#51 2019年04月27日 10:29:42
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
参考にどうぞ。
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイ 5・3)
マタイ福音書の山上の説教で、「貧しい人」に付く新共同訳の「心の」という句は、原文ギリシャ語 では「霊において」という言葉なので、「霊において貧しい人」とも訳せます。フランシスコ会訳は、 「自分の貧しさを知る人」とあります。
#53 2019年04月27日 19:39:28
- てつてつ
- メンバー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
そういえば 以前は地獄の教理とか魂は不滅の教理を否定するのに (エゼキエル 18:4) …罪を犯している魂―それが死ぬのである。
の聖句を野外でも神権学校でも堂々と使ってましたけど「ほとんどの証人は魂が死ぬと書いてあるから不滅の魂なんてないんだなどと すでに間違った適用してましたけど いやいやここの魂という言葉は体全体を指すって塔もいってるでしょと思ってました」
改訂版ではどうなっているのかなー とちょっと気になってみてみました すると 罪を犯す人が死ぬことになると 普通の翻訳になってましたよかったです でもこれだと魂は死ぬなどという証言には使えなくなりましたね 古い証人の方はちょっと困るかもしれませんね 現役の方はどうとらえているのでしょうか ほいさん知ってたら教えてね
編集者 てつてつ (2019年04月27日 19:50:18)
オフライン
#54 2019年04月29日 02:21:50
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
ラハム様 ありがとうございます!
マタイ5:3の問題提起もありがとうございます。
この聖句の翻訳はものみの塔がやたら自信を持っている箇所で、新世界訳のすばらしさを強調する際に度々取り上げられています。
「Μακάριοι(幸い)οἱ πτωχοὶ(貧しい者)τῷ πνεύματι(霊にて)」
ラハム様のご指摘どおり2019年版ではマタイ5:3が「神の導きが必要であることを自覚している人たちは幸福です。」となっていますが、原文は上記のようになっています。
貧しい者を意味するοἱ πτωχοὶは「乞食」のことなのですが、新世界訳は乞食というワードから「貧しい姿」より「物乞いをする姿」という観念を取り出し、そちらの方向に訳語を発展させていったのだと思います。
乞食→物乞いをする人→乞い求める人→必要を自覚している人
そしてここに「霊において」τῷ πνεύματιを「神の導きが必要であることを」と大胆に意訳し付け加えたという流れではないでしょうか。
基本的にものみの塔は山上の垂訓における幸福の教え(マタイ5:3-12)の趣旨を正しく理解できていないと思います。
この箇所でイエスが掲げた幸福な者の共通点は「当時の社会で不幸と考えられた者が実は幸いである」という地位逆転であって、そこに「良い行いや心構えを持った者が幸福になれる」というような努力奨励の要素はありません。
新世界訳の翻訳には「神の導きの必要性に対する自覚」という心構えこそが幸福の秘訣なのだという意味が込められているように見受けられますし、実際JWたちはそのように理解しているはずです。
このような誤解を生んでいる以上新世界訳のマタイ5:3の訳は不適切だと言うしかないと思っています。
#55 2019年04月29日 04:08:33
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
新世界訳のローマ8:26‐27は前から多くの問題を抱えた箇所だったのですが、改訂版で一層ひどくなっているので指摘していきます。
まず問題の箇所ですが、改訂版の訳がこちらです。
「さらに聖なる力も,弱い私たちを助けてくれます。祈るべきなのに何を祈り求めればよいのか分からないとき,私たちの声にならないうめきと共に,聖なる力が願い出てくれるのです。心を調べる方は,聖なる力による言葉の意味を知っています。聖なる力は神の意志に沿って聖なる人たちのために願い出ているからです。」
問題点① 「さらに」
「Ὡσαύτως」は「さらに」ではなく「同じように」とか「同様の仕方で」です。
1985年版が正しかったと言えます。
どうでもいいことのようですが、ちょっと重要な意味があって指摘しました。
問題点③で詳しく書きます。
問題点② 「聖なる力」
例のごとく「πνεῦμα」を聖霊から聖なる力に変えた箇所です。
この問題はまた別の機会に取り上げたいと思います。
問題点③ 「私たちの声にならないうめきと共に」
「αὐτὸ(自身)τὸ πνεῦμα(霊が)ὑπερεντυγχάνει(執り成ししている)στεναγμοῖς(うめき)ἀλαλήτοις(言い表しえない)」
この部分は直訳して「霊自身が言い表しえないうめきで執り成ししている」です。
改訂版のどこが問題かというと、「声にならないうめき」に「私たちの」を付けたことです。
ここでうめきを上げているのは私たちではなく聖霊です。
聖霊が執り成しをしてくれているのだけれど、ただしそれは「言葉にならないうめき声という形で」してくれるのだという意味です。
もっともローマ8:23のとおり「私たち」もうめいているのですが、あくまでローマ8:26-27はそれに重ねて聖霊もうめいているということを言っています。
改訂版で新たに付け加えられた「私たちの」ですが、付け加えた理由はおそらく大きく2つあります。
一つ目の理由は、協会がローマ8:18-27全体の文脈というか趣旨が理解しきれていないことです。
パウロは19‐22節で被造物がうめいていること、23‐25節で私たちキリスト者もうめいていることを順に述べ、それに続けて26‐27節で聖霊もまたうめきつつ執り成しをしてくれているということを述べています。
だからこそ26節の最初は「同じように」です。
聖霊は本来うめく必要はないけど、私たちの弱さと苦しみを共有しつつうめき、さらに神に執り成しまでしてくれるのだという具合です。
でも執り成しの声がうめきであれば、せっかくの聖霊の執り成しの行為も神に届かないのではないのか?
あたかもこの問いに答えるかのようにパウロは27節で「いや、神は言葉だけでなく心を読む方だから言葉がなくても聖霊の思いがわかるのだ」と説きます。
もしローマ8:26-27の「声にならないうめき」が聖霊の発するものでなければ、26節の最初の「同じように」の意味が通じません。
また27節でわざわざ「心を調べる神は聖霊の思いを知っている」と言う理由がありません。
改訂版が「私たちの」を加えた二つ目の理由は、うめきを上げているのが聖霊だと困るという点にあると考えられます。
そもそもJWにとって聖霊は人格のないただの力ですから、ローマ8:26-27はたいそう理解しがたい聖句です。
ここでJWは「聖霊」→「聖霊の力によって書かれた書物」→「聖書」と解釈し、ローマ8:26-27は聖書の言葉が与えてくれる力や助けについて述べていると曲解します。
しかし聖書が「言い表しえないうめき」を発するでしょうか?
聖書という人格のない物がうめくことはありませんし、そもそも聖書は本ですからがっつり言葉に言い表されています。
問題点④ 「聖なる力による言葉の意味」
ここも散々な訳です。
「τὸ φρόνημα(思い)τοῦ πνεύματος(霊の)」が原文で、ここはそのまま「霊の思い」とすべきところです。
もちろんJWは聖霊が思いを持つ存在と信じていないわけですから、このままだと不都合です。
そこで「思いは意図に言い換えられる」、さらに「意図は意味に言い換えられる」ということで改訂版のような訳になったのでしょう。
でも決して「思い」=「意味」にはなりません。
そのうえ「による言葉」まで付け足していますが、これは明らかに「聖霊」を「聖書」と読み替えるための付け足しです。
まったく原文に忠実ではありません。
#57 2019年04月29日 07:11:26
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
ちなみに、つくしさんは、どこからギリシャ語原文をコピーしていますか?
よいサイトがあれば教えて下さい^_^
#60 2019年04月29日 14:45:47
- ほい
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
そういえば 以前は地獄の教理とか魂は不滅の教理を否定するのに (エゼキエル 18:4) …罪を犯している魂―それが死ぬのである。
の聖句を野外でも神権学校でも堂々と使ってましたけど「ほとんどの証人は魂が死ぬと書いてあるから不滅の魂なんてないんだなどと すでに間違った適用してましたけど いやいやここの魂という言葉は体全体を指すって塔もいってるでしょと思ってました」
改訂版ではどうなっているのかなー とちょっと気になってみてみました すると 罪を犯す人が死ぬことになると 普通の翻訳になってましたよかったです でもこれだと魂は死ぬなどという証言には使えなくなりましたね 古い証人の方はちょっと困るかもしれませんね 現役の方はどうとらえているのでしょうか ほいさん知ってたら教えてね
少なくとも改訂版が出るまでは、魂の不滅性の否定にエゼキエル 18:4や18:20を使うことは公式の方法だったと思います。
一例ですが、目ざめよ誌2015年12月号でも以下のような記事があります。
魂は死なずに生き続けるのですか
一般的な考え 多くの人は,魂は不滅だと信じています。魂は生まれ変わりを繰り返し,それまでの肉体が死ぬと別の肉体になって現われる,と考える人もいれば,魂はやがて天国や地獄のような別の世界に行く,と考える人もいます。
聖書の教え 聖書によれば,魂は不滅ではありません。実際,聖書は幾度も,魂を死ぬものとして描写しています。聖書の一部を筆記するのに神に用いられた預言者エゼキエルは,罰として魂に死が臨むことがある,と述べています。聖書の別の箇所では,遺体を指して,「死んだ魂」という言葉が使われています。(レビ記 21:11)明らかに,魂は不滅であるという考えは聖書の教えではありません。
「罪を犯している魂 ― それが死ぬ」。―エゼキエル 18:20。
バリバリでエゼキエル 18:20を結論に使ってますね汗
英語の改訂版は2013年出版ですから、この2015年の時点で改訂版に基づく記事なわけですが、英語の改訂版を見たら「Soul」のままでした。「人」に意訳したのは日本語版の独自訳ということでしょうか。
霊魂不滅の是非はさておき、意訳された聖書を使うと、こういう根本的な教理の説明は逆にまどろっこしくなってしまいますね…。
日本語の改訂版が出てから、霊魂不滅の否定としてこの聖句を使う記事がまた出た場合、どのような注釈にするのか気になるところではあります。
ただ、英語・日本語を問わず、改訂版はすでに「翻訳」の領域を踏み越えて、もはや「二次創作」的な内容になっていますし、結論ありきの推論をするJWは断章取義で適当にこじつけるんでしょうけどね。
#61 2019年04月29日 15:16:44
- てつてつ
- メンバー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
ほいさんありがとうございます この点扱った自分のサイトです
編集者 てつてつ (2019年04月30日 06:30:49)
オフライン
#62 2019年04月29日 21:38:02
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
仰天様
以下のようなサイトからギリシャ語原文を確認しています。
Bible Hub
https://biblehub.com/
New Testament Transcripts Prototype
http://nttranscripts.uni-muenster.de/
ページ真ん中あたりのclicking hereをクリック
ものみの塔が採用しているウェストコット・ホートのギリシャ語本文から引用するときはこちらを確認しています。
https://wol.jw.org/en/wol/binav/r1/lp-e/int/E/1985
参考になるかわからないのですが、よかったらご確認ください。
#63 2019年04月29日 21:41:12
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
ラハム様 ありがとうございます。
iris様 ありがとうございます。
>新世界訳はとうとう聖書ではなくなりつつありますね。
そうですね。
別の違う何かを目指しているようですね!
#64 2019年04月29日 21:44:14
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
つくしさん、ありがとうございます。
一番上のものは以前利用していたのですが、携帯を変えてから見つけられなくなっていました。
感謝です。
他の2つも大変役に立ちそうです。
ありがとうございます(^_^)
#65 2019年04月30日 00:27:10
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
テサロニケ第一4:16は改訂版の新世界訳でどうなっているでしょうか。
「主が天から下り,天使長の声で号令を掛け,神のラッパが鳴り響くと,キリストと結ばれて死んだ人たちがまず生き返るからです。」
ものみの塔協会発行のThe Kingdom Interlinear Translationで見てみると、原文は次のとおりです。
「ὅτι(すなわち)αὐτὸς(自身)ὁ κύριος(主が)ἐν(の中で)κελεύσματι(命令), ἐν(の中で)φωνῇ(声)ἀρχαγγέλου(天使長の)καὶ(と)ἐν(の中で)σάλπιγγι(ラッパ)θεοῦ(神の), καταβήσεται(降りてくる)ἀπ’(から)οὐρανοῦ(天)」
この一文は「すなわち主自身が天から降りてくる」という本体があって、そこに情景を詳述する「命令の中で」「天使長の声の中で」「神のラッパの中で」という3つの句が挿入されている構造となっています。
改訂版ではなぜか主であるキリストが天使長として声を発していることになっていますが、パウロはキリストが天使長の声の中にあって天から下ってくるとしか言っていません。
ここは天使長=イエスと考えるJWの教義に基づいて誤って翻訳された箇所と言えます。
#66 2019年04月30日 00:52:37
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
JW組織の中では、罪を犯した人やいわゆる霊的に弱い人を正す資格が長老などの一部の人たちに与えられています。
その根拠として使われるガラテア6:1ですが、新世界訳の改訂版ではこのようになっています。
「兄弟たち,誰かが道を踏み外したなら,たとえ気付かずにそうした場合でも,クリスチャンとして十分に資格がある皆さんは,その人を優しく正すことに努めてください。」
これを見ると、確かに道を踏み外した人を正しうるのが限定された一部のクリスチャンであると聖書が教えているようにとれます。
しかしこの「クリスチャンとして十分に資格がある皆さん」と訳されている言葉、実は「霊的なあなたがた」という意味の言葉でしかありません。
「ὑμεῖς(あなたがた)οἱ πνευματικοὶ(霊的な人である)」です。
意訳するとしても「霊に導かれたあなたがた」とかにしかなりません。
にもかかわらず今回新世界訳は「クリスチャンとして十分に資格がある皆さん」という本来の意味を完全に無視した訳し方をしています。
だいたい1985年版も「霊的に資格のあるあなた方は」という不適切な訳だったわけで、今回の改訂で改善されると期待していたわけでもなかったのですが、予想をはるかに超えた”悪訳”となっていて驚きました。
#67 2019年04月30日 07:19:47
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
テサロニケ第一4:16
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。」
確かに、ここでは主(キリスト)と、み使いの頭の声と、神のラッパは分けて書かれています。
聖書の中でイエスをみ使いだと述べている箇所はありません。
さて、新世界訳はテサロニケ第二 2:1-3 の中で、
「主の日」を「エホバの日」と改竄していますが、文脈を見ると、それは主イエスの日です。
言うまでもなく、ギリシャ語原文にはYHWHはありません。
「しかし,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの臨在、またわたしたちがそのもとに集められることに関して,あなた方にお願いします。
エホバの日が来ているという趣旨の霊感の表現や口伝えの音信によって,またわたしたちから出たかのような手紙によって,すぐに動揺して理性を失ったり,興奮したりすることのないようにしてください。だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされないようにしなさい。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わし示されてからでなければ,それは来ないからです。」
聖書の中で父なる神が再臨するという思想はありません。
第一コリント1:7.8 にあるように、主の日とは、イエス・キリストの日です。
「その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。」
また、エホバの証人は、キリストの王国は千年の間だけに過ぎないと考えています。
果たしてそうでしょうか?
ルカ1:33
「彼(キリスト)はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
イエスは永久に治め、その王国は終わる事がないという事が分かります。
第二ペテロ 1:11
「このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。」
イエス・キリストの永遠の王国とあります。
新約聖書の中では、エホバの王国という表現はどこにもありません。
聖書は、王の王、主の主、まことの神イエス・キリストを示していると言えるでしょう。
#68 2019年05月01日 04:31:44
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
仰天様 いつもありがとうございます!
#69 2019年05月02日 05:23:44
- てつてつ
- メンバー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
1000時間さんのトピよりこちらに移動しました
つくしさん書き込みありがとうございます
>ここは天使長=イエスと考えるJWの教義に基づいて誤って翻訳された箇所と言えます
ティンデルの聖書注解でも天使長=イエスという見解ですね
でも自分たちの信条のために聖書の本文を変えるのはよくないですね
>ガラテア6:1...は1985年版も「霊的に資格のあるあなた方は」
どっかで掲示板にあったような... と検索してみたら 過去につくしさんが書き込んでおられましたね
編集者 てつてつ (2019年05月02日 05:25:06)
オフライン
#70 2019年05月03日 03:18:36
- つくし
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
一般的にも神学上の解釈が分かれる箇所なので、なるべく翻訳の問題にとどめたいと思います。
改訂版のヨハネ第一5:20です。
「そして私たちは,子であるイエス・キリストによって,真実な方と結び付いています。この方こそ真の神であり,永遠の命の源です。」
問題点① 「結び付いている」
ギリシャ語のἐνをどう訳すかという問題です。
これは新約聖書部分で散見される問題点なのですが、新世界訳はパウロ書簡やヨハネ文書で使用されるἐνを基本的に「結び付いて」と訳しています。
しかしἐνは「中に」という意味ですので、「結び付いて」は正しい訳語とは思えません。
ヨハネ第一5:20の「私たちは・・・真実な方と結び付いています」もギリシャ語原文では「ἐσμεν(わたしたちは~ある)ἐν(の中に)τῷ ἀληθινῷ(本物の者)」となっています。
したがって「私たちは・・・真実な方の内にいます」などが最も自然な訳し方です。
JW的にこの「(神やキリストの)内にいる」という考え方は何となく”キリスト教世界”っぽい気がして受け付けないのかもしれません。
問題点② 「子であるイエス・キリストによって」
繰り返しになりますが、「私たちは,子であるイエス・キリストによって,真実な方と結び付いています」の部分のギリシャ語はこうです。
「καί(そして)ἐσμεν(わたしたちは~ある)ἐν(の中に)τῷ ἀληθινῷ(本物の者), ἐν(の中に)τῷ υἱῷ(子)αὐτοῦ(彼の)Ἰησοῦ(イエス)Χριστῷ(キリスト)」
ここは「わたしたちは~ある」という主な文があって、それに「本物の者の中に」と「彼の子であるイエス・キリストの中に」という文が付いている形をとっています。
新世界訳は「彼の子であるイエス・キリストの中に」を「彼の子であるイエス・キリストによって」というふうに訳していますが、これも正しい訳ではありません。
JWは「真実な方」を神、「子であるイエス・キリスト」をキリストと理解しています。
もしわたしたちが神の中にいてなおかつキリストの中にいるとすれば、その表現から描き出される情景というのは(物理的な意味ではないにと分かっていても)やはり何となく”キリスト教世界”っぽい気がして嫌なのでしょう。
問題点③「永遠の命の源」
「の源」はまったくもって余計な付け足しです。
原文は「この方こそ・・・永遠の命です」としか言っていません。
「の源」2019年版になって付け足されました。
その理由として考えられる点ですが、ものみの塔的に「この方こそ真の神であり,永遠の命の源です」の「この方」は父なる神(JW的にはエホバ)を指しています。
でもエホバをダイレクトに「永遠の命」であると表現する箇所は新約聖書において他にありません。
新約聖書において「永遠の命」または「命」であると言われているのはキリストです。
そもそも第一ヨハネ書の著者自身がこの書の目的として1:2で「御父のもとにいて今やわたしたちに現れた永遠の命、この正体をあなたがたに告げよう」と言っています。
そして結論として5:20で「この方こそ永遠の命である」と言っているわけです。
とはいえそうなると「イエス・キリストこそ真の神である」という、JW的には絶対に受け入れられないことを聖書が言っていることになります。
そこで「永遠の命」に「の源」をつけることで、ヨハネ第一5:20の最後の一文がエホバを指していると信者たちに理解させようとしたというところでしょうか。
なおヨハネ第一5:20の最後の一文がイエス・キリストではなく父なる神を指していると解釈する方法は一般的にも存在します。
ただ新世界訳の場合は、そう解釈させるためのやり方があまりにも強引であって、そのやり方については間違いなく問題視されるべきだと思います。
#72 2019年05月04日 14:34:47
- シセイ
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
横から失礼。入れ子神界なら問題ないかも。マトリョーシカのような。
#74 2019年05月07日 12:28:42
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 背教者がエホバの証人を擁護するウェブサイトを開設している真実
Iヨハネ5:20
新改訳
『しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。』
新共同訳
『わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。』