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#76 2019年12月01日 20:49:20

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

今日は楽しみにしていたアナ雪2を見に行きまして

かなり楽しめましたよ。

傑作だとおもいます、「ここまでやり切ると、アナ雪3はどうやって話を作るのだ!!?」と

余計なお世話な心配をしてしまいます



途中「水は全てを記憶している」ということが

ストーリーの中で重要になってきて


https://www.google.com/amp/s/gigazine.n … ter-memory

とにかく楽しめたので、根拠なんてどうでもよくなりました


「えー疑似科学!! 子供がたくさん見る映画なのにね」

うるさい、黙れ





というわけで、シュウイチさんがホメオパシー日蓮正宗を猛プッシュするの大目に見てあげましょう

#77 2019年12月01日 22:50:30

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#8への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

登山「本山大石寺におまいりにいくことだと思います」できなければ堕地獄か?


登山会の停止についても、「清涼池」の書えを引き、また日顕の本当の狙いがどこにあるかを明快に語って破折した。
...そもそも、歴代上人が御本尊を書写し、檀信徒に下付してきたのは、分身散体の意義から、戒壇の大御本尊を直接拝さなくても信心できるようにするためである。各家庭の御本尊に祈り唱題すれば、戒壇の大御本尊に通じるのだから、各家庭でしっかり信心に励めばよいのである。しかも、もともと登山会は、戸田会長が、大石寺の窮乏を救うために始めたものであり、学会の人たちが登山して御供養をしたからこそ、大石寺は今日のように発展した。その恩を忘れて学会を切り捨てたのが日顕であり、そんな不知恩・誇法の日顕のところへ行くべきではない。

上記が過去の戸田会長の指導に反していることを以下に記載致します。

「ただ、ひとこと注意しておくことは、こういう一山の大事業を、信者側がおこす場合に、お山の行政にまで口を出す恐れのあることである。かかることは絶対に許しがたいことであって、信者は、ただ真心をもって、御本尊様へのご奉公を、いちずにつとめなければならない。われわれ、御本仏大聖人様に、お目通りできなかったその悲しみを、お山のご奉公にかえるのでなければ、真のご奉公とはいえないと信ずるのである。」(戸田城聖全集 第1巻65ページ)

「きょう、御法主上人より御訓諭を賜り、一方の責任者として恐懼にたえません。宗務院の隠忍善処に、謹んで敬意を表するしだいであります。学会は、宗務院の行政には絶対に従うのが鉄則であり、今後もただご奉公を尽くしていくばかりである。」(戸田城聖全集 第3巻499ページ)

「どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、わたしは水谷猊下にお伝えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである。」(戸田城聖全集 第3巻236ページ)
※1「猊座に登る」とは御法主になられる、との意味です。
※2「猊下」とは「御法主」の意味です。

「各家庭の御本尊は、大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳には変わりがありません。総本山の大御本尊にお会いするのは、親元に帰りたいといった気持ちで、なつかしがってくるようでなければなりません。」(戸田城聖全集 第2巻27ページ)

「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉御供養で拝むことができるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている。」
(戸田城聖全集 第3巻490ページ)

「私のいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことは当たり前のことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。」
(戸田城聖全集 4巻237ページ)

「信者としては資格がない」そうです。


てつてつ さんの発言:

末寺の住職でも、昭和二十年代の頃は、貧しくて登山できなかった者が多くいた。大石寺に行かなければ誇法であり堕地獄というなら、そのような住職も皆、堕地獄ということになるが、そんなことはないのである。

上記は、大石寺に行かなくても良い、と思わせたいため、無理やりなことを書いてあるように思います。


てつてつ さんの発言:

さらに、日顕の本当の狙い、魂胆を知れば、登山すべきでないことは一層明白になる。信徒の方で「大御本尊を拝みたい」と思っていても、日顕の方は「登山者に幸せになってもらいたい」とは、まったく思っていない。ネコがネズミを狙うように、どうすれば御供養を多く取れるかということしか、考えていないのである。私の寺でも離脱前に、添書登山を行なったが、御開扉とは別に、日顕にお目通りをするために、「奉御供養」として一人三千円以上が必要だった。当然、住職の私は、それ以上の額を包まなければならなかった。

自分の寺の信徒に「一人三千円以上が必要」と伝えたのは住職本人であり、3000円を決めたのも住職本人ですよね。自分で決めておいて不満があるなら変えれば良かったのではないでしょうか。住職なんですから、なんでも決められますよね。
3000円より多くの額を包むことをわざわざ書く住職って、なんなんでしょうか。そんなにお金に執着してたら成仏なんてできるはずないと思います、信者である私から見ても。


てつてつ さんの発言:

しかし、この御供養は「受書」を出さないから、日顕の懐に入って、個人的に使えるお金になってしまうのである。日顕がどれほど、この御供養を欲しがっていたか。ある日の登山の際には、下山時間が遅くなったため、お目通りをしないで帰った寺が六か寺もあった。すると、日顕はカンカンになって怒った。それは、自分に挨拶をしなかったからではなく、御供養が逃げていったからだというのである。

上記も「というのである。」との伝聞であり、根拠は無いようですね。


てつてつ さんの発言:

そうして集めたお金は、結局、奥湯河原や伊豆の温泉豪遊等に湯水のごとく使われる。政子が京都に出かけて、エステや買い物に贄沢三昧するのも、全部、信徒が汗水流して働いて出した御供養である。まったく人を馬鹿にした話であり、黙っている方がおかしい

誰のお金でどのように、豪遊、などをされたのか具体的に教えて頂けませんでしょうか。もちろん推測はやめてください。

#78 2019年12月01日 23:32:26

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#13への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

日顕以前のころは適当に各末寺で調達して売ってたみたいですね

上記の件、具体的に記載して頂けませんでしょうか。
記載できないのであれば、取り消しして、謝罪をお願い致します。


てつてつ さんの発言:

それを日顕が自分の開眼したものでなければ役に立たないと言い出したみたいですね

これも先ほどと引き続き、「みたいですね」とは、自信が無いようですね。
「自分の開眼したものでなければ役に立たないと言い出した」ことを具体的に教えて頂けませんでしょうか。言い出した、とはそれ以前は、言っていなかった、のですから、言い出す前と、言い出した時、の両方をお書き願います。


てつてつ さんの発言:

御本尊の功徳についても、法主の允可や開眼とは一切関係ない。
御書に「信心の厚薄によるべきなり」(日女御前御返事)、法華経にも「以信得入」(書嶬品)とあるように、御本尊の功徳はその人の信心によって決まり、信力・行力に応じて、仏力・法力が顕れるのである。草創期以来、多くの学会員が御本尊の功徳を受けてきたのも、その人たちが広宣流布のために懸命に信心に励んできたからである。逆に、御本尊を受けても、真剣に信心しなければ、功徳がないのは、いうまでもない 31ページあたり

上記ですが、日蓮大聖人様は以下のように、開眼、が必要であることを御書きになられております。

木絵二像開眼之事
「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し」

日蓮大聖人様の御金言すら無視するのですね。

#79 2019年12月02日 00:25:13

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#24への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

日蓮正宗総務院 公式見解

「日蓮正宗総務院」とはどこの団体の組織でしょうか。
日蓮正宗には、総務院、は無いと思いますが。
また、公式見解、であれば、どこかに公式に記載されいたはずですから、どこに記載されていたのか教えて頂けませんでしょうか。


てつてつ さんの発言:

「僧俗には大聖人の仏法に即した本来的な差別が存するのは当然であります。(中略)
本質的に僧俗平等、僧俗対等などと主張することは、信徒として仏法の位階をわきま「僧俗には大聖人の仏法に即した本来的な差別が存するのは当然であります。(中略)
本質的に僧俗平等、僧俗対等などと主張することは、信徒として仏法の位階をわきまえない大増上慢者と断ぜざるをえません」

つまり僧が上で信者は下という考え

これは仏法の教えに根本から反するまったくの誤り

(”位階をわきま「僧俗には” では意味が通じません。書き込む際にご確認をお願い致します)

上記ですが、日蓮大聖人様は以下のように明らかに僧と俗の区別を御書きになられております。

諸人御返事
「所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等、出家は主上・上皇の師となり、在家は左右の臣下に列ならん。」


過去の創価学会では以下の指導がされておりましたが、おかしいですね。

戸田会長の指導
「われわれは、日蓮正宗の兵隊である」(戸田城聖全集 第4巻25ページ)

「弟子旦那と申しまして、御僧侶方が将校でありますれば、われわれは兵隊であります」(戸田城聖全集 第4巻238ページ)

創価学会が信じている日興上人は以下のように僧と俗の縦分けをお書きになられております。

日興遺誡置文
「若輩たりと雖も高位の旦那より末座に居くべからざる事」
※「若輩」とは若い僧侶のことです。


また、第9世日有上人様は以下のように御書きになられております。

化儀抄
「貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節があるがごとく其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」

#80 2019年12月02日 00:52:35

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#25への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

>てつてつさんが引用した「血脈破断」を書いた坂口さんという人は創価系の人ですか?

ウキを見ますとジャーナリストとなっており 著作も多岐にわたっていて 宗教関連で書いたのは 血脈破談 阿部日顕が潰した日蓮正宗 だけのようです というわけで創価学会のうらみによってかかれたものではなく自分で取材し情報を集めて書いたものだと思います

「血脈破談」以外にも以下の2つの反日蓮正宗の書籍を出されております。

『捏造報道―週刊誌文化の罪と罰』
『狂言訴訟―池田大作を訴えた信平信子・醇浩の野望』


また、創価学会寄りの人と近い様です。
『キミはこんな社長のいる文藝春秋社を信じることができるか?』(幸洋出版、1983) で坂口義弘との共著を出した「丸山実」は下記の創価学会寄りの書籍を出しております。


『花形記者は転んだ-ジャーナリスト内藤国夫の素顔』(幸洋出版、1982)

ウィキペディアより
「内藤 国夫(ないとう くにお、1937年5月27日 - 1999年6月9日)は、ジャーナリスト・評論家・著述家。毎日新聞編集委員。死去するまで10年以上にわたり月刊誌「諸君!」誌上に「月刊創価学会問題」を連載、創価学会批判に終始した。1995年8月号では、創価学会に関し「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教だということだ。オウムよりはるかに始末が悪い難問である」と述べた。」


『「月刊ペン」事件の内幕-狙われた創価学会』(幸洋出版、1982)
『創価学会つぶしに出た法主日顕の陰謀-日蓮正宗の虚構と実態』(長崎出版、1991)

てつてつさんはどこまで調べたのでしょうか。私は15分くらいで上記の事を調べて書けましたが。

#81 2019年12月02日 01:03:05

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#27への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

ジョエルさん書き込みありがとうございます

自分も昔読んだ 創価学会の信者で池田会長のかなり側近にいた人で30年来のできごとをメモしておいた学会の暗部を書いた黒い手帳という本を読んで 学会は信用しなくなりました


>創価もいろんなところに入り込んでいるでしょうね。もちろん確証はありませんが、ちょっと気になっただけです。

各方面に入り込む


会長の前では議員も前のめり

「学会は信用しなくなりました」とありますが、今までてつてつさん信用し引用していたことは学会の主張と同じです。
創価学会が、離脱した元日蓮正宗の僧侶を利用している、と考えてはどうでしょうか。

#82 2019年12月02日 01:10:58

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#30への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

203ページ 袈裟は1000万円

片や日顕はどうかといえば、所化には伏せ拝を強制し、言うことを聞かなければ中啓で殴り拳骨を飛ばす。普段の和服は一着何百万円もする紬を着て、袈裟・衣は特別注文で一揃い一千万円に及ぶと言われる。さらに、豪遊の限りを尽くし、寳沢この上ない。

上記の件、確認したいので全てに対する根拠の記載をお願い致します。
無ければ妄想と判断致します。


てつてつ さんの発言:

教学も、誇法の波木井の礼讃、禅寺墓建立、果ては、自分を「生身の釈迦日蓮」の如く敬えと、完全に邪義に堕ちている。

上記の件、確認したいので全てに対する根拠の記載をお願い致します。
無ければ妄想と判断致します。

#83 2019年12月02日 01:17:09

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#34への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

こんなにもある珍妙な相承

死活とは只事ではないが、これは現実離れしたオカルトというよりも、ほとんど喜劇的な相承伝説である。第十四世の日主上人は、上野(群馬県)館林城主の血を引くとされ、十三歳から十三世・日院上人の直弟子であった。伝説によると、日主上人危篤の知らせを受けた代官の寂日坊が、栃木県の蓮行寺に駆け付けたが臨終に間に合わず、日主上人はすでに息を引き取った後であったという。これでは代官による預かり相承とはいえ口頭で相承することはできない。「唯授一人の血脈」は断絶してしまうところが、死亡して床に横わっていた日主上人は、寂日坊が入室するとガバッと生き返り、相承を無事に終え、ふたたび死んだという。むろん後世に提造された話だろうが、「法水潟瓶」「血脈相承」の伝統を守るためには系譜が途切れてはいけない。そのために死人まで生き返らせてしまったのである。このような話を作り出さなければならないほど、すでにこの当時、「血脈相承」に神秘性をつけ加え、権威を持たせる必要があったのである。

死んだ人が生き返って相承してまた死んだなんて話ですが さやかさんがソッコー食いつきそうな話ですね kiss

でも原理主義者のシュウイチさんはこれを真実だと受け取るのでしょうね cry

上記を日蓮正宗が主張しているのでしょうか。
確認致しますので、どこに記載されているか教えて頂けませんでしょうか。
どこにも記載されていないことをここには書きませんよね。

#84 2019年12月02日 01:53:10

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#35への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

塔婆供養で信者をおどす

上記のリンクは「塔婆」であり、「塔婆供養」ではありません。
リンクの貼り方も間違えておられるようです。


てつてつ さんの発言:

崩壊する日蓮正宗 200ページあたり


塔婆の起源 205-7ページあたり

塔婆というのはサンスクリット語のストゥーパです。ストゥーパの音訳が卒塔婆、それが塔婆になった。ストゥーパが、だんだん塔に変化して、五重塔、五輪塔になる、それを板に直したのが板塔婆です

経典に説かれている「塔」とは舎利塔や経塔であって、日本で行われているような板塔婆などではない。したがって、経典に塔を立てる功徳が説かれていても、それは舎利塔か経塔を立てる功徳を言ったもので、塔婆供養の功徳を述べたものではない。インド仏教の段階では死者にたいする塔婆供養そのものがないからである。

上記ですが、インド仏教の事であれば、はい、そうですね、と言うしかありません。

塔婆に関しては日蓮大聖人様は以下の様にお書きになられております。

草木成仏口決
「有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死の成仏と云ふが有情・非情の成仏の事なり。其の故は、我等衆生死する時塔婆を立てて開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」

#85 2019年12月02日 02:13:45

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#42への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

日蓮正宗青年僧侶邪義破折班が松岡幹夫らに送った下記をお読みください。

〝1 循環論法の誤謬について〟を破す

最初の項目である本項で汝は、〝現日蓮正宗の主張は、学問的にみると循環論法に陥っているのではないでしょうか〟〝あなた方は常に、歴代法主の専権的な立場を歴代法主の文言によって正当化しようとします。単純な循環論法であり、検証も反証も不可能な、自己完結している議論と言わねばなりません〟と述べて、日蓮正宗の主張を循環論法とすることによって、これを根底から否定しようとしている。しかし当方は御法主上人の文証のみで御法主上人の正当性を論証しているのではなく、まず第一には宗祖日蓮大聖人の御書を基本とし、同様に大聖人の金口を留められた御相伝書、さらに御歴代上人の御指南をもって論証しているのである。
  ところが汝が当方の主張を循環論法とする理由は、〝予め断っておきますが、あなた方は、たしかに法主の権能を宗祖のいくつかの言説によっても根拠づけようとしています。しかし日蓮文献に関する研究上の定説では、それらはすべて後人の偽作か加筆であり、循環論法を脱しているという有力な根拠になりえません〟と述べるところにある。すなわち当方が論証に用いた宗祖日蓮大聖人の御書や御相伝書を〝後人の偽作か加筆〟とするのである。しかし、どの御書や御相伝書が、どのような理由で〝偽作〟なのかや、どの箇所が〝加筆〟であって、なぜそれが論証に不適切なのかは明記していない。全く非論理的な記述である。このようなふざけた理由で当方の主張を否定することはできない。
  特に相伝について『日蓮一期弘法付嘱書』と『身延山付嘱書』はその根本であり、これより血脈相承のすべてが伝承されている以上、循環論法(論証)などの言い掛かりこそ詭弁という外はない。汝のいう循環論法はアリストテレスの形式論理学上の多くの虚偽論論旨中の僅か一部分であり、その他にも多くの虚偽が論じられている。ところで汝の循環論法をもってする血脈批判説はそれ自体迷妄であると共に、かえってアリストテレスの虚偽論中の、「観察に関する虚偽」「軽率な概括による虚偽」「論点相違即ち的外れの虚偽」に該当していると思われる。汝はアリストテレスの俄か弟子としても余りに杜撰であり、自らを破す愚の骨頂というべきである。
  しかも、汝の説は、これまでの創価学会の主張と相反している。なぜならば、当方が引証した御書や相伝書は、総本山第五十九世日亨上人の編纂された『御書全集』や『富士宗学要集』等に収録されているが、創価学会はこれを出版して依用しているではないか。また加筆部分については、池田大作も「百六箇抄講義」のなかで、
本抄には、歴代の法主上人が「百六箇抄」を拝読された折り、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故に、この部分も、私たちが大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可欠の記述といえましょう。
  この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された個所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたい(大白蓮華 昭和五二年一月号二〇頁)
と述べているからである。
  そこで汝に反問する。汝はこの池田の言に対し自らの意見として肯定か否定かをはっきり論ずると共に、その理由を述べよ。さらに大聖人の文献の何が偽作なのかを、その理由と共に明示せよ。またどの部分が加筆なのかを明示し、なぜそれが論証として不適切なのか理由を述べよ。そしてそれは、創価学会の公式見解なのか、それとも汝の私的見解なのかを明らかにせよ。

#86 2019年12月02日 05:41:00

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさん たくさん書き込みありがとうございます 基本的に一つ一つにはお返事はできないと思います 以前にもいいましたが 自分は読んだ本の興味深いなと思うところを書いているだけですので シュウイチさんがもっと知りたければご自分で図書館などで確認されて反論あるならここで書き込めば良いと思います そうすれば関心ある人は両方の意見見て参考にされると思います

オフライン

#87 2019年12月02日 09:56:31

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつさんの備忘録に無料で面白いコメントがついきます

てつてつさんも読書する甲斐がありますね

現役の日蓮正宗信者の胸の内が分かる貴重な資料です



シュウイチさんも長い文字の羅列を黒文字で遠慮しておられますね

「これは価値のある要点だ」というところがあれば遠慮なく文字の色を変えて下さいね

#88 2019年12月02日 15:12:46

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

本尊の開眼について  自分は何か魂入れみたいなものがあるのかと思いましたがそうではないようです

日顕宗を切る3 210ページあたり

日顕宗は、法主の開眼なき本尊は〃堕獄へ誘う〃などと暴言の限りを尽くしています。

松岡
この開眼論もひどい。まず、「御本尊の開眼」を説かれた御書など、どこを探してもありません。日興上人の仰せにもない。「御本尊より外に眼目なきなり」と大聖人の仰せの通り、御本尊は諸仏の眼目そのものであり、そのうえ開眼するなどとは、道理に合わない。また別の御書には木像や画像の仏像の開眼について「開眼供養は唯法華経にかぎるべし」と仰せですが、末法の法華経とは、御本尊でしょう。要するに、これは「御本尊への信心による開眼」ということです。〃法主による開眼〃など御書に説かれていない。


宮川
開眼を、何か特別な「魂入れ」のように勘違いしているのではないか(笑い)。御本尊の功力は、日寛上人が「信力・行力を励む則は仏力・法力により、即ち観行成就する」と示されている通り、御本尊の「仏力・法力」は、あくまでも拝する側の「信力・行力」によって決まるのです。


追伸 
申し訳ありません 日顕法主様はちゃんと開眼していたようです

10の質問 61ページあたり

要するに今回の阿部の言い分はこうである。重要な証言なので枠に囲んで示す。

阿部日顕は、本尊開眼の儀式を行っていない。そのかわり阿部は、丑寅勤行のついでに本尊開眼の意義を込めた祈念をしている。ただし、形木本尊を客殿の宝前に供え、阿部が直接に祈念することはない。丑寅勤行における阿部の祈念は、阿部が目にしたこともない大量の形木本尊にも及び、時空を超えて宗祖の法魂をすべての本尊に宿らせる。それで事足りるのである。


法主による本尊の開眼供養とは、新しい本尊を宝前に供え、法主が目の前の本尊に向かって草木成仏の祈念を行うことである 多くの人々は、そう理解していたのではあるまいか。しかるに阿部は、法主が丑寅勤行の際、その場にない不特定多数の形木本尊を想像しながら祈念すれば開眼したことになる、と言い張るのである。ここには、看過しえない多くの矛盾がある。


つまり うるせーな!いつもやってる丑寅勤行の時にオレの頭の中でまとめてやってたんだよ それでできるんだよ! mad  とのことのようです やっぱり法主様はスーパーパワーあったみたいです

編集者 てつてつ (2019年12月02日 16:09:07)

オフライン

#89 2019年12月02日 17:43:59

さやか666
ゲストユーザー

#90 2019年12月03日 09:13:18

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#88への返信です。

てつてつ さんの発言:

本尊の開眼について  自分は何か魂入れみたいなものがあるのかと思いましたがそうではないようです

日顕宗を切る3 210ページあたり

日顕宗は、法主の開眼なき本尊は〃堕獄へ誘う〃などと暴言の限りを尽くしています。

松岡
この開眼論もひどい。まず、「御本尊の開眼」を説かれた御書など、どこを探してもありません。日興上人の仰せにもない。

上記ですが、下記に記載の部分は「御本尊の開眼」についてです。

「また別の御書には木像や画像の仏像の開眼について「開眼供養は唯法華経にかぎるべし」と仰せですが、」

本尊、と書かれていないから本尊についてではない、とお考えなのでしょうか。では、何についての開眼なのでしょうか。


てつてつ さんの発言:

「御本尊より外に眼目なきなり」と大聖人の仰せの通り、御本尊は諸仏の眼目そのものであり、そのうえ開眼するなどとは、道理に合わない。また別の御書には木像や画像の仏像の開眼について「開眼供養は唯法華経にかぎるべし」と仰せですが、末法の法華経とは、御本尊でしょう。要するに、これは「御本尊への信心による開眼」ということです。〃法主による開眼〃など御書に説かれていない。

開眼が必要ないとお書きになられた日蓮大聖人様のお書きものはあるのでしょうか。あるならば、言えますが、無いなら言えません。


てつてつ さんの発言:

宮川
開眼を、何か特別な「魂入れ」のように勘違いしているのではないか(笑い)。御本尊の功力は、日寛上人が「信力・行力を励む則は仏力・法力により、即ち観行成就する」と示されている通り、御本尊の「仏力・法力」は、あくまでも拝する側の「信力・行力」によって決まるのです。

この方は開眼について誰に教わったのでしょうか。教えて頂きたいと思います。

一般の僧侶は開眼をする資格がありません。ですから開眼について一般の僧侶としての知識でしか判断しておりません。

資格もなく知識もない人が、資格があり知識も有る御方に意義を唱えることを、おかしいと思っております。


てつてつ さんの発言:

追伸 
申し訳ありません 日顕法主様はちゃんと開眼していたようです

10の質問 61ページあたり

要するに今回の阿部の言い分はこうである。重要な証言なので枠に囲んで示す。

阿部日顕は、本尊開眼の儀式を行っていない。そのかわり阿部は、丑寅勤行のついでに本尊開眼の意義を込めた祈念をしている。ただし、形木本尊を客殿の宝前に供え、阿部が直接に祈念することはない。丑寅勤行における阿部の祈念は、阿部が目にしたこともない大量の形木本尊にも及び、時空を超えて宗祖の法魂をすべての本尊に宿らせる。それで事足りるのである。

法主による本尊の開眼供養とは、新しい本尊を宝前に供え、法主が目の前の本尊に向かって草木成仏の祈念を行うことである 多くの人々は、そう理解していたのではあるまいか。しかるに阿部は、法主が丑寅勤行の際、その場にない不特定多数の形木本尊を想像しながら祈念すれば開眼したことになる、と言い張るのである。ここには、看過しえない多くの矛盾がある。


つまり うるせーな!いつもやってる丑寅勤行の時にオレの頭の中でまとめてやってたんだよ それでできるんだよ! mad  とのことのようです やっぱり法主様はスーパーパワーあったみたいです

「形木本尊を客殿の宝前に供え、阿部が直接に祈念することはない」

上記は丑寅勤行に参加されたことがある人なら誰でも分かる嘘です。

丑寅勤行は御法主様が客殿で行われます。
御法主様の見える所に開眼される御本尊はあります。

何も知らない人は騙されてしまうようです。


なお、「追伸
申し訳ありません 日顕法主様はちゃんと開眼していたようです」

とありますが、直ぐ下に

「阿部日顕は、本尊開眼の儀式を行っていない。」

と書いてあります。てつてつさんは一体何を読んで開眼してると判断したのでしょうか。

#91 2019年12月03日 16:45:41

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:
そうして集めたお金は、結局、奥湯河原や伊豆の温泉豪遊等に湯水のごとく使われる。政子が京都に出かけて、エステや買い物に贄沢三昧するのも、全部、信徒が汗水流して働いて出した御供養である。まったく人を馬鹿にした話であり、黙っている方がおかしい

>誰のお金でどのように、豪遊、などをされたのか具体的に教えて頂けませんでしょうか。もちろん推測はやめてください。

多分以前にも引用したと思います 法主の大醜聞 141ページあたり

>「日蓮正宗総務院」とはどこの団体の組織でしょうか。
日蓮正宗には、総務院、は無いと思いますが。

すみません リンク先には宗務院になってましたね打ち間違いですシュウイチさんが 読まれていればご自分で確認できると思いますが cry

>てつてつさんはどこまで調べたのでしょうか。私は15分くらいで上記の事を調べて書けましたが。

それだけの調査能力あれば他の件もご自分で調べて間違いだとする根拠をこのトピに書き込めは良いと思います

あとちょっと学会と正宗の本尊の違いネットでみててちょっと気になるサイトがありました

学会の本尊はニセ本尊 ところでこの寺は日蓮正宗法華講と書いてありますが シュウイチさんの正宗とはまた違うのでしょうか?

この中に

特に恐ろしい「お守りペンダント型ニセ本尊」

このように小さなペンダント型ニセ本尊は、常に魔を肌身離さず持ち歩くこととなり、事故や病気、不運に見舞われる確率は格段に高まります。
東京の大きな支部を任されていた支部長さんは、「ペンダント型ニセ本尊を持たせた会員は行方不明になる確率が偶然とは到底思えないほど高かった」と語っています。


あと 学会員に対して
● 功徳がなく、歓喜もない。
● 新聞や選挙、財務や書籍購入の要求にうんざり。
● 会合は老人ばかりで、功徳の体験談もほとんど聞かれない。
● 3世、4世という若い世代がほとんど活動しない。
● 行方がわからなくなる人が多い。
● 病気が多い(肌が土気色の人や、やせこけてくる人)。
● 事故や事故死が多い。
昔はこんなじゃなかったはずです。
学会の謗法のせいで、会員の皆さんは害毒を受けている”被害者”だと思います。

などと書いてますけど 自分はどんなデータが根拠になっているのかかなり疑問なのですが シュウイチさん根拠を問い合わせて シュウイチさんの基準にかなっていなければ大ホウボウで 堕地獄ですよ とか

現在は批判的な内容のリンクを貼っただけでも犯罪になる時代です。しかも根拠が無ければ尚更です。お気をつけ下さい。

などと注意してあげれば喜ばれるかもしれませんね kiss


追伸

シュウイチさん>上記ですが、日蓮大聖人様は以下のように明らかに僧と俗の区別を御書きになられております。

正宗の身分の実態

多くの末寺では、私たち所化は奴隷扱いであり、住職の子供はおろかペット以下に扱われるところさえあります。末寺の上下関係をわかりやすく説明すると、①住職、②住職夫人、③息子、④娘、⑤ペットの犬猫、⑥在勤の所化といった具合になります。 cry

編集者 てつてつ (2019年12月03日 21:06:41)

オフライン

#92 2019年12月03日 18:24:02

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

そういう方針でやってます

みんな納得してます、参加すれば分かります

これは当たり前です

部外者が口を挟む問題ではないのです

#93 2019年12月03日 19:37:19

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:
教学も、誇法の波木井の礼讃、禅寺墓建立、果ては、自分を「生身の釈迦日蓮」の如く敬えと、完全に邪義に堕ちている。

上記の件、確認したいので全てに対する根拠の記載をお願い致します。無ければ妄想と判断致します。


禅寺に日顕が墓を作る 日蓮正宗落日の真因 188ページあたり

編集者 てつてつ (2019年12月03日 19:42:24)

オフライン

#94 2019年12月03日 19:48:43

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ラッセルのピラミッドのほうが可愛げありますね

#95 2019年12月03日 20:01:19

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

日顕直筆のご本尊

日顕宗を切る2 160ページあたり

オフライン

#96 2019年12月03日 20:05:51

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

http://xn--hdsv8aq4fs54g.jp/details1.html


内ゲバが酷いですね

#97 2019年12月04日 08:16:07

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#44への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

やっぱり初期の日蓮正宗では 一子相伝のような相承は行われていなかったようですね 晩年になって中古天台の思想を学んだ左京日教という僧が持ち込んだものが始まりのようです

「初期の日蓮正宗では」と最初に書いてあり、次に「晩年になって」と書けば、日蓮正宗の晩年、誤読します。誤読させたいのでしょうか。それともてつてつさんが誤読されたのでしょうか。

以下のように「日有の晩年頃」ではないでしょうか。

「日有の晩年頃に一人の他門の学僧が大石寺に帰伏し、」

日有上人様は第9世であり、「初期の日蓮正宗」に該当するのではないでしょうか。今は第68世ですので。


てつてつ さんの発言:

日蓮正宗の神話


55ページあたり

初期の日興門流において、中古天台の思想との接触がみられることはすでに述べた。しかしながら、この時期の大石寺貫主は誰一人として中古天台流の相承主義を顕説していない。

「中古天台流の相承主義」とはどの様なことでしょうか。全く記載がないので分かりません。
てつてつさんは分かった上で判断しているのでしょうから教えて頂けませんでしょうか。


てつてつ さんの発言:

九世・日有などは、天台家の口伝法門の血脈相承に対して〃信心の血脈〃という日蓮本来の血脈観を立て、宗祖・日蓮の「信心」を継承すべき現貫主を日蓮になぞらえて教団を統率する化儀を確立している

「〃信心の血脈〃という日蓮本来の血脈観」と思わせたいのでしょうね、創価学会と同じで。

日蓮大聖人様は、本因妙抄に以下のようにお描きになられてます。

「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」

日蓮大聖人御自身が「唯授一人の血脈」と仰せであらせられます。


てつてつ さんの発言:

ところが、日有の晩年頃に一人の他門の学僧が大石寺に帰伏し、いつのまにか中古天台流の相承主義を大石寺教学の中に持ち込んだ。その学僧の名は左京阿闇梨・日教という。元々日教は、日興門下の中でも天台教学の影響を強く受けたとされる玉野大夫阿闇梨・日尊の門流に属していた。京都の住本寺系で本山格とされた出雲の馬木大坊(安養寺)の住持を務め、本是院日叶と名乗る有力僧だったという。

上記の件、先程もお伝えしましたように、日蓮大聖人様御自身が「唯授一人の血脈」と仰せであらせられます。


てつてつ さんの発言:

それでこのような教理は長い時間をかけて形成されていったことがわかり 仏教ではとか日蓮正宗では教理は最初から変わっていないとか一子相伝が脈々と受け継がれているというのは誤りだと思います

上記の件、先程もお伝えしましたように、日蓮大聖人様御自身が「唯授一人の血脈」と仰せであらせられます。


てつてつ さんの発言:

第一 ブッタから日蓮にいきなりワープしてますし 日蓮は6弟子はみとめたようですが 日蓮正宗の祖 日興だけに一子相伝したという事実もありませんしね

事実は先程お伝え致しました。


てつてつ さんの発言:

まあ ものみの塔も忠実で思慮深い奴隷級が使徒の時代から受け継がれているといきなりラッセルのころにワープしてますし 統治体などとはごく最近取り決められたもので こうした教理が作られていくには時間がかかってますので同じかなと思います ついでに信者さんも今が当たり前で まるでずっと前から変わらないかのように思い込んでるのも似ているかなと思います

てつてつさんは日蓮正宗側の情報を御自分で調べられたことはあるのでしょうか。もし、調べずに、片方側だけの情報を信じるのであれば、元エホバの証人らしいと思います。カレブさんの記事をどの様にご覧になられていたのでしょうか。

#98 2019年12月04日 08:51:13

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

ちょっと検索していて 面白い言葉見つけました


「社会学者の西山茂氏」

(日顕の過去の発言「法主の指南に背いて唱える題目には功徳が無い」を受けて)

(法主について)その正当性の根拠を事物や歴史的事実に置いている為に、それを否定する側の説得力のある 批判に直面しても冷静な論理的論争を行えず、ただ信仰の次元から、彼等を「邪宗教」「謗法不信の輩」と一方的に断ずることしか出来なくなってしまうという問題を宿命的に抱え込むことになる。その意味で、伝統的な石山 教学は、板本尊と血脈とを盾にとった権威主義的な「印籠教学」であると云うことも出来よう。


「花野充道氏」

まことに適切な解説である。他の大宗団が、大乗非仏説などの問題を契機として、信仰と学問とを分離する方向で教学の近代化を成し遂げたのに対して(日蓮正宗においても、進歩的な日亨上人や日達上人によって、その方向で教学の近代化をはかる努力がなされたこともあったが)、第六十七世法主・日顕上人は、安易な原理主義にたって、教学の近代化の問題に正面から取り組むことを拒否し、中世の信仰世界(宗学)に閉じこもる孤立の道(現代の学問研究を否定する異端自閉の道)を選択された。

編集者 てつてつ (2019年12月04日 08:52:39)

オフライン

#99 2019年12月04日 08:55:10

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#48への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

72ページあたり

大石寺の貫主を「法主」と称して信仰対象にする、こうした日教の説は、さすがに大石寺宗門でも受け入れ難かったとみえ、近世まで日教の法主論に従う宗門人はいなかった。これには、日教の教学を摂取しつつもそこから貫主信仰を排除した、二十六世・日寛の教学的影響力が大きかったと考えられる。しかし明治以降の宗門では、日教以外からの影響によって貫主を「法主」と称する動きが生じた

法主、の何が悪いのでしょうか。
教義の正邪を決めるのは御法主であらせられます。

他の書き込みにも書きましたが、御本尊様には、代々の聖人悉く日蓮と申す意なり、との意味がありますので、法主、で何ら問題はありません。


てつてつ さんの発言:

ところが、明治三十三(一九○○)年九月、興門派からの大石寺の分離独立が認可され、同寺が「日蓮宗富士派」と公称する時期になると、この状況に変化が訪れる。日蓮宗富士派として独立後に定められた「宗制寺法」(明治三十三年九月十八日認可)をみると、その第六条に「歴代嫡々相承して現代五十六嗣法主に至る」との文言が織り込まれている。この時点で、宗門人は正式に大石寺貫主のことを「法主」と呼び始めている。

先程も書きましたが、御本尊様には、代々の聖人悉く日蓮と申す意なり、との意味がありますので、最初から、法主、であらせられます。何の問題もありません。


てつてつ さんの発言:

こうして、近代以降の宗門では大石寺の貫主を「法主」と呼ぶことが慣例化した。その過程自体は、左京日教の〈法主=日蓮及び大石寺歴代〉観とは無関係に進行したのかもしれない。けれども近年、六十七世を自称する阿部日顕が創価学会を「破門」するという事件が惹起するや、現日蓮正宗は日教の法主論を用いながら〃大石寺歴代を日蓮と同格の「法主」とみることは宗門の伝統である“などと唱え始めた。日顕らは、自分たちに都合のよい貫主信仰を歴史的に正当化するため、唐突に日教の法主論を持ち出してきた。ここにおいて、日教の法主論を〈宗門古来の伝統〉とする主張が大石寺内で発生したわけである。今、大石寺門流における「法主」の意味が改めて問い直されるべき時を迎えている。既述のごとく、日教の〈貫主=法主〉説は大石寺本来の伝統などではない。それは、一種の外来思想にすぎず、中近世の宗門では排除された。とは言うものの、いつでも宗門古来の伝統に化けられる思想として、日教の〈貫主=法主〉説は今なお隠然たる力を持ち続けているのである。

先程も書きましたが、御本尊様には、代々の聖人悉く日蓮と申す意なり、との意味がありますので、最初から、法主、であらせられます。何の問題もありません。

著者が何も知らないだけだと思います。

#100 2019年12月04日 09:32:50

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#13への書き込みです。
てつてつ さんの発言:
日顕以前のころは適当に各末寺で調達して売ってたみたいですね

上記の件、具体的に記載して頂けませんでしょうか。
記載できないのであれば、取り消しして、謝罪をお願い致します。

申し訳ありません 若干表現まちがっていたようです cry
日顕宗を切る3
173ページ。

土井 そうですよ、御本尊はすべて法主によって開眼していたなどとよく言えたものです 私は、宗門の御本尊に関する一切の事務を取り扱う、内事部第三課に勤務していたことがあるので、実態は全部知っています。詳しくはまたお話ししたいと思いますが、表具屋さんから届いた御形木御本尊を所化が箱詰めし、それをたくさん棚に並べておいて、ただ、末寺の注文に応じて発送していくだけですよ。そこに日顕による開眼など私の知る限りやっていませんでした。

大橋
それに、御本尊は、すべて総本山ではなく、昔は各末寺でそれぞれ違う御形木御本尊が下付されていたのですからね。

小倉
宗内僧侶なら誰でも知っていますよ。いまどき、日顕宗はよくこんな嘘を平気でつけますね。




あと 日蓮正宗には法主のみが本尊を書写する権利があり それ以外の本尊は存在しないという主張のようですが 現実には少なからず存在するようです

日蓮正宗の神話  本尊権の貫主独占という神話の虚構
に詳しく書かれていますので一読をお勧めします

一例初期の法主以外の本尊

編集者 てつてつ (2019年12月04日 09:39:59)

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