#2026 2021年01月31日 08:44:32
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
まず、創世記33章20節の「エル・エロへ・イスラエル」の「エル」を「神」としているのはヤフー知恵袋の人ではありません。
私でも山我さんの本も持っていますのに他の保守的な聖書学者が山我哲雄さんの見解を知らないはずはないでしょう。
つまり、ハム太郎さんは私の以前からの指摘のように批判的な学者の説だけを持ってきて、反対意見はほとんど調べずにそれを選んでいる(自分の解釈に合うものだけ)というだけですから。
文書資料仮説も現在でも有力な説だというのは、批評学の学者の間ではという限定が付きます。
文書仮説については新教出版社の聖書註解シリーズの創世記の序論の中で様々な見解の学者の名前も挙げ、定まっていない事、完全に否定する学者もいる事が述べられています。
ちなみにその新教出版社の注解書では「エル・エロへ・イスラエル」は「イスラエルの神なる神」としています。
「イスラエルの神である神」や「イスラエルの神は強し」としている人もいます。
イスラエルの神なる神では意味をなさないというのは山我さんの単なる解釈に過ぎません。
もちろん、「イスラエルの神エル」という訳にするべきだという見解もあるのですが、それ以外の翻訳も見てみるべきでしょうね。
フランシスコ会訳の【注】ですが、エルエロへイスラエルを
「イスラエルの神エル」あるいは「力ある(者)はイスラエルの神」
としています。
他の翻訳はどうでしょうか。
創世記33:20
文語訳聖書
彼處に壇をきづきて之をエル、エロヘ、イスラエル(イスラエルの神なる神)となづけたり
ヤングの直訳
彼はそこに祭壇を築き、そこに神、すなわちイスラエルの神を宣言した。
リテラル標準バージョン
そして彼はそこに祭壇を築き、そこに神、すなわちイスラエルの神を宣言した。
ネットバイブル
そこで彼は祭壇を建て、それを「イスラエルの神は神である」と呼びました。
GOD'SWORD®翻訳
彼はそこに祭壇を設置し、それを神はイスラエルの神であると名付けました。
クリスチャンスタンダードバイブル
そして彼はそこに祭壇を築き、それを神、イスラエルの神と呼んだ。
ホルマンクリスチャンスタンダードバイブル
そして彼はそこに祭壇を築き、それを「神、イスラエルの神」と呼んだ。
ヘブライ語を教えているある方は、「イスラエルの神なる神」と教えていました。山我さんの見解とは違う人もいますからドヤ顔されても困るわけです(笑)
別にハム太郎さんに敵意があるわけではないですよ。そこは理解してくださいね。
「イスラエルの神エル」という翻訳が仮に正しかったとしても、それだけではイスラエルが異教のエル神を崇拝していた証拠にはなりません。
「イスラエルの神こそが最高神」、「イスラエルの神は強い」の意味であるとも言えますし、エルが神を表す普通名詞の意味で用いられているとも言えます。
エルを固有名にしなければならないというのは山我さんたち批評家の見解です。ハム太郎さんと同じ見解の人の発言を持ってきているだけですから、「それが何?」という感じでしょうか。
神を信じない人がいくら多くても、批判的な聖書学者の間でそういった解釈が多数であってもそれは、多くある仮説の中の一つに過ぎないという事です。(何度も言ってますよね)
エサルハドン誓約文書にはアッシリアの神アシュルだけでなくバビロンの神々や他の周辺諸国の神々、さらには全世界の神だったでしょうか、そういった表現が出てきます。申命記がアッシリアから取り入れたのではなく、アッシリアが申命記から取り入れたのは明らかではないでしょうか。
エサルハドン文書の研究の第一人者である渡辺和子さんは、元からあったユダの呪いの言葉をアッシリアが取り入れたと書いています。(私もその点では同感です。)
しかし、渡辺さんはエサルハドン王位継承誓約文書が各地から集めて洗練させた呪いの言葉をユダが
さらに逆輸入したのではないかとのお考えのようです。
もちろんそれもひとつの解釈であって裏付けは取れないでしょう。神殿でエサルハドン文書が発見されたとしてもどちらが取り入れたのかの問題が残るからです。
では、本当に批判的な聖書研究の学者の人の言うようにイスラエルは最初はヤハウェではなく異教のエル神を拝んでいたのでしょうか。そうではありません。
杉本智俊さんの動画の中では「ヤハウェのアシェラ」に関して、また「エル」とヤハウェを呼ぶようにもなった意味を詳しく解説しています。
異教の神々の属性は実はヤハウェの属性なんですよ、つまり、エルは神ではなくヤハウェこそ神なんですという事ですね。
少し長い動画ですが、保守的な聖書学者の見解を知りたい方は是非ご覧ください。考古学的に詳しく論じられています。
下のほうに杉本先生の動画があります。
#2027 2021年01月31日 18:15:26
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
仰天さんが紹介してくださった
「天国の人」を毎日2章ぐらいずつ読み進めています。
ユンという中国人キリスト者が70日間断食して
断食をやめるところまで来ました。
迫害に関する描写があまりにも生々しいので、
読むのに耐えられないという気持ちになり、
ここいらへんでもうやめようかと何度も考えたことがあります。
それにしても疑問に思うことがあります。ユンという人物は70日間食事もせず、水も飲まなかったそうです。
70日間水も飲まず、食事もしないのは当人の自由だと思います。
わたしの読み方が浅いせいなのか、彼がどのような理由で、
そのような行動をすることにしたのかわかりません。
日本人流にいうと神やキリストに願を立てるためでしょうか。わたしも長いこと聖書を読んでいるので、
聖書には断食について述べられている個所がけっこうあるのは知っています。
モーセはシナイ山で律法を受けるとき、40日40夜断食しています。
イエスは公の宣教を始める前、荒野で40日40夜断食しました。
モーセやイエスは断食したとき、水も飲まなかったのでしょうか。
使徒行伝を読んでみるとパウロも断食しています。
はたして彼も水を飲まなかったのでしょうか。普通の状態では水さえあれば、二週間ぐらいは生きられるそうです。
わたしが中学生のとき、保健体育の教師が、
実験的に7日間水だけ飲んで断食したことを話してくれました。
彼が言うにはその期間で体重が7キロ減ったということです。キリストやモーセは神から召命されたので、特別な状況ですが、
ユンというキリスト者がわたしたちと違って特別だと思えません。
中国の迫害する公安警察の担当者でしょうが、
ユンがハンガーストライキをしているという表現がありました。そしてもう一点ですが、現代のキリスト者であるわたしたちも、
信仰のゆえに断食をする必要が生じるのだろうか、ということです。
わたしは意志薄弱だから断食のような修行には耐えられないと思いますが…。
ユンさんが断食した理由でしたね。ユンさんは断食だけでなく一言もしゃべらないと神に伝えています。P104
それは、主が「休息して主にのみ信頼せよ」せよと語ったからでした。
「イエスについて黙想せよ」と語られたので断食は命じられませんでしたが集中するために断食したのだろうと思いますが、それが主のみこころに適っていたのでしょう。聖霊に動かされたのだと思います。自分の意思だけで長い断食をしてみせようと思ってもできる事ではありません。
同じページでブラザーユンも語っていますようにその断食は神からの奇跡だったと思います。
ユンさんが刑務所から出なくてはいけない時、いくつかの奇跡的な出来事が重なり脱出できました。その時は折れた足の骨は癒されました。福音を中国や他の国に伝えるという神からの召命があったからです。
そのような必要な時や神によるものだという証明として長期の断食等の奇跡は起きました。神のみこころ(jw風に言えば「ご意思」)であれば、神が必要と判断された場合にのみ奇跡は起きますが、まだ読んでおられないかもですが、刑務所で胸を踏まれて以来肺が悪くなっていたのと、寄生虫でしたかね、それは奇跡では癒されませんでした。
つまり、いつでもなんでもかんでも癒されたり奇跡が起きるというわけではないです。
何かは分からないですがパウロも肉体にトゲがありましたね。イエス様もみこころが成るように祈られました。
モーセは水も飲まなかったと書いています。
申命記/ 09章 09節
私が山に登り、そこで石の板、すなわち主があなたがたと結ばれた契約の板を受け取ったとき、私は山に四十日四十夜とどまり、パンも食べず、水も飲まなかった。
申命記/ 09章 18節
そして、私は以前と同様、四十日四十夜、パンも食べず、水も飲まず主の前にひれ伏した。すべてあなたがたの犯した罪のゆえであり、主の目に悪とされることを行って、主を怒らせたからである。
聖書には書いてませんが、ユダヤ教の断食では水も飲まないようですから多分イエス様もパウロも水も飲まなかったのではないでしょうか。
ユンさんは召命を受けていると思いますよ。現代でも神が必要だと思えば奇跡は起き得るでしょう。
ユンさんの場合は単なるハンガーストライキとはちょっと違うと思います。奇跡ですので。
聖書の中では真剣な祈り、熱心な祈りの際に断食も行なっていた例があります。
クリスチャンに特に義務として断食が命じられているというわけではないと思いますが、初代教会でも断食していたようですね。
使徒言行録/ 13章 02節
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロを私のために選び出しなさい。私が前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
使徒言行録/ 13章 03節
そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
#2028 2021年02月01日 07:02:58
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
スタディは相変わらず、荒々しいですね。
仰天さんの言葉には確かに多少はイラッと来ましたが、振ってる訳ではないですよ。
ハム太郎さんとか、京子さんみたいな誹謗中傷が大好きな人がいるから、スタディの評判は悪くなるのだと思います。
仰天さんは売り言葉に買い言葉で、誹謗中傷になってしまったのであって、責任は、ハム太郎さんとかにあると思いますよ。
喧嘩を売るのはやめましょう。仰天さんへ
最近エホバではなく、プロテスタントの教会に出席しております。
ここはエホバの掲示板だからとかは言わず、仰天さんによって、良い影響を受けた人も少なくとも、ここに一人おります。
牧師さんも親切なので、ここで私が爆弾行動をしなければ、洗礼を受けられるかもです。
久しぶりですね。
YNさんの投稿がありましたのでユミさんのブログのほうも見させていただきました。
教会に通っておられるそうで嬉しいのですがブログの中で「どの宗教を信じてもオーケー」とか、「エホバの証人は間違いだがエホバから出た新宗教は正しい」みたいな事を書いておられますよね。
使徒言行録/ 04章 10〜12節
『皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリストの名によるものです。
この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられ/隅の親石となった石』です。
この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 』
イエス・キリストの名以外には救いはない事がはっきり書いてあります。
神学校でも学んでもおらず、洗礼も受けていない状況で新宗教を作ったとしても新興宗教と見られるので、一応洗礼は受けておこうという考えなら少し動機が違うかなと思います。
ラッセルも長老派の家庭か何かで生まれて会衆派とか少しは見てまわったようですが結局は新興宗教に逸れましたよね。
イエス・キリストを神として受け入れ、私たちの罪のために十字架にかかり復活されたという事を心から信じていないならたとえ洗礼を受けたとしても救われてはいません。
以前はエホバの証人だけが無意識無存在を教えているから正しいという主張をしておられましたが考えが変化しておられます。
まだ模索中で安定しておられないのかもしれません。
ユミさんのブログでは、「イエス・キリストも特別だとは思わない」みたいに書いておられました。
そのような状態での洗礼は受けるのは自由ですがお勧めできません。
エホバの証人の教理をベースにした新宗教を作る準備として、一応教会でも少し学んで洗礼も受けておこうというお気持ちだとしたら、ちょっと違うかなぁという印象です。
洗礼を受けていても按手礼を受けて任命されていない人が新興宗教を始めて他の人に洗礼を施しても無効でしょう。
ですが教会に通う事はプラスになると思いますから教会生活を頑張ってください。お祈りしています。
#2029 2021年02月01日 16:23:36
- ラハム
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
仰天さん、
ていねいに答えてくださり、ありがとうございました。
きょうのところまでで、23章まで読破できています。
ユンさんが、三番目の投獄で脱出したところは通り過ぎました。
その部分は、使徒のペテロが牢獄を天使の導きで脱出した、
使徒行伝の記録の現代版のような気持ちで読みました。
他の人のパスポートを借りて、まったく違う顔の写真が使われていても、
航空の検査を通り抜けたところも非常に興味あるところです。
真に神の力が働きかけるのであれば、どんな難関も突破できるということだと思います。
天国の人は今週中の読み終わりそうです。
それからもう一度感想文を書こうと思っています。
てつてつさんも述べておられましたが、
わたしたちはものみの塔から断食や按手については何も学びませんでした。
わたしが講義に参加している教会の人たちも
断食や按手に言及しているのを聞いたことがありません。
ものみの塔ライブラリーで断食について検索してみると、
現代にクリスチャンに断食するよう求められていないということでした。
按手についてはものみの塔表現では手を置くというのですが、
一世紀当時は按手することによって聖霊が注がれたけれど、
現代ではそのような賜物はなくなったので、按手をしなくなった、
というような説明だったと思います。
わたしの現在の理解では、第一には聖書は当時の時代の必要を扱っているので、
述べられている事柄すべてを現代の生活に当てはめようとするのは、
とうてい無理があるというものです。
だから、当時守られていた習慣や原則のようなものは、ものみの塔が無理やり
当てはめようとしているように、極端にまねする必要はないだろうと思っているのです…。
編集者 ラハム (2021年02月01日 16:25:08)
オフライン
#2030 2021年02月02日 13:49:07
- ハム太郎
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
♯2034で仰天さんは私の書き込みに反応しています。
「エル・エロへ・イスラエル」の意味に関して、細かく仰天さんの無知ぶりを指摘しましたが、それについて反論はありません。
でたらめなことを言って他人を攻撃したことに対する反省はないのでしょうか?
まるで何事もなかったかのように、書き込みを続けておられますが、その様子はまるでJWのようです。
つまり、ハム太郎さんは私の以前からの指摘のように批判的な学者の説だけを持ってきて、反対意見はほとんど調べずにそれを選んでいる(自分の解釈に合うものだけ)というだけですから。
相変わらずの中傷発言です。「反対意見はほとんど調べずに」と決めつけていますが、なぜそんなことが仰天さんにわかるのでしょうか?
相手を攻撃しやすいように意図的に劣ったものと主張するのはストローマン論法という詭弁です。仰天さんはこれが大好きです。
仰天さんの言う「保守派」の主張など、大昔から何も変わっていないわけで知っていますよ。
発言者がどのような人かにこだわるのが仰天流デマのテクニックですね。あなたは○○派だから間違っている、という詭弁が大好きです。
イスラエルの神なる神では意味をなさないというのは山我さんの単なる解釈に過ぎません。
これも仰天流のデマのテクニックです。「単なる解釈に過ぎません。」とはどのような意味でしょうか?
宗教や聖書を論じる時に、単なる解釈でないものとは何でしょうか?
全てが解釈、仮説です。しかしその真実性は解釈や仮説ごとに違います。
証拠に基づいてダメな解釈や仮説を排除し、あるいは仮説を修正していくことでより真実に近づいていくのが学問であり科学なのです。
仰天さんは聖書に書いてあることは「真実」で、それを否定するのは「単なる仮説」と思っているようです。
仰天さんが「イスラエルの神なる神では意味をなさない」という山我さんの主張を否定したいのなら、「単なる解釈にすぎません。」とあたりまえのことを言うのではなく、なぜそれではダメなのかを証拠を挙げて説明する必要があるのです。
「単なる解釈にすぎません。」は、無内容ですが、なにか反論した気持ちになれるので、仰天さんは大好きなのでしょう。
仰天さんは山我さんばかり取り上げています。山我さん以外にも英文から2つ引用したのですが、それに全く触れないのは、英語がわからないからというわけではないですよね。
もちろん、「イスラエルの神エル」という訳にするべきだという見解もあるのですが、それ以外の翻訳も見てみるべきでしょうね。
そういって、仰天さんが例として挙げている翻訳が幾つかありますが、どれも国際的に高い評価がされているものではありません。文語訳なんて古すぎます。選択が恣意的ですね。
日本語訳として、新しいものを見てみましょう。
福音派の新改訳2017版は、「彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。」
カトリックとプロテスタントの18教派・団体の参加によってつくられた協会共同訳は「そこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。」
英語訳からは、代表的なものを2つ。
NIV : There he set up an altar and called it El Elohe Israel.
NASV : Then he erected there an altar and called it El-Elohe-Israel.
代表的な翻訳4つ全てが、「エル・エロへ・イスラエル」の翻訳を放棄して、ヘブライ語をそのまま使っています。なぜ訳さないのでしょうか?
正しい訳が文法的にも文脈的にも宗教社会学的にも「イスラエルの神エル」だからです。
しかし、この訳はキリスト教関係者にとって都合が悪いのです。かといってJWのようにウソの訳はできない。
このジレンマを解決するのが元のヘブライ語をそのまま使うという方法だったのです。
仰天さんは、
>ヘブライ語を教えているある方は、「イスラエルの神なる神」と教えていました。山我さんの見解とは違う人もいますからドヤ顔されても困るわけです(笑)
>別にハム太郎さんに敵意があるわけではないですよ。そこは理解してくださいね。
と言っています。
この文も仰天流デマのテクニックの一つです。
「ヘブライ語を教えているある方は、「イスラエルの神なる神」と教えていました。」はJWの引用の仕方と同じです。それがどうした?
何らかの権威に訴えて自分の主張の真実性を増そうというテクニックですが、具体性がなく、全く真偽不明です。
ヘブライ語の文法も知らずにヘブライ語の訳に文句をつけるぐらいのはったりが得意な仰天さんですからね。
だれがいつどこでそう教えていたのでしょうか?仰天さんは無学な男ですが、仰天さんの周りには専門家がいっぱいいるわけですね。
「山我さんの見解とは違う人もいますからドヤ顔されても困るわけです(笑)」も仰天流の誹謗中傷テクニックです。最後に(笑)をつけて、印象を和らげようとしているのです。
相変わらず、英文の方は何も言っていません。これに対する反論はないということですね。
「別にハム太郎さんに敵意があるわけではないですよ。」とは何を考えて言っているのでしょうか?仰天さんは記憶障害なのですか?
仰天さんは、次のような発言をしています。
♯1890:まともな対話もできない読解力のない人物で確定。最初から読解力のなさを指摘してきましたがね。
♯1891:得意になって書いていた割にはあまりにも低レベルw
♯1968:不信仰な人、無神論者、または聖書をある程度少しは信じているかもしれない自由主義神学の学者の説や神を信じない世間一般で説かれている学説をすぐに信じてしまう傾向にあるようです。
#2009:ハム太郎さんの問題点は人の話を聞いていない、論点が分かっていない、理解力の著しい欠如、話題逸らしである。
明らかにハム太郎という人物は批判的聖書学者の説しか知らないのである。
とにかく何の反論にもなっておらず理解力の乏しい人物であるのは間違いないだろう。
敵意まるだしですよ。
敵意にあふれ威圧的に暴言を繰り返すのが仰天さんの大好きなスタイルです。
それが通用しないと思ったのでしょう。そのことをまるでなかったかのように「敵意があるわけではないですよ。」と急に善人ぶる。信用のおけない人物の典型です。
次の話題です。
#1964で仰天さんは自信たっぷりにこう書いています。
また、オデュッセイアとの関連付けにも無理があるでしょう。オデュッセイアの物語は一つ目巨人や色々な神が登場し、パウロの話とは似ても似つかぬ内容です。
これは別な方が書いたパウロの難破・漂流物語がホメロスのオデュッセイアを参考にしているという文章に仰天さんがいちゃもんをつけているのです。
ここでも仰天さんは敵意まるだしです。
オデュッセイアにも詳しいなんて、無学な男とは思えません。それとも得意の知ったかぶりでしょうか?
「一つ目巨人や色々な神が登場し」は仰天流デマのテクニックです。そんなことを問題にしていないのに、そのような奇怪なことをわざわざ取り上げ、否定的な印象を与えようとしているわけです。
そこでは仰天さんは、色々いちゃもんを書いているのですが、オデュッセイアとパウロの難破・漂流物語が関連していることは様々な研究者が指摘していることなのです。
注釈書にもそのことはよく書かれています。ただし、英語版です。
仰天さんがいちゃもんをつけたもとの文章を書いた方は、おそらく「The Gospels and Homer : Imitation of Greek Epic in Mark and Luke-Acts. Dennis R. MacDonald」などを参考にして書いていると思います。
仰天さんのように思い付きで適当なことを述べているわけではないようです。
オデュッセウスとパウロを関連付けるのも無理のある話でしょう。
そんなことも知らずに、いちゃもんをつけまくっている仰天さんの姿はドンキホーテ的で、滑稽です。
実際に難破・漂流を体験することはまずないわけで、難破・漂流物語を書こうとすると、有名な漂流物語を参考にするのです。
仰天さんは知らないでしょうが、シェークスピアの「テンペスト」に船が難破し、漂流する場面があるのですが、これは使徒にある記述を参考にしています。
次から次へと、敵意まるだしのいいかげんなことを書くのをやめて、穏やかに暮らしたらいかがでしょうか。
#2031 2021年02月02日 15:15:36
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
「El-Elohe-Israel」は今週私たちの前にある神の名前です。 「El-Elohe-Israel」は文字通り「神、イスラエルの神」を意味します。言語学者は、名前が「イスラエルの強力な神」となるように、「エル」を「強力」と翻訳することもできることを示しています。さらに別の可能な翻訳は、「神はイスラエルの神である」(または「イスラエルの神は神である」)である可能性があります。これらの翻訳のバリエーションはそれぞれ、ヤコブの話に照らして意味があります。 その名前を「イスラエルの神、神」と訳すれば、これがヤコブの人生の大きな転換点であると考えることができます。創世記32章で、ヤコブはヤハウェと非常に個人的で激しい出会いをしました。その出会いの結果、彼の名前は「ヤコブ」から「イスラエル」に変更されました(28節)。創世記の読者は、第32章以降、ヤコブは「ヤコブ」と呼ばれることもあれば、「イスラエル」と呼ばれることもあることを長い間観察してきました。原則として、彼が「イスラエル」と呼ばれるのは彼の信仰が輝いているときですが、「ヤコブ」は通常、恐れ、疑い、または不従順の瞬間に彼の名です。 「イスラエル」という名前は、多くの点で彼の回心を表しています。彼の名前が変わったのは、彼がヤハウェと接近遭遇した後でした。 私たちはイスラエルを国家、つまり神の選民と考える傾向があります。しかし、創世記33章で、ヤコブがその名前で祭壇を呼んだとき、イスラエルの国は存在しなかったことを覚えておいてください。代わりに、イスラエルはヤコブだけに与えられた個人名でした。祭壇をエル・エロヘ・イスラエルと呼ぶことは、「神、イスラエルの神」であり、個人的な信仰告白のようです。彼が以前に夢の中でヤコブに現れたとき、ヤハウェは自分を「あなたの父アブラハムの神であり、イサクの神」であると認めていました(創世記28:13)。しかし今、彼は「神、イスラエルの神」でした。イスラエルはついにヤハウェを自分のものとして受け入れました。彼はもはや彼の先祖の遺産に頼っていませんでしたが、今やヤハウェと個人的な契約関係にありました。その名前を「イスラエルの力強い神」と訳すると、ヤコブの感謝の気持ちが透けて見えます。彼は絶対に最悪の事態を予想していた。彼は兄が彼を殺そうとしていることを知っていた。彼はエサウの怒りがおさまったと考える理由がありませんでした。ヤハウェは約束の地に戻るように彼を呼び(創世記31:13)、彼はそれに従いました。しかし、彼はそこで乗り越えられない挑戦に直面することを期待してそうしました。亡命中の彼にとても親切だった神は、彼の怒っている兄弟に対して彼と一緒にいるのに十分な力があることを証明するでしょうか?
神は確かに力強いことを示しました。彼はヤコブが持っていたすべての恐れをすぐに鎮め、想像以上に優雅に彼に提供しました。彼は確かに「イスラエルの強力な神」でした。 名前を「神はイスラエルの神である」(または「イスラエルの神は神である」)と翻訳することも役立ちます。ヤコブと彼の家族が叔父の家を出たとき、ラケルは父親の偶像を盗んで連れて行きました(創世記31:19)。これがヤコブとラバンの間の緊張の源となった(31:30–42)この記述は、ヤコブと彼の家族が常に唯一のまことの神に献身しているとは限らなかったことを示しています。しかし今、何かが変わった。ヤコブは個人的に神に出会い(32章)、別の人でした。彼はもはや「神々」に仕えることはありません。今、彼はただ一人の神がいることを認識しました。ヤコブの神とラバンの神(または他の誰かの神)を認識する余地はありませんでした。神はただ一人で、彼はイスラエルの神でした。 では、この名前から何を学べますか?神に祈るとき、それはどのように私たちを崇拝に駆り立てるべきでしょうか? まず、この名前があなたにあなたの神としてヤハウェを崇拝するように促すことを許してください。ヤコブはヤハウェとヤハウェ崇拝者の家族の遺産について多くの知識を持っていましたが、彼がエル・エロへ・イスラエルと告白したときは神との個人的な出会いがあったときでした。 今週、神に祈るとき、彼をエル・エロへと主張できますか?<ここにあなたの名前を挿入>?彼はあなたの神ですか、それとも単にあなたの家族の神ですか?あなたは彼と個人的な契約関係を持っていますか、それともあなたのヤハウェの経験は単なる頭の知識に限定されていますか?ヤコブはイスラエルになり、ヤハウェが神になる前に、神と格闘する必要がありました。あなたは神と格闘しましたか?あなたはそうする?あなたはヤハウェをあなたの神として告白できますか?今週はそのように彼に祈ってください。
第二に、この名前があなたにヤハウェが強大な神であることを励ますことを許してください。彼の力はあなたのあらゆるニーズと負担に十分です。エサウとの関係が回復したことは、高すぎて登れない山であるヤコブには不可能に思えました。彼がついに彼の兄弟に会ったとき、彼はヤハウェが彼の最も深い恐れに気付くことから彼を保護したことに気づきました。 El-Elohe-Israelは、彼が持っていたすべてのニーズを満たすために強力であることが証明されました。 今、どんな重荷があなたを圧迫しているのかわかりません。どんな恐れがあなたを麻痺させているのか分かりません。しかし、私は、エル・エロへ・イスラエルがそれらの負担を軽減し、それらの恐れを克服するのに十分強力であることを知っています。あなたは彼がそうすることを信頼しますか? 第三に、この名前は今週、イスラエルの神が神であること、つまり、真の生きている神はただ一人であることを思い出させてください。ラバンの神々はまったく神ではありませんでした。やがて、ヤコブは家族全員に、彼らの中に外国の神がいないことを確認するように指示しました(創世記35:1–4)。彼は外国の神々が彼の家族の注意を競うことを許しませんでした。彼は生きている神を一人で崇拝し、同じように家族を導きました。 イスラエルの神は神です。彼には同等のものはありません。彼には競争相手がいない。今週、まことの神に祈ってください。あなたの神、つまりあなたが契約を結んだ神として彼に祈ってください。そして、あなたのすべての必要を満たし、あなたのすべての負担を軽減し、あなたのすべての恐れに直面してあなたに平和を与える彼の強力な能力に自信を持って彼に祈ってください。
#2032 2021年02月02日 18:36:49
- YN
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
ハム太郎さん、
仰天さんに謝罪しなさい。
#2033 2021年02月02日 18:40:11
- YN
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
仰天さん
何を信じるかは本人の自由なので、そのことに関しては議論する意味はないかと思います。
私はこのまま神の導きに従おうと思います。
もちろん、他の人の意見も、聞くべきなのでしょうが。
#2034 2021年02月02日 18:42:26
- YN
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
死んだら、皆は天国に行くと信じていますので、どの宗教を信じても行き着く先は似たようなものかな、と思っています。
(死んだら、類友という言葉のように似た者同士がコミュニティを成して、魂になると思っています)
ただエホバだけはどうしても、異端みたいなので気をつけるべきなのかもしれませんね。
#2035 2021年02月03日 06:45:00
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
元々はカナン人にとってはアシェラ、バアル等の神々が司っていたものは「結局その属性はヤハウェのものなんだよね」と杉本さんは語っておられます。
つまり、イスラエル人にとっては最初からヤハウェが神で、カナンの先住民で改宗してイスラエルに加わる者もいたでしょうから、「まとめてヤハウェだよね」という事でしょう。取り込みとは異教から盗み入れたのとは違うでしょう。
杉本さんの言う取り込みというのは、いわゆる取り入れたという事ではないと思います。何度も動画を見て下さい。異教の神は神ではない、ヤハウェの属性だという事はヤハウェのみが神という事を語っておられると思います。
異教から盗み入れるというのは例えば神仏習合のように仏教が入ってきて、実は神道の神は仏が姿を変えて現れたものだったとか、バラモン教やヒンズー教の神を仏教の諸天善神として取り入れるような事だと思いますから聖書のヤハウェの例とは全く異なっています。
都合が悪くなったから切り捨てたとは言い方の問題でしょう。
異教の神々の影響が強くなってきたら純粋なヤハウェ信仰を守るためには今では異教のシンボルとなっていなかったものでも排除して明確な区別を設けなくてはならないという事でしょう。
長谷川さんは『ヤハウェの属性として継承された」という見解のようですが、研究者の主観的になりますから山我さんも主観的ですので誰かの説が全部正しいなんてのはないと思いますが。どこかの太郎さんの考えも、その人なりの考えに過ぎません。
長谷川さんは文書仮説も紹介しながらも「エル」は一般名詞化したと言っています。
引用です。
「長谷川氏は、神の呼び名と神がどのような存在と考えられているかの二点に注目しながら、ヘブライ語聖書(キリスト教における『旧約聖書』)が記述する神について、以下の講演をなされた。
ヘブライ語聖書は様々な資料や伝承を用いつつ、長い年月を経て、複数の編集を受けて成立した。例えば創世記では、神の呼称として、エロヒーム、ヤハウェ、ヤハウェ・エロヒームが用いられているが、19世紀の研究では、異なる資料が編纂において用いられたと考えた。エロヒーム、ヤハウェ各々の神名が用いられているブロックでは神学的思想の相違が確認されるが、後に各々の神が同一視され、ヤハウェ・エロヒームになったと想定される(文書資料仮説)。
エルは、ヘブライ語が属するセム語一般において神を表す単語であり、その意味は神々の長や父、世界の創造神、議長などである。前二千年紀において、この地域一帯で最高神だったエルの名が神の呼称として一般名詞化したと想定される。ヘブライ語聖書では、固有名であるエルが、エルの称号である単語(シャッダイ・エルヨーンなど)と結び付けられているが、エルとヤハウェが同一視されていく過程で、それらはヤハウェの属性として継承された。
古代西アジアでは神々の名を人名の一部に取り入れる慣習があり、イスラエルでもヤハウェやエルの名を入れた名前が碑文に記され、その出現状況から王国時代、ヤハウェはイスラエルの主神だったと想定される。」
http://www.cismor.jp/jp/lectures/『ヘブライ語聖書』に反映する一神崇拝の展開/
長谷川さんの見解でも聖書でヤハウェを指すエルは一般名詞でありイスラエルの主神はヤハウェという事です。
もちろん、長谷川さんの見解を出したからといって、長谷川さんの他の説全てに同意しているのではないので、てつてつさんではないですが長谷川はこう言っているとか、一部抜き出しだとか言うであろうどこかの誰かは何も理解していない揚げ足取りのイチャモンに過ぎないのです。
#2036 2021年02月03日 07:01:42
- ガッツだぜ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
モーセの頃に固有名詞のヤハウェで呼ばれるようになったが、モーセ以前はエルという
一般名詞で呼ばれていたのだと思いますよ。聖書に書いてある通りです。創世記31:13で
ベテル(地名)の神と名乗ってますが、当時は○○の神というような呼び方をしていたと想像
できます。エマニュエル、ダニエル、ガブリエルのような名前でエルという言葉が固有名詞だと
奇妙な事になると思いますが。ヨシュア、イザヤとヤハウェが名前に含まれるならまだしも
神は二つ名を持っているという事ですかね。
そして掲示板なんだから気軽に書き込むものだと思っていましたが違うんですかね。
(プライバシーは守るのは当然ですが)
ラハムさんのトピに仰天さんが書き込んでもいいんじゃないんでしょうか。管理人さん。
そうすれば聖書好きな人同士、気軽に書き込めると思いますが。ただの掲示板なんだから
熱くなり過ぎず会話を楽しむ社交場として存在してもいいんじゃないですかね。
そうすればどうでもいいマウント取りたい人も邪魔しないと思うのですが。
#2037 2021年02月03日 09:13:27
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
モーセの頃に固有名詞のヤハウェで呼ばれるようになったが、モーセ以前はエルという
一般名詞で呼ばれていたのだと思いますよ。聖書に書いてある通りです。創世記31:13で
ベテル(地名)の神と名乗ってますが、当時は○○の神というような呼び方をしていたと想像
できます。エマニュエル、ダニエル、ガブリエルのような名前でエルという言葉が固有名詞だと
奇妙な事になると思いますが。ヨシュア、イザヤとヤハウェが名前に含まれるならまだしも
神は二つ名を持っているという事ですかね。
文書仮説支持者の中のイスラエルは異教のエル神を崇拝していたとする人々は否定するでしょうが、創世記からヤハウェを崇拝していますからエルはアドナイ、エロヒム同様(アドナイは主ですが)神を指す一般名詞でしょう。
創世記/ 04章 26節
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。その頃、人々は主の名を呼び始めた。
創世記/ 22章 14節
アブラハムはその場所をヤハウェ・イルエと名付けた。それは今日、「主の山に、備えあり」と言われている。
#2038 2021年02月03日 15:15:22
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
てつてつさん
いいえ、杉本智俊さんは町田クリスチャンセンターの牧師であり、基本的に聖書を信じておられます。
単にモーセやアブラハムが一神教をどう考えていたかは[考古学的には]分からないという事でしょう。
カナンの地にイスラエルが入ってから劇的にカナンが変わった事は発掘から分かると思います。ヤハウェが強力な神だったのですから。
https://mccjapa8.wixsite.com/mccjapan/--c1pez
町田クリスチャンセンター信仰告白
私たちは信じ、告白する。
1.聖書
旧新約聖書66巻は、特別な霊感によって書かれた神の言葉である。それゆえ聖書は全く信頼に値 し、
信仰と生活の全ての面において究極的な基準であり、教会の唯一の正典である。
2.三位一体
神は、父、子、聖霊の三位格を持つがその本質において同一であり、三位一体の唯一の神である。
3.父なる神
父なる神は天地の全てのものを創られ、それを保っておられる方である。この方は永遠に存在され、全く聖く、
全知全能であられるが、私たち人間を愛し、私たちの直面する問題に関心を持ち、祈りに聞き、答えを与え、そ
の独り子イエス・キリストを通して全ての罪と死から救われる方である。
4.子なる神
子なる神は完全な神であり、完全な人である。この方は地上に来られ、私たちを罪から贖うために十字架にか
かって下さり、死より復活し、永遠の生命の保証となられた。その後、天に昇られ、教会の頭となられ、聖霊を注
ぎ、私たちの祈りをとりなしておられる。この主イエス・キリストは再び来られ、「神の国」を完全に確立される。
5.聖霊なる神
聖霊なる神は父と子から遣わされ、人を全ての真理に導き、救いを得させる。またキリスト者の内を満たし、信仰
生活を守り、奉仕を行うための様々な賜物と力を与えられる。聖霊によって生きる人は、その人格が聖化され、
聖霊の実を結ぶことができる。聖霊は、この世の救いの完成まで教会と信仰者一人一人のうちに働き続けられ
る。
6.人間
人間は元来神の形に似せて創造された。しかし、不従順によって堕落し、肉体的に死ぬべき者となり、かつ霊的
に死んだ者となってしまった。このため全ての人間は罪の性質を持って生まれ、神の生命から切り離されており、
ただイエス・キリストの贖いによってのみ救われる。
7.救い
神は人間を愛し、罪から解放するために独り子イエス・キリストを送ってくださった。このキリストを自分の救い主
かつ人生の主として受け入れる者は、罪が赦され、神の子どもとされ、永遠の喜びと祝福の中に生きる。
8.教会
教会は、主イエスキリストにより救われ、キリストを主として生きていくことを願う者たちの共同体である。教会の
頭はキリストであり、全世界に出て行って救いの福音を宣べ伝え、神を礼拝し、信徒の交わりを深め、成熟させ、
神と人への奉仕の生活を養うために存在している。また教会では、主イエスの定められた礼典、すなわち洗礼と
聖餐が執り行われる。
9.終末
イエス・キリストが再臨される時、この世は終わり、全ての者の審きがなされ、キリスト者の救いと神の国の完成を
見る。
私たちはこのように信じ、代々の聖徒と共に使徒信条を告白する。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。
アーメン
#2039 2021年02月03日 17:26:45
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
てつてつさん
杉本智俊さんはアーマンさんのように信じてもいないくせに聖書を教えたり批評学を展開して飯を食っている信仰のない人とも違います。ヴェルハウゼンのように間違った仮説を信じて思い込み、信仰を棄てた?人とも異なっています。ヴェルハウゼンの時代でもそんな文書仮説は否定している保守派の学者もいたはずです。
というか、通常の神学校でもアーマンさんが指摘するまでもなく聖書の写本による違いや、批判的研究の学者の説も普通に説明されますので普通の牧師レベルなら聖書信仰に立つ牧師さんでもみんなそのくらいの知識はあるのです。
一般の信徒さんでも知ってる人は多いです。(一部の難しい話は苦手、本は苦手という信徒さんは除きます)
ですから、てつてつさんたちが騒いで動揺したり信仰を失う意味が全く分かりません。
杉本智俊さんの考えが知りたいですか。参考に挙げときますね。
杉本さんは『聖書』に書かれていること、イエス・キリストを救い主、神だということを信じておられます。
#2040 2021年02月03日 17:55:20
- YN
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
難しすぎるので、無学なわたしにはさっぱりです。
しかし、このように
喧嘩せず、マウントをとらずに
議論できる環境が
大切だと思います。
#2041 2021年02月03日 18:45:53
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
[聖書の研究シリーズ27]モーセ五書の伝承史的問題
著訳者など: R.レントルフ 山我哲雄訳
出版社: 教文館出版部
内容詳細
モーセ五書をJEDPに分割する文書資料説は、ヴェルハウゼン以来旧約聖書学の不動の前提とみなされてきた。しかし著者は、伝承形成の全く新しい可能性を提示して、文書資料説が成り立ちえないことを明らかにする。第一部「伝承史と文書仮説」 第二部「五書の枠内における「比較的大きな単元」の例としての族長物語」 第三部「五書批判への批判」 第四部「成果と結論」
#2042 2021年02月03日 19:00:20
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
レントルフの解釈もひとつの説に過ぎませんけどね。
#2043 2021年02月04日 09:32:02
- ラハム
- メンバー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
創世記33:20にあらわれる「エル・エロヘ・イスラエル」について、
手元にある日本語版聖書の翻訳をぜんぶ書き出してみました。
参考にしていただければよいと思います。
新改訳2017
彼はそこに祭壇を築き、エル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。
*脚注:すなわち「イスラエルの神である神」。
新改訳2003 2017年版と同じ
新改訳1996 2017年版と同じ
回復訳2015
彼はそこに祭壇を立て、それをエル・エルヘ・イスラエルと呼んだ。
*脚注:「エル、イスラエルの神」を意味します。
口語訳1955
そこに祭壇を建てて、エル・エロヘ・イスラエルと名づけた。
新共同訳1987
そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。
フランシスコ会訳2015
彼はそこに祭壇を築き、それを「エル・エロヘ・イスラエル」と名づけた。
*脚注:「イスラエル」は、ここでは個人名ではなく民族名で、
全体の意味は「イスラエルの神エル」あるいは「力ある(者)はイスラエルの神」。
出エジプト記17:15でもここと同じように名づけている。
「築く」と訳されている動詞は、
ふつうは祭壇ではなく柱を建てる場合に用いられる語なので、
「祭壇」の代わりに「柱」と読む者もいる。
バルバロ訳1980
彼はそこに祭壇を築いて、「エルはイスラエルの神」と名づけた。
*脚注:「イスラエルの神は強い」とも訳せる。
聖書協会共同訳2018
そこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。
*脚注:「イスラエルの神、エルの意」。
新世界訳1985
そののち彼はそこに祭壇を設け、それを“イスラエルの神なる神”と呼んだ。
*脚注:または、「神はイスラエルの神」。
リビングバイブル2017
祭壇を築いて、エル・エロヘ・イスラエル(「イスラエルの神のための祭壇」の意)と名づけました。
文語訳
彼処に壇をきづきて之をエル、エロへ、イスラエル(イスラエルの神なる神)となづけたり
岩波版旧約聖書翻訳委員会2001分冊版
彼はそこに祭壇を立て、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。
*脚注:「イスラエルの神エル」の意。エルは元来カナンの至高神。
創造主訳2013
そこに祭壇をこしらえて、主を礼拝し、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。
関根正雄訳1997・教文館編
そしてそこに祭壇を築き、それを「イスラエルの神エール」と名づけた。
*脚注:「エール」は元来普通名詞だが、ここではイスラエルの神の名。
関根正雄訳1956・岩波書店版
そしてそこに祭壇を築き、「イスラエルの神ヤハウェ」と名づけた。
中央公論社版1978・編集責任前田護郎
そして、そこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエル(イスラエルの神は強し)と呼んだ。
聖書・現代訳1988
そこに祭壇をこしらえて、主を礼拝し、それをエル・エロヘ・イスラエルと名付けた。
70人訳ギリシア語聖書第一巻創世記2002・秦剛平
そこに祭壇を築き、イスラエルの神を呼びもとめた。
*脚注:「イスラエルの神」はヘブル語「エル・エロヘ・イスラエル」。
これは「イスラエルの神エル」「エルはイスラエルの神」の意。
オフライン
#2044 2021年02月04日 13:29:38
- ガッツだぜ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
という事は私も批判的に読んでいた事になりますね。
究極は「命とはなんぞや」という問いかけとその模索だと思います。
ラハムさんも書かれているように、私もこの掲示板で「時代に合わせて読むほうがいい」
と、古代の慣習を全て現代にも合わせるには無理があるとずっと主張してきました。
ものみの塔は古代の慣習を無理やり現代に押し付けています。
パウロの言葉で「異言は止み幻も廃れるが愛は残る」といったような(正確には忘れました^^)
名言がありますが、本来そういうものなのだと思います。
まず創世記の女が男から産まれたという話は最初からいきなり無理があります。
これは男性優位社会を肯定するために書かれたのだろうと思います。
創世記はウガリット神話を参考に書かれたという説がありますが、ウガリット神話の
女神を表すシュメール語をヘブライ語に訳す時、慈母と肋骨という2つの意味があったため
エバを肋骨の女と誤訳したと言う人もいます。
私もそうだろうと思います。
そうでなければ助け手としてもうひとり男を創造すれば良かっただろうに。
そういう認知の歪みを産む部分が聖書にはあると思います。
それを踏まえて、あえて神の実在について信仰を持てば良いと思います。
また、キリスト教ではキリスト以外を神とすればとんでもない宗教になります。
生きているただの人間を生贄に捧げた宗教になってしまうと思います。
イエスが神であるからこそ宗教として成立している訳で、そうでなければバアルと
変わらない事になってしまいます。イエスが自ら神であると自認しているから
自己犠牲の愛が成立するのであって、そうでなければ人柱信仰と変わらないと
思います。
#2045 2021年02月05日 15:20:50
- ハム太郎
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
#2038で、
オデュッセウスとパウロを関連付けるのも無理のある話でしょう。
という仰天さんのいちゃもんについて、それは仰天さんが単に無知だからそう思うだけと批判をしましたが、それに対する反応はないようですね。
しかし、その後も仰天さんは得意のデマを流し続けています。#2034です。
では、本当に批判的な聖書研究の学者の人の言うようにイスラエルは最初はヤハウェではなく異教のエル神を拝んでいたのでしょうか。そうではありません。
杉本智俊さんの動画の中では「ヤハウェのアシェラ」に関して、また「エル」とヤハウェを呼ぶようにもなった意味を詳しく解説しています。異教の神々の属性は実はヤハウェの属性なんですよ、つまり、エルは神ではなくヤハウェこそ神なんですという事ですね。
少し長い動画ですが、保守的な聖書学者の見解を知りたい方は是非ご覧ください。考古学的に詳しく論じられています。
下のほうに杉本先生の動画があります。http://www.cismor.jp/jp/lectures/南レヴァント … 資料から見るヤハウ/
「杉本智俊さん」は牧師でもあるわけですが、仰天さんによると「保守的な聖書学者」だそうです。
人間を敵と味方に分類するのが大好きな仰天さんからすれば、味方になるわけです。
この書き込みに対して、てつてつさんが応答します。
ただ 杉本さんは 「異教の神々の属性は実はヤハウェの属性なんです」 みたいなことは言ってないと思いました 動画見ると多分 ヤハウェ崇拝に近隣のアシュタロテとかバアルその他の神々の属性を取り込んでいったが後に都合が悪くなったので排他的になり そうしたヤハウェ以外の神々の名を排除していったのではないかと考えておられるようだと思いました
上記の部分だけ抜き出したものとすると このような考え方は仰天さんには受け入れられないと思いますが 。
てつてつさんの理解が正しいのです。
てつてつさんは控えめな言い方で、仰天さんのデマを指摘しているわけです。
それに対して、仰天さんは、さらにデマを流します。
つまり、イスラエル人にとっては最初からヤハウェが神で、カナンの先住民で改宗してイスラエルに加わる者もいたでしょうから、「まとめてヤハウェだよね」という事でしょう。取り込みとは異教から盗み入れたのとは違うでしょう。
杉本さんの言う取り込みというのは、いわゆる取り入れたという事ではないと思います。何度も動画を見て下さい。異教の神は神ではない、ヤハウェの属性だという事はヤハウェのみが神という事を語っておられると思います。
「杉本さんの言う取り込みというのは、いわゆる取り入れたという事ではないと思います。」といい加減なことを言ってごまかそうとしています。
「取り込み」は取り入れたということです。
自分に不都合になると、言葉の意味を勝手に変えるのが仰天流デマのテクニックです。
てつてつさんも、仰天さんにごまかされることなく、正論を言い続けます。
残念ですけど何度見ても自分の耳がおかしいのか ダビデ以降できるだけ自分たちの勢力範囲を広げるため他国または他の宗教の神々を取り入れていき 後に都合悪くなったので排除の方針に変わっていったとしか聞こえないです。
あと最も大切なことですけど 杉本さんの本読んでみても 動画みても イスラエルのヤハウェ崇拝は神様から啓示されたものだとは一言も言及しておられないと思います 単に南レバント「イスラエル」の歴史的な流れを聖書を文書的に考察し また考古学から学者的に推論しているだけで ヤハウェ一神教についても人間が政治的その他の要因でこのような変化を遂げたのではないかと述べているだけだと思います。
てつてつさんの言うことは正しいのです。
それに対する仰天さんの反論は不誠実で、いい加減なものです。
いいえ、杉本智俊さんは町田クリスチャンセンターの牧師であり、基本的に聖書を信じておられます。
単にモーセやアブラハムが一神教をどう考えていたかは[考古学的には]分からないという事でしょう。カナンの地にイスラエルが入ってから劇的にカナンが変わった事は発掘から分かると思います。ヤハウェが強力な神だったのですから。
初めの投稿で、仰天さんは「少し長い動画ですが、保守的な聖書学者の見解を知りたい方は是非ご覧ください。」といったのです。
てつてつさんはその勧めに従って、その長い動画を見たけれど、仰天さん言っているようなことを杉本さんは言っていない、と述べているのです。
それに反論するなら、動画の○○分あたりで、こう言っている、だから自分の主張が正しい、というべきなのです。
しかし、仰天さんはそのようなことをせず、自分の思い込みや推測を述べるだけなのです。いい加減ですね。不誠実ですね。
それは、動画の該当部分を指摘して反論ができないからです。
仰天さんは、「保守的な聖書学者」杉本さんの考えを紹介しているようですが、実は自分の考えを言っているだけなのです。
杉本さんの考えは仰天さんの主張とは違います。2つ指摘しましょう。
イスラエルは最初はヤハウェではなく異教のエル神を拝んでいたのでしょうか。そうではありません。
杉本さんは、「図説 聖書考古学 旧約編」でこう言っています。
「考古学的に当時のカナンの主神はエルだったことが知られており、」p.34
「この時期以降ヤハウェ信仰が前面に出てくるが、この神名はエジプトの資料ではアラビア砂漠の遊牧民シャスとの関連で知られている。新しい集落のアイデンティティを担った信仰は、少なくとも外から導入されたものと考えるべきであろう。」p.53
ヤハウェ信仰は外部から導入されたといっていますね。「保守的な聖書学者」杉本さんが言っているわけですから間違いないでしょう。
イスラエルにとってヤハウェ信仰は新しい外来信仰であったのです。
カナンの地にイスラエルが入ってから劇的にカナンが変わった事は発掘から分かると思います。ヤハウェが強力な神だったのですから。
これもデマです。発掘からは、カナンの地が劇的に変わったことは証明されません。
「このような劇的な軍事征服説は批判されることが多い。それは、後期青銅器時代末の南レヴァントにおける破壊が前13世紀の100年ほどにまたがったもので一気の破壊と考えにくいこと、・・・・」p.47
「保守的な聖書学者」杉本さんも、聖書に書いてあるような出エジプト、40年の荒野の放浪、カナン征服は考古学的証拠と一致しないことを認めています。
次から次へとデマを流さずに、「天国の人」をもう一度初めから読み直し、感動を新たにするのはいかがでしょうか。
#2046 2021年02月05日 21:25:40
- ガッツだぜp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
『聖書 [口語]』日本聖書協会、1955年
wikisource創世記口語訳より引用
2 そしてヨシュアはすべての民に言った、「イスラエルの神、主は、こう仰せられる、『あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていたが、
ヨシュア記では、アブラハムが他の部族と袂を分かち、父祖の地を離れ、最高神を呼び求め始めた事が書かれていますね。エルと呼んでいたのかヤーと呼んでいたのかは分かりませんが。現時点では考古学も研究中であり、何事も断定は避けた方が良いと思います。パレスチナ地方のシャスと呼ばれる人々が拝んでいた、地方の神とも言われているらしいですね。
ひとつ参考になりました。
#2047 2021年02月05日 21:35:15
- ガッツだぜp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
ヨシュア記ではなく創世記。
ヘブライ人はさ迷える人々なので、アブラハムが一つの神を定め、国を興す決意を固めて、400年かけて
放浪したりエジプト居留人になったりしながらも夢を叶えた物語という事で良い気がします。
最新の神学も変わって行っているでしょうから、誰かを裁定するような事を書かなければイラつかれる事も
ないでしょう。
#2048 2021年02月06日 08:06:10
- ガッツだぜp2
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
うわ~ごっちゃになりました テヘペロ
疲れていて書き込んだからごちゃごちゃ・・
ハム太郎さんは神学部の方ですか?詳しいですね。個人情報なので
答えなくていいです^^;
ちょっと感心したので。私も学び直そうかな。
#2049 2021年02月06日 12:53:24
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
「根拠がないこと・薄弱なこと」のために勘違いして命がけで行動する人々にとって、この喩えは意味をなさない気がします。
そうですねえ。根拠のない自由主義神学の者の仮説を信じて盲信しているハム太郎さんのような人がいますからね。
イエスの場合は成就した預言、数々の奇跡、そして予告通りに復活したという証明がありますので、他のデマで動かされた人々やデマ太郎さんのような間違った正義感からの主張は意味を成さないでしょう。
#2050 2021年02月06日 14:58:59
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)
そうですねえ。根拠のない自由主義神学の者の仮説を信じて盲信しているハム太郎さんのような人がいますからね。
イエスの場合は成就した預言、数々の奇跡、そして予告通りに復活したという証明がありますので、他のデマで動かされた人々やデマ太郎さんのような間違った正義感からの主張は意味を成さないでしょう。
ふーん。。「証明」ねぇ。笑
平行線を辿っていますけれども、本当に証明されているんでしょうか?
⁑しょう(オ) めい⓪【証明】
━する(他サ)〈(だれニ)なにヲ証明する/(だれニ)なんだト証明する〉
その事柄が△論理的に正しい(事実に合っている)ことを明らかにすること。また、その手続き。
「ピタゴラスの定理を証明する」
「証明書ショ・証明力③・△身分(成績・納税)証明」
新明解国語辞典 第八版
しょう‐めい【証明】
〘名〙
①ある事柄、判断、理由などが真実であるか否かを明らかにすること。証拠立てること。しょうみょう。
*東寺百合文書−ウ・天喜四年(1056)一二月五日・讚岐国善通寺田畠地子支配状案
「若有留貪司者、住持三宝大師聖霊護法天等、垂証明歟」
〔王逸−離騒経章句序〕
精選版 日本国語大辞典