#126 2017年11月03日 06:48:27
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
irisさん、興味深いご意見ありがとうございます
薬になる良い妄想と毒になる悪い妄想があるのはその通りかなと納得しました
キーワードの「よい宗教」
現時点のirisさんにとってカトリック教会がそれに該当するのだろうと思いました
#127 2017年11月03日 10:02:26
#128 2017年11月04日 06:53:20
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
日本語的には ×信じる というより 〇たしなむ と表現したほうがいいとおもいます
そういうスタンスをとる宗教は多いと思いますよ
英語圏でも、携挙とかハルマゲドンとかに命をかける人は一部で、
believe よりも appreciate に近い感覚の人も多いと思います
#129 2017年11月04日 08:23:47
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
現代社会は「水らの伝言」や「江戸しぐさ」は事実と異なるもので教育的ではないとしました
子供に道徳を教えるために事実でないものを事実として扱うのは本末転倒なのでしょう
さて、薬になる妄想はどうでしょうか
#130 2017年11月04日 13:06:16
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
長いですがコピペします
小学校で使用される道徳の教科書『私たちの道徳』で、全く歴史的根拠がないとされている「江戸しぐさ」が依然として取り扱われることになった。コラムニスト・オバタカズユキ氏が怒る。
* * *
4月である。新学期である。児童や生徒や学生たちは、来週あたりから新しい教科書を携えて新しい学年の学びを始める。
ところが、だ。新小学校5、6年生用の教科書の一部が、とてもバカらしいことになってしまった。文部科学省が作った『私たちの道徳』に、「江戸しぐさ」を推奨するページがこれまで同様残されているのだ。
なにそれ「江戸しぐさ」という場合は、検索して自分で調べてほしいが、要するに歴史的捏造の一つである。偽史や偽書の研究家である原田実氏が、2014年の夏に出した『江戸しぐさの正体――教育をむしばむ偽りの伝統』で徹底批判。翌2015年の夏には、とんでもないインチキな内容の本を批判的に楽しむ民間団体の「と学会」が、『私たちの道徳』を第23回トンデモ本大賞に選んで国民的冷笑を誘った。
かつては「江戸しぐさ」を日本人の美徳として扱う本がたくさん出ていたが、原田氏をはじめとする批判の声の高まりで、今ではもう、そんな出版企画はどの出版社でも通らない。新聞、テレビでも「江戸しぐさ」を真顔で勧める者は見かけなくなっている。
なのに、である。そうした終わっているコンテンツを、日本の教育界の中枢である文科省が道徳教材の中で認定してしまったというわけだ。
文科省の言い分は、道徳の時間は社会科の授業とは違うもので、事実かどうかではなく、道徳的な内容かどうかだ、としているようである。『私たちの道徳』は、〈三百年もの長い間、平和が続いた江戸時代に、江戸しぐさは生まれました〉と紹介しているから、「ウソも方便」という知恵を児童らに教えたいならともかく、まあ、なんというか、自分の過ちを認められない頑迷ぶりを露呈して、恥ずかしい話になっているのだ。
この文科省の愚行によって、全国の小学高学年児童たちは偽史を学校で教えられてしまうことになる。だが、児童への被害は実際ほとんどないと思う。インチキな日本人の美徳を押しつけられて大丈夫か、といった心配をする人も多いのだけれど、大丈夫、子供は大人のウソを見抜く天才だ。特に、きれい事を言うだけの大人を子供たちは信用しない。
むしろ、気の毒だなあと思うのは、インチキ教科書で偽史を扱いざるをえない教師たちだ。「ここに書いてあることは、実を言うと嘘八百なのです!」とお笑いネタにして子供たちからの人気を獲得するのに使える教材、ともいえるのだが、現実的にそうした授業を行える教師は滅多にいない。
ご承知の通り、小学生の道徳の時間は、2018年度から教科になる。いまはその過渡期であり、教科化の正式実現に向けて、ちゃんと学習指導要領通りに教えているかどうか、教師たちは上から見張られている。そのへんの締めつけは年々厳しくなっており、教師の自由裁量の幅は決して広くない。
そして、授業以外の膨大な雑用で多忙を極めているのが小学校教師の平均像だから、「江戸しぐさ」程度でいちいち反抗的態度を示していては、心身共に健康を保てない。子供たちにインチキを教えたくない先生は、該当ページをどう華麗にスルーするか、その力量が問われるといったところが現実だろう。知的で真面目な先生ほど虚しくなるはずだ。
#131 2017年11月04日 13:07:24
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
でも、子供たちは容赦しない。全国一斉に洗脳教育みたいなことをして、と道徳の教科化を批判する人たちは言うけれど、子供の心を大人が思い通りに動かせると思ったら大間違いである。
小学校高学年をナメちゃいけない。その過半がユーチューバ―のエログロナンセンス動画を楽しみ、LINEをはじめとするアプリで裏コミュニケーションに勤しんでいる昨今だ。
「江戸しぐさ」がインチキであることぐらい、検索一発で丸わかりである。道徳の時間に「江戸しぐさってトンデモなんですよね!」とツッコんで先生を困らせたい子供はクラスに1人いて当然、くらいに考えたほうがいい。
傘をさした人同士が狭い道ですれ違うときに、相手を濡らさないよう互いの傘を傾けることを「かさかしげ」と言うそうだが、いたずら坊主の太郎君は雨降りの通学路でちっともかさかしげをしていない先生たちの様子を、しっかり映像記憶しているはずだ。先生が口先だけのモラリストかどうかをチェックするために。
知らない人であっても、困っている人がいたら声をかけて手を差し延べることを「差し延べしぐさ」と言うそうだが、みんなから誤解されて本当に困っている二郎君の気持ちも知らないで、被害者ぶりっこしてわめいている花子さんの味方ばかりしている先生の態度を、いたずら坊主だけれども不公平がなにより嫌いな太郎君は見届けている。いざというときに先生が頼るに値する大人かどうか判断するために。
誰も見ていなくても誰かのためになることをする心構えを「おつとめしぐさ」と言うそうだが、リアリストの太郎君はそうした説教をする先生ほど他のもっと弱い先生につらく当たっていることを知っている。生きた教材から人間社会の不条理を学びとるかのように。
まだ小学生なのにひねくれ過ぎだと思うなら勝手にそう決めつけるがいい。私は、そのくらい“自分を持っている”子供のほうが好きだし、子供たちの中で一目置かれるのもそういうタイプだと思っている。だから、先生がぜんぜんそんなこと信じちゃいないのに、「江戸しぐさに学ぼう」だなんて真顔で授業を始めたら、まともな子供たちは一斉にしらけて当然だと考える。ただでさえ、地に堕ちた公教育という権威がますます失墜するだけだ、と小学校の先生方を気の毒に思う。
日本の公教育は、世の中の流れから遠く置いて行かれてしまっている。私は頭が良くて世の中の役に立ちたいという気持ちの強い人が多い中央省庁に対する安易な批判をしたくない者だが、「江戸しぐさ」の愚かさにいまだ気づけない文部科学省の官僚については、「偏差値バカ」と罵倒する。
#132 2017年11月04日 13:09:54
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ソースが週刊誌だと思うのですが
なかなか週刊誌も馬鹿に出来ないですね
#133 2017年11月04日 17:56:00
#134 2017年11月04日 19:14:31
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
うんうん。事実でないことを事実であると強弁して誤認させるのはダメですよね。
でも、そうなるとカトリックの活動領域も随分と狭くなると思うのですが
少なくとも聖人が腐らないのはインチキですよ
#135 2017年11月04日 21:19:58
#136 2017年11月04日 22:13:00
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
?
聖人でなくとも腐らないことがあるが
聖人が腐らないのは真実ということでしょうか
私の頭が悪いのか、ちんぷんかんぷんです
「聖人は腐らない」というのは妄想じゃ済まないと思います
#137 2017年11月04日 22:22:27
- タニタクミ
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
キリスト誕生時の祝いを持ち寄った三聖人は仏教徒だったという一説があります。
それが真実であれば、仏教徒は霊魂不滅の信条のもと腐らないイコール不滅という
屁理屈を書き込ませていただきました。
#138 2017年11月04日 22:38:32
#139 2017年11月04日 22:43:08
- タニタクミ
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
キリスト誕生時のあの3人の賢者はサタンの遣いですがプレゼントを
ヨセフはキリスト養育に遣った、詰まりは御年玉の起源でしょうか。
#140 2017年11月04日 22:43:54
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
いえ、かの3人は輪廻転生して今のダチョウ倶楽部になっているという説もありますよ
ところでダチョウ倶楽部はタケシ軍団に含まれるのですか?
#141 2017年11月04日 22:46:48
- タニタクミ
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
どうぞどうぞ、のスピリッツですね。
センスが素晴らしいので、もう一声失礼します。
アダムにへそはあったのかな。
#142 2017年11月04日 22:49:48
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
カトリック的にはアダムなんて人はいてもいなくてもよいのではないでしょうか
男性から女性が作られたわりには男性にも乳首ありますしね
#143 2017年11月04日 22:51:27
#144 2017年11月04日 22:56:32
- タニタクミ
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
乳首、マチャミさんですね。
エンタの神さま、意外と人気ありましたよ。
アダムはアダモステの語源ですか。
アダムは知っていた、エバは知らなかった。
エバの出産も取り上げたのはアダム。
へその緒を切除する知恵もあったようで。助産夫ですか。
#145 2017年11月04日 22:58:42
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
聖人の遺体の多くは腐敗していますよ。たまに腐っていない遺体があると、ありがたがっているだけでしょう。
「聖人の遺体で腐っていないのがある」という話は聞きますが、「聖人の遺体は腐らない」などという教えは公式にはありませんよ。遺体が腐らないのは特殊な場合なので、全員が法医学を修めているわけでもないし奇跡だと思う人がいてもおかしくはないと思いますが、「遺体が腐らない奇跡」と盛り上がる人がいてはダメですか?
駄目ではないですよ、公式な教えではないのですね
#146 2017年11月05日 00:35:23
#147 2017年11月05日 21:12:33
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
遺体が腐らないのは特殊な場合なので、全員が法医学を修めているわけでもないし奇跡だと思う人がいてもおかしくはないと思いますが、「遺体が腐らない奇跡」と盛り上がる人がいてはダメですか?
タンパク質を構成するアミノ酸などのカルボン酸の化学結合(電子の電荷が糊の役割をする)は強力で、「自然に」分解したり腐敗したりするのは、微生物や、化学反応を数億~数兆倍に加速する酵素の役割によるもので、それ自体の半減期は恐ろしく長い可能性が研究されています。
化石でも軟組織が残っているのはごく稀なケースで、微量ではありますが、数千万年前~の化石からコラーゲンが採取された例もあるとか。
特殊な条件が重なって変性したタンパク質が腐敗せずに残るのはありえるらしいので、聖人だから腐らないはアウトですが、稀に腐らない聖人がいる、ならギリOKかもしれません。
#148 2017年11月06日 12:50:28
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
#149 2017年11月07日 01:21:49
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
特殊な条件が重なって変性したタンパク質が腐敗せずに残るのはありえるらしいので、聖人だから腐らないはアウトですが、稀に腐らない聖人がいる、ならギリOKかもしれません。
特定の環境下で死体の腐敗の進行が停止する現象は実際に観察されている事実です。法医学の世界では殊更に珍しいわけではありません。
「腐らない」の定義にもよりますが、「腐らない」が「腐敗の進行が停止している(特殊死体現象が観察される)」という意味だとすれば、「腐らない死体もある」というのが科学的事実であって、腐らない聖人もいて当然ということになります。
これを前提にしますと、「稀に腐らない聖人がいる、ならギリOK(事実である可能性を否定できない程度)」と評価するならば「一般人は腐らないことがあるが聖人は腐るのが当然」と考えていることになり、科学的でないと思います。
「腐らない」が「どんな環境においても絶対に永遠に腐らない」という意味だとすれば、そんなことは通常あり得ないでしょうが。
オフライン
#150 2017年11月07日 01:43:57
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
あのですね 死体をありがたがってるのはカトリック信者さんなんですよ(公式の教理でないらしいですが)
そもそも聖人を信じてませんから
そしたら「腐らない聖人もいて当然」とはならないんです
そして「一般人は腐らないことがあるが聖人は腐るのが当然」と考えていることにはならないんです、誰もそんなこと主張しません
きっと、ギリOKという表現に違和感があったのだと思いますが
「聖人だから腐らないはアウトですが 稀に腐らない聖人がいる、ならバッチリOKです」と訂正する必要があるのでしょう
これは単純な質問なのですが
没後に行われる聖人認定の取り決めがあると思うのですが
カトリックの主だった人の遺体が腐るか腐らないか,今はそんなに気にしなくなっているのですか?
墓を掘り起こして臭気を確認するとかなんとか・・・・ガセネタでしょうか