#26 2015年04月22日 14:14:45
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ものみの塔の手口はいつも一緒です。
あいまいな言葉を使い拡大妄想させる。
聖書のあいまいな言葉を限定的に解釈する。
この二つを使い、繰り返し自分たちの考えを植えつける。
聖書がまともに読めなくなる。
聖書の解釈が必ず統治体の解釈となる。
この607年節で言えば
70年を従属、荒廃、流刑、安息とごちゃ混ぜにしてしまう。
安息という言葉を土地の安息=土地をまったく耕さない、種もまかないと限定的に解釈させる。
しかしこれでは、聖書をよく読むと変なことを言ったいるなと思えることがある。
たとえば
「あなた方のその安息の間、それは安息を守らなかったからである」
そんなこと不可能ということを言ってることさえあるとなってしまう。
そこで次から次へと時間をさかせたり、出版物を変えたり、同じ思考を続けないようにする。
つまり深く考えさせなくしてるのです。
これでは聖書を学ぶとは全く違う、出版物の言いなりになってしまう。
恐ろしい手法です。
是非説得してあげてくださいね。ガリレオさん。
#27 2015年04月22日 17:19:24
- ガリレオくん
- メンバー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ありがとうございます真剣さん、本当のところは素直に読めばスッキリするはずなんでしょうね。絡まった糸を一本ずつ解いているような気持ちです。でも私自身も考えることなく今まで過ごしてた訳ですから自己責任ですよね(>︿<。)何でもっと早く気がつかなかったのだろうと悔やまれます。でもこれで「背教ネタ」なしで聖書から607年を覆せると思います。後は盲信を続けるか思考を働かせてくれるか本人次第ですね。
あと自分なりのまとめとして、539以前の歴史の年代を全否定していたことになることも大変大きなショックであったとともに、収穫ともなりました。これを研究生や子供たちに教えることはできないと感じています。
真剣さん、理解に付いて行けるように丁寧な解説を「真剣に」して下さったこと、心から感謝しております。
オフライン
#28 2015年04月22日 19:27:52
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
少しでも感謝いただけるなら、とてもうれしいです。
実は私は研究生でしたが、いろいろ調べて辞めました。
しかし家族が今も信者です。
このネタは何年も調べて家族を覚醒されるためのものです。
私の家族の場合は私の説明が全て聖書に合致したものと理解しても、
まだも塔の嘘をも信じたいといった状態です。
そんな矛盾は当然聖書と合致しないし神が受け入れないと言っても、
まだ集会に家族は行っています。意地になっているのか?判りません。
まだまだ説得は続きます。
お互いがんばりましょう。
#29 2015年04月26日 15:25:45
- ガリレオくん
- メンバー
Re: 聖書のみで607年は覆る
何ラウンドかトライしていますが、相手の土台に統治体のフィルターを通そう、統治体の公式を当てはめようとする姿勢がどうしてもあるので、統治体の理解を介さない聖書だけの話し合い自体が出来ているようで出来ていないもどかしい状態が続き、互いに少し疲れました。どこかのスレにありましたが弱いパンチを打ち続けないとダメですね。統治体を信頼したいか否かでも見方が変わりますしね。そもそも統治体が信頼できるのかを考えるための「607年討議」のはずなのですが・・・統治体の信頼を落とす何か大きな出来事が起きてくれないかなー。モリス総統、翻訳にも困るような「奇妙な」発言、今後も期待してます‼
オフライン
#32 2015年04月26日 18:29:28
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオさん、頑張ってますね。
最近のれっとのビデオやゲリトレッシュの裁判記録はどうでしょう。
嘘をついて到底一般的には認められない無責任発言ですよ。
#33 2015年04月27日 08:55:58
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
がっつり長老と家族の監視のもとにおります。
ガリレオくんさん、おはようございます。
もしかすると、PCやタブレットなども監視されているのでしょうか?
ここへときどきおいでになれるということは
その辺のチェックは甘いのでしょうか?
あまりPCやタブレットの奥の奥まで厳重なチェックが入らないなら
「電子書籍」で「良心の危機」をお読みになれるのですが、検討してみてください。
#35 2015年05月01日 11:15:53
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオさん、諦めないでくださいね。
彼らの冊子、書物だけで矛盾点はたくさん出てきますよ。
まずはガリレオさんが正しい歴史をよーく理解することとそれが完全に聖書と一致していることを把握することです。
も塔ではある時は自分達に都合に悪い証拠を信用できないと断定し、後では利用法を変えて自分たちの根拠としています。
普通には考えられない身勝手さです。
#37 2015年05月18日 13:58:45
- ガリレオくん
- メンバー
Re: 聖書のみで607年は覆る
それにしても腑に落ちないのですが、607年といえば「忠実で思慮深い奴隷」が自分達のことですよと言っている唯一の起点になる訳ですよね。そこが一般に受け入れられている年代と20年も差があることに何の疑問も持たないのものなのでしょうか?確かに私も気付いてはいましたが大したことではない、自分よりエラい人が調べてそれなんだからそうなんだろうと学生時代に片付けていました。み~んな本当に知らないのか、信仰で知らぬ存ぜぬを通しているのか。人や組織を信頼できるかプロフィールなんかを確認しますよね、ウソが見出されたらドン引きしたりってよくある話で政治家などよく叩かれてますよね。統治体が信頼できるのか、彼からの主観ではなく、しかも「背教ネタ」でない客観的な他の資料などあればいいですね。ちなみに会衆内の他の長老達の知るところともなったようでいよいよ動き辛いです。次の巡回あたり山場かな~
オフライン
#38 2015年05月18日 16:10:47
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオくん兄弟
その辺の事情や組織がその問題を無視した経緯もレイモンド・フランズが書いていますよ。
(絶対「良心の危機」は読むべきです。)
結論から言えば、彼らの中に
真に
『神や聖書に敬意をもった人はいない』
『真理を求めていた人はいない』
『そんな良心的な人もいない』
としか言いようがないですね。
もしくは、sk兄弟がおっしゃっているようにJWも「NWO」の計画の中で
一時期用いられた組織のひとつに過ぎないのかも....。
最近の寄付懇願は、使い捨て組織の慣れの果てだったりするのかも....。
レイ兄弟と同時期に、スウェーデンの長老だったカール・オロフ・ジョンソン兄弟は緻密に調べた(特に考古学的な資料から)「論文」まで提出していましたが「追放」されています。
英文でよろしければ全文持っていますので、PDFデータ差し上げるのですが....。
#39 2015年05月18日 19:21:58
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオさん。お久しぶりです。
ささらほーさらさんのおっしゃるとおり。『神や聖書に敬意をもった人はいない』
『真理を求めていた人はいない』です。
長老たち、巡回も結果的に同じです。
「客観的な他の資料などあればいいですね。。。。次の巡回あたり山場かな~」
とありますが、聖書の記述は彼らの矛盾を表していますので、もし公開質問、公開回答の会となれば、
恥をかくのは組織側です。
それを知っている為、彼らは密室で討論するんですよ。
神は光。真実の光は闇に打ち勝つますよ。
#42 2015年05月19日 19:51:29
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
そうそう。堂々巡りで、循環論法です。
これは人を騙すための稚拙な論法です。
良識的な人には通用しない論理です。
だから、彼らは、エホバの証人だけの密室で話を進めるのです。汚い奴等です。
#43 2015年05月20日 10:01:21
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
「607B.C.E」からは少し逸れますが、
「イエスの生誕=西暦前2年」を前提としている
協会の出版物の記述は、業界では認められて
いるのでしょうか?
日本の学校で使われている世界史の教科書には
どれも「西暦前4ないし6年」としか出ていません。
学校の授業で(試験で)非公式証言しようにも、
大もとの起点が異なっているので
困った経験が何回かあります。
詳しい方、いらっしゃいませんか?
#44 2015年05月26日 17:17:45
- ガリレオくん
- メンバー
Re: 聖書のみで607年は覆る
1000時間奉仕者さんこんにちは、イエスの誕生について申し訳ありませんが私では分かりかねます。よろしければ新たにトピックを立てて頂き、幅広くご覧頂いてみてはいかがでしょうか?
また607年の話題に戻させてください。ただ今ささらほーさら姉妹より教えて頂きました「異邦人の時再考」を読み調査している状態です。聖書から話題を展開することに目的を絞って読み進めています。5章に以下のような記述がありました。
このダニエルの書の冒頭を見ると、「エホヤキムの王政三年」にネブカドネザルはエルサレムを攻めて、ダニエル自身を含む、ユダの要人の一部を捕虜としてバビロンに連れ帰ったことが書かれている。第二節を見ると、「ユダの王エホヤキム・・・を彼の手に渡された」とある。この表現は、聖書の他の部分を見てもわかるが(裁き人3:10;エレミヤ27:6,7)、強制的に従属させられたことを意味する。なお、この年は実はエレミヤ書の「エホヤキムの第四年」と同じ年である。何故なら、ユダでは王の年数を数えるのに即位年を一として数えるのに対し、ダニエルが官吏として仕えていたバビロンでは即位年をゼロとして実際の在位年数を数える方法をとっていたからである。ユダの在位年数を使ったエレミヤと、バビロンの在位年数を使ったダニエルとの間に、一年の違いが出てくるのであるが、実際には同じ年を述べている。
このように、ユダのバビロンに対する従属は、エホヤキムの在位期間の早い時期に始ったいるのだが、もちろん、ものみの塔協会の年代計算では、これはうまく当てはまらない。ものみの塔協会はこれを説明するために、「エホイヤキムの王政の第三年」というダニエルの1:1の言葉を文字通り取らずに、「バビロンに仕える属国の王としてのエホヤキムのこの第三年のことであろうと思われます」としている(「聖書に対する洞察」第一巻410-411頁)。そしてこれはエホヤキムの王としての11年間の最後の年とする。これは、すなわちネブカドネザル王の第8年目(ユダ計算法)になる。
しかしこの解釈はダニエルの2:1の記述と真っ向から矛盾している。ここでダニエルは、ネブカドネザル王の第二年目に王の夢の解釈をしているのである。もしダニエルがネブカドネザル王の8年目(あるいはバビロンの計算法では7年目)にバビロンに連れてこられたとするなら、どうして彼がネブカドネザル王の第二年目に夢の解釈ができるのだろうか。この点を何とか取り繕うために、ものみの塔は、ダニエルの2:1の「ネブカドネザルの王政第二年」をやはりその通りに解釈せず、エルサレムが破壊された年から第二年、実はネブカドネザルの王政代十九年をさしている、という無理な解釈を行っているのだ。(「聖書に対する洞察」第二巻135頁)
このように、ダニエル1:1-2と2:1を見ても、ものみの塔協会の七十年預言の解釈は、聖書の記述そのものと矛盾し、「エホイヤキムの王政の第三年」、「ネブカドネザルの王政第二年」という単純な記述をそのまま素直に解釈せず、捻じ曲げて解釈せざるを得なくしている。なお、バビロニアの神官ベロッソスが紀元前3世紀に書いたバビロンの歴史の中でも、ネブカドネザルが王に就いた第一年目にすでに、ユダの一部の人々がバビロンに捕虜として連れ去られたことを記している。ベロッソスはこの記録をバビロン年代記や新バビロン王朝の時代の記録に直接基づいて書いており、この点でダニエル1:1の解釈を裏付ける重要な史料なのだ。
も塔の理解ではネブカドネザルの第8年、エホヤキムの第11年及び同時期のエホヤキンの間に1回目の捕囚がありダニエル達も含まれていたということになっています。でも聖句を素直に読むとネブカドネザルの第1年にエホヤキムの第4年でありそこで1回目の捕囚があったと理解できます。この辺りも全く対峙する形になっており、図面に起こして整理してはいるのですが頭の中でまとまっていません。各国の王の在位年が記録されている所でもあり、正確に照合すると必ずも塔の不備が見出せるに違いないと思っているのですがとにかくややこしくて混乱しています。この時代を図解してみた方はおられないでしょうか?も塔は誤導のプロですね
オフライン
#45 2015年05月26日 18:25:02
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
も塔の理解ではネブカドネザルの第8年、エホヤキムの第11年及び同時期のエホヤキンの間に1回目の捕囚がありダニエル達も含まれていたということになっています。でも聖句を素直に読むとネブカドネザルの第1年にエホヤキムの第4年でありそこで1回目の捕囚があったと理解できます。この辺りも全く対峙する形になっており、図面に起こして整理してはいるのですが頭の中でまとまっていません。各国の王の在位年が記録されている所でもあり、正確に照合すると必ずも塔の不備が見出せるに違いないと思っているのですがとにかくややこしくて混乱しています。この時代を図解してみた方はおられないでしょうか?も塔は誤導のプロですね
ガリレオくん兄弟、こんにちは。
わたしも明日、久しぶりに会う友人に説明するため、図面にしながらまとめていました。
・エホヤキムの王政3年にネブカドネザルは、まずユダの王族、貴族の一部を連行しました。この時に、ダニエルやハナニヤ、ミシャエル、アザリヤも連行されているわけです。ただ、これは一般にも「第一回目の捕囚」には数えられていないようです。言わば「人質」的な扱いだったようです。
・次にネブカドネザルは、在位8年目(9年目?)に「第一回目の捕囚」として3000人余りを捕囚にしたようです。(列王Ⅱ24:12~。エレミヤ52:28)
・最終的に、エルサレムが完全に滅ぼされたのはネブカドネザルの在位19年目で「第二回目の捕囚」10000人以上が連行されたようです。(列王Ⅱ25:8~14)
但し、捕囚にされた人数は、頭の数だったらしく実際にはその数倍はいたようです。
#46 2015年05月26日 19:19:31
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
追記:
ですから、ダニエルたち高貴な者の一部は
「第一回目のバビロン捕囚」より前に捕えられ連行されていることになります。
「バビロン捕囚」よりも前に連行されていたわけですが、
ネブカドネザルの第二年(まだ「第一回目の捕囚」は完遂していない)に
ダニエルがネブカドネザルの元に居て、
夢を解き明かしても辻褄が合わないということはありません。
しかも、その時ダニエルはまだ若者で、
捕えられてからそう時間が経っていない様子が伺えます。
洞察(捕囚)などの説明では、
ダニエルたちの連行と第一回目の連行がゴッチャになっています。
どんだけ「忠実で思慮深い」のでしょう。
#47 2015年05月26日 19:33:55
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ものみの塔の不備は、流刑を70年間と勝手に決め付け、その最初の帰還をバビロン崩壊後2年と決め付け、そこから70年間遡るとBC607年が出て、それがエルサレム崩壊年代に違いないと決め付けていることですよね。
まず流刑は70年間ではない、1回でなく3回は行われている。
そしてエルサレム崩壊直後に流刑をしていると主張していますが、実際はエルサレム崩壊の直前に行われているのです。
エレミヤの52章でしたっけ、最後に18年に行われたと記述があります。その少し前の聖句記述ではエルサレムの破壊は19年に行われたとあります。
年代では1年前なのです。
これは戦争の時を良く考えればわかります。
城や城壁を包囲した時に、これから攻めるが投降するものはいるか?降伏するか?と問いかけるのです。
そして投降者たちを捕虜として安全なところに連れ出し、それから攻めるのが一般的です。
そして基本は投降しないものはその後の戦争で皆殺し、だから普通は戦争後、エルサレム破壊後には流刑はありません。
その予言を23章か24章で悪いイチジクに喩えているのです。残ったものは皆殺しです。
実際の流刑も聖書の記述のあるように破壊前,攻囲した時点の18年です。セオリー通りです。
19年には流刑はありませんよ。だから流刑から帰った時から70年遡ればそれはエルサレム攻囲の時、、破壊1年前です。
ダニエル書についても矛盾はも塔説は明らかです。
エレミヤ27章にあるように、神は全てをネブカドネザルに与えたのはエホヤキムの王国の始めです。BC609年です。
最後の良い王ヨシヤ王が殺されて直ぐ、ネブカ王の父親の時代からです。だから聖書には25章にあるようにその子と孫に仕えるとあるのです。
そしてネブカ王の2年にはダニエルは近隣諸国を従えた帝国国家の王となっていたネブカの夢の意味を知っていたのです。
エルサレム破壊してからでは、破壊前のハナニヤのくびきを砕く話にも矛盾が出てしまいますね。
も塔の作り話は、めちゃくちゃでまったく筋の通らないことだらけですよ。
#48 2015年05月27日 16:02:13
- ガリレオくん
- メンバー
Re: 聖書のみで607年は覆る
こんにちは皆様、連日暑いデスネ。時間が取れたので引き続き図解挑戦中です。ふと思ったのですが
洞察(捕囚)などの説明では、
ダニエルたちの連行と第一回目の連行がゴッチャになっています。
どんだけ「忠実で思慮深い」のでしょう。
も塔サイドで都合が悪いのでそうなっているのでしょうか?607年と関連して無理やり抱き合わせセットにしているのでしょうか?注意して読んでいるとエホヤキムの時、、エホヤキンの時、ゼデキヤの時でやっぱり3回ですよね。無理やり感が疑わしくなります。ご教授お願いいたします。あと副産物もありましたよ。すでにご存じのことと思いますが「洞察」には一番知りたい時代、エビル・メロダクの統治年の記載はなく、ネリグリッサル、ラバシ・マルドゥクに至っては項目すら存在しませんでした。も塔サイドの図解ではポコッとキレイにこの時期の20数年記載が歯抜け状態になりました。図に起こしてみると面白いですね、それ以前と以後については事詳しく書いてあるのに(ネブ王、ナボニドス)そこだけないのですから 普通に見ても意図を感じますよね、それとも信仰で見ないようにしないといけないのかしら
オフライン
#49 2015年05月27日 19:56:17
- 真剣
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ダニエルの流刑から数えて、エルサレム崩壊後のエジプト逃亡者の流刑も入れると4回あります。
でもエレミヤ書にはダニエルの流刑は流刑とは数えられていないのです。小規模な人質で、場合によっては返すと解釈したのか?
判りません。エレミヤ書52章にはネブカドネザル7年、18年、23年の3回ですよね。
ダニエルはその前の時点です。BC605年?
ダニエル書には自分が流刑囚の一人として書かれています。
年代に1年のズレがあるのはバビロニアとイスラエルの王の年数の数え方とともに、
開始年と到着年の違いもあるのかな?と。
いずれにしろネブカドネザルの18年の流刑はエルサレム崩壊前の流刑であり、ゼデキヤ王だけは見せしめとして、エルサレム破壊後に目をつぶされ足かせを掛けられ連れて行かれますが、これは流刑というよりは逮捕して見せしめ処刑のためって感じです。
#50 2015年05月27日 20:16:06
- ささらほーさら
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオくん兄弟、みなさん、こんばんは。
今日は、片道3時間弱のところに住んでいる友人に
「統治体インチキ説&自分が組織を離れる」報告をしてまいりました。
5人目への証言です。
驚きつつ「聞きたくなかった。信じたい」と言っておられましたが、
後はご本人次第だと思っています。
も塔サイドで都合が悪いのでそうなっているのでしょうか?607年と関連して無理やり抱き合わせセットにしているのでしょうか?
も塔の勉強不足なのか、自らの計画実行のために
あくまでも607年にこだわりたいのかは予想するしかないです。
でも、彼らにとってはダニエルがいつ連行されたのかは
たぶん大した問題ではないのかも知れません。
607年の教理を覆すものではないですものね。
(全体に「聖書」への敬意が見られませんよ。もともと....)
でも、聖書には(少なくとも)3回のユダヤ人連行について書かれていると思います。(ダニエル1,2章。列王Ⅱ24章、列王Ⅱ25章)
(他に小規模な、あるいは高貴な者を含まない連行がなかったとは言えません)
【王名表に関して】
ベロッソス、プトレマイオス、ウルクの王名表が「異邦人の時再考」で取り上げられています。
も塔も2011/10/1(塔)で取り上げていますが、
カレブさんが指摘されているように
も塔は各王の統治年数を(たぶん意図的に)表示していません。
統治期間が1年に満たない王や
ウルクの王名表のように欠損している部分があったりしますが
ネブカドネザル王(新バビロニア)による捕囚から
キュロス(ペルシャ、アケメネス朝)によるユダヤ人解放まではだいたい50年前後となるようです。
歴史家のヨセフスが伝えている通りですね。
「ネブカドネザルの統治18年目に我々の神殿は荒廃させられ
50年の間、忘れ去られた状態に置かれた」(ヨセフス著:アピオーンへの反論)
【情報:カレブさんのサイトより】
(但し、神殿の再建はもっとずっと後になります。)
【以下のような投稿見つけました】
最近、「エルサレムの滅びは西暦前607年」であるとするエホバの証人の解釈の正当性が知恵袋上で討議されました。
私は擁護側でしたが、その観点からこれらの論議の要点をまとめてみたいと思います。
要するに対立する2つの主張はこうです。
1.西暦前607年説
ユダヤ人の流刑期間=70年という考え方。
キュロスの第1年(前539年)の布告後、前537年にエルサレムに到着した。
それから70年をさかのぼって前607年がエルサレムの滅びである。
エルサレムの滅び ユダヤ人帰還
▼前607年 ▼前537年
---------╂―--------(流刑の70年間)---------╂----------
2.西暦前587年説
預言されていた70年には2通りの意味があるという考え方。
1、従属国になった時(滅びの22年前)~バビロン陥落までの従属の70年。
2、滅び~神殿再建(帰還の22年後)までの荒廃の70年。
バビロンの従属国になった バビロン陥落
▼前609年(前587年説による) ▼前539年
------╂―--------(従属の70年間)---------╂----------
------╂―--------(荒廃の70年間)---------╂----------
▲前587年 ▲前517年
エルサレムの滅び 神殿再建完了
西暦前587年説の論拠はhttp://www.jwic.info/gentim_3.htmにあります。
要するに、考古学は現在、エルサレムの滅びが前587年であると算定しており、
上記のように考えると調和できるというものでした。
しかし、その考えを踏まえた上で、それを論破し、
西暦前607年説が正しいということを聖句から証明することができます。
とはいえ、それを私がここですべて説明するよりも、
まず、自分自身の目で聖書から確かめてみた方がはるかによいでしょう。
簡単です。その要点だけを以下に述べます。
西暦前587年説の根本はエレミヤ25:11にあると見てよいでしょう。
彼らは「七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」というその箇所について、
ユダ王国がバビロンの従属国となったエホヤキム王の時代から始まったと主張しています。
しかし、以下を調べてみてください。
①しかし、そのエレミヤ25章全体をよく読んでみてください。
それはどういう状況で「バビロンの王に仕える」と書いていますか?
また25:29もご参照ください。
②上の①を踏まえて、エレミヤ28:14も考慮してください。
そこでも「バビロンの王に仕えさせる」とありますが、
どのように仕えさせるとありますか?
文脈の物語も考慮してください。
特に木のくびきと鉄のくびきの違いに注目。
③また、①、②を踏まえて、エレミヤ5:19とも比較してみてください。
さて、あなたはエレミヤ25:11の「七十年の間バビロンの王に仕える」が始まったのはいつであると考えますか?
エホヤキム王の統治中(滅びの22年前)からですか?
それとも、エルサレムの滅びからですか?
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n146883
も塔主張の擁護派であるという方です。
でも、この人の誤りは明白です。
何故なら、も塔の主張はあくまでも
ネブカドネザルによって、エルサレムが完全に破壊され、残りの人々の多くが捕囚にされた時点をBC607年と位置づけているからです。
「ネブカドネザルがエルサレムを最初に攻囲した直後でなかったことは確かです。なぜなら,その時,ネブカドネザルはエルサレムから多くの人をとりこにしてバビロンへ連れて行きましたが,それ以外の人は残しておいたからです。また,エルサレムの都そのものも破壊せずに残しました。最初の強制移住後の年月の間,ユダの地では,あとに残された「民の立場の低い階級の者」たちが生活していました。(列王第二 24:8‐17)しかしその後,事態は大きく変化しました。
ユダヤ人が反乱を起こしたため,バビロニア人がエルサレムに戻って来ました。(列王第二 24:20; 25:8‐10)そして,都を神聖な神殿もろとも破壊し,その住民の多くをとりこにしてバビロンへ連れて行きました。それで,2か月もたたないうちに,その地に残された「民は皆,上の者から下の者まで,また軍の長たちも,カルデア人を恐れて,直ちにエジプトに出発し」ました。(列王第二 25:25,26,「新共同訳」)その時,つまりその年のユダヤ暦第7の月ティシュリ(9月/10月)になって初めて,今や荒廃して耕作されなくなったその地は,安息の休みに入った,と言えます。」[2011/10/1(塔)より抜粋]
ですから、も塔の擁護にはなっていません。
それから、エルサレムの滅びBC587~6年説は、
他の考古学的な証拠(天文学的記録、商業的記録など)にも依るので
全体を考慮した時、必然的に出てくる数字がより正確なのだと思います。
ガリレオくん兄弟、がんばってくださいね。