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#2176 2019年05月12日 20:40:07

iris
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

イエズス会はカトリック教会の男子修道会ですよ。

世界中で高等教育機関を運営しており、日本には上智大学などがあります。

オフライン

#2177 2019年05月12日 20:54:51

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

人は見たい物しか見えない。脳がそうなっているから。だからある人には自明でもある人には非自明。
問題はそういったものを巡ってカルトや戦争が後を絶たないこと。根源を見つめないで避けているから
カルト被害が後を絶たない。さらに、同胞に後ろから撃たれる事もある。魔女裁判の時に目を輝かした
愚かな女は何人いたことだろう。ユーリさんが頑張っている時に私は援護すべきだった。エホバの証人
を名乗っている愚かな主婦は確かに有害だった。ユーリさんは「理不尽に対しては真っ向から反対する
人」だ。この掲示板に戻ってきてくれるだろうか。卓郎さんも戻ってきてくれるだろうか。
貴重な人が一体何人失望したことだろう。ささほーさらさんとも会話してみたかった。まだ帰ってきていない。
こんなに優秀な洞察力のある素晴らしい女性と会話してみたかった。本当に残念だ。
鬼太郎さんとも会話出来ない。お忙しいのだろうか。本当に残念だ。心から失望する。

#2178 2019年05月12日 21:00:39

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

本当に残念でならない。会話してみたかった人は掲示板を去った。一度でいいからささほーさらさんと
会話してみたかった。本当に優秀な人だ。これ程優秀な人にはめったに出会えない。ユーリさんもだ。
昔の書き込みを見て人目で心を打たれた。それなのに一番会いたい人に会えない。一番会いたい。
めぐままさんは包容力があって包んでくださった。でも私はどうしてもささほーさらさんに会いたい。
またいさんが管理人さんに会いたいように、私は彼女?に会いたい。

#2179 2019年05月12日 21:09:50

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

人目→一目。お忙しいのでしょうね。
彼女の鋭い指摘や書き込みで心を打たれた。私だったらこの問いかけにどう答えるだろうと考えるだけで
わくわくした。卓郎さん、文章は、はっきり言って拙かった(失礼)けど、言いたいことは分かったよ。
輪廻転生ができるなら今度こそ男に生まれ変わって、おなじく生まれ変わったヒュパティアを暴漢の
手から守りたい。今度こそ男に生まれたい。うんざりしたわ。

仏教の方がまだ救いがある。せめて「クオリア」の壁が無かったならね。

やれやれ・・・

#2180 2019年05月12日 21:19:13

iris
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

ヒトラーが若い頃に暮らしていたオーストリア=ハンガリー帝国の都ウィーンは、民族問題のもっとも先鋭的なところであり、当時はドイツ系の民族主義運動が台頭し、ハンガリー人やチェコ人との対立、また経済や文化において優位なユダヤ人に対する反発が強まっていたそうです。ヒトラーはそれらを利用したから、絶大な権力を握ることができたのでしょう。

民族主義というのは古代イスラエルでも、20世紀のドイツでも、21世紀のアメリカでも、やばいことには変わりないようです。

オフライン

#2181 2019年05月12日 22:00:05

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

はいはい。そうですね(^-^)
私はシセイさんが少しでも平安を得られるようにと思って書いたつもりなのですが、
逆効果でしたか。本末転倒でしたね。ごめんなさい。
それでも、そこまで感情を露わにされると引いてしまいます。

どうぞどうぞ、お気の済むまで書き込みをなさって下さい。
優秀で聡明な方々とお話しできたらいいですね。

私が書き込みを辞めるきっかけを作って下さってありがとうございます。

私はこちらで皆さまに出会えて良かったと思っています。
ありがとうございました。

今後こちらの掲示板を閲覧することはないと思いますが、
皆さま、お元気で。

ご機嫌よう。(^-^)/
追伸   irisさん、そうですか。また検証してみますね。
         ありがとうございます。

#2182 2019年05月12日 22:12:31

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさん、お疲れ様でした。(^_^)

アーマンの意見だけで判断しないで下さいね。

彼の師であるブルース・メツガーは、本文批評によってかえって信仰が深まったそうです。

ラハムさんにも紹介しましたが、聖書は、
細部で違いはあっても、基本的に聖書は改ざんされていません。
バート・D・アーマンについても言及しています。
参考にどうぞ。
東京キリストの教会 特別シリーズ(20180721)「聖書の信憑性」 - YouTube
https://m.youtube.com/watch?v=b9iSWSGZ5Ec

#2183 2019年05月12日 22:33:42

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

バート・D・アーマンについては動画の5分20秒過ぎから出ています。

#2184 2019年05月12日 22:39:06

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

仰天さん、ありがとうございます。(^-^)

私もブルースのようになる可能性があります。(笑)
ご紹介頂いたYouTube視聴させて頂きますね。

仰天さん、お骨折りいただき、本当にありがとうございました。

#2185 2019年05月12日 22:51:54

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさん、お話出来て本当に良かったです。
もっと話したい事もあったのですが。

バート・D・アーマンは、この世に苦しみがあるという理由で信仰を棄てた人で、偏った視点から扱っているように思います。

将来、天の国で出会えた時に、この掲示板で話した事が思い出話として笑えたらいいですね。
お祈りしています。(o^^o)

#2186 2019年05月12日 23:12:13

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

鋭い感性に心打たれたという、正直な感想です。おそらくまだお若いのに、ここまでの洞察力は
めったにお目に掛かれない。彼女だけではありませんが。私は彼女の書き込みで考えました。
そういう事は多々あると思います。だからいつか帰ってきて欲しかった。勝手な願いですが。

私も福音派は嫌いです。偽善的で。それに進化論を教えず、科学を否定する福音派系の学校のせいで子どもたち
が知恵に関与できなくなる危険があります。人間は伝言ゲーム一つとっても分かるように、見たいものしか処理でき
ないよう、脳にフィルターが掛かるのは避けられない。
だから実験・実証が必要なのです。福音派はそういう当たり前の人間を攻撃する。
「ちょっと待て。本当にそれは正しいのか?」と立ち止まって当たり前とされている事をもう一度掘り返す
事によって新事実が明らかになる事など普通にあります。それを許さないのが福音派。
そしてアレキサンドリアの悲劇を繰り返す。一体何度繰り返せば学習するのか。
私は本当に聖書が好きでした。しかしこれほど矛盾だらけで傲慢な書はない。
ギリシャの数学者について、一般にどこまで知られているか?エジプトの数学について本当に理解されて
いるか?一体キリスト教徒は何をしたのか。ヒュパティアは天文学や数学に秀でていました。
彼女の功績はアレキサンドリア大図書館とともに消失しました。

脳は理解できないものに対し、これ以上負荷を掛けないよう処理落ちする
とつくづく思います。
なぜ、物理学者兼神父という2足のわらじを履く人が多いのか考えたことがありますか。
彼らは実験し、検証するのですから背教者ですか?神の方程式を理解するのは背教ですか?
間違った神学的思い込みで物理学の発展の足架になるのは正義ですか?
祈れば直るのなら、医学はいらない。医学で人を救うのは背教ですか?
アーマンさんは参考まで。完璧な伝言ゲームができるという人は「アインシュタイン」に石を投げなさい。

#2187 2019年05月12日 23:15:56

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ささらほーさらさんは、年配の方だったような。

#2188 2019年05月12日 23:33:23

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

それでも信仰は可能か?・・バート・D・アーマンの場合
11/11/30 21:29

最近バート・D・アーマンという新約学者の本が目に留まった。歴史学・批評的神学を修めた著者の信仰に対する姿勢が興味深かったので、その部分を引用・紹介したい。彼は次のように肯定姿勢に転じている。

以下彼の講義「新約聖書学」を聴いた学生の反応から始まる。

- - - - - - - - -

何種類かに分かれるが、一部の学生はこう答える。
「新約聖書には矛盾が含まれていることを認めるが、それでも自分にとって聖書は霊感された書物であり、生きる指針を示してくれる。」
こうした学生の多くは聖書が無謬の書だとは考えていないし、聖書を西暦1世紀の歴史的背景から切り離して現代のコンテキストに移し変えることができるとも思っていない。

彼らは同じ聖書に書かれた内容でも箇所によって見解が異なることがあり、時には相反することも認識している。それで聖書の様々なメッセージを自分なりに吟味して、どれが今の自分の状況に適っているか、見極める必要があることを感じている。

1世紀に住んでいたパレスチナ人ではなく、21世紀に生きている現代のキリスト教徒として自分に見合った価値観を選び取るべきだと考えている。

著者の反応:
私はこの意見に全面的に共感を持つ。私の講義の目的は聖書を攻撃することにあるのではなく、また学生の信仰を叩き潰すことでもない。私が目指しているのは、信仰のうちに育ってきた人が、受け入れてきた信仰体系の本当の姿にきちんと向き合うことである。

私がしようとしていることは、これまで一般の人々に知らされてこなかった聖書やキリスト教史の研究成果や知識を知らせることである。それは欧米の神学校や神学部で学んだ学者や学生にとっては何ら目新しいことではない。

聖職につく人はなぜこうしたことを信者に教えようとしないのだろうか。説教壇に立つときはともかく(説教をするときには敬虔さが求められる)、成人講座などにおいても歴史的・批判的アプローチではなく、信心をもって聖書を読むようにしか語らない。

聖書の歴史的・批判的アプローチが必ず人を無神論に導くとは限らない。むしろ知的で思慮深い信仰に導き得る。歴史的批評家が歳月をかけて発見した問題点を無視して聖書を読むよりずっと奥深い内面的な信仰に到ると確信する。

キリスト教が人間の創造したものであることに気付いたとき、この宗教の主義主張について自分がどう考えるか見極める必要を感じた。そしてキリスト教的な考えが私の波長に合うという結論に達した。私の世界観や世界の中での自分の立ち位置と非常に相性がよかったのである。

私は教会を去っているが、聖書理解が私と同意見の友人の多くは教会を去っていない。彼らにとって神話は今も有効で心に響いており、信仰に一種の安らぎと力強さを見出している。彼らにとって信仰と知性は何の関係もなく、自分たちがキリスト教徒であるとためらいなく言う。

しかし、信仰を持ち続ける人には、聖書の歴史的・批判的アプローチの重要性を過小評価するのではなく、その神学的意義を探求してほしい。

聖書が同じ主題について複数の解答を提示しているとき、読者はどれが現在の生活に照らて、あるいは特定の状況下で適当か吟味し、選ぶことができる。これについて危惧する人がいるかも知れないが、すでに誰もがそういう読み方をしているのではないか。頭を使って聖書の何が真実で何がそうでないかを判断しなければならない。人生にしても人はそのようにして生きていくものだ。

聖書を敬虔な気持ちで読むことだけがすべてではない。
歴史的・批判的に読むことにも価値がある。聖書に多くの矛盾が見えたとしても、聖書の内容やメッセージを理解するための全く新しい視界が開かれるのである。

補足的であるが、聖書を信じなくても聖書から学べることがある。人類の文明、文化を築いた人々の思想、信条、愛憎、営みを記録した史料として読み、研究する価値がある。我々自身の人生の意義やさまざまな問題について思索するときに助けを得られる。真実を追究し、抑圧と戦い、正義のために努力するとき、また平和主義を貫こうとする時、私たちの背中を押してく
れる。そこから得られる教訓が不要となる時代が来るだろうか。それは決して来ることはないだろう。

-    - - - - - - - -
以上、アーマン著「キリスト教成立の謎を解く - -- 改竄された新約聖書」の8章から要約・敷衍しながら長文を引用させてもらった。彼の(あるいは訳者津守京子の)ややセンセーショナルな言葉遣いや内容展開に必ずしも好感を持たないが、8章に注目に値するものがあったので掲載した。



それでも信仰は可能か?・・バート・D・アーマンの場合 - NJWindow(J)

https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/00 … 58f0cc0b9d

#2189 2019年05月13日 00:58:08

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

仰天さん、
私もお話したいことはまだあったのですが、(笑)
これが最後です。

バート・D・アーマンはこの世の苦しみがあるという理由で信仰を棄てたのですね。
この世の苦しみについては、私の中では既に消化済みです。(^-^)

引用して下さったバート・D・アーマンの考え方は私と似ています。

>聖書の歴史的・批判的アプローチが必ず人を無神論に導くとは限らない。むしろ知的で思慮深い信仰に導き得る。歴史的批評家が歳月をかけて発見した問題点を無視して聖書を読むよりずっと奥深い内面的な信仰に到ると確信する。

>歴史的・批判的に読むことにも価値がある。聖書に多くの矛盾が見えたとしても、聖書の内容やメッセージを理解するための全く新しい視界が開かれるのである。

同意です。(^-^)


将来、天の国でお会いしたら、仰天さんは私の恩人です、と言うでしょう。
あ、今言ったら意味ないか。(笑)


仰天さんのお骨折りが多くの実を結びますように。

ご自愛ください。(o^^o)

#2190 2019年05月13日 04:08:15

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

こんな真夜中に書く事ではありませんが。私が掲示板を去れば良いのでしょう。伝えたいメッセージは
アーマンさんが伝えてくれました。科学的に自然を研究する、盲目的にならない、時代背景を考える
この3点を守ればカルトに悩まされたりしないで済むかもしれません。また、肝心のキリスト教国では
さらなるステージに進み、聖書から着想を得て新技術を開発しています。そんな中、日本だけがこのまま
遅れることもないでしょう。日本に聖書を伝えた者たちが古い聖書の解釈に留まらず先に進んでいる時にどうして
いつまでも精神的奴隷で居続けるのですか?
そしてもう一つ、仰天さん、もう少し人の話に耳を傾けるように
なってください。あなたも自分の言葉をよく振り返ってください。私は「個人攻撃をしたことはありません
でした」罵倒されても激しい言葉で抵抗しましたか?他者への優しさと自分を低くする心はクリスチャンが
養うべき特質のはずですよ。

ラハムさん、ラハムさんは年上ですが、あえて申し上げます。住む家もあり、車も運転でき、皆から好かれ居場所が
ある。あなたの両親はラハムさんに見えない部分で尽力されている。良かったです。もう寂しく思うこともない。
居場所を勝ち取ったのですから、心安らかにお過ごしください。
私のここでの役目は無事終えました。伝えるべきメッセージは伝えました。後はどうするかは個々人の判断で。

#2191 2019年05月13日 04:10:55

またい
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

いまから、散歩いく。あなたは?

#2192 2019年05月13日 04:16:44

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

本当は、聖書から導いた奥義と思われる発見もあったのですが、ご迷惑しか掛けないようですので
私だけがこのまま研究することにします。くれぐれもカルトから脱出するにあたり罪悪感を
持たない、決めつけない、古いものに戻らない、裏付けをとる
という事をお守りください。
akameさん、一時楽しかったです。統一教会にはびっくりしました。めぐままさん、アザミさんも
私もいなくなりますが、本当にありがとうございました。めぐままさんの過去の書き込みも拝見して
はじめてこちらの掲示板へ書き込もうと決心するきっかけとなりました。
ちょっとひと言さん。カルトの温床はやはりあの部分です。聖域なき改革頑張ってください。
西洋の奴隷でいてはいけない。では場違いだったようですので去ることにいたします。本当はあの
奥義に関する発見も書きたかったのですが・・・・

#2193 2019年05月13日 06:33:15

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

シセイさん

私は個人攻撃をしたつもりはありません。
なぜそのように思われたのでしょうか。

シセイさんは、私に書いているのではないと言われましたので、途中からはほとんど読んでいません。
あなたが、どのように考えるかも、他の人や私がどう考えるかも自由です。

自由に考えるのはやってもらっていいのですが、私に書いてるのでもないという事、また、あまりにも空想の部分も多い気がして、シセイさんのブログももう読みません。

空想は果てがないですし、シセイさんが奥義を掴んでいるとも失礼ながらとても思えません。

ある人は信仰を棄てる判断をし、ある人は、一時的に聖書から離れて色々と思考を巡らせても、やはり神の言葉である聖書に戻るのです。

シセイさんが考えたような事は、大昔に既に他の人もさんざん考えた事で、珍しいものでもないと思います。

イエスは言われました。

ヨハネによる福音書/ 05章 39節
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

ヨハネによる福音書/ 05章 40節
それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。


シセイさんがすぐに茶化すヨハネ書からではありますが、真面目に考えてみてください。

#2194 2019年05月13日 07:03:11

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

シセイさんは罵倒したり激しい言葉で抵抗してはいないとは言われますが、エホバの証人もカトリックもプロテスタントも滅んでしまえ等の過激な発言や、キリスト教徒の過去の暗い側面だけに注目して攻撃するなどの極端が見られます。

キリスト教国は新しいステージにという事も何を言っておられるのか分かりませんが、キリスト教国は保守的な信仰が多く見られています。
もちろん、保守的な教派でも改善され進歩していると思いますが。

それがいいか悪いかシセイさんがどう考えるかは自由ですが、皆がシセイさんの考えに合わせる必要はありません。

また、聖書を信じる者は怒るべきではないという事を盾にしてクリスチャンには、一方的に高い基準を求めます。

イエスも神殿で商売している者達に激しく怒りを表されました。
また、イエスの弟子にも激しい気性の者もいたでしょう。(それを勧めるわけではありません。)

パウロとバルナバの例のように、時には意見が分かれる事もあります。

クリスチャンでも怒る場合も当然あるわけです。

それを、クリスチャンだから怒るのはふさわしくないなどと言って相手の感情まで支配しようとするのは卑怯だと思います。

そもそも、聖書も信じていないのに高い基準だけ相手に要求する。また、ある部分は受け入れるかもしれませんが、ほとんどの箇所を否定しながら、イエスの愛を相手に要求しながら、自分は好き勝手に意見を述べる。

いくら、無宗教だからといっても、人間にはルールがあります。

言いたい事は言われて伝え終えたのなら後はブログで展開されるか、本業の作家の仕事に力をお入れになられたほうが読者も増えると思いますよ。

#2195 2019年05月13日 13:29:00

iris
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

ささらほーさらさんは1000件くらいの投稿をなさっていましたが、つい最近になって多くの投稿が削除され、350件くらいしか残っていません。
御本人が意図的に削除されたのかどうかはわかりませんが、どうなさったのでしょう。精力的に発言されていましたのに残念です。

オフライン

#2196 2019年05月13日 13:58:17

三太郎
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

過去の投稿はどんな投稿でも貴重で、知的財産です。それによって心を動かされ、新しい行動を始める人もいるかもしれない。できればそのまま残して欲しいですね。

個性豊かな投稿者の方々が去っていくのは、優秀な人材が会社を去っていくようで損失のような気がします。

別に「もう来ません」宣言とか、しなくてもいいと思うんだけどなあ。 ^_^;

#2197 2019年05月13日 14:09:29

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

そうですよね。

出戻りもありかなと。^_^

#2198 2019年05月14日 08:57:39

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

ささらほうさらさんは  とてもお忙しくしておいででした。そんな中で ご自分の意見を述べて下さっていました。
たぶん、今はお孫さん ご両親  お子さん達の世話や 相談を聴きながらも 互いを尊重して 自由に生きておられる事でしょうね。
この掲示板を見つける前に  ささらほうさらさんのブログにて 組織に対する違和感の理由がはっきりして これは きちんとすべきだ、もう 自分の気持ちにフタをしてはいけないと思ったものです。
感謝しております。

オフライン

#2199 2019年05月14日 12:18:22

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

私も、シセイさんは嫌いではありませんので、元気にしておられるかなと少しブログを見たのですが、ある掲示板でクリスチャンに激しい言葉で罵倒されたと書いておられました。

私の事でしょうか。

あれだけカトリックとプロテスタントもエホバの証人と同じようになくなればいいと極端な話をしていた自覚はないのでしょうか。(^◇^;)

また、私のような、なんとなく聖書の神がいる気がしているだけの者を指してあのような事を言われるのでしょうか。

作家なので読み手を増やすために過激な発言をしておられるのだろうか…

伝える事は伝えたのであとは各自の判断でと言われる割には他の人の選択を許さず、人の話に耳を傾けよって、あなた、それは身勝手というものでは?

#2200 2019年05月14日 13:52:39

ほい
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

シセイさん悪気はないと思うんですけど、一連の極端な解釈や奥義を悟った等の書き込みを見て、なぜかJW組織の創始者のチャールズ・T・ラッセルを想起しました。

ラッセルも、地獄の教えなどキリスト教会の教えの多くが間違いであり、終わりの日などに関する聖書預言の意味するところが分かったといわば「悟った」と思いこんで、独自の聖書解釈を進めていきます。
私財をつぎ込んでいますので、悪意はなくむしろ善意からだったかとは思いますが、結果としては彼の考えも間違っていたわけで、その成れの果てがカルト化したJWです。
(もちろんカルト的要素は、その後の後継者により決められたことも多いですが、その基礎・母体を作ったのはラッセルです)

戦前右翼だった人で、終戦後左翼に転向した人が少なからずいますが、物事の見方や思考パターンの問題点を変えるようにしないと根本的な本質は変わらないのではないかと感じます。

最初から「○○は間違っている」という前提で思考すると、どうしても平衡を欠いた偏った批判になってしまうのではないでしょうか。
自分が、JW批判は冷静に問題の性質を分けて考えるべきだと言っていたのは、こういうことを言いたかったんですけどね。なかなか難しいですね…。

すみません、またグダグダになってしまいました。

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