#1 2024年08月14日 13:21:51
- ゆずポン
- メンバー

選択肢と公正さ
公正さに基づき、エホバの証人の教えを考察してみました。
ちょろっと思い立って書いただけの内容ですので、不足もあると思います。
様々な視点があると参考になりますので、よろしければご意見ください。
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エホバの証人は、近い将来に大患難とハルマゲドンが引き起こされ、そこで邪悪な人々が滅ぼされるという、終末論を唱える宗教の一つである。
その終末においては各人が神とキリストへの信仰に基づいて裁かれ、救うに値する人は羊、滅びに値する人は山羊に分けられる。エホバの証人が行なう伝道活動は、最終的なその裁きにおいて「救うに値する人」として分けられるよう人々を助けるものだと信じている。
ではここで、神の「公正さ」という特質に基づいて考慮したい。
もちろん私のようなただの人間が、神の持たれる特質についてその真意を理解しようとすることなどおこがましいことであることは十分承知しているが、エホバの証人の教えが神の公正さという基準に照らして考えたときに、果たしてどういうものなのかをあえて考えてみたい。
まずアダムとエバについて考えてみよう。
彼らは「完全な人」として神に創造された、とされている。そして彼らには、神への忠誠を表す判断材料がただ一つだけ与えられた。「善悪の知識の木」である。この木の実をあえて食べないことによって、人は神の主権への忠誠を誓うことになり、その報いとして「命の木」から食べること、すなわち永遠に生きることを許されるはずだったと聖書は教えている。しかしご承知の通り、サタンの誘惑を受けて彼らはあえてその実を食べる選択をし、結果として「原罪」が持ち込まれ、彼ら自身は死ぬことになったのである。
完全な人が救いに値するか否かを判断するために神が用いた手段は、「善悪の知識の木」から食べる誘惑に抵抗するかどうか、ただそれだけのことだったのだ。
では私たちの場合はどうか?
アダムとエバの場合とでは、前提となる条件が全く違うという点に注意を払うべきである。
まず「完全性を備えていない」という点で大きな違いがある。しかも彼らは「エデンの園」という魅力的な環境で生活しており、環境面の大きな違いも見過ごせない。誘惑となる状況も全く違うし、そもそも彼らは神と直接かかわりを持っていた。
住みにくい今日の地球環境で、しかも原罪を抱えている不完全な人である私たちは、日々様々な誘惑に直面している。お金、性的なコンテンツ、飲酒、暴力的な傾向、数えようとしてもきりがない。神とかかわりを持とうとすると、これまた星の数ほどの宗教があり、そもそも「神はおられるのか」という信仰がまず試される。
こうした中で私たちの場合は、そもそも不完全なのに、まず神とかかわりを持つ正しい方法を見出して信仰を持ち、数々の誘惑をはねのけ、神への忠誠を示すための唯一の道を見出してそれを生き方とすることが救いにつながるのだ、とエホバの証人は教えるのである。
「公正さ」に基づいて尋ねたい。
このことのどこに、公正さがあるのか?
私なりの「公正なやり方」を、あえて聖書の教えに絡めて短絡的に示すならこうだ。
大患難やハルマゲドンで不完全な人の裁きについてあれこれ判断するのではなく、まずはじめに地上のパラダイスを回復する。これまでに亡くなった人も復活させ、そこで皆が神との直接のかかわりを持ちつつ千年のあいだ生活を楽しむ。最終的に完全な人となった時点でサタンの誘惑を受ける。そこで神への忠誠が試されて、忠誠であることを示した人だけが「命の木から食べて永遠に生きる」のだ。
アダムとエバが受けた試みと条件を揃えようとするなら、少なくともこのような措置が取られて然るべきではないか?エホバの証人が教える神は、本当に公正なのだろうか?
編集者 ゆずポン (2024年08月14日 13:28:33)
オフライン
#2 2024年08月14日 15:19:38
- 青い果実果実
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
〈公正さとは〉
分配や手続きの上で公平で偏りなく、明白で正しいことを意味する。
より良い社会を実現するためには、正義と公正さを重んじる精神が不可欠であり、
物事の是非を見極めて誰に対しても公正に接し続けようとすることが必要となる。
と述べられていました。
言うまでもなくこれは不完全な人間の定義であり、神からのものではありません。
ゆずポンさんのご意見は全うと感じられます。
混乱し複雑に絡んだ混沌としたこの世界で、真の公正について論ずる気力も失せてしまいます。
しかし少なくとも、エホバの証人の組織は決して公正では無いことだけは
断言出来ます。
#3 2024年08月14日 22:26:00
- ゆずポン
- メンバー

Re: 選択肢と公正さ
>青い果実果実さん
コメントいただき、ありがとうございます。
混乱し複雑に絡んだ混沌としたこの世界で、真の公正について論ずる気力も失せてしまいます。
しかし少なくとも、エホバの証人の組織は決して公正では無いことだけは
断言出来ます。
確かにおっしゃる通りですね。
私自身もエホバの証人の教えについて論じる気力を失いそうになることが多々あります。
しかしながら私の場合は、家族をエホバの証人の組織から連れ戻すための闘いがあり、どのようなアプローチで近づけばそれができるのかを日々考えています。
エホバの証人が発行する文書をもとに矛盾を論じても、まともな返信すら返って来ず、ひたすら空を打っているような虚しさを感じることもあります。
なかなかに大変な戦いです。
オフライン
#4 2024年08月15日 08:35:26
- コウセイ
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
完全な状態にしてから誘惑ではダメでしょう。なぜなら既にサタンに従うなら歴史が悪くなる事は知られているし、それも公平とは言えません。
完全になる途中でも自由意思はありますから途中で明確に神に反逆する者も出てきますから途中で滅ぼされます。
今の人間も自分の意思で神を否定し神から離れているのでアダムと同類なんですね。
では、罪を犯した最初の夫婦だけを滅ぼせばよかったかというとそうではなく、新たに創造してもまた自由意思で逸れる者は出てきますから結局は子孫の中から神を信じる者を信仰によって救うというのが最も理に叶っているとかエホ家族は思うでしょう。
信者を目覚めさせるのは簡単ではありませんね…
#5 2024年08月15日 10:33:06
- ゆずポン
- メンバー

Re: 選択肢と公正さ
>コウセイさん
コメントいただき、ありがとうございます。
実のところ私の提案した公正さも、おっしゃる通り公正とは言えない部分があることは薄々気づいていたんですよね・・・それで「短絡的」とあえて書いて逃げていたのですが
ただ、エホバの証人は「真理に接することなく亡くなった人は不義者として復活し、楽園で生まれてくる人も含め千年統治の最後にサタンの試みを受ける」ということを教えており、ではそうした人たちとハルマゲドンで滅ぼされる人たちとでは明らかに前者のほうが有利だとも思うわけです。今の時代、日々生きることだけで精一杯な人も無数におられるわけですから。
こうした考えは元々、エホバの証人が行なっている伝道活動への疑問から生じたものです。
今日エホバに信仰を持たない人はハルマゲドンで虐殺されることになっており、それが本当に公正な裁きなのか?と。
「エホバに信仰を持たない」ことが原因だというなら、その信仰を推し進めるエホバの証人の努力が圧倒的に足りていないのではないか?
なぜ未だに1,000人に1人しかいないのか?
西暦70年の滅びに備えさせるために用いた「聖なる力」による驚異的な奇跡を、必要とされている今こそ全人類に、異論を差し挟む余地もないほどはっきりと見せ、神に信仰を持つべき「圧倒的な証拠」を示すべきではないのか?
独り子を贖いとして捧げるほどの愛を人類に対して抱いている神が、来たるべき大患難で「一人も滅ぼされることがないよう」にと本当に願っているのだというなら、人を救おうとする必死さがもっと表明されて然るべきではないのか?
こうした疑問から、そもそもエホバの証人が教える「公正さ」は全く公正でないと感じたのです。
「短絡的」などという表現で逃げ道を作っている程度の考えでは、信者を目覚めさせるには足りないですね・・・難しいです。
オフライン
#6 2024年08月15日 11:39:46
- 匿名
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
聖書全体から読み取れることは善良な人たちが宗派教派関係なく救いに値するという音信ではないでしょうか。
福音は悪を行う人たちへの裁きと善良な人への希望としての二面の側面があるわけで、サタンの世で悪に打ち勝つ人たちには命の木に至る門を通らせると黙示録にある通り、義人にとっての千年統治は安息日となる解釈になります。
エホバの証人が言う千年後のサタンの惑わしは新たに誕生した悪を知らなかった人たちと千年統治中に復活したかつての罪人で情状酌量ありの類が最後に試されるだけと考えられます。よくあるあるな福音聞かずに死んだら復活だから公正ではないという見解も心を全て見抜くキリストの前では通用しなくて、福音を聞かず悪を行う者らの中で許される人とそうではない人がいると考えられます。
#7 2024年08月15日 12:01:15
- コウセイ
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
>「真理に接することなく亡くなった人は不義者として復活し、楽園で生まれてくる人も含め千年統治の最後にサタンの試みを受ける」
>そうした人たちとハルマゲドンで滅ぼされる人たちとでは明らかに前者のほうが有利だとも思うわけです。
確かにハルマゲドンで滅ぼされるより、良いたより?を聞いた事なく死んで復活するほうが得な気もしますね。
ただ、聞いた事がないといっても、聖書のある時代なら調べなかったわけですから聖書もない時代か伝わってない時代の日本人その他の国の人なわけですから昔の人になりますね。
しかしこの、不義者の復活というのはかなり怪しい教義でして、通常は聞いた事がない人でも明確に創造主とかの存在を否定して好き勝手に生きてた人間なら2度目のチャンスなど与えられないと思うのです。
JWは千年かけて完全になると言いますがそんな事は聖書には書かれてません。千年の終わりに復活がありまして、それは裁きの復活ですから聖書的にはチャンスは悪い者には与えられないです。
マイナーな新興カルトのJWの独特な教義を信じないと救われないというのが無理があります(笑)
善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
ヨハ5:28-29
#8 2024年08月15日 12:30:27
- 匿名
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
そして聖書は今の時代なら誰でも読めるし神の存在は火を見るより明らかなため神を否定して福音を聞かず悪を行った人達が千年統治で許しの為に必ず復活するとは断言できません。読み取れることは神をどんな対象としてたとしても良心に背いて生きてきたものには裁きしかないことになります。
#9 2024年08月15日 12:45:11
- コウセイ
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
ただですね、アダムたちは直接神を見れたのに今は見れないし紛らわしい宗教もたくさんあるからその点は少し公平ではないように感じますが?
#10 2024年08月15日 13:53:52
- ゆずポン
- メンバー

Re: 選択肢と公正さ
様々なご意見ありがとうございます。
>福音聞かずに死んだら復活だから公正ではないという見解も心を全て見抜くキリストの前では通用しなくて、福音を聞かず悪を行う者らの中で許される人とそうではない人がいる
これは運命予定説に近いような気がしなくもないです。
それならそもそも試練自体が必要ないようにも思えてきますが、どうなのでしょうか?
>千年の終わりに復活がありまして、それは裁きの復活ですから聖書的にはチャンスは悪い者には与えられないです。
「罪の報いは死」だった気がするのですが、チャンスもなくただ断罪されるために復活するのだとしたら、何のための復活なのでしょうか?
そんなことをするくらいなら、死んだままで良い気もします?
いずれにしても、公正な措置が簡単に思いつくなら苦労はないわけで、明確な答えを出すというのは難しそうですね。
自分がそうだったので言えるのですが、エホバの証人は疑問を持つと「エホバを待つ」と言って思考することを止め、否定的な意見は「背教者」として一切耳を貸さないことが問題です。
明確な答えが分からなくても、疑問を持ったり他者の意見に耳を傾けたりすることはとても大事なことだと思うのですが。
オフライン
#11 2024年08月15日 14:16:59
- コウセイ
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
罪の報いは死…
これはですね、死んだらチャラになるみたいに思われてますけど一般的なキリスト教では魂は永遠で、
死んだ者は罪から解放されてるというのも罪に対して死んだなら故意に罪を犯し続ける事はないという意味でしてJWは意味を履き違えてます(笑)
裁かれるために復活します。
信者は栄光の体に、悪人は不名誉な体に(笑)
#12 2024年08月15日 14:19:15
- コウセイ
- ゲストユーザー

Re: 選択肢と公正さ
>エホバの証人は疑問を持つと「エホバを待つ」と言って思考することを止め、否定的な意見は「背教者」として一切耳を貸さない
これはありますね。
賛同しないと仲間ではないみたいな。