#26 2015年07月17日 06:13:51
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
akameさん、こんばんは。
お名前をお見かけするのは随分お久しぶりですね!無宗教さんのトピックの方でakameさんの書き込みを見て、共感する点があったのでうれしく思っていたところでした。
まあ、今はこういう聖書のどこがおかしいという調査や議論もどうでもよくなりました。
ただ、聖書を神の言葉と思わなくなったからといって、わたしは無神論、不可知論、唯物論者にはなりませんでした。やはり物質の世界を超えた霊の世界があると思っています。
それは、たくさんの臨死体験の報告から、死後の世界とか霊とか、また神、エホバ、アラー、その他いろいろな呼び方で私たちが呼んでいる強大な霊の存在はやはりあるなと思ったからです。
前回の書き込み直後、偶然(とは思えないですが)見つけて今夢中で読んでいるサイトです。
シルバーバーチは語る
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-t … pening.htmもちろんakameさんへということではなく(この書き込み自体全くの独り言ですし)、誰か一人でも読んでくれる方がここにいたらいいなと思い、リンクを貼っておきます。
ご紹介ありがとうございます。久しぶりに思い出しました。以下引用です。
知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ昇って行くのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろう、と階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解し吸収して行くほかに道はありません。いかなる真理も次の真理への踏み石にすぎないのです。引用終わり
私は親を始め、幼少時から多数の霊能者に囲まれていました。霊験は日常であり、意味を解こうとJWに関わりましたが、サタンの働きとして一喝するだけで、魂の乾きを満たす真理はそこにありませんでした。しかし霊訓は真理への入口の一つだと今は感じております。私はまだまだ弱く、今後の情報交換をよろしくお願いします。
#27 2015年07月17日 07:16:37
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
連投すみません。
以下引用です。
見捨てられた古い信仰の瓦礫の中にあって人間が単なる疑念や不信から全てを拒否することなく、本物と偽物、事実と神話とを選り分け、真に価値あるもの、全ての宗教の内奥に秘められたもの、物質界の人間による想像物の下敷きとなってしまっている霊的真理を我がものとすることが出来るようにするための大規模な仕事の一環であることを知ってください。
地上世界はサウロがダマスカスへ向かう途中で体験したような、目の眩むような閃光で一気に改革されるものではありません。大霊の霊力の道具が増え、そのチャンネルを通して届けられる霊的真理に目覚める人の数が増すにつれて、少しずつ霊的な光明が地上界に行きわたるのです。
地上の人間は自らの努力で自らを救済できるようにならなくてはいけません。引用終わり
諸悪をハルマゲドンで一気にかたずける、なども一つの勧善懲悪的な方便、象徴にすぎません。
そうまでしなくても、神から戴いた理性や情を越えた行為、自然界の法則に反することは必ず、自分の魂を傷付けます。例え国から讃えられても傷が癒せないのです。
そこから回復や癒しを可能にするのが、各自の努力、そして限界を越えた癒しが転生という学びのシステムにあると感じています。
とは言え、実は私たちの現世は既に完結しており、神のホロブラム、最も根元的な故郷の中にあるのでは、と最近妄想しています。笑
これは中原中也なども予見していますが、
#28 2015年07月17日 07:38:27
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
再々申し訳ありません。
スピリチュアリズムが敬遠される要因の一つについて以下引用します。
物質界の人間も本来は霊的存在です。その人間に霊的摂理を教えるためにラップなどの物理的心霊現象から始めなくてはならなくなったことを残念に思います。それほど現代の人間が物的感覚に浸り切り、霊性がマヒしているということです。
超常現象と言う、違和感や恐れが生じることとつながっているために敬遠されています。
心の世界を扱っているのですが、香辛料が効き過ぎている感は否めません。
しかしそれでも尚向かっていく時、大きな財宝を見出せると今は考えています。
#29 2015年07月17日 09:30:00
- ロスタイム疑惑
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
akameさん、おはようございます。
akameさんはすでにシルバーバーチをご存じだったのですね。
この掲示板でシルバーバーチの言葉を目にする日が来るとは!
”それほど現代の人間が物的感覚に浸り切り、霊性がマヒしているということです”
真に霊的なことに気づいてから、JW時代にあんなに「霊的!霊的!」と言っていたことは、実はとても物質主義だったと気づきました。皮肉なものです。
”私は親を始め、幼少時から多数の霊能者に囲まれていました。霊験は日常であり、意味を解こうとJWに関わりましたが、サタンの働きとして一喝するだけで、魂の乾きを満たす真理はそこにありませんでした。しかし霊訓は真理への入口の一つだと今は感じております。私はまだまだ弱く、今後の情報交換をよろしくお願いします”
霊感ほぼゼロのわたしからしたら、非常に興味深いです。霊験お聞きしたいです。うらやましいです。とはいえJW時代は「悪霊に絡まれる質じゃなくてよかった~」と思っていましたが。(今思えば最低か)
今やっと真理の入り口を見つけたところです。こちらこそ、霊的(スピリチュアル)なことをいろいろ教えてください!
#30 2015年07月17日 10:27:00
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
ロスタイム疑惑さん、
スピリチュアルの根幹的な目的は何だと思われますか?
#31 2015年07月17日 10:57:08
- ロスタイム疑惑
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
根幹的な目的というのは、もう少し具体的にどのようなことでしょうか。
神(と呼んでおきます)の最終的な目的のようなことですか?それともスピリチュアリズムの浸透が果たす目的ということですか?またはスピリチュアルに目覚めた人間の使命とか生き方のようなことですか?
再度ご質問をお願いします。
また、akameさんのお考えも聞かせてもらえたらうれしいです。
#32 2015年07月17日 11:53:11
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
根幹的な目的というのは、もう少し具体的にどのようなことでしょうか。
神(と呼んでおきます)の最終的な目的のようなことですか?それともスピリチュアリズムの浸透が果たす目的ということですか?またはスピリチュアルに目覚めた人間の使命とか生き方のようなことですか?
再度ご質問をお願いします。また、akameさんのお考えも聞かせてもらえたらうれしいです。
可能であれば上記全てについてのお考えを述べて戴けるなら幸いです。
私的にはスピリチュアリズムの目的は、
既成宗教のドグマや信条から精神を解放し、他の人のために自分を役立てる、ことだと考えています。
#33 2015年07月17日 11:57:07
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
レッド インディアンの言葉を借りるなら、以下のようになります。
「何一つ信仰というものを持ち合わせなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢えている人にパンを与え、暗闇の中にいる人の心に灯火を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の御心にかなった人と言えます」
#34 2015年07月17日 13:15:07
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
私の心に映る、神の本質と目的については、次の詩が端的に現しています。御自身が崇拝されることなど二の次三の次で、ひたすら与えることを至福にされる方です。
土と草
かあさん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
しげったら、
土はかくれて
しまうのに。
金子みすゞ
#35 2015年07月17日 20:25:10
- ロスタイム疑惑
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
こんばんは。
”可能であれば上記全てについてのお考えを述べて戴けるなら幸いです。”
1.「神(と呼んでおきます)の最終的な目的のようなことですか?」
もしご質問の意味がこれだとしたら、「わかりません(汗)」と答えるしかありませんでした。それで再度質問をお願いしました。
やはり神側のことはまだ理解できていません。しかし、神の子である我々の目的は、肉体を持つ人間として生きる間、できる限りのことを経験し学んで成長すること。そして永遠に霊として学び続け、成長し続ける(神性をますます発揮するとも言えるでしょうか)のが生きる目的かなと思っています。
わたしはこれまでの人生で、自分の弱さと無知から多くの葛藤に向き合ってこなかったため、成長できていなかったのです。ですから、今はどんなにつらいことも成長の糧にして生きているのが楽しくて仕方がないのです。ですから、ずっとそうして生きていきたいという願望から、今はこのように考えています。
後の2つの質問はakameさんの考えに全く同感です!
ですが、できれば自分の言葉でも書いてみたいと思いますので、また後ほど書かせてください。
#36 2015年07月17日 21:03:45
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
こんばんは。
”可能であれば上記全てについてのお考えを述べて戴けるなら幸いです。”
1.「神(と呼んでおきます)の最終的な目的のようなことですか?」
神の子である我々の目的は、肉体を持つ人間として生きる間、できる限りのことを経験し学んで成長すること。そして永遠に霊として学び続け、成長し続ける(神性をますます発揮するとも言えるでしょうか)のが生きる目的かなと思っています。
わたしはこれまでの人生で、自分の弱さと無知から多くの葛藤に向き合ってこなかったため、成長できていなかったのです。ですから、今はどんなにつらいことも成長の糧にして生きているのが楽しくて仕方がないのです。ですから、ずっとそうして生きていきたいという願望から、今はこのように考えています。
後の2つの質問はakameさんの考えに全く同感です!
ですが、できれば自分の言葉でも書いてみたいと思いますので、また後ほど書かせてください。
辛いことを糧にできるとは、素晴らしいことです。
親御さんが愛情深い方だったり貴方の素地が関花しているのかもしれませんね。
ご体験なども楽しみにしております。
#37 2015年07月17日 21:48:18
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
ロスタイム疑惑さん、
忘れていました。ご回答ありがとう御座いました。
蛇足ですが、私は創造を信じる者として「神」を使っています。以前は様々な偏見や誤解を考慮して避けていました。しかし人格的なものは人格的なものからの継承がないと説明困難です。日々見聞きしていますように、親から子へ伝わるシステムはある意味、普遍的な要素だからです。「神」にこだわる必要は全くありませんが、人格の造り手にはやはり人格的な響きのある名称が相応しいと考えて今は日常で使っています。勿論、相手を見ながらですが、
#38 2015年07月17日 22:19:50
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
訂正します。
親から子へ伝わるシステム→親、またはそのような存在から子へ伝わるシステム
#39 2015年07月18日 00:14:26
- ロスタイム疑惑
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
私の心に映る、神の本質と目的については、次の詩が端的に現しています。御自身が崇拝されることなど二の次三の次で、ひたすら与えることを至福にされる方です。
土と草
かあさん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
しげったら、
土はかくれて
しまうのに。金子みすゞ
涙がでましたが、気持ちを言葉にするのが難しいです。というか言葉にするのは野暮という気さえします。
この視点、とっても斬新で、素敵だと思いました。
akameさんの感受性の豊かさ、心が開けている様、寛容さを感じました(わたしの表現力の乏しさよ)。
#40 2015年07月18日 05:55:30
- akame
- ゲストユーザー
Re: 真理はどこに
ロスタイム疑惑さん、
私も初めてこの詩を見た時、涙が出ました。
自分を無にして与え尽くす、そこに至福を見出す。
過っての日本人はその姿を母親などに投影できやすい環境にありました。見返りを求めずに与え尽くす姿は美徳でもありました。
それが今はどうでしょう?奪い合いが手本のごとく周りに溢れ、家族内でさえ同様です。
これはある種の不幸であり、JWその他の宗教界や教育界、そして私たち自身が撒いてきた責任を痛感していました。
金子みすゞの詩に会い、衝撃を受けたのも、JW教理に疲れた頃だったように思いますが、私の親にその姿の片鱗を観ていたのも関係があるような気がします。