖書の解釈を学んでいましたから、
組織以外の人たちがどのような解釈をしているのか、
十分知ってから聖書に対する評価や判断を下してみようと
思って、現在のところ聖書を神の目的に関する
物語であるという説明に行きあたっているのです。
とても参考になる見識だと考えています…。
以下、転載のつづきです。

聖書とは「人間が神の造られた世界をどのように
治めたらよいのか」を中心テーマにした「神の物語」です。
それは、六幕から成り立っているドラマに
見立てることができます。
第一幕は、神が全被造物を善きものとしてお造りになり、
その最後に人を「神のかたち」に造られ
この世界を治める使命を与えられた、というストーリーです。
続く第二幕は、そのような使命を課せられた人間は、
神が禁じられた「善悪を知る木」の実を取って食べ、
神の戒めに背き、神が期待された使命を果たせない存在に
化してしまったと伝えます。
第三幕では、そのような人類に対し、神はご自身の民
イスラエルを選び、
彼らに被造物管理の責任をゆだねるのですが、
その民もまた神に従うことに失敗し、
捕囚という神の裁きを経験します。
第四幕では、神は、独り子であるイエスをイスラエルの使命を
全うする「真のイスラエル」としてこの世界に派遣し、
死と復活をとおして人間の贖いを成し遂げ、
イエスを信じるクリスチャンを「キリストの共同相続人」
として贖われます。
第五幕は、このイエスによって贖われた
クリスチャンは、聖霊を受けて神の子になり、
キリストが支配する「神の国」において、最初の人間に与えられた
「被造物管理の使命」を「王なる祭司」として
全うするというストーリーです。
そして第六幕は、終わりの日にキリストは再臨され、
天(神の支配)は地に降りてきて、「再創造の世界」が
完成されるというものです。

この物語の原作者は神です。物語の主人公もまた、神ご自身です。
そして、実際に舞台で演じているのは人間です。
しかも、この物語の第五幕は、今なお現在進行形で進められています。
そこで大切な役目を果たしているのは、何と「あなた」であり
「わたし」です。聖書は過去の歴史物語を楽しませてくれるだけの
書物でも、未来の再創造物語に希望を抱かせてくれるだけの
書物でもありません。イエスに贖われた
クリスチャンたちが皆、現役スターとして、
神の物語を創作し、演出し続けている書物に他なりません。

#24 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月08日 19:33:07

わたしは一歩も立ち上がって歩けないのです。
そのわたしが人力車いすを二の腕で転がして得た情報です。
電動式は使っていません、電車二つを乗り継いだのです。

もし、あなたがほんとうのことを知りたいのであれば、
二本足で歩行可能だったら、
ご自分で移動方法を確保できるのなら、
ご自分で中澤氏に質問してください。
きつい返事でしょうが、
ほんとうに真実を知りたいと強く願うなら、
死に物狂いの努力が要求されていると思います…。

わたしはそれでも真実が知りたいのです…。

#25 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2017年03月08日 18:07:53

ことしで正式なJWになって40年になろうとしています。
多少の喜びもありましたが、苦しみ、困惑、疑念などを
胸いっぱい味わうことになってしまいました。
振り返ってみると、JWに関係しなければ、
聖書という書物について知ることがなかったでしょう。
間違いの多い組織でしたが、直接聖書を読んでいましたので、
JWTCなどに出席し、聖書のお話を聞いても、
それはどこそこに書かれていた内容だと
心に浮かべることが容易です。
最近説明を聞いていてなるほどと思うことがありました。
それは聖書を「物語」として読むというものです。
聖書の内容をいささかでも知るものとして、
物語として受け入れ、読むほうがすっきり感があります。
説明でN・Tライトに言及されることが多いので、
彼の著作である「新約聖書と神の民・日本語版」を
通読し始めました。てつてつさんのいうように
難しい言葉がたくさんあらわれ、理解に難儀しました。
でも、歯を食いしばり中ほどまで来ています。
サロン出席時に説明のコピーをもらいました。
聖書を物語として読むことをやさしく説明しています。
以下、転載内容です…。

聖書批評学では、1980年代になると、
聖書を物語と見なして研究する方法が盛んになります。
「物語」と言われると、すぐ伝説、神話、
フィクションなどを連想する人も多いでしょう。
しかし、人類の歴史において「物語」が
果たした役割を理解しますと、
それが間違いであることがわかります。
実は、物語は古くから存在した、
人類にとって最も基本的で普遍的、
かつ効果的なコミュニケーションツールです。
古代の人々があるメッセージを代々の世代に伝えようとする場合、
「物語」以外の伝達手段はありませんでした。
日本人も太古の昔から、自らの起源や歩みを
「物語形式」で伝承してきました。
古代オリエントの世界も同様です。
物語は、古今東西を問わず、自らの存立を
表現する人類共通の手段だったのです。

神が人間に「神ご自身の御思いやご計画」を伝えようとする
場合にも、「物語形式」が用いられました。
現存する66巻からなる聖書は、まさにそのような書物です。
ところがキリスト教界は、長い間「聖書は命題的な真理を
啓示している書物である」と考えてきました。
その結果、聖書は神に関する真理が明らかにされている書物、
黙想などをとおして神との交わりを実現する書物、
人間の道徳や倫理、生き方や処世術を説いている書物、
歴史や科学を教えている教科書のような
書物として扱われてきました。
むろん、このような活用方法のすべてが間違っているなどと
言いたいわけではありません。むしろ、もし聖書が
物語形式で啓示されているとすれば、従来の読み方は
かなりピント外れであり、「誤りがあるかないか」
というような問いを発すること自体、
お門違いなことをしている、と申し上げたいのです。

一文字ずつ入力していて、ちょっと長いです。
あす、体力があれば続きを転載する予定です…。

Board footer