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#1 2019年12月20日 22:01:25

てつてつ
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聖書という書物について

みなさんこんにちは ちょっと前に仰天さんが正宗トピの♯228


>パウロ書簡と使徒行伝に相違があるから信じられないというのがアーマンやてつてつさんの考えなわけですが、田川建三さんの書物としての新約聖書のP271〜272を見ても本文批評家でも様々な見解に分かれていて定かではありません。

書物としての新約聖書という本に言及していましたが 以前に一度ちょっと読んだだけでしたので もう一度読んでみたいと思いましたので また備忘録がてらに 自分の独断と偏見と恣意的なコピペをしていきたいと思います

あと確か田川さんは キリスト教関連の大変博識な方だと思いますが 自分は神を信じないクリスチャンだなどとうそぶいている べらんめえ調の書き方をする人だと自分は思っています また自分は断絶したのはものみの塔の教理と聖書が相容れないと思って断絶したのですが その後にこれ読んで聖書は神の言葉ではないと確信を強めたと思います「他にもあったと思いますが」
というわけで 聖書を神の言葉だと信じたい方やコピペの嫌いな方は適当にスルーされたら良いと思います

正宗のトピの方は大体自分のコピペしたいところは大体終わったと思います 多分あとはシュウイチさんのクリンチみたいな書き込みにできるとこだけ返事するくらいかなと思います

編集者 てつてつ (2019年12月20日 22:16:04)

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#2 2019年12月20日 22:27:32

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

田川さんの文書の例

仰天さん>田川建三さんの書物としての新約聖書のP271〜272を見ても

271ページ

すなわち、パウロの有名な「回心」の物語。熱心なパリサイ派ユダヤ教徒だったパウロは、ダマスコスに居るキリスト教徒を弾圧しようとして、そこに出かけて行った。その途中で、炎天下、多分日射病でも起こしたのだろうか、幻覚症状を起こす。つまり、パウロのつもりでは(またその伝説を信奉した使徒行伝の著者などのつもりでも)、そこで「生けるキリスト」に出会い、その声を聞いた、というのである(九・一’九)。この話、かなりな程度伝説化されているので、もちろんそのまま信用するわけにはいかないが、

などの表現からわかるようにパウロがキリストに会ったという場面も 日射病で幻覚でも見たのではないかなどといってると思います

あと 別の著書の イエスという男の中でも 122ページあたり

右の頬をなぐられたら、左の頬もむけてなぐらせるがよい、という有名なせりふがある(マタイ五・三九)。もともとは、一方の頬をなぐられたら他方もむけろ(ルヵ六・二九)、というせりふだったのを、ラビ的な言葉づかいの細かさを好むマタイが「右」「左」と厳密に規定し直したのだ、というのだが、そういう小さい言葉づかいは別としても、この言葉もまた、キリスト教的愛の精神の表現としてのみ解釈されて来た。これについては、詳しい解釈は別のところですでに発表したので、ここでは結論だけ述べるけれども、これは実はそのようなとりすました愛の倫理などというものではない。吉本隆明がこの一言葉を評して、 もしここに寛容をよみとろうとするならば 原始キリスト教について何も理解していないのと同じだ これは寛容ではなく底意地の悪い忍従の表情である といっているがまったくその通りだ、と言わざるをえない。

という理解をしている方です

編集者 てつてつ (2019年12月20日 22:31:12)

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#3 2019年12月20日 22:36:05

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

それでいい加減な人かなと思うかもしれませんが目次をみたらわかるとおり かなり広範囲にわたって調べてある内容の深い本かと思います

編集者 てつてつ (2019年12月20日 22:37:59)

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#4 2019年12月20日 22:44:14

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

まえがき

新約聖書という「書物」はともかく有名である。世の中に存在している「書物」の中で最も有名である、と言っても過言ではないだろう。日本の本屋さんでさえ、まずはどこに行っても片隅の棚に必ず置いてあるほどである。そして、学校の「歴史」その他の教科書などでも、当然誰でも知っているはずの書物として言及されている。しかし実際には、さて、新約聖書とはいったい何だ、と思って厳密に知ろうとすると、意外と何もわかっていないことに気がつく。それを調べようと思って、参考書をいくつか当たってみても、多少の断片的な知識は提供されても、こっちの知りたいことになかなか答えてくれていない。


新約聖書とはそもそも何なのだ、という問いにはちっともすっきり答えてくれない。いや、キリスト教徒であっても、狭義の専門家でない人々は、さて自分もキリスト教徒として生きて来たけれども、これまで毎日つきあってきた新約聖書とは、あれはいったい何なのだろう、という問いを持った時に、同じ問題に出くわすのである。


本書は、及ばずながら、そういう問いに答えようと思って書いた。多くの読者にとって、新約聖書に関してまずお知りになりたいであろう事柄を。新約聖書とはいったいどういう書物なのか。そもそも最初から書物だったのか。新約聖書が一冊の書物となったのは、いったいどういう現象なのか。今でこそあちこちの本屋の店先に並んでいるとはいえ、もとは二千年前の文書である。それがどのような仕方で伝わったのか。我々が手にしているのは、どこまで二千年前の原文と同じなのか。いったい、どういう人たちがどういう仕方で書いたのか。誰でもが古代のギリシャ語で書かれた原文を読むことができるわけではない。とすれば、翻訳で読むしかないが、さまざまな翻訳が巷にあふれている。いったいどの翻訳があてになるのか。「教会」の御推薦の翻訳ではあっても、それは現代のその教会の立場を組み込んだ翻訳であるとするならば、これが原文に最も近いと安心して読むことのできる翻訳をどうやって見つけたらいいのか。だから、本書の読者対象は、日本語で読書をなさる方々の中で新約聖書とは何であるのか正確に知りたいと思っておいでのすべての方々である。

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#5 2019年12月20日 22:49:12

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

本書をお読みいただければおわかりいただけるように、新約聖書の全体とは、新約聖書の個々の文書とその中身を離れた、後の時代のキリスト教の問題だからである。つまり、それらの個々の文書を集め、まとめて一つの書物となした、それはいったいどういうことだったのか、という問題である。時代から言えば、個々の文書は一世紀半ばから二世紀前半のキリスト教を代表するが、全体をまとめて新約聖書という書物にしたのは、二世紀後半から四、五世紀にかけての正統派キリスト教の問題である。だから、ややきざな言い方をすれば、新約聖書の全体を扱うのは、新約聖書研究の範囲にははいらない。「新約聖書」とは新約聖書よりも後のキリスト教史の問題なのだ。だから通常の「新約聖書概論」では、ここで扱う諸問題は本論の中に入れられず、序説ないし補遺、補足として扱われてきた。しかし、多くの読者にとっては、まずそのことをお知りになりたいはずである。本書では従って、その問題を独立させて一つの書物にすることにした。伝統的な言い方で名前をつければ、だから本書は「新約聖書概論序説」ということになる。

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#6 2019年12月20日 22:55:52

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

第一章は大筋はハンス・フォン・カンぺンハウゼンに添っているものの、たとえば初期キリスト教における旧約聖書の扱いと新約聖書の正典化の関係とか、テオドール・ツァーンにきっかけを得ているけれども、正典化と巻物・コデクスの関係とか。あるいは第三早ではカイサリア型の扱いなどマルコ福音書の研究に特に力を注いできた者でないとこういう書き方はしないだろうし、個別の個所の正文批判となれば、むろん誰が書いても同じというわけにはいかない。その第三章で扱ったギリシャ語テクストの出版や第四章の翻訳の問題について、それを現代の帝国主義の世界支配の中で生じた現象として見るようなことは、本当は多少事情を知っている者にとっては見え見えの常識でありながらも、このようにはっきり指摘して分析するようなことは、「新約聖書概論」という範嬬ではほかの著者はなかなか手を出さないだろう。第四章の翻訳の問題となれば、これはいやでも著者の個性の現れざるをえないところである。その他いろいろ。以上のようなさまざまな目的を追求した結果、どうしても頁数がふくらむのを避けることができなかった。その結果、このように高価な本になってしまったことをお詫びせねばならない。これは、本書を執筆していた間じゅうずっと悩承つづけていたことである。最初の目標は四百頁を超えないことであった。それならば、若い読者のふところにとってもあまり無理のない定価となっただろう。しかし、これでも実は下書きに書いたことを二、三百頁は削除してやっと七百頁にまとめたのである。新約聖書について読者がお持ちになるかもしれない疑問に一つ一つ論拠をあげながら対応し、必要な素材はなるべく省略せずに提供する、ということを目指すと、やはり、概論として有効に利用していただくためには、これ以上削除はできなかった

編集者 てつてつ (2019年12月20日 23:04:32)

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#7 2019年12月20日 23:01:12

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

「新約聖書」とはいったいどういう書物であろうか。と、問われても、簡単には返事のしようもない。もともとは、これは一冊の書物ではなかった。それぞれ別々の、ほとんどは相互に直接の関係もない、相互に相当程度異なる、しばしば相互にかなり矛盾することもある、由来も著者も異なる二七個の異なった文書であったのだ。それが後になって、西暦一世紀後半から五世紀までの間に、つまりそれらの文書が書かれてから三百年もしくはそれ以上かかって、徐々に集められ、一つにまとめられて、正統派のキリスト教会の正典とされたのである。だから、書物の中身から言えば、一世紀(ものによっては二世紀前半)のキリスト教文書の主なものを集めた文書集にすぎない。全体としてのまとまりも、統一性もない。しかしキリスト教会の伝統的な建て前からすれば、これは聖書であり、正典である。つまり、当然、全体としてまとまった、統一性のある書物でなければならない。1冊の書物」でなければならないのである。その「書物」に「新約(新しい契約)」という名前がつけられた。
しかし、それらの個々の文書の著者たちは、自分が書いた文書が、数世紀後になって、自分がほとんど知らない、あるいはまったく知らない、他の著者たちの書いた、しばしば異質でさえある他の多くの文書と一緒にされて、一冊の書物にされる、などということは、想像もしていなかっただろう。だから、「新約聖書」という現象は、その中身の文書とは関係のない、後世のキリスト教史の現象である。それは、大ざっぱに言って、後二世紀半ばすぎから五世紀にかけてのキリスト教史の出来事である。知らない人には奇異な表現と思われるかもしれないが、「新約聖書」という現象は、そういう意味では、一つの歴史上の過程なのである。もともとは「聖書」でも「正典」でもなかった諸文書が、歴史の流れの中で、一つの「聖書」、一つの「正典」としてまとめられていった過程である。その過程を、我々は通常「正典化の歴史」と呼んでいる。
言葉を代えて言えば、新約聖書という書物の「成立」の歴史である。
さて、ここまではいわば常識である。そんなことは、キリスト教について多少の知識のある人ならば、誰でも知っている、と言える程度の常識であろう。私もそう思っていた。しかし、よく考えてみると、わけがわからなくなってくる。もちろん、正典化の歴史そのものについては、主な事実はすでによく知られているので、こと事実に関する限り、以下この章に記すことは、いわば学界の常識をなぞりなおしているだけであって、また、その常識が今後大幅に改められることもまずあるまいと思われる。結論は非常にはっきりしているのである。しかし、そうであればあるだけ、わけがわからなくなってくる。それではいったいキリスト教とは何であったのか

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#8 2019年12月20日 23:11:10

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

もちろん、これだけの文書をまとめて正典とする、ということを、この時期になってはじめて人々がぱっと思いついたというわけではない。そこにいたるまでには、確かに、長い過程があった。それが正典化の歴史であるが、これには主として2つの要素がある。つまり一つは、そもそもキリスト教会として新約正典なるものを持とうという発想。そういう考え方が出て来なければ、どの文書を正典としようかという議論もありえない。そういう発想をキリスト教正統派が史上はじめて持つようになったのは、せいぜい2世紀後半のことである。第2に今度はその発想に基づいて、ではどの文書を正典として採用しようか、という作業がなされることになる。しかしこの作業には意外と時間がかかっている。おそらくは、新約正典を持とうという発想そのものが、有力なキリスト教会指導者の何人かがその発想を持ったとしても、それが全教会的に定着するには時間がかかったであろうということと、特に、一つ一つの文書の評価がなかなか定まらなかったから、ローマ帝国支配下のほぼ全域に、つまりすでに非常に広く地中海世界とその周辺にひろまっていたキリスト教会のすべてが(少なくともその正統派のすべてが)、一致してほぼ同一の文書のリストを認めるようになるまでには、相当な年月を、つまり、二世紀末から四世紀末まで、およそ200年もかかってしまった、ということである。正統派の内部でも、新約正典を持とうという基本的発想においてはほぼ一致したとしても、具体的内容については、一人一人また土地土地によってかなり意見が異なっていた。それらの意見が200年かかってだんだんと調整、淘汰されて、ようやくこの二七の文書に整えられたのである と 以上はほぼ常識である しかしそうだとするとキリスト教とはそもそもなんだったのか われわれがキリスト教としてなじんでいるもの つまり聖書を基盤としてその上に成り立っているはずの宗教は実はせいぜい二世紀末ごろからのものあるいは4世紀からの現象にすぎない


しかしキリスト教なるものが誕生してからはじめの150年近くの間は 彼らはまだ 新約聖書なんぞもっていなかった とすればかれらにとっとキリスト教とは一体なんであったのか 現代の我々ならばキリスト教とは何かと聞かれれば、とりあえず、まあ聖書を見て下さい、と答えればすむけれども、彼らはそうはいかなかつた。 まあ、それぞれが自分の信じていることこそがキリスト教だと思っていたのだろうけれども たとえば、あのパウロなどは非常に自信過剰だったので、自分がしゃべって歩いていたことを「私の福音」と呼び、これこそが本物のキリスト教だと確信していた。しかし、パウロ一人がそう思っていたとしても、当時のキリスト教の中では彼に反対する流れは非常に強かったし、やはり、キリスト教会全体として、これこそがキリスト教であるということを教会外の人たちにどうやって示すか、ということが必要であったはずである。そしてそれは、単に他に対して見せるというだけでなく、自分自身がどう納得するかという意味で、もっと重要だったはずである。ところが、個々人または個々の集団の確信は別として、キリスト教会全体に通用するものとしては、そういうものは存在していない。

編集者 てつてつ (2019年12月20日 23:28:07)

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#9 2019年12月21日 06:04:33

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

誰がバート・D・アーマンを信じても一向に構わないのですが、バート・D・アーマンの説や推測だけを信じて信頼するのは日蓮や正宗だけを信じるのと同様に危険な場合もあるのではないでしょうか。

聖書正典の歴史についてですが正典というものは、これを正典にしようと言って正典になったわけではなく、元から正典としての価値が認められていたものを再確認して正典として定めたのです。

例えば、モーツァルトの名曲は誰かがこれを『名曲』にしようと言ってはじめて名曲になったのではなく最初から名曲だったのです。

つまり、聖書正典は、長年の間正典として知られてきたものを再び確認したという事に過ぎません。

早い段階である程度正典として認められていた書を除いていくつかの書が正典に含まれるかどうかという事は言われていたものの、それらの数は限られたものでした。


正典化に長い年月がかかったという事は、誰々の手紙、或いは福音書とあればなんでもかんでも聖書に含めたのではなく、慎重にしっかりと基準によって判別されてきたとも言えるのではないでしょうか。

新約聖書の正典について聖書入門から転載します。


(1) 初期の信者たちの認識を見てみましょう。①ペテロはパウロの手紙に権威を認めています(ペテロの手紙 第二 3:15~16)。②パウロの手紙は、諸教会に回覧されていました(コロサイ人への手紙4:16、テサロニケへの手紙 第一 5:27など)。その権威が認められていた証拠です。

(2) 次に、教会教父たちの認識を見てみましょう。①ヒッポリュトス(Hippolytus)(紀元170~235年)は、22巻を、霊感を受けた書として認識していました。②正典に含めるべきかどうかで論争のあった5巻は、次のものです。ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペテロの手紙第二、ヨハネの手紙第二と第三。

(3) その後、ヒッポ会議(393年)、カルタゴ会議(397年)によって、現在の27巻が新約聖書の正典として認定されます。認定の規準は、以下のようなものです。①著者は、使徒か、使徒と関係の深かった人か。②教会全体から受け入れられているか。③正統的な教理や教えと矛盾しないか。④聖霊による霊感を感じさせる霊的、倫理的価値を含んでいるか。

(4) ここで注意すべきは、正典の範囲を教会会議で決定したということではないという点です。そうではなくて、信者たちがすでに正典として認識していたものを、教会会議で正式に確認しただけのことです。正典化の過程に神の守りと導きがあったことは明らかです。

いつの時代にも、神の権威を認めない者はいます。不信者の声に耳を傾けるのではなく、正典化の過程で働いた神の守りと導きを認め、安心して聖書を開いてください。

(答えた人:牧師 中川健一)



聖書の成り立ちについて教えてください。 | 聖書入門.com
http://seishonyumon.com/question/423/

#10 2019年12月21日 08:46:00

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

仰天さん書き込みありがとうございます 仰天さんのツッコミは必死だと思っています kiss
お返事できないところもたくさんあると思いますが 自分は自分の思ったこと書いていきますので 仰天さんも自由に書き込みお願いします

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#11 2019年12月21日 09:07:59

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

おはようございます。
ぜんぜん必死ではないですけどね(笑)

片方の意見しか紹介しないのがてつてつさんらしいです。

#12 2019年12月21日 09:21:21

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

すみません表現が悪かったようです cry

必死というのは 一生懸命とか全力でという意味ではなく

かならずあるだろうという意味で使いました またよろしくお願いします お手柔らかに kiss

編集者 てつてつ (2019年12月22日 12:09:45)

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#13 2019年12月21日 14:38:51

うめおばさん
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

ラハムさん。人が信じるものは、自由なのに、すみませんでした。脱エホバの証人後遺症になっているのだと思います。

#14 2019年12月21日 15:01:10

うめおばさん
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

投稿欄間違えました。

#15 2019年12月21日 15:12:50

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

うめおばさん仕方ありません。エホバの証人は徹底して反三位一体論を植え付けられるのですから。

#16 2019年12月21日 16:27:33

ラハム
メンバー

Re: 聖書という書物について

うめおばさん さんの発言:

投稿欄間違えました。

全然大丈夫です、気にしない、気にしない。
お返事は「脱塔」のほうに書いておきました。
仰天さん、フォロー、ありがとう…。

オンライン

#17 2019年12月21日 16:33:23

ラハム
メンバー

Re: 聖書という書物について

聖書の読み方について、
てつてつさんは「聖書学者」、
仰天さんは「聖書信仰者」なので、話はかみ合わないでしょう。
わたしもいろいろな情報からこの違いが分かってきました。
新しい発見は、また書き込みます…。

オンライン

#18 2019年12月21日 17:30:55

仰天
ゲストユーザー

Re: 聖書という書物について

ラハムさん、こんにちは。
聖書学者でも信仰のある人もいますが、確かに学者は信仰がなくてもなれますね。

ですが、聖書の中ではクリスチャンは天の国の事を学んだ学者だと言われています。


マタイによる福音書/ 13章 52節
そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

#19 2019年12月21日 21:31:08

てつてつ
メンバー

Re: 聖書という書物について

(啓示 22:18, 19) …「わたしは,すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。19また,この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,すなわち,この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。

という聖句について

19ページあたりの解説をみますと


まず第一に、「何もつけ加えたり、削ったりしてはならなどという言葉であるが、これは有名な表現である。例えば、ヨハネ黙示録一三・一八’一九に出て来る。つまり、黙示録の結びの言葉であるが、私訳で引用しておくと、「この預言の書の言葉を聞くすべての人に対して、私は警告しておく。もしも誰かがこれにつけ加えたりしたら、神がその人に、この害に書かれている災害をつけ加えることになろう。また、もしも誰かがこの預言の害の言葉から削ったりしたら、神はその人の受くべき分を、この書に書かれている生命の木と聖なる都から削ることになるであろう。この表現は古代オリエント世界全体に広く広まっていて、要するに、これは宗教的タブーである、ということを宣言しているのである。たとえば律法の戒めなどは神の定めたものであるから、宗教的タブーの最たるものである。旧約聖書でも申命記四章二節に出て来る。「私(神)があなたがたに命じる言葉につけ加えてはならない。また減らしてはならない。」この言葉づかいの伝統を考慮すれば、黙示録の著者がその書物の最後に「つけ加えても削ってもならなどと宣言したとしても、それは別に、自分の書物は正典的な権威を持っているよ、などと宣言しているわけではなく、単に、これは聖なる、神的な預言なのだ、と自分の書物を権威づけているにすぎない、ということがわかる。


というわけで自分は証人時代にこの聖句は自分たちが今もっている聖書が完全な形をした神の言葉なのでここからどんな言葉も付け足しても取り去ってもいけないみたいに教えられていたように思いますが  こいつ「黙示録のこと」はすごいからしっかり覚えとけとよ! というこの時代特有の言い回しなだけだったようですね  それはそうですよね 黙示録の筆者が現代の聖書にどの書が入るかなんて知るはずもありませんから cry

編集者 てつてつ (2019年12月21日 22:15:06)

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#20 2019年12月21日 21:58:18

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

あと個人的な考えですが 自分たちが今キリスト教だと思っているものは イエスという男性の言い伝えと旧約の部分の話がギリシャ地方を経由してヨーロッパに広まったものが日本に入ってきたものだと思います

元ネタは同じでもアラビア方面に広がったのがイスラム教だと思っています

それで元ネタは同じでもそれが伝わっていく過程で人間やその土地の昔からある概念や習慣などによって色々な形に変化すると思います

前に見たビデオのエチオピアのキリスト教なんかも興味深いです
シバの女王とソロモン王との間にできたメネリクがエチオピアの創始者になってるみたいです kiss

編集者 てつてつ (2019年12月22日 08:13:42)

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#21 2019年12月22日 08:23:26

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

33ページあたり

ユダヤ教を批判的に克服したはずのキリスト教が、唯一の聖書としてユダヤ教の正典を保持しつづけたのである。もっとも、この場合、キリスト教徒にとってこの「書物」がユダヤ教徒にとってと同様の、厳密な意味での「正典」であったかどうかは微妙な問題で、議論に値することであるが(後述参照)、ともかく、はじめの200年近く、キリスト教徒は旧約聖書以外に自分たちの定冠詞つき書物」を持たなかったのは確かである。そこでどうしても、初期キリスト教に正確な意味での正典があったのか、という問いが重要な問いになってくる。

しかし、もしもそういうことになると、これまでのキリスト教の考え方に慣れている人は困ってしまう。それではキリスト教とはいったい何だったのか、ということになってしまうからである。
しかし実は、キリスト教が非常に強度に正典宗教として自覚されるようになったのは宗教改革以来のことである。確かにそれまでも、古代末期以来、キリスト教会は新約正典を持ち続けてきてはいるけれども、キリスト教成立の唯一絶対の根拠を、非常に強調して、「聖書のみ」に置こうとしたのはマルチン・ルターにはじまるプロテスタント教会の自己意識なのである。そして、カトリック教会もそれに呼応して、いわゆる「反宗教改革」以来、正典宗教的な色彩を強めていった。「反宗教改革」という日本語の名称が誤解を呼ぶので、これは、カトリック教会が宗教改革と正反対の保守化に走ったということではなく、プロテスタントの宗教改革と拮抗するために、自分たち独自の改革を押し進め、カトリック教会の近代化をはかった、ということである。個々の点ではいろいろあるけれども、全体として見れば、当時にしては、相当に進歩的な動きであったのだ。それはともかく、キリスト教と言えば「書物の宗教」、という常識が定着したのは、実は宗教改革以降であったのだが、それにしても、その後すでに五百年近くたっているので、すっかり常識化しているように思える。だが、この常識が信仰として信じられるためには、キリスト教ははじめからそうだったのだ、ということでないと、信仰にはならない。今まではそうではなかったが、これからはそうしましょう、などというのでは、宗教的権威にはなり難い。宗教改革の人たちが主張したのは、キリスト教は本来聖書の宗教だったのに、中世になってカトリック教会がそれをねじまげたから、自分たちは元にもどるだけだ、ということだった。カトリック教会の方は、自分たちはそれをねじまげたわけではない、と言って、ヴルガータ聖書の権威を確立しようとしたのであるさて、こういう「常識」が信仰として確立しているところで、今ごろになって歴史の事実が正確に明らかにされて、いや本当ははじめ200年ぐらいはキリスト教は正典宗教ではなかったのですよ、などと指摘されると、伝統にしがみつこうとするキリスト教神学者は困ってしまうのである。その困惑を、今日世界に流布している代表的な「新約聖書概論」の書物に見ることができる。それぞれ学問的な水準も高く、非常にすぐれた概論であるのだが たとえばカトリックの学者が書いた概論の代表作であるヨーゼフ・シュミート彼は、その章の最初の文を次のせりふでもってはじめている。「キリスト教会はその成立のはじめの日から、聖なる、霊感を受けた文書の正典を持っていた。つまり旧約である。」つまり、キリスト教が新約正典を持つにいたったのはかなり後のことであるにせよ、少なくとも旧約聖書は持っていたのだから、キリスト教はやはりもともと正典宗教だったのだ、というのだ。しかし、そこまで言うのは、いくらなんでも言い過ぎである。
それに対し、こちらはプロテスタントの学者であるが、フィールハウァーは非常に慎重なものの言い方をしている。彼は正典化の歴史については文字通り附録的に、巻末にほんの少しふれているだけだが(八百頁もある本の最後の僅か一三頁)、その中で、新約の諸文書が正典化されたのはずっと後のことだ、という事実を指摘したあと、「しかし、若きキリスト教は聖書なしだったというわけではない」(七七七頁)と述べている。つまり、キリスト教会としてはっきり聖書を持っていたわけではない、という事実をごまかすわけにはいかないが、かと言って、一応旧約聖書を権威ある書物として持っていたのだから、ともかくも「聖書なしだったというわけではない」と、微妙な二重否定の言い方をしているのである。この二重否定は意味深長である。

編集者 てつてつ (2019年12月22日 08:28:01)

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#22 2019年12月22日 08:30:14

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

ここで「正典としての権威」ということを厳密に考えていただく必要がある。尊重すべき重要な書物ということと、正典としての権威ということは違うので、正典とは、それによって自らの信仰が、信仰だけでなく生活のすべて、考え方のすべてが測られなければならない絶対的な基準である。正典には絶対不可侵の正しさがあるはずなので、それに合わせて自分の考え方のほうをすべて変え、整えていかねばならないはずのものである。それに対して、これは非常に重要な、立派な書物であるから、全体としては大いに尊重いたしますが、しかしこの部分は間違っていますよ、というように、たとえ部分的にでも批判を加えてしまったら、それはもはや正典ではありえない。そういう意味で、旧約聖書が初期のキリスト教会において非常に尊重され、重要視された書物であることは間違いないけれども、正典的な権威を持っていたかどうかとなると、これは大いに疑問なのである。結論的に言えば、キリスト教徒にとって「旧約」は権威ある重要な書物であっても、正典ではなかった(もっとも、その点も個々の著者によってずい分差があるけれども)。むしろ、新約正典が確立するに及んで、旧約の方もそれと並ぶ二大正典の一つとして位置づけられるようになったのである。しかしそれでも、旧約が新約と同等の意味でキリスト教会の正典たりうるわけはないから、旧約正典の位置づけは、その後のキリスト教会にとっても、のどにささった刺のような厄介な問題でありつづけたのである。

編集者 てつてつ (2019年12月22日 08:31:13)

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#23 2019年12月22日 08:56:05

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

そうすると、大きな流れとしては、キリスト教会ははじめのうちは旧約聖書をユダヤ教から継承し、これをユダヤ教徒と同様に定冠詞つぎで「書物」と呼んでいたけれども、厳密な意味での正典というわけではなかった、ということになる。その点で、前に引用したフィールハウァーの次の説明は当たっている。彼は、出発点のキリスト教は「聖書なしだったというわけではない」という奥歯にもののはさまったような言い方をしていたが、それを補なって、キリスト教会は「実際には旧約聖書を副次的、補助的にしか用いなかった」と指摘している(七八○頁)。実際においては副次的な価値しか持たなかった、というのは正しい。しかし、そう言うのなら、ここでもカン・ヘンハウゼンの説明の方がはるかにすっきりとすぐれている。「キリスト教世界にとっての旧約聖書は、もはやそれまでユダヤ教徒にとってそうであったような意味での正典的書物ではない。ユダヤ教会堂においては律法と「書物」は権威そのものであったが……、教会においてはこの古い書物と並んで、それ以前にまず、キリストがあった。キリスト教は厳密な意味ではもはや書物の宗教ではなかったのである」(五頁)。フィールハウアーが「副次的」と言うのは、要するに護教的論争的な手段としてのみ用いた、ということである。自分たち自身にとっての信仰の根拠はあくまでも「キリスト」である。信仰者にとっては復活し、今も生けるキリストこそが唯一の権威であって、本質的にはそれ以外に何の権威も必要としない。しかしこのキリストまさに生ける権威であるから、「書物」ではない。そして、信仰者にとっていかに「生ける者」であるとしても、外部の者にとっては、何も見えない。だから、外部と論争し、信者以外の人たち、特にユダヤ教に対して自分たちの新しい宗教を護教する時には、「ほらここにこのように書いてあるではないか」と論争的な手段として旧約聖書を用いたのである。それはまた、狭義の論争だけでなく、自分たち自身にとってもある程度納得するための根拠にもなっただろう。パゥロのような場合を例外として、最初期のキリスト教の他の著者たちが旧約聖書を用いるのは、ほとんど予言成就の図式に限られるという事実もこのことをよく示している。キリスト教がみずからを護教する主たる相手がユダヤ教からギリシャ・ローマの伝統思想へと交代していった二世紀においても、この事情は変らなかった。旧約聖書の権威に依存することは、ギリシャ・ローマの伝統に対してみずからを権威づけるのに大いに役立ったのである。ローマ帝国支配下の都市に住む知識人を相手に新しい宗教として進出するためには、手ぶらでは説得できない。彼らがまったく何も知らないイエスという人物が神の子であって、そのイエスを復活させた神を信ぜよ、などと説教しても、通じるものではない(パウロのアレオパゴス説教11使徒行伝一七章11が失敗した理由である)。旧約聖書という、当時にあっても群を抜いて古い書物の権威によって自分たちは保証されているのだ、ということではじめて説得力を持つ。古代世界において、書物、それも昔からずっと存在してきた書物の持っていた権威は、ふつう我々現代人が想像するよりもはるかに大きい。加えて、実質的な内容としても、旧約聖書は西洋古代の書物の中でも、ぬきんでてすぐれていた。確かにその大部分は絶望的にごりごりのイスラエル民族主義の主張と偏見のかたまりである。しかしその点は古代の他民族においても同様だった。旧約聖書の中には、他方で、それを超えたすぐれた思想もまた、多々提供されているのである。唯一絶対神の信仰、天地万物の創造者なる神への信仰、ギリシャ・ローマの伝統思想よりもはるかにすぐれた倫理性、等々において、キリスト教はやはり旧約聖書の継承なのである。さらに、すでにギリシャ語のユダヤ教が旧約聖書を広く普及させながら宣教につとめていた。その基盤を利用しない手はない。だから初期のキリスト教の成功は旧約聖書なしでは考えられなかった。しかも、旧約は彼らにとって、信仰の決定的根拠たる正典ではありえなかった。いわばキリスト教信仰の前段階の保証でしかない。自分たちの信仰の定的根拠は旧約聖書の外にあるので、それはむしろ旧約聖書を否定克服したものである。しかし、自分たちが持つことのできた唯一の権威ある書物は旧約聖書だけだった。そこに古代キリスト教の自己矛盾があったのだ。しかもそれは、解消すればみずからが消滅してしまいかねないような類の自己矛盾であった。フィールハウアーの「聖書なしというわけではなかった」という奥歯にもののはさまった言い方は、そのことを指している。
ここまでの流れをまとめると、キリスト教の出発点において、イエスもパウロも、基本的な資質はずい分異なるけれども、それぞれの仕方で非常に徹底的に正典宗教たるユダヤ教を克服しようとした。キリスト教は正典宗教として出発したのではなく、正典宗教を克服するところから出て来た新興宗教なのである。新興宗教はそれまでの過去に存在していた権威に最終的な基準を置かない。現在と未来に生きようとする。その新興宗教であったキリスト教が、いったい、いつ、どこで、また再び正典宗教になってしまったのか。そうならざるをえない必然性はどこにあったのか。旧約聖書に代表されるユダヤ教を克服したところで出て来たはずのキリスト教が、旧約聖書だけを唯一の権威ある書物としてかつぎあるく、という矛盾した状態は、かなり長い間続いたものであるが、しかし、いつまでも続けられるものではない。それがキリスト教が新約正典を必要とした大きな理由の一つであろう。旧約聖書だけを唯一の権威ある書物として持ちつづけるという矛盾を解決するためには、みずから新約正典を確立する以外になかったのである。
もちろん、新約正典成立の理由はそれだけではなかっただろう。むしろ主たる理由は他に探さねばなるまい。新興の力に満ちて熱のこもっていた最初の百数十年はともかく、それ以上持続するには、固定した正典を必要とした、ということか。そしてそれは、この段階になってはもはや、自分たち独自の、つまり「新約」の正典でなければならなかった。しかし、そこにいたるにはまだ紆余屈折を経るのである

編集者 てつてつ (2019年12月22日 09:06:50)

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#24 2019年12月22日 10:35:01

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

異端から正典がはじまる マルキオン聖書

要するにどういうことかと言うと、正統派のキリスト教よりもマルキオンの方が実は一歩先んじて、「純粋」なキリスト教を実現してしまっていた。つまりマルキオンによれば、キリスト教徒が旧約聖書を権威としてかつぐのは間違っている。旧約聖書というのは、あれはもう克服された宗教ではないか。すでに自分たちが克服したはずのものを自分たちの絶対的権威にするわけにはいかないだろう、ということである。その意味ではマルキオン及び彼の信奉者たち(マルキオン派)は、キリスト教の出発点の思想をまことに素朴に忠実に信奉しようとした、と言える。そこでマルキオンは、旧約聖書的な要素を一切排除する代りとして、キリスト教独自の文書を正典として確立しようとした。これが自分たちの聖書だよ、と自他共に確認できるようなものを確立しようとしたのである。つまり、すべてのキリスト教の中で新約正典をはじめて持つにいたったのはマルキオン派なのだしかも彼らは、旧約聖書を排したから、新約のみを唯一の聖書として持った。もちろんまだ「新約聖書」という名前もなかったし、マルキオンがそこに含めた文書の数は後の正統派の正典とはかなり異なっていたけれども、ともかく、キリスト教史上はじめて新約正典を持とうという発想を持ったのも、ましてそれを実践したのも、マルキオンだったのである。これを今日学者たちはマルキオン聖書と呼んでいる。

編集者 てつてつ (2019年12月22日 10:36:30)

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#25 2019年12月22日 10:46:45

てつてつ
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Re: 聖書という書物について

このように説明すると、マルキオンとマルキオン派はキリスト教を本当にキリスト教そのものとして狭く純化した、と思われるかもしれない。事実そうにはちがいないのだが、新約正典を持つことによって、マルキオン派はそれまでとはちがった別の矛盾を、みずから意識することなしに、かかえこむことになった。すなわち、それまでのキリスト教は、いかに旧約聖書を「唯一の書物」として保ちつづけていたとはいえ、正典宗教ではなかった。すでにくどく述べたように、初期キリスト教にとっての旧約聖書の位置ははなはだ微妙なものであったし、またそれだからこそ彼らは、曲がりなりにも、正典宗教たるユダヤ教を克服した新しい宗教としてみずからを持続できたのである。いかに旧約聖書を保持しているからとて、キリスト教のキリスト教たるゆえんのところは約聖書には書いてない。彼らは自分たちの信仰のその中核的部分は文書に固定せず、生ける信仰として保ちつづけた。正典によって固定的に縛られることはしなかったのである。旧約聖書を持つことによって、聖書を持つ宗教としての長所を実現しつつ、他方では、肝心の中核的部分においてはうまく正典宗教にならないようにしてきたのである。これはほとんど芸当的な綱わたりであったが、しかし、それがまた、キリスト教を当時の地中海世界において爆発的に成功させた理由でもあった。しかし、その状態をいつまでも続けることは不可能である。出発以来百年もの長きにわたってその状態を続けてきたというだけでも、すでに驚異的なことである。マルキオンは、その無理を解消するために、旧約聖書を捨ててキリスト教独自の正典を確立しようとしたけれどもそのためにせっかくユダヤ教と決定的に決別しようとしながらユダヤ教の最も重要な点すなわち正典宗教という基本的性格をキリスト教の中に確立しようとする結果になったのである

長い目で見るとそういうことだが、その当時の状況に目を据えて見て承ると、マルキオン派はともかくはっきりと「これがキリスト教だ」と言えるものを持つにいたったのに対して、正統派のキリスト教の方はまだ、そういうものをはっきり確定した形としては持っていなかったことになる。それで、正統派はマルキオン派を「異端」として追い出したかったのだけれども、追い出すにあたって、自分たちの方が本物のキリスト教だよ、ということを見せなければならない。他に対してだけでなく、自分たち自身の自己認識としても、それは必要となっ』ただろう。そこで正統派(形成されつつあったカトリック教会)の方も、彼らに対抗して、キリスト教独自の正一典を持とうという動きを見せはじめた、という次第である。つまり、マルキオン派を追い出しながら、彼らが導入した新約正典なるものを(修正を加えつつも)自分たちのものにしようとしたのであるしかしこれが事実だとすると、今日の伝統的なキリスト教神学にとってはどうも都合が悪いことになる。たてまえからすれば、新約聖書ははじめからキリスト教の、それも正統派のキリスト教の正典でなければいけないはずである。だから、本当は、この程度の事実は、一、二世紀のキリスト教の歴史をある程度ていねいにたどったことのある学者ならば当然、少なくとも薄々はわかっていたはずなのだ

確認できる事実に基づいてものを考えようという学問的に誠実な姿勢を保とうとすれば、マルキオン聖書以前には、正統派のキリスト教の資料の中で、はっきりと自分たち独自の正典を持とうという意識が表明されているものは、やはり、どう探しても出て来ないのである。カンペンハゥゼンの指摘ははっきりしている。「古い『書物』を補う新しい正典という発想そのものが今ルキオン以前の)資料にはまったく欠けている。それは、ほぼそういうことだろう、などという程度ではない。いかなる資料にもまったく見出だされず、そういう発想が存在していただろうと想像せしめるような要素も見当たらないのである。

編集者 てつてつ (2019年12月22日 10:50:44)

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