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#1251 2020年11月20日 16:45:33

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

質問さんいつも興味深い書き込みありがとうございます
>「再び、アサ王が登場。15節には、“100万人の大軍がエチオピアから攻めてきたのです。”とある。歴代二14:8の“やがて,エチオピア人ゼラハが100万人の軍勢と300両の兵車を率いて,攻めてきた。”に基づいているのだけれど、こんな史実はないよ。」
「100万の軍隊にどうやって命令を出すんでしょうか?食料や水は?100万人が並ぶだけで広大な空間が必要です。また、100万の軍勢に対して300両の兵車は少なすぎます。歴代誌の作者の空想戦記ですね。」

前に読んだ 秦さんの南北分裂王朝の一文を思い出しました57ページ


歴代誌下一四・八以下によれば、あるとき、ゼラハは100万 -ヨセフスでは九○万です-の軍勢と戦車三○○両を率いて遠征してきます。もちろん、砂漠の中の遠征を考えれば、100万」とか「九○万」の数は、誇張もいいところです。
アサは彼らをユダの西部の町マレシャの地で迎え討ちます。彼の軍勢はゼラハのそれよりもはるかに劣るものですが、彼らは神により頼んだために勝利します。しかし、劣勢の軍勢が大軍勢を相手にした戦いの詳細や、100万の敵兵が打ち砕かれたことから予想される壮絶な戦闘場面や累々たる屍の山の記述はどこにもないのです。そんな数の戦闘などははじめからなかったからです

編集者 てつてつ (2020年11月20日 16:59:32)

オフライン

#1252 2020年11月22日 08:11:10

サルガタナス
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

先生の締めの言葉良かったです。
我々現役に対する愛情や気遣いがありました。
一方ものみの塔記事からは我々をロボットや兵隊代わりにして、こき使いたいという下心が見えます。
文章も傲慢幼稚で愛がありません、筆者に新しい人格が無い事は明らかです。
結局JWはパリサイ人のようになったと思いました

#1253 2020年11月27日 15:32:11

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“姉妹たちの支えになりましょう(39)”です。姉妹たちをこき使うために、多少の敬意を示せ、という内容です。」
「21節まであるよ。力が入っているね。」

「2節に“また,女性の支えになるよう聖書が勧めているからです。例えば,使徒パウロはローマの会衆に,フォイベを「迎え入れ,何でも必要な援助をして」ほしいと伝えました。(ロマ 16:1,2)”とあります。これはへんですよ。パウロがフォイベを援助してほしいといったのは、女性だからじゃありません。」

「引照聖句のローマ16:2に“フォイベは私や他の多くの人を助けてくれました。”と説明している。か弱い女だからじゃない。」
「ローマ16:1に“皆さんに,ケンクレアの会衆の奉仕者である,私たちの姉妹フォイベを紹介します。”とあります。“会衆の奉仕者”とは何ですか?」
「ギリシャ語はdiakonosで奉仕者という意味があるけれど、このギリシャ語から英語のdeaconという言葉がつくられ、その意味はカトリックでは助祭(司祭の補助)、プロテスタントでは執事(牧師の補佐)という意味。」
「JWでいうと昔は奉仕の僕、今は援助奉仕者ですね。」
「1世紀のキリスト教が女性差別的でなかったということで、フォイベはある種の役職についていたと考えられる。JWにとってそれは不都合なので、“会衆の奉仕者”と意味不明な訳にしている。」

「2節に、パウロは“クリスチャンになってからは,イエスに倣って女性の尊厳を認め,親切に接しました。(コリ一 11:1)”とあります。引照聖句はそんなことは言っていません。」
「“キリストに倣っている私に倣ってください。”とあるだけだね。パウロは生前のイエスのことをほとんど知らないし、興味もない。」

「パウロの女性に対する態度はどのように評価できますか?例えば、コリント一11:3で、“女性の頭は男性であり”といっています。これは当時の男性としては当然の思想ですか?」
「これは、その後の11:5で、“女性が祈ったり預言したりする時に頭を覆わないなら,自分の頭を辱めることになります。”と続く。つまり、コリントの女性には祈ったりするときに頭を覆わない人が出てきたということ。これはパウロの影響と思われる。パウロは男女平等的な考えを教えたので、そういう女性が現れたと思われる。」
「しかし、当時の普通の男性であったパウロからすると、それは行き過ぎだ、と感じたのですね。それをやめさせる理屈として、女の頭は男という序列論を展開した。」
「これは全く説得力がない理屈。仮に女の頭は男であったとして、なぜ女性の頭を覆うの?理解できないな。当時の習慣を、キリスト教的に正当化するのは無理がある。パウロもその辺はわかっているので、その後の11:13で、“皆さん自身で判断してください。女性が頭を覆わないで神に祈るのは適切なことでしょうか。”と、理屈ではなく、社会通念に訴えている。」

「3節に“ある聖書事典にはこうあります。「イエスは女性を侮辱したり,軽んじたりするようなことを一切言わなかった」。”とあります。なぜ参考文献を明かさないのでしょうか?他人の研究成果を借りるわけで、参考文献を明らかにして、その人に敬意を払うのがルールですよ。JWは無断で人のものを借りていいと思っているようですね。」
「JWはこの世のルール無視だね。これは、“the International Standard Bible Encyclopedia”のWomanの項目からの引用だ。JWはこの世のものではないのに、この世の書籍を参考にして、ものみの塔の記事を書いていると知られたくないのだろう。」
「JWの出版物からの知識だけでは、薄っぺらな記事しか書けないわけで、聖書について論じようと思えば、この世の専門家の知恵を借りるしかないわけですよ。当然、その種の本を勉強すべきですね。」
「正論だけど、正論が通らないのがカルトだよ。一般の信者は、事実上、この世の聖書辞典や注釈書を読むことを禁じられているだろう。それなのに、ものみの塔の執筆者が実はその種のものを参考にしているなんて、まずいよね。あまり知られたくないよ。」

「5から9節が、“姉妹たちを思いやり,深い気遣いを示す”です。5節では、“誰もが,仲間たちと一緒に楽しく過ごすことを必要としています。”とあります。これは仲間外れをやめろ、ということですね。低レベルのJWが多いということです。」
「5節にジョーダンという姉妹の話が出ている。“私は独身なので,会衆に居場所がないように感じることがよくあります。”とあるけれど、7節で、“先ほどのジョーダンはこう言っています。「兄弟姉妹が私のコメントを褒めてくれたり,奉仕に誘ってくれたり,気に掛けてくれたりするとすごくうれしいです」。”そして18節で、“ある兄弟が車のメンテナンスについて教えてくれたのです。ジョーダンはこう言っています。「兄弟姉妹は私の安全のことも考えてくれているんです」。”とある。こう見ると、ジョーダンは独身の姉妹ということで、結構ちやほやされているように思えるけどね。多分ほとんどは創作じゃないかな。」

「6節ではイエスを見倣おうということで、ルカ10章のマリアとマルタの話が出ていて、“マリアは気兼ねなくイエスの足元に座って教えを聞きました。*”とあります。脚注では“ある参考文献にはこう述べられています。”と言って長々と引用しているのですが、これも引用元を隠していますね。」
「この参考文献は、“The IVP Bible Background Commentary : New Testament. (1993)”だよ。」
「この執筆者は、いろいろな本を勉強して、この記事を書いているようですが、それを公にはできないのでしょうね。」

「それから、この元の文は“Mary felt welcome to sit at his feet as a disciple. *”で、マリアは弟子として話を聞いていた、といっている。女なのに弟子?と疑問に思う人がいるから、わざわざ脚注をつけている。その辺が日本語訳だとわからなくなっている。」

「8節に、“イエスに倣って姉妹たちのために時間を取りましょう。簡単な食事に呼んだりレクリエーションに誘ったりできるかもしれません。”とありますが、イエスはそんなことしていません。」
「イエスとその弟子たちは、悪く言えば、乞食の集団みたいなもの。マルタとマリアの家に行ったのも、食事を恵んでもらうためだよ。そのお返しにイエスはありがたい話をした。マルタとマリアのために、わざわざ時間を取ったわけじゃない。」

「8節の最後に“エホバへの奉仕を第一にするなら,いつまでも幸せでいられるのです。(マタ 19:12)”とありますが、引照聖句はそんなことを言っていません。」
「“天の王国のために結婚しない人もいます。”という聖句だよね。そもそも、エホバ・ファーストだと、幸せになるという証拠はどれほどあるの?その逆の証拠はたくさんあるよね。」

「10から14節が、“姉妹たちを高く評価する”です。10節に、“男性であれ女性であれ,自分の能力が認められたり行ったことを褒められたりすると元気が出ます。反対に,見過ごされているように感じるとがっかりします。”とあります。まあ、そうなのですが、そんなにいつも自分のことを認められたり、褒められている人なんかいますか?」
「いないよ。だから周りの人の評価なんてあてにならないものと思い、気にしないこと。自分が正しいと思うことをするだけだよ。」
「ところがJWにとって正しいことは、組織が決めるのです。自分では判断できないのです。そのため周囲の評価を絶えず気にして、不安と恐怖でいっぱいという精神状態ですよ。」
「それがカルトのやり方。判断能力を奪い、何事も組織に依存する人間をつくろうとする。」

「10節に出ている70代の姉妹は、“兄弟姉妹が褒めてくださるので,頑張ることができています。”と言っています。となると、誰も褒めてくれなければ、やる気を失うということです。」
「他者の評価に依存していればそうなる。長老はそういうJWをせいぜい褒めてあげればいいじゃないか。」

「11、12節は、新約聖書の中で女性が果たした役割が出ています。」
「最初に出ているのが、“イエスは,忠実な女性たちが「自分の持ち物を使って」仕えてくれていることに心から感謝していました。(ルカ 8:1-3)”なのが笑えるね。これは寄付のおねだりだ。」
「本当は“忠実な女性”ではなく裕福な女性ですよね。」

「12節に“イエスは復活した後,まず最初に忠実な女性たちの前に現れました。”とあるけれど、これは当たり前だよ。11節に“使徒たちはイエスが逮捕された時,逃げてしまいましたが”とあるように、使徒たちは逮捕を恐れてたぶんガラリアに逃げた。復活の話は女性たちが広めたんだよ。」
「イエスの死から復活にかけての話は、弟子たちのダメっぷりが強調されて、対照的に女性や異邦人が目立つように書かれていますね。これは史実ですか?」
「史実というより、神学的な理由からだよ。マルコによると、イエスの十字架を背負ったのは、弟子ではなく、よそ者のキレネのシモン。イエスが死んだとき誰がイエスは神の子だと告白したかというと、弟子ではなくローマ兵。誰が遺体を引き取り葬ったかというと、弟子ではなくアリマタヤのヨセフ。これらのことを見ていたのは、弟子ではなく、女性たち。」
「イエスが復活したと告げられたのも弟子ではなく女性たちですね。」
「最後のものが最初になり、愚かとされる者に神の知恵があるとされる。そういった逆転した世界を意図的に描いているわけ。女性を尊重していたから、女性が活躍しているというわけではない。」

「13節に、“姉妹たちはエホバのために素晴らしい奉仕を行っています。例えば,建物の建設やメンテナンス”とあります。建設やメンテナンスが最初に来るのも意図的ですよね。」
「年配の姉妹にメンテナンスを学ばせるという記事は前にもあった。若い男性が不足しているJWでは、女性にも通常男性の仕事とされることをやらせようということだね。」
「あれだけ伝道を強調しているくせに、“開拓者や宣教者として奉仕している人もいます。”と来るのは“外国語のグループのサポート,ベテルでの奉仕,災害救援,出版物の翻訳”の後です。」
「伝道は、特別な能力のない人間がやることという組織の本音がうかがえるね。組織運営上、実際に役に立つ技術や能力を持っている人が欲しいのは当たり前。そういうものを持っていない人は、せめて伝道でもやって組織に貢献してね、ということだよ。」

「15から19節が、“姉妹たちの味方になる”です。愛のないJWの世界が垣間見えます。15節に、“開拓奉仕をしながら組織の他のプロジェクトに参加している人の場合,開拓者なのにあまり奉仕に出てこないと言われた時に,事情を説明してくれる人が必要かもしれません。”とあります。まじめに働いていても批判される、嫌な組織です。」
「意味不明だね。自分で説明するのはだめなの?普通はそうするよね。」

「16節に、マルコ14章の、ある女性がイエスの頭に高価な香油を注いで、周囲から怒られるけれど、イエスが弁護したという話しが出ています。“女性はつぼの口を割り,イエスの頭に注ぎ始めた。”とあるのですが、なぜ壺の口を割るのですか?」
「当時の香油の容器は首の部分が細長く作られて、使う時に、その首の部分を折るようになっていたということ。」
「この話も、イエスの埋葬の準備をしたのが女性であり、弟子たちは何もしなかったというものですね。」

「17節に、信者でない夫のいる姉妹に対して“会衆のある人たちは,どうして夫にもっと強く言えないのかと批判します。”とあるけれど、どうしてこういう連中を放置しておくの?他人の家庭のことを批判するなんておかしいよ。」
「JWにはそのような常識はありません。他人の家庭問題に首を突っ込んでは、無責任な批判を浴びせます。」
「これの対処法は、“他の人たちの前でその姉妹が本当によくやっていることを話し,褒めるなら,批判的な話を終わらせることができるかもしれません。”だって。ちがうだろう。よく事情も分からないのに、他人のことを批判するなと、厳しく言えばいいんだよ。」
「未信者の夫ということで、JWの夫よりも稼ぎがいいのですよ。それで妬まれているだけじゃないですか?この種の批判は、貧乏なJW姉妹たちのガス抜きなんですよ。それを止めたら、ガス爆発事故が起こるかもしれません。」

「最後の20,21節は、“どの姉妹にも支えが必要”です。でも、20節では、“会衆には熱心に働く姉妹たちが大勢います。ぜひそうした姉妹たちの支えになりたいと思います。”とあります。やっぱり、熱心に働く姉妹だけが援助の対象ということのようです。」
「そういった姉妹の支えになるのは、なんといっても稼ぎのいい夫だ。本当に姉妹たちのことを心配しているなら、JW以外の男性でも結婚してよい、と教義を変更し、そういう結婚相手を紹介する仕組みを作ればいいんだよ。」

#1254 2020年11月28日 08:37:03

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

質問さんいつも興味深い書き込みありがとうございます

フォイベを「迎え入れ,何でも必要な援助をして」ほしいと伝えました。(ロマ 16:1,2)”とあります。これはへんですよ。パウロがフォイベを援助してほしいといったのは、女性だからじゃありません。」

「引照聖句のローマ16:2に“フォイベは私や他の多くの人を助けてくれました。”と説明している。か弱い女だからじゃない。」
「ローマ16:1に“皆さんに,ケンクレアの会衆の奉仕者である,私たちの姉妹フォイベを紹介します。”とあります。“会衆の奉仕者”とは何ですか?」
「ギリシャ語はdiakonosで奉仕者という意味があるけれど、このギリシャ語から英語のdeaconという言葉がつくられ、その意味はカトリックでは助祭(司祭の補助)、プロテスタントでは執事(牧師の補佐)という意味。」
「JWでいうと昔は奉仕の僕、今は援助奉仕者ですね。」
「1世紀のキリスト教が女性差別的でなかったということで、フォイベはある種の役職についていたと考えられる。JWにとってそれは不都合なので、“会衆の奉仕者”と意味不明な訳にしている。」

自分はフォイベが執事という考えははじめて聞きました

ティンデルの聖書注解みたらそう書いてありましたありがとうございます

フィベは「女執事」(RSV・新改訳欄外注別訳参照)で、「ケンクレヤの会衆の間でその職に就いているキリスト者同胞」(NEB)であった。教会に関しては、その語は、男性名詞でも女性名詞でも、「執事」と訳すべきである。執事の職務が男女どちらによっても行われたことは、Iテモテ3.11から分かる。そこでの「婦人たち」(RSV。新改訳「婦人執事」)は、「執事たち」と理解すべきである

女性も執事「援助奉仕者」になれると聖書に書いてあること認めたら証人のこうした事は男だけという教理が崩れちゃいますね cry

編集者 てつてつ (2020年11月28日 08:46:02)

オフライン

#1255 昨日 15:34:35

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“あなたに託されているものを守り……なさい(40)”で、真理とそれを人に伝える務めを託されているので、さぼらずにしっかりやれ、という内容です。」
「真理とは、よく変わるJW の教義のことでしょう。」
「間もなく終わりが来るという教義は150年間変わりありません。」
「確かに、それはこれからも変わりそうもないね。」

「2節に“2テモテ第一 6:20を読む。”とあります。そこには“テモテ,あなたに託されているものを守り”とあるのですが、何を託されたかというと、“人類に対する神の目的についての正確な知識を託されたのです。”と説明しています。そんなことは書かれていないのですが。」
「テモテ一の中で、具体的な指示が書かれているのは、例えば4:11-13で、“これからもこうした命令を与え,教え続けてください。あなたが若いからといって,誰にも見下されないようにしなさい。かえって,言葉や振る舞い,また愛,信仰,清さの点で,忠実な人たちの手本となってください。  私がそちらに行くまで,朗読と説き勧めることと教えることに励んでください。”とある。」
「つまり、信者を教え導くことと模範的な生活スタイルを守るということですね。」

「3から5節が、“貴重な真理を託されている”です。3節では、“エホバは私たちを愛し,聖書の貴重な真理を正確に理解できるようにしてくださいました。”といきなり問題のある文章で始まります。」
「それなら、なぜ聖書の解釈がコロコロ変わるのか説明して欲しいね。少し前に、イナゴとか北の王とかの解釈変更があったよね。それから、古代史の年代についてウソをつき続けているのはなぜなのか教えて欲しいね。」
「その理由は2節にあります。“聖書の真理が貴重なのは,エホバがそれを「正しい態度を持つ」謙遜な人だけに明らかにしているからでもあります(使徒 13:48)。”だそうです。そういう謙遜な人は、“エホバが真理を教えるために今,用いている 経路を認めます。(マタ 11:25; 24:45)この真理は自分の力では決して理解できないものです。”とあります。地上の神として統治体に絶対服従することが必要なようです。」
「その統治体の解釈がコロコロ変わるのはなぜなのかということの答えになっていないね。」

「引照聖句の使徒13:48は、“そして,永遠の命を得るための正しい態度を持つ人は皆,信者となった。”とあります。協会共同訳では、“そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。”となっています。どちらが適切なのでしょうか?」
「JW訳は意図的な誤訳だね。“永遠の命を得るように定められている”のほうが正しいけれど、そうすると、救いがあらかじめ決定されているという予定説を支持するように読める。JWは死ぬまで組織に尽くした人だけが救われるという教義なので、そう訳すると不都合だよね。それで、自分たちに都合の良いように訳した。」

「もう一つの引照聖句は、例のマタイ24章の“忠実で思慮深い奴隷”のたとえ話ですが、エホバが今用いている経路とのことを言っているわけではありませんよね。」
「もちろん、今の統治体のことを言っているなんて言う解釈は、統治体のご都合主義的解釈の典型だね。これは全ての人に向けて言っている話。ポイントは“主人が来て,そうしているところを見るなら,その奴隷は幸せです。”で、主人に与えられた仕事を忠実に賢明な仕方で行えば、祝福がある。そうでなければ、“泣き悲しんだり歯ぎしりしたりします。”という結果になるということ。」

「それから5節に、“エホバが私たちに託してくださった素晴らしいものは,ほかにもあります。エホバがどんな方か,どんな目的を持っているかについての真理を人々に教える務めです。”とあります。伝道しないといけないみたいですよ。」
「英文では、”務め”ではなくprivilege(特権)なんだけどね。日本のJWだけ、義務として滅私奉公しなくてはいけないようだ。つらいね。」

「5節の最後に“神と共に働けるというのは何と光栄なことでしょう。(コリ一 3:9)”とありますが、これは聖句の誤用ですね。」
「そこでは“私たちは神と共に働く者だからです。皆さんは,神が耕している畑,神の建物です。”とあるけれど、まず“わたしたち”というのはパウロとアポロのことで、今のJWを指しているわけではない。“神と共に働く者”という訳も問題だ。これだと神と同等の存在かのようで非常に傲慢不遜な言い方だ。神は共に働く人間を必要としない。協会共同訳のように“神の協力者”くらいに訳すべき。」

「6から8節が、“託されているものを守りましょう!”です。6節には、託されているものを守らなかった人たちが出てきます。」
「6節の、“デマスは当時の体制を愛して,パウロと共に奉仕するチャンスを捨ててしまいました。(テモ二 4:10)”は問題がある。テモテ二4:10の“今の体制を愛して私を見捨て”という訳がおかしい。“体制”ってなんなの?ローマ帝国の体制のこと?普通は、“この世を愛し”と訳するよ。」
「殉教した人をあらわすのに、当時は“この世を愛することなく”と言った表現が使われているので、“この世を愛し”とあると殉教の危険に恐れをなして、という意味であると、読み取れるということでしたね。」

「“フゲロとヘルモゲネは,パウロのように迫害されてひどい目に遭うのではないかと恐れ,伝道をやめてしまったようです。(テモ二 1:15)”とあるけれど、これは根拠の乏しい推測だ。引照聖句は、“あなたも知っているように,アジア州の人たちは私から離れていきました。その中にフゲロとヘルモゲネがいます。”とあるだけ。しかも、この日本語訳がへんだ。英語版では、“all the men in the province of Asia”で“アジア州の全ての人達”だよ。」
「情けない誤訳ですね。それとも翻訳者が、全ての人たちが離れていくなんてありえないと勝手に判断したのでしょうか?協会共同訳でも、“アジアにいる者たちは皆、私を離れて行きました。”とありますね。でも、そんな事実はあるのですか?」
「ないよ。キリスト教はローマ帝国の東側でまず広まって行った。アジア州にはエフェソスがあり、キリスト教の拠点の一つだったところ。」

「7節には、“サタンは私たちに,エホバから託されたものを捨てさせようとします。どんな手を使ってくるでしょうか。例えば,エンターテインメントやメディア”とあります。相変わらずのカルトな主張です。」
「8節に、ダニエルという坊やが、“1日に15時間もゲームに使うようになりました。”とあるけれど、これもサタンのせいなのね。ゲーム機を作っているソニーや任天堂はサタンの支配下にあるとみていいわけだ。」
「ごく少数しかいない極端なケースをとりあげて、それを一般化するというのは詭弁の一種ですよね。」
「そうだね。滅多にいないようなまれなケースが出てきたときは、注意しなくてはいけない。たいていおかしな主張がその後に続く。」

「9節以降は、“真理を手放してしまわないために”です。5つの具体的な指令が書かれています。JWの真理は早く手放したほうがよい人生を送れると思いますけど。」
「その2つ目が、“自分を訓練する。”だけど、その具体例が、11節の、“長い1日が終わって疲れ切っている時に集会に行くには,力を振り絞らなければならないこともあるでしょう。”なんだ。“自分を訓練する。”とは、退屈で無意味な集会に参加するよう自分を鍛えることなんだね。ZOOM集会になってよかったね。」

「13節は、“識別力を働かせる。”ですが、その例は、“例えば,レクリエーションやエンターテインメントを賢く選ぶことが必要です。”なのです。」
「この記事は小学生向け?信者を子ども扱いして、信者の私生活をとことん管理する宗教だというのがよくわかる。」

「15節に、“私たちはテモテのように識別力を働かせて,背教者が広める危険な偽の情報も見分けなければなりません。”とあります。背教者とJWが一方的に呼んでいる人たちは、ニセ情報を広めていますか?」
「ニセ情報を広めなくてはならないほど清廉潔白な組織だとJWは自分たちのことを思っているの?叩けばいくらでもホコリの出る組織でしょう。本当のことを言うだけで、JWは真の神の組織などではなく、社会的に有害な宗教団体と多くの人が簡単に納得できる組織だよ。」
「いわゆる背教者がウソつきなら、簡単に反論できます。本当のことで批判されるから、信者に、見るな、聞くな、信じるな、とカルト丸出しの指示を出しているのです。」
「世界を組織と外部とに二分し、外部情報に強い警戒心を持たせるのはカルトの特徴だね。それに組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じるのもカルトの特徴。」

「15節で、“そのような話を広めているのは,「考え方が腐敗して真理を認めなくなった人たち」だからです。”と根拠のない誹謗中傷をしています。この言い方はひどいですね。」
「JWも落ちぶれたということ。自信も余裕もない。自分たちで一方的に背教者と決めつけ、考え方が腐敗していると非難する。みっともないね。」
「作り話とか嘘という言葉を繰り返しますが、具体的にそれは何かについては何も語りません。」
「文書だと証拠に残るからね。あれはウソだと書いたのに、後で本当という証拠が出たら盲信している信者だって動揺するだろう。でも、ビデオでは、レットが児童の性的虐待は背教者の嘘だというウソをいっていた。」

「17節が、“すぐに対応できるようにしておく。”ですが、その具体例が、18節に“インターネットを使う時や,テレビや映画を見る時に,どの“非常口”を通って逃げるかを前もって考えておくのは良いことです。”とあります。」
「見てはいけないものを見て楽しんでいる時に、誰かが部屋に入ってきたら、素早く画面を変えられるようにしておくということだね。小学生ならちゃんとそれくらい考えているよ。」
「そういうことではないですね。要するに、その種のものは見るなということだと思います。でも、そういう命令を出したくないので、回りくどい言い方をしているのだと思います。」

「最後の19節では、“私たちはこうした貴重なものを守らなければなりません。そうすれば,良心に痛みを感じることはありません。充実した毎日を過ごせます。”とあります。忙しいだけの無意味で空虚な毎日を過ごせます、のほうが本当じゃないですか?」
「“良心に痛みを感じることはありません。”は笑えるね。実行不可能なことをあれこれ要求し、良心の痛みを感じるようにさせているのが組織でしょう。」

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