#76 2019年06月09日 07:04:13
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
おはようございます。
最近、仕事がハードで少し疲れ気味な上に、今日も仕事になりました。出張も近づいていまして色々と準備もしなくてはいけません。σ(^_^;)
ゆりさんの神のみ名に関しての質問は特に重要ですからできるだけ詳しく説明したいとは思っているのですが、とりあえず簡単に説明します。
その前に、ネストレもウエストコット・ホートと同様の底本と思ってよいでしょうか?という質問ですが、
ネストレ聖書本文の誕生(1898 年)
「 1898 年、エバハルト・ネストレという人物が『ギリシャ語新約聖書』の第一版を創りました。それは、ティッシェンドルフの写本と、 ホートおよびウェストコットの本文 RV(Revised Version) と、ウェイマウスの本文から成り立っていました。」
という事ですから、基本的に同じだと思っていいと思います。
>パウロはローマ 10章13節で、ヨエル 2章32節を引用して、このように述べました。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
>ここで言っている御名とは、父なる神=ヤハウェのことだと思うのですが、どう思われますか?
ヨエル2章32節の"主"はテトラグラマトンになっていますよね。
ローマの信徒への手紙/ 10章 09節
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマの信徒への手紙/ 10章 11節
聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
ローマの信徒への手紙/ 10章 12節
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
新約聖書では、イエスが主であり、受肉された神である事が示されています。
イザヤ書/ 44章 24節
あなたの贖い主/あなたを母の胎内に形づくられた方/主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。
ここでは、神は独りで天を延べ、地を広げられたとあり、創造の際に、エホバの証人が言うような有能な助け手である秘書のような存在、天使ミカエルなどは関わっていない事が分かります。
万物を造られたのは、父、子、聖霊であられ、新約聖書では、イエスが神であり主であり、万物の創造者として示されています。
ですから、「イエスは主」であると主張する事は、イエスをYHWHと告白しているという事なのです。
コロサイの信徒への手紙/ 01章 16節
天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。
創世記/ 01章 26節
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
ここでは、神は「我々」と言われました。神が天使に言ったとは書いていません。神が我々と語っておられます。
ですから、イエスという名は、ヤハウェは救い、主は救いの意味ですから、また、「わたしを見た者は父を見たのだ。」、「わたしと父とはひとつです。」と言われたように、イエスの名を呼び求める事は父なる神の名を呼ぶ事であり、さらに、イエスは、ご自分と同等の助け主、弁護者として聖霊を遣わす事を述べておられるわけですから、父、子、聖霊がYHWHであられ、イエスが受肉されて世に来られた神であられ、ヤハウェとは、それぞれを個別に表す事もあれば、お三方を表すものでもあるわけです。
イエスは、独り子の神や、神であったと記されていますが、永遠の父だと書いてある箇所や、王の王、主の主、アルファでありオメガであると、完全に父なる神と一体であられます。
聖霊が人格を持たれ、また神と呼ばれ神性を有しておられる事は以前示した通りです。
さらに言うなら、父なる神は、「力ある神」と出てきますが、この同じ表現はイエスにも用いられています。
イザヤ書/ 10章 21節
残りの者が帰って来る。ヤコブの残りの者が、力ある神に。
イザヤ書/ 09章 05節
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ひよりさん、ギリシャ語のコスモス( κόσμος )ですが、
もともとは秩序をあらわす言葉で、それが転じて世界、宇宙、装飾などの意味になった。古代ギリシャ語ではχάος 「カオス」と反対の概念。[英] cosmos (宇宙)、cosmetics (化粧品) の語源。
と、ありました。
また、私の持っている辞典において
『新約聖書ギリシア語小辞典』の編者織田昭氏は、ヨハネ3:16で「世」と訳されているコスモス(κόσμος)を、「すべての人間、世にいる人間」と定義し、それに対して、1ヨハネ2:15の「世(コスモス)」は「倫理的な意味での、世、この世、神を離れている人間世界」と定義・分類しています。
ですから、ギリシャ語のコスモスというのは、たとえば日本語の「世界」という言葉も、宇宙全体を含めた世界の意味もあれば、全ての国や人間社会、また、その中の特定の人々等も表すように、1つの意味だけではないという事だと思います。
#77 2019年06月09日 07:12:59
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
以前も書いたのですが、神は愛であり、愛というものは愛を示す対象がなければ存在し得ません。
被造物を造られる前の計り知れない期間に神は愛を示す対象がなかったでしょうか。
いいえ、神はいつも愛であられると思います。
神は常に父、子、聖霊の交わりを持っておられます。
YHWHで予型されていた方、YHWHの実体であるイエスが地上に来られたので、新約聖書にそのYHWHの文字が存在しないわけです。
#78 2019年06月09日 07:15:03
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
訂正です。
予型→ 予表
では、仕事に行ってきます。(^-^)
#79 2019年06月09日 15:31:36
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
では、イエスが言われた次の言葉はどうなるでしょうか。
ヨハネによる福音書/ 17章 06節
世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。
「あなたのものでしたが、私に与えて下さいました。」この聖句は、ヤハウェの花嫁からキリストの花嫁に、また、ヤハウェの証人から、キリストの証人へと変えられた事を示しています。
ヨハネによる福音書/ 17章 12節
わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。
私に与えて下さった「御名」とは、ヤハウェは救いを意味する「イエス」です。
一世紀のクリスチャンたちは世に来られたYHWH、イエス・キリストの御名を知らせました。
それが父を尊ぶ事になるのです。
ヨハネによる福音書/ 05章 23節
すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
父を敬うのと同じようにイエスを敬わなければなりません。
ヨハネによる福音書/ 17章 26節
わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」
イエスは何度も祈られ、祈りの手本も示されましたが、一度もYHWHを用いてはおられません。
御名を知らせるというのは、名は体を表すと言うように、本質を知らせるという事です。つまり、神を崇めるとは、神を神と認める事を意味します。
例えば、警察官の名にかけてと言う場合には、「警察官」は名ではありません。
イエス様は神様の本質を知らせたのです。
弟子たちも一度もYHWHを用いていません。また、ユダヤ人たちは今でもYHWHの民、証人を自負していますが、神名を発音する事はありません。
御名を神聖なものにする、崇めるとは、単にYHWHを発音するという事ではありません。
ゆりさんへは、以前、ウィリアム・ウッド牧師の
「エホバの証人」の反三位一体論に答えるの本と、その資料集を勧めました。
私は、エホバの証人と関わった経験から、元JWやその教えに影響を受けた人がどのように考えるか分かりますので、一番重要な点を確かめる為にお勧めしたのです。
もちろん、三位一体を疑いながら調べてみても何ら構いません。
その本を調べるなら、ものみの塔協会とキリスト教会のどちらが学者の言葉や辞典から正しく引用しているかも分かります。
私は、反三位一体論に答えるの本で引用してある書籍をも調べました。
ここで、何かと誤解のある三位一体について参考になるものを載せますね。
ヨハネの福音書
http://www.jca.apc.org/~resqjw/verse/john.htm
三位一体のカテキズム
http://jmc.holy.jp/faq/sanmi.htm
#80 2019年06月09日 17:55:47
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
仰天さん、献身的な投稿をありがとうございます。
今日はゆっくり休息を取って下さいね。
愛に溢れた人は、他者を助け守るために勇敢さを持ち合わせているものですが、
仰天さんの雄々しさには、他者への深い愛が根底にあることが分かります。
分かる人には伝わっていると思います。(^-^)
でも、平行線をたどる議論は心身を疲労させますからね。^_^
さて、神のみ名について論じるとき、三位一体は避けて通れないのですね。
呼び求めるべき方がイエスであることは理解しましたが、
三位一体については半信半疑という段階です。
固定観念を排して、一つひとつ検討してみます。
以前、仰天さんから勧められて購入した本も開いてみました。
偏見なく、聖書の真意を読み取れるように心がけます。
いつもありがとうございます。
#81 2019年06月09日 23:27:15
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
ゆりさん、
興味深いご指摘、ありがとうございます。
わたしも不思議に思いました。
手元にある12種類の日本語訳を見てみました。「思っていた」に脚注があるのは新改訳でした。
皮肉なことですが、
新世界訳は「言いつづけていた」です。
回復訳は「言っていた」になっています。
残りの日本語訳は「思っていた」に類似する表現です。
面白いことにバルバロ訳では
「私は救われると心に言い聞かせながら」でした。その時代長血の病気の女性は人前に出られませんでした。
だから、実際声に出して言いつづけたというより、
心で言いつづけていたという意味に訳する方が、
状況に合致すると翻訳者は判断して、
「思った」という表現にしたのではないでしょうか。わたしは翻訳者ではありませんから、
確かなことはわかりませんが、
その女性の信仰には見倣いたいと思います。
ラハムさんは、12種類もの日本語訳をお持ちなのですね。
其々どのように訳しているか、教えて頂きありがとうございます。
やはり殆どの日本語訳は「思っていた」とか「考えていた」と訳しているのですね。
ラハムさんの見解も知ることができて良かったです。
今回、韓国の牧師さんが日本語の翻訳に不満を述べられたのは、
『イエスに対する信仰は言葉に出る』ことを教えたかったからなのです。
12年間も病に苦しめられていたその女性は「きっと治る」と周りの人に分かるようにずっと言っていたと思う、とその牧師さんは仰いました。
イエスのことを聞いて、信仰を置いたから、女性の言葉は肯定的で生産的なものになった
と。
人は深刻で最悪な難しい問題が生じると、「できない」とか「だめだ」とか「死にたい」と簡単に言うが、感情的に物を言ってはいけない。
全知全能の神に信仰を置くなら、肯定的な言葉が出てくると言われました。
私は、この女性が言葉を発していたとしても、ぶつぶつと独り言のように言っていたのだと思っていたのです。
でも、他の人に分かるように言っていたのなら、何という強固な信仰だろうと思いました。
私もその信仰に倣いたいと思いました。^_^
#82 2019年06月10日 19:14:48
- ほい
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
ひよりさん、返信遅くなりました。
ほい さんの発言:三位一体の教えでは、神ご自身が自らを犠牲にされたということになるので、これなら神は愛というのは理解できます
ほいさん、興味深い御答えですね。三位一体の教義上であれば、イエス・キリストの犠牲の死を理解御出来になられる、
と仰る、現役JWさんって。
一応念のためですが、私は三位一体の教義は信じていません。
ただ、あくまでも神が自らを犠牲にして人類を救ったというのであれば、神は愛という聖書の説明もまだ理解できるということでした。
本心では、
ほい さんの発言:私は二人の子がいますが、仮に下の子の命を救うために上の子を
犠牲にしなければならないとして、自分にはその取捨選択の決定は出来そうにありませんなるほどです。
御自身の二人の御子様を平等に愛しておられるのですね。
私が初子に拘っていましたから、そのように御答えになられたと思いました。確かに仰る通りです。神は全創造物の初子、であるゆえに、神にとっては、初子のイエス・キリストに対しては、イエス・キリスト以外の全ての者達は、二人目のお子さんと同様ではありませんか?
初子のイエス・キリストと、以外の創造した人類全てを天秤にかければ、均等になる。
そのように私は理解していました。対応する【あがない】、ですね。ほいさん、御返信はいつでも構いませんけど、ほいさんはイエス・キリストの犠牲の死を偉大だと仰いましたね。私もそう思います。でも直接手を下したのは神ではない、と言う論議でした。
確かに、エジプトに於いて初子を殺害したのは神御自身です。
ですから、神は残酷だ。と結論されたようですが、
残酷な神が御自身を死によって全人類のために死んだ、(三位一体の教義上であれば)これは、残酷というよりも、自己犠牲の最たるものですよね。神は残酷でしょうか?それとも自己犠牲的なのでしょうか?これは、私も是非、知りたいと思いました。
私は、聖書(特に旧約)の中の神の描写が全て残酷だとは考えていません。
愛にあふれる描写もありますし、知恵に富むと感じる記述もあります。
しかし、これらの記述があるからと言って、どう考えても説明のつかない残虐行為が正当化されるとは思いません。
私は聖書は神が啓示した言葉ではなく、当時の人間が神を探求した記録の書であると今は感じています。
ですので、その時代ごとに必要とされてきたものが異なるため、神に対する描写に矛盾が生じるのも無理はないと考えます。
ただ、神の存在を否定しているわけではありません。
聖書が神の啓示による言葉ではなかったとしても、人類史の初期から現代まで受け継がれてきたということはすごいことですし、神がそれを許されたと考えることもできます。
しかし、聖書の原理主義的解釈は、論理的にも道徳的にも私は受け入れられません。
#83 2019年06月10日 20:15:53
- ひよりタニタクミ
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
こんばんはm(_ _)m
ほいさん、御返信を御待ち申し上げておりました。
色々と申し上げたいこともあるのですけれど。
ちょっと一晩ほど御時間を頂きたいと思います。
私自身、脊髄反射的に御答えするのは、
昔からの悪い癖で。
ほいさんの御意見も、
よく準備して御返信致したいと思います。
とは言え、ほいさん、私の御質問に御答え頂き
本当にありがとうございます。
とは言うものの、
私はこの間、このスレッド以外のスレッドを
拝読しておりません。
トピ主の仰天さんの今日一日に、
どなたと、どんなやりとりがなされたのかを
存じておりません。
もしも私がほいさんと論じ合うことが、
トピ主の仰天さんにとって
相応しくないのであれば、
仰天さん、私にストップを御掛けください。
ここは、仰天さんのスレッドですから、
私が、でしゃばってほいさんと論じ合うことが、
適切かどうか、
仰天さんの御判断にお任せ致したいと思います。(^-^)
仰天さん、
どうか御判断よろしくお願いいたします。m(_ _)m
#84 2019年06月10日 21:04:56
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
ひよりさん、こんばんは^_^
他のトピックで書いたのですが、ほいさんと私が話してもお互いに結論を出しているわけですから、いつまで経っても平行線ですので私はほいさんとの議論は降ります。
ですが、ひよりさんが望まれるのなら、ほいさんと話をされても構いません。
掲示板で必ず質問に答えなくてはならないとか、スルーしたらダメとかもないでしょうから、いつでもひよりさんも対話を辞める事もできます。
語られたいのなら、まだしばらくは大丈夫ですよ。(^o^)/
ただ、このトピックは基本的に、神と聖書を愛する人の励みとなるものにしたいと思っています。
#85 2019年06月11日 06:15:49
- ひよりタニタクミ
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
語られたいのなら、まだしばらくは大丈夫ですよ。(^o^)/
ただ、このトピックは基本的に、神と聖書を愛する人の励みとなるものにしたいと思っています。
おはようございますm(_ _)m
仰天さん、私のような浅薄な知識の者に話し合う機会を御許しいただき、恐縮です。元より、私は未だ、ほいさんと仰天さんの
議論をお読み致しておりません。重複になっていたらと思うと、
閲覧者の皆様にも失礼ですよね。あらかじめ、もしも同じ事を言っていたら、仰天さんに、また閲覧者の皆様にも御指摘していただければと思います。
でも、そうならないよう、願っております。
それに、仰天さんのトピック趣旨に反しないよう気を付けて
御伝えしたいと思います。
では、ほいさん。おはようございますm(_ _)m
まず、ほいさんの想い、
あの例の神の行動(エジプトの長子を打った事)
は【論理的に道徳的に受け入れられない】
と言う、お考え。
【理解出来ない】
と、この言い方が恐らく平行線の理由では?と私は推論しました。理解出来ない、と言うよりも、
【共感できない】と仰って頂くともう少しニュアンスが伝わるのでは?と思いました。ですから、論理的。と言うより、無力なこどもの命を奪ったのは【感情的に許せない】、と感じて御主張されていらっしゃったのではありませんか?
理解とは論理的に判断すること。
共感とは感情的に判断すること。
ほいさんのなかで、この2つの感覚が一緒に混同してるとは
思えませんでしょうか?詰まり、神のなさった事は、自分には
共感出来ない。だから、史実ではない。神の言葉ではない。
非論理的。と言う場合、【筋道に合っていない】と私は定義して御話しを進めさせて頂きますね。よろしくお願いいたします。
聖書は、創世記をはじめとしてペンタチューク、モーセ五書を
編纂していますが、創世記の記述から順をおって行きますと、
創世記3章15節で、神にとってイエス・キリストの犠牲の死は
既に現実に起こる事実のものとして、発表されていた。
と感じます。
この点はほいさんいかがでしょうか?
まだ私達が罪人であった間に、神は事実上、
御子の命を世に与えておりました。
世に与える、これはイコール磔にされて悲惨きわまりない仕方で
殺されて、人類全ての命を買い戻す、【あがない】の備え。
私は犠牲を望まない憐れみを望む、とも神は言いました。
犠牲の死を、決して神は正当化してはいなかったでしょうね。
寧ろ、親の因果が子に報い、的なやり方を神は好んでおられてはいなかったでしょう。モーセの十戒で、殺人をしてはならない。と、命令しておられますし。では、神の殺戮の記録はいったい何故?何を目的として書き記されて、現代に生きる私達にも、
残されて来たのでしょうね。
私は出エジプト記の13章1節,2節に目が行きました。
【初子はわたしのもの】と書かれていました。
神にとって、人間の初子も動物の初子も、みんな神のもの、
と言うお考えでいらっしゃることは、意義深いですね。
正当化すること。これを【不正ではない】と言う定義で言えば
ローマ9章のなかで、神のこのときのエジプト人への行為を
こう説明しました。
14節 神に不正があるのですか?決してそのようなことはありません。15節 神はモーセに『私は憐れみを示したい者に憐れみを示し、思いやりを示したい者に思いやりを示す。』と言っています。16節 ですから誰が神に選ばれるかは人の願いや努力にではなく憐れみのある神に懸かっているのです。17節 ファラオに対するこういう言葉があります。私は次の理由であなたを生かしておいた。あなたのことで私の力を示し、私の名が地上全体に広まるようにするためである。18節 ですから神は望む通りにある人を憐れみ、ある人が強情になるままにするのです。
長い聖書の言葉の引用ですみません。
私はここを読んで、なるほど、と思いました。
ちょっと見ただけだと、神は不公平?と思えるかもしれませんね。ファラオの性格を利用して神の名を知らしめるのに使った。
とも読み取れますね。
エジプトは世界強国でした。ここで神は御自身のお力を十の災厄で自慢したかったとは思えません。
私達は聖書を読むとき、神の愛情深さや、逆に辛いと思える行動
も全部を受け入れなければ、神は認められない、とは思えないのです。ファラオの初子を死なせなくても。。。と無力なこどもに
死を与えた神に共感してほしいと神が望んではおられないと思うのです。
ほいさんの御感じになられた情は、即ち神の情と同じと思います。神も、冷酷無比にエジプトの長子を打った事で名をあげたかったのだ、
とは思えません。ファラオその前にはイスラエルの男の子を溺れ死にさせよ。と言う布告を出していましたよね。
その報い。とも言えるかもしれません。
目には目を、という事かもしれません。
どう感じるにせよ、神の意図は、読み手が神が人類全ての罪の許しのための犠牲の死の重要性を感じるよう予表し続けるのに終始していたのではないでしょうか?
そのやり方は残酷だったかもしれませんね。そのやり方に共感できないのは、ある意味当然の事で、神も、こどもの命は尊いと聖書にはたくさんの御腹にいる子の命をも、大事にするための律法を与えて守らせていましたね。
これが矛盾に感じられておられるほいさん、それで良いと思います。聖書に矛盾は無い。と考えれば、ほいさんの言うところの、
原理主義的、になってしまうのでしょう?
聖書は深淵な書であるので、研究すればするほど、新たな気付き、と出会える。稀有な書物ですね。
そして、仰天さんのトピックですので、これは、結論になりますけれど、原理主義者は、自分の考えに相手を同化させようとします。これに対して仰天さんは、ほいさんに同化させようとして議論を展開してはおられないと、私は感じます。
仰天さんのやり方はファンダメンタリズムとは思えないのです。
『善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった』
と、神は創世記3章22節で言われましたね。
善悪の判断で言えば、殺人を当然よしとしない。
これは、神にも当然備わっている御気持ちでしょうね。
初子は神聖なもの。と神は思っておられ、憐れみを示したい者に憐れみを示す。強情な者には強情になるままにされた。
過ぎ越し。この祀りはエジプトの初子の死を、後世のイスラエルのこどもにもまつりの意味を説明する義務も与えました。エジプトの長子の死を、決して無駄にはしていませんね。寧ろ、神の力は、これほどの人智を越えたやり方も致す方である。
従うことは犠牲に勝る。この教訓にもなったことでしょうね。
いずれにしても、ほいさんが神の描写がその時代に受け入れやすいように、その都度変化している。と御感じになられるのであれば、きっとそれはほいさんが真剣に神と向き合っているからであり、神もまた、ほいさんをとても愛しく思っておられ、神に近づくステップを1歩づつ、昇られる過程と見ておられるのではないでしょうか?
私の考えは以上です。長々と偉そうに述べて内容は大した事は
言っておりません。読んでも、がっかりされる方も多いと思います。
気を害された方が殆どだと思いますが、仰天さんにとって、
既になされた御話しを蒸し返しただけかもしれません。
一晩中、調べて考えて発言させていただきました。
この機会を御許しいただき仰天さん、
本当にありがとうございましたm(_ _)m
#86 2019年06月11日 19:35:32
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
割って入るご無礼、お許し下さい。
ひよりさん
聖書全体を俯瞰したご意見、ありがとうございます。
ひよりさんは、とても思慮深い方ですね。
私も含めて、人は思い込みで勝手な解釈をしがちですから、
聖書全体を深く読み込んで、真意を確かめる必要があると思いました。
反射的に解釈したら、意図を見誤りますよね。
今、聖書を俯瞰する助けとして、ローマ人への手紙も勉強しています。
この書簡は聖書の要約とも言えるそうですね。
ひよりさんが引用して下さった聖句からも、合点がいきました。
この書簡が私の一番好きな書になりつつあります。(^-^)♪
「ロマ書を制する者は聖書を制する」byゆり(笑)
それから、仰天さん
仰天さんに構ってもらいたいお子ちゃまが沢山おられて困りますね。
私もその一人ですが(キリッ、何か問題でも?)
悪意ある、不毛な議論はスルーして下さいね。くれぐれも。
#87 2019年06月12日 06:19:44
- サルガタナス
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
おはようございます
最近
多分プロテスタント系だと思うんですが
賛美歌ライブの動画にハマってまして
いや本当に良い曲だなと
聴いてて感動してしまいます。
それで会場に神からの聖霊が
JWではエホバからの聖なる力という表現になって
いますが来てるか来てないかといえば
確かに来ている感じでして会場の皆さんは
神の聖なる力による喜びを得ている感じなんです
こういう映像を見ると神様やイエスキリストを
愛して信仰する気持ちに宗派は関係ないんだなと
すごく教えられますね。
#88 2019年06月12日 06:32:46
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
サルガタナスさん、おはようございます。^_^
日本語の賛美もいいですよ。
たくさんクリスチャンアーティストもおられて、神への感謝と賛美が伝わってきますね。
10000 Reasons (Bless the Lord) Matt Redman Japanese 日本語 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EK73lRKSdKQ
#89 2019年06月12日 10:07:39
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
おはようございます。
賛美歌のご紹介ありがとうございます。(^-^)/
いい曲ですね!
私も3年程、声楽をやっており、歌うことが喜びです。
白状しますと、JWの賛美歌をダウンロードし、ほぼ全曲覚えました。
昔からクラシックに慣れ親しんできたせいか、JWのメロディーが肌に合うんです。(^_^;)
エホバはヤーウェと発音してますし、誤った教理を含むものは飛ばしています。
スポーツも好きですが、歌うことも、私の場合カロリー消費量高いです。
両方とも、楽しみながらダイエットができ、ストレス解消もできます!
そのお陰かな、いつも笑いの絶えない職場と家庭です。(^o^)
#90 2019年06月12日 10:48:04
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
追伸
この掲示板には、冗談も通じない人もいるようで。
激昂しておられるようですが。(笑)
くれぐれもご自愛下さいませ。(^-^)
#91 2019年06月12日 11:59:33
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
クリスチャン・シンガーソングライター
石尾真弓さんのブログです。
https://profile.ameba.jp/ameba/mayumishikoro
私はワーシップソングも伝統的な賛美歌も好きです。(^^)
#92 2019年06月12日 12:58:34
- ほい
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
ひよりさん、すみません、コメント頂いていたことにさっき気付きました。
色々と深く考察してくださりありがとうございます。
私は神がおられるならその方を知りたいと思っています。
しかし、(これはあくまでも現時点での私個人の結論ですが)聖書の内容が「全て」真理で正しいものだとは思えません。
ですので、その内容の矛盾を無理に解釈しようという気にもなれないのです。
私の書き込みは、このトピックの趣旨には反するでしょうから、特に必要性を感じない限り今後の書き込みは遠慮しようと思います。
#93 2019年06月12日 13:02:02
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
石尾真弓さんの弾き語りは綺麗な旋律と歌声ですね。
この方と出会えて嬉しいです。(^-^)ウットリ
#94 2019年06月12日 14:35:19
- サルガタナス
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
仰天さん、教えていただいてありがとうございます
ゆりさん
すごいですね~
ほぼ全曲ダウンロードされるなんて
現役のボクより真面目ですね
ボクも集会に行ってて賛美歌の時間は好きですよ
誤った教理を飛ばすの実はボクも少しやってます
(笑)
真面目といえばここの掲示板の皆さんも真面目です
ガラテア5章22節の九つの特質の中で
愛の次に喜びが来るんですが
我々、宗派に関係なく神様とイエスキリストを愛し
その教えを守るなら聖霊が与えてくれる喜び
神様からの聖なる力から来る喜びというのがあって
ボクはエホバからのご褒美だと思っているんですが
ここの掲示板の皆さん
どうやらそのご褒美無しで
長年JWやっておられたみたいなんですね
いや真面目すぎるし凄すぎるでしょ
宣教奉仕なんかご褒美無しだと
リアルに自己犠牲による奉仕じゃないですか
それで長年のJW活動は人生の無駄だったと
考えておられる方が多いわけなんですね。
#95 2019年06月12日 15:26:38
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
サルガタナスさん
聖霊の実は、愛の次に喜びが来るのですね!忘れていました。
この道は決して苦行なんかじゃないですよね。(^-^)
日々喜びに満たされているのは聖霊のお陰だったことを気付かせて下さり、ありがとうございます!
サルガタナスさんの言葉は心にすっと入ります。
そして、神とキリストに心を向けるよう動かしてくれます。
私には、この掲示板の方々の心理が理解不能だったのですが、
サルガタナスさんの考察は理解の助けになりました。
ありがとうございます。
#96 2019年06月12日 18:45:28
- サルガタナス
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
ゆりさん
やはり聖霊からの力による喜びが
来ておられましたか
なんか統治体の元気のない兄弟たちよりも
たくさんゆりさんに聖霊が来ておられそうですね~
ボクも見習いたいです。
あとボクの好きな賛美歌は
わたしたちの力、希望、確信ですね
初めてこの曲を聞いた時は泣きそうになりました
#97 2019年06月12日 21:00:39
- ゆり
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
サルガタナスさんの投稿を拝見する前は、とても辛い気持ちでした。
神様の導きを感じます。
慰めを与えて下さってありがとうございます。
私は涙を流しました。嬉し涙です。^_^
ハモれるようになっているんですね。
ご紹介ありがとうございます。
JWの賛美歌を毎日歌っていたのですが、
ハモることもできるなんて夢みたいです。
サルガタナスさん、ご親切に感謝いたします。
#98 2020年01月02日 10:17:51
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
ゆりさんへ
お元気ですか?(^_^)
ゆりさんはたまには教会にも行かれていたようで信仰を取り戻して今度は大丈夫だと思いますというような事でしたが、私が掲示板から離れた後でもこの掲示板では相変わらず否定派の意見が書かれていたようですから(もちろん誰がどういう見解を書いても自由ですが)
ゆりさんの信仰が弱まったりしていないかと多少心配していました。
もちろん、私が保守的な見解を紹介しても、判断するのは皆さんであり、たとえその後にゆりさんが色々と考えて心境の変化があったとしても自由です。
もし、この投稿に気がついた時には最近の様子をお知らせくださいませ。
#99 2020年01月06日 19:09:58
- めぐママ
- メンバー
Re: 仰天さんのキリスト教擁護スレッド
めぐママさん。
私に対して、【エナジーバンパイアー】と仰いましたよね?
そして、御自分のことを、【ブチキレる】と仰ってもいました。ですから、私は自分の過去を余すことなく打ち明けました。
愉快犯と仰ってる、そのお言葉の背後には、あのトピックでの
御自身の御発言をお気に病まれてのことと判っております。でも私は、レイプ犯人をさえ、
心のなかで赦している人間です。
あの言葉を私は、全く怨んでもおりません。また、あのトピックにて、皆さんの御意見を私は辛いと傷付きながらも、いつも【レイプされたあの苦しみに比べれば、耐えやすい】
と思って敢えて反感を買う言い方に終始しておりました。めぐママさん。もうあのトピックでのなかで繰り広げられた言葉の応酬をお忘れください。あれは私が造り上げた虚構だったんです
レイプされた被害者の精神は、まともなものではありません。
私が最後まで命を懸けていられたのも、レイプされたとき、
1度私は、女として、またヒトとして既に死んでいるからです。
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