#1 2024年01月10日 00:56:09
- ゆずポン
- メンバー
霊感と統治体
ものみの塔の説明がいまいちピンとこないので、教えてください。
ものみの塔2017年2月 P.26 12,13節
統治体は霊感を受けているわけでも,完全であるわけでもありません。 教理上の説明や組織上の指示の点で間違いをすることがあります。・・・イエスはご自分の奴隷が完全な霊的食物を与えるとは述べませんでした。・・・統治体は聖霊によって,かつては理解していなかった聖書の真理を理解するよう助けられてきました。・・・統治体は,次のように述べたパウロと同じように感じています。「わたしたちはそれらの事も,人間の知恵に教えられた言葉ではなく,霊に教えられた言葉で話します」。(コリ一 2:13)・・・ですから,1919年以降,聖書の理解がこれほど早く進んだのは,聖霊の働きによるとしか考えられません。
上記の通り、統治体は「霊感を受けていない」とはっきり述べていますが、続く節で、「聖霊によって真理を理解するよう助けられている」と述べています。
「洞察」の「霊感」の項を見ると、次のように定義されています。
洞2 P.1213-1217 霊感
超人間の源から発する霊によって動かされている,もしくはその霊の指示のもとに生み出されている特質や状態。その源がエホバである場合,その結果は,真に神の言葉である宣言や書物となります。・・・「聖書全体」に霊感を与える手段もしくは媒体となったのは,神の聖霊,つまり神の活動する力でした。(「霊」を参照。)その聖霊は人間に対して,または人間の上に働き,神の音信を書き記す人を動かし,導きました。・・・証拠が示すところによると,神の霊はすべての聖書筆者の思いと心に働きかけ,彼らを神の意図される目標に導きました。・・・最終的に出来上がるものが正確かつ真実なものとなると同時に,エホバの目的にかなったものともなるよう,筆者たちを常に十分制御し,導かれた
聖霊の働きについては、次のように書かれています。
洞2 P.1209-1210 霊
割礼を巡る疑問に関してエルサレムの使徒や年長者たちの一団もしくは評議会が決定をしたように,疑問が生じた場合,聖霊は決定を下す際の助け手でした。・・・こうして,神の聖霊の動き,または流れは唯一の方向を指し示していたので,このことを認めたその長老団もしくは評議会は,自分たちの決定を知らせる手紙を書き,「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです」と述べました。
また、天的な希望を抱くようになった人については、以下のように説明されています。
ものみの塔1991年 3/15 p. 19-20
ある人が油そそがれて天への召しを受けていることを示す主要な証拠は,子としての霊,つまり支配的な意識です。(ガラテア 4:6,7)・・・自分に対する神の霊の働きの結果としてエホバから与えられたものであることを証言できます。
私の理解では、
「霊感を受ける」からこそエホバの目的にかなったものとして導かれる
聖書は「霊感を受けた人が書いている」ので信頼できる
そして、
霊感を受けている=聖霊が働いている状態
という解釈になります。
そうしますと、一世紀の統治体(そう呼べるものがあるとして)は、決定を下す際に「聖霊が助け」となったこと、天への召しを受けている人には「神の霊が支配的な意識として働く」ことから、これらはいずれも「霊感を受けている」状態だということになると思います。
そうであれば、冒頭の説明である、「今日統治体は霊感を受けていない」ということと、「聖霊によって真理を理解している」という主張はどう見ても矛盾しているようにしか思えません。「天への召しを受けている」者として霊感を受けている人たちの集合体であり、神の組織の意思決定機関である統治体が、「霊感を受けていない」というのは不自然に思えます。
これは今日の統治体を、神が用いる奴隷級として、また真理の経路として受け入れるかどうかを大きく左右しそうなのですが、私の理解の方に間違いがあるのかはっきりわかりません。
そもそもイエスが、わざわざ「不完全な霊的食物」を奴隷級に与えたり、明快な真理のことばとしての聖書を書くよう導かれたエホバが、今日真理を漸進的にしか明らかにされないとはどうしても思えません。
ご意見があればご教示ください。
オフライン
#2 2024年01月10日 03:23:12
- 大阪女子好き
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
こんにちは。
これはですね…………。
うーん、そうですねー。
霊感を受けるって、よく言う憑依した状態?みたいな感じなんじゃないでしょうか。
だから人間が書いた聖書もあたかも神が書いたかのように、神の考えが反映されているってな感じなんじゃないっすか。
聖霊を受ける、最近は聖なる力の影響ってな言い方しよるねぇー。
簡単に言えば、何かの影響を受けてピコンってなる感じなんじゃないのかな。
聖なる力の影響だからねー。
夏に蛾が電灯に向かって飛んで行くけど、真っ直ぐにズバーって飛ぶのではなくクルクル回りながら街灯にめがけて飛ぶのと同じなんだと思う。
飛ぶ先は光の影響でわかっているんだけど、憑依されてるわけではないのでww、間違うことがある。それはちょうどクルクル回ってる蛾のようなもんじゃないの?
まぁー、真っ直ぐズバーって飛べたら楽でいいけど影響を受けての反応だから、時にはジグザグにもなるんだろうね。
そんな感じで適当に理解してるつもりです。
#3 2024年01月10日 05:58:25
- 早起き
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
悪霊の影響では?w
#4 2024年01月10日 10:19:54
- ゆずポン
- メンバー
Re: 霊感と統治体
霊感を受けるって、よく言う憑依した状態?みたいな感じなんじゃないでしょうか。
だから人間が書いた聖書もあたかも神が書いたかのように、神の考えが反映されているってな感じなんじゃないっすか。聖霊を受ける、最近は聖なる力の影響ってな言い方しよるねぇー。
簡単に言えば、何かの影響を受けてピコンってなる感じなんじゃないのかな。
聖なる力の影響だからねー。
夏に蛾が電灯に向かって飛んで行くけど、真っ直ぐにズバーって飛ぶのではなくクルクル回りながら街灯にめがけて飛ぶのと同じなんだと思う。
飛ぶ先は光の影響でわかっているんだけど、憑依されてるわけではないのでww、間違うことがある。それはちょうどクルクル回ってる蛾のようなもんじゃないの?
うーん、何となくわかるようなわからないような・・・そんな感じです。
そもそも、霊感を受けていないのに聖霊に導かれているって、どうしてわかるのでしょうか?
「1919年以降,聖書の理解がこれほど早く進んだのは,聖霊の働きによるとしか考えられません。」と書いていますが、その聖書理解が正しいとはどのようにして判断するのでしょうか?単なる主観でしかないように思います。
出していただいた例でたとえるなら、「蛾が向かっている電灯」が真の神で、「電灯が発している光」が聖霊だと言える根拠は何なのでしょうか・・・
「じゃあ憑依している(霊感を受けている)」という前提であれば信じられるのかというと、それを証明するのも難しい気がするので、結局統治体が真に神に導かれていることは証明できないようにも思えます。
神が奇跡でも見せてくれたら一番簡単な気がするのですが・・・
編集者 ゆずポン (2024年01月10日 10:20:16)
オフライン
#5 2024年01月10日 12:47:03
- 匿名
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
統治体が神に導かれていたら?
長年開拓奉仕してきた信者たちがいよいよ働けなくなり
老後破産して役所の福祉課に生活相談に行くなんて
あり得ないよ。エホバの顔に泥塗ってる。
これ一つ取っても統治体は信者を正しく導いて来れなかった。
つまり統治体に神の霊なんて最初からなかった、ということよ。
#6 2024年01月10日 23:07:53
- 匿名
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
聖霊の影響受けて 聖書の理解が進んだら 鞭打ちやって虐待するようになるんだね
エホバは「人間の教えだ」ってお怒りだよ
#7 2024年01月11日 09:20:44
- 霊感愛子
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
ものみの塔2017年2月の記事にあるように、統治体の皆様は霊感は受けていません。しかし、霊の助けを得ている、という主張ですね。
なぜこのような奇妙な主張をなさるのでしょうか?
統治体の皆様は頻繁に「真理」と称する教義を変えてきました。失敗も多かったです。それで霊感を受けていたとは、いくら厚顔無恥な統治体の皆様も言えませんよね。
それなら、現実に合わせて、単なる人間の組織です、という訳にもいきません。統治体の皆様は信者に絶対服従を求める以上、自分たちの命令が神に基づいていると信者に思わせなくてはならないからです。
例えば、輸血禁止が、せいぜい高卒程度の学歴で、世俗の知識や学問もなく、かといって聖書の深い知識があるわけでもない老人たちの考えにすぎないとなれば、誰も輸血拒否をして殉教者になりませんよね。
そこで、霊感は受けていないけれど、霊の助けは受けているという意味不明の主張をなさるのです。
霊感を受けているとか、霊の助けを得ているとか、そういうことを証明することは誰にもできません。ただそう主張しているだけです。そして、だまされやすい人たちがそれを信じているのです。
それで、こんなQ&Aになります。
Q1 統治体が過去に誤った主張をし、それを信じた人たちが悲惨な人生を歩んでいることについてはどう思いますか?
A1 統治体は霊感を受けていませんし不完全なので間違えることもあります。どのような人生を歩むかは個人の選択です。統治体は謝罪する必要はありません。
Q2 そんな統治体なのに絶対服従すべきなのですか?
A2 はい。統治体の決定は霊の助けを得ているものだからです。従わない人はエホバに逆らうことになります。サタンの側に立つ人となります。排斥され、滅ぼされるのです。
こんな宗教の信者が日本に沢山いるなんて驚きですね。
#8 2024年01月11日 11:38:56
- ゆずポン
- メンバー
Re: 霊感と統治体
皆さんのご指摘のように、統治体の指導が生み出してきた結果に目を向けて判断する、というのは確かにそうかなとは思います。
高齢化した人たちの生活が立ち行かなくなり、じゃあ子どもたちが面倒みれるかというと、その子どもたち自身もJWで低収入だったりして、結局生活保護などの行政サービスに頼らざるを得なくなっている現実は日本でも実際増えてきていますね。
鞭打ちの件は、確かに自分が子どもだった時代に、トイレから鞭打ちの音と子供の泣き声が聞こえたり、王国会館に鞭が飾られていたり、どの鞭が一番効くか母親たちが談義していたりした事実は目にしてきています。
でも組織がそこまで体罰を推奨してきたかと問われると、資料を調べると「体罰も必要な場合がある」ことは教えていても、「推奨」と言えるほどではないとも思います。
神の組織が時代背景に左右されるというのもどうかとは思いますが、自分の学生時代を振り返ると、当時は一般的な風潮として、子どもたちの教育にある程度の体罰も容認されていたとも感じています。
ですから鞭打ちについては、今受け入れられている世間的な常識からすると問題ありとは思いますが、それをもって組織の教え云々を問題にするのは少し弱いかな、というのが個人的な見解です。
輸血については、「漸進的な真理の理解」ではなく、時代のニーズに合わせて教理を調整してきていると感じています。
「血を取り入れてはいけない」ので輸血はしないというのであれば、現在のように、分画や血液の関係する特定の治療法に関しては自分の良心において判断しなさい、というのは一貫していないと思っています。
じゃあなぜ献血を禁止するのかとか、母乳に白血球が含まれている事実をどう説明するのかとか、複雑化する教理が別の疑問を生み出していますね。
霊感を受けているとか、霊の助けを得ているとか、そういうことを証明することは誰にもできません。ただそう主張しているだけです。そして、だまされやすい人たちがそれを信じているのです。
それで、こんなQ&Aになります。
Q1 統治体が過去に誤った主張をし、それを信じた人たちが悲惨な人生を歩んでいることについてはどう思いますか?
A1 統治体は霊感を受けていませんし不完全なので間違えることもあります。どのような人生を歩むかは個人の選択です。統治体は謝罪する必要はありません。Q2 そんな統治体なのに絶対服従すべきなのですか?
A2 はい。統治体の決定は霊の助けを得ているものだからです。従わない人はエホバに逆らうことになります。サタンの側に立つ人となります。排斥され、滅ぼされるのです。
私の今の結論も、これに近いです。
オフライン
#9 2024年01月11日 15:15:11
- 匿名
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
唯一の組織があってそれに従わない人は滅ぼされるって聖書にあるの?
#10 2024年01月11日 15:23:06
- 匿名
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
統治体の指導してきた結果に目を向けて判断すると 霊の実はどうなんだろう?
#11 2024年01月11日 15:31:40
- アメリカ在住
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
鞭打ちの件は、、、、でも組織がそこまで体罰を推奨してきたかと問われると、資料を調べると「体罰も必要な場合がある」ことは教えていても、「推奨」と言えるほどではないとも思います。
JW組織は徹底した上意下達の組織です。
研究生は司会者に、姉妹は兄弟に、平信徒は開拓者や長老に、
長老は巡回監督に、巡回監督も支部委員などに絶対に服従です。
言い逆らえば、組織の取り決めに従順でないと叱責されます。
「納得の行かないことを言われてもその場では従って
おくように。必要ならエホバがふさわしい時に正します」
と聞いたことありませんか?
日本での鞭は特開者の姉妹たちが最初に広めたようです。
’70年頃の特開者と言えばパンの耳を主食にしていたような
人たち、不幸な生い立ちの人が珍しくありませんでした。
その彼女たちから教わり、なかには「サタンを追い出します」
と言って5歳の子供が失神するほど叩くような親もいました。
研究生時代に目の前で見ています。
その司会者の姉妹も不幸な生い立ちで
「エホバの証人はエリートです」なんて言うような人でした。
不幸な生い立ちや、惨めな暮らしをしていて
社会から疎外感を感じていた人がJWになるケースは
多いです。
そのような人たちは洗脳されやすく、自分を受け入れて
もらいたくて度を超えた鞭をして「霊的に成長されて
素晴らしいですね」と褒められ満足していたのですが
子供たちは たまったもんじゃありません。
長じてメンタルをやられ何かの依存症になり不幸の連鎖です。
因みに本場アメリカでの鞭の使用は、日本でJW が増える
30年くらい前に問題となってました。
随分前ですが一般の新聞に、JW として育てられメンタルを
病んだ60近い男性が投稿していました。
「暴力で信仰を植え付けることは間違っているし不可能だ」と。
#12 2024年01月12日 06:53:24
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
「霊感を受けてはいない」が「霊によって導かれている」ので、聖書理解や組織運営で間違いをすることもあるが従うように、何言っているかよく分からないですよね。
自分は神の預言者である、と言ってしまうと誤謬があってはならない、そんなことは不可能なので、逃げ道を作るためにまわりくどい言い方をしています。
キリスト教史に現れては消えてきたセクトで繰り返されてきましたが、人間による神の代弁的行為の典型また特徴として、神の預言者だとダイレクトに主張するよりも(何かの間違いがあると信者はすぐに幻滅して離れてしまう)神によって「導かれている」「用いられている」等の受動表現を使う方が、長続きする傾向があるからです。
#14 2024年01月19日 17:34:49
- ゆずポン
- メンバー
Re: 霊感と統治体
個人的に聖書を読んでいて、「エルサレムにいる使徒や長老たち」が統治体の根拠であるとするのが間違いであることを示す聖句を見つけたような気がします。
それはガラテア2章です。
「エルサレムにいる使徒や長老たち」が1世紀の統治体だったことを説明する際に、エホバの証人は必ずと言っていいほど使徒15章の記述を引用します。
ここで起きた「割礼」を巡る問題は、西暦49年頃のこととされています。
ところで、ガラテア2章でもパウロは「エルサレムに上った」ことについて言及しており、この部分も西暦49年頃の出来事とされています。
ですから、ここでパウロが述べていることも使徒15章で扱われている問題に関連した内容であることが分かります。
ガラテア2章を読み進めますと、6-9節でパウロは「エルサレムにいる使徒や長老たち」について興味深い表現を用いています。
「重要と見なされている人たちに関してですが(その人たちが以前どんな人だったか,私は気にしません。神はうわべで人を判断したりはしないからです),私はその主立った人たちから新しいことは何も告げられませんでした。」
「柱と見なされていたヤコブとケファとヨハネ」
このパウロの書き方からしますと、恐らく当時「キリストの使徒たち」として持ち上げられていた、いわゆる「重要な人たち」について、パウロは冷ややかに見ていたのではないでしょうか?
パウロ自身が元々当時のエリートのような生い立ちだったものを、キリストによって考えを根底から覆され、まるで逆を向いて歩んでいた自分に過分の親切を示してくださったキリストに対する深い感謝を抱いた人生を歩んでおり、また何度も「律法を守る」ことよりも「信仰の実践」の方が重要であると説いていることからも、肩書やステータスで判断する風潮を毛嫌いしていたように思います。だからこそ「その人たちが以前どんな人だったか,私は気にしません。神はうわべで人を判断したりはしないからです」という言葉が出てくるのかと。
パウロはこの問題に関連して、「その主立った人たちから新しいことは何も告げられませんでした」と結論付けています。
このことから、もし「エルサレムにいる使徒や長老たち」が当時の統治体だったとしたら、なぜパウロが「見なされている」という表現を繰り返したり、「新しいことは告げられなかった」と述べているのか、つじつまが合わないように思います。神が当時の統治体を認めておられたとするなら、不敬ともとれるこんな記述を聖書に残すはずもありません。
この部分は急所なのか、索引やリサーチガイドを調べてもガラテア2章のこの部分に関する考察はほとんどありません。
霊感についてもそうですが、聖書的にも根拠不足だと思いました。
オフライン
#15 2024年01月20日 02:39:34
- 大阪女子好き
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
どーもです。
出発点が、聖書は絶対に正しいがスタートですからねー。
聖書の間違いを確実に示すものは無いから霊感を受けて書かれている。
それは間違いを誰も示せない。聖典と外典があるからね。絶対なんでしょう。
その点を出発点として霊感を受けて書かれてある聖書を基に指示を出しているに過ぎないから、統治体は霊感を受けてるのではなく聖霊に導かれているってな感じなんじゃないですかね。
だから神の目的という方向に間違いなく進んでいるんだけど、霊感を受けるわけではないから間違った方向に行きかけるが、結局は神の目的に進むってな感じすかね。
確かに髭や奉仕報告など規則を作り過ぎた間違いはありました。
もしかしたら誕生日や乾杯などもそのうち何かしらありそうな勢いですよね。
何せ聖書的根拠があるの?ってな感じですから。
JWがよく言う、精錬されてるって言葉で済まされるかは分かりませんがww。
組織内での推薦なども聖霊によってなんで言ってますが、びっくりするぐらいのグダグダですから。聖書に照らし合わせて祈りのうちに決定するから聖霊に導かれているって言うだけですよ。
所詮は人間のする事ですから。
#16 2024年01月20日 08:15:53
- ふむふむ
- ゲストユーザー
Re: 霊感と統治体
神と人間との間に、余計なオッサンが割り込み過ぎw
新しい見解では統治体がみんな天に行っちゃった時のために、地的クラスの別のオッサンたちを訓練してるってねぇ。。。
神→イエス兄と弟の統治体(同等扱い)→統治体に訓練された地的クラスのオッサン→信者
どんどん余計な仲介者が間に入って増えてくw
どうせオッサンみんな、ブクブク肥えて変顔得意なんでしょw
本来は旧約は廃されて、イエス→弟子ってシンプルなものなんじゃないの?キリスト教って。
#17 2024年01月20日 09:51:14
- ゆずポン
- メンバー
Re: 霊感と統治体
大阪女子好きさんの投稿で、「霊感を受けている」ことと「聖霊によって導かれている」こととの違い?は何となくイメージできた気がします。
ただ調べれば調べるほど、「統治体は霊感を受けているわけではない」という説明はおかしいとしか思えなくなりました。
統治体って皆「油そそがれた者たち」の一人なんですよね?
油そそがれた者について考察してみたのですが、
内面的証拠からすればモーセの著作が神の霊感を受けたということには疑問の余地がありません。イスラエル人の指導者になるというのはモーセの考えではありません。彼は最初その勧めにしりごみしました。(出エジプト 3:10,11; 4:10-14)むしろ,神がモーセを立てて,彼に奇跡的な力を与えられたのです。(塔71 7/15 p. 420)
まず聖書の一部を書いたモーセは当然霊感を受けたとみなされていて、霊感を受けている状態を説明するものとして上記の記事では「モーセの考えではない」考えを与えられたことが示されています。
油そそがれて天への召しを受けたことを示す証拠については、このように定義されています。
ある人が油そそがれて天への召しを受けていることを示す主要な証拠は,子としての霊,つまり支配的な意識です。(ガラテア 4:6,7)そのような人は,自分が天の王国の共同の相続人となる14万4,000人の一人として,神によって生み出された霊的な子となったことを全く確信しています。そのような人は,自分の天的な希望が自ら培った願いや想像ではなく,むしろ自分に対する神の霊の働きの結果としてエホバから与えられたものであることを証言できます。(塔91 3/15 p. 19-20)
上述の記事が示すように、そもそも油そそがれた者というのは「支配的な意識」「自ら培った願いや想像ではない」希望を神から与えられていると述べており、これはつまりモーセの場合と同じです。その聖霊に動かされるままに聖書を書いたかどうかの違いはありますが、それは神による人間の用い方の違いであって、彼らも「霊感を受けている」と結論できると思います。
統治体は霊的食物を与える「奴隷」として、油そそがれた者を含む「召使いたち」を世話するという特別な役割をイエスから与えられていると主張しているわけで、そもそも「霊感を受けている」はずの人たちがそんな重要な仕事を果たすときには「霊感を受けていない」というのは、論理的にもおかしいと思います。
神は霊感を与えて「真理」である聖書を人間に書かせたのですから、その真理を教える役割をもし人間の代表者の一団に委ねるのであれば、同じように霊感を与えて間違いのない導きを与えると思うんです。
ですから、「イエスはご自分の奴隷が完全な霊的食物を与えるとは述べませんでした」とか「霊感を受けているわけではない」と書いている時点で、「真理の経路」としてはアウトなんじゃないかと考えています。
オフライン