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#1 2019年09月05日 13:51:28

野良カモメ
ゲストユーザー

脱党を経て大いなるバビロンへ

初めて投稿させていただきます。私は20年前にJWを離れて以降は宗教とは距離を置いた生活をしてきました。
ただ健康の問題に直面して生きる自信が無くなり死ぬことばかりを考えていた時にふと寂しさを感じて神の事を考え意識するようになりました。
身勝手な話ですが、自分が困り果て弱くなってから神の下に帰る事を考えいろいろと掲示板などで質問してカトリック教会に交わり始めました。
初めて参加したミサは分からない事ばかり、厳かな雰囲気は味わえましたが、儀式偏重ではないかという考えも浮かび上がりました。ただ自分のその感覚が元JWだから感じる物なのかもしれないと思い、考えをニュートラルな位置に戻すリハビリのつもりで通っています。
大きな教会に通った後に地元の小さめの教会に顔を出し年配の親切な信者さんの助けで典礼などのカトリック独特な式について行くように努力しています。
ただ、元JWだからなのかカトリックの中の様々な事に疑問が付くようになりました。ミサの様々な儀式に本当に意味があるのか。聖句は引用されるが聖書を開くことがない。ただカトリックの様々な考えを許容できる寛容さにはとても惹かれているのです。
話のまとまりがなくなりそうなので閉めますが、エホバの証人を離れた後に一般の教会に交わるようになった人。教理の違いにどのように対処したのか教えてください。
また教会とは接触せずに個人的に聖書を学ぶ事にした方も意見があればお願いします。

散文ですみません。私個人としては人生の関わる真剣な質問です。

#2 2019年09月06日 06:33:51

てつてつ
メンバー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

野良カモメさん 書き込みありがとうございます
>身勝手な話ですが、自分が困り果て弱くなってから神の下に帰る事を考えいろいろと掲示板などで質問してカトリック教会に交わり始めました。

自分も高齢になって体が弱ってきたら神様に頼りたくなるかもしれませんね

>また教会とは接触せずに個人的に聖書を学ぶ事にした方も意見があればお願いします。
自分はこれに近い感じです 自分のサイトです

現在は聖書はよい事も書いてあるものの神様の書かれた本であるとは考えなくなりました ただ多くの人が神仏を信じることによって心の平安を得ているのならそれは別に否定する必要は無いと思っています この掲示板によく投稿されている ラハムさんはプロテスタント系の教会へ行っておられるようですしirisさんはカトリックのようです それぞれ自分に合うものを選べば良いのではないかと思います

編集者 てつてつ (2019年09月06日 07:10:53)

オフライン

#3 2019年09月06日 07:25:26

akame
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

>教理の違いにどのように対処したのか教えてください。

野良カモメさん、どうも ♪

仏教を含めた宗教遍歴の途上において、
ものみの塔の「絶対的な信仰」にも惹かれていましたが、

聖書を初め、客観的な証拠を調べるなら、そうした信仰は幻想に過ぎないことが分かりました。

「神または神々のような存在」は今でも信じていますが、そもそも宗教は人間の知力の限界を超えた世界のことが基本理念になっていますから、

「本当のことはわからないのです。」

そこを出発点として、後はその人の肌に合う、また人間の良い部分を広げてくれそうなものを選んで行けば良いのではないのかと思っています。

偉そうなことを述べてしまいましたが、引き続き、こうしたサイトの情報などを広く深く集めながら、まずは原点の再吟味を心よりお勧めいたします。

#4 2019年09月08日 16:46:13

iris
メンバー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

野良カモメさん、はじめまして。
私は元JWではありませんが、いろいろと御縁があり、この掲示板ができた頃からここに出入りしています。カトリック信者です。

ミサの様々な儀式に本当に意味があるのか。
カトリックの典礼(ミサなどの儀式)や慣習にはいろいろな意味が込められています。2000年の歴史の中でよく練り上げられてきたと感じるものもあります。
ただ、それに本当に意味があると思うか、意味がないと思うかは人それぞれだと思います。

聖句は引用されるが聖書を開くことがない。
これはどのような意味でしょうか?
御ミサの中でも、聖書から毎回2~3か所が朗読されています。御ミサの時に使う小冊子には、新共同訳聖書の本文がそのまま印刷されていますし、神父さまが福音書を朗読なさる時には、大きな旧新約聖書が開かれています。
また、多くの教会では聖書を読む会や聖書の勉強会が開かれています。聖句を確認するためだけに聖書を開くという作業はあまり行われませんが、聖書そのものを読む機会は少なくないと思います。

もしよろしければ、ものみの塔とカトリックの教理の違いについて具体的に知りたいことを書いていただけましたら、できる範囲でお答えいたします。

人が神さまを慕う気持ちをもつことは、とても自然で人間らしいことだと私は思っています。
ただ、akameさんのおっしゃる通り、神さまについて本当のことは誰にもわかりません。
御自分が本当に安心できるような信仰に出会えるとよいですね。

オフライン

#5 2019年09月08日 20:29:36

akame
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

私は個人的な信仰までは否定しません。

よく分からないからこそ、露わになる、試されている側面はあるように思います。

#6 2019年09月09日 18:23:18

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

"When we become simply a promoter or a defender of a particular belief, something within us dies. That is not believing God– it is only believing our belief about Him."

「信条=教理」の信奉者や擁護者になるなら、我々の中の何かが死ぬ、それは神を信じることではなく、神について自分が信じていることを信じているにすぎなくなるからだ。


もし我々の確かさが信条(教理)の中にしか存在しないなら、独り善がりになり、過剰に批判的になり、自分たちの信条が完全で確立されたものであるという見方に縛られてしまう。

ジーザスは「わたしを」信じよと言ったのであり、「わたしについての確かな教えを」信じよ、とは言わなかった。

我々にとって確かなのは彼が再び来ることであり、彼がどのように来るのかは我々にとって輝かしいことに、そして恵み深いことに、不確かなのである。(ヨハネの手紙ー3:2)

#7 2019年09月09日 18:49:20

またい
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

俺、何も悪いことしていないのに、何でこんなに苦しまなければいけないのか?
人生は不条理だ。神に聞け。

#8 2019年09月12日 23:43:33

akame
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

>神に聞け

「なぜ何も悪いことをしていない私が、神に従って正しく歩んできた私が、財産を失い、子どもを失い、健康な体も失って、理不尽な目に遭わされるのか?」悲痛な問いかけを、ヨブは繰り返し叫びました。

「いや、お前が気づいていないだけで、本当はひどい罪を犯したんじゃないか?」友人たちにも責められ続け、ようやくヨブ記38章になって、神が答えます。

「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の教えを暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」そう言って神は、自分がいかに全能であり、人間の知識や理解を超えた存在であるかを語ってきます。

「なぜ正しい人が苦難に遭わなければならないのか?」というヨブの問いは、ある意味無視されました。

せめて「お前は悪いことをしていない」「お前の不幸はお前の落ち度のせいじゃない」とも言わず、実はサタンとの「賭けのようなやりとり」があり、サタンの攻撃を許したことも、一切彼に告げません。

なぜ、肝心な答えが与えられなかったのか?

「その人の立ち位置」でその理由は多種多様、かなり異なってくることでしょう。

#9 2019年09月14日 03:20:30

またい
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

自分ヨブだったら、と考えた。答えない。大切じゃあない人死んでもすごく悲しい。

#10 2019年09月19日 12:20:48

akame
ゲストユーザー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

野良カモメさん

>私個人としては人生の関わる真剣な質問です。

それで皆さん、大切な時間を割き、真剣に答えられたと思いましたが...

#11 今日 12:34:21

iris
メンバー

Re: 脱党を経て大いなるバビロンへ

野良カモメさん、今日は御ミサにあずかりましたか?

私もカトリック教会に落ち着くまでには、いろいろな教会に通いました。キリスト教のことがよくわからなくて、「信仰なんかいらないのでは?」「日本人の私にはキリスト教は合わないのでは?」と思ったこともありました。

そんな私も今ではカトリック信者ですが、カトリック教会に献身したわけではありませんから、信仰生活は自由です。御ミサに行けなくても誰にも文句は言われませんし、洗礼を受ける気配もなしに何年も通っている人もいます。

すぐにすべてを理解しようとか、受け入れようとか、頑張りすぎない方がよいかもしれません。
野良カモメさんに平安がありますように…

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