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#1176 2020年07月11日 23:16:43

とおりすがり
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

解釈の変更があった時、エホバの証人は皆ありがたがるんですよね。新しい光が与えられたって。騙された、と憤るどころか感謝しちゃうんですよ。コワイですね、洗脳って。

世代の解釈の変更も当たり前行事というか。でも流石に「重なる二つの世代」の珍説が出た時には、こりゃナイわー無理クリ捻り出したなと。
でも家族も友人も会衆の誰もおかしい、って言う人がいないんですよ。おかしいって思うのは自分だけ?自分の方が変なの?ってネットで調べてみたら、おかしいって言う人が一杯いてホッとしました。覚醒の始まりでした。

#1177 2020年07月17日 14:51:10

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“今の「北の王」は誰ですか(20)”で、今の北の王はロシアだというこじつけを長々と述べたものです。また2節に、“この記事では,ダニエル 11章40節から12章1節の預言について考えます。”とあり、この部分の新解釈を示したいようです。」
「今の北の王は誰かという、問題設定自体がおかしいの。北の王なんかいない、というのが正解だよ。ダニエル書は古代の出来事についてあれこれ言っているだけで、今の時代についての預言を含むなんてことは、JWの思い込みに過ぎない。」

「1節は、“私たちは終わりの時代の最終部分に生きています。今の体制が間もなく終わるという証拠はそろっています。”で始まります。終末論全開です。」
「でもこの記事には、そのそろっているという証拠は全く示されていないけどね。」

「3,4節が“新しい北の王”です。ソビエト崩壊後は、“ロシアとそれを支持する国々が北の王になりました。”ということのようです。あいまいですね。ロシアを支持する国とはどこの国なんですか?」
「ロシア一国では力不足と思ったから、付け加えただけでしょう。」
「4節には、ロシアとそれを支持する国々が北の王である理由を3つ述べています。自分たちで勝手に作った理由ですね。“伝道を禁止し,領土内の大勢の兄弟姉妹を迫害しています。”というのが、ロシアを北の王に認定した最大の理由じゃないですか。」
「ロシア国内のJWの資産が没収されたようだから、宗教ビジネスマンの統治体としては、怒り心頭に発するという状態なのだろう。それでロシアを北の王に認定し、嫌がらせをしてやろうということになったんじゃないの。ロシアにとっては痛くもかゆくもないけれどね。」

「5,6節が“北の王と南の王が押し合う”です。5節に、“終わりの時に南の王は北の王と「角を突き合わせ[る]」かのように「押し合い」ます。(ダニ 11:40,脚注)”とあります。」
「ダニエル11:40には、“終わりの時に,南の王は彼と押し合い*ます。北の王は,兵車や騎手や多くの船で南の王を激しく攻撃し,国々に入って,洪水のように勢いよく通っていきます。”とある。まず、“終わりの時”というのは、文脈から、シリアのアンティオコス4世の支配の終わりを指す。その際にシリアとエジプトの激しい戦いが起きるとしているけれど、残念ながらそのような史実はない。」
「つまり、ダニエル書はアンティオコス4世の時代に書かれたので、それ以前のことは過去のことなので比較的正確でしたが、未来のことである、その終わりについての預言は外れてしまったということですね。」
「ダニエル書の著者には、未来を予測する能力なんかないからね。」

「“押し合う”という訳はどうですか?こんな訳は見たことないですけれど。」
「協会共同訳では“戦いを挑む”だね。他の訳も、攻撃する、戦うあるいは衝突するというのが多い。“押し合う”はJWの独自の解釈が入った訳だね。戦いが長期間に渡ることにしたいからだろう。」

「6節に、その押し合う様子が描かれているのですが、おかしいですね。」
「主語が“ソビエト連邦とそれを支持する国々”になっている。ロシアの話をしているんだよね。冷戦の時代は、押し合っていたかもしれないけれど、ソ連が崩壊して、ロシアになったあとは、押し合っていないよ。」
「“近年,ロシアとそれを支持する国々は世界の国々に対する影響力を強めています。”と漠然としたことしか書いていません。押し合っている具体例を挙げられないのでしょう。」
「サイバー攻撃が出てくるくらいだ。」
「統治体のモリスあたりがアメリカの新聞をみて、サイバー攻撃をしているロシアは北の王だと思いついたんじゃないですか?」
「その後、モリスはレットに、ところでサイバー攻撃って何なの?と尋ねたと、統治体会議の議事録にあるそうだ。」

「ソ連崩壊後、ロシアはアメリカなどの西側諸国と協調していましたよね。サミットだってプーチンは出ていましたよ。」
「それがダメになったのは、ロシアがクリミアを併合したから。これで、西側諸国は堪忍袋の緒が切れた。ロシアに対してずっと経済制裁をしている。2017年の統計だと、ロシアのGDPはアメリカの約12分の1で、インドよりも少ない。石油や天然ガスの輸出で稼ぐしかない発展途上国的な経済体制で、現在の石油価格の下落でロシア経済は危機にある。アメリカと押し合うほどの経済力はない。金がなくなり、プーチンがバラマキ政策を続けられなくなると、国民の不満がたまり、プーチン体制はどうなるか、予測できないよ。」

「7から9節が、“北の王は「美しい地」に入る”です。ダニエル11:41の“『美しい地*a』にも入り,多くの国が倒れることになります。しかし,エドム,モアブ,またアンモン人の主な人たちは彼の手から逃れます。”の解説です。」
「7節で“西暦33年のペンテコステの日以来,その「美しい地」が特定の場所を指すことはなくなりました。”と断定しているのには驚いた。何の根拠も示されていない。そして“現在の「美しい地」は,エホバの民の活動を指しています。”といっている。驚いた。“美しい地”が人の活動に変身するわけね。しかもJWの活動は少しも美しくないよ。JWの活動と言えば、老人がのろのろ歩いて伝道活動なるものをしているとか、カートの横でスマホを操作しながら立っているだけでしょう。」

「そして、8,9節で“「美しい地」に入る”とは、エホバの民を迫害することを意味していると解釈しています。これもそうとう飛躍がありますね。何といっても、世界の中心がJWと思い込んでいる人たちが考えることですから。」
「そう解釈した場合、“多くの国が倒れる”とはどういうことなの?また後半の“エドム,モアブ,またアンモン人の主な人たちは彼の手から逃れます。”については何の説明もない。これじゃダメだよ。」

「10から12節は、“南の王は北の王によって倒されるのか”です。答えは倒されない、です。その根拠がダニエル2章の大きな像の鉄と粘土でできた足と啓示13章の7番目の頭は、英米を表し、ともに最後まで存在していることになっているからというものです。」
「どうして、そっちの方へ飛ぶんだろね?ダニエル11:43に“彼は隠された金銀の宝を支配し,エジプトの貴重な物全てを支配します。リビア人とエチオピア人は彼に従います。”とある。エジプトは南の王。ということは、ロシアは南の王である英米を支配すると解釈すべきだよ。」
「それは、ありそうもないからですよ。現在の世界情勢に合わせて、適当に聖句を拾って、解釈しているだけですから。合わないところは無視するだけです。」

「ダニエル2章の鉄と粘土でできた足については、解釈がコロコロ変わったことで有名だ。10回以上は解釈の変更があった。英米世界強国を表しているというのは比較的最近の解釈だよ。」
「ものみの塔2012年9月15日号“この世界はどのように終わりに至るか”では、“足と指が鉄と粘土から成っていることは,英米世界強国の弱体化した状態を表わしています。”とありますが、それから8年後の、この記事のひとつ前にある“終わりの時に対抗する王たち”という年表では“粘土は、英米世界強国内の急進的な民衆を表している。”とあり、また解釈を変えていますね。」
「普通は、足の部分はローマかギリシャを指すと解釈する。JWがこれは英米世界強国です、なんていっても、笑われるだけ。」

「13から17節が、“北の王は今後どんな行動を取るか”です。よせばいいのに預言です。これがこの記事の主な部分なんでしょうが、滅茶苦茶という印象です。エゼキエル、ダニエル、啓示の3つをごちゃまぜにして、JWにとってありそうなストーリーを作っています。」
「13節がひどいね。“エゼキエル 38章10-23節,ダニエル 2章43-45節,11章44節–12章1節,啓示 16章13-16節,21節の預言は,同じ時期や出来事について述べているものと思われます。”だって。“思われます”とはなんだよ。ふざけるなよ、と言いたいね。多くの信者の一生がかかっているんだよ。」
「13節以降は、未来のことなので、全く自信がないのですよ。」

「実は、この部分は英文とだいぶ違う。“If we view the prophecies of Ezekiel 38:10-23; Daniel 2:43-45; 11:44–12:1; and Revelation 16:13-16, 21 as speaking about the same time period and events,”で、もし~だとしたら、と訳すべき。仮定の話にすぎない。」
「つまり、これは全く仮定の話にすぎないということを、日本人JWには知らせたくなかったんですね。」
「こんな仮定は成立するわけないよ。“同じ時期や出来事について述べているもの”という根拠は何もないからね。」

「14節では、大患難が始まると、“諸国家の連合体は,エホバの民に対する最後の総攻撃を行います。”とあり、そのきっかけについていい加減なことを述べています。“ヨハネはこの時に関する幻の中で,エホバに敵対する者たちの上に非常に大きなひょうが降るのを見ました。ひょうが降ることは,エホバの民が処罰に関する厳しいメッセージを伝えることを表しているのかもしれません。”だそうです。」
「何の根拠もないね。“かもしれません。”はやめてね。JWの人生がかかっているんだよ。」
「15節には、“処罰に関する厳しいメッセージと,エホバに敵対する者たちによる最後の攻撃は,ダニエル 11章44,45節で述べられているのと同じ出来事なのかもしれません。”と、“かもしれません”がつづきます。」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないなら、わざわざ書くことないよ。」

「ダニエル11:44には“彼は東*と北からの知らせに動揺し,激怒して出陣します。破壊し,多くの者を滅ぼし尽くすためです”とあるのですが、これを“「多くの者」はエホバの民を表しているものと思われます。 * ダニエルはエホバの民に対する最後の総攻撃について述べているのかもしれません。”と解釈しています。“思われます、かもしれません。”の連続です。」
「“かもしれません。”をいっぱい並べれば、一つくらいは当たるだろうという計算なんだよ。ところで、他の部分はどう解釈するの?例えば、東と北からの知らせとは?」
「JWは質問を受け付けません。質問をする人は背教者です。」
「その部分は、北の王が南の王に対する軍事行動を中止し、自国に戻って、新たな脅威と戦うという意味と普通は解釈される。」

「16節では、“北の王が他の政府と共にエホバの民を 攻撃する時,全能の神は激怒します。こうしてハルマゲドンの戦いが始まります。”と断定しています。調子が上がってきましたね。この段階にきてようやく激怒する全能の神って、頭がにぶいんじゃないですか?」
「つまり、ロシアがJWに対して迫害を開始すると、ハルマゲドンが始まるといっている。ということは、もうすぐJWが待ちに待ったハルマゲドンが来るんだね。」
「そう思わせるように書いていますが、そういうことは言っていません。」

「この節で、ダニエル11:44,45の解説が終わるのだけれど、11:45の“彼は自分の壮麗な天幕を,大きな海と『美しい地』の聖なる山との間に張ります。”については無言だね。」
「“ダニエルの預言に注意を払いなさい”の16章では、“霊的な意味で,「壮大な海と聖なる……山との間」の地点とは,エホバの油そそがれた僕たちの霊的地所を表わしています。”と訳の分からないことを言っていましたが、この解釈のバカバカしさにやっと気づいて取り下げたのですね。」
「“ダニエルの預言に注意を払いなさい”は一節一節細かく解釈していたけれど、その多くは現在では古い光となってしまった。この記事に書かれていることもいずれそうなる。まじめに読む必要はないね。」

「17節で“ダニエル 12:1を読む。”とありまして、そこには“その時,あなたの民のために立っている偉大な長ミカエルが行動を起こし”とあるのですが、JWはミカエル=イエスと主張します。いくらイエス嫌いのJWとしても、これはあり得ないですよ。」
「ダニエル10:13には“そこへ主立った長のひとりミカエルが助けに来てくれて”とある。ミカエルは自分と同格の長のひとりにすぎないことが示されている。キリスト教ではイエスは神のひとり子だよね。」
「ダニエル書では、ミカエルはイスラエルの守護天使で、他の国の天使とイスラエルのために戦う存在です。」
「JWからイエスだなんて間違われて、ミカエルは迷惑していると思うよ。」

「最後の2節が、“あなたの名前は「書に記され」るか”です。ダニエル12:1の後半に“その時,あなたの民,書に記されている人は皆,逃れます。”とありまして、その書に名前が記されないと殺されるということのようです。」
「名前を記されるためには、“エホバに献身し,バプテスマを受ける必要があります。(ペテ一 3:21)エホバについて人々に知らせることにより,神の王国を支持していることを示さなければなりません。”とあるけれど、そんなことはダニエル書のどこにも書いていない。」
「JWが、聖書をもとにした奇怪な宗教だということがよくわかる記事でしたね。」
「でも、多くのJWは、この記事のおかげで信仰がますます強まりました、などと言って、ニコニコしながら家路につくよ。」

#1178 2020年07月18日 08:56:03

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ダニエル書の北の王がどうとか現代クリスチャンにとってどうでもいいのと同じくらい、新約が書かれ始めた1世紀ですでに時代遅れになっていたのではと思います。

アンティオコス4世あたりでピークを迎えた、ユダヤ人が北や南の列強に挟まれていた時代には、やがてヤハウェが救ってくれるという物語は当時のユダヤ人に受けがよかったでしょうけど、1世紀にはもうローマが地中海域をすっかり支配してしまいます。


死海文書の写本数トップ3が申命記、イザヤ、詩篇で、これがそのまま新約での旧約引用数トップ3になっています。新約でのダニエルからの直接引用は皆無=ゼロ?ですか?

新約筆者の誰も一切触れていないダニエルの70週(70の7)を490年と解釈してなんとかジーザスに事後こじつけしようとする現代クリスチャンはJW以外にもしぶとく残っていますが、そもそもユダヤ人からしたら神殿が何度リニューアルされようがメシアなんか来なかった(普通に外れた)ので、正統派ユダヤ教徒の人にも当時のユダヤ人向けに書かれた諸書の一つ、黙示文書という扱いで、現代の出来事に直接的な暗示があるなんて奇怪な(非聖書的な笑)発想は全くなかったですね。

#1179 2020年07月24日 15:20:35

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“神からのプレゼントに感謝していますか(21)”で、地球、脳、聖書に感謝しようという内容です。」
「読まなくても内容は大体想像できるね。この執筆者は科学的な知識に乏しい人だよ。そんな人がなぜこんな記事を書くのか、不思議だね。無知無学なJWに、JW流の教養を身に着けてもらおうという意図なのかもね。」

「3から7節が、“素晴らしいプレゼント 地球”です。地球について長々と述べていますが、どこまで本当なのでしょうね?」
「3節に“地球のほかにも惑星はありますが,人間が生きていくための条件を全て満たしているのは地球だけです。”と断定しているのは問題だね。まるで全宇宙を創造したかのような口ぶりだ。地球と同じような惑星は相当数あると思うね。」
「執筆者が参考にした、小学生のために地球の科学にはそう書いてあったんでしょうね。」
「地球類似性指標(ESI)というものがある。地球にどれだけ類似しているかを数値化したもので、1に近ければ近いほど地球に似ていることになる。」
「火星が一番近いのですか?」
「太陽系では火星が0.70で一番地球に近い。太陽系以外では、ティーガーデン星bは0.93で、かなり地球に近い。」

「5節は酸素の循環を取り上げています。人間や動物は酸素を吸収し二酸化炭素を放出し、植物が二酸化炭素を吸収して酸素を放出することを言っているようです。」
「正確には、酸素と炭素の循環ね、」
「“酸素の循環の仕組みは,使徒 17章24,25節の,「神自身が全ての人に命と息……を与えている」という言葉の正しさを示しています。”とありますが、これはウソですよね。」
「引用されている聖句は酸素の循環とは無関係だ。こんなこじつけをするからJWなんて信用されない。」

「6節は水の循環です。“無駄のない,いつまでも続く水の循環の仕組みは,エホバの知恵と力の証拠です。(ヨブ 36:27,28。伝 1:7)”とありますが、引照聖句は水の循環について述べているのですか?」
「まず伝道1:7には、“川は海に流れていく。しかし海があふれることはない。川は始まりから,また流れる。”とある。水の循環なんか言っていない。水が単に源に戻ると言っているだけ。もちろん古代でも海が溢れないことを不思議に思う人はいた。アリストファネスの“雲”という詩が同じことを言っている。地面を掘ると水が出てくることから、古代人は水が地下を通って元に戻ると考えていたようだ。」
「水の循環というのは、水が水蒸気となり、雲となって、再び雨として地上に降ることをいいますから、伝道1:7が水の循環を言っているというのは間違いですね。」

「ヨブ36:27は、“神は水の滴を持ち上げます。水蒸気が集まって雨になります。”とある。これはへんな訳だ。“水蒸気”という概念は古代イスラエルにはない。協会共同訳は“神は水の滴りを引き上げ/雨を濾過して霧にする。”だ。水蒸気ではなく、せいぜい“水滴”だよ。」
「聖書は水の循環を知っているとでっち上げるために、水蒸気と訳しているのがミエミエですね。」
「ヨブ38:22は、“あなたは雪の倉に入ったことがあるか。ひょうの倉を見たことがあるか。”とある。ここでは雪やひょうが倉の中に蓄えられていて、そこから降ることが想定されている。ヨブ記の作者には近代的な科学知識はないよ。」

「そう言えば、創世記2:5,6は、“エホバ神は地上に雨を降らせておらず,地面を耕す人もいなかったからである。ただ,霧が地表から立ち上って地面を潤していた。”とありますが、これは水の循環を否定していますよ。」
「そうだね。一つの聖句がもっともらしいことをいっていたとしても、それだけでは不十分なの。他の聖句がそれを否定していることがあるからだね。」

「“水の循環 エホバからのプレゼント”と、囲み記事にありますが、一面的な見方ですね。」
「日本人は毎年台風や洪水の被害を受け、死者も出ている。中国では今年4500万人が洪水の被害にあったと報道されているよ。これも水の循環のプレゼントだよ。」
「地球上の水のほとんどが海水で、人間は飲めません。エホバって意地悪な神ですね。」
「海水の割合は約97.5%。淡水はわずか2.5%くらい。しかもその大部分は南極や北極の氷として存在しているか地下水で、利用可能なのは0.1%もない。神が人間のために地球を作ったとは思えないね。」

「8から14節が、“素晴らしいプレゼント 脳”です。言語能力、記憶力、道徳心を取りあげ、その能力を使って、奉仕活動をしなさいと言っています。」
「JWらしい、奇想天外なことを言って欲しかったね。」
「100年生きても脳の1%しか使っていないとか、永遠に生きても困らないように無限の記憶力があります、なんて言ってくれたら面白いですよね。」

「でも、8節に“人間の脳は工学上の傑作です。母親の胎内にいる赤ちゃんの脳は,設計図通りに組み立てられていき”とあるのは、よくある間違い。脳の設計図なんてないよ。」
「DNA配列のことを言っているんじゃないですか?でもあれは脳の設計図ではなく、たんぱく質の設計図ですよ。執筆者が参考にした、小学生のための脳の科学にはそう書いてあったんでしょうね。」
「人間の遺伝子の数はハエの2倍くらいしかない。それでどうやって脳を設計するの?多少科学的知識のある人は、遺伝子は、設計図ではなく、料理の材料のリストのようなものというけどね。」

「9節に“話す能力は奇跡です。”とあります。言語はあまり取り上げられないテーマですね。」
「聖書では、バベルの塔で一度に多数の言語が造られたことになっている。つまり、全ての言語は神が作ったというわけだ。でも、それはありそうもないね。」
「言語には文法という規則があります。その文法は極めて複雑なのに、体系性に乏しくて、例外が多く、知的な存在が設計したとは思えませんね。」
「人工的に作られた言語は何種類かある。有名なのはエスペラント。人工言語の文法は体系的で、覚えやすく、例外はない。知的な存在が文法を作ったらどうなるかという実例だ。現代の言語の特徴は、長い年月をかけて、場当たり的に規則が徐々に作られたことを示している。」

「11節は記憶力で、12節が“モラルを身に付ける能力”です。たいしたことは書いていません。」
「13節で、“エホバの記憶力は完璧ですが,罪を悔い改める人を許し,その人の失敗を思い出しません。(詩 25:7; 130:3,4)”とあるけれど、引照聖句はそんなことは言っていないよ。」
「引照聖句はともに詩編からで、これは祈りですね。詩編25:7に“若い時の私の罪と違反を思い出さないでください。”とありますが、エホバは罪と違反を思い出さないと言っているわけではなく、思い出さないでくださいと祈っているだけです。」

「14節に、“エホバの基準の方が当然,私たちが考え出す基準よりも優れています。”とあるけれど、本当にそうなのかな?」
「聖書を読む限り、エホバは女性や障がい者、病人を差別的に扱っていますし、同性愛者を憎んでいます。また先祖が誰かといった出自によって差別します。女性や障がい者、病人を差別しない、出自や性的志向で差別しない、という現代の基準の方が優れていますよ。」

「14節には、“創造者また父であるエホバを賛美すること,エホバに喜ばれる生き方をすることを望んでいます。(格 27:11)”とあるけれど、これも引照聖句はそんなことを言っていないね。」
「格言27:11は、“わが子よ,賢くあって,私の心を喜ばせよ。私をあざける者に私が答えるためである。”というものです。これは先生が弟子に向けて言っている言葉ですよね。エホバとは関係ないですよ。」
「我が子といっても正確には“我が息子”なの。女の子は関係ない。先生が弟子に向かって言っている。弟子が賢くないと、教育がおかしいんじゃないの、と先生が非難されるわけ。だから、弟子に向かって、賢くなって、先生を喜ばしてね、と先生が言っている。それだけの聖句だよ。」

「15,16節が、“素晴らしいプレゼント 聖書”です。15節では、“聖書は,エホバの愛が詰まったプレゼントです。”とあります。これは聖書の成立過程を無視した主張ですね。」
「聖書はプロテスタント、カトリック、ギリシャ正教で異なる。どれが神様のプレゼントなの?」
「JWはプロテスタントの聖書を使っていますね。アメリカで始まったプロテスタント系の新興宗教だからという以外の理由はないと思います。」
「現行の新約聖書はカトリック教会が正典として認めたものを基本としている。JWはカトリックを悪魔の手先と敵視しているよね。でも、聖書はエホバからのプレゼントなのね。理解できないね。」
「テモテとかテトスといった偽パウロ書簡は、当時のカトリック教会がパウロの書簡と誤って認定したから聖書に入れられたわけです。JWはそれに異議を唱えることはないですね。」
「第二ペテロ、ヤコブ、ユダ、第二、第三ヨハネは、正典として認めることにかなり反対が多かったけれど、“使徒性がある”とか屁理屈をつけて聖書に入れられたもの。本当は使徒が書いたものではない。」
「ヨハネの黙示録(啓示)も正典として認めることに長い間反対があったわけですね。」
「あれは要するに復讐物語で、キリスト教的じゃないからね。でも面白さで正典入りだ。もし今選ぶとするとすれば、外れること間違いないよ。」

「15節に、“何世紀も前から,人々の心を動かし,聖書がいろいろな言語に翻訳されるようにしてきました。”とあり、JWでは聖書の翻訳はエホバがさせたという解釈のようです。」
「そんなに大事な聖書なら、なぜオリジナルがないの?今あるのは写本を何回も経た後の時代の写本だけ。数多い写本の中で完全に同一のものは一つもない。それでオリジナルの文章か、後から付け加えられた文章か、よくわからないという部分もあるよ。」
「翻訳のために、人々の心を動かしたけれど、オリジナルを保存するようには心を動かさなかったわけですね。」
「JWの神様って、どこか間抜けなんだよね。」

「JWの使っている聖書はエホバからのプレゼントという話しは、16節で、“聖書のメッセージをできるだけ多くの人に伝えることによっても感謝を表せます。”と、伝道の話へとつなげています。」
「でも、JWの伝えているのは聖書のメッセージじゃなくて、アメリカの終末論的新興宗教のメッセージだよ。」

「15節の下に囲み記事“アフリカの言語に聖書を翻訳する”に、“今では聖書の全巻または一部が1000以上のアフリカの言語で手に入ります。エホバはどの国の人々にも聖書を手にしてほしいと思っています。”とあります。」
「こんなバカなことを書けるのも歴史に無知だからだね。」
「アフリカの言語への聖書の翻訳はヨーロッパ人のアフリカ支配の産物ですよね。」
「ヨーロッパ人の支配者によって、現地の文化や宗教が破壊され、キリスト教が押し付けられた結果、聖書が普及した。」
「聖書は奴隷制を黙認している点も、ヨーロッパ人のアフリカ支配に好都合だったわけですよね。聖書の果たした歴史的役割のひとつです。」
「もし聖書に奴隷制は神が禁じているとはっきり書かれていたら、アフリカで翻訳はされなかったよ。JWにとって、よかったね。」

#1180 2020年07月24日 17:05:28

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問さん、今日の文章は神を冒涜していますよね。どうぞ神を畏れて下さいますように。お気をつけ下さい。

#1181 2020年07月26日 00:43:23

サルガタナス
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

質問先生
いつも時間と労力をかけて調べてくださって、
ありがとうございます。
すごく勉強になってるんでボクは感謝したいです。
先生の解説を読んでいる皆さんそれぞれいろんな考えがあるのでしょうが、
どうかこれから先もよろしくお願いします。

#1182 2020年07月26日 01:45:42

マルコ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ぽんちゃん様

ぽんちゃん さんの発言:

聖書についての質問さん、今日の文章は神を冒涜していますよね。どうぞ神を畏れて下さいますように。お気をつけ下さい。

あなたは昔JWと長年研究をしていたけれど、何らかの理由があって司会者たちからサジを投げられたのですよね。それが20年以上前。

聖書に対する質問さんは、ぽんちゃん様より聖書とJW組織に詳しく、読解力も理解力も社会常識も持ち合わせた方で、私も投稿を楽しみにしている者の一人です。

そのような方に上から目線でダメ出しをする権利は、あなた様には、ありません。

お気をつけ下さい。

#1183 2020年07月26日 05:11:22

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

マルコ さんの発言:

お気をつけ下さい。

もしかして
マルコさんて私の事が好きなんでしょうか。よく話しかけて下さいますし、心配もしていただけるとは。ぜひお友達になりましょう。
こちらには先生もいらしたのですね。私の先生はイエスキリストです。
皆さんは神を冒涜する先生が心配ではないのですか?私は読んだ時恐ろしかったですね。先生の為に祈りました。何もないといいのですが...

#1184 2020年07月26日 06:05:55

マルコ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ぽんちゃん様

私はぽんちゃん様のことを好きでも嫌いでもありません。
ぽんちゃん様のご意見が過ぎた時にご注意申し上げているのです。

何故なら掲示板が、JWの呪縛から解放されたいと願っている、誠実な人たちの健全な場であって欲しいと願っているからです。


友達とは、なりましょうと言ってなれるものではありません。
気付いたらいつの間にかなっていたと言うものではないでしょうか。

友人関係が続くには似たような価値観や、育ちや、受けた教育によるところが大きいです。


類は友を呼ぶ、その人を知りたければその友人を見なさい、と諺にもあります。
聖書にも悪い交わりは有益な習慣を損なうとあります(ぽんちゃん様のことを言っているのではありません)

ぽんちゃん様と私の間には何ひとつ共通点がありませんので、友人にはなれません。

ぽんちゃん様には仰天さんという素晴らしいお友達がいらっしゃるので、どうぞそちらで楽しんで下さいね。

**お返事はご容赦願います。よろしくお願いします。

#1185 2020年07月26日 07:04:30

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

友人になれないとはさみしいですね。マタイさまにも振られっぱなしですし。
多くの方はものみの塔学校の同窓生ではありませんか。皆さんOB.OGとして仲良くいたしましょう^_^まだ学校に行っている方もおられるようですが。

#1186 2020年07月26日 09:02:04

ぽんちゃん
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

マルコ さんの発言:

あなたは昔JWと長年研究をしていたけれど、何らかの理由があって司会者たちからサジを投げられたのですよね。それが20年以上前。

私は言うことを聞かなかったのでもしかしたらサジを投げられたのかもしれないですが、信者の皆さんでキャンプに行く時誘って下さったり、多くの方はとても気を使って下さいました。たまに声もかけて頂き、車で送って下さった方もいました。私が不登校になっただけです。

私は掲示板に事実を残したいだけですので、これは誰の返信でもありません。ご容赦を。

#1187 2020年07月31日 15:21:20

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「予習に来ました。次回のものみの塔は、“見えない宝への感謝を表しましょう(22)”で、4つの見えない宝、(1)エホバとの友情,(2)祈り,(3)聖なる力,(4)エホバ,イエス,天使が伝道で助けてくれること、に感謝して、伝道に励めという、感謝強要・伝道強要という内容です。」
「ということは、JWは、普通の人が得られない特別な宝に恵まれた人たちということ?そうは見えないけれどね。」
「JWは感謝しても感謝しきれないほど恵まれた人たちというのがこの記事の主張です。それを真に受けるJWは少ないと思いますが、自分たちの歪んだエリート意識を満足させる記事なのかもしれませんね。」
「その見返りに、感謝を強要されるわけね。しかも、その感謝の表明の仕方は、伝道という組織の要求するものでなくてはならないというのが面白いね。」

「3から6節が、“見えない宝 エホバとの友情”です。神様とお友達というのは宝ですね。」
「神様との友情とはなんなの?よく理解できない。」
「友情は対等な関係の間で育まれるものですよ。そうだとすれば神と人間の友情は理解しがたいですね。」
「3節に、“聖なる方であるエホバが,罪深い人間の友になれるのはなぜですか。イエスの贖いの犠牲が「人類の罪を取り去る」からです。”とある。それなら、イエス以前の人間は、神の友にはなれないはずだ。ところが、神の友とよばれたのは、アブラハムだけ。おかしいよ。」

「確かに、4節に、アブラハムは“エホバから「私の友」と呼ばれました。(イザ 41:8)”とあります。アブラハムはなぜ神の友と呼ばれたのですか?」
「理由は、創世記18章の話から。まずアブラハムの前に3人の男が現れる。その男に、“エホバ,私がもしあなたの好意を得ていましたら,どうか,私の前を通り過ぎないでください。”とアブラハムが言う。そして、3人に食事を出す。」
「3人の一人が神様だったわけですね。創世記18:22で、“ここで2人がその場を離れ,ソドムの方に向かった。しかしエホバはアブラハムの所に残った。”とあります。」
「つまり、アブラハムは神様を自分の住まいに迎えて食事を出した。古代中東では、このような関係の人を友と呼ぶ。だから、この出来事をもって、古代イスラエルではアブラハムは神の友と言われるようになったというわけ。現代的な友達という意味とは違う。」

「4節には、“ヨブも友と見られていました。”とありますが、そのようなことはヨブ記のどこにも書いていません。」
「執筆者の勝手な解釈だね。」
「“エホバは亡くなった友たちを復活させたいと願っています。(ヨブ 14:15)”とありますが、引照聖句にはそんなことは書かれていません。」
「ヨブ 14:15には“あなたは呼んでくださり,私はあなたに答えます。あなたはご自分の手で造った人に再び会いたいと願います。”とある。翻訳に問題があると思うけれど、この部分はヨブの願望が述べられているところ。こうだったらいいのにな、ということで、神様の願いが述べられているところではない。全くの誤読。」
「死者の復活という思想はバビロン捕囚以降、特にギリシャ文化の影響を受け始めてからのもので、ヨブがそのような思想を持っているわけありません。」
「引照聖句の一つ前のヨブ14:14では、“人は死ぬと,もう一度生きられるでしょうか。”とヨブは問いかけている。想定されている答えはNo!で、復活の思想はまだない。」

「5節に、“親しい友となれるのは,イエスの贖いの犠牲に信仰を持っているからです。贖いの犠牲があるので,エホバに献身し,バプテスマを受けることができます。”とあります。要するに、友になるには、JWとならなくてはいけないみたいです。」
「それなら、アブラハムもJWのバプテスマを密かに受けていたということ?」

「6節で、“エホバとの友情を宝と見ていることをどのように示せますか。”とあり、“エホバに仕え続ける必要があります。”、“エホバとの友情を命よりも大切にする必要があります。”と、命よりもエホバが大事と、危険なカルト教団らしいことをいっています。」
「神様との友情のために、輸血を拒否して死ぬ覚悟が必要なんだね。JWの神様みたいに要求過多な神様はいないよ。」

「7から9節が、“見えない宝 祈り”です。7節では、“エホバは友なので,祈りを聞くだけでなく,祈りに答えてくださいます。”とあります。」
「ここには、祈りに関する奇妙な理論が書かれている。7節に“祈りの答えは,一番良い方法で良い時に与えられます。もちろん,願った形で答えが与えられるとは限りません。”とあるね。となると、祈りの答えが与えられたというのは何を根拠にして、そういうのだろう?」
「餓死しそうな人が、食べ物をお与えくださいと祈ったが、何も食べられず餓死したとします。この記事によれば、この場合も、祈りの答えが間違いなく与えられたのですよ。ただし、願った形ではありませんでしたが・・・、ということです。」
「こんなことを言っているから、宗教はバカにされるんだよ。」

「また“試練を取り除くのではなく,「耐え切れるように」知恵と力を与えるという形で答えてくださることがあります。”のだそうです。グアテマラで、殺された日本人女性JWも、試練を取り除いてはくれなかったけれど、耐える力を与えてくれたのですね。その女性の家族は、エホバ感謝します、と言うべきなのですね。」
「無残に殺されても、祈りは聞かれたと強弁できるのなら、祈りは必ず答えられますと言っても問題ないということだね。JWの祈りに関する奇妙な理論を来週も期待したい。」

「8節に、“エホバは祈るよう強要したりはしません。私たちの自由意思を尊重しつつ,「粘り強く祈りましょう」と勧めています。”とあります。自由意思を尊重するという意味が分かっていなと思います。」
「JWの神様はまもなく自分に従わない人間を皆殺しにするわけだよね。そう脅しておいて、自由意思を尊重するなんて、あり得ないよ。人間に許されるのは“殺されたくないので、何でもいうことを聞きます。これは私の自由意志による決定で、決して強要されたものではありません。”と泣きながら言うことだけなんだ。」

「10から13節が、“見えない宝 聖なる力”です。“エホバは聖なる力を送り出すことにより,力を与えます。”とあります。HOLY SPIRITのことを聖なる力と訳しているのですが、聖霊と変える気はないようですね。」
「聖霊を聖なる力とするJWの教義は、聖書における聖霊という概念の複雑性を全く理解していないからだ。」
「JWのほとんどの教義は、複雑なものを単純化し、真実よりもわかりやすさを優先しています。信者獲得最優先の宗教ビジネスとしてはそれでいいわけですよ。」

「11節に、“聖なる力は,エホバから与えられた奉仕を果たせるよう助けてくれます。”とあるから、聖なる力は伝道活動などに限定されるようだね。」
「11節には、“聖なる力のおかげでクリスチャンとしての務めを果たせます。努力して良い結果が得られるとしても,自分の力で成し遂げたのではないことを認めます。”とあります。そのとおりだとすると、良い結果が得られないのは聖なる力が足りないということで、自分のせいではない、と言ってもいいわけですね。」
「良い結果だと聖なる力のせい、でも悪い結果だと個人の責任というのは不公正だろう。先進国で信者の数が減少傾向にあるのは、聖なる力が不足しているんだろうね。大会ホールや王国会館が売却されるのも、聖なる力が働いていないからじゃないの。」

「12節に誤訳があります。“心の中に間違った感情や欲求が”とありますが、any wrong thoughts or desires in our heartですから、“感情”ではなく“考え”ですね。」
「12節の後半に、“間違った考えや欲望に抵抗できるよう,エホバに聖なる力を祈り求めましょう。”とあるから、感情と訳すと、前半と一致しなくなる。こんな単純なミスをするような翻訳者を辞めさせるように電話しよう。」

「13節に“聖なる力の働きによって,世界中で850万人ほどの人がエホバを崇拝するようになっています。しかも,1つの家族のように結ばれています。”とあります。真実から遠いですよ。これはプロパガンダなので、ウソではないということなんでしょうね。」
「JWとほぼ同じころにアメリカで始まったキリスト教系の宗教で、JWよりはるかに信者数が多いものがある。モルモンは1500万人といっているし、セブンスデーアドベンティストは2000万人といっている。資金力も、それらに比べるとJWはだいぶ見劣りがすると思うよ。また、JWは数多くの訴訟を抱えている。聖なる力はJWにあまり働いていないようだね。」

「14から19節が、“見えない宝 エホバ,イエス,天使が伝道で助けてくれること”です。」
「14節に、“パウロは,自分や兄弟姉妹が「神と共に働く者」だと言いました。(コリ一 3:9)”というのは、引照聖句と合っていない。コリ一 3:9は、“私たちは神と共に働く者だからです。皆さんは,神が耕している畑,神の建物です。”だよ。ここはパウロとアポロのことを述べている部分で、私たちとはパウロとアポロのこと。パウロとアポロは対立する関係ではなく、共に働くものですと言っているだけ。」
「それ以外の人に向けて、“皆さんは,神が耕している畑,神の建物です。”といっています。“神と共に働く者”だなんていっていません。執筆者はろくに聖書を読んでいませんね。」

「15節に、“イエスは,「父が引き寄せてくださらない限り」誰もイエスの弟子になれない,と言っています。(ヨハ 6:44)”とある。確かに6:44では、“私を遣わした父が引き寄せてくださらない限り,誰も私のもとに来ることはできません。”とあるけれど、この聖句の意味は難解なんだ。ヨハネ12:32で、イエスは、“私の方は,地面から上げられたなら,あらゆる人を私に引き寄せます”と言っている。6:44との整合性が問題になる。」
「少なくとも、この記事のように神の超自然的な力が働かないと弟子にはなれないという意味ではなさそうですね。」

「15節には、使徒16章のルデアの話が出ている。“「エホバは彼女の心を大きく開いて,パウロが話す事柄を受け入れるようにした」とあります。”と書いた後、“何百万もの人がルデアのようにエホバに引き寄せられてきました。”とあるけれど、これはおかしいね。」
「ルデアは特殊な例です。同じことが何百万の人に起こったという根拠にはなりません。」
「特殊な事例を過剰に一般化するという、誤りだね。」

「16節に“伝道で良い結果が得られたら,パウロのように,エホバのおかげであることを忘れないようにしましょう。”と、良い結果が得られたら神のおかげと思えという説教ですが、これも信者の自己評価を下げさせて、組織依存型の人間を作ろうという意図ですね。」
「低い自己評価と強い罪悪感は、カルトが信者に植え付けようとする代表的なものだよ。そのほうが操作しやすくなるからね。」

「17、18節で、“エホバ,イエス,天使たちと「共に働[ける]」ことへの感謝を”を伝道活動で示せと要求している。JWの神様は絶えず見返りを求める神様だね。」
「もっと伝道しろという結論が先にあって、それにつなげる理屈を後から考えたという文章です。伝道で助けてくれることの感謝が、さらに伝道すること、という理屈が理解できません。」

「19節に体験談がでている。この体験談は、南アフリカの呪術医のもので、面白いよ。」
「ありきたりの話しのように思えますけど。聖書を学んで、呪術医を辞めました、というだけですよ。」
「面白いのは、“兄弟姉妹はいろいろと支えてくれました。仕事も見つけてくれました。本当にありがたいです。”という部分。呪術医に代わる新しい仕事を、JWが紹介してくれたことを、なによりも、まず最初に感謝している。」
「聖書レッスンと称して、JWの教義を教えるよりも、生活を支える援助の方がはるかに感謝されるし、必要とされているということですね。」

#1188 2020年08月01日 16:04:21

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「声を限りに呼びなさい。何しろ、エホバは神なのですから。エホバはきっと考え事をしているか、用を足しに行っているのでしょう。それか、眠っているので誰かに起こしてもらわなければならないのでしょう。」(列王記上18章)


「いえ、願った形ではありませんが私たちの祈りは聞かれました。私たちの神をバカにするようなあなたのあざけりに耐えられるよう、私たちのメンタルを宇宙最強の聖なる力で強めてくださいました。現に、私たちの信仰は失われていません。エホバは私たちを霊的に保護してくださったのです。エホバこそまことの神です。」

#1189 2020年08月02日 13:41:21

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ジョエルさんに紹介
http://www.cismor.jp/uploads-images/sit … MOR9j4.pdf

イスラエル出身の同志社の神学部のコヘン女史

コーヘンさんといえばレビ族でしたっけ。

ワタスは大変勉強になりますた。てつてつさんもドゾー tongue
やっぱり本家に聞くのが手っ取り早いですね・・


ワタスは大変反省しますた。今精神的に一杯いっぱいで余裕が無いのに妙に
ガツガツと焦るように調べてしまいました。

感想は適当にお願いします。

#1190 2020年08月02日 22:34:44

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ガッツさんどうもです。

リンクにアクセスしたら「もう一度ダウンロードしますか?」とマイパソコンに言われたのでおや?と思ったらいつかは思い出せませんが読んだことあるみたいです。


神の「分割」や「統合」は古くはユダヤ人ではマイモニデスやもっと古くは紀元前のローマの哲学者(名前忘れました)も考えていた問題らしいです。

「同じ神」なのに地域によってオリジナル性が発展することで分割したり、逆に統合されたりします。

それを広く解釈すると世界で崇められている神は分割された「同じ神」と言えなくもないです。誰かが、唯一神も多神も表裏一体で、唯一神を突き詰めると無神論に裏返ると言っていました。聖書などなかった頃の本当の最初期のクリスチャンはあらゆる「色づけされた神」への崇拝を拒否するゆえに無神論者だと揶揄されていたみたいですしね。

それが今では「聖書の」神なんていうお粗末な限定神をつくっちゃう始末です。キリストに怒られますよ。たぶんパウロにも。


ということで自分からもお返しに一つリンク貼ります。ヤハウェに女神いた説(笑)です。

https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repos … 650107.pdf


旧約をありのままに読んでも、捕囚前は多神が「共存」していたのは事実です。捕囚がヤハウェに背信したからだ(イスラム教と発想が同じ)と解釈されたので「共存」ではなく「背教」だと事後弾劾されているだけの話だと思っています。今度のその頑迷な一神教を作り上げたユダヤ人がジーザスに弾劾され・・裏の裏は表?

#1191 2020年08月03日 00:52:57

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

アシェラですね、夫婦神だったとか。産みの苦しみとか、どう考えても両性を感じますね。
一神教は無理がありますね。私もコヘンさんの資料を読んで、なるほどギリシャ~ローマ人が三位一体
を持ち出した理由がわかりました。ヒッタイトの宗教観から離れたかったのだと思うのですが巨大な波に
呑まれてしまいました。旧約聖書は肝心なところで言葉足らずだと思います。
このトピのタイトル深いと思いますよ。確かに一神教では色々矛盾が起きて限界があります。

#1192 2020年08月03日 17:19:08

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ヤハウェの同時に各地に臨在する問題は、神の分割の話ですが興味深い問題です。
YHWHが民族神なら神=宇宙の支配者という図式と合わないのですが
エルサレムを私の花嫁と呼ぶなど地域性が強く、ジョエルさんのおっしゃる通り、宇宙の
絶対神を強調するなら世界中で同時に多発的に臨在しなければならないのですが、日本や中国では
YHWHは一般的に知られていなかったですし。もしYHWHがそれでも唯一の絶対的神なら、神々の集合体
でないとまずいと思いますし、それだと多神教もしくは拝一神教で、一神教とは少し違ってきますね。
創世記でも”我々”と言っていますし、複数の書き手がいるせいでブレブレになっていて
混乱しますね。

#1193 2020年08月04日 06:20:42

万年研究生
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問様

いつも興味深く読ませていただいております
先々週の「神からのプレゼントに感謝していますか(21)」の水の循環の節にて
創世記1:7 それから神は空間を造り,空間の下の水と上の水とに分けた+。そのようになった。
から
創世記7:11 ノアが600歳だった年,第2の月の17日,空の泉から水が勢いよく流れ出し,天の水門が開いた+。
までの間、地上に雨がふらなかったとコメントがありJW LIBURARYで調べてもどうもはっきりしません。
あまりにトンデモに思えたのですが聖書の理解でここまで解釈できるものなのでしょうか?
よろしければご教授ください。

#1194 2020年08月04日 06:28:49

てつてつ
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

>地上に雨がふらなかったとコメントがありJW LIBURARYで調べてもどうもはっきりしません。

どこだったかはっきり覚えてないですけど 旧の進化と創造の本のどこかに大洪水までは雨がふらなかったという一節があったような気がします 虹が現れるようになったのは大洪水以降雨が地上に降るようになったからみたいなことが書いてあったような気がします
コメントとは以前の注解のことでしょうか そのコメントをされたのはかなり古い証人の方で以前のことを覚えていてそれからコメントされたのではないでしょうか ライブラリーには古い本はでていないのかもしれません

編集者 てつてつ (2020年08月04日 06:49:09)

オフライン

#1195 2020年08月04日 08:04:32

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ガッツだぜpart2 さんの発言:

おはようございます。
地球内部に大量の水?という事で最近、地球内部に地上の海の3倍くらいの水が
含まれていることがわかりました。
ノアの時代というのはさすがにどうかと思いますが
https://gigazine.net/news/20140613-big-ocean-in-earth/

プテラノドンなど中~大型の翼竜が空を飛んでいたことを考えると、大気の組成も
現在よりも酸素濃度が高かったのでは?と言われています。
まだ、太古の地球の大気組成については研究中です。

とは言え、創世記の異常に長命な人の寿命を考えると(ノアは950歳で没、計算の上ではアブラハムが生まれた時にはまだ生存、ノアの息子セムはアブラハムが死んだ時にも生存)
さすがに創世記自身の時間の感覚に疑問がありますので、そこは折り合いをつけて読めば良いのではないかと
個人的に思っています。

#1196 2020年08月04日 09:43:44

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

#1193の万年研究生さんの質問にお答えします。

ノアの大洪水以前は雨が降らなかったというのは、創世記2:5,6の

「地上に草木はなく,まだ何も生えていなかった。エホバ神は地上に雨を降らせておらず,地面を耕す人もいなかったからである。ただ,霧が地表から立ち上って地面を潤していた。」

からきています。これでは雨が降らなかったとしか解釈しようがありませんね。

「洞察」の「草木,草本」の項目には、

「やがて登場する植物に必要な水分を供給するため,エホバは霧が定期的に地から立ち上って地面を潤すように備えをされました。その備えにより,当時は雨が降らなかったにもかかわらず,草木は地上全体に繁茂してゆきました。」

とあり、雨は降らなかったというのがJWの公式見解です。

しかし、ものみの塔 1998年  1月15日号 『見えるところによらず,信仰によって歩む』では、

「それ以前に雨は降ったのでしょうか。聖書は何も述べていません。創世記 2章5節には「エホバ神は地に雨を降らせておらず」と記されています。しかしこれは,何世紀も後の人モーセがノアの日のことではなく,そのずっと前の事情を説明した箇所です。創世記 7章4節にあるとおり,エホバ神はノアに語られた際,雨に言及されました。そしてノアは,神の意図するところを理解したものと思われます。」

とあり、「聖書は何も述べていません。」と言っていますが、雨が降ったという考えに変えたようです。雨が降らなかったのは、すっと昔のことで、ノアの時代ではないと解釈を変更したわけです。

創世記7:4で、神はノアに「私は,7日後から40日間ずっと,昼も夜も地上に雨を降らせ,私が造った生きているもの全てを地上から滅ぼす。」といっています。その時、ノアは、「すいません、雨って何ですか?」と神様に聞き返すことはなかった、ということが根拠のようですね。つまり、その時ノアは雨を知っていたというわけです。

実際は、雨が降らない地球というのはあり得ないだろう、という常識が働いたのだと思います。空気と水があり、太陽光線がある環境では、水は暖められ、蒸発し、その蒸発した水は雨という形で地上に戻ってきます。

JWは100年以上も、ノアの大洪水までは雨は降らなかったと自信たっぷりに言ってきたのですが、現在の答えは、「さあ、わからないな。聖書は何も述べていないからね。」という情けないものです。JWの教義はよく変わるので、古参の信者の中にはついていけない人がたくさんいるでしょうね。

ついでに、創世記2:6は、JW訳では「霧が地表から立ち上って地面を潤していた。」となっていますが、この訳は問題があります。協会共同訳では、「水が地下から湧き上がり、土の面をすべて潤した。」です。これは、古代語の研究が進み、元のヘブライ語は「霧」ではなく「泉あるいは流れ」という意味であると、考えられるようになったからです。こちらの方が現実的です。

「洞察」にあるように、ノアの大洪水以前は、霧で地面が潤っていたと聖書に書いてあるというのは、間違いです。

#1197 2020年08月04日 15:52:48

万年研究生
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

聖書についての質問様 てつてつ様

回答ありがとうございます
記述の書籍の提示していただきよくわかりました。
古くからの人にとってはうかつに発言できませんね。
口を開く前に確認作業が必要なようです。
結局、真理を公にしているというわけではなさそうです。

#1198 2020年08月04日 17:41:42

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

↑どのみち泉でも霧でも虹の契約で引っかかると思います^^

ジョエルさん、ヤハウェは山の神だったんじゃないかというのをどこかで見ました^^
ヨルダン~トルコ~アフガニスタンは山岳地帯ですからね・・・
アブラハムが山でイサクを生贄に捧げようとする事自体、それっぽい気がします。

おおざっぱな感想ですが、伝説の中にも史実が混じっている事もありますので、全てを否定するというよりは
最新の研究を待った方が良いと思います。それでうまく生きていくためには、その場に合わせて
対応すればよいと思います。例えば、教会では「きっと真実が明らかになる」
世間向けには「雨降ってたに決まってんじゃん」
生きていくためには仕方ありません。 big_smile

ちなみに私はある事を考えていますので、聖書が寓話要素が多いとは思いますが全否定には反対です。

#1199 2020年08月04日 18:18:44

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

という訳でヤハウェ、エルシャダイ、山の神に一票。

#1200 2020年08月04日 19:43:34

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

ホセア書を読んでも、柱とティラフィムとエボデが並記してあり、崇拝の対象だった
ようにとれます。枝、アシェラとの関係もまだ完全には否定できないと思います。
エルというシュメールの神の名もガブリエル、ミカエル、エマニュエルのように
残っていて、ヨシュアのようにYHWHの名を用いたものと混在している様子が
読み取れるように思います。
そのことから、akameさんがトピをはじめに立てられた時に書かれたように
神は複数いて、やがて拝一神教になり、一神教になっていったと考えられます。
akameさんが神は複数とおっしゃられたのは、まさに深い洞察力を働かせられた結果だ
と思います。
akameさん、最初に気づかなくてごめんなさい。だから私は一方的な否定は無益であると
思います。全て正しいと考えるのも無益です。

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