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#1 2015年06月26日 11:32:50

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

聖書“研究”って?

私の父は未信者のまま病気で死にました。家族の信仰に冷笑的ではあるものの、初期の反対の激しさからは大幅に和らいで、会衆のお父さん兄弟たちの訪問を拒否したりはしなかったし、イベント事がある時には家族を会場まで送ったり、時にはプログラム中に座ったりすることもありました。

ただ、「冷笑的」であることは一貫していて、特に奉仕会とかQ&Aのプログラムの事をせせら笑い、「雑誌の売り方の講習会」「下線を引いたところの答え合わせ」「身内にしか通じない外国語でやってる」と評していました。

至言です。

ささらさん(だっけ?)も述べておられたように、JWの「研究・討議」はほぼ全て、出版物からの引用・参照に過ぎず、自分で一生懸命、他から資料を集めて自分の言葉遣いで注解しても「なるほどー」とだけでスルーされたり、場合によっては集会後に呼ばれたり?します(笑)。

先日、「羊とヤギを分ける業」の研究記事で、集会に出席するのは5回目という研究生がある節で手を挙げて当たって、「これに関連して、イエスは山上の垂訓で“羊の覆いをかぶった狼”についても話しました」という一見、トンチンカンな注解をしました。全く的外れ、とまでは言わずとも「う、うぐぐ」と詰まってしまうようなコメントです。もちろん司会者は「……じゃ、それについては集会後に扱いましょう(汗)」とかわしました。まぁ、妥当な線ですね。その後どうなったかについては確認していません。

「予定調和」とか「シャンシャン総会」とか、普通の日本には「式次第」どおりにイベントが進むのを前提に催しを計画しています。だからこそ「総会屋」と言われる異分子を恐れ、株主から鋭い質問が出るとパニックになる、といった現象がままあります。

私たちがしているのは本当に「研究」なんでしょうか? 父がかつて言っていたように「答え合わせ」に過ぎないのでしょうか?

集会のシステムが変わって週2回制になって、書籍研究のことを「会衆の聖書研究」と呼ぶようになった時、すごく“違和感”を覚えました。どう見ても「塔出版物研究」にしか見えなかった。「討議」も賛否が飛び交うディスカッションでは決してなかった。「けんきゅう」というものに慣れていない人々にとっては、取っかかりとしては良い方法かもしれないが、いつまでもそれに依存し続けるのはいかがなのか、と。

外国の事情をご存知の方、どなたか教えて下さい。

(この間YouTube で記念式のワインを回している途中で一人の若い出席者が立ち上がり、グラスに口を付けて、「I’ve been anointed!」みたいなことを叫んでいる動画を見かけました。きれいな画像でしたから撮影隊も準備していた「確信犯」だったのでしょう)

いずれ日本でもこういう予想外の場面が見られるようになるんでしょうか?

#2 2015年06月26日 13:11:32

るい
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

1,000時間奉仕者 さんの発言:

外国の事情をご存知の方、どなたか教えて下さい。

(この間YouTube で記念式のワインを回している途中で一人の若い出席者が立ち上がり、グラスに口を付けて、「I’ve been anointed!」みたいなことを叫んでいる動画を見かけました。きれいな画像でしたから撮影隊も準備していた「確信犯」だったのでしょう)

いずれ日本でもこういう予想外の場面が見られるようになるんでしょうか?

北米で10年間会衆に交わり10数年前自然消滅した元一世です。
日本でそのようなことは99%起こることはないと思われます。

その若い出席者は現役のJWではなく、元伝道者か或いは一般人が紛れ込んだものと思われます。

よく外国は自由だと言われますが、こちらで5つの会衆に交わりましたが日本とそれほど大きな違いはありません。

元々日本人は横並び意識が強く、JW以前に周りの空気を読むことを学んでいます。
ですから少しでも他と違うと周りがそれとなく本人にわからせませんか?

こちらの人達は他人の生活に口を出しませんし、自分にも出させません。
人は人、自分は自分が徹底しています。

でもどの会衆にも一人か二人、よくしゃべる他人をコントロールしたがる開拓姉妹はいました。

書いているうちにズレてしまいました。済みません。

#3 2015年06月27日 07:53:39

万年研究生
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

自分もこの点が理解出来ません。

よく集会などで周りの方に尋ねるのですが
「真理でないものを勉強したり信じたりするとなぜ真理が理解できるようになるのか?
聖書だけでは不十分で不足しているのか?」

誰も答えてくれません。
周りの方は理解しているので研究してるのだと思うのですがここでも思考停止が発動しているようです。
自分にとってはこの点がクリアにならなければどれほどの年数をかけて書籍を研究しても
一歩も前進しないと考えます。

#4 2015年06月27日 08:34:03

ささらほーさら
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

万年研究生さん、おはようございます。

万年研究生 さんの発言:

周りの方は理解しているので研究してるのだと思うのですがここでも思考停止が発動しているようです。
自分にとってはこの点がクリアにならなければどれほどの年数をかけて書籍を研究しても
一歩も前進しないと考えます。

それでも研究続けていらっしゃるのですね。
今思えば、私も研究は長く、徐々に妥協点を見つけて結局はバプテスマを受けてしまった....という感じでした。
聖書や学んでいる内容より、人に絆された感じですかね。

JWの言うところの「聖書研究」は研究になっているとは思いません。
それは明白です。

さしずめ「も塔の言い分をまとめた資料のおさらい会」とでも言いましょうか。

それでも、以前の出版物から現在までの出版物を比較検討して
カレブさんのようにエホバの証人を研究するなら、別の意味で前進されると思います。

編集者 ささらほーさら (2015年06月27日 08:35:04)

#5 2015年06月27日 09:06:28

ラハム
メンバー

Re: 聖書“研究”って?

JW、あるいはものみの塔の言う「聖書研究」というのは
JW、あるいはものみの塔の「聖書解釈」あるいは「聖書理解」のことです。
わたしは純粋な聖書研究とそれらの違いに気が付いたので
集会に行くことをやめて、いわゆる脱塔を実行しました。
ものみの塔研究の時など、質問と答で同じ解釈を勉強するのですが、
このやり方はJ・F・ラザフォードの時代に始まったようです。
このようなやり方は信者をマインドコントロールするのに効果的だということでした。
たしかに奉仕会などは見方を変えれば「雑誌の売り方講習会」だと思います。
わたしが脱塔しようという直前の巡回訪問では
まさしく巡回監督による「書籍販売の講習会」になっていて、
非常にうんざりした記憶があります。
それ以前は、信者を築き上げる話を多く聞くことができたからです。
無駄な時間を過ごしていると強く感じました。

1,000時間奉仕者さんのおとうさんはこうしたことを
最初から理解できたので、冷笑的だったのでしょう。
万年研究生さんも直観的に良い点を気付いていると思います。
ただ、あなたのいう「真理でないもの」とは何を指しているのかわかりません。
もしこれが集会で学ぶいわゆる真理だと彼らが信じていることであれば、
JW信者たちは自分たちが学んでいる教義・解釈・理解・教理は
聖書に基づく完全な真理だと思い込まされているので、
たぶん、その質問には答えられないと思いますよ。

多くのJWは自分の知覚力や考え、判断力を停止させられている
ところに問題の根源があるとわたしは思っています。

オフライン

#6 2015年06月27日 09:37:01

万年研究生
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

おはようございます
ラハムさん: 真理でないものとは雑誌や書籍のことを意味します。
         神の霊感によるものでないのは明白で(古い雑誌に明言されてますので)
         私はそのようにいつも形容しております。

ささらほーさらさん: いつかは理解できるだろうと続けております。
             なぜ妻がそこまで強く信じられるかが知りたいという願いもあります。
             求め続けなさいともいいますので細々と継続しております。
             こういった人って会衆の人たちはどのように目に映っているのでしょうね?
             本音で教えてほしいとも思っています。

#7 2015年07月04日 08:53:38

あんず
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

おはようございます。
改めて聖書を読むとしたら、どの訳(?)が読みやすいですか?

#8 2015年07月04日 09:45:14

1,000時間奉仕者
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

かなり型破りですが、「リビングバイブル」(ケニス・テイラー訳)の表現はダイレクトで、子供に読み聞かせても大丈夫なくらいカジュアルです。ま、好き好きですけど。

http://erkenntnis.icu.ac.jp/jap/LivBibleJIF.htm

中でも圧巻はマタイ25:1-13でした。

25

天国は、ランプを持って花婿を迎えに出た、十人の娘〔花嫁の付き添い〕の話でも説明できます。そのうちの五人は賢く、ランプの油を十分用意していましたが、残りの五人は愚かで、うっかり忘れていました。

さて、花婿の到着が遅れたので、みな横になり寝入ってしまいました真夜中ごろ、ようやく、『花婿のお着きーっ。 迎えに出なさーい』と叫ぶ声がします。

娘たちはとび起きると、めいめい自分のランプを整えました。 その時、油を用意していなかった五人の娘は、ランプが今にも消えそうなので、ほかの五人に油を分けてほしいと頼みました。
『ごめんなさい。 でも、分けてあげるほどはないの。 それよりもお店に行って、買ってきたほうがいいんじゃないかしら。』

こう言われて、あわてて買いに行っているうちに、花婿が到着しました。 用意のできていた娘たちは、花婿といっしょに披露宴に行き、戸は閉じられました。
のあとで、例の五人が帰って来て、『ご主人様ーっ、戸を、戸を開けてくださーい』と叫びました。

ところが主人は、『さっさと行ってしまえ。 もう遅すぎる!』と冷たく答えました。
こんなことにならないために、目を覚まして、いつでもわたしを迎える準備をしていなさい。 わたしが来るその日、その時が、いつかわからないのですから……。

#9 2015年07月04日 11:44:22

さやか 666
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

出ました リビングバイブル❗
私も好きでした ただ王国会館で読むと縦書きなので 目立ちますよ ご注意を

#10 2015年07月04日 22:18:48

あんず
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

1,000時間奉仕者さん、ありがとうございます。読み易そうですね^^
JWになってから、どんどん読書が苦痛(読み物が多くて読みたい本が読めない)になって、WTの出版物はもちろんのこと新世界訳すらしんどくなり、もはや読みたくない…読んでない状態でして。
さやか666さん、お気遣いありがとうございます。
恐らくもう王国会館に行くことはないと思うので、大丈夫です^^

#11 2015年07月04日 22:22:17

さやか 666
ゲストユーザー

Re: 聖書“研究”って?

あんずさん かわいい名前ですね

王国会館に行かないのなら心配ありませんね♪♪

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